古森義久

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古森義久(こもり よしひさ、1941年 - )は、ジャーナリスト産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。

執筆記事の論調は親米保守(というよりも親共和党右派。)思想を基調とし、中国北朝鮮パレスチナなど米国・イスラエルと対立する諸勢力に対しては批判的で距離を置く。柔道家でもあり、ワシントンの柔道クラブでも活動をしている。妻は元カーター政権時代内務省長官の特別アシスタントを勤め、アメリカ先住民(インディアン)の権利擁護で活動している人権派弁護士のSusan Komori。

偶に“小森”の誤記あり。

経歴[編集]

エピソード[編集]

ウィキペディアでの誹謗中傷に端を発するWikipedia批判[編集]

2006年8月30日にウィキペディア日本語版(以下JAWP)にて古森を「自称ジャーナリスト」などと誹謗中傷する記述がなされ、執拗に中傷記事の掲載が続いた。

2006年9月5日、古森は自身のブログにて、JAWPに「自称ジャーナリスト」や「自民党右翼の御用言論人」と記述されていた事を指摘、反論した上で「このウィキペディアなる奇怪な落書きの場は左翼分子がまとも派を攻撃するフォーラム」と評した[1]。その後、JAWP側の記述改訂の経緯を指摘され、古森のブログにてウィキペディアについての説明を受け入れ認識を改めたことを表明した。だが自身への批判的記述に関しては、発端となった中傷および、批判的記述のなかにも中傷と見られる記述が散見された為に、「おかしな人がおかしな記事に書き換えている」とも述べている。

このような常況であるため、「ジャーナリストとしては情報の精度が悪く、政治家で無い・政治家としては使えないということが明らか」な常況である。

ハリケーンカトリーナ報道[編集]

2005年8月末、アメリカ合衆国南部を襲ったハリケーン・カトリーナの被災地について、『こうした略奪を働く人間たちのほぼ100パーセントが黒人なのである。テレビの映像や新聞の写真でみる限り、略奪者はみなアフリカ系市民、つまり黒人だった。この事実は現地からの他の一部の報道でも裏づけられていた』、『それにしても略奪者は100パーセント黒人なのである』と断定した[2]。しかし、白人による略奪はテレビでも報道されており、古森の発言は事実と異なる。古森氏はただ、アフリカとアフリカ系アメリカ人が嫌いなだけであり、決して人種問題はやっていない。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『ベトナム報道1300日―ある社会の終焉』(筑摩書房, 1978年)
  • 『核は持ち込まれたか』(文藝春秋, 1982年)
  • 『アメリカの警告―レーガンの極東戦略と対日要求 現地報告』(ビジネス社, 1983年)
  • 『ジャパンを叩け!―ワシントン・レポート』(PHP研究所, 1983年)
  • 『遥かなニッポン』(毎日新聞社, 1984年)
  • 『情報戦略なき国家―KGBが日本を狙う』(PHP研究所, 1984年)
  • 『ヨーロッパの戦略思考―米ソの"はざま″で何を選択するか』(PHP研究所, 1985年)
  • 『嵐に書く―日米の半世紀を生きたジャーナリストの記録』(毎日新聞社, 1987年)
  • 『倫敦クーリエ』(文藝春秋, 1989年)
  • 『世界は変わる―国際報道の現場から』(文藝春秋, 1991年)
  • 『U.S.A.報告―日本を視るアメリカの眼』(講談社, 1992年)
  • 『ワシントン情報ファイル』(新潮社, 1993年)
  • 『日本「異質」の核心―古森義久のU.S.A.報告』(講談社, 1993年)
  • 『日米「異変」―アメリカ報告'90-'94』(文藝春秋, 1994年)
  • 『日本を視るアメリカの眼』(ジャパンタイムズ, 1995年)
  • 『大学病院で母はなぜ死んだか』(中央公論社, 1995年/中公文庫, 1998年)
  • 『ベトナムの記憶―戦争と革命とそして人間』(PHP研究所, 1995年)
  • 『アメリカの「影」の勢力』(PHP研究所, 1996年)
  • 『透視される日本―アメリカ新世代の日本研究』(文藝春秋, 1999年)
  • 『北京報道700日―ふしぎの国の新聞特派員』(PHP研究所, 2000年/扶桑社[扶桑社文庫], 2005年)
  • 『「日中友好」のまぼろし』(小学館, 2001年/徳間書店[徳間文庫], 2006年)
  • 『日中再考』(扶桑社, 2001年/扶桑社文庫, 2003年)
  • 『「ODA」再考』(PHP研究所[PHP新書], 2002年)
  • 『亡国の日本大使館』(小学館, 2002年)
  • 『国の壊れる音を聴け―国際報道と日本のゆがみ』(恒文社, 2003年/扶桑社[扶桑社文庫], 2004年)
  • 『国連幻想』(扶桑社, 2004年)
  • 『外交崩壊』(小学館, 2004年/文藝春秋[文春文庫], 2006年)
  • 『中国「反日」の虚妄』(PHP研究所, 2005年)
  • 『凛とした日本―ワシントンから外交を読む』(PHP研究所[PHP新書], 2006年)
  • 『日本に挑む中国―「いまそこにある危機」とは何か』(PHP研究所, 2007年)

共著[編集]

  • 近藤紘一)『国際報道の現場から』(中央公論社[中公新書], 1984年)
  • 中嶋嶺雄)『中国は脅威か―幻想の日中友好』(PHP研究所, 2000年)
  • 深田祐介)『アジア再考―外務省には任せられない!』(扶桑社, 2001年)
  • 小池百合子)『対論:テロは日本を変えたか』(広済堂出版, 2001年)
  • (中嶋嶺雄)『覇権か、崩壊か―2008年中国の真実』(ビジネス社, 2002年)
  • 井沢元彦稲垣武)『朝日新聞の大研究―国際報道から安全保障・歴史認識まで』(扶桑社, 2002年/扶桑社文庫, 2003年)
  • 岡崎久彦)『アメリカン・ショック―日本に残された時間は、あと2年!』(ビジネス社, 2002年)
  • 黒田勝弘)『日・中・韓―新三国志』(徳間書店, 2003年)
  • 田久保忠衛)『反米論を撃つ』(恒文社, 2003年)
  • 吉崎達彦)『ナイーブな「帝国」アメリカの虚実』(ビジネス社, 2003年)
  • (中嶋嶺雄)『中国暴発―なぜ日本のマスコミは真実を伝えないのか』(ビジネス社, 2005年)
  • (田久保忠衛)『文化人の通信簿―媚中度から歴史認識まで徹底採点!』(扶桑社, 2005年)

注目を集めた論文[編集]

  • カナリス提督はアメリカのスパイだった!」(『諸君!』1983年3月号)
  • 「日本のネオ・ナショナリズムを批判する」(『中央公論』1990年3月号)
  • 地域ミサイル防衛――冷戦後の日米安保協力の切り札」(『中央公論』1993年7月号)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

日本国際問題研究所 JIIAコメンタリ 玉本偉 論文関係

参照[編集]

  1. 古森義久『個人誹謗の「フリー百科事典」』(ブログ「ステージ風発」)
  2. 古森義久「ハリケーン被災であらわになった米国の人種問題 ~なぜ、特定の人種だけが略奪するのか~」Page 2(日経BP社「SAFETY JAPAN」コラム「“外交弱小国”日本の安全保障を考える~ワシントンからの報告~」第6回)
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