「浜崎あゆみ (妄想)」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(初版執筆者の意向を汲んだ書き換え)
1行目: 1行目:
'''浜崎 あゆみ'''(はまさき あゆみ、本名:'''濱崎 歩'''(読みは同じ)、[[1978年]](昭和53年)[[10月2日]] - )は日本の女性[[歌手]]である。[[福岡県]][[福岡市]]出身。福岡市立原中学校卒業。[[堀越高等学校]][[退学|中退]]
+
[[Image:AyumiHamasaki.jpg|thumb|浜崎あゆみは[[同性愛]]者。]]
愛称は「'''あゆ'''」や「'''ayu'''」など。英語表記は「'''Ayumi Hamasaki'''」。芸能事務所・所属レコード会社は[[エイベックス|エイベックス・エンタテインメント]]。[[血液型]]は[[A型]]。日本を代表する女性[[ポピュラー音楽|ポップス]]歌手のひとりである。
+
{{ウィキペディア}}
 +
'''浜崎 あゆみ'''(本名:濱崎步、はまさき あゆみ、[[1978年]][[10月2日]] - )とは身体改造手術によりアンドロイドとなった日本人である。[[エイベックス]]の支配者の一人で[[ユリ・サカザキ|極限流空手]]の使い手。通称・[[浜詐欺あゆみ]]。
  
== 来歴 ==
+
== 身体改造計画 ==
=== ~1997年 モデルから女優へ ===
+
浜崎あゆみは1998年にデビューしたがこの頃はまだ人間であった。しかしながら、自らの肉体が老けるのを恐れ、また、ライバルの[[宇多田ヒカル]]に勝つべく[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY|自らの肉体を改造する計画]]を立てる。
10代前半から地元[[福岡市|福岡]]のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で[[福岡中央銀行]]のポスタ-やその他地元商業広告に登場。その後、[[東京]]の大手[[芸能プロダクション]][[サンミュージック]]に[[スカウト]]された(現在も[[都営地下鉄]][[都営地下鉄浅草線|浅草線]][[浅草駅]]の[[押上]]・[[成田空港]]・印旛日本医大・芝山千代田方面ホームに掲示されているタレント養成所の広告には、[[加藤晴彦]]とともに昔の写真が使われている)。
+
[[1993年]]、テレビドラマ『[[ツインズ教師]]』で女優としてデビュー。
+
[[1994年]]、芸名を「浜﨑あゆみ『崎』の異体字『﨑』」に改名し、[[1996年]]末にサンミュージックとの契約が切れるまで、テレビドラマや映画等に出演していた。
+
[[1997年]]、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。
+
  
=== 1998年~2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ ===
+
[[Image:宇多田ヒカル.jpg|right|thumb|137px|これはライバルの宇多田ヒカル。It's Automatic!!!!!!!!!]]
[[1998年]][[4月8日]]発売の1stシングル『'''[[poker face]]'''』で「浜崎あゆみ」としてデビュー、オリコン最高位20位を記録。
+
現在彼女の身体は脳を含め全て機械で出来ており、このままいけばあと40億年は軽く存在し続けられると言われている。無謀な改造手術は初め腕や顔を取り替える事から始まった。その後、日本人としての国籍を捨て、マリアと自らの事を称した。すなわち、浜崎あゆみという人物は現在は存在しないのであるが、未だに日本では浜崎あゆみという名称で一般化されている。また、本人は未だに身体をアンドロイドにしたことを極秘事項としているため、そのような事を述べた場合中傷ととられる。しかし、人形化した自身の姿を披露することに抵抗はないようで「Alterna」など、よく自分を人形として見せたりする。ここまでやっても浜崎あゆみはまだ自分は人間であると称している。もちろん「目の付近」を見れば改造している事は誰にも分かる。近年は更なる変貌が見られ、ロケットパンチなどの機能を搭載する予定もあるという。しかし、近年になり左耳に修復不能のバグが見つかっている。
[[8月5日]]発売の3rdシングル『'''[[Trust]]'''』ではオリコンチャート初TOP10入りを果たす。
+
[[1999年]][[1月1日]]発売の1stアルバム『'''[[A Song for ××]]'''』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。
+
[[4月14日]]発売の7thシングル『'''[[LOVE~Destiny~/LOVE~since 1999~|LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~]]'''』でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。
+
[[8月11日]]発売の10thシングル『'''[[A (浜崎あゆみ)|A]]'''』が初の[[ミリオンセラー]]となり、前作の『'''[[Boys & Girls (浜崎あゆみ)|Boys & Girls]]'''』も遅れてミリオンセラーとなった。
+
[[12月31日]]、[[NHK紅白歌合戦]]に初出場を果たす。
+
[[2000年]][[4月]]より初めてのコンサートツアー(第一幕、第二幕と題し全国を2巡)に挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。
+
[[11月]]、[[全日本有線放送大賞]]でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年の[[ALL JAPANリクエストアワード]]、2003年の[[ベストヒット歌謡祭]]でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。
+
[[12月13日]]発売の19thシングル『'''[[M (浜崎あゆみ)|M]]'''』では初の作曲を手掛け(『[[CREA]]』名義)、ミリオンセラーを記録する。
+
[[12月31日]]、初のカウントダウンライブを開催。以来毎年の恒例となっている。
+
  
