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'''マイヤ・ミハイロフナ・プリセツカヤ'''([[ロシア語|露]]: '''Майя Михайловна Плисецкая'''、1925年11月20日生まれ)は[[ロシア]]の[[バレエダンサー]]。しばしば現代最高のバレリーナと呼ばれる。
'''株式会社 アーツビジョン'''(英表記:'''ARTSVISION Inc.''')は[[日本]]の[[芸能事務所]]。主に[[声優]]のマネージメントを手掛けている。
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== 概要 ==
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==生い立ち==
[[東京俳優生活協同組合]]のマネージャーだった[[松田咲實]][[1984年]]に独立し設立。
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[[モスクワ]]の芸術家を多く輩出する有名な[[ユダヤ人]]一家に生まれた。エンジニアの父の仕事の都合で、[[スピッツベルゲン島]]の学校へ通う。1938年、父親は[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の粛正により処刑され、サイレント映画女優だった母親は[[カザフスタン]]へ強制送致され、母方のおばにあたるバレリーナ[[スラミフィ・メッセレル]]の養子となった。
  
初期に所属していた若手声優は板稽古(舞台稽古)の経験が少ないため(遠近感のある演技力を身につけるため、古参の養成所は舞台稽古を多くやらせる)、声に奥行きが無いと評されていた。また、かつて[[日本ナレーション演技研究所]]出身者の初期メンバーの女性声優を中心とする当時の人気声優が、[[1990年代]]後半に大量離脱する事態が起きている(以前から現在に至るまで離脱する者が少なくない)。原因については、付属養成所である[[日本ナレーション演技研究所]]出身者と、それ以外の声優との間に待遇面で格差があるのではないかという憶測や、フロムAで募集を行ったバイトのマネージャーの質の問題や、当時の全盛で声優業界にも進出していたゲーム業界の影響(事実上の引き抜き)を指摘する声もあるが、確証は無い。
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1934年、一家は休暇のためモスクワに帰りその期間中に、帝室バレエ学校のエフゲニヤ・イワノヴナ・ドリンスカヤのクラスに編入する。バレエを始めて1年目で「軍縮会議」という演目の中国人役で舞台に舞台に立つ。その後再びモスクワに戻り、教師は変わりバレリーナであった[[エリザヴェータ・ゲルト]]のもとで6年間学ぶ。1943年にバレエ学校を卒業し、[[ボリショイ・バレエ]]に入団した。
  
[[声優#アイドル声優|アイドル声優]]ブームの中心的存在だったことでも知られており、ピーク時には[[林原めぐみ]]を筆頭に、[[三石琴乃]]、[[椎名へきる]]、[[横山智佐]]、[[白鳥由里]]、[[天野由梨]]など名が売れていた声優を多く抱え、人気声優の宝庫でもあった。現在でも[[堀江由衣]]など、アイドル声優として活躍する所属声優が多い。だが近年は[[1997年]]に設立した子会社の[[アイムエンタープライズ]]との間で役割分担が行われており、若手声優の新規所属は少なめとなっている。
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==活動歴==
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バレエ学校卒業後、ボリショイバレエ団にコール・ド・バレエ(群舞を担当するダンサー集団)として入団。ボリショイ劇場以外での公演に積極的に出演し経験を積む。入団1年目を終えるころに、欠員のため「くるみ割り人形」のマーシャ役に抜擢された。
  
また、両事務所間において、[[2003年]][[鈴木千尋 (声優)|鈴木千尋]][[浅野真澄]]がアイムからアーツへ移籍した事を「アイム(2軍)からアーツ(1軍)へ『昇格』した」とする一部声優ファンの主張がある。しかし、近年アイムが声優事務所としての組織作りや人材育成を進めるにつれて、アーツからの自立を強めている傾向が見られ、更に[[2007年]]1月にアーツの看板声優であった[[田村ゆかり]]がアイムへ移籍した事から、現在の実情は既に同一の社長(グループ)を戴くのみの別事務所に近い関係となっているとの見方が強まりつつある。ただし、田村に関しては専属マネージャーの異動に伴い移籍しただけなので、この話の対象外であるとの考えもある。
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[[アンナ・パヴロワ]]の代表作「[[瀕死の白鳥]]」を演じ、当たり役とする。また最大の当たり役は、「[[白鳥の湖]]」のオデット/オディール(1947年)、「[[眠れる森の美女 (チャイコフスキー)|眠れる森の美女]]」のオーロラ姫(1961年)である。跳躍の高さ、柔軟で大きく反る背中、技術の確かさ、カリスマ性すべてにおいて高く評価されたが、劇場上層部の彼女への待遇はあまりよいものではなかった。[[反ユダヤ主義]]的風潮のなかで1956年の国外公演には同行が許されなかった。1958年、作曲家[[ロディオン・シチェドリン]]と結婚、翌年には[[ソ連人民芸術家]]として表彰される。1959年に彼女が西側世界に初めて登場すると、バレエ界は大きな衝撃を受けた。
  
