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Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-03-29T09:10:35Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.25.1
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=L%EF%BD%9EP%E3%81%8B%E3%82%89%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=401208
L~Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧
2022-08-27T06:38:31Z
<p>PG: /* {{WPuser|Mikomaid}} */</p>
<hr />
<div>'''L~Pから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧'''は、[[ウィキペディアの利用者]]のうちアルファベットの「L」から「P」のいずれかで始まるアカウントの一覧。 <br />
<br />
==L==<br />
==={{WPuser|L26}}===<br />
{{警}}{{2ch}}ウィキペディア一の[[テロリスト]]であり、気に食わない利用者に執拗にブロック依頼を持ち出してくることで有名。[[#利用者:PeachLover|PeachLover]]同様しつこい事で悪名高く、一度目をつけたユーザーに100以上の罵倒文を送りつけてくる。無視した瞬間に警告テンプレートで攻撃を行い、WPの中でも上位に入るくらいたちが悪い。2ちゃんねらーでもあるらしい。現在は'''ウィキブレイク'''中である。<br />
<br />
==={{WPuser|Lapislazuli-star}}===<br />
{{警}}{{2ch}}現在は[[SANNET可変IP]]への対処を主に行っている。[[8月26日]]に一日だけブレイクに入ったが、その間にSANNET可変IPが関わっていたIPユーザーのページに突然横入りし、ブレイクの間にIPを利用していたと疑われたため、自らチェックユーザー依頼を提出した。<br />
<br />
==={{WPuser|LearningBox}}===<br />
2016年まで削除者。2019年'''4月1日'''(エイプリルフールの日)に、利用者ページ及び会話ページに胃癌、胃潰瘍を患っているとして無期限引退した。[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Darukichi_Fumibayashi(会話/履歴)|Darukichi_Fumibayashi]]とくっついた。<br />
<br />
==={{WPuser|LedLine}}===<br />
{{無}}「竹中ナミ」。[[村木厚子]]と[[石井一]]などでニュース報道は「検察側の偏った情報源だから信用できない」とか「詳細を報道していない」などと言って、自分のブログや自分の書いたTHE JOURNALのニュースを出典に自分の主観を中心に編集したことで有名になった。ブログ上で本人は壮絶な戦いと語っているが、単なる方針無理解を拡大解釈したものにしか過ぎない。Wikipediaの方針を知らないものからは絶大な支持(しかし自作自演の疑いがある)、ウィキペディアンと思われるものからの「方針読め」などの賛否両論の意見が寄せられた。しかし、自分に不利なコメントが多くなってからはコメントを返さなくなった。ブログを捨てて逃走したと見られていたが、THE JOURNALの編集部によりLedLineに対する批判コメントが消され炎上したが結局編集部もLedLineを庇いきれず見放される形でLedLineのコメントも消された。暇編集によるとブロックされている間は2ちゃんねるで書き込みを行っているとのこと。<!--そしてブロックされた現在も行われている。-->[[2010年]][[3月27日]]にはBellcricketにより冷却期間として1週間ブロックされていたが、[[3月31日]]には海獺により多重アカウントの不正利用により無期限ブロックされた。<!--高野孟、よかったな。-->しかし{{WPuser|山崎靖子}}とは別人だと反論し海獺はこれを信じ、[[4月3日]]にブロックが解除された。<!--この多重アカウントとされた[[山崎靖子]](仮名)はLedLineの従業員でLedLineがブロックされた直後に残業中に会社(兼自宅)のパソコンから接続したものでLedLineとは別人であるので、多重アカウントの不正利用は[[村木厚子]]同様冤罪であることが確定していたが、-->その後{{WP2|Wikipedia:投稿ブロック依頼/LedLine|投稿ブロック依頼}}が提出され、結局[[4月12日]]に無期限ブロックされた。本人はこれを不服とし、暴徒と化してきている。後に{{WPuser|正しい情報}}でブロック破りを行っていたがISPがSO-NET、回線が光回線、編集傾向から同一人物とばれている。<br />
<br />
==={{WPuser|Lichenes}}===<br />
{{警}}IPユーザーの会話ページに片端から<nowiki>{{ISP}}</nowiki>を貼って回っている。放送局の送信所記事専門の無線局おたく。一時期Hisagiと対立し、{{WP2|Wikipedia:コメント依頼/LichenesとHisagi|ダブルコメント依頼}}が提出されていた。<br />
<br />
==={{WPuser|Lime_citrus_soda|Lime citrus soda}}===<br />
{{Main|Lime citrus soda}}<br />
{{警}}{{YP}}生粋のユアペディアンで、Loniceraに粘着したことで有名。<br />
<br />
==={{WPuser|LuckyStar_Kid|LuckyStar Kid}}===<br />
{{警}}現在は{{WPuser|Starchild1884}}のアカウントで活動している。元、なりきり板のコテ。ウィキペディアでも同様の口調で話しており、ウィキペディアをキャラネタ板と勘違いしている目的外利用者。管理者を度々糾弾するが、東方厨や型月厨のお守を一手に任されているため大目に見られている。<br />
<br />
サブカル系記事を私物化しているという批判がある。運営関連の項目で御意見番を気取って上から目線のコメントを残して行くが、周囲からは失笑されている。<br />
<br />
==M==<br />
==={{WPuser|Mak06010601}}===<br />
三宅雪子転倒騒動の編集に固執する変態。<br />
<br />
他の記事においても、その編集のほとんどがデタラメか独自研究のためことごとく修正されている。他人の編集を著作権侵害として削除依頼したことがあるが、それ以前から自分がコピペの常習犯であり同じ理由で削除されている。さらにYouTubeで著作権侵害投稿を繰り返し追放された他、同類の動画を出典と主張するなど著作権保護の意識は皆無。管理者を含む多数の編集者にマークされ『WP:BLPを遵守しろ』『出典にない言葉を付け加えるな』などと何度も叱責されているにもかかわらず全く改善しないことから、何らかの精神病を患っていると思われる。コピペ病の他にも「~されたく。」「~いたしたく。」といった厨二フレーズを繰り返すなど、ある意味可哀想な子。<br />
<br />
Twitterでは「政治家のwikipediaを主に編集」としているが、実際は民主党議員を貶める編集ばかりであること、ある件で'''{{WPuser|Chichiii}}'''に謝意を示され大喜びしていたことから典型的な[[ネトウヨ]]といえる。<br />
<br />
特筆性なしとして何度も削除された在日による通り魔事件の議論では狂ったように復帰を主張するが、同調しているのは同じくネトウヨの'''Chichiii'''や{{WPuser|準特橋本}}、{{WPuser|大和屋敷}}の他にIPや放置アカくらいしかおらず、『Mak06010601の常識は世間の非常識』であることが明白となった。なおこの件では'''Chichiii'''など記事存続派にだけ議論参加を呼びかけるカンバス行為を行い、記事の復帰後提出された削除依頼でも繰り返したため、議論の撹乱・妨害として厳しく糾弾された挙句1週間のブロックとなった。このまっとうな処置に対し、呼びかけ後1時間近くも放置していたにもかかわらず「'''私と主張が異なる方もお願いしたらいいかと思っておりました。このブロックでそれができなくなってしまいました。'''」という、勉強嫌いの小学生かと突っ込みたくなるような言い訳を展開したが、矛盾を見抜いた管理者によって完全論破された。また2010年7月にも{{WP2|有田芳生}}の削除依頼でカンバス行為を行なっていた前科があり、この時の相手も'''Chichiii'''である。<br />
<br />
なお会話ページで発狂しながら擁護していた'''Chichiii'''が無期限ブロックとなり、Mak06010601のブロック解除を主張したこともある{{WPuser|Shigeru-a24}}も管理行為から手を引いたことで、Mak06010601を擁護する者は皆無となった。騒動が治まってから音沙汰はないが、いまさら復帰したところで歓迎する者はいないと思われる。<br />
<br />
==={{WPuser|Maris_stella|Maris stella}}===<br />
{{警}}可読性に著しく欠けた長文を垂れ流す事で知られている迷惑利用者。マリステ先生とも呼ばれたりする。ネカマである。性科学関連で記事を私物化しようとした過去から木津尚子のソックパペットであるとも考えられる。長年にわたりコミュニティを疲弊させIsh-kaやYassieがお膳立てをして無期限ブロック寸前まで追い込んだものの、本人がウィキブレイクしてすんでのところで逃げられてしまった。数ヵ月後、別垢で何気なく復帰、相変わらず訳の分からない長文で他者に迷惑をかけ続けている。要約欄で英語を度々使うが、本人の英語力は極めて稚拙である(そもそも母語の日本語さえまともに喋れていない)。ウィキペディアの編集を止めて精神病院に通院することを誰も推奨してくれなかったのが、彼の悲劇と言えるだろう。<br />
<br />
==={{WPuser|Maryaa}}===<br />
{{警}}{{原}}[[ネットウヨ]]。こいつが活動しているときには[[Q~Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Uaauaa(会話/履歴)|Uaauaa]]が動かないのでソックパペットの疑いあり(履歴を見ると、きれいに繋がっているのが分かる)。<br />
<br />
==={{WPuser|Matunami}}===<br />
{{警}}{{ネットサヨ}}「ゆう」と名乗っている。Peace系取締りに熱を上げるユーザーである。その取締りに歯が立たない相手や記事に関してはこっそりと無名で参加して煽ることもしている。日本人ではないと思われる。<br />
<br />
==={{WPuser|MAYUTO_RYOUTA|MAYUTO RYOUTA}}===<br />
本名・長尾智文。旧アカウントは本名をそのままローマ字表記した「TOSHIFUMI NAGAO」で、2ちゃんねる他で晒されたため慌てて変更。AKB48オタ。<br />
<br />
==={{WPuser|Mee-san}}===<br />
{{警}}[[1968年]]生まれ。社会人。よく投稿ブロック依頼に出没する他、自分が提出した削除依頼の記録を載せているが、これは何の実績にもならない。<br />
<br />
==={{WPuser|Melan}}===<br />
政治ごっこ、自警活動には一切興味を示さず黙々と翻訳を中心とした執筆活動に励んでいるウィキペディアンの鑑のような人。新着記事に選出されるものの大半は彼が執筆したものであり、彼が活動を停止したらウィキペディアは新着記事の枯渇に陥るのではないかとさえ言われている。<br />
<br />
==={{WPuser|Miami}}===<br />
自身のページに''この間隙に横たわる茫漠、深淵たる断層を考察する努力を端から放棄する者こそが軽々しく言葉を発する''といった独自のルールを掲げている。ただのゴロツキであり'''人間性は全WPユーザー中、Yassieに次いでワースト2である'''。北陸本線おたくであり、北陸本線関連の出来事への集中的な編集が目立つ(ほとんどが意味不明な加筆)。中国製品の品質の問題関連の記事では中国だけでなく日本もずいぶん悪いように決め付けるような害意ある編集が目立つ。これこそ、独断と偏見の塊である。ふざけるのもいい加減にしてほしいものだ。<br />
<br />
{{WPuser|Matumami}}と混同しないこと。<br />
<br />
==={{WPuser|Mikomaid}}===<br />
[[ファイル:ohnogo.jpg|left|500px|thumb|Mikomaidイメージ画像]]<br />
[[画像:三谷.jpg|right|250px|thumb|↑Mikomaid 似の加工顔面画像]]<br />
ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。[[1967年]][[1月19日]]生まれの群馬県富岡市富岡在住の中高年男性。{{WP2|富岡市立富岡小学校}}、{{WP2|新島学園中学校・高等学校}}、{{WP2|長野大学}}OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親や妻に生活を依存する3児を抱えるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で「社会復帰を目指している」とネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは220.3.132.253、220.3.134.144(現softbank220003134144)。なお、{{IPuser2|220.3.134.144}}はユアペディアにおいても[[2011年]][[11月14日]]に編集妨害・誹謗中傷を理由に無期限投稿ブロック処分となっている。家業では群馬インターネットを利用。他に{{WPuser|A._J._Kuonji|A. J. Kuonji}}(久遠寺 阿知花 寿来)、{{WPuser|YANCHARIKA}}、{{WPuser|Jesudonbay}}、{{WPuser|Ohnogo2004}}の別アカウントで活動。mixiでは美鈴さんで、Youtubeではmikomaid、twiterでは大野晋吾で活動していたが、2012年3月にmixiとtwitterのアカウントを閉鎖し、その後、変名でアカウントを開設している。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、{{WP2|Mikomaid}}の正体が同校関係者の間で知られたことで富岡市立富岡小学校では同校ホームページで{{User2|Mikomaid}}の画像が掲載されていたPTA活動の項目を削除し、2012年度に入ってもホームページの更新が行われない事態となった。<br />
<br />
==={{WPuser|Mirinano}}===<br />
{{main|Mirinano}}<br />
<br />
==={{WPuser|Misum}}===<br />
[[滝川中学校・高等学校|神戸の某私立高校]]の記事に於いてこの高校で発生したいじめ事件の記事の部分を実際に学校と関係があり、ノートでも削除に反対の声があったにもかかわらずそれを完全無視して理由も言わず当事件の記事をごっそり削除した自分勝手ユーザー。'''こいつもいじめ隠蔽主義者か!!'''まぁ、どうせ関係者なんだろうな。<br />
<br />
'''いっぺん某ホームページ運営者にこてんぱんになじられて来い。それとも[[長谷川穂積]]に一遍ボコボコにどつき回されてくるか?'''<br />
<br />
また'''<span style="font-size:15pt">今までの凶悪事件・重大事故の殆どをフィクションの作り話だと思っている救いようの無い平和ボケの大馬鹿野郎である。</span>'''<br />
<br />
やはり<span style="line-height:120%; font-family:serif; font-size:1cm">犯罪被害者の感情逆なで狂</span>である。<br />
<br />
良識的な国民はこのバカが裁判員に選ばれないように神に祈るしかないだろう。<br />
<br />
==={{WPuser|Mkhcan487}}===<br />
某ケダモノ漫画及びドラマの原作者やファンの真の魂胆の暴露に散々ケチをつけたうえにYourpediaのリンクさえも荒らし扱いするという心の狭さをさらけ出した[[Gakupon]]に同調し、そいつへの抗議を'''「逆切れ」とか「訳わからんトンデモ主張」だなんてボサく'''大バカヤロウ。<br />
<br />
しかもこいつ、自身の利用者ページでも'''排他主義者だと自分で言っちゃってやんの'''。<br />
<br />
'''こいつは[[長谷川穂積]]に殴られてもいいレベル'''である。「だからなに?」と片付ける事無かれ主義者。厨二病患者でもある。'''誰か、こいつを病院に連れて行け!'''<br />
<br />
ただ「自分はその漫画を読んだこともドラマを見たこともない」「その作品を批判するなとは言ってない」とも言っており、そのぶん{{Fullurl|n=ライフ_(漫画)|p=diff=79191&oldid=79031|s=こんなこと}}を書くような奴よりは1000億倍マトモとも言える。<br />
<br />
保守派で好きな言葉は「慣例」「習慣」「伝統」。{{WPuser|かぬま}}(現大学生)以外の高校生利用者には威圧的な話し方をする。IPuserを毛嫌いしている。<br />
<br />
==={{WPuser|Momokkey}}===<br />
[[バファリン]]などの項目において、利用者の読み易さを度外視した改悪を行っていることで有名。<br />
<br />
==={{WPuser|Morassim}}===<br />
{{警}}他掲示板では[[モラシム]]を名乗っている。重度の[[ガンダム]][[オタク]]。[[議論]]と称して一方的な長文を書き殴るといった悪質行為を行う。代表的なキモおたくでありガンダム関連ページを他人に編集されるのを酷く嫌いそれが事実でも削除を繰り返す自己中心的気違いキモおたくである。複数のコテハンや名無しを使い分け自作自演を行う。<br />
<br />
==={{WPuser|Moss}}===<br />
[https://jawp2ch.miraheze.org/wiki/Wikipedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85/M こちら]も参照。[https://enpedia.rxy.jp/wiki/Moss#.E5.95.8F.E9.A1.8C.E8.A1.8C.E5.8B.95 エンペディアには本人の記事がある]。'''[[ウィキペディア自警団]]のメンバー'''で生物系にのさばってきた。ウィキペディア日本語版の生物系のかなりの部分を'''単なる動植物図鑑に過ぎないような代物'''に変えた元凶の一人。その活動傾向や態度から様々なトラブルを起こしただけでなく、おそらく本人が所持している日本語の生物図鑑における記載情報を崇拝しているような気がみられ、ウィキペディアの水準を満たしている出典を付けていても差し戻しを強行したこともある。海外のソースを認めないばかりか、他言語に情報があるからといって日本語でその情報が必要だとは限らないなどの難癖すらつけるレベルである。2014年にブロック依頼を出された結果一か月程度のブロックとなり、一度は引退したかと思われたが、翌年に戻ってきてしまった。2021年にはコメント依頼を出されているが無視し、とあるユーザーのソックパペットを疑い、賛成意見がなく反対意見まであるのにも関わらずLTA化を実施した。<br />
<br />
==={{WPuser|MT.Stone}}===<br />
{{警}}[[2004年]][[1月26日]]から参加しているベテランユーザー。自身のページに<i>編集方針等を読まない、独自の理論を振り回すなど言ってもわからない人物と判断したときは指摘した後に放置する</i>と基本方針なるものを掲げる。戸田恵梨香の項目のとある記述を載せるか否かという議論があり{{WP2|Wikipedia:合意形成}}にある期間が過ぎ合意形成ができた後に合意形成済みの議論に意見するも議論終了につきから回り、独りよがり。<i>合意形成のプロセスは無視しませんよ(確認)。</i>と合意形成を認めるも、あるユーザーが根拠なしに議論のあった記述に反対すると突然<i>番組中の発言について(再検討)</i>と合意形成を無視し、記述に反対し始める。<br />
:<i>ノート:戸田恵梨香 - テレビ番組内での失言について、強引な議論により結論が放置されているので再度の議論をお願いしたい。--2008年2月7日 (木) 00:33 (UTC)</i><br />
というコメント依頼も出す。<br />
<br />
合意形成という編集方針等を読まない、検証可能性どうこう中立性どうこうなどと独自の理論を振り回す言ってもわからない人物である。<br />
<br />
{{WP2|Wikipedia:削除依頼/福島瑞穂}}においては、政治家の発言を捏造した。つまり証拠を捏造した。その後発言していない、捏造であると批判されるもまともに謝罪せずに削除依頼の議論に参加し続けるありさまである。<br />
:<i>**(コメント)[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国会議事録検索]で調べたところ、平野議員は「問題にしていない」と言明していますね。上記の「問題にしている」と真っ向から違います。また証拠の一部はコピーであって自分は確認していないとも言っていますね。中核派は集会の出席者の一部であり、善良な市民がいたであろうとも述べています。機関誌の記載は事実でしょうが、あくまでも福島の信念を講演したものであり、内容に問題はないように思います。上の方で「記載したいイデオロギーがある」という指摘がありましたが、それを裏付けるコメントのようにお見受けいたします。--[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]] 2008年1月6日 (日) 02:38 (UTC)</i><br />
これに対し、あるユーザーに批判される。<br />
:<i>**(コメント)ちょっと待ってください。平野議員が'''「問題にしていない」'''と言明していたというのは何月何日のどの会議での話でしょうか。「開会日付:平成11年6月8日 ~ 平成11年6月8日」「院名:すべて」「発言者名:平野貞夫」「検索語(&):問題にしていない」で検索しましたが検索件数は0件でした。自ら「言ってもないことを言ったと言い出すのは末期的ですね」<ref>{{WPfullurl|n=利用者‐会話:Mightupon|p=diff=prev&oldid=17187105}} ウィキペディア 2008年1月6日 03:23</ref>と発言している[[利用者:MT.Stone|Mt.Stone]]さんが平野議員の発言を勝手に捏造しているなら由々しき問題ですよ。</i><br />
