「湯川遙菜」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(PMC JAPAN)
35行目: 35行目:
 
[[ファイル:images湯川遙菜.jpg|thumb|240px|right|「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」の湯川遥菜です。]]
 
[[ファイル:images湯川遙菜.jpg|thumb|240px|right|「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」の湯川遥菜です。]]
 
湯川の経営するPrivate Military Companyは、東京都江東区に本拠を置き「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」を事業内容とする会社である<ref name="j-cast"></ref>。
 
湯川の経営するPrivate Military Companyは、東京都江東区に本拠を置き「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」を事業内容とする会社である<ref name="j-cast"></ref>。
 +
 +
== 後藤健二との関係 ==
 +
後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年[[7月]]末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反[[アサド]]の自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月に[[テレビ]]で湯川遙菜との関係を詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人の[[ブログ]]から、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。[[外務省]]から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実は[[マスメディア]]でも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される<ref name="critic20"></ref>。
  
 
== ブログ ==
 
== ブログ ==

2015年1月28日 (水) 02:27時点における版

湯川遙菜と田母神俊雄


湯川遙菜(ゆかわ はるな)は、日本民間軍事会社PMC JAPAN経営者。元模型店経営者。

来歴

  • 2014年8月16日 - シリア北部のアレッポでイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束される。同日には武装勢力に尋問されている映像がYouTube上に公開された。 「日本人への尋問」と題された2分弱の動画で、映像では額からを流し、地面に倒れた状態で尋問を受けている。男性は「どこから来たのか」と聞かれると「日本から来た」と答え、「ハルナ・ユカワ」と名乗っていた[1]
  • 2015年1月にイスラム国により処刑される。

人物

イスラム国で拘束された湯川遙菜

過激派組織ISISがシリアで湯川遥菜という人物をCIAのスパイとして拘束した事件で、イスラム国(ISIS)側が素性を調べれば、湯川遙菜には以下の特徴があった[2]

1. 英語がほとんど話せない。
2. 体がぷよぷよで軍人ぽくない。
3. 仕事で来てるはずなのに仕事の形跡が全くない。
4. スパイなのに普通のスマートフォンしか持ってない。
5. を持っていたが、何故か銃弾が入ってなかった。
6. 「民間軍事会社 PMC CEO」とかいう名刺を平気で配る。
7. 解放を願うはずの日本から、何故か不利になる情報が大量に送信されてくる。
8. 身体検査したら男性にあるはずのものがない。
9. 戦闘中に迷子になって、間違えて自分からISの部隊に合流してしまった。

以上の特徴から、イスラーム国側も大いに困惑をしていたと伝えられる。

PMC JAPAN

「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」の湯川遥菜です。

湯川の経営するPrivate Military Companyは、東京都江東区に本拠を置き「国際民間軍事業、国外警護、海上護衛(武装ガード)、後方支援業務、紛争地域等での護衛」を事業内容とする会社である[1]

後藤健二との関係

後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年7月末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月にテレビで湯川遙菜との関係を詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人のブログから、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤が同行していることが推測されている。外務省から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実はマスメディアでも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたと推測される[3]

ブログ

湯川は戦地にあっても、ブログを更新していた。

最後のブログ
2014-07-21 20:47:58
テーマ:♪はるなのブログ
まだ渡航まで数日時間があるので、目的地は書けない。
何か毎月行っている気がする。
今回は1ヶ月弱滞在するのでブログの更新はその帰国後になる。
多分、今までの中で一番危険かもしれない。
何か人生の疲れと言うか、この連休はテンションが低い。
連休とあって、若いカップルや家族が楽しそうにしている様子
が微笑ましい。
若いカップルを見て、久しぶりに恋人が居たら良いと思った。
今までいつも誰かしら恋人が居たが、ある時期から恋人は
作らなくなった。
当然、この様なリスク(命懸け)がある仕事だし、恋人を
作るのをどこかいつも避けている。
今日はそんな事を久しぶりに感じたと言うことは、メンタル的に
疲れているのだろう。
僕はいつも孤独だよぉ。
そして…。こんな日は何をしているかと言うと…。
2日間、心霊のDVDを見て現実から逃避した。夏だし!
前回のイラクでクルド人兵士と最前線で時計を交換したのだが、
翌日、直ぐに壊れて動かなくなった。時計を止まっているのを見た時、
『あいつ~!』と呟き少しムカついたが、僕の時計は安物だった
ので良かった。(戦地でどうせ壊れると思い安いのをいつも
使用している)海外に居る時に時計が無いのはかなり困る。


脚注

  1. 1.0 1.1 シリア拘束は民間軍事会社CEOの湯川遥菜さん? ブログで今回の渡航を「今までの中で一番危険かもしれない」J-CASTニュース
  2. 【困惑】湯川遥菜が謎すぎて過激派組織ISISを困らせているその理由
  3. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「critic20」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません

外部リンク

  • ♪ HARUNAのブログ ♪(男装の麗人川島芳子とHARUNA(遥菜)のブログ - 前世で行った場所を初め、色々な場所に訪問した時の紹介ができたら良いと思ってます♪)