京急空港線

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空港線(くうこうせん)は、東京都大田区京急蒲田駅羽田空港国内線ターミナル駅を結ぶ、京浜急行電鉄の鉄道路線である。大田区内を東西に走り、東京国際空港(羽田空港)への空港連絡鉄道としての役割を担う。英語表記は、Keikyu Airport Line

路線データ[編集]

  • 路線距離:6.5km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:7駅(起終点駅を含む)
  • 複線区間:全線(ただし京急蒲田駅 - 糀谷駅間は単線並列
  • 電化区間:全線(直流1500V、架空電車線方式
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 保安装置:C-ATS
  • 最高速度
    • 110km/h(天空橋駅 → 羽田空港国内線ターミナル駅間)
    • 100km/h(天空橋駅 ← 羽田空港国内線ターミナル駅間)
    • 90km/h(京急蒲田駅 - 天空橋駅間)

沿線概況[編集]

京急の支線としては唯一東京都内のみを経由する路線である。

おおむね環八通りと併走しており、京浜間の主要道路との交点も多い。京浜工業地帯の一角ではあるが、中小家内工業的な雰囲気のある地域を走っている。

京急蒲田駅を本線から半径100m[注 1]で直角にわかれるようにカーブするとすぐ第一京浜と交差する。元来、京急蒲田駅から空港線に進入する部分は単線であり、本線上り線との行き来には本線下り線との平面交差を伴うためダイヤ構成を困難にしており、また、第一京浜・環八通りとの交点にそれぞれ踏切があったことから、道路交通の障害ともなっていた。これらの問題を解消するため、糀谷駅までの区間と本線とを合わせた付近一帯で連続立体交差事業が行われ、京急蒲田は上下二層式2面6線の駅となった(詳細は「京急蒲田駅#高架化」を参照)。なお、第一京浜との立体交差が最初に計画されたのは大正時代であり、それから約90年となる(「国道15号#京浜国道改築」を参照)。京急蒲田駅の上り線が高架化された2010年5月16日のダイヤ改正からは京急蒲田 - 糀谷間は、高架線と地上線による単線並列区間となり、2012年10月21日の高架化完了までは糀谷駅は高架ホームと地上ホームの双方に両方向の列車が発着していた。単線並列区間は糀谷 - 大鳥居間まで続き、両駅の中間点に設置されたシーサスクロッシングで左側通行の複線となっていたため、空港線は2012年10月の下り高架化完了で糀谷駅の京急蒲田寄りにシーサスクロッシングが挿入されるまではダイヤの制約が大きい路線であった。

また、産業道路と環八通りの交差点上に踏切があった大鳥居駅付近は地下化された。地上に戻って首都高速羽田線羽田出入口の下をくぐり、穴守稲荷駅を過ぎると羽田空港ターミナル直下に位置する羽田空港国内線ターミナル駅までの地下線区間に入る。海老取川をくぐった付近で南北に走る東海道貨物線を乗り越し、天空橋駅では同じく地下線の東京モノレールと連絡する。滑走路を迂回しながら一部で高架線を走行するモノレールに対し、空港線は短距離で空港ターミナルに向かっている。

運行形態[編集]

すべての列車が全線通しで運転し、途中駅での折り返しはない。また大部分の列車は本線の品川方面・横浜方面に直通し、線内折り返しは朝ラッシュ時に見られるのみである。快特エアポート快特を除き各駅に停車する。

本線を介して都営地下鉄浅草線に直通し、京成押上線京成本線を経て北総鉄道北総線京成成田空港線(成田スカイアクセス線)、京成東成田線芝山鉄道線まで乗り入れる。成田スカイアクセスの開業後は、同線と線路を共有している北総線方面に向かう列車が増発されたが、京成本線京成船橋京成佐倉京成成田方面に直通していた列車の多くが青砥京成高砂止まりに変更された。