<br />
2009年を最後に活動なし。<br />
<br />
==={{WPuser|MURMUR4040}}===<br />
{{警}}「[[豊臣政権]]に興味があります」といかにもフレンドリーな文章がプロフィールに書いてあるが、その実態は[[豊臣秀吉]]を狂信的に信奉している大阪人。というより狂人。秀吉の行った事績は信長のそれを遥かに超越していると信じて疑わない。その主張に都合のいい史料の都合のいい部分だけを持ち出し、その他の部分は一切無視。問い詰めても言葉遊びをしてのらりくらりと逃げ回る。そうやった自分の編集はなにがなんでも消させないようにし、自分の気に入らない編集は全削除。・・・ガキの見本みたいな奴だな。ちなみに以前はプロフィールに大阪在住と書いてあったが、現在は削除。秀吉信者だとバレやすいからだろう。排他主義者のウィキペディアン{{WP2|Category:排他主義者のウィキペディアン}}というページにも名を連ねており、確信犯の厨房であることが分かる。コイツが消えたら即座に編集を差し戻す予定。たとえ何年かかってでもな。<br />
<br />
==={{WPuser|MX1800}}===<br />
{{警}}趣味は死体蹴り。活動内容の殆どが被ブロック者の利用者ページにうさぎちゃんを貼ること、ブロック依頼への投票、管理者伝言板への報告という典型的な目的外利用者である。標準名前空間の編集は、町ゴミ記事に出典の無い加筆をするというダブルスタンダードを展開する。些末な編集のためかあまり問題視されていない。コイツの性格を知る上で過去ログ化して隠蔽した会話ページは必見である。<br />
<br />
==={{WPuser|Mzm5zbC3}}===<br />
{{警}}{{2ch|トリップ:Mzm5zbC3}}{{ネットサヨ}}共産主義、社会民主主義思想の青年。気に食わない記事は価値に関係なく徹底的に修正する'''排他主義者'''の急先鋒的存在。2ちゃんねらーでもあるらしく、利用者名は自身のトリップに因むと思われる。彼に限らず、極左系列のWP関係者は多い。<br />
<br />
==N==<br />
==={{WPuser|Nakata88}}===<br />
{{警}}[[A~Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧#Chichiii(会話/履歴)|Chichiii]]のダチ。「在日特権を許さない市民の会」など“行動する保守”諸団体に不利な記述を許さない[[ネット右翼]]。ブロック依頼の賛成票投票者に片端から反論して回る異常さが疎まれ、2011年3月に無期限ブロックとなった。<br />
<br />
==={{WPuser|Nanafa}}===<br />
{{Main|Nanafa}}<br />
Dr jimmyや森藍亭らと同等の凶悪性を誇る極悪ユーザー・独裁者・{{警}}沖縄県在住らしい。<big>'''誹謗中傷マニア'''</big>であり、自身の利用者ページに他の利用者の悪口・嫌味を書いたりする。非常にサディスティックな性格を有しており、事あるごとに、自分の行為は棚に上げ、徹底的に相手へ謝罪を要求し、精神的に追い込み、会話ページに現れ「発言を撤回しろ」「絶対に許しません」などと怒鳴り散らし、相手が土下座またはウィキブレイクするまで執念深く粘着する姿が目撃されている。また、暴言を注意した利用者に逆切れし、自分の非を一切認めずに{{WPfullurl|n=利用者‐会話:Precise_tortoise|p=diff=54533627&oldid=54124459|s=このような}}コメントをした。恐ろしい。自分の利用者ページに方針ページ一覧を載せているが、それらの方針を理解していないようである。<br />
<br />
2015年3月3日、何か都合の悪いことでもあったのか自身の利用者ページに<nowiki>{{即時削除}}</nowiki>を貼って管理者に削除してもらってから、もう一度同じような利用者ページを作成するという奇行に出た。<br />
<br />
同年8月7日、暴言または嫌がらせを理由に1ヶ月間の投稿ブロックを受け、その際{{WP2|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nanafa_08072015_追認|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Nanafa 08072015 追認}}が提出され、そのまま無期限延長となった。<br />
<br />
しかし、その後もIPアドレス「126.124.56.251」やアカウント「むよむよ」がNanafaのブロック破りソックパペットではないかという疑惑が浮上している。<br />
<br />
==={{WPuser|Nazox}}===<br />
{{警}}{{原}}「魔女」と目した相手には高圧的な態度で接するのが特徴。又、争いの当事者の一方'''だけ'''を[[浅野長矩]]の様に悪人扱いする一方でもう一方に疑惑があっても見て見ぬ振りをし[[吉良義央]]の様に「お咎め無し」とするえこひいき体質でもある。<br />
<br />
==={{WPuser|Nekosuki600}}===<br />
{{See|茂木紀行}}<br />
{{警}}{{2ch|猫が好き♪ ◆1GNekodnQQ}}通称:「'''コモノ'''」「'''野良猫'''」。本名は'''[[茂木紀行]]'''(もぎ のりゆき)。[[河下反対派]]の1人。出されるブロック依頼とコメント依頼は他の利用者と比べてダントツに多いのに、未だ長期ブロックを受けない。2011年4月から休眠。2012年ガンで死去。<br />
<br />
==={{WPuser|Nopira}}===<br />
他言語版からの翻訳などで赤リンクを次々に埋めて行く大物執筆者。アンサイクロペディアでは黎明期に管理者を務めていた。<br />
<br />
==={{WPuser|Noritk_s|Noritk s}}===<br />
「ノリタケ・エス」または「ノリタカ・エス」と読むらしい。中部地方の県道と放送局中継所に関する記事の新規作成しかしない異常者。<br />
<br />
==={{WPuser|NORN}}===<br />
非常に身勝手なウィキペディアンの1人。様々な記事において、閲覧者の読み易さを度外視した改悪を行っている。ほとんどが主観的な改悪である。[[アンサイクロペディア]]にも利用者ページを持っている。<br />
<br />
==={{WPuser|Number}}===<br />
[[葵龍雄]]のページに於いて葵の善意を疑問視する記述を「論評すんな」と蹴散らした胸のすく利用者。しかし、糞海獺によって無期限ブロックされた!<br />
<br />
==={{WPuser|NXA90D}}===<br />
アカウントは自分の使用している富士通のノートパソコンの機種名(FM-V BIBLO NX/A90D)にちなむ。埼玉県在住。学校名の曖昧さ回避項目の作成に情熱を燃やす網羅厨。やり過ぎ、周囲からの注意に「うるせぇよボケ!お前みたいなのを'''とっちゃん坊や'''って言うんだよ。頼むからさっさとタヒんでくれ(死んでくれ)。」[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:NXA90D&diff=59246780&oldid=59245989]と逆ギレしたため2016年4月に無期限ブロックとなった。<br />
<br />
==O==<br />
==={{WPuser|Oddmake}}===<br />
{{WPuser|Lem}}をやたらと擁護。奴が無期限ブロックされる直前に姿を消す。<br />
<br />
==={{WPuser|Ohgi}}===<br />
{{警}}海獺には媚を売り他の利用者は見下す態度から、管理者の立候補に何度も落選するも、削除者を経て2016年初頭に6回目にして漸く信任を得る。{{WP2|LTA:ISECHIKA|ISECHIKA}}の荒らしに対応したいと思います。」などと公約しながら、一度も対処しておらず、細かい記事しか消さない。またmediawikiに依存しているキチガイの陰キャである。<br />
<br />
==={{WPuser|Ohnogo2004}}===<br />
[[ファイル:ohnogo.jpg|left|500px|thumb|Ohnogo2004似の画像]] <br />
{{WPuser|Mikomaid}}のソックパペットと言われるユーザー。{{WPuser|Mikomaid}}の親戚となる富岡市出身の落語家、{{WP2|古今亭今輔|6代目古今亭今輔}}(本名:水口直樹)の真打ち昇進に伴い、[[2009年]][[2月17日]]に一回だけ宣伝を兼ねて加筆を行ったものである。<br />
{{-}}<br />
<br />
==={{WPuser|Ohtani tanya}}===<br />
サッカー関係、韓国の芸能系の記事によく出没していた。態度が非常に悪く、他人の編集をカスなどと呼ぶことも多々。読み方は'''おーたに たーにゃ'''<ref>https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E5%8F%B3%E8%84%B3&diff=63586140</ref>とのことで、おそらく元女子サッカー選手の大谷実央の苗字と親しい人からの呼び名から来ていると思われる<ref>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%9C%AA%E5%A4%AE</ref>。彼女に失礼なので'''おおたに たんや'''とでも呼ぶべきだろう。<br />
<br />
2020年3月以降編集記録がなく、主な活動場所をTwitterに移している<ref>https://twitter.com/ohtanitanya</ref>。<br />
<br />
==={{WPuser|Onyx}}===<br />
ウィキペディアの[[色]]や[[顔料]]、[[絵具]]に関する項目で独自研究を加筆しているウィキペディアンで同じく色・顔料関連の項目を荒らしているIPユーザーの{{WPuser|202.244.240.2}}も同一人物。[[山口組]]系[[暴力団]]・[[弘道会]]の組員であり、ウィキペディア日本語版と[[ヤクザ]]の密接な関係を露呈しているといえる。但し202.244.240.2は[[東京藝術大学]]のIPであり、いわゆるインテリヤクザである。ウィキペディア日本語版の美術系項目に関しては管理者同然に振る舞っており、良識のあるウィキペディアン(主にIPユーザーが多い)から白眼視されている。詳しくは[[Onyx]]を参照。<br />
<br />
{{WPuser|Floe~jawiki}}と一大論争を繰り広げた末に2016年6月末、申し立てによって無期限ブロック処分。<br />
<br />
==={{WPuser|Open-box}}===<br />
{{警}}アニヲタであり、ミリヲタ。職業は、艦これの提督を勤めているとのこと。自称艦これ専門家。マイルールを公然と持ち出し、少しでも否定されるとしつこくつきまとい、対立者を引退に追い込むストーカー気質の持ち主。たいした記事は書いてないが、なぜか執筆者面をする。基本的に上から目線であり、人に厳しく自分に甘い、発言は朝令暮改であり二転三転するが、大先輩の海獺には逆らえないらしく、忠実な僕という態度で一貫している。2ちゃんねるを常時監視しており、少しでも気にくわないことが書かれると顔面キムチレッドにして反論することから朝鮮人との指摘もあり。<br />
<br />
==P==<br />
==={{WPuser|PALNAS,MOSCOW-TASTE}}===<br />
{{警}}身長9尺の女性。魚津プロジェクトが残した編集を整理(記事の削除依頼など)し、ちゃんとした百科事典になるように頑張っている努力家である。<br />
<br />
==={{WPuser|Panda_51|Panda 51}}===<br />
軍事関連の記事を編集しているユーザー。他のユーザーに改変されて納得出来ないところがあると直ぐに差し戻す自治厨。<br />
<br />
==={{WPuser|Pastern}}===<br />
2ちゃんねるで{{WPuser|Pennant}}を執拗に叩く荒らし。自分が気に入らないものはすべてPennantに見えるらしい。<br />
<br />
==={{WPuser|Peachkiller}}===<br />
{{警}}削除厨、要出典厨。出典の無い記述や記事に対しては{{WP2|WP:OR}}を援用して機械的な削除を強行してくる。その一方で、自分が起稿した記事にはまったく出典を記載しないというダブルスタンダードを展開する。削除するためだけにウィキペディアに来ている目的外利用者である。<br />
<br />
==={{WPuser|PeachLover}}===<br />
{{警}}[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]工作員のように、鉄道関係の項目で価値のある投稿までどんどん削除依頼に出すヤクザとして有名。荒らしと決め付けて、差し戻すこともある。ウィキペディアにおける削除主義者として有名であるが、自分の利用者ページで削除主義者を自称していない。誕生日は7月という説もある。利用者名は桃が好きなことから名づけられた。こいつはしつこい事で悪名高いユーザーであり一度目をつけたユーザーにこれでもかと言うほどの罵倒文を送ってくる。無視し続けるとひらがなで誹謗中傷を行いWPの中でもたちの悪さは随一のユーザーでありこいつは本当に死んだ方が良い。と言うより死ね。<br />
<br />
:「こう言う奴が一番死ぬべきなんだ。削除、削除、削除~~~(凄まじい憤り)!」<br />
:こいつは私が葬ってやろう。<br />
:瞬獄殺(削除)!<br />
:ぐあーーーーー!お前如き糟が私に歯向かおうとは可笑しいにも程があるわ!ふははははふははははふはははは!(思い通り)<br />
:こうしてPLは粉砕された。<br />
<br />
Cai.Kosukeの彼女の可能性がある。<br />
<br />
==={{WPuser|Peka}}===<br />
ウィキペディア日本語版の2007年の気象・天体と地球環境問題関連の記事において、NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を継続的に行っている。彼の編集に正確性など皆無である。また、彼はたくさんのバーンスターを貰っている(木津尚子のように、自分で自分にあげている可能性もある)。彼の投稿内容には、気に入らない企業に喧嘩を売ったような中傷的記述も見られた。<br />
;主な特徴<br />
*荒らし行為を繰り返す'''<span style="color:red">悪逆</span>'''なユーザーであるにも関わらず、たくさんのバーンスターを貰っている。<br />
*これ以上NPOV及び検証可能性に問題のある投稿を続けるのなら、ウィキペディアから追放されても当然である。<br />
<br />
==={{WPuser|Pennant}}===<br />
2ちゃんねるで{{WPuser|Pastern}}を執拗に叩く荒らし。一方自分はというとウィキペディアでいくつもの[[ソックパペット]]を持ち、自演を繰り返している。{{WP2|利用者‐会話:Doooseven#投票所のご案内|これ}}とか明らかに自演丸出しで恥ずかしい。<br />
<br />
==={{WPuser|Plume}}===<br />
{{警}}[[CIA]]工作員のように、自身と違う意見は全て荒らし報告する低知能者である。また、これらの荒らし報告を真に受ける管理者達も結局は彼と同じ低知能なのだろう。以上のことから、'''ウィキペディアにおける排他主義者の急先鋒的存在'''。まさに社会のゴミ、ダニ、クズ、ガラクタである。<br />
<br />
==={{WPuser|Pointblank}}===<br />
[[プロジェクト:芸能人]]に逆らい、[[徹子の部屋]]の出演歴を重要視し、削除した利用者に謝罪を強要する基地外。<br />
<br />
==={{WPuser|Prince_Skyline_S54B|Prince Skyline S54B}}===<br />
{{警}}飛龍家木隅らと同様、要出典厨、脚注厨の荒らしユーザーである。<br />
<br />
==={{WPuser|project}}===<br />
{{Main|project}}<br />
{{警}}<br />
<br />
==={{WPuser|PSIA}}===<br />
{{ネットウヨ}}{{WPuser|Nakata88}}とともに「南京大虐殺」をこっそり「{{WP2|南京事件_(1937年)|南京事件 (1937年)}}」に改名した。議論で追い込まれた時に作りたての{{WPuser|小山武蔵}}で現れたが、これでバレないと思ったところが呆れる。<br />
<br />
議論では論破されて無言で逃げるか屁理屈を並べ立てて駄々をこね続けるのが常。2ちゃんねるのウオッチ板に泣きついたこともあったが、擁護されるどころか総攻撃を食らい余計に恥を晒した。<br />
<br />
のちに[[#清凉里588]](=[[#Dondokken]])の多重アカウントとして無期限ブロックになった。<br />
<br />
==={{WPuser|P tmt}}===<br />
自警。よく変なユーザーや荒らしに粘着されている。問題行為を繰り返し、2020年1月5日に失踪した。<br />
<br />
==脚注==<br />
<references/><br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[A~Gから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[H~Kから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[Q~Zから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
*[[数字と特殊文字から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
<br />
{{利用者}}<br />
<br />
[[Category:ウィキペディア日本語版の利用者一覧|*L]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%AE%80%E8%B3%A3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81&diff=401207
讀賣テレビ放送
2022-08-27T06:36:49Z
<p>PG: /* 愛称としてのよみうりテレビ */</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|[[近畿広域圏]]を放送対象地域とする放送局|[[鹿児島県]]を放送対象地域とする放送局|鹿児島讀賣テレビ}}<br />
{{redirect|ytv|その他の用法|YTV}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名=讀賣テレビ放送株式会社<br />
|英文社名= YOMIURI TELECASTING CORPORATION<br />
|ロゴ= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation Logo.svg|150px]]<br />
|画像= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation head office 2008-2.jpg|300px]]<br />
|画像説明= '''本社社屋'''<br />
|種類= [[株式会社]]<br />
|市場情報= 非上場<br />
|略称= 読売テレビ、よみうりテレビ、ytv<br />
|郵便番号= 540-8510<br />
|本社所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見二丁目2番33号<br />
|設立= [[1958年]][[2月13日]]<br />
|業種= 5250<br />
|事業内容= 放送法に基づくテレビジョン放送<br />
|代表者= [[代表取締役]]会長 [[越智常雄]] <br /> 代表取締役社長 [[望月規夫]]<br />
|資本金 = 6億5,000万円<br />
|売上高 = 583億1,100万円(2012年3月期)<br />
|経常利益 = 68億3,000万円(2012年3月期)<br />
|従業員数 = 504名(2012年7月末現在)<br />
|主要株主= [[日本テレビホールディングス]]株式会社 (11.59%) <br />株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%) 他<br />
|主要子会社= 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />株式会社[[ytv Nextry]]<br />株式会社[[ワイズビジョン]] 他<br />
|関係する人物= [[正力松太郎]]<br />[[務臺光雄]]<br />八反田角一郎<br />
|外部リンク= http://www.ytv.co.jp/<br />
|特記事項= 1958年8月1日に「新大阪テレビ放送株式会社」から現社名に変更|<br />
}}<br />
'''讀賣テレビ放送株式会社'''('''読売テレビ放送'''とも表記、よみうりテレビほうそう、[[英語|英称]]:YOMIURI TELECASTING CORPORATION)は、[[近畿広域圏]]を[[放送対象地域]]として[[テレビジョン放送]]をする[[特定地上基幹放送事業者]]である。<br />
<br />
通称は'''読売テレビ'''、略称は'''ytv'''。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「GO!GO!happiness」。<br />
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[Nippon News Network|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])の[[準キー局]]である。<br />
<br />
== 会社の概要 ==<br />
{{日本のテレビ局<br />
|英名=[[:wiki:en:Yomiuri Telecasting Corporation|YOMIURI TELECASTING CORPORATION]]<br />
|地域=[[広域放送|近畿広域圏]]<br />
([[大阪府]]・[[京都府]]・[[兵庫県]]・[[滋賀県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]])<br />
