江戸切子

提供: Yourpedia
2007年6月4日 (月) 00:57時点におけるキリカ (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
ファイル:Edokiriko.jpg
伝統工芸品江戸切子

江戸切子(えどきりこ)。江戸は地域名。切子(切り子)は工法であるカット・(カットグラス)の和名。江戸末期にはじまったカットグラス工法のガラス工芸・細工。伝統工芸に認定されているガラス工芸品の1つ。

江戸切子の特徴

江戸末期に生産された江戸切子は、透明鉛ガラス(透きガラス)に、の金棒と金剛砂によって切子し、木の棒を用いて磨きを行う、手作業による手摺り工程による細工によって制作されたものと考えられている。

当時の薩摩切子が、厚い色ガラスを重ねた色被せ(いろきせ)ガラスを用いていること、深いカットと大胆な形であることとは大きな違いがある。

明治期以後は、江戸においても色被せガラスの素材も用いられるようになるが、色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴。切子の加工方法も、文様を受け継ぎつつ、手摺りからホイールを用いたものへ移行していく。

江戸切子の文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など着物にも見られる身近な和の文様を、繊細に切子をしているのも特徴である。

現在は、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透明なガラス(透き(すき)ガラス)よりも、色被せガラスを素材に用いたものが好まれ、多く生産されている。

歴史

1834年(天保5年)に江戸大伝馬町のビードロ屋・加賀屋久兵衛(通称加賀久)がガラスの表面に模様を施したのが始まりと言われる。加賀久は、日本橋通油町の硝子・眼鏡問屋加賀屋(通称加賀吉)から暖簾分けし、切子も始めたとされる。

1873年(明治6年)、明治政府の殖産興業政策の一環として、官営の品川硝子が設立され日本での近代的な硝子生産が始まった。 1882年(明治15年)にはイギリスから御雇い外国人技師・エマニュエル・ホープトマンを招聘、先進的なカットグラス技術が導入、以後発展した。

大正期から昭和初期(開戦前)にかけての大正文化・大正モダニズムの時代に、カットグラスは人気となり広く普及する。安価なソーダガラスの素材の普及も一因。 当時のメーカーには、佐々木硝子(後の佐々木クリスタル・現東洋佐々木ガラス)、岩城硝子岡本硝子などがあり、ドイツ留学から帰国した各務鑛三の各務クリスタル硝子製作所(現カガミクリスタル)の創業も昭和初期。その他多くの問屋が存在した。

太平洋戦争中は制限下に置かれ、多くの職人も出征。残った職人たちは転業や疎開、その加工技術から戦闘機向けガラス加工など軍需生産にも動員された。

戦後、主な生産地であった江東一体の下町は灰燼に帰しており、その荒廃の中から各メーカーや問屋、光学レンズから新たに参入し後に世界的なクリスタルブランドへと発展した保谷硝子(現HOYAクリスタル)などの生産に切子職人たちが関わり復興していく。

その背景には、GHQの進駐によるガラス食器の需要増や海外向け高級シャンデリア等の輸出など「外貨獲得の戦士」と称された時代、さらに、高度経済成長期など生活の洋風化に伴うグラス・花器・洋食器の普及があった。

円高不況バブル崩壊後は、輸出の減少、長期不況、メーカー・問屋の廃業・撤退、発達したロボット・マシンメイドによる加工品や格安な輸入品の増加、吹きガラス工場の廃業に伴う素材減、既存販路の縮小、後継者不足等を抱え、廃業も多くなっている。

現在

多くの課題に、様々な試みがされながら和の特色と個性を反映した日本のカットグラスとして普及・生き残りを図っている。

組合(東京カットグラス工業協同組合)では、伝統工芸江戸切子の認定を受け活動。

職人や加工場の個々では、職人仕事・下請け加工からの転換として、デパート催事の実演販売、自社製品の卸販売や店舗・ホームページを構えての直販、異業種・デザイナーとのコラボレーションによる創作も試みられている。

また、職人が加工仕事との兼業あるいは転業し、切子作家・カットグラス作家として教室や個展等の活動を行う形態もみられる。これらの活動は、師弟の独立後以外にも、職人や加工という仕事の過程は経ずガラス工芸を扱う美術大学・専門学校・カルチャー教室の生徒が修了後の活動として始めるケースも見られる。

江戸切子は薩摩切子と違い、その歴史が震災・戦災ほか幾多の困難を経ても途絶える事がなく、その文様や用途も身近な庶民の暮らしとともに発展していったことから、「庶民の育てた文化」ともいわれる。

職人と組合

手仕事ということもあり、加賀屋やホープトマンからの脈々と繋がる師弟の系譜があり、職人・作家の由来をたどることが出来る。 職人及びその加工場・工房は、東京都江東区墨田区江戸川区葛飾区埼玉県の一部に多く、江戸切子だけでなく各種カットグラス加工やその下請け生産を行なっている。

職人には、グラスや器を中心に切子の文様の装飾などを施す「切子」と、時計や灰皿からガラスのオブジェ・レンズ等のガラスの平面研磨をする「平物」(ひらもの)の大きく2形態がある。

現在、江戸切子職人・加工所間の同業組合として、伝統工芸江戸切子の認定を受けている、東京カットグラス工業協同組合(江東区亀戸)があり、ショールームの開設・販売・催事・広報・体験等の事業を行なっている。

伝統工芸等の認定

 認定は何れも「江戸切子」であり、送り仮名「り」は含まれない。

書籍

江戸切子の草創期から昭和末までの江戸切子他の歴史、その流れを受ける日本の食器メーカーや職人の系譜については、山口勝旦の著書『江戸切子―その流れを支えた人と技』、里文出版、1993年に詳しい。

関連項目

外部リンク

wiki:江戸切子