== 会社概要 ==
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1960年、[[ガリーナ・ウラノワ]]が引退すると、ボリショイ劇場の[[バレリーナ|プリマ・バレリーナ]](首席バレリーナ)に任命される。1967年ソヴィエトで制作された『[[アンナ・カレーニナ]]』の映画版では、トヴェルスコイ公爵夫人(ヴェッツィ)を演じ、1971年には、シチェドリンの作曲、自身の振り付けによるバレエ版「アンナ・カレーニナ」を発表し、主役アンナを演じた。他に[[ユーリー・グリゴローヴィチ]]、[[ローラン・プティ]]、[[アルベルト・アロンソ]]、[[モーリス・ベジャール]]などの著名な振り付け師が彼女のために作品を振り付けている。
*代表取締役…[[町田泉]]
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*本社所在地…[[東京都]][[渋谷区]][[代々木]]1-14-3 松田ビル3階
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*関連会社…[[日本ナレーション演技研究所]](付属養成所)、[[アイムエンタープライズ]]、[[アイムエンタープライズ#VIMS|VIMS]]、[[アイムエンタープライズ#クレイジーボックス|クレイジーボックス]]、[[澪クリエーション]](旧「摂河泉21」。[[大阪]]を拠点とする系列事務所)
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*[[2005年]]の申告所得4400万円
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== 所属声優 ==
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1980年代には、シチェドリンとともに海外で過ごすことが多くなり、ローマ・オペラ・バレエや、[[マドリッド]]のスペイン国立バレエの芸術監督を務める。65歳で、ついにボリショイ劇場のソリストから引退したが、その後も芸術活動を続けている。70歳の誕生日には、ベジャールの振り付けによる「アヴェ・マイヤ」を初演。
=== 男性 ===
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*[[朝倉栄介]]
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*[[東龍一]]
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*[[伊井篤史]]
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*[[石森達幸]]
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*[[井上悟 (声優)|井上悟]]
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*[[大久保利洋]]
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*[[大西健晴]]
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*[[岡和男]]
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*[[小田久史]]
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*[[鶏内一也]]
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*[[梶裕貴]]
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*[[勝田久]]
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*[[北島淳司]]
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*[[桑原敬一]]
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*[[西前忠久]]
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*[[笹田貴之]]
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*[[笹沼晃]]
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*[[沢木郁也]]
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*[[志賀克也]]
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*[[清水俊彦]]
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*[[下和田裕貴]]
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*[[鈴木勝美]]
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*[[鈴木千尋 (声優)|鈴木千尋]]
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*[[鈴村健一]]
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*[[高木渉]]
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*[[高階俊嗣]]
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*[[高椋康裕]]
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*[[武内健]]
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*[[竹内良太]]
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*[[夛中一忠]]
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*[[田村健亮]]
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*[[千葉一伸]]
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*[[土屋トシヒデ]]
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*[[徳丸完]]
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*[[飛田展男]]
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*[[戸部公爾]]
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*[[鳥海浩輔]]
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*[[中川慶一]]
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*[[中嶋一成]]
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*[[中村伸一]]
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*[[長嶝高士]]
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*[[西健亮]]
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*[[西嶋陽一]]
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*[[西村知道]]
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*[[野中秀哲]]
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*[[萩道彦]]
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*[[筈見純]]
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*[[長谷部浩一]]
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*[[林聖人]]
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*[[原田正夫 (声優)|原田正夫]]
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*[[檜山修之]]
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*[[福島潤]]
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*[[藤田圭宣]]
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*[[保志総一朗]]
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*[[星野充昭]]
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*[[細井治]]
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*[[前野智昭]]
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*[[松田健一郎]]
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*[[丸山詠二]]
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*[[丸山純路]]
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*[[幹本雄之]]
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*[[水鳥鉄夫]]
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*[[宮田浩徳]]
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*[[望月健一]]
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*[[森川智之]]
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;や行
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*[[山口登 (声優)|山口登]]
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*[[山田義晴]]
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*[[吉田智則 (声優)|吉田智則]]
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=== 女性 ===
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1994年からは自身の名を冠したマイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクールの審査員長を務めている。
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*[[相田さやか]]
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*[[浅川悠]]
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*[[浅倉杏美]]
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*[[浅野真澄]]
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*[[天野由梨]]
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*[[有馬瑞香]]
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*[[石塚さより]]
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*[[植原みゆき]]
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*[[内山侑子]]
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*[[宇乃音亜季]]
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*[[大竹裕子]]
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*[[大塚さと]]
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*[[大西望]]
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*[[岡田佐知恵]]
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*[[岡本章子]]
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*[[岡本嘉子]]
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*[[加納千秋]]
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*[[狩野茉莉]]
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*[[木藤聡子]]
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*[[木野智香]]
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*[[倉田雅世]]
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*[[桑谷夏子]]
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*[[小池亜希子]]
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*[[小池いずみ]]
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*[[河本明子]]
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*[[小菅真美]]
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*[[小林由美子]]
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;さ行
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*[[榊原望]]
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*[[坂本千夏]]
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*[[佐久間紅美]]
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*[[笹島かほる]]
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*[[笹本優子]]
