ネッシー

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ネッシーを撮影したとされる写真

ネッシーNessie)は、イギリススコットランドネス湖で目撃されたとされる、未確認動物ネス湖の怪獣 (Loch Ness Monster、ロッホ・ネス・モンスター) 」の通称。未確認動物の代表例として世界的に知られ、20世紀最大級のミステリーとして語られてきた。現在では懐疑的意見が多数となっている。

概要

特に1933年以降、イギリス最大の淡水湖であるスコットランド北部のネス湖で多くの目撃例が報告され、写真や映像が公表されてきた未確認動物。「ネッシー(Nessie)」の通称は世界的に使われるが、日本においては特にこの名が浸透している。科学の進歩で謎や不思議の少なくなった20世紀において、未確認飛行物体と並ぶ最大級のミステリーとして語られてきた。

その正体については諸説が提唱されてきた。目撃談や写真に捉えられた形状から、恐竜時代に栄えた大型水棲爬虫類である首長竜の生き残りという説が、古くから最も知られている。太古に絶滅したとされる大型獣が生存していたとすれば大きなニュースであり、ロマンを掻き立てられる話題でもある事から、期待を込めて支持を集めてきた面もある。他には竜脚類の生き残り説、哺乳類説、両棲類説、魚類説、海牛類説、古生代石炭紀に棲息した謎の無脊椎動物トゥリモンストゥルムの生き残り説など多数ある。

しかし、目撃証言や写真・映像の多くが、既知動物や船舶、流木、航跡、または波動など自然現象の誤認であるか、あるいは捏造と判定され、決定的な証拠はないとの見方が一般的である。その為、現在ではその存在について、否定的見解が大勢を占めている。

日本においても昭和の時代、最も知られた未確認動物であり、テレビ雑誌等でしばしば取り上げられた。国内で目撃証言のある類似の未確認動物に「~シー」という命名が盛んにされた(池田湖イッシー屈斜路湖クッシーなど)他、特撮ドラマ等の怪獣漫画のストーリー、登場メカの題材にもなった。日本中国からパンダが贈呈された当時の世論調査で、ネッシーがパンダの次に日本に来て欲しい動物に選ばれている。現東京都知事石原慎太郎はネッシーの存在を信じており、何度か捜索隊を組んでネス湖を調査している。『外科医の写真』が捏造だと発表された際には、非常に落胆していたと言う。

1977年日本漁船ニュージーランド沖で未確認動物の腐乱死体を引き揚げ、大きな話題となったが、これにニューネッシーの名がつけられた。ネス湖で目撃されるから「ネッシー」なのであり、このネーミングは不合理だったが、日本でネッシーの名が未確認水棲獣の代名詞であった事の傍証ともいえる。しかし、1980年代以降、メディアへの登場は徐々に減っていった。

目撃史

史上最古の記録は、690年頃にアダムナンが書いた「聖コロンバ伝」(VitaColumbae)とされる。文中でアダムナンは、565年に目撃されたネス川の怪物のことについて記述している。

目撃例が飛躍的に増えたのは1933年以降。これはネス湖周辺の道路がこの頃整備された為とされる。同年5月、湖畔でホテルを経営するマッケイ夫妻による目撃談が新聞報道され、話題を呼んだ。11月にはヒュー・グレイによる最初の写真が撮影、公表された。1934年4月にはいわゆる『外科医の写真』(後述)がデイリー・メール紙に掲載され、大きな反響があった(尚、1990年代になって、前述のマッケイ夫人による、グレイ写真以前の撮影とされる写真が公表されている)。

その後も現在に至るまで多くの目撃例があり、写真や映像も撮影されてきた。1951年のラクラン・スチュアートによる写真は、ネッシーの背中の三つのコブと思しき物体が捉えられており有名である。1955年、P・A・マクナブ撮影の写真は、湖岸のアーカート城址が写り込んでおり、それとの比較でネッシーの大きさが、湖面に出ているだけでも10~15メートル以上と推測できる貴重な写真とされる。  

映像では1960年、著書『ネス湖の怪獣』(大陸書房)で知られるネッシー研究家ティム・ディンスデールにより撮影された、対岸に向かって泳ぐネッシーを捉えたとされるフィルムが有名。また、1975年ボストンの応用科学アカデミー研究チームにより撮影された、ネッシーのほぼ全身と、頭部のアップを写したとされる水中写真は世界的なニュースとなった。