かつては毎年12月31日から翌年1月1日にかけて終夜運転を行っており、近年では最終電車を繰り下げているが、羽田空港の警備上、羽田空港国内線ターミナル駅まで営業運転されず、営業区間は京急蒲田 - 穴守稲荷間となる。ただし、穴守稲荷駅での折り返しは不可能なため、到着した列車は羽田空港国内線ターミナル駅まで回送される。

列車種別[編集]

基本的には以下の5種別で構成されている。日中は普通列車の運転がなく、本線への直通列車のみとなる。都営浅草線への直通列車にはあまり京急車が使われず、乗り入れ各社(京成・北総・都営)の車両による運用が中心となる。なお、優等列車はラインカラーで呼称される場合もある。

エアポート快特[編集]

詳細は エアポート快特 を参照

品川 - 羽田空港間で羽田空港国際線ターミナルのみに停車する空港線の最優等列車で、40分間隔で運行される。空港線で唯一の品川方面専用種別である。2012年10月21日改正以前は20分間隔となっていたが、同改正で約半数が快特に切り替えられたことで40分間隔となり、大部分の列車が成田スカイアクセス線直通列車となっている。2014年11月8日改正後の品川 - 羽田空港国際線ターミナル間の所要時間は11分、品川 - 羽田空港国内線ターミナル間の所要時間は14分である。

基本的に空港連絡を担う列車であり、平日の朝夕ラッシュ時には運転されない。

快特[編集]

2010年5月から2012年10月の間は早朝・夜間のみの運転となっていたが、2012年10月改正以後は10分-10分-20分の間隔で運転されている(20分開くところに前記のエアポート快特が入る)。空港線内の停車駅は京急蒲田駅と羽田空港国際線ターミナル駅・羽田空港国内線ターミナル駅のみとなっている。品川方面や横浜方面の直通列車が設定されている。ちなみに、京急の支線内で通過駅を有する優等種別は空港線の「快特」及び先述の「エアポート快特」のみである[注 2]

特急[編集]

品川・浅草線方面への直通列車として、1997年10月に運行を開始した。それまで品川との間で運行されていた急行を置き換えたもので、空港線内では各駅に停車する。1998年11月から1999年7月にはエアポート特急が存在したが、エアポート快特に統合された。その後は本線・浅草線直通列車として20分間隔で運転されるようになる。また、早朝には本線下り方(横浜方面)から直通する列車も後に登場している。

2002年10月には京急蒲田駅の改良によって本線下り方への直通が容易になり、同駅で進行方向を変え横浜方面へ直通する列車が大増発される。日中には本線京急川崎 - 金沢文庫で快特と併結され、新逗子浦賀へ直通する4両編成の列車が20分間隔で運行を始めた。羽田空港発の列車は京急川崎駅手前で一旦引上線上で停車し、後続の快特を先にホーム入線させ、その後ろに連結している。またこの列車は京急蒲田駅で本線の快特(下りは品川駅(一部泉岳寺駅)始発、上りは都営線直通)と相互接続を図っている。

2003年7月になると品川方面への列車はすべてエアポート快特・快特および急行に整理され、特急は本線横浜方面への列車のみとなった[1]。この改正により、京急では日中に運行される特急列車は本線の快特と併結する空港線列車のみとなった。2010年5月、空港線直通列車の併設作業は基本的に中止となり、横浜方面への直通は単独で運転されるエアポート急行(後節参照)に変更された。

前記のほか、深夜・早朝やラッシュ時には途中で増解結を行わない横浜方面との直通列車がある。中には京急川崎以南で普通列車に変わる列車もあり、これらは4両または6両で運転される。

エアポート急行[編集]

