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* 2013年 2015年[[世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史]](日本テレビ)
 
* 2013年 2015年[[世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史]](日本テレビ)
 
* 2014年5月28日。7月16日 11月19日。2015年12月16日。[[水曜日のダウンタウン]](TBS)
 
* 2014年5月28日。7月16日 11月19日。2015年12月16日。[[水曜日のダウンタウン]](TBS)
2014年6月14日。カウント(日本テレビ)
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のほほん本舗。(2014年8月15日。BS11)
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そこん所。(2014年8月29日。11月21日。テレビ東京)
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日本の味方(2014年9月5日。11月28日。2016年1月22日。テレビ東京)
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さんまジョブ(2014年9月15日。日本テレビ)
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カウント(2014年9月26日。日本テレビ)
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正亀(2014年11月8日。NHK)
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オモクロ(2014年11月23日。フジテレビ)
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平成ジャンプ(2014年11月29日。テレビ朝日)
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不思議(2014年12月6日。2015年1月24日。10月31日。1TBS)
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やり過ぎコージー(2014年12月26日。テレビ東京)
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国民遺産(2015年1月18日。テレビ朝日)
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驚いた日本(2015年2月14日。テレビ朝日)
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平成ジャンプ。(2016年1月15日。テレビ朝日。)
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日曜日ファミリア。(2016年1月17日。フジテレビ。)
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スカッと。(2016年1月25日。フジテレビ。)
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鼻高々。(2016年2月28日。テレビ朝日。)
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;報道・ワイドショー・スポーツ
 
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* 1993年 [[熱血ドラゴンズ宣言]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]])
 
* 1993年 [[熱血ドラゴンズ宣言]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]])

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伊集院 光(いじゅういん ひかる、1967年11月7日 - )は、日本お笑いタレントラジオパーソナリティ、元落語家。本名、篠岡 建(しのおか けん)旧姓、田中(たなか)。男性。

東京都荒川区西尾久出身。文京区在住。星企画5代目三遊亭圓楽一門が所属する芸能事務所)、フリーを経て、ホリプロ所属。

身長183cm。体重125kg(前後5kgぐらいは常に変動している)。東京都立足立新田高等学校中退。妻は元アイドルの篠岡美佳

来歴・人物[編集]

大柄な体型の「デブタレント」。雑学に長け、クイズ番組ではその培われた知識と「ひらめきの天才」と称される[1]推理力で上位の成績をおさめることが多い。

テレビ出演とは別にライフワークはラジオであると自負しており、TBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』に力を注ぐ。ラジオでは毒舌と下劣ギャグ、珍言妄言、自虐ギャグなど、テレビとは違う一面をみせる。

略歴[編集]

落語家時代[編集]

高校受験に失敗(入学した足立新田高校は当時倍率が1倍未満の底辺校だった)してからは部活動(野球部)を除いて不登校になり、アメ横の店員、スーパーの店員(惣菜製造など)といったアルバイトをしていた。

1984年7月、不登校を案じられて、父親の知り合いである「吉河さん」(後に大師匠である5代目三遊亭圓楽の実弟であることが判明)の紹介により圓楽一門へ入門。三遊亭楽太郎(現:6代目三遊亭圓楽)の弟子となり、三遊亭 楽大(さんゆうてい らくだい)として活動をはじめる。 その後、高校を卒業間近の3年生2月(ただし、本人曰く3年次はほとんど出席していなかったため、卒業に必要な出席日数を確保していたかは不明)に中退。

師匠には内緒で「伊集院光」の名でラジオ番組に出演し始める一方で1988年に二つ目昇進。入門5年目の同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人演芸大賞「落語の部」)本選に「子褒め」で出場を果たしている(他の本選出場の4人はいずれも修行年数が10年以上)。楽太郎から伝授された噺は40-50席以上。 楽太郎の弟子という関係で、日本テレビの番組「笑点」の「若手大喜利」にも出演していた。

