ハロルド・J・ティンパーリ

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ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記:田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリアバンベリー出身のジャーナリスト。

略歴[編集]

。その後、米国を旅行した後、マンチェスター・ガーディアン紙やASIA誌を辞し、1939年3月頃、重慶に入った。

著作[編集]

  • What War Means: The Japanese Terror in China, London, Victor Gollancz Ltd,1938. (レフト・ブック・クラブ版と一般向版の2種がある)
  • The Japanese Terror in China, New York, Modern Age Books, 1938.
  • Japan: A World Problem, New York, The John Day Company, 1942.
  • Australia and the Australians, New York, Oxford University Press, 1942
  • Some Contrast Between China and Japan in The Light of History /10 page leaflet, London, The China Society, publication date unknown.
  • The War on Want /5 page leaflet, London, Gledhill & Ballinger Ltd., 1953

What War Means翻訳書:

  • 中国語訳=由楊明訳『外人目睹中之日軍暴行』漢口民国出版社、1938年7月
  • 日本語訳=訳者不明『外国人の見た日本軍の暴行』(中国語訳からの重訳、1938-1941年に軍関係者によって出版されたものと推定される)
  • フランス語訳=MM.l'Abbe Gripekoven et M.Harfort, "Ce Que Signifie la Guerre", Belgioue,1940(推定),Amities Chinoises
  • 日本語訳=洞富雄編『日中戦争史資料 9』河出書房新社、1973年(昭和48年)

『WHAT WAR MEANS』に関する議論[編集]

「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』("What War Means"の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、北村稔は、これら二つの資料の背後には国際宣伝処が控えていたとする。(『「南京事件」の探究』p.43-4)しかし、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久士は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学と南京事件』p.249)

関連事項[編集]

参考文献[編集]

  • 「アンチヤマトイズムスを止めよ!」竹本忠雄 日本政策研究センター
  • 渡辺久志「求めているのは実像か虚像か」(『中帰連』第21号、2002年夏号)
  • 笠原十九司吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年
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