京浜急行バス

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京浜急行バス株式会社(けいひんきゅうこうバス、英称:Keihin Kyuko Bus Co., Ltd. )は、京急グループのバス事業者である。京浜急行電鉄の完全子会社。

概説[編集]

京浜急行電鉄のバス事業部門の承継を目的とした完全子会社として2003年4月に設立され、同年10月1日に営業を開始した。

路線バスの営業範囲は、東京都南東部から神奈川県東部の三浦半島にまでわたり、品川・横浜などと全国各地を結ぶ高速バスや、アクアライン経由路線、羽田空港のアクセスを担うリムジン路線も数多く運行している。

子会社に、羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バス・東洋観光を持つほか、京急観光バスを保有していた(既にバス事業撤退)。京急の路線バスは、最終的に羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスに移管され、京浜急行バスはこれらの管理統括会社(持株会社)となる予定であるが、実際は子会社3社から乗務員登用制度があり、推薦された乗務員が京浜急行バス本体に転籍しており、完全移管はかなりの時間を要すると思われる。なお、路線バスの運行を担当するこれら3社については、この項目であわせて取り扱う。

京急は、路線バスの低床化に早い時期から積極的に取り組んできた。1986年にいち早くノンステップバスを導入したほか、1988年にはワンステップバスを企画、日野自動車をはじめとするメーカー各社との共同開発により、導入が進められた。これらの車両は「京急型ワンステップバス」と呼ばれ[1]、各営業所に配置されたほか、グループ会社の川崎鶴見臨港バスでも使用され、のちのワンステップバス市販化に大きな影響を及ぼした。

なお、大阪府寝屋川市京都急行バス株式会社が、一時期「京急バス株式会社」という商号を用いていた[2]が、資本・人材も含めて一切の関係はない。

沿革[編集]

京浜急行バスは2003年に設立された会社であるが、ここでは前身の京浜急行電鉄、京浜電気鉄道のバス事業を含めて記述することとする。

京浜電気鉄道のバス事業[編集]

京浜急行の前身である京浜電気鉄道がバスの営業を始めたのは、1927年昭和2年)のことである。最初の路線は八丁畷駅 - 川崎住宅地(現在の京町・平安町付近の自社開発住宅地)間であった。もともと京浜電鉄は1922年大正11年)以来、自社の鉄道に沿った形での京浜間連絡をバスによっても行うべく、数度にわたり路線免許の申請を行っていたが、すでに高輪 - 六郷間の旧国道(旧東海道)上には東京乗合自動車(通称青バス。現・都営バス)が運行しており、認可はなかなか下りなかった。そこで、まずは競合のない川崎市内において運行し、バスの営業実績を作ることを優先させたのである。
詳細は 川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所#川29(入船橋循環線) を参照
この頃、東京府内では鉄道沿線の大森町蒲田町(どちらも現・大田区)から森ヶ崎鉱泉への足として人力車や乗合自動車を運行していた都南自動車商会森ヶ崎人力自動車の競争が激化していた。京浜は国道線免許獲得への種蒔きを狙って両社間の調整に割って入り、1928年(昭和3年)、両社を統合した会社梅森自動車を誕生させる。翌1929年(昭和4年)に京浜間連絡の足がけとなる高輪 - 六郷間・新国道経由路線の認可をようやく得ることができ、同年10月より営業を開始した。
詳細は 京浜急行バス羽田営業所#都内京急バスの源流 を参照
また、この年には鉄道の大師線に並行する古家達三経営の川崎駅 - 大師間を継承し、穴守線に沿った蒲田 - 稲荷橋間にも路線を設けている。さらに、翌1930年(昭和5年)に東京乗合経営の旧国道上の路線も譲り受け、この地域における営業基盤を確立した。
詳細は 都営バス品川営業所#戦前・民営乱立時代 を参照
その後、国道線の横浜方面への拡張を進め、1932年(昭和7年)4月に生麦まで開業するも、その先は横浜市電と競合することから免許を得ることが出来なかった。このため、委託契約により横浜市の免許区間に乗り入れを行うという苦肉の策をとり、ようやく京浜間の連絡を果たすことができたのが同年10月のことであった。
詳細は 横浜市営バス鶴見営業所#鶴見区内の市営バスの始まり を参照

以後、京浜電鉄バスは川崎・蒲田周辺を中心に路線拡充を図り、1933年(昭和8年)、蒲田乗合自動車を傘下に収めると、1935年(昭和10年)梅森自動車も正式に京浜傘下入りした。

1941年(昭和16年)、京浜は湘南電気鉄道と湘南半島自動車を合併、横浜市杉田と鎌倉市を結ぶ線から南の三浦半島のバス路線をほぼ一元化した。以下、この2社のバス事業について触れる。

湘南電気鉄道のバス事業[編集]

京浜電鉄が積極的に自社の鉄道沿線に路線網を確立していったのに対し、湘南電気鉄道は要の鉄道経営が不安定だったため、1931年に浦賀駅 - ペルリ提督記念公園間でバスの経営を始めてはいたものの、ごく小規模なものでしかなかった。そればかりか、沿線にバス事業者が乱立し、鉄道の乗客を奪われかねない状況であった。
詳細は 京浜急行バス久里浜営業所#浦賀 - 三崎間の乗合自動車 を参照
その中で一大脅威となっていたのが、横須賀自動車である。横須賀自動車は、横須賀市内におけるバス事業者の無益な競争を抑えるため、1925年に2社の合併によって成立した会社で、路線は横須賀駅を起点に枇杷山下、堀ノ内方面などに伸びていた。その後、周辺事業者の買収や路線延長を進め、昭和初期までに法塔・上宮田・三崎・富岡・葉山などにエリアを拡張、さらに傍系会社であった田浦 - 逗子間の湘南乗合自動車、横須賀駅 - 浦賀町芝生間の半島自動車を1932年に合併するなど、湘南電鉄沿線においてバス路線の統合を進めていた。
詳細は 京浜急行バス衣笠営業所#起源 を参照
同社に対しては、1933年に京浜電鉄社長であった望月軍四郎が株式を取得し、役員の改選を行って経営権を掌握した。その後、路線を法塔から衣笠まで延ばして衣笠公園への夜桜見物客を誘致し、1935年には横浜駅 - 桜木町 - 磯子 - 杉田間に路線を持つ横浜乗合自動車を合併、1936年に社名を湘南乗合自動車に改めるなどして発展を続けた。この間、経営が軌道に乗り始めた湘南電鉄が望月所有の株式を譲りうけ、さらに1937年に同社を合併、自動車部を設置して事業を継承した。
詳細は 横浜市営バス#民営バスとの競合 を参照

