川岡孝弘

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川岡 孝弘(かわおか たかひろ、1973年4月5日生まれ- )は、元社会人野球投手。元高校野球日本代表選手。広島県広島市出身。

人物・来歴[編集]

1990年広島市の山陽高校2年時の夏、第72回全国高等学校野球選手権大会に初出場し、エースとして甲子園ベスト4に導いた164cmの小柄な左腕。 1990年夏の山陽は「ミラクル山陽」と呼ばれた。広島県予選の初戦から広陵広島商、当時優勝候補筆頭であった、山内泰幸投手を擁する尾道商に3試合連続で1点差勝ち。準決勝では広島工を下し、春季県大会四強を総なめにする快挙を飾った。決勝戦では崇徳を3-1で下し、甲子園初出場を決めた。甲子園初戦の葛生との1戦は球史に残る名勝負となった。9回2死無走者から3点差をひっくり返すという奇跡の逆転サヨナラ劇 で甲子園初白星を挙げた。その後、星林日大鶴ヶ丘にも勝利した。準決勝では沖縄水産に敗れたが、チームを甲子園初出場でベスト4進出に導いた。大会後は、高校野球全日本選抜にも選出された。翌年、3年時には、エース・四番・主将としてチームを引っ張ったが、甲子園連続出場はならなかった。オリックスで活躍した山口和男投手は、1学年後輩にあたる。

卒業後は、九州六大学野球連盟九州国際大学へ進学し、九州六大学リーグで通算32勝9敗をマーク。全日本大学野球選手権大会に出場し、ベスト8進出に大きく貢献した。社会人野球では、常石鉄工で野球を続けた。

2011年から母校・山陽高校で監督に就任する。

略歴[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • [ttp://www5c.biglobe.ne.jp/~mori95/khb/sub/kh1991sub.htm 高校野球資料館] - 1991年夏の地方大会の主な選手
  • [ttp://www.geocities.jp/ne9stadium/top/natu/shousai/h2_sanyo.html 熱球スタジアム] - 夏の甲子園名勝負
  • [ttp://www.chugoku-np.co.jp/sports/shinseiki/shinseiki-2/010420.html 高校野球新世紀] - 白球列伝