1990年、「三遊亭楽大」ではなく「伊集院光」の名で人気を博し、脚光を浴びていたラジオ番組出演が一門に知られ問題となる。話し合いを重ねた結果、落語家としての籍を離れる(破門ではなく自主廃業)。この時、楽太郎は伊集院を擁護しており、2003年4月には三遊亭楽太郎一門会へ出演させたり、ラジオやテレビ[2]での共演もあるなど、楽太郎は未だに身内として扱っている。また、伊集院本人も楽太郎のことを「師匠」と呼び敬意を払っている。

現在、三遊亭楽大の名は楽太郎門下の別の落語家が名乗る。

ラジオ(ニッポン放送時代:1987 - 1995年)[編集]

1987年、元兄弟子の放送作家・石田章洋(三遊亭花楽京)からの誘い(ただし、人数合わせのサクラに近い)で、ニッポン放送のお笑いオーディション番組『激突!あごはずしショー』(1987年10月 - 1988年3月)に出演。このオーディションで優勝したことがお笑いタレントとしてのデビューのきっかけと語っている。

当時のキャッチフレーズは「オペラ座の怪人」を捩った「オペラの怪人」。タキシードで正装し、威風堂々と「オー・ソレ・ミオ」を「恐ぉ~れ山のイタコ」、「鰹風味のほんだし」(味の素「ほんだし」サウンドロゴ)を「鰹風味のふんどし~」、「静かな湖畔」の歌詞を「静香の眉間にシワがある~、クドークドー」など、替え歌ギャグをオペラ調に歌うギャグオペラ歌手という肩書きだった。

この頃はテレビの深夜番組や、『笑っていいとも!』、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で、上記のギャグオペラを披露する仕事が時々あったが、ギャグオペラと掲げてしまったためその言葉と内容に縛られ、リサイタルと称した舞台(お笑いライブ)でもギャグオペラのコーナーを設けなければならず、また当時は「足立新田高校声楽科中退」後イタリアに留学し、ルチアーノ・パヴァロッティに師事していたと語ってしまったため、ある程度オペラについての知識を勉強せねばならず苦労したという(足立新田高校に声楽科は存在しない。無論、留学やパヴァロッティに師事したという件も嘘である)。本物のオペラ歌手だと間違われて、オペラのCDのライナーノーツ(解説)の依頼があったという逸話もある。

『あごはずしショー』終了後は『山口良一のそれゆけ!土曜日行進曲』のレポーターなどを経て、1988年10月より冠番組『伊集院光のオールナイトニッポン』に登板。『あごはずしショー』で共演した岩井富士夫が制作スタッフであった『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(CBCラジオ)にも1989年10月より週1レギュラーで出演を始め、以来、名古屋でも断続的にレギュラー番組を持つようになる。

『オールナイトニッポン』では番組内から生まれた架空のアイドル・芳賀ゆいが話題になるなど、次第にコアな人気を集めていく。その後、平日夜の人気番組だった『三宅裕司のヤングパラダイス』の後番組パーソナリティの最終選考(2名)に残り、選ばれたのは内海ゆたお(現:ゆたか)(『内海ゆたおの夜はドッカーン!』)だったが、内海が精神的なプレッシャーのため11ヶ月で降板し、『伊集院光のOh!デカナイト』が開始されることとなった。

『Oh!デカナイト』も名物コーナー「ザ・ベースボールクイズ」をメインにしたイベントで西武球場のスタンドを中高生のリスナーで満員にするなど人気番組となるが、1995年4月に降板。

スポンサーとの軋轢や局側と喧嘩別れしたとされる形での4月末という改編期でない時期での終了などもあり、一夜限りの復活として開局50周年記念日スペシャル番組の中で『Oh!デカナイト』を放送する2004年までニッポン放送の番組への出演はなく、それ以降の出演もない。

その時期、『Oh!デカナイト』の企画で久保こーじと組み「荒川ラップブラザーズ」(略して「ARB」)のクレジットでラップのCDを出している。

TBSラジオ時代:1995-[編集]

1995年10月からTBSラジオの深夜番組『深夜の馬鹿力』を開始し、主なラジオでの舞台をTBSラジオへ移す。(同様にニッポン放送からTBSラジオへ移動したパーソナリティに天野ひろゆき爆笑問題などがいる。)