|系列=[[Nippon News Network|NNN]]|番組=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]|略称=ytv<br />
|愛称=読売テレビ<br />
|呼出名称= よみうりデジタルテレビ<br />
|コールサイン=IX|年=1958年|月日=8月28日|郵便番号=540-8510|都道府県=大阪府|本社=[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2丁目2番33号| 緯度度 = 34|緯度分 = 41|緯度秒 = 39.77| 経度度 = 135|経度分 = 32|経度秒 = 2.78|演奏所=本社と同じ|都市名=大阪|ch1=10|ch2=10|id=10|dch=14|中継局=[[#アナログ放送|主な中継局]]参照|デジ中継局=[[#デジタル放送|主な中継局]]参照<br />
|公式サイト= [http://www.ytv.co.jp/ 読売テレビ]<br />
|特記事項= 設立当時の商号は「新大阪テレビ放送」と称していたが、開局直前に現商号に変更した。<br />リモコンキーID「10」は本局と[[テレビ愛知]]([[TXN]]系列)のみ。<br />
}}<br />
<br />
=== 本社などの所在地 ===<br />
*本社 - [[郵便番号|〒]]540-8510 [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[大阪ビジネスパーク|城見]]二丁目2番33号<br />
*東京支社 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目6番1号 [[日本テレビタワー]]20階<ref>在阪準キー局の東京支社が在京キー局の本社ビル内に入居するのは読売テレビが唯一である。系列局で見ると本局の他、[[南海放送]]も入居している。また[[TBSテレビ|TBS]]系列の準キー局である[[毎日放送]]は東京・赤坂の[[東京放送ホールディングス]] (TBSHD) 敷地内にある「[[赤坂Bizタワー]]」内に東京支社が入居している。</ref> <br />
*名古屋支局 - [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]四丁目15番32号 日建住生ビル6階<br />
*京都支局 - [[京都府]][[京都市]][[中京区]][[烏丸通]]六角下ル七観音町630番地 読売京都ビル5階<br />
*神戸支局 - [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]栄町通一丁目2番10号 読売神戸ビル4階<br />
<br />
=== 現在の主な株主 ===<br />
括弧内は、持株比率を示す。<br />
# [[日本テレビホールディングス|日本テレビ放送網]]株式会社 (11.59%) ※1・2<br />
# 株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%)<br />
# 讀賣ゴルフ株式会社 (10.23%) ※1<br />
# 野村土地建物株式会社 (7.98%)<br />
# [[野村ホールディングス]]株式会社 (5.00%)<br />
# 株式会社[[UFJ銀行]] (4.00%) ※3<br />
# 株式会社[[三井住友銀行]] (3.60%)<br />
# 株式会社[[りそな銀行]] (2.70%)<br />
# 株式会社[[みずほコーポレート銀行]] (2.40%) ※4<br />
# 株式会社[[読売新聞大阪本社]] (2.01%)<br />
* ※1 [http://www.ntv.co.jp/info/news/268.html 日本テレビ放送網株式会社は、2005年12月6日に讀賣ゴルフ株式会社から株式を取得している。]<br />
* ※2 日本テレビ放送網株式会社は、[[2012年]][[10月1日]]に[[放送法]]に基づく[[認定放送持株会社]]に移行し、[[日本テレビホールディングス]]株式会社となっている。<br />
* ※3 株式会社UFJ銀行は、[[2006年]][[1月1日]]に株式会社[[東京三菱銀行]]と[[合併 (企業)|合併]]し、現在は株式会社[[三菱東京UFJ銀行]]となっている。<br />
* ※4 株式会社みずほコーポレート銀行は、[[2013年]][[7月1日]]に(旧)株式会社[[みずほ銀行]]を吸収合併し、同日商号を株式会社みずほ銀行に変更した。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月13日]] - 大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])などの出資により、準教育専門局「新大阪テレビ放送」(NOTV) として設立。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月1日]] - 「讀賣テレビ放送」(YTV) に社名変更。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月28日]] - [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町2-36(後に「東天満1-8-11」へ住居表示変更) から本放送開始(大阪第2局)。それまで[[大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]])にネットされていた[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] (NTV) の番組を移行させる形で開局した。[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]局の第一号として「ステーション・ネット局」宣言を打ち出す(フルネット局の嚆矢)。<br />
* [[1960年]](昭和35年)[[9月10日]] - カラーテレビ本放送開始(大阪地区では[[NHK大阪放送局]]、ABCと共に初。<br />
* [[1967年]](昭和42年)[[4月1日]] - 日本テレビとの編成制作協定(N-Y協定)を締結。<br />
* [[1978年]](昭和53年)[[10月1日]] - 音声多重放送開始(日本テレビに続いて2局目)。<br />
* [[1988年]](昭和63年)8月1日 - 本社社屋を大阪市北区東天満から同市[[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2-2-33の[[大阪ビジネスパーク]] (OBP) 内の現在地に移転する。10マークの使用開始。<br />
* [[2000年]](平成12年)[[7月1日]] - 開局以来初となるマスコットキャラクター「[[テレビヤン]]」がお目見え。<br />
* [[2003年]](平成15年)[[12月1日]] - 地上デジタル放送'''「よみうりデジタルテレビ」'''放送開始 (JOIX-DTV) 。本放送開始と同時にアナログ・デジタル統合[[主調整室|マスター]]の運用を開始(この時にマスターのシステム自体もこれまでの[[日本電気|NEC]]製から[[東芝]]製のものに変わる)。<br />
* [[2005年]](平成17年)[[7月29日]] - [[8月7日]] - [[天保山ハーバービレッジ]]を会場とした大規模イベント「[[天保山10デイズわくわく宝島|天保山10days わくわく宝島]]」を開催。<br />
* [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - 開局50周年を前に「ウキウキわくわくキャンペーン」を展開。[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入し、ロゴマークを原則として'''「よみうりテレビ」'''から'''「ytv」'''(報道関連、NNNの発信元テロップなど漢字表記する場合は'''「読売テレビ」''')に変更した。また、3代目マスコットキャラクター「[[ウキキ]]」がこの日に誕生した。<br />
* [[2009年]](平成21年)11月24日 - 東京支社が東京都港区東新橋の「日テレタワー」(日本テレビ本社ビル)内に移転。<br />
* [[2010年]](平成22年)7月5日 - [[日本放送協会|NHK]]と[[日本民間放送連盟]]の申し合わせにより、地上デジタル放送の移行を前提に、[[アナログ放送]]においての全番組が画角サイズ16:9の[[レターボックス (映像技術)|レターボックス放送]]に移行する(画角サイズ4:3で製作されたCMは除く)。また2010年[[9月6日]]から、アナログ放送の黒帯部分に地上デジタル放送の準備を啓発する告知をCM中を除いて常時表示されるようになった。<br />
* [[2011年]](平成23年)[[10月3日]] - 日本テレビ系列局の全番組ステレオ放送化により、今まで[[モノラル放送]]だった読売テレビ制作の番組が全て[[ステレオ放送]](一部はモノステレオ放送)に切り替わった。<br />
<br />
== 開局までの経緯 ==<br />
[[日本テレビ放送網]](以下、日本テレビ)は[[1953年]]、東京での開局に先立ち、大阪にも放送免許の申請を[[郵政省]]に提出した。しかし、当時の大阪地区の割り当て電波は2波しかなく、[[NHK大阪放送局]]と[[大阪テレビ放送]](OTV。現・[[ABCテレビ|朝日放送]])の2局に免許が与えられ、"日本テレビ大阪放送局"の免許は却下された。却下の理由は'''「日本テレビは東京地区を代表するもので、これが大阪で電波を出すのは"越境"である」'''というもの。日本テレビを率いる[[正力松太郎]]は、大阪の他[[札幌市|札幌]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[福岡市|福岡]]にも同局の地域放送局を設立する事を郵政省に申請したが、これも大阪と同じ理由で却下された。<br />
<br />
大阪では、その当時に[[読売新聞]]が大阪に進出したばかりで、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]などと販売競争で激しく競い合った。大阪テレビ放送は朝日新聞・毎日新聞と[[朝日放送]]・新日本放送(現・[[毎日放送]])によって設立されたテレビ局である事から、当時の大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])社長・[[務臺光雄]]は「両紙を相手に部数を伸ばすには、自社系列のテレビ局を持つ事が必要」と確信し、読売側も大阪讀賣新聞社を中心に関西の財界などの出資によるテレビ局を作ろうと決心。務臺が発起人代表となって、財界から発起人集めを行った。<br />
<br />
放送局の社名は'''「新大阪テレビ放送株式会社」'''(略称:'''NOTV'''='''New Osaka Television'''。'''『ノーテレ』'''と呼ばれた)とし、[[1957年]][[2月]]に設立の発起人総会を実施。社屋は[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町(現・東天満)の[[東本願寺]]天満別院跡地に建設された。[[1956年]][[10月]]に放送免許の申請を郵政大臣に提出した。そして、1957年[[10月]]に'''準教育局'''として新大阪テレビ放送に予備免許が交付(第10チャンネル、JOIX-TV)された。[[1958年]][[2月12日]]に創立総会を行い、同年[[8月1日]]に社名を「新大阪テレビ放送」から'''「讀賣テレビ放送株式会社」'''(略称・YTV、愛称・よみうりテレビ)へ変更、同月[[8月28日|28日]]にOTVにネットされていた日本テレビの番組を完全移行させる形で近畿地区では2局目の民放テレビ局として開局した。<br />読売テレビの開局でこれまでOTVの[[クロスネット局|クロスネット]]政策のため近畿地方に流れなかった日本テレビ番組のスポンサーの不満<ref>当時の大阪テレビの番組編成はラジオ東京優勢の編成であったため。(ニュースにいたってはYTV開局前からラジオ東京のもののみ放送されていた。)</ref>が解消し、読売新聞の[[西日本]]での部数増に大きく貢献した。<br />
<br />
== ネットワークの移り変わり ==<br />
* [[1958年]][[8月28日]] - 開局。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の第一号局として「ステーション・ネット局」を宣言。以降一貫して番組全般は日本テレビとなる。<!--しかし[[読売新聞ニュース]]が[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]]でも放送していたことからそれのみクロスとなっていた。--><br />
* [[1966年]][[4月1日]] - ニュースネットワークNNNが発足し加盟。<br />
* [[1972年]] - この年発足のNNSに加盟。<br />
<!--* [[1974年]][[6月23日]] - [[キー局]]の新聞再編成により[[読売新聞ニュース]]が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]発のみとなる。これによりTBS発の番組が姿を消す。--><br />
<br />
== 略称・ロゴ ==<br />
{{色}}<br />
初代のロゴ表記には、大文字の'''“YTV”'''と斜面の'''“よみうりテレビ”'''の2種類があった。開局30周年の1988年8月からは10マーク<ref>新ロゴ制定後も数年間本社の駐車場の入口に10マークが残っていたが、現在では撤去されている。</ref>を導入し、「10マーク」と「よみうりテレビ」の使用が主となる。開局50周年記念の一環として、[[2007年]][[4月]]から、小文字の略称新ロゴ'''「ytv」'''を導入し、NNS全国ネット向け・[[関西ローカル]]を問わずほぼすべての番組で表示することになった。日本テレビから送出されるNNNの各種ニュース番組及びCS放送[[日テレNEWS24]]の取材クレジット表示は「読売テレビ」としている。<br />
<br />
ローカル放送と一部全国ネット番組ではペットキャラクター(1996年 - 2000年はアイニー君、その後2007年3月まで[[テレビヤン]])をクレジットに併記していた。クレジット表示はアイニー君の場合は「制作・著作 (左にアイニー君のイラスト)よみうりテレビ」、テレビヤンの場合は「制作・著作 よみうりテレビ(その右にテレビヤンのイラスト)」だった。<br />
<br />
=== 愛称としてのよみうりテレビ ===<br />
開局から[[2007年]][[3月]]まで、自社制作番組のクレジットは関西ローカル・全国ネットを問わずにひらがな表記の愛称'''「よみうりテレビ」'''と表記していた。ひらがな表記の例としては、同局の看板番組でHPアクセス数常時最上位の[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]などが挙げられるが、これは漢字の読めない視聴者層を意識したものと思われる。<br />
<br />
ただし、番組以外の事業に関しては「読売テレビ」と表記されていた(被ネット局側がロゴ出しをした場合例外あり。実例として1990年代後半に[[広島テレビ放送|広島テレビ]] (HTV) が阪神vs広島戦を実況を差し替えて中継した際に制作・著作ロゴをHTV側で送出したため、「制作著作 広島テレビ・読売テレビ」と漢字で表記された事があったが、平仮名で「広島テレビ・よみうりテレビ」と表記した場合もあり、一貫性がなかった。また、過去には[[山口放送]] (KRY) 制作の『[[防府読売マラソン]]』でもネット局のロール表示の際に漢字ロゴが使われた事もあった)。[[青森放送]](RAB)が制作・中継し、本局も制作協力する『[[青森県民駅伝競走大会]]』(毎年9月開催)のエンドロールでは「読売テレビ」あるいは「讀賣テレビ」と表記している。<br />
<br />
見解としては「番組関連の表記は『よみうりテレビ』、事業関連や一般的な表記としては『読売テレビ』、そして事務的な場合など正式な企業名(登記社名)を表記する必要性がある場合に限り『読売テレビ放送』と使い分け」ていたようである。<br />
<br />
社章(バッジ)については、開局から1982年までは楕円の中に“YTV”ロゴを入れたものが用いられたが、開局25周年の1983年からは、長方形の中に“Y”と“O”を[[幾何学]]的にあしらったものに変更された。<br />
<br />
テレビカメラなど、一部の放送機材や一部の送信所でも『読売テレビ』と表記している。現在は放送機材にも現行のロゴを使用している。<br />
<br />
=== ytvへの移行 ===<br />
新ロゴマークは、黄色のytvの右上にチャンネル数'''10(テン)'''を表すオレンジ色の点(テンボール)をデザインしており、'''{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup>'''となる。なお、2008年は同年8月28日の開局満50年を記念して1年間限定で{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup><sub>{{Color|#FFD800|50th}}</sub>と表記した。これを機に段階的に「よみうりテレビ」ロゴと「10」マークが廃止された。長年使用していた為か「よみうり」ロゴ廃止後も「よみうりテレビ」の記述が見られる。<!--2009年度まで放送していたズームイン!!SUPER関西ローカル版が該当する-->なお、「ytv」の小文字での表記はロゴマークや読売テレビ社内で使用されるのであって、大文字の「YTV」でも何ら問題ない。<br />
<br />
2007年4月からは、地上デジタル放送に於いて画面右上に[[ウォーターマーク]]として「ytv」ロゴの表示を行う様になった([[提供クレジット]]時は除く、[[ワンセグ]]では非表示)が、あまり透過していないため、少し目立ってしまう。なお、この表示はキー局の日本テレビをはじめ、広島テレビ、福岡放送などでも実施している。<br />
<br />
2008年4月以降、番組関連での「制作クレジット」「番組宣伝ポスター」「社名“マーク”」としては「ytv」を用い、「社名」を表示する時には「読売テレビ」もしくは「読売(讀賣)テレビ放送」を使用するよう改められた(これにより今後は平仮名表記の「よみうりテレビ」は使用しない)。<br />
<!--表記の使い分けについては、読売テレビ東京支社の方から以前伺った話なので、幾分信憑性はあるかと思います。2008年5月加筆分についても同様です。--><br />
<br />
2013年に開局55周年を迎えた際、ロゴマークの後ろに笑顔のボールが付け加えられた記念ロゴが使用された。ボールの中に55の数字で笑顔を表し、読売テレビの番組で視聴者に笑顔に届けるという意味を込めたものとなっている。<br />
<br />
[[番組表]]に於いては、[[読売新聞]]や[[スポーツ報知]]に於いては「よみうりテレビ」と表記され、その他の新聞のテレビ番組表に於いては「読売テレビ」と表記される。また、デジタルテレビのEPGでは2007年3月31日までは"よみうりテレビ"と表記されていたが、同年4月1日からは"読売テレビ"に変更されている。なお、2011年7月24日24時前のアナログ波停波直前の画面の局名は「よみうりテレビ」と表示された。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=g92DAk90ibU 2011年7月24日のアナログ放送終了時の読売テレビ] YouTube</ref><br />
<br />
再放送番組に関しては基本的に旧ロゴのままだが、「[[ルパン三世 PartIII]]」の再放送用素材は、制作会社の[[トムス・エンタテインメント]]側が「[[東京ムービー]]」表記を現社名に改めた物を作成した際、作品の著作権が読売テレビにも残っているためか「よみうりテレビ」ロゴを「ytv」ロゴに改めた上で表記している。<br />
<br />
== キャッチコピー ==<br />
* ハロー10ch([[1980年]] - [[1995年]]) - [[サンリオ]]が製作したマスコットキャラクター「ハローちゃん」が存在していた。<br />
* あしたのテレビへ。その1。OPEN([[1995年]] - [[1996年]])<br />
* よみうりテレビは、あなたに「ぴたっ」とします。(1996年)<br />
* i need 10([[1997年]] - [[2000年]])<br />
* テレビヤン(2000年 - [[2006年]])<br />
* ウキウキわくわくytv([[2007年]] - 2012年)<br />
* GO!GO!happiness(2013年 - 現在)<br />
<br />
== 放送番組の特色 ==<br />
{{See also|読売テレビ番組の分野別一覧}}<br />
平日は以下の様に[[朝|早朝]]から19時まで、[[生放送]]の[[報道番組|報道]]・[[情報番組]]を中心にして放送されている。<br />
:(不定期で休止することがあるが、『[[日テレNEWS24]]』→)『[[朝生ワイド す・またん!|もうすぐ す・またん!]]』(5:10 - 5:20)→『[[朝生ワイド す・またん!]]』(5:20 - 6:30)→『[[ZIP!]]』(6:30 - 8:00)→『[[スッキリ!!]]』(8:00 - 10:25)→『[[PON!]]』(10:25 - 11:25 火~木のみ)→『[[NNNストレイトニュース]]』(11:30 - 11:45)→『[[ヒルナンデス!]]』(11:55 - 13:55)→『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』(13:55 - 15:50)→再放送など(15:50 - 16:47)→『[[かんさい情報ネットten.]]』(16:47 - 19:00)<br />
<br />
=== NNS全国ネット向け ===<br />
(番組は{{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在)<br />
* 長年に渡って[[日本テレビ系列平日午後2時台のワイドショー枠|平日午後2時台を中心とした生放送ワイドショー番組]]を放送している。現在の『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』は元々関西ローカルで夕方に放送されていた番組。[[2007年]][[9月]]まで放送していた『[[ザ・ワイド]]』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と共同制作の形を採った(詳細は[[ザ・ワイド]]参照)。<br />
* 1990年4月より他系列の在阪局同様、土曜日8時台・9時台前半に情報番組を放送している。現在は報道局が制作主体となっている『[[ウェークアップ!ぷらす]]』。この時間帯としては在阪民放唯一の報道番組であり、在阪局制作番組でありながらNNNの討論・報道番組としても扱われている。<br />