湘南半島自動車[編集]

湘南半島自動車は、現在の京浜急行バスのうち、鎌倉から三浦半島(主に相模湾側)にかけての路線の基礎を築いた事業者である。もともと京浜電鉄は、1929年に三浦半島でバス事業を開始するにあたり三浦半島一周自動車を買収し、半島一周自動車運輸商会の名のもとで逗子駅 - 三崎町海南、三崎町 - 横須賀間の営業を開始していた。その後、同商会は半島自動車(前記の横須賀自動車の傍系会社とは異なる)として株式会社化され、1932年に三崎に本拠を置く臨海自動車と鎌倉周辺で営業していた鎌倉乗合自動車と合併することとなる。これにあたり、3社それぞれが解散し、各事業を継承すべく新たに設立されたのが湘南半島自動車である。

同社はその後、1940年に三崎 - 横須賀、三崎 - 浦賀間で営業していた三浦自動車を合併、翌41年には日本自動車道を合併して両者の路線を継承した。日本自動車道は1930年の設立で、大船 - 江ノ島口間の自動車専用道路、鎌倉山の分譲住宅地とともに大船駅 - 江ノ島口間、鎌倉山 - 大仏前間、および鎌倉駅周辺におけるバスの経営を行っていた会社である。なお、湘南半島自動車と日本自動車道の合併は、鎌倉周辺における交通統制を図るため、両社に江ノ島電気鉄道(現・江ノ電バス)、東海道乗合自動車(現・神奈川中央交通)を加えた4社の合併を前提に議論されたが、京浜電鉄が猛反発したため実現に至らず2社にとどまったものである。
詳細は 神奈川中央交通#自主統合の流れ を参照

年譜[編集]

  • 1927年8月: 京浜電気鉄道、川崎住宅地線(八丁畷駅 - 京町)を開業(現在は川崎鶴見臨港バスがその路線を含め川崎駅まで運行)。
  • 1929年
    • 10月: 京浜電気鉄道、高輪 - 六郷土手間(新国道、現在の国道15号経由)を開通。
    • 12月: 京浜電気鉄道、鶴屋自動車商会(古家達三経営)の川崎駅 - 大師間を買収。
  • 1930年
    • 4月: 京浜電気鉄道、三浦半島一周自動車(鈴木八五郎経営、1925年7月設立。逗子駅 - 三崎海南間・林 - 横須賀逸見・三崎海南 - 横須賀逸見間他)を買収。半島一周自動車運輸商会と改称。
    • 10月: 京浜電気鉄道、京浜乗合自動車より高輪 - 六郷間(旧国道経由)を買収。
  • 1931年1月: 京浜電気鉄道、臨海自動車(1921年梁瀬長太郎(ヤナセ創始者)が創業。三崎 - 横須賀逸見間・三崎 - 浦賀田中間)を傘下におさめる。
  • 1932年
    • 4月: 京浜電気鉄道、六郷 - 生麦間を開通。
    • 10月: 京浜電気鉄道は横浜市と委託契約を結び、生麦 - 横浜駅間を横浜市営バスとして乗り入れ。
  • 1933年
    • 望月軍四郎(京浜電気鉄道社長)、横須賀自動車(1925年7月設立。横須賀 - 三崎間・横須賀 - 六浦荘間・杉田 - 逗子間他)を買収。
    • 1月: 京浜電気鉄道、蒲田乗合自動車(1929年設立。六郷土手 - 蒲田駅間。現在は東急バス路線)を傘下におさめる。
  • 1935年
    • 5月: 横須賀自動車、横浜乗合自動車(1928年9月設立。富士屋自働車経営。横浜駅 - 杉田間)を合併。
    • 6月: 横須賀自動車、湘南乗合自動車に改称。
    • 8月: 京浜電気鉄道、鎌倉乗合自動車(1930年5月設立。鎌倉駅 - 大船駅間・鎌倉駅 - 逗子間)を傘下におさめる。
    • 9月: 京浜電気鉄道、梅森自動車(1928年11月設立。森ヶ崎 - 蒲田駅間)を傘下におさめる。
  • 1936年
    • 2月: 湘南電気鉄道、湘南乗合自動車を合併。
    • 9月: 半島一周運輸商会、半島自動車(1936年6月設立)に事業譲渡。
  • 1938年
    • 1月: 半島自動車、臨海自動車、鎌倉乗合自動車が合併。湘南半島自動車が成立。
    • 7月: 京浜電気鉄道、日本自動車道(1928年7月設立。大船駅 - 江ノ島口間・鎌倉駅 - 大仏間他)を傘下におさめる。
  • 1939年
    • 9月: 梅森自動車と蒲田乗合自動車が合併し、梅森蒲田自動車が成立。
    • 11月: 湘南電気鉄道、三浦自動車(1921年6月設立。三崎 - 横須賀逸見間・三崎 - 浦賀間)を傘下におさめる。
  • 1940年11月: 湘南半島自動車、三浦自動車を合併。
  • 1941年
    • 5月: 湘南半島自動車、日本自動車道を合併。
    • 11月: 京浜電気鉄道、湘南電気鉄道および湘南半島自動車を合併。
  • 1942年
    • 5月: 京浜電気鉄道、小田急電鉄と共に東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄大東急)が成立。
    • 12月: 梅森蒲田自動車、東京急行電鉄に事業を譲渡して解散。
  • 1947年7月: 横浜市と臨時運転契約を締結し、休止中の横浜駅 - 杉田間を横浜市営バスが代行。
  • 1948年6月: 京浜急行電鉄が設立され、東京急行電鉄より下記バス路線を承継。
    • 旧京浜電気鉄道のバス路線(旧湘南電気鉄道、湘南半島自動車のバス路線を含む)
    • 旧梅森蒲田自動車のバス路線の内、旧梅森自動車の路線
    • 旧東京横浜電鉄のバス路線の内、旧大森乗合自動車の路線(大森駅 - 蒲田花園間)
  • 1950年2月: 葉山観光自動車(1949年5月、葉山 - 逗子間を開業)を傘下におさめる。
  • 1955年7月: 東洋観光(1953年2月設立。横須賀タクシー経営の観光バス会社)を傘下におさめる。
  • 1959年8月: 日本観光興業(1958年2月設立。観光バス会社)を傘下におさめる。
  • 1970年9月: 三浦交通(1954年11月、葉山観光自動車を改称)のバス事業を承継。
  • 1986年12月: 弘南バスと共同で夜間高速バス「ノクターン号」の運行を開始。
  • 1998年4月: 川崎鶴見臨港バスと共に観光バス事業を日本観光興業に譲渡。同社は京急観光バスに改称。
  • 1999年4月: 京急バスを設立し、都内バス路線の一部を同社に譲渡。
  • 2000年12月
    • 横浜京急バスを設立し、横浜市内バス路線の一部を同社に譲渡。
    • 横須賀京急バスを設立し、横須賀市内バス路線の一部を同社に譲渡。
  • 2003年4月: 京急グループ路線バス事業の統括会社として、京浜急行バスが設立。
羽田京急バス(京急バスを改称)、横浜京急バス・横須賀京急バス・京急観光バス・東洋観光を子会社とする。
  • 2003年10月: 京浜急行電鉄の残余バス路線を継承。
  • 2006年6月: 鎌倉営業所設立を機に、横須賀京急バスを湘南京急バスに社名・商号を変更。
  • 2007年3月18日: 一部営業所でPASMOのサービスを開始。
  • 2008年3月15日: 京急観光バスがバス事業撤退。
  • 2009年3月31日: 京急バスカードの販売を終了(それ以降は引き続き通用可能だが、無手数料による払戻を実施する)[3]
  • 2010年7月31日 バス共通カードの取り扱いを終了。
  • 2012年11月30日: この日の出発をもって羽田営業所を閉鎖。
  • 2013年3月23日: PASMO、Suicaなど交通系ICカード全国相互利用サービス開始。
  • 2018年4月1日:羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスを本体に吸収合併。3社配下の営業所が本体に復帰、3社への運行委託をすべて解除。同時に羽田営業所が再設置される。
  • 2019年秋:本社をみなとみらいの京急グループ本社に移転。