=== 2001年~2003年 A BEST発売 レコード大賞三連覇 ===
+
ちなみに断片化された元の彼女の肉体であるが、裏ルートでは頬や腕などが断片化されて売られており、フェチな人物によって数百億円の価値が付いている模様である。特に浜崎あゆみの[[]]は4兆円という破格の値が付いていると噂される。
[[2001年]][[3月28日]]、ベストアルバム『'''[[A BEST]]'''』を発売。[[宇多田ヒカル]]の2ndアルバム『'''[[Distance_(宇多田ヒカル)|Distance]]'''』との同日発売が注目を集めた。結果的には初動・累計ともに宇多田に敗れたが、どちらも400万枚以上も売り上げた。
+
夏には女性ソロ歌手としては[[安室奈美恵]]以来2人目となる[[東京ドーム|東京]]・[[大阪ドーム|大阪]]・[[ナゴヤドーム|名古屋]]・[[福岡ドーム|福岡]]の4大ドームツアーを行った([[札幌ドーム|札幌]]は完成直後の為除外)。この年の末に24thシングル『'''[[Dearest]]'''』で[[日本レコード大賞]]受賞。以降、2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす。また9月には[[TOKIO]]の[[長瀬智也]]との交際が明らかになった(1993年に浜崎が出演していたツインズ教師で共演したのを機に知り合った)。
+
[[2002年]][[4月24日]]発売の26thシングル『'''[[Free & Easy]]'''』は雑誌「Free & Easy」とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「'''浜崎共和国'''」を発売する。
+
[[7月24日]]発売の27thシングル『'''[[H (浜崎あゆみ)|H]]'''』が、日本のシングルCD売り上げが全体的に低迷した2002年唯一、[[オリコン]]・[[日本レコード協会]]のでのシングルミリオンセラーを記録した。
+
[[9月26日]]発売の28thシングル『'''[[Voyage]]'''』に合わせて短編映画「'''月に沈む'''」(監督:[[行定勲]])が公開(後にDVDとして発売)。歌手デビュー以降初めて女優業を行う。
+
[[10月12日]]、初のレギュラー、総合司会を務める番組「[[ayu ready?]]」がスタートした。
+
[[2003年]][[3月12日]]発売のバラードベスト『'''[[A_BALLADS|A BALLADS]]'''』ではファン投票により選曲され、多くの曲が別バージョンで収録された。また、5thアルバム『'''[[RAINBOW_(浜崎あゆみのアルバム)|RAINBOW]]'''』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ自身が詞をつけて完成させた「'''RAINBOW'''」が収録された。
+
[[7月9日]]発売の29thシングル『'''[[%26_(浜崎あゆみ)|&]]'''』は、これまで短期間でのシングル発売が目立っていたのに対し、前作から10ヶ月ぶりのシングルであった。この頃から[[プロモーションビデオ]]にも力を入れるようになった。
+
[[10月]]、シングル30枚発売を記念し、それまでのシングル曲中心のスペシャルライブ'''A museum ~30th single collection live~'''が行われた。
+
[[12月17日]]、初のミニアルバム『'''[[Memorial address]]'''』を発売する。[[ボーナストラック|Bonus Track]]の「'''Memorial address'''」以外の収録曲全てに対しPVが作られた。
+
  
=== 2004年~2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期 ===
+
だが、機械化の副作用は明らかに彼女の体(特に脳)に残っており、僅か数ヶ月で発言内容がコロコロ入れ替わる。
[[2004年]][[3月20日]]、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からそれまでのCMキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDシングルの累計売上枚数は30万枚前後と安定していた。
+
下記はその一例である。
[[7月]]末、エイベックスお家騒動が起こる(→[[浜崎あゆみ#概要|概要]]、[[エイベックス]]参照)。
+
[[2005年]][[11月30日]]発売の38thシングル『'''[[Bold&Delicious/Pride|Bold & Delicious/Pride]]'''』は海外アーティスト([[スウィートボックス|GEO of SWEETBOX]])とコラボレーションに挑戦したが、アルバムの先行シングル等の要因もあって累計15万枚程度にまでセールスを落とした。
+
[[2006年]][[6月21日]]に発売された40thシングル『'''[[BLUE BIRD]]'''』では売上を初動16万枚にまで回復したと同時に、ソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2000万枚を達成する(ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他に[[B'z]]、[[サザンオールスターズ]]、[[Mr.Children]]、[[SMAP]]の4組のみ)。[[11月29日]]に発売された8thアルバム『'''[[Secret_(浜崎あゆみのアルバム)|Secret]]'''』は当初、2ndミニアルバム(全7曲収録)として公式サイトに告知されていた。しかし、選曲の問題や本人の出演する[[Panasonic]]のCM曲である「'''JEWEL/1LOVE'''」の反響が大きく、その結果、8th フルアルバム(14曲収録)へ変更した。NHK紅白歌合戦では「'''JEWEL'''」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。
+
  
=== 2007年~現在 A BEST 2発売 アジアツアー 歌手デビュー10周年 ===
+
 *「お姫様なんて呼ばれたくない」 → 数ヵ月後、自らの一人称を「姫」とする。
[[2007年]][[2月28日]]、『'''[[A_BEST_2#A_BEST_2_-BLACK-|A BEST 2 -BLACK-]]'''』、『'''[[A_BEST_2#A_BEST_2_-WHITE-|A BEST 2 WHITE-]]'''』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては、[[1970年]]の[[藤圭子]]の記録以来、36年ぶりの記録であった。
+
[[3月10日]]から初の[[海外]]公演を含むライブツアーが行われた。[[7月18日]]発売の41stシングル『'''[[glitter/fated]]'''』のDVDには香港の俳優・[[余文樂]](ショーン・ユー)と共演し、ショートフィルム「距愛 ~Distance Love~」が収録されている。また、発売日直前の[[7月13日]]、音楽番組のプロモーションライブ終了直後、長らく交際していたTOKIOの長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。<ref>{{cite web
+
| date = 2007-07-13
+
| url =http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070713-226708.html
+
| title = 浜崎あゆみが長瀬智也との破局告白
+
| publisher = [[日刊スポーツ]]
+
| accessdate = 7月15日
+
| accessyear = 2007年
+
}}</ref>[[12月5日]]には、初の[[デジタル・ダウンロード]]規格のみのシングルである43rdシングル『'''[[Together When...]]'''』を発表。
+
[[2008年]][[1月1日]]には9thアルバムとなる『'''[[GUILTY]]'''』を発売。この年でデビュー10周年となり、春からはライブツアー'''ASIA TOUR 2008 ~10th Anniversary~(仮)'''が行われる予定である。
+
[[1月4日]]、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し「治療の術はない」と、左耳の[[聴覚]]が失われもう治らなくなったことを告白。なお右の聴覚は正常であり、今後も春からのアジアツアーなどの活動は予定通り行われる予定である。[[4月8日]]、デビュー10周年記念シングル「Mirrorcle Wolrd」を発売。ジャケットの「手ブラ」が話題に。
+
  
== 概要 ==
+
 *「歌詞に英語は使いたくない」 → いつの間にか普通に英語を使っている
=== 人物 ===
+
浜崎あゆみは20世紀末に現れた日本を代表する女性ポップス歌手である。
+
歌手デビュー当時は歌手でありながら、アイドルとも思わせるルックスを持ち合わせ煌びやかな一面を見せていたが、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女問わず多くのファンから共感を得た。一時は「日本の歌姫の一人」と称されるほど、トップスターの階段を駆け上っていた。現在はデジタル産業の普及によって音楽業界全体としてCD売り上げ枚数は下降しているが、今も多くのファン数を保っている。
+
また、名字の「浜崎」の正しい読み方は「はま'''ざ'''き」ではなくて「はま'''さ'''き」である。圧倒的に九州地方に多い名字である。家族構成は、母一人子一人。 また、[[犬]](小型犬)好きで[[チワワ]]、[[ダックスフント|ミニチュアダックスフンド]]などを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、2005年のツアーではMC中にステージに登場したこともある。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、英語は不得意だとコメントしていた。2006年12月に[[CNN]]の日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。2007年のアジアツアーをきっかけに本格的に英語の勉強を始める。
+
  