* [[ゴールデンタイム]]の制作番組は木曜日に集中しており、21時の『[[秘密のケンミンSHOW]]』、22時の『[[ダウンタウンDX]]』の2本を制作している。また、『[[NEWS ZERO]]』を挟んだ23時58分には『[[木曜ドラマ (読売テレビ)|木曜ドラマ]]』を制作しており、都合木曜日は3本の制作番組が並ぶ。<br />
*報道・情報系番組を除く3本の全国ネット番組は[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]あるいは[[ワンセグ]]の[[データ放送]]に対応している。<br />
*アニメ枠は長年月曜19時台に編成されていたが、後述する2009年4月の改編で土曜18時と日曜7時に放送枠が変更された。2013年4月からは『[[シューイチ]]』の放送時間拡大によって『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』が日曜7時に放送されることになりアニメの放送枠が土曜17時半に移動したため、土曜夕方に読売テレビ制作のアニメが2本連続放送されることになった。<br />
*かつては月曜日にも制作枠があり、[[連続ドラマ]]や[[バラエティ番組]]も手がけた事があったが、[[視聴率]]の不振が続いた為前者は[[2004年]][[3月]]、後者も日本テレビ制作番組と枠交換するも[[2008年]][[2月]]をもって撤退<ref>過去に日本テレビの『[[スーパーテレビ情報最前線]]』と制作枠を交換し、月曜21時が読売テレビ、月曜22時が日本テレビの制作枠となっていたが、[[2008年]][[4月]]に『情報ライブ ミヤネ屋』の日本テレビでの放送開始(14時台ネットワークセールス化)と引き換えに交換。</ref>、そして2009年4月改編で平日19時枠に帯バラエティ番組『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』がスタートした為、長年守り続けたアニメ枠までも枠移動を余儀なくされた。<br />
*深夜番組では『[[11PM]]』の火・木曜日分を担当して以来、現在の[[プラチナイト]]枠に至るまで全国ネット番組を途切れなく制作している。2008年[[10月2日]]より同枠にて、4年半ぶりに[[木曜ナイトドラマ|連続ドラマ]]を放送している。2010年4月からは『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』終了に伴う平日19時台の同局制作枠廃止(枠を日テレに事実上返上)に伴い、読売テレビ発・全国ネットは木曜日に集中する事になる(夜間に関しては21時台・22時台と[[木曜ミステリーシアター]]のみとなる)。<br />
<br />
==== 全国ネットに相当する番組 ====<br />
完全な全国ネットではないが、『遠くへ行きたい』や一部の深夜番組が日本テレビを始めとした複数の系列局で放送されている。<br />
<br />
日曜昼に放送されている『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』は、関東などを除いた全国24局同時ネットで放送されている(関西では20%超の高[[視聴率]]で占拠率は50%近く<ref>ネット局のうち[[北日本放送]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でも関西地区以上の高視聴率を獲得している。</ref>を叩き出す事がある人気番組)。日本テレビが番組ネットを打診したが、司会の[[やしきたかじん]]ら出演者は'''「関東圏には流すな」'''<ref>日本テレビおよび[[東京メトロポリタンテレビ|東京MX]]といった[[在京放送局|東京テレビ局]]の事</ref>と拒否、日本テレビでは放送されていないというエピソードを持つ。<!--詳細が気になる閲覧者は「そこまで言って委員会」のページを御覧下さい--><br />
<br />
因みに[[広域放送|中京広域圏]]の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]との親交が深く、全国ネット化に先駆け『ミヤネ屋』を一足早く<ref>2007年9月24日から</ref>ネットした。この際「-ミヤネ屋」に[[東京]]制作部のスタッフを派遣しており、2009年に始まったローカル番組『[[愛の修羅バラ!]]』ではレギュラー番組としては初めての共同制作を行っていた(現在は『[[上沼・高田のクギズケ!]]』)。そのほか、土曜朝の『[[あさパラ!]]』を唯一同時ネットしていたが、2011年3月末で中京テレビへのネットを打ち切った。<br />
<br />
=== 関西ローカル番組 ===<br />
* 日曜22:30からの『[[大阪ほんわかテレビ]]』や土曜16:30からの『[[土曜はダメよ!]]』などを制作している。<br />
** [[1999年]][[4月]]より日曜の昼に関西ローカルの情報バラエティ『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の放送を開始し、一躍話題となる。同番組はキー局や地方局のワイドショーでは話せない芸能界の裏情報が満載の番組としてエリア外でも異名を轟かせていた。これに伴って[[1998年]]まで同時ネットされていた『[[防府読売マラソン]]』([[山口放送]]制作)の中継を深夜放送枠の時差ネットで録画放送している。2009年から2010年までは中京テレビと共同制作の「愛の修羅バラ!」を放送。<br />
* 関西ローカル向けのワイドショーを[[2001年]][[10月]]から[[2009年]][[3月]]まで平日の10時台に編成していたが、[[2004年]]に若年層をターゲットにした[[なるみ]]・[[陣内智則]]司会の『[[なるトモ!]]』をスタートさせた。2005年10月から『なるトモ!』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[中京テレビ放送|中京テレビ]]・[[広島テレビ放送|広島テレビ]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でもネットされる事になり、念願の“東京進出”を果たす。関西発のワイドショーが関東でもネットされたのは『[[2時のワイドショー]]』→『[[Beアップル2時!]]』以来12年半振りであり、共同制作の『[[ザ・ワイド]]』で約1年間放送されていた大阪からのパートを含めると10年ぶりの事だった。しかし、日本テレビでの放送は僅か半年で終了した。<br />
* 1990年代から日本テレビ系列の平日夕方時間帯(午後4・5時台)はローカル情報番組(帯番組)を編成している局([[札幌テレビ放送|STV]]・[[福岡放送|FBS]]など)が多くなっているが、読売テレビは長年夕方ローカル情報番組を編成する事なく[[2時間ドラマ]]の再放送枠で、一定の視聴率を保っていた。ローカル番組を編成する[[MBSテレビ|MBS]](『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』)や[[ABCテレビ|ABC]](『[[ワイドABCDE〜す]]』や『[[ムーブ!]]』など)に対抗すべく[[2005年]][[11月]]から毎週金曜日に元[[朝日放送|ABC]]アナウンサーの[[宮根誠司]]を司会に起用した自社制作の情報番組『[[激テレ★金曜日]]』をスタート。翌[[2006年]][[7月31日]]からは再放送枠を廃止し、『激テレ★金曜日』を帯番組に発展させた『情報ライブ ミヤネ屋』を開始した。[[2007年]][[10月1日]]から同年[[9月28日]]に終了した『ザ・ワイド』の後継番組として放送時間を13:55からに移動、全国ネットとなった。<br />
* 以前は『[[おはようニュースマガジン]]』『[[元気モンTV]]』『[[あさイチ!]]』など平日早朝時間帯にローカル情報番組を放送していたが、[[2006年]][[6月30日]]で一旦終了。[[7月3日]]からは日本テレビの『ズームイン!!SUPER』をフルネットし、その中で30分ほどのローカルコーナーを放送。2010年3月29日からは3年9ヶ月ぶりに早朝の自社制作情報番組『[[朝生ワイド す・またん!]]』を放送。<br />
* 他の在阪局と同様に全国ネットでは[[日本プロ野球|プロ野球]]中継のうち[[読売ジャイアンツ]]戦を関西地区では[[阪神タイガース]]戦中継に差し替えるケースが見られる(二元中継の場合もあり。[[2007年]][[5月28日]]には[[オリックス・バファローズ]]戦を中継)。<br />
** かつては阪神応援番組の先駆者的番組『[[週刊トラトラタイガース]]』を放送していた。現在は後述の『[[ZIP!]]』のローカルコーナー内で「ウル虎!Sports」を毎日放送している。<br />
* 毎年春と夏(『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』の開催当日)には朝9時半から夕方にかけて長時間の生ワイドスペシャルを企画しており、当該時間枠の生放送番組の拡大版が放送されている(2005年夏は放送なし)。また、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の放送枠でも珍しく比較的自主制作枠が多い。<br />
* 自社製作の深夜番組については、一部の番組を日本テレビ系列局にネットされており、日本テレビでは水曜深夜に3枠連続で当社製作番組を放送されている。<br />
* 1992年10月から放送された深夜番組「[[たかじんnoばぁ〜]]」は、関西地区で最高視聴率25.1%(占拠率56%)を記録し、読売テレビ深夜番組史上最高視聴率を記録した。(この記録は破られていない)<br />
関東でのメレンゲの枠でおしゃべりジャングルやっている。2014年12月20日はYahoo!に中村昌也が元奥さんについて語っていた事掲載された。余談であるがブランチに元奥さんが出演していた<br />
<br />
=== アニメ ===<br />
{{ウィキプロジェクト アニメ}}<br />
{{See also|日本テレビ系アニメ}}<br />
* 本局では[[1967年]]([[昭和]]42年)に放送が開始された[[紙芝居]]の名作をアニメ化した『[[黄金バット#アニメ|黄金バット]]』で[[アニメーション]]制作に参入した。在阪局のアニメ参入は[[MBSテレビ|毎日放送]](MBS)に次いで2局目で、『黄金バット』の他、[[スポ根]]アニメの金字塔とも言われる『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』や[[プロレス]]アニメの決定版『[[タイガーマスク#1作目|タイガーマスク]]』、[[赤塚不二夫]]の人気を不動のものとした『[[天才バカボン (アニメ)|天才バカボン]]』、アニメブームの金宇搭とも言われる『[[宇宙戦艦ヤマト]]』など[[1960年代]] - [[1970年代]]は大ヒット作を連発した。現在でも人気が高い『[[ルパン三世]]』を[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|初めてアニメ化]]したのも本局である。<br />
* [[1990年代]]以降、[[諏訪道彦]]プロデューサーによるアニメ制作に力を入れており、MBSと並んで在阪局ではアニメ制作に力を入れている事で知られている。諏訪がプロデュースした代表的な作品としては、[[1996年]]1月から放送が開始され[[2010年]]現在も続く『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』や『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』『[[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]]』『[[犬夜叉#第1期|犬夜叉]]』『[[シティーハンター (アニメ)#TVアニメ|シティーハンター]]』『[[YAWARA!#TVシリーズ|YAWARA!]]』[[読売新聞]][[朝刊]]に連載中の[[植田まさし]]作による[[4コマ漫画]]をアニメ化した『[[コボちゃん#アニメ版|コボちゃん]]』等。キー局の日本テレビに比べると熱心であると同時に、NNS系列全国ネットのアニメを数多く制作している。最近では『[[エンジェル・ハート#テレビアニメ版|エンジェル・ハート]]』等の[[深夜アニメ]]も手掛けている。<br />
** 本局発全国ネットのアニメ番組では、[[ポケモンショック]]を教訓とした視聴注意テロップ「'''○○からのお願い…テレビアニメを見るときは部屋を明るくして画面からはなれてくださいね'''(○○には“コナン”や“結界師”等のメインキャラクターの名前が入る)」という他局では見られない特徴的な視聴の注意文を使用している<ref>テレビ朝日の『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』でも同様の注意文が出るが、本局では全ての作品でこの形に統一している</ref>(『[[それいけ!アンパンマン]]』など[[番組販売|番販]]の場合は単に「'''テレビアニメを見るときは-'''」という表示である)。<br />
** 視聴注意テロップについては全日のみ表示である。但し、2007年10月に[[読売テレビ制作月曜夜7時枠のアニメ|月曜夜7時枠]]から深夜に移動した『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』では表示された。また午後7時からアニメ映画を放送する場合は表示されていた(2009年春に枠廃止)が、日本テレビ発である[[金曜ロードSHOW!]]でアニメ映画を放送する場合は表示されない。<br />
**一部作品を除きオープニング・エンディングテーマの楽曲名の表示は、OP・ED冒頭で一回と途中スタッフのクレジットと共に一回出しているため、2回楽曲名が表示されるようになっている。<br />
** [[1995年]]から[[2009年]]まで、月曜7時台は本局制作のアニメ2本立てという編成が続いていたが、安定していた視聴率も[[2005年]]頃から低迷していた。その結果、19:00 - 19:30に放送されていた『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』が2007年10月改編で全国ネットから深夜枠へ"降格"(一部の局は打ち切り)となった。同年内いっぱいは『名探偵コナン』の1時間スペシャルや単発2時間特番で凌ぎ、2008年[[1月]]からはかつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送された『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』のリメイク版を放送していた。<br />
** [[2009年]]3月時点で、在阪局でゴールデンタイムにアニメ枠を持っていたのは本局のみだった([[1996年]]までは[[ABCテレビ|ABC]]も持っていた。MBSも[[1994年]]に一度全廃したが[[2005年]]に1年間だけ復活)。 <br />
** 本局の本社前には『名探偵コナン』の主人公・[[江戸川コナン]]のブロンズ像が建てられている。<br />
* 一方で[[1980年代]]後半から[[1990年代]]前半頃にかけて日本テレビ制作のアニメ作品のネットに消極的な時期があった。<br />
**日本テレビ系列で平日夕方5時台に放送されているアニメは、当初は同時間帯で放送されていた。しかし1988年10月から当該時間でローカル番組『[[ざまぁKANKAN!]]』の放送が開始されると、同年4月の開始当初は同時ネット(金曜17時)だった『魔神英雄伝ワタル』は木曜16時台に移動、後に平日の朝の10時台に放送時間が変更され、次番組も含めて1年間は当該時間での放送が続き、その後は平日の早朝5時台に放送時間が変更される等、変動が激しかった。さらに『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ]]』の様に放送時間が取れない等の事情により、'''放送回数を飛ばしていきなり最終回にしてしまう'''等、対応に問題があった。また夕方時間帯で放送時期は『[[アニメだいすき!]]』枠が割り込む時もあった。<br />
*** この時期に平日早朝に放送されたアニメは『[[魔神英雄伝ワタル]]』(放送開始時は夕方に放送)・『[[電脳警察サイバーコップ]]』(これは[[特撮]]作品だが、ローカルセールス化後はこの時間帯で放送された。)・『[[戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV]]』・『[[魔動王グランゾート]]』・『[[機動警察パトレイバー#TVシリーズ|機動警察パトレイバー]]』・『[[魔神英雄伝ワタル2]]』・『[[からくり剣豪伝ムサシロード]]』・『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』・『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ(2代目)]]』・『[[ママは小学4年生]]』・『[[ミラクル☆ガールズ]]』が挙げられる。<br />
** 『[[それいけ!アンパンマン]]』はこの時期に土曜日や日曜日の早朝に放送時間が変更されている。<br />
* 自社及び日本テレビ制作の深夜アニメは、現在では月曜深夜の『[[MANPA]]』枠の中で放送している(後述の『[[無敵看板娘#テレビアニメ|無敵看板娘]]』もこの枠で放送されていた)。しかし日テレ制作の作品は大幅な遅れネットを生じる事がある。<br />
* [[UHFアニメ]]の参入は在阪局としては最後発で、2006年[[7月]]からの『無敵看板娘』で参入を果たし(この作品にも製作委員会に加わっている。しかし関東圏の[[全国独立放送協議会|独立局]]と比べると放送時期は3週間程遅れていた)、これにより全ての在阪局及び[[近畿地方]]の民放テレビ局がUHFアニメを放送する事になった。但し、完全な外部製作のUHFアニメは2012年7月期の『[[薄桜鬼 〜新選組奇譚〜|薄桜鬼 黎明録]]』まで無かった。<br />
** 『無敵看板娘』以降は長らくUHFアニメの放送が無かったが、2008年7月より本局では2年ぶり、2本目となるUHFアニメ『[[乃木坂春香の秘密#テレビアニメ|乃木坂春香の秘密]]』以後はおおよそ1クール月と1-2本程続々とUHFアニメを製作している(『[[ぬらりひょんの孫]]』シリーズは[[日本BS放送|BS11]]と共同で製作委員会に参加)。<br />
** 16:9SDマスターで制作されたUHFアニメは、地上デジタル放送ではフルサイズで放送されている。なお、在阪局でUHFアニメのフルサイズ放送を実施しているのは本局とMBS・[[テレビ大阪]](TVO)のみ。<br />
* [[1987年]]から[[1995年]]にかけて、学校の休み期間に『[[アニメだいすき!]]』と称した枠で[[OVA]]を集中して放送していた事でも知られる。<br />
* 2009年7月には東京支社内にアニメ事業部を設立。系列会社の[[読売テレビエンタープライズ|yte]]と連携し、深夜アニメへの制作意欲を強めている模様である。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[文字多重放送|字幕放送]]テロップ(当初は「文字放送・字幕」)は日本テレビで表示しているものと同一デザインである。当初は全国放送でも関西ローカルのみの表示だったが、2003年8月頃からキー局の日本テレビに先駆けて日本テレビ系列各局向け(ネット回線)にも表示される様になった(関西ローカルでの表示も継続。日本テレビは読売テレビに1年遅れ、2004年8月頃から系列各局向けにも字幕放送テロップを表示する様になった。)。2003年12月の地上デジタル放送対応のマスター更新後、提供クレジット表示の書体は日本テレビと同じゴシック体(イワタ新ゴシック)が使われている。マスター送出のテロップ表示は提供スポンサー<ref>一時期、一部番組では「[[CMのCMキャンペーン|CMのCM]]」でおなじみのキャラクター「[[コマーさるくん]]」も一緒に表示していた。</ref>のみカットイン〜カットアウトで、それ以外の表示<ref>字幕放送、二ヶ国語放送など各種多重放送、前述にあったアニメ番組視聴の注意文、『遠くへ行きたい』の次回予告テロップその他各種断りテロップ等。かつては画面右上の「アナログ」(アナログ放送のみ冒頭の数秒間表示)や2008年7月23日までの「HV ハイビジョン番組」のテロップもあった。</ref>はすべてフェードイン〜フェードアウト<ref>他の在阪民放4局はスポンサー表示・多重放送テロップ・断りテロップもすべてフェードイン〜フェードアウトで出しているため、実質的には在阪民放5局全てで「フェードイン〜フェードアウト」での表示となっている。ちなみに民放5系列が揃っている地域で全局フェードイン〜フェードアウトで提供クレジット表示を行っているのは北海道のみである。</ref>となっている(ロールスーパーで流す場合もある)。<br />
* 二ヶ国語放送のテロップは長らく「[二]BILINGUAL/二ヶ国語」というテロップだったが、2010年7月よりウキキが「二ヶ国語<改行>BILINGUAL」と書かれたボードを持ったデザインに変更された。<br />
* ローカルで深夜に放送する定時番組枠において放送枠に名称を表記して放送する傾向にある。これらは新聞の番組表や[[電子番組ガイド|EPG]](アナログ放送時代は[[Gコード]]も)でも枠名でまとめてもしくは枠名のみ掲載され、枠内で放送する番組の開始時刻も表記されない<ref>[[MBSテレビ|毎日放送]]でも深夜番組に枠名を付けて放送する場合があるが、こちらでは'''新聞の番組表やEPG等では独立した番組として扱われる事が多い。'''</ref>為、一つの番組(特に枠後半の番組)だけ視聴もしくは録画予約したい場合の障害となっている。<br />
* 関西圏の広域局で自社系のCS放送局を持っていない<ref>自社製作番組のうち、ニュース番組は[[日テレNEWS24]]。プロ野球中継の阪神・巨人戦は[[日テレG+]]。その他の一般番組(過去に放送されたものを含む)は[[日テレプラス]]など複数の放送事業者に配給されている。</ref> (他、大阪府域局の[[テレビ大阪]]も同様。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]もかつては持っていたが撤退)。<br />
* 社屋10階に社員食堂としてカフェテリアコーナーがあり、東側が食堂[[生駒山|生駒]]、西側が喫茶コーナー[[六甲山|六甲]]である。<br />
* 在阪民放で唯一大株主に[[鉄道会社]]が入らないが、鉄道会社での番組宣伝は積極的に行われており、特に[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では大阪駅に専用ボードがあるなど改編期を中心に番組の中吊り広告を展開している。また、[[大阪環状線]]で1編成貸し切りのジャック広告を行う事もある。毎年夏から秋頃にJR西日本管内の特定地域(例外で四国・九州を舞台にした実績あり)を舞台とした『名探偵コナンミステリーツアー』(但し1990年代は『[[金田一少年の事件簿]]』や『[[探偵学園Q]]』が扱われたことがある。)が行われている。なお、読売テレビ本社の最寄駅である[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]は、JR西日本と[[京阪電気鉄道]]の沿線に当たる。<br />