詳細は 京急本線#エアポート急行 を参照

品川・横浜方面への直通列車として、2010年5月16日に登場した。主に8両編成で運行され、品川・都営浅草線方面と京急川崎・横浜方面の2系統が運行されている。かつては早朝 - 朝ラッシュ時・夕方以降は品川・都営浅草線方面が中心、日中は品川・都営浅草線方面と京急川崎・横浜方面がそれぞれ20分間隔で運行されていたが、2012年10月改正以後は品川・都営浅草線方面の列車が快特に置き換えられ、京急川崎・横浜方面のみが10分間隔で運転されている。空港線内は各駅に停車しており、日中運行の行われない普通列車の代わりとなっている。品川・都営浅草線方面のエアポート急行は、2010年5月15日までは「急行」として運転されていたが、翌日のダイヤ改正から「エアポート急行」に改称した。日中の横浜方面直通列車は原則的に逗子線新逗子駅へ乗り入れる。また、平日夕方・夜間帯および土休日朝の都営浅草線直通列車の一部に京成本線京成船橋方面へ乗り入れるものが設定されている。

普通[編集]

各駅停車で、早朝 - 朝ラッシュ時・夕方以降のみ運行される。本線列車の増発が難しい時間帯や直通需要の大きくない時間帯に列車本数を確保するための存在といえる。基本的に線内ピストン運転を行うが、下り方を中心に本線直通列車もある。線内運転の列車は多くが8両編成だが、本線直通列車および一部の線内運転列車は4両または6両の編成で運行される。

1月3日の臨時ダイヤ[編集]

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)では、2012年(第88回)まで往路1区と復路10区が京急蒲田駅そばの第一京浜にかかる踏切を通過していた。1月2日の往路では全出場校がすぐに通過するが、1月3日の復路ではトップの通過から最後尾までの差が30分程度開く。そのため、毎年1月3日には競技への影響を抑えるため、本線からの直通運転を中止し、以下の通り臨時ダイヤを組んでいた。2013年(第89回)以降は、上下線共に高架化が完了しているため、臨時ダイヤは実施されない[2]

2011年第87回)・2012年の臨時ダイヤは以下の通り[3]。2010年、京急蒲田付近立体交差化事業の進捗に伴い、同年5月から一部高架の使用を開始した結果、当該踏切は、選手通過時間帯には列車を通過させない措置が可能となった。

  • 品川方面・横浜方面からの列車は空港線へ入線せず、本線京急蒲田発着に変更。
  • 空港線は京急蒲田 - 羽田空港国内線ターミナル間での折り返し運転とし、京急蒲田駅2階ホームの4番線に発着(当該踏切は使用せず、1階1番線は降車専用ホーム化)。京急蒲田で行先変更となった列車に接続。
  • エアポート快特は快特に種別変更し、泉岳寺 - 京急蒲田間の運行とする。また京成成田スカイアクセス線直通アクセス特急も都営浅草線内は各駅停車とする(2012年大会のみ[4])。
  • 行先変更となった列車は、エアポート快特とエアポート急行・都営線方面系統は神奈川新町まで、エアポート急行・新逗子発着系統は品川まで回送の上で折り返す。

2010年第86回)までの臨時ダイヤは以下の通り[5]

  • 品川方面からの列車は空港線へ入線せず、本線京急川崎発着に変更。
  • 横浜方面からの列車は品川発着とし、通常は京急川崎で行う泉岳寺発着快特との分割併合を品川に変更。
  • 空港線は快特運転を中止、京急蒲田 - 羽田空港(現・羽田空港国内線ターミナル)間で全車普通列車(8両編成)による折り返し運転とし、京急蒲田で行先変更となった列車に接続。

2010年までは踏切付近に特設本部を設置、鶴見中継所(鶴見市場交番)と雑色駅付近に連絡要員を配備し、その情報と日本テレビで放送されるテレビ中継を元に列車の運行と踏切閉鎖を決定していた。なお、選手が踏切で足止めされた時間はロスタイムとして計上された。

歴史[編集]

開業から第二次世界大戦まで[編集]

