東村山市

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東村山市(ひがしむらやまし)は、東京都多摩地域北部にあるである。

高田馬場駅まで西武新宿線で最短27分という地の利から、ベッドタウンとして開発が進められた。平成22年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は29.3%である。

地理[編集]

市域はの頭部を正面から見たような形をしている。武蔵野台地のほぼ中央、狭山丘陵の東縁に位置する。市内を流れる川(空堀川・野火止用水など)は荒川に注ぎ、多摩川に注ぐものはない。

空堀川は台風が来たときなどの大雨が降る度に溢れそうになるほどの水量となっていたが、流路の変更(直線化)、川幅を広げる等の大規模な河川改修工事が完了し、その一部は親水公園となっている。かつて川から水が溢れて、川に隣接する大岱小学校の校庭が水に浸かったことがあった。

当市の出身者でコメディアン、俳優の志村けんの『東村山音頭』によって全国的に市名が知られることとなった。その中にも出てくる多摩湖(村山貯水池)はほとんどが西隣の東大和市にあるものの、新宿副都心開発により閉鎖された淀橋浄水場の代替地となった東村山浄水場があり、都民が恩恵にあずかっている。

市の西部に狭山丘陵の東の縁があるが市域の大半は武蔵野台地の平坦な土地である。江戸時代の初めに幕府老中松平伊豆守信綱が掘らせたことから伊豆殿堀とも呼ばれる野火止用水や狭山丘陵から流れ出している空堀川から水利を得て、畑作が盛んなところだった。

隣接する自治体[編集]

歴史[編集]

市域には旧石器時代からの遺跡が分布し、縄文時代には笹塚遺跡をはじめ縄文中期の集落遺跡が数多く分布し、縄文後晩期では下宅部遺跡の存在が知られる。弥生時代の遺跡は皆無で、古墳時代には後期集落は見られるものの、古墳の存在は無い。

律令制下では武蔵国多摩郡に属し、奈良・平安時代の遺跡では完形の瓦塔東京国立博物館所蔵)が出土した東村山市No.2遺跡のほか、平安時代の池状遺構も見られる。古代には官道である東山道武蔵路の道筋が南北に比定されている。

平安後期には狭山丘陵に武蔵七党村山党が進出し、一族は鎌倉幕府御家人となった。鎌倉時代には鎌倉街道の上道が通り久米川宿を中心とする宿場として栄え、日蓮佐渡島に流刑される際に当宿に宿泊している。鎌倉末期には武蔵野台地を舞台に新田義貞率いる倒幕軍と幕軍の間で一連の合戦が起こり、市域では久米川の戦いが起きている。また、幕府滅亡後に成立した建武の新政に対して北条残党が蜂起した中先代の乱における合戦も起こっている。戦国期には相模国戦国大名である後北条氏の領国に含まれ、後北条領国では川越街道が整備されたため、相対的に鎌倉街道の重要性は薄れる。

江戸時代幕府直轄領となり、武蔵野台地の開拓が進む。また、尾張徳川家の設置した鷹場にも含まれる。明治維新後には野口村・廻田村・久米川村・南秋津村の各村は韮山県、次いで品川県の所属となり、1872年明治5年)に神奈川県多摩郡の所属となった。1878年明治11年)には郡区町村編制法により多摩郡北部が北多摩郡となり、1880年明治13年)には埼玉県入間郡に属していた大岱村も北多摩郡に編入となった。

1889年4月1日町村制施行の際に、北多摩郡野口村・廻田村・大岱村・久米川村・南秋津村が合併して東村山村(ひがしむらやまむら)となった。村名は、この一帯を村山郷といい、村域がその東部にあったことによるものである。

1894年以来2社8線9駅の鉄道が市内に通じ、古道以来の交通の要衝だったところに近代には周辺村からの人の流れと物資の集積地としての機能が発生し、鉄道開通による宅地化が進むなかで、現在の栄町一帯は西武新宿線開通後、東京都内の沿線では田無に次ぐ商業地域となっていく。

1942年4月1日に東村山町(ひがしむらやままち)となった。この段階では、東京府内の隣接自治体で最も早い町制だった。

1964年4月1日に東村山市となった。市制と同時に現在の各町が設置され、前後して富士見町に私立中学高校が複数開校し、1967年には新青梅街道1973年には武蔵野線が開通し、ベッドタウンとして開発が進められ、都営住宅や団地、官公庁住宅の整備が行われ、現在の市の姿となる。

産業[編集]

農業[編集]