=== 影響 ===
+
近年は、アメリカの超生命体[[マドンナ]]を模した改造も頻繁になされている(『[[インスパイア]]計画』)。
1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアから「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。1999年、初のアルバム『'''[[A Song for ××]]'''』の表題曲「'''A Song for ××'''」をはじめ、自作の歌詞が当時の女子中高生を中心に大きな支持を受ける。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持つほどであった。この頃はマスコミなどで「'''女子高生のカリスマ'''」と呼ばれ、彼女の[[ファッション]]や奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとして[[ネイルアート]]・大きな[[サングラス]]・ヒョウ柄などの流行を生み出す社会現象となった(後に[[ベストジーニスト]]や[[ネイルクイーン]]では殿堂入りも果たしている)。それが自身の全盛期であろう。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社[[エイベックス]]の株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「'''あゆ依存'''」という言葉も生まれた。現在は売り上げ自体は全盛期に比べると落ち着いているが、騒動がある度にエイベックス株価が変動するのは変わっていない。
+
  
=== 内耳性突発難聴 ===
+
== 影響力 ==
2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患([[突発性難聴|内耳性突発難聴]])を患い、一部公演を延期した。医者からはすぐ治療にとりかかるべきだと告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらず、2007年末頃には左耳の聴覚が完全に失われた。
+
[[Image:倖田來未.jpg|left|thumb|160px|これは[[エイベックス|同じ事務所]]所属の[[倖田來未]]。]]
 +
現在は浜崎あゆみの身体改造計画は多くの女性たちの支持を受けている。しかしながら、多くの男性達はその事に気づいていない。[[インポテンツ]]や[[少子化]]が何故起こるのか、多くの男性達は理解していない。何故ならば、これらの全ての原因は、女性たちの多くが実は機械だからこそ起こることなのである。機械に対して勃起しなかったりすることは自然な反応である。また、機械が妊娠しない事は多くの人が知っている事実である。
  
=== 諸騒動 ===
+
このため、人々は未だ機械ではない幼女たちに対して勃起するのである。これが[[ロリコン]]である。多くの女性たちがロリコンを嫌悪する理由は自分たちの本性を見抜く男性達を嫌悪するためなのである。
==== 虚偽による暴言騒動 ====
+
2002年、[[インターネット]]を発端として「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という噂が流れ、それも動画付きというかなり信憑性に富むものであった。新聞報道にまで拡大し、瞬く間に公式ページやファンページが[[炎上 (ネット用語)|炎上]]した。これについてavexからは当時の会長兼社長・[[依田巽]]が声明文を発表したものの、誠意が感じられないことや、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後にこれが完全なる'''虚偽'''であり、実際には2001年のカウントダウンライブの映像をとある大学生が「障害者を罵倒した」と取れるように加工し、そのように見せかけただけであることが判明し、後日学生は逮捕されている。雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌「浜崎共和国」において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、そのほうがよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年のアリーナツアーではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題のカウントダウンライブのDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。
+
  
==== エイベックスお家騒動 ====
+
== 作詞法 ==
2004年7月30日、歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである当時エイベックス専務の[[松浦真在人|松浦勝人]]が、会長であった依田巽と経営方針が決裂し、別会社を設立することを表明した[http://www.avex.co.jp/j_site/press/2005/press040801.html]。その直後、浜崎あゆみ自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎あゆみの表明が決定的な大打撃となり、株は大暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は大混乱に陥った。8月3日、浜崎あゆみの表明を大きくうけ、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[http://www.avex.co.jp/j_site/press/2005/press040803.html]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置く様になる。
+
浜崎あゆみはまた、独自の画期的な作詞方法を開発したことで著名となった。適当な歌詞を用意し、
 +
*『俺』『私』などの一人称を『僕』に置き換える
 +
*『あなた』『お前』などの二人称を『君』に置き換える
 +
*語尾を現代的な口語体にする
 +
*『儚い』という言葉をやたらと使う
 +
*疑問文と過去形を多用する
 +
*冗長にする(もとの歌詞では簡潔に描写されている内容を、聞き手のレベルに合わせてくどくど説明する)
 +
などの簡単な操作を施すことによって、一瞬にして自分の歌詞としてしまうものである。この作詞法は、過去の名作を現在によみがえらせることができるものとして高く評価されている。また、[[演歌]][[フォークソング]]の歌詞にこの作詞法を適用するとそのまま浜崎あゆみの歌の世界になってしまうことから、演歌やフォークソングのファン層と浜崎あゆみのファン層は同一の精神的基盤を持っていることが証明されている。
  
== 楽曲、作品の特徴 ==
+
この作詞法を適用した例として、下記のようなものがある。
=== タイトル ===
+
*そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ([[中島みゆき]]「時代」)
* 曲・アルバム・シングルのタイトルはすべて英数字または[[ロゴ]]による表記。
+
:→今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう(浜崎あゆみ「SEASON」)
:以下はロゴ表記
+
*人は悲しいくらい 忘れてゆく生きもの([[Mr.Children]]「Tomorrow never knows」)
:'''A''' … 10thシングル「[[A_(シングル)|A]]」、5thアルバム「[[RAINBOW_(浜崎あゆみのアルバム)|RAINBOW]]」、ベストアルバム「[[A_BEST|A BEST]]」、「[[A_BALLADS|A BALLADS]]」、「[[A_BEST_2|A BEST 2 -WHITE-]]」、「[[A_BEST_2|A BEST 2 -BLACK-]]」
+
:→人間(ひと)は皆悲しいかな 忘れゆく生き物だけど(浜崎あゆみ「Dearest」) 
:'''M''' … 19thシングル「[[M_(浜崎あゆみの曲)|M]]」
+
これはあくまでも独自の作詞方法であり、[[インスパイヤ]]、ましてや[[パクリ]]ではないので注意が必要である。
:'''H''' … 27thシングル「[[H_(浜崎あゆみ)|H]]」
+
:'''&''' … 29thシングル「[[%26_(浜崎あゆみ)|&]]」
+
* 曲のタイトルはほとんど英語を使っている。ただし、「[[A_Song_for_××|Hana]]」、「[[kanariya]]」、「[[H_(浜崎あゆみ)|HANABI]]」、「[[%26_(浜崎あゆみ)|HANABI ~episode II~]]」は日本語である。また「[[Voyage]]」は本来、フランス語なら『ヴォワイヤージュ』、英語読みなら『ヴォエッジ』であるが、ローマ字読みとフランス読みを合わせ『ヴォヤージュ』と読ませている。
+
* オリジナルアルバムのほとんどは収録曲からである。ただし、「[[LOVEppears]]」、「[[MY_STORY|MY STORY]]」は同タイトルの収録曲はなく、「LOVEppears」は「[[appears]]」からの造語である。
+
  