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*[[椎名へきる]]
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*[[篠原あけみ]]
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*[[志乃宮風子]]
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*[[島村香織]]
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*[[下田麻美]]
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*[[進藤こころ]]
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*[[神宮司弥生]]
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*[[菅谷政子]]
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*[[菅原祥子]]
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*[[鈴木れい子]]
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*[[須部和佳奈]]
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*[[高橋かおり (声優)|高橋かおり]]
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*[[高橋沙織]]
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*[[たかはし智秋]]
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*[[鷹森淑乃]]
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*[[瀧本富士子]]
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*[[橘ひかり]]
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*[[田村聖子]]
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*[[千々松幸子]]
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*[[津々見沙月]]
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*[[出口茉美]](預かり)
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*[[手塚ちはる]]
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*[[手塚ゆかり]]
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*[[東條加那子]]
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*[[富坂晶]]
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*[[中村繪里子]]
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*[[中村紀子子]]
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*[[中村公子]]
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*[[ならはしみき]]
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;は行
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*[[長谷川明子]]
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*[[服部加奈子]]
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*[[花咲きよみ]]
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*[[羽村京子]]
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*[[早水リサ]]
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*[[原えりこ]]
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*[[半場友恵]]
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*[[引田有美]]
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*[[藤田咲]]
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*[[藤田麗子]]
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*[[外村晶子]]
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*[[堀江由衣]]
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*[[又吉愛]]
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*[[松久保いほ]]
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*[[松下美由紀]]
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*[[まるたまり]]
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*[[三浦雅子]]
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*[[みきさちこ]]
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*[[水落幸子]]
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*[[水橋かおり]]
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*[[三石琴乃]]
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*[[宮川香月]]
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*[[森夏姫]]
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*[[門田幸子]]
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*[[山門久美]]
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*[[山下亜矢香]]
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*[[山田美穂]]
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*[[山本美由紀]]
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*[[結まある]]
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*[[吉住梢]]
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*[[芳野美樹]]
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*[[渡辺久美子]]
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== かつて所属していた声優 ==
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2003年、宝塚歌劇星組公演「[[アイーダ|王家に捧ぐ歌]]」の振付を担当し話題になった。
=== 男性 ===
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*[[有沢俊浩]]
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*[[飯田浩志]](現所属:[[シグマ・セブン]])
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*[[石塚堅]](現所属:[[アクセント (プロダクション)|アクセント]])
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*[[岩永哲哉]](現・フリー)
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*[[今井浩司]]
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*[[うえだゆうじ]](旧名:上田祐司。現所属:[[大沢事務所]])
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*[[押田浩幸]]
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*[[河合義雄]]
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*[[清田和彦]]
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*[[佐々木望]](現所属:[[81プロデュース]])
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*[[島香裕]](現所属:[[ぷろだくしょん★A組]])
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*[[関通利]]
+
*[[龍田直樹]](現所属:[[青二プロダクション]])
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*[[額賀修一]]
+
*[[野本礼三]](故人)
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*[[二又一成]](現所属:[[俳協]])
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*[[増田淳 (声優)|増田淳]]
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*[[ヤスヒロ]](旧名:藤原泰浩。現所属:[[ケンユウオフィス]])
+
*[[山野井仁]](現所属:大沢事務所)
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=== 女性 ===
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2006年、第18回[[高松宮殿下記念世界文化賞]]の演劇・映像部門を受賞した。
;あ行
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*[[荒木香恵]](現所属:[[81プロデュース]])
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*[[伊藤美紀 (声優)|伊藤美紀]](現所属:[[大沢事務所]])
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*[[猪瀬明子]]
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*[[今井麻美]]
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*[[岡本麻弥]](現所属:81プロデュース)
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*[[奥真紀子]]
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*[[落合祐里香]](現所属:[[元氣プロジェクト]])
+
;か行
+
*[[川村万梨阿]](現・フリー)
+
*[[菊池志穂]](現所属:[[リマックス]])
+
*[[稀代桜子]](現所属:[[賢プロダクション]])
+
*[[栗山桃実]](現所属:[[DOAプロダクション]])
+
*[[小西寛子]](現所属:LMA Records)
+
;さ行
+
*[[笹井千恵子]]
+
*[[篠原恵美]](現所属:81プロデュース)
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*[[白河真由]]
+
*[[白鳥由里]](現所属:81プロデュース)
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;た行
+
*[[高木早苗]](現所属:[[青二プロダクション]])
+
*[[高木礼子]](現所属:[[シグマ・セブン]])
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*[[竹内裕美]]
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*[[田中涼子 (声優)|田中涼子]](現所属:[[プロ・フィット]])
+
*[[田野恵]](現所属:[[俳協]])
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*[[田村ゆかり]](現所属:[[アイムエンタープライズ]])
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*[[千葉千恵巳]](現所属:81プロデュース)
+
*[[津野田なるみ]](現所属:マウスプロモーション)
+
*[[徳永愛]](現・フリー)
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;な行
+
*[[中島沙樹]](現所属:俳協)
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*[[中島麻実]]
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*[[中原新]]
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*[[根谷美智子]](現・フリー)
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;は行
+
*[[花形恵子]](現所属:81プロデュース)
+
*[[濱百合亜]]
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*[[日比野朱里]]
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*[[林原めぐみ]](現所属:ウッドパークオフィス)
+
;ま行
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*[[増田美奈子]]
+
*[[松本さち]](現所属:[[ケンユウオフィス]])
+
*[[水沢潤]]
+
*[[南央美]](現所属:大沢事務所)
+
*[[宮村優子 (声優)|宮村優子]](現所属:[[ジャパンアクションエンタープライズ]]の俳優部門「JAEプロモーション」)
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;や行
+
*[[矢沢ゆめる]]
+
*[[ゆかな]](旧名:野上ゆかな)(現所属:シグマ・セブン)
+
*[[雪絵れな]]
+
*[[横山智佐]](現所属:横山智佐事務所バンビーナ・主宰)
+
*[[吉田小南美]](現所属:プロダクション・タンク)
+
  