1902年(明治35年)、京浜電気鉄道の穴守線(あなもりせん)として単線の専用軌道で開業[6]。当時は羽田支線とも呼称され、大森停車場前(大森駅)と穴守を結ぶ列車が運行されていた。1910年(明治43年)には複線となり[7]、8分間隔での運行が行われる。戦前は空港島での潮干狩り海水浴、当時島内にあった穴守稲荷神社への参詣など観光輸送の色合いが濃く、当時の京浜電鉄も海の家[8]や海水プールを直営し、観光開発に力を入れていく[9]。夏季には海水浴輸送のため本線と直通する急行列車も運転された。その後、羽田に飛行場が整備されると、飛行場への人員輸送も行われるようになっていった。

戦後[編集]

第二次世界大戦終結直前の1945年には空襲により駅が被災するなどしたが、列車の運行は続けられた。しかし終戦を迎えると羽田飛行場が連合国軍の1国であるアメリカ軍に接収され、京急線は空港島からの撤退を余儀なくされる。穴守線も稲荷橋以東の末端部が営業休止、残る区間も貨物線を建設するため単線化された[10]。翌年には省線蒲田駅から空港内への貨物線が開業し、蒸気機関車による貨物輸送が開始された[10]。さらに被災により車両数が減っていた中、先頭車両の半室を仕切る形で連合国軍専用車の運転も行われていた。当時は列車交換設備のない単線運転で、運転間隔は20分以上に開いてしまったとされる。

返還後は空港アクセスに使用されることもあったが、1964年に空港敷地内に乗り入れた東京モノレールの開業後はローカル線として地域輸送に徹することになった。京急元鉄道本部長中根啓介の証言によれば、東京オリンピックを前に運輸省からなされた空港乗り入れの打診を、本線の輸送力増強に専念するため断ったことで、1972年に再乗り入れの検討を始めて以降も、ターミナルへの乗り入れは長らく運輸省・東京都とも門前払いが続くことになった[11]

なおこの時期にも「羽田空港駅」が存在したが、現在の穴守稲荷駅 - 天空橋駅間に位置していたため、空港からは距離があった。羽田沖合移転工事が始まる頃にようやくバス連絡を始めたが、駅前が狭く小型のバスしか入れないなど、空港アクセスとしてはほとんど機能していなかった(将来の空港再乗り入れをあきらめないというポーズのため赤字覚悟で維持していたともいわれる)。当時は本線との直通列車もなく(1966年[12] - 1968年にはわずかに存在)孤立した状態だったため、京急最古参の車両が常に使用されるなど近代化は大きく遅れ、冷房車の投入も1986年と本線に比べ著しく遅かった(この時に全列車が800形となり京急線でいち早く完全冷房化したが、1993年から約2年間は非冷房の都営5000形も入線している)。

羽田空港再乗り入れ[編集]

羽田空港の沖合展開事業(沖展)の中、拡大する空港及びターミナルに対して、東京モノレールだけでは増大する輸送量に対応できないとの判断から、念願の羽田空港乗り入れが認められた。1993年に羽田駅(現在の天空橋駅)が空港島内に開業して都心方面(本線・都営地下鉄浅草線)からの直通運転が開始され、1998年には羽田空港駅が開業し、羽田空港へのアクセス路線として本格的に機能するようになった。

この際に「京急、搭乗。」という航空会社のカウンターや旅客機の傍らに京急の車両(600形が使われた)が横付けするイメージ広告ポスターを製作して、京急線各駅や東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両や駅などに掲出したほか(2002年に東京モノレールがJR東日本の傘下となって以降はJR線内ではほとんど行われなくなった)、他空港とそのアクセス鉄道・バス(南海電気鉄道大阪モノレール福岡市地下鉄など)にも積極的に出稿した。

さらに横浜逗子方面や成田国際空港への直通列車も設定され、空港アクセス路線としてさらに積極的に活用されることになり、東京モノレールと激しい乗客獲得競争を繰り広げている。

年表[編集]