=== 作詞 ===
+
また、この作詞法を応用すれば、誰でも浜崎あゆみっぽい歌詞を作り出すことが出来る。下記はその一例である。
浜崎あゆみのオリジナル曲は全て自身で作詞している。ほとんどの歌詞は日本語。デビュー当時は不得手の英語は使わないと宣言していたが、2002年のアルバム「RAINBOW」以降は英語詞を含めたものも発表している。
+
:僕は、ひとりぼっちで泣きながらちぎった君と僕の写真を 手のひらにつなげてみたよ
女性歌手でありながら、歌詞の中に『'''私(わたし、あたし)'''』以外に『'''僕(ぼく)'''』を多く使い、また、複数を指す『'''~達'''』、『'''~ら'''』が多いことも特徴である。
+
:写真の中の僕たちの儚いほほえみがにくらしいよ だけど理由もないんだ
 
+
:ずっとずっと歩んできた長い旅路の後ろ姿を 僕たちはどうして忘れてしまうのかな?
=== 作曲・編曲 ===
+
:あの頃の僕に戻ることができたら 君にもう一度会えるのかな?
* ポップ調、ロック調、バラードが浜崎あゆみの主な曲の特徴である。
+
* 作曲は多くの作曲家により曲が作られ、浜崎あゆみ本人も'''[[CREA]]'''として19thシングル「[[M_(浜崎あゆみ)|M]]」において初めて作曲を手がけた。発売当時はその事は伏せられていた。
+
* オリジナルアルバム別作曲家における作曲数(インスト含、リミックス・カバー曲は除く、()内は作曲数、共作は別々にカウント)
+
:「'''[[A_Song_for_××|A Song for ××]]'''」1999年1月1日発売
+
::[[星野靖彦]](8)、[[桑原秀明]](3)、[[菊池一仁]](2)、[[五十嵐充]](1)、[[木村貴志]](1)、[[富樫明生]](1)
+
:「'''[[LOVEppears]]'''」1999年11月10日発売
+
::[[D・A・I]](7)、菊池一仁(4)、星野靖彦(2)、桑原秀明(1)、[[H∧L]](1)、[[鈴木直人]](1)、[[つんく]](1)
+
:「'''[[Duty]]'''」2000年9月27日発売
+
::D・A・I(4)、菊池一仁(3)、星野靖彦(2)、[[原田憲_(ミュージシャン)|原田憲]](2)、[[多胡邦夫]](2)
+
::*「[[Far away]]」はD・A・I+菊池一仁
+
:「'''[[I_am...|I am...]]'''」2002年1月1日発売
+
::[[CREA]](12)、D・A・I(4)、[[CMJK]](1)、[[tasuku]](1)、[[Ferry Corsten]](1)、[[小室哲哉]](1)、[[松田純一]](1)
+
::*「[[Dearest]]」、「[[I_am...|no more words]]」、「[[I_am...|flower garden]]」はCREA+D・A・I
+
::*「[[Daybreak]]」はCREA+D・A・I+松田純一
+
:「'''[[RAINBOW_(浜崎あゆみのアルバム)|RAINBOW]]'''」2002年12月18日発売(independentと+は別カウント)
+
::CREA(10)、D・A・I(9)、CMJK(2)、H∧L(1)、tasuku(1)
+
::*「'''[[RAINBOW_(浜崎あゆみのアルバム)|RAINBOW]]'''」、「[[Free & Easy]]」、「[[H_(浜崎あゆみ)|HANABI]]」、「[[H_(浜崎あゆみ)|july 1st]]」、「[[Voyage]]」、「[[H_(浜崎あゆみ)|independent]]」「[[RAINBOW_(浜崎あゆみのアルバム)|+]]」はCREA+D・A・I
+
:「'''[[Memorial address]]'''」2003年12月17日発売
+
::[[BOUNCEBACK]](4)、D・A・I(2)、CREA(2)、[[湯汲哲也]](2)
+
::*「[[%26_(浜崎あゆみ)|HANABI ~episode II~]]」、「[[forgiveness]]」はCREA+D・A・I
+
:「'''[[MY STORY]]'''」2004年12月15日発売
+
::湯汲哲也(6)、CREA(3)、BOUNCEBACK(2)、菊池一仁(2)、H∧L(1)、CMJK(1)、[[池本雷太]](1)、[[木下智哉]](1)
+
:「'''[[(miss)understood]]'''」2006年1月1日発売
+
::[[スウィートボックス|GEO of SWEETBOX]](6)、tasuku(2)、[[原一博]](2)、菊池一仁(1)、D・A・I(1)、CREA(1)、CMJK(1)、湯汲哲也(1)、[[渡辺未来]](1)、[[萩原慎太郎]](1)、[[佐々木聡作]](1)
+
::*「[[fairyland|alterna]]」は萩原慎太郎+佐々木聡作
+
::*「[[HEAVEN_(浜崎あゆみの曲)|Will]]」はCREA+D・A・I
+
:「'''[[Secret_(浜崎あゆみ)|Secret]]'''」2006年11月29日発売
+
::湯汲哲也(4)、CMJK(2)、原一博(2)、菊池一仁(1)、D・A・I(1)、H∧L(1)、tasuku(1)、[[野井洋児]](1)、[[伊橋成哉]](1)
+
:「'''[[GUILTY]]'''」2008年1月1日発売
+
::[[中野雄太]](4)、湯汲哲也(3)、多胡邦夫(2)、原一博(2)、H∧L(1)、CMJK(1)、萩原慎太郎(1)、[[松浦晃久]](1)
+
::*「[[Glitter/fated|fated]]」は萩原慎太郎+松浦晃久
+
 
+
:※オリジナルアルバムに収録されていない「[[Depend on you|Two of us]]」は[[宮地大輔]]+[[今井了介]]、「[[Vogue_(浜崎あゆみ)|ever free]]」はD・A・I、「[[%26_(浜崎あゆみ)|theme of a-nation'03]]」はCREA+D・A・I 、「[[A_BEST_2#A_BEST_2_-BLACK-|part of me]]」の作曲は湯汲哲也である。
+
 
+
* 編曲はHΛLが手掛けることが多い。それ以外は2001年ごろまでは鈴木直人、2002年~2004年ごろはtasuku、2005年以降はCMJKが多い。
+
 
+
== 主な記録 ==
+
=== 売上記録 ===
+
* CDシングル
+
** 首位獲得数:27作 (歴代2位、女性ソロ歴代1位)
+
** TOP10入り:38作 (女性ソロ歴代1位)
+
** 総売上枚数:約2001万枚
+
*** (2000万枚突破は史上5組目、ソロ歌手および女性ボーカル歴代1位)
+
** 首位獲得連続年数:9年 (女性アーティスト歴代1位タイ)
+
* CDアルバム (ミニアルバム含む)
+
** 首位獲得数:11作 (女性アーティスト歴代4位)
+
** 8年連続首位獲得 (歴代2位タイ)
+
** ミリオンセラー:9作 (女性アーティスト歴代2位)
+
(以上[[オリコン|オリコンチャート]]による)
+
 