== 外部リンク ==
+
==DVD・書籍==
* [http://www.artsvision.co.jp/ アーツビジョン公式サイト]
+
*「闘う白鳥」(自伝)
* [http://www.nichinare.co.jp/ 日本ナレーション演技研究所]
+
*「アンナ・カレーニナ」(1967年モスフィルム製作 - DVD出版元 RUSCICO(ロシア映画評議会))
  
{{Company-stub}}
+
==外部リンク==
 +
{{commonscat|Maya Plisetskaya}}
 +
*[http://www.shchedrin.de/ プリセツカヤ・シチェドリン国際財団公式サイト(ドイツ語・英語・ロシア語)]
 +
{{Wikipedia/Ja}}
  
<div style="margin:0.5em 0;background-color:#f6f6f6;border:1px solid #ccc;padding:3px;font-size:80%">このページは [http://ja.wikipedia.org/ Wikipedia日本語版]由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は[http://ja.wikipedia.org/wiki/アーツビジョン '''アーツビジョン''']にあります。執筆者のリストは[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=アーツビジョン&amp;action=history '''履歴''']をご覧ください。 [[Yourpedia]]と同じく、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia Wikipedia]は[http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html GFDLのライセンス]で提供されています。コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。</div>
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{{DEFAULTSORT:ふりせつかや まいや}}
 