* [[2011年]]12月より、「ytv」という右上にある[[ウォーターマーク]]の位置が前回よりも右上にロゴが上がった。<br />
トキヲウバウネの話題日本テレビで取り上げなかったが、みやねでやった。ワンピースのヨーコもやった。<br />
<br />
=== 日本テレビとの関係 ===<br />
在阪局は在京キー局と対立しがちであるが、読売テレビは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の意向を受けて設立された放送局という経緯もあり、両者の関係は非常に良好である。<br />
<br />
かつては『[[お昼のワイドショー]]』(初期)、また『[[11PM]]』の火・木曜放送分を放送開始から終了まで制作を担当し(後継番組の『[[EXテレビ]]』でも)、2000年代においても『[[ズームイン!!SUPER]]』に当時同局解説委員の[[辛坊治郎]]がレギュラー出演したり、2009年4月 - 2010年3月まで放送された『[[SUPER SURPRISE]]』(開始当初のタイトルは『サプライズ』)においても、前述の『11PM』『EXテレビ』と同様、水曜放送分の制作を担当した。また2007年9月まで放送されていた『[[ザ・ワイド]]』では同局との共同制作を行い、前期は本局発の情報コーナーを設けたり、積極的に関西からリポーターの中継を入れたり、後期には同局解説委員の[[岩田公雄]]がレギュラー出演していた。<br />
<br />
本局制作の全国ネット番組(『[[どっちの料理ショー]]』など)に日本テレビのアナウンサーが出演したり、同じく本局制作の全国ネット番組の『[[ウェークアップ!ぷらす]]』や『[[情報ライブ ミヤネ屋|ミヤネ屋]]』には日本テレビも協力し、同局の記者や解説委員も多く出演している。『ウェークアップ!ぷらす』においては、東京で出演するゲストを東京・[[汐留]]の日本テレビスタジオに招いてネットを繋いだり、インタビュー映像に出演する識者のコメントを同局で収録する等、積極的な交流がなされている(党首討論や立候補予定者の討論など企画によって汐留のスタジオから全編生放送することもある)。<br />
<br />
改編期に放送されている『[[世界一受けたい授業]]』の番組対抗スペシャルに読売テレビから『ミヤネ屋』や『[[秘密のケンミンSHOW]]』チームがゲスト出演している。深夜番組は日本テレビと共に同日ネットを行う番組が他局と比べて多い。また『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』に関しては劇場版での制作に日本テレビのスタッフが参加したり、汐留社屋内にある日テレショップでのグッズ販売も行っている。2009年3月には日本テレビ55周年・読売テレビ50周年の両局の記念番組として、『[[ルパン三世VS名探偵コナン]]』が放送された。<br />
<br />
なお読売テレビの東京支社は2009年11月24日に東京・汐留の「[[日本テレビタワー]]」(日本テレビ本社ビル)内に移転し、在京キー局の本社内に在阪準キー局の東京支社が入居する形となった<ref>ラジオ局に例えると、[[エフエム大阪|FM大阪]]の東京支社が[[エフエム東京|TOKYO FM]]の本社が入居するJFNセンタービル(東京都千代田区麹町)の例があるが、TOKYO FMやFM大阪が加盟する[[全国FM放送協議会|JFN]]の放送局の東京支社は全社FMセンタービルに入居している。</ref><ref>同様の例として、[[毎日放送]]東京支社が[[東京放送ホールディングス|TBS]]本社敷地内[[赤坂サカス]]に2008年より入居している。</ref>。<br />
<br />
系列会社と日本テレビとの関係も良好であり、[[小西美穂]]の様に報道などで評価、本局から日本テレビに移籍する社員もいる。自社制作の深夜番組の多くは日本テレビにもネットされ、中京広域圏の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]とも番組制作など(『[[特報!EXPOプレス]]』や『[[愛の修羅バラ!]]』等)で積極的に協力がなされているなど、NNN系列の[[準キー局]]として非常に良好な関係を築いている。<br />
<br />
一方で、他の在阪局同様に日本テレビとは一線を画す番組編成を取る時間帯も少なくなく<ref>過去には『[[朝の連続ドラマ]]』放送の為に『[[ルックルックこんにちは]]』を時差放送した例がある(これに関しては中国四国九州地方各局も同様の編成をしていた。最末期のではあるが[[山口朝日放送]]開局以降の[[山口放送]]や一時期の[[広島テレビ放送|広島テレビ]]や非マストバイ局を除く)。また先述の様に読売グループの放送局でありながら『[[週刊トラトラタイガース]]』や『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』(共に放送終了)を関西ローカルで制作・放送している。また、ズームイン!シリーズも例外なくタイトルの差し替えのない時間帯であっても、第2部(6:30以降)の内容の差し替えは他地域の局に比べ多い。</ref>、中には先述の『たかじんのそこまで言って委員会』等の様に出演者の猛反対を受けた等の理由で日本テレビにはネットされない場合もある。<br />
<br />
同時ネット番組であっても、『[[笑点]]』の様に関西圏で比較的視聴率が低い全国ネット番組も少なくない(他系列でも『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』等多く存在する)。<br />
<br />
== オープニング・クロージング ==<br />
* 開局時頃のオープニングは読売新聞独特の社旗のデザインに「読売テレビ」と書かれた局の社旗をバックに周波数などが表記されたモノクロ映像で、BGMは[[1988年]][[8月]]に、現在の社屋に移転するまで使われた壮大な[[オーケストラ]]調の音楽。その後[[1988年]][[8月]]の社屋移転までのオープニングは、このBGMをバックに日の出を撮影した映像。クロージングは[[1981年]]当時は切り絵(影絵)風のもの(この当時は末尾に主要中継局のチャンネル表示もあった)だったが、その後[[ヨット]]や[[コアラ]]などの映像と[[西部劇]]風な曲に変更され、中継局の紹介字幕も割愛された。<br />
* 1988年8月の移転後はオープニング・クロージング共通で讀賣テレビ局舎をベースにクレイアニメーションを取り入れて大阪の四季をイメージしたものや、[[1997年]]〜[[1998年]]頃になってからは絵画作品をストーリー風にアレンジしたものが放送された(音楽を手掛けていたのは[[西司]])。<br />
** 放送終了と放送開始との時間が短い場合は終了時にID(静止画)を5秒間表示していた。<br />
* 1998年に深夜の休止時間帯の[[フィラー]](1日の基点は当初5時00分だったが、2009年現在は平日5時20分・土曜4時45分、日曜4時35分)としてNNN24(現・[[日テレNEWS24]])が放送を開始すると放送時間を大幅に縮小して(10秒程度)当時のペットキャラクターである『アイニー君』(当時はI Need 10=アイ・ニー・ジューというスローガンがあった)をモチーフにしたアニメ映像が採用された。これによって周波数のコメント表示が省略された。<br />
* しかし、[[2000年]]にペットキャラクターが『[[テレビヤン]]』(テレビのブラウン管をモチーフにしたキャラクター。後に少しデザインのマイナーチェンジがなされた)が採用されるとかつて使用した絵画作品のダイジェスト版が放送された。<br />
* [[2005年]][[4月1日]]から[[2007年]][[3月31日]]までは、[[絵本]]作家・[[永田萌]]のイラストを使用したオープニングとエンディングの映像が放送されていた。また、2005年[[7月29日]] - [[8月7日]]の「[[天保山10デイズわくわく宝島]]」の開催期間限定でエンディングは振付師・[[真島茂樹]]がこのイベントのために新たにレコーディングしたイメージテーマソング「宝島伝説〜ワクワク愛の伝道師〜」の一部を抜粋したものが放送された。<br />
* 2007年[[4月1日]]から2008年12月までは「ytvウキウキたいそう」が放送された(オープニング・エンディング共通、15秒スポットIDと同じ)。<br />
* 2008年は以下のような形でクロージング、オープニングを放送した。<br /><br />
最終番組→[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM15秒→[[フィラー]](日テレNEWS24または放送休止)→[[ズームイン!!SUPER]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組<br />
* 2009年1月からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM30秒→読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM15秒→フィラー→平日:読売テレビの番組CM30秒/土曜・日曜:読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組となり、またこれよりオープニング・クロージングは流れなくなった。<br />
* 2009年11月16日からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM15秒→読売テレビの番組CM45秒→フィラー→地上デジタル放送宣伝CM60秒(2011年1月24日以降は地デジテスト60秒)→最初の番組もしくはCMとなっている。<br />
* 地上アナログ放送終了告知画面は日テレNEWS24フィラー前の30秒間放送している(音楽付き)。なおデジタルはフィラーへ直行している。放送休止の場合は、放送再開(カラーバー終了)の際に30秒間放送している。<br />
* 以前はオープニングには今日の日付(○月○日○曜日)を、クロージングには「おやすみなさい」という文字を、またフィラー前には「この後はNEWS24」というテロップを表示していたが、2007年4月1日より表示されなくなった。<br />
* 2007年3月31日までフィラー時間中にサイマル放送される日テレNEWS24がスタートする場合は'''「この後はNEWS24」'''(当初は「本日の番組を終了します。この後はNNN24」)のIDタイトルを被せていた。放送休止を行う場合は'''「本日の放送を終了します。おやすみなさい」'''となっていた。また毎月1回行われる[[緊急警報放送]]試験が実施される場合、'''「EWSテスト終了次第NEWS24をお送りします」'''というクレジットを出していた(2007年3月31日まで)。<br />
* 2013年2月から2014年3月までは、開局55周年バージョンとしてオープニングが復活。開局当時の大阪市北区岩井町の旧社屋の映像とともに、開局55周年キャンペーン隊長を務めた中谷しのぶが55周年のロゴマークの説明を行い、最後は「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている(ナレーション担当は三浦隆志)。<br />
* 2014年4月からのオープニングは「パンダのたぷたぷ」の映像の後、「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている。<br />
<br />
=== アナログ放送終了特別バージョン ===<br />
[[2011年]][[7月24日]]正午に地上アナログ放送が終了。その後は[[ブルーバック]]によるお知らせ画面に切り替わり、23時59分ごろ、アナログ放送終了を告知するための特別クロージングが流された。<br />
<br />
ナレーションは[[萩原章嘉]]アナウンサーが担当。映像は開局当時の東天満社屋の空撮→読売テレビ開局パレード→1980年代の東天満社屋→生駒山の鉄塔→2011年現在のOBP現社屋の空撮と続いて、最後に、ホワイトバックに「{{Color|#FFD800|ytv <sup>・</sup><sub>JOIX-TV</sub>}} <span style="background:#FFD800; color:white;"> '''よみうりテレビ'''</span>」のロゴが表記された。ナレーションについては、下記の通りである。<br />
<br />
「'''1958年8月にスタートしたよみうりテレビは、52年と11ヶ月間、アナログ放送をお届けしてきました。2003年からは、地上デジタル放送が登場。本日、長らくお世話になりましたアナログ放送が終了します。明日よりは、デジタル放送が独り立ちしますが、読売テレビは、これからも皆様と共に歩んでまいります。JOIX-TV、よみうりテレビ。'''」<br />
<br />
=== フィラー放送 ===<br />
* 定時番組終了後(一部の日曜深夜 - 月曜未明を除く)は、日テレNEWS24(平日は基本的に[[Oha!4 NEWS LIVE]]部分のみ)がフィラーで放送されている。<br />
* 日テレNEWS24の放送は定時放送終了後からとなる為、番組の途中から放送される。<br />
* 日曜深夜 - 月曜未明とメンテナンス日(平日に不定期)は原則として休止となっている為、新聞発表がないものの放送開始(基点)時間の5時20分直前の数十分間(場合によっては1時間以上放送される場合も有り)程度日テレNEWS24が放送される。なお、[[データ放送]]の[[電子番組ガイド|EPG]]及び読売テレビの公式サイトでは放送開始時間の記載がされている。<br />
* CMについても日テレNEWS24と同じものを放送している。<br />
* 先述した緊急警報放送試験(基本的に毎月1日)を実施する場合、NEWS24の前に約15分間放送休止の時間を設けて、[[カラーバー]]と[[緊急警報放送]]試験を実施する(デジタル放送もアナログ放送と時間をずらしてデジタル専用の緊急警報放送試験を実施)。<br />
* 日テレNEWS24が休止の場合や24時間テレビ放送終了日の深夜等、日テレNEWS24の放送が無い場合に自社制作のフィラー番組 (フィラーというタイトルで番組表に記載、[[ハイビジョン]]制作)を実施する。<br />
内容は以下の通り。<br />
* パターン1 - 春の桜の映像を中心とした近畿地方の四季映像とBGMを放送。<br />
* パターン2 - 近畿地方と全国の詳細な天気予報とBGMを放送([[ABCテレビ|ABC]]のフィラーと同様)。データは1時間毎に更新。<br />
* パターン3 - 本社お天気カメラの映像を無音で放送。緊急警報放送試験の日に、日テレNEWS24の放送が無い場合等に実施。<br />
* なおフィラー放送はクロージング(局名告知)後すぐには放送せず、1分間程黒画面(2008年以前は灰色画面)とカラーバーを挟む。<br />
* 全曜日のフィラー終了時には、「'''番組の途中ですが、ご覧のチャンネルでの『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます'''」とテロップで表示される。2009年5月までの平日([[Oha!4 NEWS LIVE]]エンディング時)には、「'''『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます。この後、詳しいニュースは『[[ズームイン!!SUPER]]』をご覧下さい。'''」と表示されていた<ref>2009年6月から11月まではOha!4 NEWS LIVEエンディングでは表示されなかった。同年12月よりOha!4 NEWS LIVEは途中で飛び降りとなる。</ref>。<br />
* 1998年にNNN24(現・日テレNEWS24)が開始される前は放送休止時にはカラーバーやお天気カメラの他、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックPV]]やゲームのデモ画面を流していた事もあった(この時はクロージング後すぐに放送していた。またミュージックPVやゲーム画面を流している時は、およそ1分おきに画面右下に当時のキャラクターであるアイニー君のアニメーションを表示していた)。<br />
<br />
== 時刻出し ==<br />
* アナログは「クロスカット」、デジタルは16:9表示で「横回転」となる。<br />
* フィラー中は『[[日テレNEWS24]]』の映像をそのまま使用している。一時期、月 - 木曜深夜=火 - 金曜未明( - 4:30 祝日の深夜は除く)については天気情報とニュースをテロップなどで表記するカスタムバージョンとなっていた時代がある。<br />
; 平日<br />
* フィラー開始 - 10:25(途中5:19.00秒から30秒は消去)<br />
* 16:48-16:48.30(『かんさい情報ネットten!』の第1部 冒頭の約30秒間)<br />
* 17:53 - 18:15(CM中消去 『[[news every.]]』のNNN全国ニュースパート)<br />
:*『ZIP!』の時間帯はカスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
:*[[2013年]][[7月29日]]から、「[[スッキリ!!]]」の時間帯でも標準フォントと併用で天気テロップを挿入<br />
:*[[2006年]][[10月2日]]から『[[NNN Newsリアルタイム]]』『[[ニューススクランブル]]』の時間帯でも表示開始。但し、『Newsリアルタイム』の16:53 - 17:50までは時刻出しを行っていなかった。現在の「-Ten!」になってからは「-リアルタイム」→「-every.」の本編の時間帯のみに縮小される。<br />
<br />
; 土曜<br />
* フイラー開始 - 9:25(途中4:29.15秒から30秒は消去)<br />
:* 『[[ズームイン!!サタデー]]』カスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
<br />
; 日曜<br />
* フィラー開始 - 9:55(途中4:34.15秒-30秒と『[[それいけ!アンパンマン]]』の次回予告では消去(「アンパンマン」は番組内のテロップの関係))<br />
:* 2013年7月28日から「[[シューイチ]]」の時間帯で標準フォントのままで天気テロップを挿入<br />
<br />
; 天気テロップ<br />
* 『[[ZIP!]]』『[[ズームイン!!サタデー]]』『[[シューイチ]]』(2013・7・28-)『[[スッキリ!!]]』(2013・7・29-)の時間帯(CM中を除く 時報字幕は前者2番組はカスタム<CM中は標準フォント>、後者3番組はCMを含め全編標準フォントを併用)に近畿2府4県(大阪府、兵庫県南部・北部、京都府南部・北部、滋賀県南部・北部、奈良県南部・北部、和歌山県南部・北部 <ref>兵庫県南部は「兵庫南」、兵庫県北部は「兵庫北」、京都府南部は「京都南」、京都府北部は「京都北」、滋賀県南部は「滋賀南」、滋賀県北部は「滋賀北」、奈良県南部は「奈良南」、奈良県北部は「奈良北」、和歌山県南部は「和歌山南」、和歌山県北部は「和歌山北」と省略して表示。</ref>)と札幌、東京、名古屋、福岡を表示している。[[警報]]発令時は福岡と大阪の間にすべり込ませて表示。カスタム開始当初は天気表示は平日のみだったが、現在は土曜も表示している。<br />
*: 近畿のみならず基幹都市の天気を表示するのは、その地域への出張や旅行に出かける視聴者に配慮するためで、[[ABCテレビ]]、[[関西テレビ放送]]<ref>2011年元日より</ref>でも同様にこの表示をしている。<br />
<br />
== 新聞などのテレビ欄 ==<br />
* [[新聞]]の[[番組表|テレビ欄]]は、株主である[[読売新聞]]とその系列の[[スポーツ報知]]は'''『よみうりテレビ』'''と表記しているが、その他の新聞や[[テレビ情報誌]]は'''『読売テレビ』'''(又は単に『読売』)と表記している(新聞に限らずテレビカメラなど一部の放送機材や一部の送信所にも旧ロゴで'''『読売テレビ』'''と表記しているものがある)。これは略称が'''「ytv」'''或いは'''「読売テレビ」'''に変更された現在でも続いており、まだ「ytv」の愛称が定着しているとは言い難い。<br />
* スポーツ報知(大阪本社版)のテレビ欄には、本局の番組欄の左端に長年に渡って縦長サイズ(テレビ番組表のサイズ)で'''「今夜の見もの」'''として連日一つの番組を紹介する広告を掲載している。また2007年[[4月]]から[[産経新聞]]の[[夕刊]](大阪本社版)のテレビ欄に'''「読売テレビの今夜の見もの」'''という広告を連日掲載していたが、2008年4月からは明朝の『[[ズームイン!!SUPER]]』の番組内容紹介(ytvローカルパート)に変わった。現在はライバル局である[[ABCテレビ]]の広告に変更されている。<br />
<br />
== 社旗 ==<br />
当社の社旗は、[[読売新聞社]]のものと同じデザインである。ただし、文字の部分に関しては黒字で「讀賣(改行)テレビ」と表記される(読売新聞社は、赤字で「讀賣」と表記)。また色合いも読売新聞社の社旗は朱色に近い赤色だが、読売テレビの社旗はワイン色に近い赤色になっている。<br />
<br />
== 読売テレビ番組の分野別一覧 ==<br />
''詳細は[[読売テレビ番組の分野別一覧]]を参照。''<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|ニュース・情報]]'''…[[情報ライブ ミヤネ屋]]、[[かんさい情報ネットten!]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]などを'''報道局'''が制作。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#スポーツ|スポーツ番組]]'''…[[プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]や[[全英への道 ミズノオープン|ミズノ男子オープン読売クラシック]]など中継番組全般を'''制作スポーツ局・スポーツ制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#バラエティー|バラエティ番組(全国ネット版)]]'''…[[鳥人間コンテスト選手権大会]]や[[ベストヒット歌謡祭]]などは'''制作スポーツ局・制作部'''が制作。[[ダウンタウンDX]]や[[秘密のケンミンSHOW]]などは'''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|バラエティ番組(ローカル版)]]'''…'''制作スポーツ局・制作部'''が制作している。主に[[大阪ほんわかテレビ]]や[[たかじんのそこまで言って委員会]]など。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ドラマ|ドラマ]]''' … '''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#アニメ|アニメ]]''' … '''編成局・アニメ事業部'''が制作している。(2009年7月1日に新設。従来は制作スポーツ局・東京制作部が制作<!---2009年7/2 “スワッチのアニメ日記”「アニメ事業部始動!」より-->)主に[[宇宙兄弟#テレビアニメ|宇宙兄弟]]や[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]など。<br />