子会社[編集]

  • 東洋観光株式会社(社長:金子登志彦)
    • 本社所在地:神奈川県横須賀市久里浜7-6-1

過去の子会社[編集]

  • 羽田京急バス株式会社(社長:岩田信夫)
  • 横浜京急バス株式会社(社長:松本行彦 湘南京急バス社長を兼任)
  • 湘南京急バス株式会社(社長:松本行彦 横浜京急バス社長を兼任)
    • 本店所在地:京浜急行バス本社内
    • 主たる事業所(実質的な本社)の所在地:神奈川県横須賀市三春町4-9(堀内営業所内)

上記3つの子会社は2018年4月1日付で本社に吸収合併された。

  • 京急観光バス株式会社(2008年にバス事業撤退)
    • 本社および主たる事業所が所在していた住所:神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央2-16-24

営業所及び営業路線[編集]

営業所は、京浜急行バス直営のものが都内に3箇所、神奈川県に10箇所の計13箇所ある。京浜島営業所、そして新子安営業所は主に空港リムジンや高速路線を担当し、その他の営業所は主に一般路線を担当する。所属車両の判別等のため、営業所ごとに英字の略記号が設けられている。ここでは、京浜急行バスの前身各社および子会社である羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスについてもあわせて触れることにする。

営業所の変遷[編集]

大東急時代[編集]

戦前、1941年(昭和16年)頃の営業所は、京浜電気鉄道の品川・雑色・川崎、湘南電気鉄道の横浜・田浦・平坂・衣笠・堀之内・浦賀、湘南半島自動車の逗子・三崎・鎌倉・大船の計13箇所に、梅森蒲田自動車本社を加えた14カ所であった。東京急行電鉄成立しばらくは営業所の配置は変わらなかったが、1942年(昭和17年)までに品川営業所が高輪営業所に変更されている。なお梅森蒲田自動車は同年中に遅れて東急に合併し、同社の機構は雑色営業所に吸収された。東急バス#東横・目蒲の合併 - 大東急へ も参照

1943年(昭和18年)には、横浜営業所を杉田営業所に、雑色営業所を蒲田区糀谷町へ移転した上大鳥居営業所にそれぞれ名称を変更し、大船営業所を鎌倉営業所に統合した。また川崎営業所は旧東横電鉄のバス営業所だった小杉営業所に統合され、川崎の名前は小杉が引き継いだ。

1944年(昭和19年)に入ると、高輪営業所が廃止され大鳥居営業所に引き継がれたほか、浦賀営業所が久里浜に移転し久里浜営業所と名称を変更した。前年に移転改称した大鳥居営業所は、建物を疎開することとなったため、蒲田区東六郷に移転し名称を雑色営業所へ戻した。なお詳しい時期はわからないが、この頃、田浦営業所および平坂営業所が堀之内営業所に統合されている。終戦後、雑色営業所は高輪営業所へ変更され、大東急解体前年の1947年(昭和22年)には、川崎が旧東横電鉄由来の神奈川営業所を吸収し、東急からの分離独立を迎える。
詳細は 東急バス#大東急時代 を参照

川崎営業所をめぐる複雑な経緯[編集]

このとき、川崎営業所については、もともとの所管路線であった川崎住宅地線が戦時中に休止されていた上に東急から免許を継承した京浜急行電鉄も自社での再開を見送った。東急バス#大東急解体と東都乗合・関東乗合の東急グループ離脱 も参照