+
=== 受賞記録 ===
+
主なものを抜粋。
+
==== 音楽賞 ====
+
* [[日本レコード大賞]]
+
** 大賞 (2001年「'''[[Dearest]]'''」,2002年「'''[[Voyage]]'''」,2003年「'''[[No way to say]]'''」)
+
* [[日本ゴールドディスク大賞]]
+
** アーティスト・オブ・ザイヤー (2001年,2002年,2004年)
+
* [[日本有線大賞]]
+
** 大賞 (2001年,2002年)
+
* [[全日本有線放送大賞]]→[[ALL JAPANリクエストアワード]]→[[ベストヒット歌謡祭]]
+
** グランプリ (2000年,2001年,2002年,2003年)
+
** ※但し、2002年以降はポップス部門
+
==== その他 ====
+
* [[NHK紅白歌合戦]]連続出場:9回 (1999年~、後述)
+
* [[ベストドレッサー賞]] (2000年)
+
* [[ベストジーニスト]]
+
** 一般選出部門 (2000年、2001年、2003年~2005年)
+
** [[木村拓哉]]、[[草なぎ剛|草彅剛]]に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。
+
* [[ネイルクィーン]] (2001年~2003年)
+
** 殿堂入り。
+
他多数。
+
 
+
=== NHK紅白歌合戦出場歴 ===
+
NHK紅白歌合戦には2007年まで9回連続出場中であるが、いずれも第2部前半での出演となっている(1999年~2001年と2003年は第2部[[トップバッター]])。これはレコード大賞参加(2003年まで。レコード大賞は2006年より日程を紅白前日の[[12月30日]]に変更)と自身のカウントダウンライブ開催の影響により出演する時間が限られているためである。また、カウントダウンライブ会場([[国立代々木競技場|代々木第一体育館]])と紅白歌合戦会場([[NHKホール]])は[[代々木公園]]を挟んで隣同士にあるため、2007年時点ではこれを理由とした出場辞退はしていない。
+
{| cellpadding="2" cellspacing="0" class="wikitable"
+
! <!--bgcolor=#ffeeeee |--> 年度/放送回
+
! <!--bgcolor=#ffb5 |--> 回
+
! <!--bgcolor=#fbbbb |--> 曲目
+
! <!--bgcolor=#ffgggggg |--> 出演順
+
! <!--bgcolor=#fffffff |--> 対戦相手
+
|-
+
|1999年(平成11年)/[[第50回NHK紅白歌合戦|第50回]]||初||[[Boys & Girls (浜崎あゆみ)|Boys & Girls]]||14/27||[[野猿]]
+
|-
+
|2000年(平成12年)/[[第51回NHK紅白歌合戦|第51回]]<td>2<td>[[SEASONS]]<td>15/28<td>[[L'Arc〜en〜Ciel]]
+
|-
+
|2001年(平成13年)/[[第52回NHK紅白歌合戦|第52回]]||3||[[Dearest]]||14/27||[[ゴスペラーズ]]
+
|-
+
|2002年(平成14年)/[[第53回NHK紅白歌合戦|第53回]]||4||[[Voyage]]||15/27||[[ポルノグラフィティ]]
+
|-
+
|2003年(平成15年)/[[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]]||5||[[No way to say]]||16/30||[[森山直太朗]]
+
|-
+
|2004年(平成16年)/[[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]]||6||[[Moments]]||18/28||ゴスペラーズ
+
|}
+
*出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
+
 
+
== 作品 ==
+
{{See|浜崎あゆみのディスコグラフィ}}
+
 
+
== ライブ(イベント含む) ==
+
※「'''A'''」はすべてロゴ表記。
+
{| class="wikitable" style="font-size: 80%;"
+
|-
+
!期間
+
!ライブ(イベント)タイトル
+
!備考
+
|-
+
|1998年3月15日、26日
+
|[[Velfarre]] Openinng
+
|
+
|-
+
|1999年5月8日
+
|ayumi hamasaki SECRET LIVE at [[赤坂BLITZ|AKASAKA BLITZ]]
+
|
+
|-
+
|2000年4月28日~6月3日
+
|ayumi hamasaki CONCERT TOUR 2000 '''A''' 第一幕
+
|初の単独ライブツアー
+
|-
+
|2000年6月21日~8月9日
+
|ayumi hamasaki CONCERT TOUR 2000 '''A''' 第二幕
+
|6月21日 22日公演は延期
+
|-
+
|2000年12月9日
+
|[[ユーシーカード|UC]] SPECIAL LIVE ayumi hamasaki limited stage 2000 winter
+
|
+
|-
+
|2000年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNT DOWN LIVE 2000-2001 '''A'''
+
|初のカウントダウンライブ
+
|-
+
|2001年6月22日~7月7日
+
|ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 '''A'''
+
|初のドームツアー
+
|-
+
|2001年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNT DOWN LIVE 2001-2002 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2002年4月27日~6月15日
+
|ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2002年6月29日 30日
+
|ayumi hamasaki OPEN AIR LIVE 2002 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2002年7月6日~28日
+
|ayumi hamasaki STADIUM TOUR 2002 '''A'''
+
|初のスタジアムツアー
+
|-
+
|2002年8月3日~9月1日
+
|[[a-nation]]'02 avex summer festa
+
|
+
|-
+
|2002年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNT DOWN LIVE 2002-2003 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2003年3月18日~5月27日
+
|ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR
+
|ファンクラブ会員限定ライブツアー
+
|-
+
|2003年7月19日~8月31日
+
|a-nation'02 avex summer festa
+
|
+
|-
+
|2003年10月9日~31日
+
|'''A''' museum live ~30th single collection live~
+
|
+
|-
+
|2003年12月30日~2004年4月25日
+
|ayumi hamasaki ARENA TOUR 2003-2004 '''A'''
+
|03-04年のCDLはツアーに組み込まれた
+
|-
+
|2004年7月31日~8月29日
+
|a-nation'04 BEST HIT SUMMER LIVE!!
+
|
+
|-
+
|2004年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNT DOWN LIVE 2004-2005 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2005年2月1日~4月24日
+
|ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 '''A''' ~MY STORY~
+
|
+
|-
+
|2005年7月30日~8月28日
+
|a-nation'05 BEST HIT LIVE
+
|8月6日公演は出演中止
+
|-
+
|2005年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNT DOWN LIVE 2005-2006 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2006年3月11日~6月11日
+
|ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 '''A''' ~(miss)understood~
+
|
+
|-
+
|2006年7月29日~8月27日
+
|a-nation'06 BEST HIT LIVE
+
|7月29日、8月5日公演は出演なし
+
|-
+
|2006年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki BEST of COUNT DOWN LIVE 2006-2007 '''A'''
+
|
+
|-
+
|2007年3月10日~6月10日
+
|ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 '''A''' ~Tour of Secret~
+
|初の海外公演を含むツアー
+
|-
+
|2007年7月28日~8月26日
+
|a-nation'07 BEST HIT LIVE
+
|7月28日、8月4日公演は出演なし
+
|-
+
|-
+
|2007年12月30日 31日(1月1日)
+
|ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2007-2008 '''A'''nniversary
+
|
+
|-
+
|2008年4月5日~6月18日
+
|ayumi hamasaki ASIA TOUR 2008 ~10th '''A'''nniversary~ (仮)
+
|開催予定
+
|-
+
|}
+
* 12月31日のカウントダウンライブの前日の12月30日にも、ほぼ同内容のライブが行われている。かつてはこの模様が[[WOWOW]]で放送されていた。2005年以前はこのライブのタイトルが「カウントダウン」を外したものとなっていた(例:ayumi hamasaki LIVE 2005-2006 '''A''')。
+
* 2005-2006年以降大晦日に行われるカウントダウンライブは[[TBSチャンネル]]で生放送されている。また、以前は[[スカイパーフェクTV!|スカパー!]]の[[パーフェクトチョイス]]で[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]方式で生放送(コピーネバー)されていた。
+
 