列車運用に関する内容の詳細は「#列車種別」の節を参照されたい。

  • 1902年明治35年)6月28日 - 羽田支線(穴守線)として蒲田(現在の京急蒲田) - 穴守間が開通[13]。穴守駅には列車折り返し用のループ線を設置。
  • 1904年(明治37年)3月1日 - 軌間を標準軌の 1435mm から東京電車鉄道(後の都電)などと同じ 1372mm へ変更。
  • 1906年(明治39年)9月以前 - 本線との直通運転を中止し、蒲田駅に穴守駅と同様のループ線を設置。
  • 1910年(明治43年)3月31日 - 全線複線化[13]
  • 1913年大正2年)12月31日 - 穴守駅を移設し、0.8km 延伸[13]
  • 1914年(大正3年)1月 - 旧・穴守駅の位置に羽田駅を新設。
  • 1915年(大正4年)1月 - 羽田駅を穴守方へ移設、稲荷橋駅に改称[14]
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 蒲田駅を専用軌道上に移設、ループ線廃止。
  • 1933年昭和8年)4月1日 - 1372mmの馬車軌間から標準軌に改軌。
  • 1940年(昭和15年)10月 - 稲荷橋駅を京浜蒲田方へ 0.2km 移設。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 - 京浜電気鉄道が東京急行電鉄に合併(大東急[15]、東急の路線(東急品川線の一部)となる。
  • 1943年(昭和18年)6月1日 - 軌道法に基づく軌道線から地方鉄道法に基づく地方鉄道線に変更。
  • 1945年(昭和20年)9月27日 - 連合軍の接収により京浜蒲田 - 稲荷橋間単線化、稲荷橋 - 穴守間営業休止。単線化した区間には省線蒲田駅から軌間 1067mm の貨物線を敷設[10]
  • 1946年(昭和21年)8月15日 - 稲荷橋駅を京浜蒲田方へ約300m移設[10]
  • 1947年(昭和22年)12月25日 - 架線電圧を直流 600V から同 1500V へ昇圧。
  • 1948年(昭和23年)6月1日 - 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足。
  • 1952年(昭和27年)11月1日 - 京浜蒲田 - 稲荷橋間上り線が連合軍より返還され複線運転再開[16]
  • 1956年(昭和31年)4月20日 - 稲荷橋駅を穴守稲荷駅に改称、穴守稲荷 - 羽田空港(初代)間(0.5km) を延長(復活)[17]。なお、京浜蒲田 - 羽田空港間の所要時間は5分30秒であった[18]
  • 1963年(昭和38年)11月1日 - 穴守線から空港線と改称[17]
  • 1970年(昭和45年)11月12日 - 空港線と大師線で ATS 地上装置の使用を開始。これにより京浜急行電鉄全線の ATS 化が完了[19]
  • 1971年(昭和46年)1月24日 - 羽田空港(初代) - 穴守間 (0.8km)、正式に廃止[19][注 3]
  • 1976年(昭和51年)8月1日 - 車両の大型化を実施[20](18m 級車両導入)し、400形運行開始。
  • 1986年(昭和61年)8月29日 - 車両を800形に統一。冷房化率が0%から100%になる[21]
  • 1991年平成3年)1月16日 - 第1期空港線延伸工事の進捗に伴い、穴守稲荷 - 羽田空港(初代)間営業休止[22]。この時運転していた車両の方向幕に「蒲田⇔穴守稲荷」の行先がないため、方向板を装着して対応していた。