京浜急行電鉄発足直後の1948年(昭和23年)12月、折からの財閥解体もあって浅野財閥系だった川崎鶴見臨港バスの株式を京急も取得して経営に参加し、1954年に臨港バスは京急の子会社になったが、京急は現在の川崎区内にあたる東海道線以南のバス路線について、都内直通などの一部を除いて臨港バスに任せる意向であったとされる。これにより川崎住宅線は臨港バスの営業範囲となり、「入船橋循環線」として再開される。さらに八丁畷駅始終着だったのを国鉄川崎駅まで延長、川崎市民の重要な足となった。
詳細は 川崎鶴見臨港バス浜川崎営業所#川25系統(富士電機線)・川26(富士電機循環)・川29系統(入船橋循環線) を参照
なお、川崎営業所の名称を継承した東急電鉄バス川崎営業所は、1992年(平成4年)の子会社化で東急バスに分社した後、2010年(平成22年)10月に閉鎖され、路線は高津営業所東山田営業所へ移管されて現在に至る。
詳細は 東急バス#廃止営業所 を参照

京浜急行電鉄時代[編集]

1948年の分離独立時、高輪営業所は品川営業所に名称を変更し、杉田営業所は堀之内営業所へと統合された。また同年、三浦営業所が新設され、衣笠・久里浜・三崎の各営業所がその支所となった。しかしこの体制は長くは続かず、1954年(昭和29年)に三浦営業所は廃止され、衣笠と三崎は営業所へ、久里浜は三崎営業所久里浜支所へと変更されている。また業務の効率化を図るため、1952年(昭和27年)に、雑色操車場および杉田操車場を開設した。京浜急行バス羽田営業所#設立以前 も参照

一方都内の営業所については名称変更や統廃合が頻繁に行われた。まず1954年に品川営業所が東京営業所と名称を変更し、大鳥居支所を置いた。その後1959年(昭和34年)には東京営業所を蒲田営業所と名称を変更し、大鳥居支所を羽田営業所に昇格させている。
詳細は 京浜急行バス羽田営業所#羽田営業所設立 を参照
1964年(昭和39年)に六郷営業所を新設し、蒲田営業所は雑色車庫となった。しかし1970年(昭和45年)の大森営業所新設後は徐々に所管路線を減らし、1973年(昭和48年)に六郷営業所と雑色車庫は大森・羽田両営業所へと統合された。
詳細は 京浜急行バス大森営業所#平和島の新営業所へ を参照
神奈川県内については、1959年(昭和34年)に杉田が営業所として復活し、久里浜も1963年(昭和38年)に営業所に昇格している。杉田営業所はその後1971年(昭和46年)に横浜営業所に名称を変更するも、1978年(昭和53年)の追浜営業所新設の際、車庫に降格した。また1987年(昭和62年)には能見台車庫が開設され、追浜営業所の所管となった。車庫に降格した杉田も1990年(平成2年)に再び営業所に昇格し、横浜営業所となり、能見台車庫も横浜営業所の所管となった。
詳細は 横浜京急バス杉田営業所#路線拡充による営業所の再設 を参照
都内では1994年(平成6年)に羽田営業所京浜島車庫が開設され、1998年(平成10年)より独立して営業所となった。
詳細は 京浜急行バス羽田営業所#京浜島営業所の独立 を参照

京急バスグループ時代[編集]

平成も2ケタに入ろうとする頃から、京浜急行電鉄はそれまで直営していたバス事業の分社化に乗り出す。そして新たに設立された子会社に営業所および路線が移管されていった。

まず羽田営業所が1999年(平成11年)より京急バス東京営業所へ路線の移管を開始し、次いで横浜と堀内が、子会社の横浜京急バス杉田営業所・横須賀京急バス堀内営業所にそれぞれ一部路線の移譲と運行の委託を開始した。2003年(平成15年)には横浜営業所の廃止(横浜京急バスへの完全移管)に伴い、管轄下にあった能見台車庫が営業所として独立したが、その能見台営業所も2005年(平成17年)に横浜京急バスに移管された。その後も子会社への業務移管の進捗に伴って、営業所の新設・廃止が頻繁に行われている。

2007年(平成19年)3月18日に、首都圏の私鉄・バスなどで使用できるICカード乗車券PASMOのサービスを順次開始し、2008年12月時点では京浜急行バスグループ一般路線の全営業所に導入されている。なお、東日本旅客鉄道(JR東日本)などが発行するSuicaも利用できるが、カード右下の電子マネー機能がついていることを示すSuicaマークが明記されていないカードはバスでは使用できない。

2012年(平成24年)4月16日に、夜間都市間高速バス並びに横浜駅新横浜駅発着のリムジンバス運用効率化のため、新子安営業所が開設される。これは、羽田営業所の事実上の移転であった。同年11月30日の出発便をもって羽田営業所は閉鎖となり、翌12月1日より担当路線は玉突きで、京浜島・新子安の両営業所に引き継がれた。ただし、品川シーサイド駅大井町駅線だけは羽田京急バスに移管された。2014年4月現在、京浜島・新子安両営業所には一般路線バスの配置は行われていない[4]
詳細は 京浜急行バス羽田営業所#新子安への移転と閉鎖 を参照
尚、羽田営業所跡地は、羽田京急バスへの運行委託車両や高速バス、リムジンバス等の共同運行先車両の留置に引き続き使用されている。

2018年(平成30年)4月1日より、横浜、能見台、追浜、堀内、鎌倉の各営業所が子会社から京浜急行バス本体に復帰し、羽田京急バス東京営業所は京浜急行バス羽田営業所となった。

現行営業所[編集]

長距離高速路線[編集]