<br />
== スタジオ ==<br />
現社屋は、本局の開局30周年記念事業の一つとして[[1988年]][[4月]]に完成した。その後段階的に社内の引っ越しやスタジオ稼動を行い同年[[8月1日]]に主調整室(マスター)も移転して、完全に現社屋での放送となった。<br />
=== 大阪本社 ===<br />
* '''第1スタジオ'''(HD/SD、180坪)…[[大阪ほんわかテレビ]]、[[たかじんのそこまで言って委員会]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]<br />
* '''第2スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[朝生ワイド す・またん!]]、[[あさパラ!]]<br />
* '''第3スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[情報ライブ ミヤネ屋]]<br />
* '''ニューススタジオ'''(HD対応、75坪)…[[かんさい情報ネットten!]]<br />
: 旧本社は汎用スタジオが2つ(報道用を含めると3つ)だった事から、現本社移転に際してはスタジオを新たに1つ増設すると共に全体のスタジオ面積を拡大し大型化させた。なお、現本社移転時には1スタは旧本社1スタ、2スタは旧本社2スタからそれぞれ機材を移設して対応した。<br />
<!---「ミヤネ屋」と「なるトモ!」のスタジオは、9月29日からチェンジしたそうです。(森若アナのブログで確認)---><br />
<br />
=== 東京都内 ===<br />
* '''多摩スタジオ'''(東京都[[八王子市]]、閉鎖)<br />
: [[1993年]]、本局における「東京での番組制作の拠点」を目指し、[[東京都]][[八王子市]]の[[京王相模原線]][[京王堀之内駅]]前に建設されたスタジオである。在阪局では[[関西テレビ放送|関西テレビ]]が[[東京メディアシティ]]内に設置した[[レモンスタジオ]]に続いて2番目に開設した東京のテレビスタジオだった。<br />
: スタジオは2つあり、オープン時は第1スタジオ及び第1副調整室(サブ)のみに機材を整備し、この機材を第2スタジオと分けて運用されていた。この他にVTR編集室やMA室なども整備され、本局だけではなく東京地区での他局の番組収録にも使ってもらえる様な設備を目指していた事もある。当時は自社制作番組「[[即席!明るい改造計画]]」などの番組収録に使用されていた。[[失楽園 (渡辺淳一)#テレビドラマ|失楽園(ドラマ編)]]も同スタジオで一部収録された。<br />
: しかし、都心部から距離が離れていた事や、タレントやスタッフの移動に時間的制約が掛かる事が一番のネックとなり、それによる稼働率の低さからスタジオ運営の採算が取れず、やむを得ず同所の売却を検討したが買い手がつかなかった。このため、[[2003年]]に建物を解体し更地状態にした上で売却した。現在は同所跡地に[[マンション]]が建設されている。<br />
: このスタジオで制作されていた番組については都内の貸しスタジオに分散され、閉鎖当時にこのスタジオで収録されていた番組は[[渋谷ビデオスタジオ]](2007年9月閉鎖)や[[東京タワースタジオ]](旧・東京タワー芝公園スタジオ、2012年9月閉鎖)、[[東京メディアシティ]]などでの収録に切り替えられた。<br />
: なお、現在の東京での収録番組については下記の様になっている。<br />
* [[秘密のケンミンSHOW]]…東京メディアシティ内のTMC-A1スタジオ([[テクノマックス]]が運営。スタジオ管理は開設時の運営元である[[国際放映]]が担当)<br />
* [[ダウンタウンDX]]…東京メディアシティ内の[[TBSテレビ|TBS]]砧スタジオ([[緑山スタジオ・シティ]]が運営)。<br />
: また、一部番組は日本テレビが運営する[[生田スタジオ]](神奈川県川崎市多摩区)で収録されるケースもある。<br />
* '''読売テレビ東京支社'''(東京都[[港区 (東京都)|港区]])<br />
: 読売テレビ本社 - 東京支社間には常時使用可能な専用中継回線が引いてあり、[[情報ライブ ミヤネ屋]]などで使用されている。<br />
<br />
== 情報カメラ設置ポイント ==<br />
* [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見([[TWIN21|ツイン21]])※HD<br />
* [[新大阪駅]]<br />
* [[関西国際空港]]※HD<br />
* [[兵庫県]][[神戸市]](ポートピアホテル)※HD<br />
* [[明石海峡大橋]](淡路島・淡路サービスエリア)<br />
* [[京都市]][[中京区]]川端四条(カモガワビル)※HD<br />
* [[京都府]][[大山崎町]]([[名神高速道路]]・[[大山崎ジャンクション|大山崎JCT]]付近)<br />
* [[滋賀県]][[大津市]]([[NHK大津放送局]]、[[大津プリンスホテル]])<br />
* [[滋賀県]][[彦根市]]([[名神高速道路]]・[[彦根インターチェンジ|彦根IC]]、彦根トンネル付近)<br />
* [[奈良県]][[奈良市]]<br />
* [[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]<br />
<br />
== アナウンサー ==<br />
※はアナウンス部長経験者。<br />
=== 現在 ===<br />
入社順。<br />
* 1984年 [[道浦俊彦]]<br />
* 1985年 [[萩原章嘉]]<br />
* 1989年 [[植村なおみ]](東京支社製作センター宣伝部副部長兼務)<br />
* 1990年 [[脇浜紀子]]<br />
* 1991年 [[小澤昭博]]、[[三浦隆志]]<br />
* 1993年 [[尾山憲一]]<br />
* 1999年 [[横須賀ゆきの]](報道局神戸支局兼務)<br />
* 2000年 [[森若佐紀子]]<br />
* 2001年 [[清水健 (アナウンサー)|清水健]]2015年は夕方の番組を母親介護の為休んでいた。2月12日のYahoo!で明らかなった<br />
* 2003年 [[小林杏奈]]<br />
* 2005年 [[五十嵐竜馬]]、[[本野大輔]]<br />
* 2006年 [[川田裕美]]、2015年2月までみやねに出演。[[虎谷温子]]<br />
* 2007年 [[吉田奈央 (読売テレビアナウンサー)|吉田奈央]]<br />
* 2008年 [[林マオ]]2015年3月からみやねに出演、[[山本隆弥]]<br />
* 2009年 [[立田恭三]]<br />
* 2011年 [[中谷しのぶ]]<br />
* 2014年 [[増井渚]]<br />
<br />
=== 元・アナウンサー ===<br />
◎:2013年12月の時点で、「アナウンサー」「キャスター」として読売テレビ制作の番組に出演。<br><br />
* [[生田博巳]](読売テレビ開局時に[[日本放送協会|NHK]]から移籍)<br />
* [[寄藤隆也]](読売テレビ開局の第一声を行った)<br />
* [[羽川英樹]]<br />
* [[鎌田龍児]]<br />
* [[竹山祐一]]<br />
* [[小城敏]]<br />
* [[一丁田修一]]<br />
* [[佐藤忠功]]<br />
* [[岩田公雄]](報道局特別解説委員)<br />
* [[山本純也]](営業局)<br />
* [[結城豊弘]](編成局情報番組センター統括プロデューサー)<br />
* [[坂泰知]](報道局チーフプロデューサー)<br />
* [[牧野誠三]]◎(編成局アナウンス部)<br />
* [[村上順子]]<br />
* [[中元綾子]]<br />
* [[山田孝子]]<br />
* [[下山英三]]※<br />
* [[石黒新]]※<br />
* [[辛坊治郎]]◎([[大阪綜合研究所]]代表)<br />
* 村田真哉(編成局宣伝部長)<br />
* 斎藤敬(取締役報道局長兼解説委員長)<br />
* [[森武史]]※◎(情報スポーツ局情報番組センター次長)<br />
* [[大田良平]](報道記者)<br />
* [[野村明大]]◎(報道局プロデューサー)<br />
<br />
== 記者 ==<br />
* 河中可志子<br />
* 嶋田麻里<br />
* 田中麻美<br />
* 波止荘子<br />
<br />
== 解説委員 ==<br />
※現在、本局は在阪局で唯一解説委員を置いている。2人とも本局制作のローカル・全国ネット問わず報道・情報番組に出演・解説している。岩田は日本テレビ制作の報道・情報番組に出演することもある。<br />
* 岩田公雄(元アナウンサー・元報道記者・元解説委員長。特別解説委員)<br />
* [[春川正明]](元報道記者。解説副委員長)<br />
<br />
<br />
<br />
==画家==<br />
*[[中野一水]] - 藤島武二門下の抽象画家<br />
<br />
== 放送技術概要、送信所・中継局等一覧 ==<br />
=== リモコンキーID ===<br />
* [[リモコンキーID]]はアナログ親局のチャンネル番号を引き継ぎ10である。<br />
** アナログ親局が10chであった民放7局の中で唯一[[地上波デジタル放送]]でも「'''10'''」を採用した放送局である<ref><br />
* リモコンキーID「'''3'''」:[[琉球放送]]([[TBSテレビ|TBS]]系列)<br />
* リモコンキーID「'''4'''」:[[山形放送]]・[[南海放送]](共に日本テレビ系列)<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[テレビ朝日]](テレビ朝日系列)<br />
* リモコンキーID「'''6'''」:[[山陰放送]]・[[宮崎放送]](共にTBS系列)<br />
</ref>。<br />
** 区域外([[三重県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[福井県]]嶺南地方など)で、直接受信やCATVを通じて視聴する場合のチャンネル番号は、区域内と同じ「'''10'''」にセットされる事が大半である。<br />
* キー局の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のリモコンキーIDは日本テレビのアナログ親局と同じ「'''4'''」で、[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列全29局中21局で使われる。「4」を使わないのは本局以外に8局存在する。<ref><br />
* リモコンキーID「'''1'''」:[[青森放送]]・[[北日本放送]]・[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]・[[四国放送]]<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[札幌テレビ放送|STV札幌テレビ]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]<br />
* リモコンキーID「'''7'''」:[[福井放送]](日本テレビ系列主体・準テレビ朝日系列クロスネット局)<br />
</ref><br />
<br />
=== 送信所 ===<br />
* JOIX-DTV<br />
* 物理14ch(チャンネル番号101 - 103、 周波数 479.142857MHz)<br />
* [[空中線電力]]3kW・実効輻射電力30kW([[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数 約580万世帯)<br />
* 地上デジタル放送の物理チャンネル14chはかつて[[NHK UHFテレビ実験局]](大阪)が使用していた。<br />
* 送信所施設は[[MBSテレビ|毎日放送]](デジタルテレビ)と共同使用(デジタル放送開始以前は局単独の施設だった)。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* 滋賀県<br />
** 大津 14ch<br />
** 彦根 14ch<br />
** 甲賀 14ch<br />
** 大津石山 19ch<br />
** 甲賀大原 32ch<br />
** 信楽 32ch<br />
* 京都府<br />
** 京都(比叡山) 35ch<br />
** 福知山 14ch<br />
** 舞鶴 14ch<br />
** 宮津 14ch<br />
** 峰山 14ch<br />
** 亀岡 14ch<br />
** 中舞鶴 30ch<br />
** 野田川 30ch<br />
** 山科 22ch<br />
* 大阪府<br />
** 柏原 14ch<br />
** 岬深日 14ch<br />
** 中能勢 14ch<br />
** 西能勢 14ch<br />
* 兵庫県<br />
** 神戸 14ch<br />
** 姫路 14ch<br />
** 北淡垂水 14ch<br />
** 三木 14ch<br />
** 神戸兵庫 14ch<br />
** 西宮山口 14ch<br />
** 香住 14ch<br />
** 城崎 14ch<br />
** 龍野 14ch<br />
** 福崎 14ch<br />
** 西脇 14ch<br />
** 猪名川 30ch<br />
** 市島 20ch<br />
** 姫路西 14ch<br />
** 篠山 14ch<br />
** 氷上 14ch<br />
** 和田山 14ch<br />
** 八鹿 20ch<br />
** 日高 20ch<br />
** 山崎 32ch<br />
** 一宮安積 38ch<br />
** 神戸妙法寺 33ch<br />
** 赤穂 14ch<br />
** 相生 14ch<br />
** 川西けやき坂 14ch<br />
** 中町 23ch<br />
** 浜坂 36ch<br />
** 長田 33ch<br />
** 神崎 38ch<br />
** 相生若狭野 14ch<br />
** 佐用 38ch<br />
** 青垣 20ch<br />
** 南淡 14ch<br />
* 奈良県<br />
** 栃原 14ch<br />
** 三郷立野 40ch<br />
* 和歌山県<br />
** 和歌山 14ch<br />
** 紀ノ川 14ch<br />
** 海南 14ch<br />
** 御坊 14ch<br />
** 吉備 14ch<br />
** 有田 14ch<br />
** 橋本 34ch<br />
** 田辺北 14ch<br />
** 田辺 14ch<br />
** 南部川 34ch<br />
** 下津 14ch<br />
** 新宮 14ch<br />
** 串本 14ch<br />
** 由良 35ch<br />
** 印南切目 35ch<br />
<br />
==== データ放送について ====<br />
* 読売テレビの[[データ放送]]は同一地域他局や他の系列局とは違い番組連動データ放送は若干不便である。<br />
** 2011年11月までは、日本テレビを含めた他社制作番組の連動データ放送を利用する場合dボタンを押すだけでは通常のトップ画面となり、その画面から黄ボタンを押すかクリックしないことには連動データ放送にはたどり着けなかった。読売テレビ制作の番組を他の系列局等で放送する場合も同じであった。しかし現在では、dボタンを押すだけで連動データ放送にたどり着けるようになっている。<br />
<br />
=== アナログ放送の概要 ===<br />
2011年7月24日停波時点<br />
* JOIX-TV<br />
* 映像10kW、音声2.5kW<br />
* 生駒山送信所 '''10ch'''<br />
** [[滋賀県|滋賀]]・[[両丹|京都北部]]・[[但馬国|兵庫北部]]・[[播磨国|兵庫西部]]・[[和歌山県|和歌山]]、山間部などを除き多くがこのチャンネルで受信。UHF中継局で受信される場合もチャンネルポジションを「10」に設定されることが多かった。)<br />
** アナログ親局10chを使う局は、日本テレビ系列としは[[山形放送]]、本局、[[南海放送]]の3局であった。<br />
*[[四国|四国地方]]の[[徳島県]]にも届いており、同県内でも[[視聴者]]は多かった。ちなみに同県には同じ日本テレビ系列の[[四国放送]]があるため、同系列のテレビが2局視聴できる(ただし、非マストバイ局である四国放送では放送されない日本テレビ系列全国ネット番組も少なくないが平成初期(1990年代)に比べれば改善された)。また、[[福井県]]([[福井放送]]エリア)の若狭地方、[[三重県]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]エリア)の伊賀地方、[[香川県]]([[西日本放送テレビ|西日本放送]]エリア)の[[香川県]][[東かがわ市]]・[[小豆島町]]、[[高知県]]([[高知放送]]エリア)の[[室戸市]]東部・[[東洋町]]などでも電波が届き、視聴されている(ごく一部[[愛知県]]西部、[[岐阜県]]南部(ともに中京テレビエリア)、[[岡山県]]東部(西日本放送エリア)、[[鳥取県]]沿岸部([[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]エリア)でも受信可能であった)。<br />
*コールサイン「JOIX」は、本局が開局した1958年8月28日から[[1967年]][[10月31日]]まで、[[NHK旭川放送局]][[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]][[留萌ラジオ中継局#中継局概要|留萌中継局]]と重複割り当ての状態だった。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* [[大阪府]]<br />
** [[柏原市|柏原]] 60ch<br />
** [[河内長野市|河内長野寺元]] 58ch<br />
** 河内長野天見 60ch<br />
** [[泉南市|泉南金熊寺]] 60ch<br />
** [[岬町 (大阪府)|岬深日]] 60ch<br />
* [[滋賀県]]<br />
** [[大津市|大津]] 42ch<br />
** [[彦根市|彦根]] 62ch<br />
* [[京都府]]<br />
** [[京都市|京都]][[山科区|山科]] 60ch<br />
** [[福知山市|福知山]] 62ch<br />
** [[舞鶴市|舞鶴]] 61ch<br />
** 中舞鶴 41ch <br />
** [[亀岡市|亀岡]] 39ch <br />
** [[宮津市|宮津]] 41ch <br />
** [[京丹後市|峰山]] 42ch<br />
* [[兵庫県]]<br />
** [[神戸市|神戸]] 47ch <ref>指向性が西に向いているため、[[大阪湾]]沿岸部での受信が難しく、大阪10chか神戸灘を受信していた。またアナアナ変更以前は24chだった。</ref><br />
** 神戸灘 60ch<ref>灘区の沿岸部では大阪10ch受信している世帯が多いため。受信している世帯は、灘区北部や北区の一部に限られる。</ref><br />
** [[相生市|相生]] 41ch<br />
** [[宍粟市|山崎]] 41ch<br />
** [[丹波市|氷上]] 41ch<br />
** [[香美町|香住]] 41ch<br />
** [[佐用町|佐用]] 41ch<br />
** [[川西市|猪名川]] 41ch<br />
** [[川西市|川西けやき坂]] 61ch<br />
** [[姫路市|姫路]] 62ch<br />
** 姫路西 41ch<br />
** [[赤穂市|赤穂]] 62ch <br />
** [[西脇市|西脇]] 62ch <br />
** [[豊岡市|城崎]] 62ch <br />
** [[朝来市|和田山]] 62ch <br />
** [[淡路市|北淡垂水]] 61ch<br />
** [[三木市|三木]] 42ch<br />
** [[たつの市|龍野]] 42ch<br />
* [[奈良県]]<br />
** [[下市町|栃原]] 39ch<br />
** [[吉野町|吉野]] 40ch<br />
* [[和歌山県]]<br />
** [[和歌山市|和歌山]] 48ch<br />
** [[和歌山市|紀ノ川]] 61ch<br />
** [[橋本市|橋本]] 31ch<ref>同系列の[[静岡第一テレビ]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[海南市|海南]] 62ch<br />
** [[有田市|有田]] 41ch<br />
** [[御坊市|御坊]] 61ch<br />
** [[由良町|由良]] 62ch<br />
** [[白浜町|田辺]] 62ch<br />
** [[田辺市|田辺北]] 29ch<ref>同系列の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[新宮市|新宮]] 42ch<br />
** [[串本町|串本]] 61ch<br />
<br />
=== チャンネル番号について ===<br />
