大和倶楽部

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大和倶楽部(やまとくらぶ)は、1938年4月に結成され、排英運動末次信正海軍大将擁立運動を推進した国家主義団体[1][2]。幹事会のほかに、毎月定例で、「石油国策の話」といったテーマで講師を招き、時局懇談会を開催していた[2]

『木戸幸一関係文書』中の河野恒吉の情報によると、石原広一郎が創設者、大川周明が幹事、徳川義親が会長となり、3月事件10月事件血盟団事件5.15事件神兵隊事件等の関係者で、在京の者を会員として組織されており、末次信正海軍大将の支持団体だった[2]

徳川日記」によると、会合の出席者には徳川義親らと関係の深い政・財界人や軍人、高級官僚も多く、八田嘉明大田耕造らの閣僚就任祝賀会、外務省枢軸派官僚として知られる白鳥敏夫栗原進の昇進祝いなどを行っていた[3]

大和倶楽部のメンバーは、1939年7月の有田・クレーギー会談と前後して、日本国内で当局の事実上の支援を受けて行われた排英運動に積極的に関与した[4]

付録

脚注

参考文献

  • 小田部 (1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192
  • 粟屋 小田部 (1984) 粟屋憲太郞・小田部雄次「『大東亜戦争』と徳川義親」『中央公論』vol.99 no.8 (1182)、1984年8月、pp.284-303、NDLJP 3365998/145 (閉)