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[[2012年]][[1月16日]]、ファンクラブのブログにて離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請し受理された<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120117/ent12011719030016-n1.htm|title=浜崎あゆみさんの離婚が成立|date=2012年1月17日|accessdate=1月17日|accessyear=2012年}}</ref>。<!--発売前の作品、開催終了していないライブ等の記述はおやめください。宣伝行為とみなされます。-->
 
[[2012年]][[1月16日]]、ファンクラブのブログにて離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請し受理された<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120117/ent12011719030016-n1.htm|title=浜崎あゆみさんの離婚が成立|date=2012年1月17日|accessdate=1月17日|accessyear=2012年}}</ref>。<!--発売前の作品、開催終了していないライブ等の記述はおやめください。宣伝行為とみなされます。-->
 
[[2013年]][[12月]]に年下の学生と婚約した。このことは[[知っとこ]]と[[PON]]と[[超報道]]と[[エヴリィ]]以外で取り上げられた。帰国した時に彼氏公開した。このことは超報道以外のワイドショーで放送された。
 
ブッダイベントでも同伴した
 
このことはほとんどの
 
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=== テレビ ===
 
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* 2014年3月4日の各ワイドショー。
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* [[ayu ready?]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])(2002年 - 2004年)
ご成婚放送
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サンジャボ。お任せ(2014年3月9日TBS)
+
[[ayu ready?]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])(2002年 - 2004年)
+
 
* [[スーパーテレビ情報最前線]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
* [[スーパーテレビ情報最前線]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
** 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)
 
** 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年)
 
** 「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)
 
** 「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年)
*[[SMAPSMAP]](2013年)12月16日に再放送が放送された
 
*2013年12月17日の各ワイドショー 及び22日のサンジャポとお任せ、- 帰国模様放送
 
*音楽駅、(2013年12月27日、テレビ朝日)
 
*紅白(98年から2013年、NHK) - 2011年以前は下記参照。2014年11月23日のYahoo!で2014年は出ない事判明した
 
*2014年1月7日の各ワイドショー - 出国模様放送
 
ノンストップ(2014年1月28日、フジテレビ)
 
お家公開
 
2014年1月29日の各ワイドショー
 
ブッダイベント模様放送
 
2014年7月4日の目覚ましとPON。6日のサンジャポ
 
ライブ模様放送
 
  
 
以下、'''浜崎くるみ'''名義
 
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[[Category:日本のアイドル]]
 
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2024年4月12日 (金) 17:03時点における最新版

浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )は、日本歌手、元女優モデルである。

本名、濱崎 歩(読み同じ)。愛称はあゆayu。公式の英語表記はayumi hamasaki

福岡県福岡市出身。エイベックス・マネジメント所属。レコード会社は、Avex trax(エイベックス・トラックス)

人物[編集]

福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。 名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまき」ではなくて「はまき」である。歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『……達』、『……ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、煌びやかなスタイルの反面、自身の暗い心の闇の部分も歌詞に綴ることがあり、男女を問わず多くの若者から共感を得ている。浜崎自身も「CREA」として、作曲を手がけている。(小型犬)好きでチワワダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてきており、ライブツアーのMC中にステージに登場したり、ミュージックビデオに出演することもあった。この作曲ペンネームである「CREA」は愛犬「クレア」(ロングコートチワワ)から取られた要出典

タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北香港上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしており、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月CNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。

影響[編集]

1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカーなどとタイアップし、テレビ・雑誌などのメディアによる「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出し社会現象となった(後にベストジーニストネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。

来歴[編集]

- 1997年 モデルから女優・アイドルへ[編集]

小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行ポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現:サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年4月、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜﨑あゆみ」(『』の異体字である『』)に改名し、テレビドラマや映画などに出演していた。『アイドルオンステージ』などの音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強い活動であった。アイドル活動中に松浦勝人と知り合い、1996年末にサンミュージックとの契約が切れた後に本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。

1998年 - 2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ[編集]

1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で「浜崎あゆみ」としてデビューする。

1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得、約150万枚を売り上げた。同年4月14日発売の7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得する。同年8月11日発売の10thシングル「A」が初のミリオンセラーとなった。同年12月31日、『第50回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。この頃から女子高生を中心とした若者のカリスマ的存在になる。

2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。シングル「SEASONS」で136万枚を超える大ヒットとなり、アルバムも3枚のミリオンセラーを記録した。同年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞した。以降、2001年2002年ALL JAPANリクエストアワード2003年ベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。2000年12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛け、ミリオンセラーを達成した。同年12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。

2001年 - 2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇[編集]