  • 市制以前の主要な産業は畑作で、都内では有数のサツマイモの産地であり、養蚕東京狭山茶の産地として製茶絹織物の生産も行われる。現在は茶に代わり植木・苗木や梨の生産が多くなっている。
  • かつては立川市とならび東京うどの生産や麦作もあった。麦作の伝統により関東地方では少数派のうどん圏(武蔵野うどん)の一部を構成している。昭和30年代にはパン食の普及により小麦出荷で農協が財力を蓄えており三橋美智也を起用して東村山音頭を作成できたとされる。

工業[編集]

商業[編集]

駅および住宅地に隣接した商店街のほか、大規模商業店舗が一部の駅周辺にある。商工会が早期に地名の入らないドメイン名の取得およびサイト開設を行っている。 久米川駅西友の駅直結への反対や新小平駅水没事故時迂回対策の秋津駅と新秋津駅の連絡通路建設反対による工事中止など地元商店の保護に積極的である。

スーパー、ディスカウントストア[編集]

西友

  • 久米川店

イトーヨーカドー

  • 東村山店

コープとうきょう

  • 東村山駅前店

あまいけ

  • 久米川店
  • 青葉町店
  • 萩山店

いなげや

  • 東村山市役所前店
  • 東村山秋津店

オザム

  • 美住町店
  • ラーレ東村山店

さえき

  • 秋津食品館

サミットストア

  • 富士見町店

ビッグ・エー

  • 東村山本町店
  • 東村山青葉店

丸正

  • 久米川八坂店


ESBI

  • 久米川通り店

市内に本社を置く企業[編集]

人口[編集]

512px
東村山市と全国の年齢別人口分布図(比較) 東村山市の年齢・男女別人口分布図
紫色は東村山市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査2005年

昼夜間人口[編集]

2005年に夜間人口(居住者)は144,402人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は115,046人で昼は夜の0.797倍の人口で、夜間に比べて昼の人口は3万人弱ほど減る。昼間人口/夜間人口比が0.8以下の市は東京都区市部に5つしかなく、東村山市がオフィスや工場・学校が少なく住宅の多い都市であることが推察される。

通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者43,759人、市外から市内へ入る通勤者は18,471人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は7,124人、市外から市内へ入る通学生は3,056人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い[1]。なお、国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。

行政[編集]

市長[編集]

歴代市長[編集]

  • 小山林平
  • 熊木令次
  • 市川一男
  • 細渕一男

市議会[編集]

  • 議員定数:25
  • 議長:
  • 副議長:
  • 議員任期:2015年5月1日~2019年4月30日
  • 会派:◎は会派代表者、議員名の( )内数字は当選回数。(2015年5月8日現在)
  • 自由民主党市議団(7議席) ◎熊木敏己(3)・肥沼茂男(4)・石橋博(2)・小町明夫(2)・蜂屋健次(2)・土方桂(2)・小林美緒(1)
  • 公明党(6議席) ◎石橋光明(3)・伊藤真一(3)・駒崎高行(3)・村山淳子(2)・横尾孝雄(1)・渡辺英子(1)
  • 日本共産党(4議席) ◎山口美代(3)・佐藤直子(1)・鈴木嘉弘(1)・渡辺稔(1)
  • ともに生きよう!ネットワーク(3議席) ◎佐藤真和(4)・大塚恵美子(3、東村山・生活者ネットワーク)・白石悦子(1、東村山・生活者ネットワーク)
  • 草の根市民クラブ(2議席) ◎矢野穂積(6)・朝木直子(6)
  • 民主党(2議席) ◎奥谷浩一(3)・上町弓子(1)
  • 市民自治の会(1議席) ◎島崎洋子(6)

広域行政[編集]

  • 多摩北部都市広域行政圏協議会
    多摩地域北東部の西東京、小平、東久留米、清瀬、および当市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無、保谷を含めたものであるが、名称は合併後も継承されている。西東京市内に多摩六都科学館を持つ。
  • 東京都十一市競輪事業組合
    八王子、武蔵野、青梅、昭島、調布、町田、小金井、小平、日野、国分寺および当市の11市で京王閣競輪を開催している。

その他[編集]

  • 当市は革新市政になったことはないものの、市役所では長らく市職労(自治労)の影響力が強く、公明党日本共産党も強い地盤を持っている。このため、1990年代まで公務員ラスパイレス指数は非常に高く、東京都日野市武蔵野市福生市小金井市大阪府箕面市岸和田市などとともに全国自治体の最上位だった。高水準の給与は2000年代に入ると是正され、現在は平均的水準に抑えられている。
  • ベッドタウン開発が着手される前は、農家と富豪の邸宅が若干存在していたことを除き、全域が雑木林で占められていたため、その土地柄を活かして結核患者を対象とした診療所が多く点在していた。このうち、八国山緑地の麓にあった診療所は『となりのトトロ』作中にも出てきている。なお、現在市内に存在する総合病院は、すべてその診療所の跡地に建設されている。