『深夜の馬鹿力』は2013年現在も続いており、1998年4月から2008年3月までの10年間にわたっては日曜午後のワイド番組『伊集院光 日曜大将軍』『伊集院光 日曜日の秘密基地』のパーソナリティも務めた。この時、一番長くアシスタントを務めたTBSアナウンサー竹内香苗からはその「妻に対する誠実な人柄」により「理想の男性」と評されている。

TBSラジオでの活動にて、いくつかの受賞をしている。2000年には小桜局長がコロッケパーティーを開催(ナイスプレー賞受賞)。2001年にはTBSラジオから「ゴールデンマイク賞」を授与されたが、トロフィーを自局の番組でリスナーにプレゼントしようとし、局長から止められた。2003年には放送批評懇談会から「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」を授与され、その授賞式では『深夜の馬鹿力』番組内の企画として成人用紙オムツを装着し、壇上で放尿しながら受賞スピーチをした。また、『日曜日の秘密基地』の2006年2月のスペシャルウィーク企画「どこの誰かは知らないけれど、話してみたらスゲー人スペシャル」にてギャラクシー大賞ラジオ部門を受賞。

毎年大晦日に在京3局(TBSラジオ、文化放送ニッポン放送)が持ち回りで担当していた全民放AMラジオ局およびラジオたんぱ合同の『ゆく年くる年』では、ニッポン放送時代に1992→1993年を、TBSラジオ時代には1996→1997年・1999→2000年と3度パーソナリティを担当した。

趣味・嗜好[編集]

多くは先述のラジオやテレビ番組にて語られた内容であるので注意されたい。

野球[編集]

日本ハムファイターズのファンとして知られる。

小学生の頃から社会人野球のファンとなり、後楽園球場で開催されている都市対抗野球大会に1人で通い、様々な企業の社歌を覚えていた。特に、後にOh!デカナイトでトラブルを起こしてしまった新日本製鐵のファンであった。 ほどなく後楽園をフランチャイズとしていたプロ野球の日本ハムファイターズのファンとなり、9歳の時にファンクラブに加入。ファンとなったきっかけは、初めて見に行った日本ハムの試合でホームランを打った千藤三樹男からサインを貰ったこと。田中幸雄選手(1986年 - 2007年在籍)の大ファンだった。 1996年7月には、東京ドームにて日本ハムの試合で始球式を行った。笑いを取ろうとして、日本テレビの大道具が製作した大リーグボール養成ギプスのレプリカを装着して登場したが、投球時に養成ギプスのバネの部分が乳首を挟み出血したというエピソードがある。

セ・リーグでは、東海地区で長年レギュラー番組を持っていたこともあり中日ドラゴンズを応援している。自身がレギュラー出演していた番組『スポケン!』(メ〜テレ)では取材の一環として中日のキャンプを体験し、落合博満監督(当時)からノックを受けたこともある。

プロ野球選手とはあくまで一ファンという立場で接し、電話番号を交換するなど親しくすることを避けている。また、おしゃべりの伊集院だが、観戦時は至って真剣で、誰かと一緒に観に行ってもプレーに集中し、ほぼしゃべらず、飲食もしないという。

決して運動神経が良い方ではなかったが高校時代は控え捕手(後に一塁手に転向)として野球部に所属していた。2003年からはラジオ番組スタッフや若手芸人をメンバーとした草野球チーム(現在のチーム名はビッグ・アスホールズ)を結成してプレイしている。

また、伊集院がプロデュースした芳賀ゆいのシングル『星空のパスポート』やカップリング曲の歌詞には「野球」のキーワードが含まれている。これは、高校時代、野球部に所属していた伊集院が「高校時代に可愛いポニーテールの女の子が野球部員(自分)に憧れる恋があったら……」という話をしたことから、作詞の段階で背景の一つとして含まれたもの。

『にわかファン』を極度に嫌う。滅多に優勝しないチーム(横浜ダイエーなど)が優勝して地元出身のタレントがファンと公言したにも拘らず主力選手の名前を言えなかった為。

家族[編集]