+
=== 現在のバンドメンバー ===
+
* 2008年1月1日時点
+
{| class="wikitable" style="font-size: 90%;"
+
|-
+
!担当
+
!名前
+
!備考
+
|-
+
|音楽監督
+
|小林信吾
+
|元キーボード担当
+
|-
+
|ギター
+
|[[野村義男]]
+
|鳥尾バンドメンバー
+
|-
+
|ベース
+
|エンリケ
+
|鳥尾バンドメンバー。元[[バービーボーイズ]]メンバー
+
|-
+
|ドラム
+
|江口信夫
+
|鳥尾バンドメンバー
+
|-
+
|キーボード
+
|宮崎裕介
+
|2004年より小林氏と代わり入った
+
|-
+
|}
+
 
+
== 出演番組 ==
+
=== テレビ ===
+
* [[ayu ready?]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])(2002年~2004年)
+
* [[スーパーテレビ情報最前線]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
+
** 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)
+
** 「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)
+
 
+
'''浜崎くるみ'''名義
+
* [[テレビ朝日]][[ドラマ]]「ツインズ教師」(1993年) 
+
* フジテレビ単発アニメ「[[バトルスピリッツ 龍虎の拳]]」[[ユリ・サカザキ]]役(声優)(1993年)
+
** 後に発売されたDVDでは権利等の問題からか、別の声優のものと差し替えられている。
+
 
+
'''浜﨑あゆみ'''名義
+
* [[東京放送|TBS]]ドラマ「[[未成年_(テレビドラマ)|未成年]]」(1995年)
+
* テレビ朝日[[土曜ワイド劇場]]「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年)
+
* テレビ朝日ドラマ「[[闇のパープル・アイ]]」(1996年)
+
* テレビ朝日土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇~財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年)
+
 
+
=== ラジオ ===
+
* 浜崎あゆみのオールナイトニッポン([[ニッポン放送]])
+
 
+
=== 映画 ===
+
いずれも'''浜﨑あゆみ'''名義
+
*パル企画「[[すももももも]]」(1995年) 
+
*パル企画「麗霆゛子総長最後の日」(1995年)
+
*[[東宝]]「[[渚のシンドバッド (映画)|渚のシンドバッド]]」(1995年)
+
*[[松竹]]「[[学校_(映画)|学校II]]」(1996年)
+
*[[徳間ジャパンコミュニケーションズ]]「[[湘南爆走族|湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人]]」(1997年)
+
ほか
+
 
+
== CM ==
+
 
+
:※自身の関係するCMのタイプは「本人出演かつ音楽も自身のもの」「本人主演のみ」「音楽のみ提供」にわけられる。
+
:※以下は主に本人出演のCM。★が付いているCMのみ音楽だけの提供。【 】は商品名。
+
:※[[コンパクトディスク|CD]][[シングル]]、CD[[アルバム]]、[[音楽配信]]、[[DVD]]などの音楽関連のCMも多数ある。
+
 
+
 
+
薩摩蒸気屋
+
*【かすたどん】(1980年代)
+
**CMの性質上、鹿児島ローカルでしか放送されていない。
+
 
+
[[SNK]]
+
*【'''[[龍虎の拳|龍虎の拳II]]'''】
+
**「ライバル編」(ユリ・サカザキ役)(1993年)
+
 
+
[[森永製菓]]
+
*【'''メレンゲショコラ'''】
+
**♪For My Dear...「メロディー編」(1998年)
+
*【'''こんがりショコラ'''】
+
**♪End roll -HAL’s Mix-「バーニング編」(1999年)
+
*【'''プチモンブラン'''】
+
**「勘違い編」(2000年)
+
**「栗だらけ編」(2001年)
+
**「あゆが回転編」(2002年)
+
*【'''ハイチュウ'''】
+
**「無言編」(2001年)
+
**「笛編」(2001年)
+
**「玉編」(2001年)
+
**「現在制作中編」(2001年)
+
**「変身編」(2001年)
+
**「宇宙船編」(2002年)
+
**「飛行機編」(2002年)
+
**「くじら編」(2002年)
+
**「つるの恩返し編」(2003年)
+
**「空とぶじゅうたん編」(2003年)
+
**「行け!巨人編」(2003年)
+
**「消えちゃう編」(2004年)
+
**「海でくっちゃら編」(2004年)
+
*【'''ベイク'''】
+
**♪About You「あゆ、至福・・・編」(2004年)
+
**♪is this LOVE?「春一番編」(2005年)
+
*【'''ダイエットウイダー'''】
+
**♪オリジナル「おなかすいた編」(2006年)
+
*【'''ウイダーinゼリー'''】
+
**♪オリジナル「扉編」(2007年)
+
**♪オリジナル「ビタミン好きな女編」(2007年)
+
 
+
[[花王]]
+
*【'''AUBE'''】
+
**♪Trust(★)(1998年)
+
**♪Boys & Girls「Boys & Girls編」(1999年)
+
**♪And Then「秋の色BE 374編」(1999年)
+
 
+
[[本田技研工業|ホンダ]]
+
*【'''[[ホンダ・ジョルノクレア|ジョルノクレア]](DX)'''】
+
**♪too late「3つのスケルトン編」(1999年)
+
**♪too late(1999年)
+
**♪too late - Soul Solution Remix(1999年)
+
 