自治体交流[編集]

国内[編集]

海外[編集]

国政・都政[編集]

国政[編集]

衆議院小選挙区選挙では東京20区(東村山、東大和、清瀬、東久留米、武蔵村山)に属する。近年選出の議員は以下のとおり。

都政[編集]

北多摩1区(東村山、東大和、武蔵村山)に属す。定数は3人。

  • 谷村孝彦(公明党)
  • 北久保真道(自由民主党)
  • 尾崎あや子(日本共産党)

施設[編集]

消防(東京消防庁)[編集]

管轄地域は市域に等しい。同署は第8方面本部の隷下にある。消防は市町村の責任業務であるが、多摩地域のほとんどの市町村は東京消防庁へ消防業務を委託しており、当市もそれに倣っている。

警察(警視庁)[編集]

東村山警察署(当市と清瀬市を管轄)

  • 八坂交番
  • 廻田駐在所
  • 久米川駅前交番
  • 久米川駐在所
  • 東村山駅前交番
  • 秋津駅前交番(所在地は清瀬市だが、東村山市の一部地域を管轄)
  • 青葉駐在所
  • 秋津三丁目交番
  • 萩山駐在所

水道(東京都水道局)[編集]

住宅団地[編集]

  • 東京都住宅供給公社久米川駅東団地 - 昭和43年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • グリーンタウン美住一番街
  • 久米川団地(美住町、1958年)
  • 南台団地(富士見町 1963年 現存 集約化)
  • むさしのiタウン四季の街

教育[編集]

小学校[編集]

市立

中学校[編集]

市立

私立

高等学校[編集]

都立

私立

大学[編集]

交通[編集]

国道は通っていない。主要地方道が東西南北に複数通り、道路交通の要衝となっている。

鉄道は西武鉄道の複数の路線が通っている。中心駅の東村山駅は乗換え駅となっている。

鉄道[編集]

バス[編集]

  • 西武バス
    • 久米川駅から恩多町・青葉町方面清瀬駅や新秋津駅、所沢駅へ、また八坂駅を通り富士見町方面東大和市駅立川駅へ。
    • 東村山駅から野口町・廻田町方面東大和市駅・立川駅へ。
    • 東久留米市境の野火止用水沿いを清瀬駅と花小金井駅を結ぶ路線が通る。
  • 銀河鉄道
    • 東村山駅から恩多町・青葉町から柳泉園グランドパーク(東久留米市)へ循環路線。
    • 富士見町の明治学院・桜華女学院・明法中学・高等学校から小川駅を経由して新小平駅を結ぶ路線が通る。※休止中

  開設当初は西武バスと銀河鉄道の2社による運行だったが、消費税8%化の値上げの際にPASMOを導入することになる。
  その際に銀河鉄道バスが撤退し、西武バスのみの1社運行になり、現在に至る。
いずれも東村山駅東口発で新秋津方面(多摩北部医療センター止まりの折り返しと交互運転)、久米川町循環、諏訪町循環の3方向への運行がされている。

道路[編集]

都道府県道

観光[編集]

名所旧跡等[編集]

祭・イベント[編集]

  • 菖蒲祭り(北山公園 毎年6月の第2土日)

著名な出身者[編集]

芸能[編集]

マスコミ[編集]

文化[編集]

スポーツ[編集]

当市を舞台とする作品[編集]

  • 映画『となりのトトロ』 - 舞台は八国山緑地とかつて結核療養所だった新山手病院と東京白十字病院がモデルとなった。東京白十字病院には1970年頃まで、メイとサツキの家によく似た和洋折衷の建物が集会室として使われていた。
  • アニメ『風人物語』 - 物語中、東村山駅が出てくる。
  • 漫画ケロロ軍曹 - 5巻45話にて、多摩湖自転車道路と共にその名称(作中では『南村山市』)が出てくる。
  • 人形劇「八国山のくぬぎばんば」-八国山が舞台の創作民話(地元劇団:人形劇団ポポロが制作上演)
  • 漫画20世紀少年 - 物語中、共同体の名として「東村山」が登場する。
  • 映画「感染列島」でゴーストタウン化した街を市内の多摩湖町と西武園ゆうえんちで撮影されていた。

その他[編集]

  • 市外局番 : 042

外部リンク[編集]

行政
観光
  1. 東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行152-153ページ