京急の高速バスは、1986年に運行を開始した「ノクターン」に始まり、全国各地へ路線を運行していたが、京浜急行バス発足後、子会社の羽田京急バス京急観光バスへ路線の譲渡(予約業務は京浜急行バスが引き続き担当)を進めた結果、京浜急行バスが運行する高速バス路線は発足当初と比べて大幅に減少している。また、近年では撤退も相次いでおり、路線が増加傾向にある空港リムジンとは対照的で縮小傾向にある。なお、京急観光バスの営業終了・会社清算にともない廃止・撤退路線が出ているほか、一部路線が京浜急行バスに復帰している。現在の京急側の使用車両は原則として三菱ふそうエアロクイーン独立3列シート車であるが、2013年春より日野自動車セレガスーパーハイデッカーが納車されている。京浜急行バス本体が運行する高速バスは全路線で新子安営業所が担当している。

なお、運行開始当初は路線ごとに車体カラーが異なっていたが、現在はキャメル号で採用された風をイメージした高速カラーに統一されている。

現在運行されている路線(羽田京急バス・京急観光バス移管路線を除く)< >内は共同運行会社。

廃止・撤退路線(羽田京急バス・京急観光バス移管路線を除く)

羽田京急バス運行の高速バス路線の詳細は羽田京急バス東京営業所#高速バスを参照

近距離・中距離高速路線[編集]

近県へ向けての高速路線は以下のものがある。甲府駅・竜王線は2014年7月19日開業する路線で土日祝日学休日運休、東扇島線は日祝日運休、横浜 - 幕張線はメッセでイベントが行われるときのみの運行である。横浜 - 水戸線は2006年1月28日に開業した路線であり、共同運行会社ではベイライナー水戸・横浜号の愛称を有したが、京急側では案内上使用していない(2007年6月15日をもって廃止)。(◆印の路線は PASMO・Suicaを利用できる。)

  • 横浜ロイヤルパークホテル・山下公園前・横浜駅東口 - TDR ◆ <京成バス>
  • 川崎駅 - 蒲田駅 - TDR ◆ <京成バス>
  • 横浜駅東口(YCAT) - お台場 - 臨海副都心地区・東京ビッグサイト ◆
  • 横浜駅東口(YCAT) - 東扇島西地区・東扇島地区 ◆ <川崎鶴見臨港バス>
  • 横浜駅東口 - 浮島・小島地区 ◆ <川崎鶴見臨港バス>(バス利用特典サービス対象路線)
  • 横浜駅東口(YCAT) - 幕張メッセ中央 <京成バス>
  • 横浜駅東口(YCAT) - 横須賀西部地域 ◆
  • 横浜駅東口(YCAT) - 葉山
  • 品川駅東口 - 御殿場プレミアム・アウトレット
  • 横浜駅東口 - <圏央道> - 勝沼 - 一宮 - 石和 - 山梨学院大学 - 甲府駅 - 竜王 <山梨交通>

廃止路線

アクアライン路線[編集]

1997年12月に開通した東京湾アクアラインを使用し、横浜・川崎・羽田空港 - 木更津線の開業を皮切りに路線を展開している。なお、以下のほかに羽田空港発着・経由の路線があるが、これについては空港リムジン路線千葉県方面を参照のこと。(◆印の路線は PASMO・Suicaを利用できる。)

かつて運行していた路線

  • 川崎駅 - 袖ヶ浦駅

空港リムジン路線[編集]

京浜急行バスの顔と言っても良いのが、空港リムジン路線である。鉄道線の営業エリアでもある羽田空港を拠点に路線を展開している。また、成田空港 - 横浜にも路線がある。(◆印の路線は PASMO・Suicaを利用できる。)

東京都内発着[編集]

都内発着路線は以下の通りである。自社の乗合バスエリアを発着するお台場・大井町線、品川線のみ単独運行である。

神奈川・静岡県方面[編集]

神奈川・静岡方面への路線は以下の通りである。横浜線は現在の空港リムジンが発達する遥か昔の1968年12月に開設された古参路線であり、現在でも他の路線に比べて明らかに本数が多い。また、大船・藤沢線は1995年開設で、近年開設ラッシュの空港リムジン路線の中では古参の部類に入る。

千葉県方面[編集]

千葉県方面へは以下の路線が運行されている。千葉線には海浜幕張地区を通過、および一部停留所のみ停車扱いとなる急行便がある。房総半島方面のバスはアクアライン経由。

埼玉県方面[編集]

埼玉方面への路線は以下の4路線。

茨城県方面[編集]

茨城県へは、つくば・鹿島・水戸への3路線が運行されている。

山梨県方面[編集]

山梨県方面は、現在以下の2路線のみである。トイレつきの車両で運行される。

長野県方面[編集]

長野県方面は、現在以下の1路線のみである。トイレつきの車両で運行される。

成田空港発着路線[編集]

成田空港発着路線は横浜と新横浜を起点とする以下の2路線が運行されている。このうち、横浜成田線の一部はみなとみらい21地区の発着となる。首都高速湾岸線混雑時には東京湾アクアラインを経由する場合がある。また、トイレつきの車両で運行される。

  • 成田空港 - 横浜シティ・エア・ターミナル( - みなとみらい21地区)<東京空港交通・京成バス>
  • 成田空港 - 新横浜地区 <東京空港交通・リムジン・パッセンジャーサービス・臨港バス>

かつて運行していた空港バス路線[編集]

深夜急行バス[編集]

京浜急行バスでは、新橋駅を起点に以下の深夜急行路線を運行している。これらは一般路線の深夜バスとは異なり、空港リムジン用車両の古参車が使用される。かつては貸切流用車やロマンスシート装備車が使用された。12月14日深夜出発便からPASMO・Suicaが利用できる。

  • 新橋駅→品川駅→大船駅→鎌倉駅→逗子駅(湘南京急バス堀内営業所担当)原則として、UDトラックス・スペースアロー スタンダードデッカー車を使用
  • 新橋駅→品川駅→上大岡駅→金沢文庫駅(横浜京急バス杉田営業所担当)原則として、いすゞ・ガーラを使用

廃止路線

  • 横浜駅西口(当時の三越前)→関内駅(尾上町)→衣笠駅→京急久里浜駅(久里浜営業所担当)平成13年12月30日の出発をもって廃止。

車両[編集]