大阪地区のアナログテレビ放送の第10chである。既に開局していた[[大阪テレビ放送]](現・[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]]。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・[[関西テレビ放送]]。8ch(ただし、本局より3ヵ月後に開局))に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、新日本放送(現・[[毎日放送]])、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送との競願になり事態が硬直した際、新大阪テレビ側は[[兵庫県]][[姫路市|姫路]]地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ振り向けることを提案。これが通って、当時第4chで送信されていたNHK大阪放送局は第2chが割り当てられることになり、大阪地区は民放に2波、空いた第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった[[田中角栄]]が毎日放送と新大阪テレビにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、新大阪テレビが断固拒否した。次いで教育2社が合併して毎日放送と新大阪テレビのいずれかと合併することとなり、押し付けあったあげく新大阪テレビはキー局の[[日本テレビ放送網]]([[東京特別区|東京]])と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選び第10chを割り当てられた<ref>これで腸捻転解消まで東京地区と大阪地区では4chと10chで系列ベースで逆転することになった(NET:10-毎日放送:4, 日本テレビ:4-読売テレビ10)。</ref>。毎日放送は若いチャンネルである第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑んだ。<br /><br />
1988年に開局30周年を記念して読売テレビは「10マーク」<ref>ブラウン管のなかに10をデザインしたもの。東京の日本教育テレビ(NETテレビ、現・[[テレビ朝日]])も類似のマークを制定していた。また、</ref>を導入した。<br />
<br />
また、地上デジタル放送におけるリモコンキーIDを在阪他局同様にアナログ放送のチャンネル番号を引き継ぎ10とし、日本テレビ系列のみならず4大系列で唯一2桁の番号を採用した局でもある。<br />
<br />
== ケーブルテレビ再送信局 ==<br />
以下の[[ケーブルテレビ]]では、[[区域外再放送]]が行われている。この内、'''太字'''で表記した局ではデジタル放送の再送信も行われている。<br />
<br />
デジタル放送は近畿2府4県と三重県の3社、徳島県のひのき以外は再送信されていない。[[徳島県]]内では既に、広域民放3局とテレビ大阪などの県域民放は一部のケーブルテレビ局で地上デジタル放送の再送信が行われているものの、本局は唯一の県域局[[四国放送]]が同じ日本テレビ系列に加盟している事に考慮して、デジアナ変換の再送信のみ行われている。香川県と岡山県での再送信は2011年7月24日に終了した。<br />
<br />
徳島県は'''民放テレビが1局しかないため特例地域'''として位置付けられている事と、非マストバイ局の四国放送ではネットされていない日本テレビ系列全国ネット番組が少なくない<ref>しかし、四国放送の2011年春改編では[[おはようとくしま プラス|自社制作]]や[[スーパーモーニング|他系列同時ネット番組]]の打ち切りにより本来の日本テレビとの同時ネットに切り替わる。番組によっては読売テレビでは遅れネットあるいは未放送となる番組も若干含まれる。</ref>。各CATV会社で協議を行ってきたが不調に終わったため、ytvがデジタル再送信の要望を取り下げることを条件にデジアナ変換での再送信を提案したため、2015年3月まで12社で再送信が実施されている<ref>[http://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/07/2011_131052191524.html 徳島新聞Web 2011年7月13日 カウントダウン地デジ化 県内CATV12社、読売テレビ放送]</ref>。[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]は大臣裁定を申請し受理されたため、2011年7月24日正午から少なくとも裁定が行われるまでは再送信されている<ref>[http://www.cue.tv/pdf/press20110711.pdf 讀賣テレビ放送の区域外再放送に関して『大臣裁定』を申請 経過措置としてデジタル再放送を実施見通し]</ref>。ただし、徳島県で読売テレビのデジタル放送を受信するにはケーブルテレビ加入の有無(ひのきを除く)に関係なく、高利得UHFアンテナ(必要に応じてブースターも)による直接受信をする必要がある。<br />
<br />
* [[三重県]]<br />
** '''[[アドバンスコープ]]'''<br />
** '''[[伊賀上野ケーブルテレビ]]''' (ICT)<br />
** '''[[ZTV]]'''(東紀州〈紀南〉地域のみ)<br />
* [[徳島県]]<br />
** [[阿波市ケーブルネットワーク]]<br />
** [[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)<br />
** [[エーアイテレビ]]<br />
** [[上板町有線テレビ]] (KCI)<br />
** [[ケーブルテレビあなん]]<br />
** [[ケーブルネットおえ]]<br />
** [[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)<br />
** [[国府町CATV]] (KBC)<br />
** [[テレビ鳴門]]<br />
** [[徳島県南メディアネットワーク]] (MTC)<br />
** [[徳島中央テレビ]] (JCTV)<br />
** [[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)<br />
** '''[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]''' (CUEtv)<br />
<br />
== 関連会社 ==<br />
* 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />
* 株式会社[[ytv Nextry]]([[2011年]][[2月]]、これまでの株式会社[[映像企画]]、株式会社[[よみうりテレビ映像]]、株式会社[[サウンドエフェクト]]の3社を統合して設立された)<br />
* 株式会社[[よみうりテレビサービス]]<br />
* 株式会社[[ワイズビジョン]]<br />
* 株式会社[[エイデック]]<br />
* 株式会社[[よみうり文化センター]]<br />
* 株式会社[[センテンス]]<br />
* 株式会社放送事業社<br />
<br />
== 事件・事故 ==<br />
=== 不祥事・トラブル ===<br />
1998年。失楽園で任天堂に無許可でマリオランドの地下のテーマパクった。2015年のヒロイン崩御の話題でメイキング放送された<br />
* [[2004年]][[2月13日]] - 映画イベント「[[シネマダイスキ|CINEMA DAISUKI]] 映画祭2003」に応募した当選者の[[メールアドレス]]150人分が流出した。メールアドレスの[[電子メール#CCとBCC|CCとBCC]]を誤って入力した事が原因だった。謝罪し、誤送信したメールを削除するようお願いした。<br />
* [[2005年]][[9月22日]] - [[北海道]][[知床 (世界遺産)|知床]]での番組ロケで騒いでいた読売テレビスタッフとお笑い芸人たちに男性観光客が口頭で注意。しかし、この男性観光客は読売テレビスタッフと[[村上ショージ|参加していたお笑い芸人の一人]]に口汚く反論された上に体を押さえつけられて一時[[監禁]]されたとして警察に通報した。駆けつけた警察署員の前でも読売テレビスタッフらの態度は変わらず、男性観光客は後日読売テレビへ抗議。当初は謝罪の意志を示さなかったが、再度警察に相談したところ、ようやく行き過ぎた言動に対して読売テレビと[[村上ショージ|このお笑い芸人]]が男性に謝罪する事態となった<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_10/g2005101810.html 吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし - 夕刊フジ(2005年10月18日号)]</ref>。<br />
* [[2007年]][[6月17日]] - この年[[4月22日]]に放送された[[ディベート|討論]][[バラエティ番組]]『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』にて、当事者に取材せず、事実の確認をしない内容を放送したとして謝罪した。詳細は[[たかじんのそこまで言って委員会#番組中の公式謝罪]]を参照。<br />
* 2007年[[7月16日]] - この日放送の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]スペシャル』にて[[視聴者]][[クイズ]]を出題したが、[[インターネット]]による応募だった事と放送終了後30分を締め切りに設定したために応募者のアクセスが集中し、長時間に渡り読売テレビの[[サーバ]]自体が落ちるという羽目になった。これにより次週[[7月23日|23日]]のクイズからは企画を「24時間タイムリミットクイズ」と変更し、クイズの締め切りを放送翌日午後8時までとした。<br />
* 2007年[[12月12日]] - [[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]の医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件で、同年[[9月28日]]に[[調書]]の写しから[[京都大学]]医学研究科の教授の指紋が検出されたと報道したのは誤りだったとし、教授に謝罪文を提出した。教授は「大学のプロジェクトや生活に支障が出た」として本局に謝罪を求めていた。本局は、[[12月10日]]付で取締役報道局長や記者ら5人を処分したが、詳細は明らかにできないとしている。<br />
* [[2010年]][[12月]] - 同局の報道番組で、[[あいりん地区]]での[[向精神薬]]の売買などの[[貧困ビジネス]]の実態などを紹介する内容の特集が組まれた際、大阪市在住の男性が、この特集に[[匿名]]で取材協力したが、その直後に[[殺人罪|殺人]][[未遂]]事件に遭った。この男性は、同局が音声加工などで身元を秘匿するなどの処置を十分に行っていなかったためだとして、同日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に[[慰謝料]]などを求める訴えを起こした<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/11/08/20111108dde041040034000c.html 損賠提訴:取材協力で襲撃 被害男性、読売テレビを] 毎日新聞 2011年11月8日</ref>。その後[[2013年]][[6月30日]]付で、同社が男性に慰謝料や解決金など計約6,300万円を支払うことで[[和解]]が成立した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130707k0000m040026000c.html 読売テレビ:匿名の取材協力者と和解 解決金100万円] 毎日新聞 2013年7月7日</ref>。<br />
* 2011年[[7月25日]] - 同局は2007年から、給与を年俸制に変更し、さらに次長職を廃止するという新人事制度に移行した。さらに、次長職にある[[労働組合|組合]]員らに対し、契約に署名するよう執拗に要求し、従わなかった7人を一般職に降格した。[[都道府県労働委員会|大阪府労働委員会]]は、この行為が[[不当労働行為]]に該当するとして、同局に対し2011年7月25日付で再発防止の誓約書を作成するよう命じた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110726/crm11072611520007-n1.htm 給与下がる年俸制、一般職降格…読売TVの不当労働行為を認定] 産経新聞 2011年7月26日</ref>。<br />
*2011年[[9月4日]] - この日放送の「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」で、子供からの質問に対し出演者が回答するコーナーにおいて、「[[東北地方|東北]]の[[肉]]や[[野菜]]を食べるとどうなるか」との質問に対し、この日出演していた[[中部大学]][[教授]]の[[武田邦彦]]が、[[岩手県]][[一関市]]の[[放射線]]数値を示した上で、「食べると健康を害する」、「今、東北で農作業はすべきでない」等と回答した。これに対し、一関市の[[勝部修]][[市町村長|市長]]は、「[[農家]]の感情を逆撫でする非常識発言である」などと主張し、武田に対し抗議の[[電子メール]]を送付する事態となった。読売テレビ側は、「武田教授に批判的な意見も取り入れており、全体的に見れば内容に問題はない」と主張している<ref>[http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110907ddm041040164000c.html 東日本大震災:「東北の野菜や肉、健康害する」中部大教授、テレビ番組で発言] 毎日新聞 2011年9月7日</ref>が、この発言の影響で、遅れネットで放送予定だった[[福岡放送]]はこの日の放送を中止した。<br />
<br />
=== 64分にわたる放送中断 ===<br />
* [[1990年]][[5月9日]]午後1時59分から午後3時3分頃まで、近畿圏(読売テレビの放送エリア)に於いて本局の放送が64分間も中断する[[放送事故]]があった。原因は[[奈良県]][[生駒山]]にある送信所のトラブルと見られ、送信所に技術スタッフが急行するまでの間画面は[[スノーノイズ|砂嵐]](ザラザラ画面)だった。そのため近畿圏のみ午後2時からの『[[2時のワイドショー]]』が見られず、午後3時からの日本テレビからのネット受けの『[[キャッチ (ワイドショー番組)|キャッチ]]』も冒頭の3分程削られる状態となった。これだけの放送中断は史上初であり、本局に約1,500件もの苦情が寄せられた。<br />
====昼何で放送事故====<br />
2015年9月14日のエンディングではなわが有吉宣伝したところでいきなり。マークと阿蘇山としばらくお待ちください表示された。謝罪した。ヤフー乗っていた<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[わくわく宝島]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.ytv.co.jp/ ytv] - 讀賣テレビ放送公式サイト<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:よみうりてれひほうそう}}<br />
[[Category:読売テレビ|*]]<br />
[[Category:日本民間放送連盟会員|27よみうりてれひほうそう]]<br />
[[Category:第30回BCS賞]]<br />
[[Category:大阪市中央区の企業]]<br />
[[Category:日本のテレビ局]]<br />
[[Category:大阪府のマスメディア]]<br />
[[Category:アニメに関係する企業]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%AE%80%E8%B3%A3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81&diff=401206
讀賣テレビ放送
2022-08-27T06:36:07Z
<p>PG: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|[[近畿広域圏]]を放送対象地域とする放送局|[[鹿児島県]]を放送対象地域とする放送局|鹿児島讀賣テレビ}}<br />
{{redirect|ytv|その他の用法|YTV}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名=讀賣テレビ放送株式会社<br />
|英文社名= YOMIURI TELECASTING CORPORATION<br />
|ロゴ= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation Logo.svg|150px]]<br />
|画像= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation head office 2008-2.jpg|300px]]<br />
|画像説明= '''本社社屋'''<br />
|種類= [[株式会社]]<br />
|市場情報= 非上場<br />
|略称= 読売テレビ、よみうりテレビ、ytv<br />
|郵便番号= 540-8510<br />
|本社所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見二丁目2番33号<br />
|設立= [[1958年]][[2月13日]]<br />
|業種= 5250<br />
|事業内容= 放送法に基づくテレビジョン放送<br />
|代表者= [[代表取締役]]会長 [[越智常雄]] <br /> 代表取締役社長 [[望月規夫]]<br />
|資本金 = 6億5,000万円<br />
|売上高 = 583億1,100万円(2012年3月期)<br />
|経常利益 = 68億3,000万円(2012年3月期)<br />
|従業員数 = 504名(2012年7月末現在)<br />
|主要株主= [[日本テレビホールディングス]]株式会社 (11.59%) <br />株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%) 他<br />
|主要子会社= 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />株式会社[[ytv Nextry]]<br />株式会社[[ワイズビジョン]] 他<br />
|関係する人物= [[正力松太郎]]<br />[[務臺光雄]]<br />八反田角一郎<br />
|外部リンク= http://www.ytv.co.jp/<br />
|特記事項= 1958年8月1日に「新大阪テレビ放送株式会社」から現社名に変更|<br />
}}<br />
'''讀賣テレビ放送株式会社'''('''読売テレビ放送'''とも表記、よみうりテレビほうそう、[[英語|英称]]:YOMIURI TELECASTING CORPORATION)は、[[近畿広域圏]]を[[放送対象地域]]として[[テレビジョン放送]]をする[[特定地上基幹放送事業者]]である。<br />
<br />
通称は'''読売テレビ'''、略称は'''ytv'''。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「GO!GO!happiness」。<br />
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[Nippon News Network|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])の[[準キー局]]である。<br />
<br />
== 会社の概要 ==<br />
{{日本のテレビ局<br />
|英名=[[:wiki:en:Yomiuri Telecasting Corporation|YOMIURI TELECASTING CORPORATION]]<br />
|地域=[[広域放送|近畿広域圏]]<br />
([[大阪府]]・[[京都府]]・[[兵庫県]]・[[滋賀県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]])<br />
|系列=[[Nippon News Network|NNN]]|番組=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]|略称=ytv<br />
|愛称=読売テレビ<br />
|呼出名称= よみうりデジタルテレビ<br />
|コールサイン=IX|年=1958年|月日=8月28日|郵便番号=540-8510|都道府県=大阪府|本社=[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2丁目2番33号| 緯度度 = 34|緯度分 = 41|緯度秒 = 39.77| 経度度 = 135|経度分 = 32|経度秒 = 2.78|演奏所=本社と同じ|都市名=大阪|ch1=10|ch2=10|id=10|dch=14|中継局=[[#アナログ放送|主な中継局]]参照|デジ中継局=[[#デジタル放送|主な中継局]]参照<br />
|公式サイト= [http://www.ytv.co.jp/ 読売テレビ]<br />
|特記事項= 設立当時の商号は「新大阪テレビ放送」と称していたが、開局直前に現商号に変更した。<br />リモコンキーID「10」は本局と[[テレビ愛知]]([[TXN]]系列)のみ。<br />
}}<br />
<br />
=== 本社などの所在地 ===<br />
*本社 - [[郵便番号|〒]]540-8510 [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[大阪ビジネスパーク|城見]]二丁目2番33号<br />
*東京支社 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目6番1号 [[日本テレビタワー]]20階<ref>在阪準キー局の東京支社が在京キー局の本社ビル内に入居するのは読売テレビが唯一である。系列局で見ると本局の他、[[南海放送]]も入居している。また[[TBSテレビ|TBS]]系列の準キー局である[[毎日放送]]は東京・赤坂の[[東京放送ホールディングス]] (TBSHD) 敷地内にある「[[赤坂Bizタワー]]」内に東京支社が入居している。</ref> <br />
*名古屋支局 - [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]四丁目15番32号 日建住生ビル6階<br />
*京都支局 - [[京都府]][[京都市]][[中京区]][[烏丸通]]六角下ル七観音町630番地 読売京都ビル5階<br />
*神戸支局 - [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]栄町通一丁目2番10号 読売神戸ビル4階<br />
<br />
=== 現在の主な株主 ===<br />
括弧内は、持株比率を示す。<br />