父は医薬品企業ライオンの研究員であり(最初はアンネ株式会社に勤めていたが、1993年にライオンが吸収合併する)、日本初の女性用生理用品「アンネナプキン」等の開発を担当した。伊集院は次男で兄・姉・弟がいる。母は料理教室のアシスタント・スタッフ。

日本テレビ系『うるとら7:00』で共演したタレント・篠岡美佳1995年11月7日に結婚。兄弟のいない彼女のため、婿養子となる。ペットは犬を3匹(ジャガイモ「ゴールデンレトリバー」、ナンキン「ミニチュアダックスフント」、カプチーノ「前出2匹の子」)飼っている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災およびそれに伴う原発事故の際には余震や放射能を心配して妻を和歌山県西牟婁郡白浜町の実家に犬を連れて一時帰宅させていた。事実上の別居状態であったが、仕事で名古屋・関西方面に訪れた際に会いに行くなど特に不仲ではなかったという。2012年5月に帰京している[3][4]

芸能界[編集]

若手芸人と番組スタッフ[編集]

事務所を問わず、まだ無名のタレントや芸人を見つけてきては自らの野球チームに半ば強制的に加入させることで関係が深めていくという(ただし伊集院の参加しているリーグの別のチームに参加する者も多い)。また、渡辺雅史池田卓生といった伊集院に関係するスタッフも半ば強制的に伊集院の野球チームに入っている。
落語家という厳しい上下関係の芸人の世界で育ったため、現在も芸人は縦社会という観念を強く持っているとのこと。現在は上に立つものとしての意識を持ち、若手に対し、野球の試合に出したり、自分の番組に出演させたり、深夜に遊びに来いと命令したり、伊集院がはまっている遊びにつきあわせたりと、何かと面倒を見たりこき使ったりしている。
番組アシスタントでブレイクしたアンタッチャブルサンドウィッチマンといった、後に『M-1グランプリ』で優勝する芸人、オテンキのノリ等『爆笑レッドカーペット』で脚光を浴びた人物もいる。以前はほとんど若手芸人に知り合いなどいない状況だったが、2003年草野球を始めたのをきっかけに若手と交流を持つようになった。

以下に、特に主要な芸人を付き合いを始めた順で記す。

テレビゲーム[編集]

少年時代からの家庭用ゲーム愛好家であり、『週刊ファミ通』などに連載を持つほか、ゲーム関連のTV番組(『GameWave』など)へ多数出演している。「ゲームのうまそうな有名人」ランキングでは総合4位に入っており、男性ランキングならびに20代ならびに30代の年代ランキングでは2位に入っている。

なお、これらの仕事を通じて発売前のサンプルソフトをゲーム会社からもらったり、開発事情を知る機会があるためゲーム関連の株式の購入を禁止されているとラジオ内で語っている。

好きなゲームは「風来のシレンシリーズ」と「実況パワフルプロ野球シリーズ」、「クレイジータクシーシリーズ」、「ガチャろくシリーズ」。「ドラゴンクエストシリーズ」はラジオの企画の題材としてよく登場する。人生で最も感動したゲームは『MOTHER』。同シリーズの熱狂的なファンで、完結作の『MOTHER3』発売直前には製作者である糸井重里とweb配信の生対談を行った。一方で他のRPGはほとんどプレイしていない。怖がりな性格のくせに「バイオハザードシリーズ」「SIREN」「零シリーズ」といったホラーゲームが好きで、恐怖を紛らわせるため若手芸人や友人と共に歌いながらプレイするという。

オテンキののりによると、伊集院はゲームの腕が伊集院に劣る後輩に対してはゲームのルールを独自に設定することにより最後の最後まで伊集院が勝つか後輩が勝つかわからない状態を作るよう配慮しているとのことである。

スーパーマリオブラザーズ』の発売とほぼ同時期に芸能活動を始めたことから、マリオが25周年を迎えた2010年、自分の芸能活動も25周年であることに気づいたとラジオで語っている。しかし、高校を中退して落語家として再スタートを切った人生の転機真っ只中であったことと、同時期発売の『ドルアーガの塔』にはまっていたことからスーパーマリオブラザーズの思い出はあまりないそうである。 ドラクエVではビアンカ選んだようだ。2016年1月15日の平成ジャンプで語っていた