長距離高速バス・リムジンバスなどの観光系は三菱ふそう製が6 - 7割ほどを占めているのに対し、路線バスではいすゞ自動車の大型バスの大量投入と、車種選択において両者で大きく異なっている。一般路線バスのカラーリングは銀色地で上部に赤帯、下部に水色を入れた塗装で、京浜急行バス本体所属の車両は窓下の赤帯に「京浜急行バス」の文字が入る。子会社所属の車両は水色塗装部分の車体後方下部に「羽田京急バス」・「横浜京急バス」・「湘南京急バス」のいずれかの文字が入るが、2013年以降は京浜急行バス本体所属の車両と同じく窓下の赤帯に文字が入っている。リムジンバスと空港シャトルバスのカラーリングは白色地で赤いラインを纏い、さらに「KEIKYU LIMOUSINE」の文字とカモメのマークが入る。長距離高速バスと小型路線バスの車両は白色地に赤、オレンジ、青の3色のラインが入る。

観光系の場合、長距離高速バスからの撤退が相次いでいるが、リムジンバス路線の新設やアクアライン高速バスの活況が続いていることから増車が続いている。高速バスでは三菱ふそうで統一されていたが、前述の通り2013年春より日野セレガが投入されている。また絶対的な台数が減ってきている。その一方で、リムジン車は増車が続いているおり、その中で比率が高かった三菱ふそう製以外からの購入が増え、いすゞ・日野自動車・UDトラックス(旧:日産ディーゼル)車も在籍している。ただし、いすゞ・日野のバス製造事業が統合された後は、後述の方針にしたがっていすゞからの購入はせずに日野から購入しているほか、日産ディーゼルの車両は数台の在籍に過ぎず、三菱ふそう・日産ディーゼルのバス製造事業が相互OEM供給に移行した後は、後述の方針にしたがって日産ディーゼルからの購入はせずに三菱ふそうから購入しており、最近では三菱ふそう・日野2車種の購入となる。なお、アクアライン高速バス・中距離高速路線・深夜急行バスでも空港リムジン車が使用される。

リムジンバスの車両はハイデッカーが中心で一部には標準床車の車両が在籍するが、これは主に車高制限のある路線向けのものである。一方の高速バスにはスーパーハイデッカーの車両が中心となっている。

路線車のうち小型車を除いたものはかつては4メーカーから購入し、営業所ごとに振り分けが決まっていた。

  • 日産ディーゼル - 日産自動車追浜工場周辺(追浜・能見台)[5]
  • 日野 - 追浜以南の横須賀市三浦市(堀内・衣笠の一部・久里浜・三崎)。
  • 三菱ふそう - 東京都の営業所の一部(大森・羽田京急東京)[6]
  • いすゞ - 上記以外(大森・羽田京急東京・横浜・鎌倉・逗子・衣笠の一部)[7]

となっていた。なお、鎌倉ではいすゞが富士重工で架装されていた。

2000年頃から、それまで大型車が走っていて、輸送人員減少が進む営業所に中型車が入り始め、サイズダウンが進み始める。これらは現在でも行われているが、近年ではやや大型化し、9m大型バスや10.5mロング車が主流となる。また排出ガス規制強化により、大型車が再び投入される営業所も出てきている。

このような状態の中でメーカー選択が改められ、大型車はいすゞ、サイズダウン車は日野(ノンステップバス)もしくは日産ディーゼル(ワンステップバス)となったが、日産ディーゼルのバス製造販売が終了した2010年代には、三菱ふそうからの購入も再開し、神奈川県内の営業所にも三菱ふそうの車両が導入されるなどの動きが生じて現在に至る。大型車に関してはWB4.8mを基本としており、WB5.3mの車両は首都高速走行路線や羽田空港ターミナル間無料連絡バス用途などの特殊な路線環境向けにしか投入されていない。一方、中型系統では生産台数の少ない車両からも選択が行われることがあり、日産ディーゼル・スペースランナーRPなども在籍する。

冒頭にあるように、早くから改造仕様のワンステップ車を標準の車両にするなど、低床化に積極的であったが現在は補助金の有無による投入を行っており、

  • ノンステップ車 - 東京都・横浜市の営業所(大森・羽田東京・横浜杉田・能見台)。
  • ワンステップ車 - 上記以外の営業所(追浜・堀内・鎌倉・逗子・衣笠・久里浜・三崎)。

のような配置状況になっている。ただし、横須賀市や鎌倉市、三浦市からの助成金が出ており、逗子以外はノンステップ車とワンステップ車が平行して導入される。

  • 大森・羽田東京(羽田空港連絡バス用のみ)・横浜杉田・衣笠と久里浜にはノンステップハイブリッドバスも数台在籍。

このほか、日野・リエッセ日野・ポンチョのような小型車も一部路線で導入されている。鎌倉営業所の車両は京急PONY号との愛称がつけられている。

なお、最近は車種統合やOEM供給が活発化しているが、京浜急行バスでは改善要望を伝えやすくするため、基本的にシャーシ・エンジンの製造元の会社から購入する方針である(例:ジェイ・バス宇都宮事業所製ならいすゞ自動車からのみ)[8]。その方針もあり、三菱ふそう・エアロスター-Sや日産ディーゼル・スペースランナーAといった、三菱ふそうや日産ディーゼルのOEM供給車は導入されなかったが、いすゞ・エルガとの統合車種である日野・ブルーリボンIIや、いすゞ・エルガミオとの統合車種である日野・レインボーIIは、主に従来日野車をメインに導入していた横須賀市・三浦市の営業所を中心に導入されている。

特徴的な車両・仕様[編集]

現在はメーカーの標準仕様に近い車両を投入することが多くなったが、かつては珍しい仕様・車両が多々見られた。

特筆されるのは低床化関連の車両である。特に、日野と共同開発したワンステップ車は「京急型ワンステップバス」とも称されていた(日野・ブルーリボン#リフト付超低床バス・京急型ワンステップバスを参照)。こちらはいすゞ車でも導入されており、その後のワンステップバスの構造は、ほぼ京急型ワンステップバスの構造がベースとなっている。それ以前には、三菱自動車工業(当時)が試作した、ノンステップバスが羽田営業所に投入されたこともあった(すでに廃車)。