  • 1993年(平成5年)
    • 4月1日 - 第1期空港線延伸工事が竣工し、穴守稲荷 - 羽田(現在の天空橋)間 (0.7km) 開業[23]、全駅でホームを3両編成対応から6両編成対応に延伸。さらに本線を介して都営浅草線方面への直通運転を開始[22]
    • 9月12日 - 日中の普通列車を品川まで直通する急行列車に置き換え、日中は急行列車のみ毎時6本の運転となる[24]
    • 9月27日 - 羽田空港新ターミナル(ビッグバード)開業に伴い羽田駅で東京モノレールと接続、連絡運輸を開始[22]
    • 年度中 - 全駅に自動改札機を設置。
  • 1994年(平成6年)
    • 12月10日 - 輸送力増強策として各駅のホーム延伸工事が完了、本線直通急行列車の8両編成運用を開始[22]
  • 1997年(平成9年)
    • 10月4日 - 本線および都営浅草線へ直通する特急列車の運行を開始。
    • 11月23日 - 大鳥居駅付近を地下化[25]
  • 1998年(平成10年)11月18日 第2期空港線延伸工事の完成に伴い羽田 - 羽田空港(2代・現在の羽田空港国内線ターミナル)間 (3.2km) 開業、羽田駅を天空橋駅に改称[26]エアポート快特およびエアポート特急を運行開始。最高速度を60km/hから90km/hへ向上[27]
  • 1999年(平成11年)
    • 7月31日 - 京急全線で白紙ダイヤ改正。早朝に本線横浜方面からの直通列車を運行開始[28]
    • 12月31日 前年まで空港線でも行われていた[29]終夜運転が、この年は行われなくなる[30]
  • 2000年(平成12年)7月22日 - 天空橋 - 羽田空港間の最高速度を100km/hへ向上[30]
  • 2001年(平成13年)
    • 2月 - 京急蒲田駅付近連続立体交差事業に着手[31]
    • 9月15日 - 都営浅草線との直通列車を10分の等間隔に揃える[32]
  • 2002年(平成14年)10月12日 京急蒲田駅改良により本線横浜方面との終日直通運転開始。昼間時は羽田空港を発着する4両編成の特急が、京急川崎 - 金沢文庫間で快特に併結されるという運行形態となる[33]
  • 2003年(平成15年)
    • 7月19日 - 品川方面直通の列車が快特と急行に統一され、昼間は10分ヘッドで交互に運転される(特急は廃止)[1]
    • 12月25日 - 天空橋→羽田空港間(下り)の最高速度を110km/hに向上[34]
  • 2004年(平成16年)
    • 10月30日 - 羽田空港駅への夜間滞泊を開始[35]
    • 12月1日 - 羽田空港第2旅客ターミナルの開業に伴い羽田空港駅に第2旅客ターミナル口開設。
  • 2009年(平成21年)2月14日 - 保安装置をC-ATSに更新[36]
  • 2010年(平成22年)
    • 5月16日 - 京急蒲田 - 大鳥居間の上り線が高架化。エアポート快特の停車駅変更およびエアポート急行を新設[37]
    • 7月17日 - 京成成田空港線(成田スカイアクセス)開業に伴い、同線との直通運転を開始。
    • 10月21日 - 羽田空港新国際線ターミナル開業に伴い天空橋 - 羽田空港間に羽田空港国際線ターミナル駅が開業、羽田空港駅を羽田空港国内線ターミナル駅に改称[38]。同時に駅ナンバリングを開始[39]
  • 2012年(平成24年)10月21日 - 京急蒲田 - 大鳥居間の下り線が高架化され、同区間の高架化が完成[40]

