「中山孝太郎」の版間の差分

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歓楽街に出て残飯をあさる。山の麓の小屋に住み、蛇をとる。
  
 
言葉も忘れ、ただ生きているだけの主人公滝沢は、かって世話をしてやった黒川に出会い、
 
言葉も忘れ、ただ生きているだけの主人公滝沢は、かって世話をしてやった黒川に出会い、
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彼の恩を忘れない男気によって社会復帰への道が開かれるが、それすらも、滝沢にとっては、
  
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生きていく為ではない、それ以外の行動を起こさせたのが、車から優しく手を振った女性の存在であった。
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滝沢は、彼女を探した。もう一度、彼女に会いたいと思った。
 
滝沢は、彼女を探した。もう一度、彼女に会いたいと思った。
  
 
しかし、彼は小屋に戻り、蛇を食べて暮らすいつもの生活に戻るしかなかったのだ。
 
しかし、彼は小屋に戻り、蛇を食べて暮らすいつもの生活に戻るしかなかったのだ。

2010年2月15日 (月) 02:02時点における版

文学
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中山孝太郎 (なかやま こうたろう 1949年12月16日 - )は広島県生まれの小説家

東京中野区に長くいたが、現在は広島市在住。法政大学文学部卒業。

1998年長崎市にあるコスモス文学の会で「憔悴した点」が第68回コスモス文学新人賞受賞。

日本文藝家協会日本ペンクラブ会員

代表作品

  • 憔悴した点
  • 藪を這う
  • 現れた情景

  など   

外部リンク


人 物

カレはこうなった

1949年12月16日、広島生まれ。法政大学文学部卒

仕事は若い時代に防衛省や東京築地の魚河岸に勤めたのをはじめ、10指にあまる職業を経験する。


文学の活動はかれこれ川柳から始まって約42年が経過した。

小説は主には純文学であるが、ノンフィクションもある。

この世に日の目を見たのは、出版した数冊だけであるが、他に数百編の未発表作品がある。


1998年に第68回コスモス文学新人賞を受賞。

作品は「憔悴した点」過ぎ去った昔、幾多の困難があった。

そんな中、短編、中篇の純文学小説を書き続け、数百の作品がたまるが、日の目を見ない。

だが1997年、中山が人間の煩悩あるいは、こころの葛藤を描きぬいた僅か「1センチ4ミリ」を

争う世界の作品が、やっと芽生える。


==所属団体== 


日本文藝家協会、日本ペンクラブ、電子文藝館


孝太郎の予定

中山孝太郎の行動をマーク

カレはどんな生活をしているのか?

ひたすらに生活の事を考えて行動している。ワークのあらゆることについてである。

基本はノンフィクションであるが、思うようにはいかない。これが人生であろうか。

だが最後まで諦めてはいけない。自分で己の運命を切り開こう。為せば成る。

為さねば成らぬ。辛いことが多いと思う。それを乗り越えて楽がある。

まさに天と地は自分の仕切り方に因って、違ってくる。些細な事でも、

その都度運命は変わっている。今日の予定は、まず計画をしっかり立てたものを、

成る様に実行に移し、地道に努力する。成るまで頑張る。

この世に生かされているかぎりは、突き進まないと天罰が下る。

「ピンチはチャンス」は何度もないはずだ。とにかくやらないことには、話にならない。


作品の感想

「憔悴した点」

 思わせぶりで、深刻な出だしで始まるこの小説に、何事を作者は語りだすのだろうかと一気に話に引き込まれた。

誰にでもその深刻さの度合は違えどおこりうる間違いがその人の人生の全てを左右してしまうという話は興味深い。

作者が“点”という言葉に主人公の仕事と重ね合わせてこだわりをみせる所が面白い。

特に点滴の“点”という字を見て脳裏から取れなかったと言うエピソードはなる程と思う。

最後は、主人公の長年の秘密(悩み)がとけるわけだが、問題の土地を前にして主人公がへたり込み、

全身の力が抜けるシーンで“一点の世界の大地から、

いままで私が注ぎ込んだ活力よりも遥かなエネルギーの源が加えられた気がした”というくだりは、

この小説の主題をよく表わした秀逸の文章だと思う。


「藪を這う」

 悲しい話でした。主人公である“滝沢”は、もはや生きている、というだけで、

わずかばかりに残された気力は、生存する為にだけ使われる。

歓楽街に出て残飯をあさる。山の麓の小屋に住み、蛇をとる。

言葉も忘れ、ただ生きているだけの主人公滝沢は、かって世話をしてやった黒川に出会い、

彼の恩を忘れない男気によって社会復帰への道が開かれるが、それすらも、滝沢にとっては、

わずらわしいものでしかなかった。

彼はもう、なにもいらないのだ。そんな滝沢が唯一、心を動かしたのが、

生きていく為ではない、それ以外の行動を起こさせたのが、

車から優しく手を振った女性の存在であった。

滝沢は、彼女を探した。もう一度、彼女に会いたいと思った。

しかし、彼は小屋に戻り、蛇を食べて暮らすいつもの生活に戻るしかなかったのだ。