一方、珍しい仕様としてスーパーワイドドア車が挙げられる。これは、中扉をワイドにして両開きにしたもので、日本で唯一の本格採用例である。この後、4枚折戸が普及したことから、京急の車両も4枚折戸へと移行していった。もっとも、都内営業所や横浜市内営業所では2000年以降は原則としてノンステップバスのみの導入になり、その他の神奈川県内営業所でも後乗り路線が大半で、4枚折戸を採用するメリットが一部路線を除き薄いため、現在は久里浜営業所、三崎営業所に長尺ワンステップの4枚折戸車が配置されているのみとなっている。

ファンタスティックバスは鎌倉営業所に所属の「りんどう号」で、日野自動車のシャーシを東京特殊車体で架装していた(すでに廃車され、函館バス奈良交通に売却されている)。また、1999年までは路線・貸切兼用車(俗称「ワンロマ」)が投入されており、貸切カラー(一部は空港リムジンカラー)となっていたが、現在は空港リムジンバスの古参車がこの役割を果たすようになってきたため、投入されていない。

このように、かつては様々な特徴的な車両が在籍したが、近年ではメーカーの標準仕様を中心としているため、特筆すべきものは限られる。前述の日産ディーゼル・スペースランナーRPはこのうちのひとつであり、その当時の排出ガス規制の車両(PK-RP360GAN)は全国で25台ほどしか生産されていない。

低公害車はそれほど多くはないが、ハイブリッドバスやCNGバスが導入されている。

京浜急行バスでは停留所の着発時や右左折時、狭い道路や通行量が多い道路の走行時などに注意促進のため、ウィンカーチャイム(右左折警報音)を早い時期から装備している。「キンコン、キンコン」という音が鳴るもので、京浜急行バスの特徴の一つとなっており、グループ会社の川崎鶴見臨港バスのほか、近年では相鉄バス東急バス西武バスなどでも採用されている。

2008年以降に導入されている新車は緑色に着色したスモークガラスを採用している。2011年導入車から大型車のホイールがISO基準の10個穴になるなどのマイナーチェンジがあり、車内では三角形の吊革を採用。三角形の吊革は新車のみならず既存車両の更新工事でも採用されることになり、年々割合が急速に高まっている[9]

また、京急ファインテック金沢事業所で既存車両の車体更新工事(車内外のリニューアル工事)も概ね製造から7 - 8年程度経過した車両を対象に行われている。主な工事内容は内装、床面の貼り替え、座席およびモケットの交換、ポールのゴム取り替え(2005年以降はオレンジ色のものを採用)、降車ボタンの交換、吊革の交換(2011年以降に更新時期を迎えた車両では持ち手を丸型からおにぎり型の三角形に、ベルトを灰色から白色に変更。2004年以降導入車両が対象)などである。この車体更新工事により、京浜急行バスでは古参車においても新車と比較しても遜色のない車内設備が保たれているのが特徴である。

羽田空港連絡バスにおけるハイブリッドバスの運行[編集]

2008年2月16日から2月29日まで、羽田京急バスが日本空港ビルデングより受託運行している羽田空港ターミナル間無料連絡バスにおいて、国土交通省の「次世代低公害車開発推進プロジェクト」にあたる非接触充電システムを使用した、日野・ブルーリボンシティIPTハイブリッドバスが運行された[10]洞爺湖サミットを控え、国土交通省が次世代低公害車のリサーチおよび関係各国へのアピールをするための政策の一環である[11]。こちらの車両は車番がNH3799であり、98がいないなかで特殊な車番が用いられたが、メーカーリースであったためのもので既に返却された。走行用バッテリーの充電システムは羽田京急バス東京営業所に仮設されていた。

また、これと時を同じくして無料連絡バスにはハイブリッド車2台が投入され、2008年1月31日より運行を開始している。投入されたのは、こちらも国土交通省が推進する「次世代低公害車開発推進プロジェクト」に位置づけられている三菱ふそう・エアロスターエコハイブリッド日野ブルーリボンシティハイブリッドである。2008年7月に入り、エアロスターエコハイブリッドを2台追加で導入、2010年5月現在でブルーリボンシティ1台、エアロスター4台が就役している。なお導入に際し、国土交通省や東京都の補助金を受けている。

車番のつけ方[編集]

A 15 62
営業所 メーカーと年式 台数番号

京浜急行バスグループ(東洋観光・臨港バスグループを除く)の車番のつけ方は以下のようになる。A1562を例にとって解説すると、A(追浜営業所)・15(末尾が5年のいすゞ自動車製)・62はこの年度62台目の車両となる。

まず最初のアルファベットは#現行営業所にあるような、営業所記号をあらわす。すでに解散した京急観光バスはKKとなるほか、NHNBなどのNは子会社の羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バス所属車両を指す。また、SM3693SNA2741のようなSがつく車両は貸切車であることを示す。

次の2文字は年式とメーカーを表す。最初の1文字は、

  • 12 - いすゞ自動車
  • 34 - 日野自動車
  • 56 - 三菱ふそうトラック・バス、三菱自動車
  • 78 - 日産ディーゼル工業(現:UDトラックス)、日産自動車
  • 90 - トヨタ自動車 となっており、偶数か奇数かは10年ごとに入れ替わる。入れ替わるのは末尾が5の年で最近では2005年に変わっている。また2文字目は投入年の末尾一桁とされるため、20年間は車種が重複しない。5なら1995年、2005年、2015年・・などとなる。

次の2桁はその年の何台目に投入されたかを示すが、順番に投入されるとは限らない。その年に何台投入されたかを把握することは可能である。また順番は原則として半年ごとに高速バス → リムジンバス → 路線バスの順となり、路線バスでは大森→横浜→能見台→Aからの営業所(一部例外)→子会社3社 となることが多いが、これらは一定しない場合もある。

廃車車両の譲渡[編集]