駅一覧[編集]

  • 全駅東京都大田区に所在。
  • 特急・エアポート急行および普通列車は各駅に停車する。
  • ●:停車 |:通過
駅番号 [注 4] 駅名 駅間営業キロ 通算営業キロ 快特 エアポ丨ト快特 接続路線
KK11 京急蒲田駅 - 0.0 京浜急行電鉄KK 本線品川横浜方面直通運転)
KK12 糀谷駅 0.9 0.9  
KK13 大鳥居駅 1.0 1.9  
KK14 穴守稲荷駅
ヤマトグループ 羽田クロノゲート前)
0.7 2.6  
KK15 天空橋駅 0.7 3.3 東京モノレール東京モノレール羽田空港線
KK16 羽田空港国際線ターミナル駅[38] 1.2 4.5 東京モノレール:東京モノレール羽田空港線(羽田空港国際線ビル駅
KK17 羽田空港国内線ターミナル駅 2.0 6.5 東京モノレール:東京モノレール羽田空港線(羽田空港第1ビル駅羽田空港第2ビル駅

その他[編集]

  • 羽田空港の国際線・国内線カウンターでは、国際線と国内線の乗り継ぎ客を対象に乗継乗車票を配布していて、これを利用すると羽田空港国際線ターミナル - 羽田空港国内線ターミナル間を利用できる。

加算運賃[編集]

羽田空港国際線ターミナル駅・羽田空港国内線ターミナル駅を発着とする場合には加算運賃が、京急蒲田駅を含む空港線内各駅 - 羽田空港国際線ターミナル駅・羽田空港国内線ターミナル駅間では特定運賃が設定されている。ただし、天空橋駅 - 羽田空港国内線ターミナル駅間だけを普通券・回数券で利用する場合は加算運賃等の設定はない。運賃設定の詳細は「京浜急行電鉄#運賃」を参照のこと。

この加算運賃で京急が得た収入は開業から2011年度末まででおよそ460億円にのぼる一方、羽田空港延伸に要した工事費はおよそ700億円、開業から2011年度末までに利払いや土地・施設の使用料として発生した金額はおよそ270億円である[41]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. 1986年までは半径60m、同年以降2012年までは半径80m。
  2. 1999年7月のダイヤ改正までは、久里浜線内で快特が通過運転を行っていた。
  3. 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』(電気車研究会、1993年)では1月22日となっているが正誤表で1月24日と訂正。
  4. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「eki-numbering」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません

注釈[編集]


参考文献[編集]

  • 佐藤良介「京急空港線 最近の25年 -車両と運転の変遷-
  • 佐藤良介『京急の駅 今昔・昭和の面影』JTBキャンブックス、2006年、pp. 60-61, 132-140.
  • 吉本尚『京急ダイヤ100年史』電気車研究会、1999年
  • 『京急グループ110年史 最近の10年』 京浜急行電鉄、2008年。
  • 高野光雄 『京急ダイヤの歴史』、2011年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

京浜急行電鉄の路線.JPG

  1. 1.0 1.1 高野(2011)、p.56。
  2. 京急電鉄・京急バス 年末年始の終夜運転・特別ダイヤについてPDF  - 京浜急行電鉄、2012年12月6日
  3. 12月30日(木)から1月3日(月)の電車・バスダイヤおよび 第87回箱根駅伝開催に伴う電車ダイヤの一部変更について 京浜急行電鉄報道発表資料 2010年12月10日
  4. 京急電鉄・京浜急行バス 年末年始ダイヤについて 京浜急行電鉄報道発表資料 2011年12月8日
  5. 12月30日(水)から1月3日(日)の電車・バスダイヤおよび 第86回箱根駅伝の対応について 京浜急行電鉄報道発表資料 2009年12月14日
  6. 京急電鉄(2008)、p.16。
  7. 京急電鉄(2008)、p.18。
  8. 京急電鉄(2008)、p.23。
  9. 京急電鉄(2008)、pp.18-19。
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 京急電鉄(2008)、p.28。
  11. asahi.com(朝日新聞社):「羽田の時代来る」 京急乗り入れ訴えたOB、思い格別 - 航空特集朝日新聞社 2010年10月21日
  12. 高野(2011)、p.25。
  13. 13.0 13.1 13.2 京急電鉄(2008)、p.132。
  14. 京急電鉄(2008)、p.54。
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  38. 38.0 38.1 10月21日(木)京急線「羽田空港国際線ターミナル」駅 開業! - 京浜急行電鉄、2010年5月14日。
  39. 京急線全駅にて駅ナンバリングを開始します - 京浜急行電鉄、2010年6月25日。
  40. 京急蒲田駅付近の上下線が全線高架化します!PDF  - 京浜急行電鉄、2012年7月17日、2012年7月17日閲覧。
  41. 加算運賃の状況について - 京浜急行電鉄2012年6月29日付プレスリリース(2012年8月2日閲覧)。