+
[[日本たばこ産業|JT]]
+
*【'''[[桃の天然水]]、りんごの天然水'''】
+
**♪TO BE「登場編」(1999年)
+
**♪Trauma「メッセージボード編」(1999年)
+
**♪monochrome「キャンペーン編」(1999年)
+
**♪immature「ショーウィンドー編」(1999年)
+
 
+
[[ライコス]]
+
*♪Fly high「探せライコス編」(2000年)
+
 
+
[[たかの友梨]]
+
*♪Duty「Who are You?編」(2000年)
+
*♪Duty「恋する白肌編」(2000年)
+
*♪still alone「ラストーンセラピー編」(2001年)
+
 
+
[[ツーカー]]
+
*♪Far away「サイバードル編」(2000年)
+
*♪Far away「展開編」(2000年)
+
*♪Far away「No voice編」(2000年)
+
*♪Far away - HAL‘s Mix 2000「私は手に入れる編」(2000年)
+
*♪Far away - HAL‘s Mix 2000「キレイな色編」(2000年)
+
*♪End of the World「あふれる色編」(2000年)
+
*♪M「A MODEL編(監視カメラ編)」(2000年)
+
*♪オリジナル「学校編(放送室編)」(2001年)
+
*♪オリジナル「記者会編」(2001年)
+
*♪M - funstyle Mix「funstyle編(クラブサウンド編)」(2001年)
+
*♪Dearest「レコーディングスタジオ編」(2001年)
+
*♪HANABI「音楽があって、よかった編」(2002年)
+
 
+
[[コーセー]]
+
*【'''VISSE'''】
+
**♪vogue(2000年)
+
**♪SEASONS - D-Z BULE SUNBEAM MIX「偏光編」(2000年)
+
**♪evolution「みつばち編」(2001年)
+
**♪vogue - KirariNatsuAyu Mix「マーメイド編」(2001年)
+
**♪Naturally(2001年)
+
**♪I am...「悪魔編」(2002年)
+
**♪Naturally - dolly remix(2002年)
+
**♪July 1st(2002年)
+
**♪WE WISH(2003年)
+
**♪Ourselves「モードアップAYU編」(2003年)
+
**♪Moments「Kiss編」(2004年)
+
 
+
[[キリンビバレッジ|キリン]]
+
*【'''サプリ'''(清涼飲料水)】
+
**♪NEVER EVER「登場編」(2001年)
+
**♪NEVER EVER「新しい一歩編」(2001年)
+
**♪UNITE!「飲むサプリメント編」(2001年)
+
 
+
[[松下電器産業|パナソニック]]
+
*【'''ポーダブルMDプレイヤー「Dockin'style MD」'''】
+
**MJ50♪Daybreak「Ayuの空間編」(2001年)
+
**MJ55♪everywhere nowhere「新・AYUの空間編」(2002年)
+
**MJ57♪No way to say(2003年)
+
**MJ59♪walking proud「バージンな音へ編」(2004年)
+
*【'''SDマルチカメラ「[[D-snap]]」'''】
+
**AV10♪Daybreak(2002年)
+
**AV30♪Real me(2002年)
+
**AS10♪ANGELS SONG(2003年)
+
**AS30♪my name's WOMEN「薄AYU編」(2004年)
+
*【'''デジタルカメラ「[[LUMIX]]」'''】
+
**F7♪瞳にくぎづけ([[BREATH]])(2002年)
+
**F1♪Daybreak[HAL‘s Mix 2002](2002年)
+
**F1/FZ1♪Heartplace(2003年)
+
**FZ1/F1♪RAINBOW(2003年)
+
**FX5/FX1♪Because of You(2003年)
+
**FX7♪CAROLS(2004年)
+
**FX7♪CAROLS-CLASSICAL vorsion-「新色Ver.編」(2005年)
+
**FX8♪alterna(2005年)
+
**FX9♪Will「旅にルミックス編(舞妓AYU編)」(2005年) 
+
**FX01♪Ladies Night~another night~(2006年)
+
**FX07♪JEWEL(2006年)
+
**FX30♪part of Me(2007年)
+
**FX33♪talkin' 2 myself「おまかせiA編」(2007年)
+
**FX35♪Mirrorcle World (2008年)
+
*【'''ブラウン管テレビ「デジタルタウ」'''】
+
**♪Daybreak(2002年)
+
*【'''DVDレコーダー「DREAM」'''】
+
**♪Daybreak(2002年)
+
*【'''[[ミニコンポ]]「[[D-dock]]」'''】
+
**57MD♪Free & Easy(2002年)
+
**77MD♪everlasting dream(2003年)
+
**700MD♪GAME(2004年)
+
**710SD♪STEP you(2005年)
+
**SX800♪Bold & Delicious(2005年)
+
**SX850♪1 LOVE「ドッキングする!? あゆ編」(2006年)
+
*【'''プラズマテレビ「[[VIERA]]」'''】
+
**♪オリジナル「100M編」(2004年)
+
**♪オリジナル「ダイビング編」(2004年)
+
*【'''SDオーディオプレイヤー「[[D-snap]]」'''】
+
**SD100V♪STEPyou「アクション編」(2005年)
+
**SD350V♪Bold & Delicious(2005年) 
+
**SD370V♪Beautiful Fighters(2006年)
+
**SD800N♪1 LOVE「騒音を消す!? あゆ編」(2006年)
+
 
+
[[サントリー]]
+
*【'''[[BOSSコーヒー]]'''】
+
**♪L-O-V-E「工事現場編」(2002年)
+
**♪L-O-V-E「サンタ編」(2002年)
+
**♪L-O-V-E「ボクシング編」(2002年)
+
**♪L-O-V-E「花嫁編」(2003年)
+
**♪L-O-V-E「ウエスタン登場編」(2003年)
+
**♪L-O-V-E「決闘編」(2003年)
+
*【'''フレシネワイン'''】
+
**♪WHITE CHRISTMAS「本物のクリスマス編」(2004年)
+
 
+
[[ミスタードーナツ]]
+
*「出合い編」(2002年)
+
*「別れ編」(2002年)
+
*「追憶編」(2002年)
+
 
+
グッゲンハイム美術舘展
+
*♪INSPIRE(★) (2005年)
+
 
+
カメリアダイヤモンド
+
*「ブライダルハート バイク編」♪fairyland(★) (2005年)
+
 
+
[[カプコン]]
+
*【'''[[新 鬼武者 DAWN OF DREAMS]]([[プレイステーション2]]ソフト)'''】
+
**♪Startin'(★) (2006年)
+
 