京浜急行バスグループで役目を終えた車両の多くは日本国内の地方事業者に譲渡されて引き続き使用されている。

同社は神奈川中央交通小田急バスなどと同様に古くから全国の地方事業者に廃車車両を供給しており、譲渡先は北は北海道から南は沖縄県まで広範囲に存在する。神奈川県を含めた首都圏が自動車NOx・PM法による排出ガス規制強化地域に指定された2000年以降はさらに増加している。

近年では沖縄県の那覇バス琉球バス交通、北海道の函館バス北海道中央バスジェイ・アール北海道バス、熊本県の九州産交バス熊本電鉄熊本バスへの譲渡が特に多いほか、これまで京急中古とは無縁だった事業者(富士急行グループ・北陸鉄道グループ・松江市交通局広島交通長崎県交通局沖縄バスなど)への譲渡も増加している。

また、一部の車両はミャンマースリランカなど海外へも輸出されている。北朝鮮経済特区羅先特別市で京浜急行バスの譲渡車両が走っている事例もある[12]

その他[編集]

  • 一般路線の運賃は基本的に東京都内・横浜市内(金沢区の一部を除くエリア)は220円(ICカード216円)、東京都内・川崎市内と羽田空港内の跨ぎ乗車は280円(ICカード279円)、東京都内のうち都営バスと並走する特定区間のみ利用の場合と川崎市内は210円(ICカード206円)の均一運賃(前払いで前扉から乗車し中扉から降車)、その他のエリアでは乗車区間により運賃が異なる整理券方式・対キロ運賃(後払いで中扉から乗車し前扉から降車。ICカード利用の場合は中扉の読み取り機にタッチする)を採用している。対キロ運賃区間は最安で180円(ICカード175円)から最高で700円(現金・ICカード同額)まで設定されている。小児は半額、深夜バスは通常運賃の2倍となる。一部エリアには現金のみ100円(小児50円)で利用できる区間がある。
  • 定期券は通勤定期券・通学定期券のほか、東京都内・川崎市内・横浜市内では近距離定期券や都区内全線定期券(羽田空港内を含む都内全線が乗り降り自由)、東京都内・川崎市内間の区間指定定期券、川崎市内均一区間内全線定期券、横浜市内全線定期券(横浜市内の220円均一区間が乗り降り自由。横浜市内でも対キロ運賃区間にまたがって乗車の場合は別途運賃を支払う)が発売されている。環境定期券制度も導入されている。
  • 70歳以上を対象に、京浜急行バスの一般路線の全路線が乗り放題となる「ふれあいパス」を発売している。この他、東京都シルバーパスが東京都内の一般路線で、川崎市福祉敬老乗車証が川崎市内の一般路線で、横浜市福祉敬老乗車証が横浜市内の一般路線で利用できる。
  • 1日乗車券は東京都内の一般路線のみ利用できる「都内1日乗車券」(大人500円、小児250円)を京浜急行バス大森営業所、大森案内所、羽田京急バス東京営業所と当該営業所のバス車内で発売している。乗車券は紙式となっており、利用の際は利用日をコインで削ったうえで乗務員に見せる。羽田空港エリアを越えて利用(280円区間)の場合、1回の乗車毎に60円の追加運賃が必要。また、川崎市内では利用できないため、川崎市内にまたがって乗車の場合は通常運賃(川崎市内均一運賃210円ではなく、東京都内均一運賃220円、羽田空港内とまたがって利用の場合は280円)を支払う必要がある。
  • 神奈川県内の一般路線を利用できる1日乗車券の発売は無いが、鎌倉市内の京浜急行バスや江ノ電バスの特定区間、江ノ島電鉄線鎌倉駅 - 長谷駅間が乗り放題となる「鎌倉フリー観光手形」が大人550円、小児280円で発売されている。2013年10月1日の羽田空港 - 大船駅・鎌倉駅線の開業に伴い、同リムジン路線の片道乗車券と鎌倉フリー観光手形をセットにした「羽田鎌倉セット券」が発売開始された。また、京浜急行電鉄が発売する「三浦半島1DAYきっぷ/三浦半島2DAYきっぷ」では三浦半島エリアの京浜急行バス指定区間及び京急本線金沢文庫駅 - 浦賀駅、逗子線・久里浜線全線が各々1日ないし2日間、「みさきまぐろきっぷ」では三崎エリアの京浜急行バスが1日間乗り降り自由となる。

注記[編集]

  1. 京浜急行電鉄が提唱した呼称であり、公式サイトにも記載されている(トップページ > 企業情報 > 環境活動 > 用語解説 > わ行 の項参照)。
  2. 旧社名は「セレモニー観光」。2009年4月に京急バス株式会社へ社名変更したが、京浜急行電鉄は商標権の侵害として抗議。また、京浜急行バスも自社サイトで無関係である旨を告知し、注意を喚起した。その結果、再度の社名変更を行うことで合意に至った。新社名は「京都急行バス」となった(2009年7~8月頃に変更)。
  3. 【お知らせ】 『京急バスカード』の発売終了について - 京浜急行バス(2009年3月7日時点でのアーカイブ)
  4. また、新子安営業所周辺には京浜急行バスの一般路線自体が存在しない
  5. 1988年以前は大森にもまとまった数が配置されていた。
  6. 1970年から1985年までは羽田に新造投入された大型車のほぼ全車がふそう製であった。
  7. 大森への大型車の新造投入は1980年から1985年まで中断していた。
  8. ぽると出版 年鑑バスラマ2007 → 2008 P19より
  9. 2010年導入の羽田空港シャトルバス用車両(三菱ふそう・エアロスターノンステップ車)で初めて採用され、一般車両は2011年以降導入の新車や更新工事車で本格採用となった。持ち手は東急バスと同じおにぎり型が多いが、角ばった形状のものを装備している車両もある。なお、親会社の京浜急行電鉄では2100形電車車内の一部箇所で採用例があるのみ。
  10. 国土交通省プレスリリースより
  11. 日刊自動車新聞2007年11月19日付け
  12. 北朝鮮旅日記

関連項目[編集]

外部リンク[編集]