目撃例や写真は、水面に頭部や背中のように見える突起物が移動するところや、湖畔を巨大な姿で移動するもの、まれには陸上に上がったなど、さまざまである。このため、普段は水中に住むが、時々水面に頭などを出すのではないかとの説もある。サッチャー政権下のイギリスでは、ネッシーの保護が検討されていたともいわれる。

近年では2005年3月頃、ネス湖の湖畔で、シカの死体とともに長さ10センチメートルほどの牙状のものが見つかっており、一部ではこれをネッシーのとして、なおも存在を信じる人々がいる。2007年になってネッシーとするもののジャンプする映像が公表されたが、一見してCGだとわかる映像である。

最近は、過去に比べて目撃回数が明らかに減っており「ネッシーという種自体が絶滅寸前にあるのでは?」という意見が肯定派からなされている。

『外科医の写真』とその真相

1934年4月の早朝、ロンドン外科医(実際は産婦人科医)、ロバート・ケネス・ウィルソンは友人と共に写真を撮りにネス湖を訪れ、突然湖面に現れたネッシーを、持っていたカメラで撮影した(英語版WikipediaのLoch Ness Monsterに近くから写した写真が掲載されている)。この写真はデイリー・メール紙に掲載され、『外科医の写真』と称されて話題を呼んだ。岸が写っておらず、ネス湖を撮影したという確証はなかったが、首長竜を思わせる長い首がはっきり写されており、長らくネッシーの代表的写真として知られてきた。

しかし1993年11月、クリスチャン・スパーリングが死の間際に、この写真がトリックであったと証言した。首謀者は彼の養父マーマデューク・ウェザラル。彼らは、自ら発見したネッシーの足跡を偽物と判定された意趣返しに、おもちゃの潜水艦に30cmほどのネッシーの首の模型を付けた物を撮影したという。そして、知人であるウィルソンの医師という社会的地位に目をつけ、偽証を依頼したとの事である。ジョークのつもりだったが、世界的な話題になったことで引くに引けなかったともいう。

この告白は翌1994年3月イギリスサンデー・テレグラフ紙に掲載された。これにより、1枚の写真のみならず、ネッシーに関わる証拠すべてが捏造であったかのような報道が世界的になされた。しかし、この写真の件が明るみに出る以前から、ネッシー肯定派からも証拠能力への疑問が提示されており、多少なりとも事情に詳しい人間からすれば驚くようなニュースではなかった。

『外科医の写真』は既に1960年代より、写真に写る波の大きさや形状から、被写体が大型生物ではなく、数十cm程度の物体であることが指摘されており、水鳥カワウソの尾の誤認説が唱えられてきた。また1980年代には、研究者により、対岸が写った元の写真が発見された。これにより被写体が実際に小さかった事が証明されたのみならず、公表者が被写体の小ささを隠す為に、意図的にトリミングした写真を公開した疑いも指摘された。

以上のように元々『外科医の写真』は肯定派の大勢からも証拠として認定されていなかった。しかし一部の肯定派の中には、スパーリングの告白が、ウィルソンを始めほとんどの関係者の死後、90歳の高齢で行われた事、またサンデー・テレグラフの報道が、そのスパーリングも死去した後であった事から、報道内容に対して疑義を唱える者もいる。また、1934年当時、水中を潜航できるような潜水艦のおもちゃはなかった筈との主張もある。

  • 1974年初出の『ドラえもん』」(但し、劇中の「のび太補佐役」はドラミで、雑誌に掲載されたときは『ドラミちゃん』である)の1エピソード「ネッシーがくる」中で『外科医の写真』の検証がされている。ここでは動物学者モーリス・バートンの見解として、やはり被写体が小さい事が指摘され、カワウソの尾説が紹介されている。翻訳書以外で、日本でこの写真の疑問について言及した最初期の記録と見られている。尚、本作ではネッシーは実在する事になっている。

否定的見解

ネス湖畔にあるネッシーのイメージ銅像

20世紀後半には、それまで水中に生息していたとされていた竜脚類の大型恐竜は実際には陸生であったらしいことが明らかにされ、ネッシーがアパトサウルスディプロドクスなどの生き残りである可能性は薄らいだ。しかも、有力な証拠とされてきた写真が捏造であることが当の報告者から告白されたり(前述の『外科医の写真』など)、大規模な確認調査が失敗に終わるなど、実際に巨大生物が生息する可能性は極めて低いものとみなされている。