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[[Category:ロシアのバレエダンサー]]
{{DEFAULTSORT:あつひしおん}}
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[[Category:ユダヤ系ロシア人]]
[[Category:Wikipedia出典元の記事|{{PAGENAME}}]]
+
[[Category:ソ連人民芸術家]]
[[Category:日本の声優事務所]]
+
[[Category:1925年生]]
[[Category:東京都の企業]]
+
[[Category:渋谷区]]
+
 
+
[[en:Arts_Vision]]
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* [[wiki:アーツビジョン]]
+

2010年8月10日 (火) 18:54時点における版

マイヤ・ミハイロフナ・プリセツカヤ: Майя Михайловна Плисецкая、1925年11月20日生まれ)はロシアバレエダンサー。しばしば現代最高のバレリーナと呼ばれる。

生い立ち

モスクワの芸術家を多く輩出する有名なユダヤ人一家に生まれた。エンジニアの父の仕事の都合で、スピッツベルゲン島の学校へ通う。1938年、父親はスターリンの粛正により処刑され、サイレント映画女優だった母親はカザフスタンへ強制送致され、母方のおばにあたるバレリーナスラミフィ・メッセレルの養子となった。

1934年、一家は休暇のためモスクワに帰りその期間中に、帝室バレエ学校のエフゲニヤ・イワノヴナ・ドリンスカヤのクラスに編入する。バレエを始めて1年目で「軍縮会議」という演目の中国人役で舞台に舞台に立つ。その後再びモスクワに戻り、教師は変わりバレリーナであったエリザヴェータ・ゲルトのもとで6年間学ぶ。1943年にバレエ学校を卒業し、ボリショイ・バレエに入団した。

活動歴

バレエ学校卒業後、ボリショイバレエ団にコール・ド・バレエ(群舞を担当するダンサー集団)として入団。ボリショイ劇場以外での公演に積極的に出演し経験を積む。入団1年目を終えるころに、欠員のため「くるみ割り人形」のマーシャ役に抜擢された。

アンナ・パヴロワの代表作「瀕死の白鳥」を演じ、当たり役とする。また最大の当たり役は、「白鳥の湖」のオデット/オディール(1947年)、「眠れる森の美女」のオーロラ姫(1961年)である。跳躍の高さ、柔軟で大きく反る背中、技術の確かさ、カリスマ性すべてにおいて高く評価されたが、劇場上層部の彼女への待遇はあまりよいものではなかった。反ユダヤ主義的風潮のなかで1956年の国外公演には同行が許されなかった。1958年、作曲家ロディオン・シチェドリンと結婚、翌年にはソ連人民芸術家として表彰される。1959年に彼女が西側世界に初めて登場すると、バレエ界は大きな衝撃を受けた。

1960年、ガリーナ・ウラノワが引退すると、ボリショイ劇場のプリマ・バレリーナ(首席バレリーナ)に任命される。1967年ソヴィエトで制作された『アンナ・カレーニナ』の映画版では、トヴェルスコイ公爵夫人(ヴェッツィ)を演じ、1971年には、シチェドリンの作曲、自身の振り付けによるバレエ版「アンナ・カレーニナ」を発表し、主役アンナを演じた。他にユーリー・グリゴローヴィチローラン・プティアルベルト・アロンソモーリス・ベジャールなどの著名な振り付け師が彼女のために作品を振り付けている。

1980年代には、シチェドリンとともに海外で過ごすことが多くなり、ローマ・オペラ・バレエや、マドリッドのスペイン国立バレエの芸術監督を務める。65歳で、ついにボリショイ劇場のソリストから引退したが、その後も芸術活動を続けている。70歳の誕生日には、ベジャールの振り付けによる「アヴェ・マイヤ」を初演。

1994年からは自身の名を冠したマイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクールの審査員長を務めている。

2003年、宝塚歌劇星組公演「王家に捧ぐ歌」の振付を担当し話題になった。

2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の演劇・映像部門を受賞した。

DVD・書籍

  • 「闘う白鳥」(自伝)
  • 「アンナ・カレーニナ」(1967年モスフィルム製作 - DVD出版元 RUSCICO(ロシア映画評議会))

外部リンク

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