漫画[編集]

藤子不二雄のまんが道が大のお気に入り。ラジオに作者の藤子不二雄Aを招いたことがある。

また、前述した野球好きと併せ、本を出す程野球漫画には造詣が深く(伊集院は「球漫」と名づけた)、『巨人の星』や『侍ジャイアンツ』に代表されるような漫画のフィクション性を生かした奇想天外な作品から、選手引退後スカウトに転身し新人発掘に勤しむ人物を描く地味な作品まで守備範囲は広い。中でもハロルド作石ストッパー毒島』を「宇宙一の野球漫画」とベタ褒めしている。

また「ヤンキー漫画」と呼ばれるジャンルの、いわゆる「不良礼賛」が嫌いなため、その両方の特性を併せ持った『ROOKIES』については連載初期から読もうか読むまいか悩んでいた(ドラマ版は「不良礼賛」要素が高まったため、視聴を初期の段階でやめている)。

音楽[編集]

映画[編集]

元々映画にあまり興味はなかったものの、尊敬する太田光に影響され少しずつ観るようになり、主に1950年代の日本映画を評価している。特に太田光に薦められて視聴した黒澤明作品への評価は高い。洋画ではテリー・ギリアム監督の『未来世紀ブラジル』やティム・バートン監督作品のファンで、テリー・ギリアム来日時にはインタビューが実現した。デヴィッド・リンチ監督の『マルホランド・ドライブ』を絶賛しており、ラジオのトークでもデヴィッド・リンチのテイストを取り入れたコーナーを作るなどして特に好む。

その他[編集]

  • 街のなんでもない風景や面白い光景を撮影するのを好む。この写真と川柳(下記参照)が複合した番組であるNHK-BS2の「カシャッと一句!フォト575」では司会に起用されている。
  • 趣味と健康維持をかねて自転車に乗る。愛用の自転車はAirnimalDesigns製のChameleon Sports という折り畳み自転車。また、好きな自転車メーカーを「ジャイアント」であると語っている。
  • 釣りに関しては「下手の横好き」であるが相当好きで、ある種類の魚を釣ろうと思い立ったらすぐ釣りに行く。
  • 「ニッポン放送からの移籍の際あるFM局からのオファーもあったものの、スタジオ内で喫煙が可能であったからTBSを選んだ」と本人が語っているほどのヘビースモーカーであったものの、2006年9月に咽頭浮腫で入院、退院後もタバコを吸いたいと感じなかった(医者からもやめるように言われた)からと言う理由でまったく吸っていない。ただし、 今は吸いたくないだけで禁煙した訳ではないとのこと。
  • 声優皆口裕子は、中学時代の一年先輩で、同じ人形劇クラブに所属していた[5]。なお、伊集院としては部活の籍を得ることが目的だったのでほぼ出席していない。
  • ツイッターでは、パンダの画像をプロフィールに使用していた。本人いわく「嫁さんの地元(南紀白浜アドベンチャーワールド)の人気者だから」と説明している。現在は自身の顔写真に変更されている。
  • ラジオ番組『深夜の馬鹿力』の「かかったかな?と思ったら中2病」コーナーをきっかけに「中二病」という言葉が俗語としての認知を得た。しかし、のちに意味や解釈については徐々に変質し、「もう僕の作った時の意味と違うから言葉自体に興味無いです」としている。

出演[編集]

ラジオ番組[編集]

現在

終了分

バラエティほか[編集]

現在
冠番組
出演番組
報道・ワイドショー・スポーツ

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

DVD[編集]

  • 2008年 「特典映像」(くりぃむしちゅー有田哲平監督作品)ビクターエンタテインメント
  • 2008年 『伊集院光のばんぐみのでぃーぶいでぃー』全2巻、各巻2枚組。ポニーキャニオン
  • 2009年 『伊集院光のでぃーぶいでぃー』全6巻。ポニーキャニオン
  • 2012年 『伊集院光のばらえてぃー』全6巻。ポニーキャニオン
  • 2013年 『伊集院光のばらえてぃーぷらす』全3巻。ポニーキャニオン

CM[編集]

書籍[編集]

関連書籍[編集]

