奈良小1女児殺害事件

提供: Yourpedia
2010年2月7日 (日) 11:07時点における119.245.159.5 (トーク)による版

移動: 案内検索

奈良小1女児殺害事件(ならしょういちじょじさつがいじけん)は、奈良県奈良市2004年11月17日、帰宅途中の小学校1年生の女子児童が誘拐され、のちに遺体で発見された、誘拐殺人事件である。

状況

11月17日夜、犯人が被害者の携帯電話を使って「娘はもらった」と母親にメール。そのメールには被害者の画像添付されていた。この携帯電話はGPS機能付のものだったが、犯人は使用後、携帯電話の電源を切っているか、その機能をOFFに設定している。

司法解剖の結果、水死と判明。肺にたまっていた水は汚れていなかった。水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押し付けて、水死させたと思われる。また、殺害時に被害者を裸にして殺害後に服を着せたと見られている。手足には擦り傷があり、この擦り傷は殺害後に意図的につけたものと判明した。も殺害後に数本抜かれていた。

被害者の衣服には毛が付着していたが、鑑定の結果B型とAB型の血液型のものということが判明。

12月14日未明、犯人と思われる人物から両親や親族の携帯に、「次は妹を狙う」と被害者の女児が持っていた携帯電話からメールが送られた。このメールにも被害者の画像が添付(1枚は11月17日のものと同じ)されていた。

12月30日奈良県警察本部は、毎日新聞販売店店員だった36歳の小林薫の自宅を家宅捜索し、女児の携帯電話とランドセル、ジャンパー(ジャンバー)などを発見し、誘拐を認めたため逮捕した。その後2005年1月19日に殺人と死体遺棄容疑で再逮捕された。

逮捕のきっかけは、女児の携帯電話から容疑者の携帯電話にメール発信がされたことにより、その通信記録から容疑者が割り出された。小林は行きつけのスナックで被害者の画像を店員や客に見せていた。小林の自宅からは幼児ポルノのビデオ80~100本や雑誌それに盗んだものと見られる女児の下着や衣類が約80枚、及びダッチワイフが押収されており、小児性愛者であった。

女児が小林の車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが、実際には行きずりの犯行で、小林は女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かったと自供している。

小林には過去に幼児へのいたずらの前科があり、性犯罪者を登録、監視する米国ミーガン法(性犯罪者の情報をインターネットで公開している)などにならった前歴者への監視を強めることの必要が議論された。

毎日新聞は小林が勤務していた奈良県北葛城郡河合町と以前勤務していた大阪市東住吉区の販売店との契約を2005年1月31日を持って解除することを明らかにした。東住吉区の販売店が処分をされたのは、新聞の購読料など23万円を小林に持ち逃げされた件で警察に被害届けを出した後に河合町の販売店で働いているのを把握したにもかかわらず、毎月3万円の返済をさせることを条件に警察には通報していなかったことが発覚したためである。

弁護士はアダルトアニメを高校生の時に見たことが性格を歪ませた原因だと逮捕直後に語ったが、いたずらを初めてしたのは14歳の時であり時期的に合わない。また、一部でフィギュアおたくではないかとデマが流れたが、彼はフィギュアを全く保有していない(これについての詳細はフィギュア萌え族を参照のこと)。アダルト系同人誌も保有していなかった。

裁判

2005年4月18日に初公判が開かれる。「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤宅間守として世間に名を残したい」という被告の述べた供述を検察は朗読した。宅間守は既に死刑執行されていたが、宮﨑勤は当時上告中であり、月刊誌「創」2006年1月号で、「精神鑑定も受けずに、『第二の宮﨑勤』は名乗らせません」と批判した。なお、その精神鑑定では反社会性人格障害及びペドフィリアと診断(宮﨑はペドフィリアとは診断されていない)され、2006年2月14日に鑑定書は奈良地裁に提出された。この事件の被告は月刊『創』2006年2月号から12月号まで獄中手記を連載していた[1]

なお、小林は幼少時から父親に暴力を振るわれていた。さらに、暴力を制止していた母親は10歳の時に難産のために亡くなった。またこの時に生まれた弟に障害が残ったため、家族は弟に付きっきりになり、犯人は孤独な状況にあった。また左目の視力が低いことなどから、中学時代には不良グループからいじめを受けていた。また、経済的に裕福ではなく小学校の頃から新聞配置のアルバイトで稼ぎ、中学卒業とともに就職していた。こういった環境の事情を考慮してほしいと弁護側は2006年6月26日に最終弁論で述べた。

2006年9月26日、被告に求刑通り死刑判決を言い渡す。なお、死刑は永山則夫の事件以降犠牲者一人では適用されない事が通例であり、事件自体の悪質性や被害者家族の心情を反映した判決となった。判決では小林はガッツポーズも見せ、判決後に弁護人に対し「死刑は覚悟していた」と述べた。弁護側は控訴したが10月10日被告は自ら控訴を取り下げ、死刑囚となった。

10月30日、遺族に弁護士を通じ、自分の行為は「人として最低な行為」であったが、「公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と書かれた文章を手渡そうとしたが、公判の様子からして本心からの謝罪だとは思われずに両親に拒否された。宮﨑勤や宅間守とも面会した長谷川博一教授は「ほかの2人と違い、悪いことをしたということはしっかり認識している」と述べている。

2007年6月16日に、控訴取り下げの無効を求める審理開始の弁護人の申し立てを大阪高裁は受理。

ネット関係

この事件に類似した内容の書き込みがmegabbsという掲示板にされており、犯人によるものか、もしくは犯行の参考にしたのではないかとテレビなどのメディアでも取り上げられて騒がれた。また、2ちゃんねるの「CCさくら板」でも事件の手口に似た内容のスレッドが立てられており、スポーツ新聞などに取り上げられた。

なお、カメラ付き携帯やメールが使われたために誤解されたが、小林はパソコンを持っておらず、上記掲示板と事件との関係はなかったと考えられる。

関連項目

脚注

  1. 月刊『創』(つくる)2006年

外部リンク