2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバムとの同日発売で注目を集めた。夏には東京大阪名古屋福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。前年に続いて史上初二年連続CD総売り上げ200億円を突破した。また9月にはTOKIO長瀬智也との交際が明らかになった。12月12日には『songnation』に参加し、小室哲哉の作曲、自身の作詞のもとglobeKEIKOとのコラボシングル「a song is born」を発売した。

2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画『月に沈む』が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組『ayu ready?』がスタートした。

2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum 〜30th single collection live〜』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売し、Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーション・ビデオが作られるなど、この頃からプロモーション・ビデオの製作に力を入れるようになった。

2004年 - 2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期[編集]

2004年3月20日、総合司会を務めていた番組『ayu ready?』の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動エイベックス参照)。2006年6月21日に発売された40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する(総売上2,000万枚を達成しているのは他にB'zサザンオールスターズMr.ChildrenSMAPの4組のみ)。この年のNHK紅白歌合戦では11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。

2007年 - 2009年 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年[編集]

2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。また、自身初のアジアツアー(香港、台湾、上海)を敢行し、チケットがわずか三分で完売し、中華圏のマスコミに大きく報道された。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文樂(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。また、発売日直前の7月13日、長らく交際していた長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。

2008年4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』発売等、10周年記念の活動を行った。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。

2010年 - 現在 50thシングル、結婚と離婚[編集]

2010年、シングル50枚目の発売に向けて、作曲者を槇原敬之や、デビュー曲「poker face」などの作曲を手がけた星野靖彦や、活動再開をしたばかりの小室哲哉を作曲として迎え、3作連続シングルリリースし、『ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜』と題して、代々木体育館で7日間ツアーファイナルを開催した。また、8月28日より、日本のアーティストとしては初のデジタル3Dでのライブコンサート映画『A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜』が公開された。

2011年1月1日、カウントダウンライブ終了直後、Twitterおよび自身のファンクラブのブログにて、50thシングル「L」収録のウェディングソング「Virgin Road」を含む3部作のミュージックビデオで共演したオーストリア出身のモデル・俳優のマニュエル・シュワルツ[1]と結婚することを発表し[2][3]、同日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにて結婚式を挙げた[4][5][6]

2012年1月16日、ファンクラブのブログにて離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請し受理された[7]

諸疾患[編集]

内耳性突発難聴[編集]

2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白した。

その他[編集]

2008年12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷になり出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[8]

2011年9月16日、滞在先の米国で急性咽頭炎を発症し、体調不良で帰国する航空機に搭乗できなかったため、生放送の音楽番組の出演を急遽取りやめた[9]。出演については意欲的であり、手配の際の心情を自身のTwitter及びファンクラブ公式ブログに書き込みをしている。「出演に間に合うまで各地の航空会社搭乗券を探している」という内容の発言等、謝罪をしている。

諸騒動[編集]

暴言騒動[編集]

2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[10][11][12]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽も声明文を発表。一方、本人の声明文でなかったことなどから大炎上に繋がる。雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールの大部分が(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされている。なお、カウントダウンライブを行った国立代々木競技場での身体障害者用車椅子スペースは、緊急時すぐ避難できるよう、アリーナの左右入り口と指定されているため、暴言騒動となった「前列の障害者を罵倒」の信憑性はないと言える。また、DVDに収録さている終了際の浜崎あゆみのMCでは、浜崎自身の友達が本公演を見に来ていることを告げており、問題の動画は本公演での浜崎自身のMCを部分的に編集したものであることがわかる。

エイベックスお家騒動[編集]

2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[13]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの売り上げの40%を稼いでいた浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[14]。松浦と対立した依田は代表辞任に追い込まれた。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。

渋谷ゲリライベント[編集]

2009年4月7日午後3時ごろ「渋谷109」前のイベントスペースで自身の書籍宣伝を行った[15]。しかし、ゲリラであったにもかかわらず、数千人の見物客が集まり、その一部が車道にはみ出すなどして交通を混乱させた。その後、道路使用許可を取っていないことが発覚し、道路交通法違反の疑いで関係先が家宅捜索を受けた[16]。その後、所属事務所と広告代理店は、略式命令を出された[17]


作品[編集]

浜崎あゆみのディスコグラフィ を参照

受賞記録[編集]