2004年、イギリスのパートン海岸に謎の生物の死骸が漂着し、その姿がネス湖のネッシーを彷彿させるため話題を呼んだ。漂着した死体は生物としては比較的小柄で、俗にミニ・ネッシー、ベビー・ネッシー、ミニ・ネス湖の怪物 (Mini Loch Ness monster)と呼ばれて注目を集めたが、最終的に「イルカの胎児」の可能性が高いと言われている。

2006年になり、当時サーカス団のゾウが、ネス湖の水辺に立ち寄っていた記録があることがわかり、ネス湖周辺の人々が「そのゾウを謎の巨大生物と見間違えたのではないか」という説が、イギリスの古生物学者クラークによって唱えられた[Clark(2006)]。同時に、特徴に相違点がありゾウではないとする説もある。

他に、北海からネス川をさかのぼったチョウザメ、湖面の波や流木などの説もある。チョウザメは、大型のものでは体長3mにもなり、ネス川河口で目撃された例がある。湖面の波については、地元の船乗りにはネス湖は強い南西風によって潮目のような線状の長い波が立つことが知られている。こうした波、あるいはボートの航跡が、時にネッシーの航跡、あるいはネッシーのこぶとして目撃されたと思われる。実際、ネス湖をよく知るネス湖の船乗りからはネッシーの目撃例はほとんどなく、目撃例の多くは旅行者や、ボートに乗らない湖岸の住人からである。また、周囲の川から流れ込む流木はラングミュア循環現象で湖の中心部に集まるが、夏~秋には、南西風によって静震現象が発生し、流木を風上方向に流す。風下から風上に流れる流木が高速で移動する生物のように見える。

これまでの科学調査はいずれも大型爬虫類(あるいは動物)の存在を否定する研究結果ばかりが出ている。

  1. ネス湖の地域は11,000年前まで氷河に覆われており、ネス湖ができたのはその氷河が溶けてから。そのため、約6,500万年前に絶滅したとされる首長竜等の大型爬虫類がネス湖で生き残っているということは考えられない。
  2. ネス湖が海とつながって大型爬虫類がネス湖に住み着いたという仮説があるが、1994年ボーリング調査による地層の詳細探索で、ネス湖地域の氷河が溶け出して以降に海水がネス湖に入り込んだ痕跡は皆無。
  3. 周囲の川から泥炭が流れ込むネス湖では透明度がわずか3mほどしかなく、食物連鎖の底辺となる植物性プランクトンがきわめて少ない。それを裏付けるようにネス湖の魚類は湖の規模からすると非常に少ない。ネス湖全体で17~24トン程度の魚類しか生息してないとみられ、この漁量では体重200kgを超える大型肉食海獣なら10頭程度しか生息できない。ましてや体長10mを超えるような生物の存在確率は無に等しい。
  4. 爬虫類が繁殖するには最低でも30~40頭の個体数が必要。また爬虫類は肺呼吸である。したがってネッシーが爬虫類であるなら、30~40頭の個体が呼吸のために頻繁に湖面に顔を出すことになり、目撃例は非常に多くなるはずである。「謎の生物」にはなり得ない。
  5. 1987年の大規模なローラー作戦を始めとするソナー調査でも、大型生物は発見されていない。湖底にネッシーの巣となる洞窟があるという説もあるが、石灰層などと異なり、地質学的に洞窟があることは考えられない。ネス湖はグレート・グレン断層の地溝帯であり、氷河による浸食でU字型に形成された。岩盤は非常に固い。実際、水中カメラによる海底探査でも、湖底はほぼ平坦で、洞窟ができるような地形ではなかった。
  6. これまでネッシー実在の有力証拠と言われたフィルム、ビデオ、写真に関しては、21世紀になってからコンピュータによる解析などによる再調査が進み、いずれも、ボートの航跡、群れをなした水鳥、ボート、流木、あるいは小さな影(巨大生物の影と思われたものが、地形や背景の調査によって巨大生物ではなく実は小さな影であることが確認された)であることが確認された。(『外科医の写真』については前述の通り)


参考文献

  • Neil Clark, an article in Open University Geological Society Journal, March (2006).

関連項目

  • ニューネッシー
  • イッシー
  • クッシー
  • モラーグ(ロッホ・モラー・モンスターとも言う。ネス湖より南西50kmの位置に在るモラー湖に住むという怪物。ネス湖とモラー湖は地底で繋がっていて両者は同じ生物であるという説もある。またスコットランドは湖沼が多い国で、それぞれの湖沼に怪物の目撃談がある)

外部リンク