  • ターザン No.182』マガジンハウス、1994年2月※インタビュー4項。
  • 『ラジオパーソナリティ〜22人のカリスマ〜』軍司貞則、扶桑社、1998年5月※ノンフィクション
  • 『ゲームの話をしよう(第2集)』永田泰大、エンターブレイン、2001年10月※週刊ファミ通の人気連載ページの単行本
  • 『うんちくブック』テレビ朝日「虎の門うんちく王選定委員会・編、双葉社、2003年9月※番組の書籍化
  • 『prints(プリンツ)21 2008年春号 特集・山口晃』プリンツ21 季刊版、2007年
  • 『クイック・ジャパン80』太田出版、2008年※伊集院光インタビュー
  • 『フリーマガジンR25 NO.211』リクルート、2008年10月8日※ロングインタビュー伊集院光[8]
  • 『少年サンデー1983 週刊少年サンデー8/15増刊』小学館、2009年7月15日※対談[タッチとボクと1983年]伊集院光+あだち充
  • 進研ゼミ 小冊子に出筆(テレフォン情報の声も担当)
  • 25ans (ヴァンサンカン)』ハースト婦人画報社 ※夫婦で見た映画・ビデオを妻と共同出筆で紹介するコーナー
  • SFアドベンチャー徳間書店、特集「笑撃文学」に自作の短編小説「神様志願」を掲載。 1993年夏季号(15巻3号 通巻152号)
  • プチセブン小学館、女子高生の格好の写真を掲載し、女子高生として悩み相談にのるという企画の連載。全12回。

ゲーム[編集]

CD[編集]

  • 『これでいいのだ』筋肉少女帯 --- ゲスト参加
  • 『VITAMIN』 電気グルーヴ --- 同上
  • 『星空のパスポート』芳賀ゆい 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1990年
  • 『ARAKAWA魂』 Arakawa Rap Brothers(伊集院光、久保こーじ)ソニーレコード、1992年
  • 『アナーキー・イン・AK』Arakawa Rap Brothers 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1992年
  • 『TRUE』米光倶楽部米光美保関根勤、伊集院光(「友情出演」))EPIC・ソニー、1993年
  • 『全裸マンのテーマ』丸裸三郎と全裸マンブラザーズバンド 株式会社ソニー・ミュージックレコーズ、1993年
  • 『FATMAN BROTHERS』FATMAN BROTHERS(伊集院光、石塚英彦、田口浩正) パイオニアLDC、1995年
  • 『あの素晴らしい愛をもう一度』FATMAN BROTHERS(伊集院光、石塚英彦、田口浩正)パイオニアLDC、1995年
  • 走馬燈(アルバム)』伊集院プロデュース。「伊集院光 深夜の馬鹿力」のリスナーで結成された「水死隊」→「焼死隊」→「変死隊」が歌唱。2000年から2001年にかけて数ヴァージョンが制作され、市場ルートに乗らない形で販売された。詳細は当該記事参照。
  • 『伊集院光選曲 おバ歌謡』(レーベル:東芝EMI ASIN: B000228X0A)オムニバス 2004年
  • 『日本昔ばなし〜フェアリー・ストーリーズ〜第10巻』伊集院光、今陽子、鶴見辰吾、山瀬まみ、他、コロムビアミュージックエンタテインメント、2005年※ホリプロ45周年記念企画朗読アルバム・シリーズ。日本昔ばなしをホリプロのタレントたちが朗読。あたまが池(伊集院光)

その他、TM NETWORKのアルバム『EXPO』収録曲「Crazy For You」に笑い声をサンプリングされている。

連載[編集]

  • 伊集院光接近につきゲーム警報発令中 『週刊ファミ通』(エンターブレイン) - 連載コラム
  • 伊集院光の深夜27時の買い物 『DIME』(小学館) - 連載コラム、放送作家・渡辺雅史との実質的な共著
  • 夕刊ツーカー(ツーカーオリジナルコンテンツ) - 週3回配信していたが、2006年9月29日でコンテンツそのものの終了により連載も終了。後に出版された書籍「のはなし」「のはなしに」は、このコンテンツを加筆修正したもの。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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