音楽賞
日本レコード大賞
日本ゴールドディスク大賞
  • アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)
日本有線大賞
  • 大賞(2001年、2002年)
全日本有線放送大賞ALL JAPANリクエストアワードベストヒット歌謡祭
  • グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)
ワールド・ミュージック・アワード
  • Best-selling Artist/Japan(2001年、2005年)、Best-selling Artist/Asia(2002年)
  • Best Pops Singer/Japan(2003年)
その他の受賞
ベストドレッサー賞(2000年)
ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年 - 2005年)
ネイルクィーン(2001年 - 2003年)殿堂入り
バービーアワード(2001年)第1回受賞

ライブ(イベント含む)[編集]

A」はすべてロゴ表記

期間 ライブ(イベント)タイトル
1998年3月15日・26日 Velfarre Openinng
1999年5月8日 ayumi hamasaki SECRET LIVE at AKASAKA BLITZ
2000年4月28日 - 6月3日 ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第1幕
2000年6月21日 - 8月9日 ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第2幕[18]
2000年12月9日 UC SPECIAL LIVE ayumi hamasaki limited stage 2000 winter
2000年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki countdown live 2000-2001 A
2001年6月22日 - 7月7日 ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 A
2001年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A
2002年4月27日 - 6月15日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A
2002年6月29日・30日 ayumi hamasaki OPEN AIR LIVE 2002 A
2002年7月6日 - 28日 ayumi hamasaki STADIUM TOUR 2002 A
2002年8月3日 - 9月1日 a-nation'02 avex summer festa
2002年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2002-2003 A
2003年3月18日 - 5月27日 ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR
2003年7月19日 - 8月31日 a-nation'03 avex summer festa
2003年10月9日 - 31日 A museum 〜30th single collection live〜
2003年12月30日 - 2004年4月25日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2003-2004 A[19]
2004年7月31日 - 8月29日 a-nation'04
2004年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2004-2005 A
2005年2月1日 - 4月24日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 A 〜MY STORY〜
2005年7月30日 - 8月28日 a-nation'05 powered by ウイダーinゼリー
2005年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A
2006年3月11日 - 6月11日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 A 〜 (miss) understood〜
2006年7月29日 - 8月27日 a-nation'06 powered by ウイダーinゼリー
2006年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki BEST of COUNT DOWN LIVE 2006-2007 A
2007年3月10日 - 6月10日 ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A 〜Tour of Secret〜
2007年7月28日 - 8月26日 a-nation'07 powered by ウイダーinゼリー
2007年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2007-2008 Anniversary
2008年4月5日 - 11月2日 ayumi hamasaki ASIA TOUR 2008 〜10th Anniversary〜
2008年7月26日 - 8月31日 a-nation'08 powered by ウイダーinゼリー[20]
2008年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki PREMIUM COUNTDOWN LIVE 2008-2009 A
2009年4月12日 - 10月22日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜
2009年8月1日 - 8月30日 a-nation'09 powered by ウイダーinゼリー
2009年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2009-2010 A 〜Future Classics〜
2010年4月10日 - 7月25日</br>2010年10月2日 - 10月11日 ayumi hamasaki ARENA TOUR 2010 A 〜Rock'n'Roll Circus〜</br>ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜[21]
2010年8月7日 - 8月29日 a-nation'10 powered by ウイダーinゼリー
2010年12月30日・31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2010-2011 A 〜do it again〜
2011年5月9日 - 7月27日</br>2011年9月30日 - 10月13日</br>2011年10月18日・19日 ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A</br>ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A FINAL Chapter</br>ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A LIMITED EDITION
2011年7月30日 - 8月28日 a-nation 10th Anniversary for Life Charge & Go! ウイダーinゼリー
2011年12月29日 - 31日(1月1日) ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2011-2012 A 〜HOTEL Love songs〜
バックバンドメンバー
音楽監修:小林信吾
ドラム:浜崎大輔
ベースエンリケ
ギター野村義男
キーボード:友成好宏、宮崎裕介
コーラス:山崎陽子、ティム.ウェラード

出演[編集]

テレビ[編集]