+
ゼスプリインターナショナル
+
*【'''ゴールドキウイ'''】
+
**♪BLUE BIRD(★)「食べた瞬間編」(2006年)
+
**♪glitter(★)「ブランコ編」(2007年)
+
 
+
ほか
+
  
 
==関連項目==
 
==関連項目==
* [[三浦加納子]] - 専属[[ネイルアーティスト]]
+
*[[サイボーグ]]
 
+
*[[エイベックス]]
== 資料 ==
+
*[[インスパイヤ]]
<div class="references-small" style="-moz-column-count:2; column-count:2;"><references /></div>
+
  
== 外部リンク ==
+
{{アンサイクロペディア}}
* [http://www.avexnet.or.jp/ayu/ ayumi hamasaki official site]公式サイト
+
* [http://fc.avex.jp/ayu/index.html ayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu"]公式ファンクラブサイト
+
  
{{DEFAULTSORT:はまさき あゆみ}}
+
{{DEFAULTSORT:はまさきあゆみ}}
[[Category:日本の歌手]]
+
 
[[Category:エイベックス]]
 
[[Category:エイベックス]]
[[Category:過去のサンミュージック所属者]]
+
[[Category:盗作]]
[[Category:日本の作詞家]]
+
[[Category:日本のアイドル]]
+
[[Category:オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト]]
+
[[Category:NHK紅白歌合戦出演者]]
+
[[Category:浜崎あゆみの楽曲|*]]
+
[[Category:浜崎あゆみのアルバム|*]]
+
[[Category:日本の俳優]]
+
 
[[Category:1978年生]]
 
[[Category:1978年生]]
[[Category:福岡市出身の人物]]
 

2008年3月21日 (金) 11:46時点における版

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「浜崎あゆみ (妄想)」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。

浜崎 あゆみ(本名:濱崎步、はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )とは身体改造手術によりアンドロイドとなった日本人である。エイベックスの支配者の一人で極限流空手の使い手。通称・浜詐欺あゆみ

身体改造計画

浜崎あゆみは1998年にデビューしたがこの頃はまだ人間であった。しかしながら、自らの肉体が老けるのを恐れ、また、ライバルの宇多田ヒカルに勝つべく自らの肉体を改造する計画を立てる。

ファイル:宇多田ヒカル.jpg
これはライバルの宇多田ヒカル。It's Automatic!!!!!!!!!

現在彼女の身体は脳を含め全て機械で出来ており、このままいけばあと40億年は軽く存在し続けられると言われている。無謀な改造手術は初め腕や顔を取り替える事から始まった。その後、日本人としての国籍を捨て、マリアと自らの事を称した。すなわち、浜崎あゆみという人物は現在は存在しないのであるが、未だに日本では浜崎あゆみという名称で一般化されている。また、本人は未だに身体をアンドロイドにしたことを極秘事項としているため、そのような事を述べた場合中傷ととられる。しかし、人形化した自身の姿を披露することに抵抗はないようで「Alterna」など、よく自分を人形として見せたりする。ここまでやっても浜崎あゆみはまだ自分は人間であると称している。もちろん「目の付近」を見れば改造している事は誰にも分かる。近年は更なる変貌が見られ、ロケットパンチなどの機能を搭載する予定もあるという。しかし、近年になり左耳に修復不能のバグが見つかっている。

ちなみに断片化された元の彼女の肉体であるが、裏ルートでは頬や腕などが断片化されて売られており、フェチな人物によって数百億円の価値が付いている模様である。特に浜崎あゆみのは4兆円という破格の値が付いていると噂される。

だが、機械化の副作用は明らかに彼女の体(特に脳)に残っており、僅か数ヶ月で発言内容がコロコロ入れ替わる。 下記はその一例である。

 *「お姫様なんて呼ばれたくない」 → 数ヵ月後、自らの一人称を「姫」とする。

 *「歌詞に英語は使いたくない」 → いつの間にか普通に英語を使っている

近年は、アメリカの超生命体マドンナを模した改造も頻繁になされている(『インスパイア計画』)。

影響力

現在は浜崎あゆみの身体改造計画は多くの女性たちの支持を受けている。しかしながら、多くの男性達はその事に気づいていない。インポテンツ少子化が何故起こるのか、多くの男性達は理解していない。何故ならば、これらの全ての原因は、女性たちの多くが実は機械だからこそ起こることなのである。機械に対して勃起しなかったりすることは自然な反応である。また、機械が妊娠しない事は多くの人が知っている事実である。

このため、人々は未だ機械ではない幼女たちに対して勃起するのである。これがロリコンである。多くの女性たちがロリコンを嫌悪する理由は自分たちの本性を見抜く男性達を嫌悪するためなのである。

作詞法

浜崎あゆみはまた、独自の画期的な作詞方法を開発したことで著名となった。適当な歌詞を用意し、

  • 『俺』『私』などの一人称を『僕』に置き換える
  • 『あなた』『お前』などの二人称を『君』に置き換える
  • 語尾を現代的な口語体にする
  • 『儚い』という言葉をやたらと使う
  • 疑問文と過去形を多用する
  • 冗長にする(もとの歌詞では簡潔に描写されている内容を、聞き手のレベルに合わせてくどくど説明する)

などの簡単な操作を施すことによって、一瞬にして自分の歌詞としてしまうものである。この作詞法は、過去の名作を現在によみがえらせることができるものとして高く評価されている。また、演歌フォークソングの歌詞にこの作詞法を適用するとそのまま浜崎あゆみの歌の世界になってしまうことから、演歌やフォークソングのファン層と浜崎あゆみのファン層は同一の精神的基盤を持っていることが証明されている。

この作詞法を適用した例として、下記のようなものがある。

  • そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ(中島みゆき「時代」)
→今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう(浜崎あゆみ「SEASON」)
  • 人は悲しいくらい 忘れてゆく生きもの(Mr.Children「Tomorrow never knows」)
→人間(ひと)は皆悲しいかな 忘れゆく生き物だけど(浜崎あゆみ「Dearest」)

これはあくまでも独自の作詞方法であり、インスパイヤ、ましてやパクリではないので注意が必要である。

また、この作詞法を応用すれば、誰でも浜崎あゆみっぽい歌詞を作り出すことが出来る。下記はその一例である。

僕は、ひとりぼっちで泣きながらちぎった君と僕の写真を 手のひらにつなげてみたよ
写真の中の僕たちの儚いほほえみがにくらしいよ だけど理由もないんだ
ずっとずっと歩んできた長い旅路の後ろ姿を 僕たちはどうして忘れてしまうのかな?
あの頃の僕に戻ることができたら 君にもう一度会えるのかな?

関連項目


Uncy このページはアンサイクロペディアの記事・浜崎あゆみ (妄想)を利用しています。阿呆な執筆者のリストは履歴をご覧ください。