以下、浜崎くるみ名義

以下、浜﨑あゆみ名義

NHK紅白歌合戦出場歴

出演順は「(紅組出演順)/(紅組出場者数)」で表す。

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1999年(平成11年)/第50回 Boys & Girls 14/27 野猿
2000年(平成12年)/第51回 2 SEASONS 15/28 L'Arc〜en〜Ciel
2001年(平成13年)/第52回 3 Dearest 14/27 ゴスペラーズ
2002年(平成14年)/第53回 4 Voyage 15/27 ポルノグラフィティ
2003年(平成15年)/第54回 5 No way to say 16/30 森山直太朗
2004年(平成16年)/第55回 6 Moments 18/28 ゴスペラーズ
2005年(平成17年)/第56回 7 fairyland 17/29 氷川きよし
2006年(平成18年)/第57回 8 JEWEL 16/27 スキマスイッチ
2007年(平成19年)/第58回 9 Together When... 18/27 槇原敬之
2008年(平成20年)/第59回 10 Mirrorcle World 1/26 布施明
2009年(平成21年)/第60回 11 Rule 1/25 EXILE
2010年(平成22年)/第61回 12 Virgin Road 1/22 EXILE
2011年(平成23年)/第62回 13 progress 1/25 NYC
TVCM
企業名(年) 製品名
薩摩蒸気屋(1980年代) かすたどん
SNK(1993年) 龍虎の拳2ユリ・サカザキ役)
森永製菓(1998年 - ) メレンゲショコラ、こんがりショコラ、プチモンブラン、ハイチュウ、ベイク、ウイダーinゼリー
花王(1998年、1999年) AUBE
ホンダ(1999年、2008年 - ) ジョルノクレア(DX)、ゼストスパーク
JT(1999年) 桃の天然水、りんごの天然水
ライコス(2000年)
たかの友梨ビューティークリニック(2000年、2001年)
ツーカー(2000年 - 2002年)
コーセー(2000年 - 2004年) VISEE
キリン(2001年) サプリ
パナソニック(2001年 - ) LUMIX、Dockin'style MD、D-snapD-dockデジタルT、DREAM
サントリー(2002年 - 2004年) BOSSコーヒー、フレシネワイン
ミスタードーナツ(2002年)
ソフトバンクモバイル(2010年)
エスエス製薬(2011年 - ) エスカップ

ラジオ[編集]

映画[編集]

以下、浜﨑あゆみ名義

脚注[編集]

  1. 新聞記事などでは俳優と書かれているが、映画・テレビドラマへの出演実績は皆無である。IMDbの当該項目
  2. (2011年1月1日) 浜崎あゆみ Twitterで結婚を発表 Twitter 2011年1月1日 [ arch. ] 1月1日
  3. (2011年1月1日) 浜崎あゆみが電撃結婚! オーストリア人俳優と交際4ヶ月 オリコン 2011年1月1日 [ arch. ] 1月1日
  4. (2011年1月2日) 浜崎あゆみさん、ラスベガスで結婚 読売新聞 2011年1月2日 [ arch. ] 1月2日
  5. (2011年1月2日) 元旦挙式の浜崎あゆみ 「彼がわたしのLast Angel」 産経新聞 2011年1月2日 [ arch. ] 1月2日
  6. しかし、日本国内での婚姻手続きをしていなかったため、戸籍上は独身のままである (2012年1月18日) 浜崎あゆみ:離婚成立…結婚生活たった2カ月 毎日新聞 2012年1月18日 [ arch. ] 1月18日
  7. (2012年1月17日) 浜崎あゆみさんの離婚が成立 2012年1月17日 [ arch. ] 1月17日
  8. (12月29日) 右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ オリコン 12月29日 [ arch. ] 3月30日
  9. あゆ無念…咽頭炎で帰国困難、米国で静養 - デイリースポーツ 2011年9月16日
  10. OP編原田 (2002-02-05) OP編原田 浜崎あゆみ ネット上の噂を否定 OOPSニュース 2002-02-05 [ arch. ] 11月9日
  11. 「浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁」サンケイスポーツ、2002年2月14日。
  12. 「あゆ暴言」東京スポーツ、2002年2月25日。
  13. エイベックス株式会社 (2004-08-01) エイベックス株式会社 avex group プレスリリース 当社人事に関する重要なお知らせ(速報) 2004-08-01 [ arch. ] 11月9日
  14. エイベックス株式会社 (2004-08-03) エイベックス株式会社 avex group プレスリリース 辞任取締役の復帰に関するお知らせ 2004-08-03 [ arch. ] 11月9日
  15. () BARKS 浜崎あゆみが渋谷の街にぶらり登場、109前は武道館公演規模の人だかり [ arch. ] 8月9日
  16. スポニチ (2009-08-28) スポニチ あゆ渋谷イベントで担当者ら11人書類送検 2009-08-28 [ arch. ] 8月9日
  17. スポニチ (2010-01-15) スポニチ 東京簡裁 あゆ事務所などに罰金5万円の略式命令 2010-01-15 [ arch. ] 8月9日
  18. 6月21日・22日公演は延期された。
  19. この年のカウントダウンライブはツアーに含まれた。
  20. 8月30日、31日公演のみ出演。
  21. 50thシングル発売記念による再追加公演。
  22. 後に発売されたDVDでは権利などの問題からか、別の声優のものと差し替えられている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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