# [[日本テレビホールディングス|日本テレビ放送網]]株式会社 (11.59%) ※1・2<br />
# 株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%)<br />
# 讀賣ゴルフ株式会社 (10.23%) ※1<br />
# 野村土地建物株式会社 (7.98%)<br />
# [[野村ホールディングス]]株式会社 (5.00%)<br />
# 株式会社[[UFJ銀行]] (4.00%) ※3<br />
# 株式会社[[三井住友銀行]] (3.60%)<br />
# 株式会社[[りそな銀行]] (2.70%)<br />
# 株式会社[[みずほコーポレート銀行]] (2.40%) ※4<br />
# 株式会社[[読売新聞大阪本社]] (2.01%)<br />
* ※1 [http://www.ntv.co.jp/info/news/268.html 日本テレビ放送網株式会社は、2005年12月6日に讀賣ゴルフ株式会社から株式を取得している。]<br />
* ※2 日本テレビ放送網株式会社は、[[2012年]][[10月1日]]に[[放送法]]に基づく[[認定放送持株会社]]に移行し、[[日本テレビホールディングス]]株式会社となっている。<br />
* ※3 株式会社UFJ銀行は、[[2006年]][[1月1日]]に株式会社[[東京三菱銀行]]と[[合併 (企業)|合併]]し、現在は株式会社[[三菱東京UFJ銀行]]となっている。<br />
* ※4 株式会社みずほコーポレート銀行は、[[2013年]][[7月1日]]に(旧)株式会社[[みずほ銀行]]を吸収合併し、同日商号を株式会社みずほ銀行に変更した。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月13日]] - 大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])などの出資により、準教育専門局「新大阪テレビ放送」(NOTV) として設立。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月1日]] - 「讀賣テレビ放送」(YTV) に社名変更。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月28日]] - [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町2-36(後に「東天満1-8-11」へ住居表示変更) から本放送開始(大阪第2局)。それまで[[大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]])にネットされていた[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] (NTV) の番組を移行させる形で開局した。[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]局の第一号として「ステーション・ネット局」宣言を打ち出す(フルネット局の嚆矢)。<br />
* [[1960年]](昭和35年)[[9月10日]] - カラーテレビ本放送開始(大阪地区では[[NHK大阪放送局]]、ABCと共に初。<br />
* [[1967年]](昭和42年)[[4月1日]] - 日本テレビとの編成制作協定(N-Y協定)を締結。<br />
* [[1978年]](昭和53年)[[10月1日]] - 音声多重放送開始(日本テレビに続いて2局目)。<br />
* [[1988年]](昭和63年)8月1日 - 本社社屋を大阪市北区東天満から同市[[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2-2-33の[[大阪ビジネスパーク]] (OBP) 内の現在地に移転する。10マークの使用開始。<br />
* [[2000年]](平成12年)[[7月1日]] - 開局以来初となるマスコットキャラクター「[[テレビヤン]]」がお目見え。<br />
* [[2003年]](平成15年)[[12月1日]] - 地上デジタル放送'''「よみうりデジタルテレビ」'''放送開始 (JOIX-DTV) 。本放送開始と同時にアナログ・デジタル統合[[主調整室|マスター]]の運用を開始(この時にマスターのシステム自体もこれまでの[[日本電気|NEC]]製から[[東芝]]製のものに変わる)。<br />
* [[2005年]](平成17年)[[7月29日]] - [[8月7日]] - [[天保山ハーバービレッジ]]を会場とした大規模イベント「[[天保山10デイズわくわく宝島|天保山10days わくわく宝島]]」を開催。<br />
* [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - 開局50周年を前に「ウキウキわくわくキャンペーン」を展開。[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入し、ロゴマークを原則として'''「よみうりテレビ」'''から'''「ytv」'''(報道関連、NNNの発信元テロップなど漢字表記する場合は'''「読売テレビ」''')に変更した。また、3代目マスコットキャラクター「[[ウキキ]]」がこの日に誕生した。<br />
* [[2009年]](平成21年)11月24日 - 東京支社が東京都港区東新橋の「日テレタワー」(日本テレビ本社ビル)内に移転。<br />
* [[2010年]](平成22年)7月5日 - [[日本放送協会|NHK]]と[[日本民間放送連盟]]の申し合わせにより、地上デジタル放送の移行を前提に、[[アナログ放送]]においての全番組が画角サイズ16:9の[[レターボックス (映像技術)|レターボックス放送]]に移行する(画角サイズ4:3で製作されたCMは除く)。また2010年[[9月6日]]から、アナログ放送の黒帯部分に地上デジタル放送の準備を啓発する告知をCM中を除いて常時表示されるようになった。<br />
* [[2011年]](平成23年)[[10月3日]] - 日本テレビ系列局の全番組ステレオ放送化により、今まで[[モノラル放送]]だった読売テレビ制作の番組が全て[[ステレオ放送]](一部はモノステレオ放送)に切り替わった。<br />
<br />
== 開局までの経緯 ==<br />
[[日本テレビ放送網]](以下、日本テレビ)は[[1953年]]、東京での開局に先立ち、大阪にも放送免許の申請を[[郵政省]]に提出した。しかし、当時の大阪地区の割り当て電波は2波しかなく、[[NHK大阪放送局]]と[[大阪テレビ放送]](OTV。現・[[ABCテレビ|朝日放送]])の2局に免許が与えられ、"日本テレビ大阪放送局"の免許は却下された。却下の理由は'''「日本テレビは東京地区を代表するもので、これが大阪で電波を出すのは"越境"である」'''というもの。日本テレビを率いる[[正力松太郎]]は、大阪の他[[札幌市|札幌]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[福岡市|福岡]]にも同局の地域放送局を設立する事を郵政省に申請したが、これも大阪と同じ理由で却下された。<br />
<br />
大阪では、その当時に[[読売新聞]]が大阪に進出したばかりで、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]などと販売競争で激しく競い合った。大阪テレビ放送は朝日新聞・毎日新聞と[[朝日放送]]・新日本放送(現・[[毎日放送]])によって設立されたテレビ局である事から、当時の大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])社長・[[務臺光雄]]は「両紙を相手に部数を伸ばすには、自社系列のテレビ局を持つ事が必要」と確信し、読売側も大阪讀賣新聞社を中心に関西の財界などの出資によるテレビ局を作ろうと決心。務臺が発起人代表となって、財界から発起人集めを行った。<br />
<br />
放送局の社名は'''「新大阪テレビ放送株式会社」'''(略称:'''NOTV'''='''New Osaka Television'''。'''『ノーテレ』'''と呼ばれた)とし、[[1957年]][[2月]]に設立の発起人総会を実施。社屋は[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町(現・東天満)の[[東本願寺]]天満別院跡地に建設された。[[1956年]][[10月]]に放送免許の申請を郵政大臣に提出した。そして、1957年[[10月]]に'''準教育局'''として新大阪テレビ放送に予備免許が交付(第10チャンネル、JOIX-TV)された。[[1958年]][[2月12日]]に創立総会を行い、同年[[8月1日]]に社名を「新大阪テレビ放送」から'''「讀賣テレビ放送株式会社」'''(略称・YTV、愛称・よみうりテレビ)へ変更、同月[[8月28日|28日]]にOTVにネットされていた日本テレビの番組を完全移行させる形で近畿地区では2局目の民放テレビ局として開局した。<br />読売テレビの開局でこれまでOTVの[[クロスネット局|クロスネット]]政策のため近畿地方に流れなかった日本テレビ番組のスポンサーの不満<ref>当時の大阪テレビの番組編成はラジオ東京優勢の編成であったため。(ニュースにいたってはYTV開局前からラジオ東京のもののみ放送されていた。)</ref>が解消し、読売新聞の[[西日本]]での部数増に大きく貢献した。<br />
<br />
== ネットワークの移り変わり ==<br />
* [[1958年]][[8月28日]] - 開局。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の第一号局として「ステーション・ネット局」を宣言。以降一貫して番組全般は日本テレビとなる。<!--しかし[[読売新聞ニュース]]が[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]]でも放送していたことからそれのみクロスとなっていた。--><br />
* [[1966年]][[4月1日]] - ニュースネットワークNNNが発足し加盟。<br />
* [[1972年]] - この年発足のNNSに加盟。<br />
<!--* [[1974年]][[6月23日]] - [[キー局]]の新聞再編成により[[読売新聞ニュース]]が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]発のみとなる。これによりTBS発の番組が姿を消す。--><br />
<br />
== 略称・ロゴ ==<br />
{{色}}<br />
初代のロゴ表記には、大文字の'''“YTV”'''と斜面の'''“よみうりテレビ”'''の2種類があった。開局30周年の1988年8月からは10マーク<ref>新ロゴ制定後も数年間本社の駐車場の入口に10マークが残っていたが、現在では撤去されている。</ref>を導入し、「10マーク」と「よみうりテレビ」の使用が主となる。開局50周年記念の一環として、[[2007年]][[4月]]から、小文字の略称新ロゴ'''「ytv」'''を導入し、NNS全国ネット向け・[[関西ローカル]]を問わずほぼすべての番組で表示することになった。日本テレビから送出されるNNNの各種ニュース番組及びCS放送[[日テレNEWS24]]の取材クレジット表示は「読売テレビ」としている。<br />
<br />
ローカル放送と一部全国ネット番組ではペットキャラクター(1996年 - 2000年はアイニー君、その後2007年3月まで[[テレビヤン]])をクレジットに併記していた。クレジット表示はアイニー君の場合は「制作・著作 (左にアイニー君のイラスト)よみうりテレビ」、テレビヤンの場合は「制作・著作 よみうりテレビ(その右にテレビヤンのイラスト)」だった。<br />
<br />
=== 愛称としてのよみうりテレビ ===<br />
[[ファイル:NNK-YTV Bell430 JA010Y RJOY 20090502-001.jpg|thumb|300px|新ロゴ「ytv」と正式社名「讀賣テレビ放送株式会社」が併記された取材用ヘリコプター(JA010Y、2009年5月2日撮影)]]<br />
開局から[[2007年]][[3月]]まで、自社制作番組のクレジットは関西ローカル・全国ネットを問わずにひらがな表記の愛称'''「よみうりテレビ」'''と表記していた。ひらがな表記の例としては、同局の看板番組でHPアクセス数常時最上位の[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]などが挙げられるが、これは漢字の読めない視聴者層を意識したものと思われる。<br />
<br />
ただし、番組以外の事業に関しては「読売テレビ」と表記されていた(被ネット局側がロゴ出しをした場合例外あり。実例として1990年代後半に[[広島テレビ放送|広島テレビ]] (HTV) が阪神vs広島戦を実況を差し替えて中継した際に制作・著作ロゴをHTV側で送出したため、「制作著作 広島テレビ・読売テレビ」と漢字で表記された事があったが、平仮名で「広島テレビ・よみうりテレビ」と表記した場合もあり、一貫性がなかった。また、過去には[[山口放送]] (KRY) 制作の『[[防府読売マラソン]]』でもネット局のロール表示の際に漢字ロゴが使われた事もあった)。[[青森放送]](RAB)が制作・中継し、本局も制作協力する『[[青森県民駅伝競走大会]]』(毎年9月開催)のエンドロールでは「読売テレビ」あるいは「讀賣テレビ」と表記している。<br />
<br />
見解としては「番組関連の表記は『よみうりテレビ』、事業関連や一般的な表記としては『読売テレビ』、そして事務的な場合など正式な企業名(登記社名)を表記する必要性がある場合に限り『読売テレビ放送』と使い分け」ていたようである。<br />
<br />
社章(バッジ)については、開局から1982年までは楕円の中に“YTV”ロゴを入れたものが用いられたが、開局25周年の1983年からは、長方形の中に“Y”と“O”を[[幾何学]]的にあしらったものに変更された。<br />
<br />
テレビカメラなど、一部の放送機材や一部の送信所でも『読売テレビ』と表記している。現在は放送機材にも現行のロゴを使用している。<br />
<br />
=== ytvへの移行 ===<br />
新ロゴマークは、黄色のytvの右上にチャンネル数'''10(テン)'''を表すオレンジ色の点(テンボール)をデザインしており、'''{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup>'''となる。なお、2008年は同年8月28日の開局満50年を記念して1年間限定で{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup><sub>{{Color|#FFD800|50th}}</sub>と表記した。これを機に段階的に「よみうりテレビ」ロゴと「10」マークが廃止された。長年使用していた為か「よみうり」ロゴ廃止後も「よみうりテレビ」の記述が見られる。<!--2009年度まで放送していたズームイン!!SUPER関西ローカル版が該当する-->なお、「ytv」の小文字での表記はロゴマークや読売テレビ社内で使用されるのであって、大文字の「YTV」でも何ら問題ない。<br />
<br />
2007年4月からは、地上デジタル放送に於いて画面右上に[[ウォーターマーク]]として「ytv」ロゴの表示を行う様になった([[提供クレジット]]時は除く、[[ワンセグ]]では非表示)が、あまり透過していないため、少し目立ってしまう。なお、この表示はキー局の日本テレビをはじめ、広島テレビ、福岡放送などでも実施している。<br />
<br />
2008年4月以降、番組関連での「制作クレジット」「番組宣伝ポスター」「社名“マーク”」としては「ytv」を用い、「社名」を表示する時には「読売テレビ」もしくは「読売(讀賣)テレビ放送」を使用するよう改められた(これにより今後は平仮名表記の「よみうりテレビ」は使用しない)。<br />
<!--表記の使い分けについては、読売テレビ東京支社の方から以前伺った話なので、幾分信憑性はあるかと思います。2008年5月加筆分についても同様です。--><br />
<br />
2013年に開局55周年を迎えた際、ロゴマークの後ろに笑顔のボールが付け加えられた記念ロゴが使用された。ボールの中に55の数字で笑顔を表し、読売テレビの番組で視聴者に笑顔に届けるという意味を込めたものとなっている。<br />
<br />
[[番組表]]に於いては、[[読売新聞]]や[[スポーツ報知]]に於いては「よみうりテレビ」と表記され、その他の新聞のテレビ番組表に於いては「読売テレビ」と表記される。また、デジタルテレビのEPGでは2007年3月31日までは"よみうりテレビ"と表記されていたが、同年4月1日からは"読売テレビ"に変更されている。なお、2011年7月24日24時前のアナログ波停波直前の画面の局名は「よみうりテレビ」と表示された。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=g92DAk90ibU 2011年7月24日のアナログ放送終了時の読売テレビ] YouTube</ref><br />
<br />
再放送番組に関しては基本的に旧ロゴのままだが、「[[ルパン三世 PartIII]]」の再放送用素材は、制作会社の[[トムス・エンタテインメント]]側が「[[東京ムービー]]」表記を現社名に改めた物を作成した際、作品の著作権が読売テレビにも残っているためか「よみうりテレビ」ロゴを「ytv」ロゴに改めた上で表記している。<br />
<br />
== キャッチコピー ==<br />
* ハロー10ch([[1980年]] - [[1995年]]) - [[サンリオ]]が製作したマスコットキャラクター「ハローちゃん」が存在していた。<br />
* あしたのテレビへ。その1。OPEN([[1995年]] - [[1996年]])<br />
* よみうりテレビは、あなたに「ぴたっ」とします。(1996年)<br />
* i need 10([[1997年]] - [[2000年]])<br />
* テレビヤン(2000年 - [[2006年]])<br />
* ウキウキわくわくytv([[2007年]] - 2012年)<br />
* GO!GO!happiness(2013年 - 現在)<br />
<br />
== 放送番組の特色 ==<br />
{{See also|読売テレビ番組の分野別一覧}}<br />
平日は以下の様に[[朝|早朝]]から19時まで、[[生放送]]の[[報道番組|報道]]・[[情報番組]]を中心にして放送されている。<br />
:(不定期で休止することがあるが、『[[日テレNEWS24]]』→)『[[朝生ワイド す・またん!|もうすぐ す・またん!]]』(5:10 - 5:20)→『[[朝生ワイド す・またん!]]』(5:20 - 6:30)→『[[ZIP!]]』(6:30 - 8:00)→『[[スッキリ!!]]』(8:00 - 10:25)→『[[PON!]]』(10:25 - 11:25 火~木のみ)→『[[NNNストレイトニュース]]』(11:30 - 11:45)→『[[ヒルナンデス!]]』(11:55 - 13:55)→『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』(13:55 - 15:50)→再放送など(15:50 - 16:47)→『[[かんさい情報ネットten.]]』(16:47 - 19:00)<br />
<br />
=== NNS全国ネット向け ===<br />
(番組は{{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在)<br />
* 長年に渡って[[日本テレビ系列平日午後2時台のワイドショー枠|平日午後2時台を中心とした生放送ワイドショー番組]]を放送している。現在の『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』は元々関西ローカルで夕方に放送されていた番組。[[2007年]][[9月]]まで放送していた『[[ザ・ワイド]]』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と共同制作の形を採った(詳細は[[ザ・ワイド]]参照)。<br />
* 1990年4月より他系列の在阪局同様、土曜日8時台・9時台前半に情報番組を放送している。現在は報道局が制作主体となっている『[[ウェークアップ!ぷらす]]』。この時間帯としては在阪民放唯一の報道番組であり、在阪局制作番組でありながらNNNの討論・報道番組としても扱われている。<br />
* [[ゴールデンタイム]]の制作番組は木曜日に集中しており、21時の『[[秘密のケンミンSHOW]]』、22時の『[[ダウンタウンDX]]』の2本を制作している。また、『[[NEWS ZERO]]』を挟んだ23時58分には『[[木曜ドラマ (読売テレビ)|木曜ドラマ]]』を制作しており、都合木曜日は3本の制作番組が並ぶ。<br />
*報道・情報系番組を除く3本の全国ネット番組は[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]あるいは[[ワンセグ]]の[[データ放送]]に対応している。<br />
*アニメ枠は長年月曜19時台に編成されていたが、後述する2009年4月の改編で土曜18時と日曜7時に放送枠が変更された。2013年4月からは『[[シューイチ]]』の放送時間拡大によって『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』が日曜7時に放送されることになりアニメの放送枠が土曜17時半に移動したため、土曜夕方に読売テレビ制作のアニメが2本連続放送されることになった。<br />
*かつては月曜日にも制作枠があり、[[連続ドラマ]]や[[バラエティ番組]]も手がけた事があったが、[[視聴率]]の不振が続いた為前者は[[2004年]][[3月]]、後者も日本テレビ制作番組と枠交換するも[[2008年]][[2月]]をもって撤退<ref>過去に日本テレビの『[[スーパーテレビ情報最前線]]』と制作枠を交換し、月曜21時が読売テレビ、月曜22時が日本テレビの制作枠となっていたが、[[2008年]][[4月]]に『情報ライブ ミヤネ屋』の日本テレビでの放送開始(14時台ネットワークセールス化)と引き換えに交換。</ref>、そして2009年4月改編で平日19時枠に帯バラエティ番組『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』がスタートした為、長年守り続けたアニメ枠までも枠移動を余儀なくされた。<br />
*深夜番組では『[[11PM]]』の火・木曜日分を担当して以来、現在の[[プラチナイト]]枠に至るまで全国ネット番組を途切れなく制作している。2008年[[10月2日]]より同枠にて、4年半ぶりに[[木曜ナイトドラマ|連続ドラマ]]を放送している。2010年4月からは『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』終了に伴う平日19時台の同局制作枠廃止(枠を日テレに事実上返上)に伴い、読売テレビ発・全国ネットは木曜日に集中する事になる(夜間に関しては21時台・22時台と[[木曜ミステリーシアター]]のみとなる)。<br />
<br />
==== 全国ネットに相当する番組 ====<br />
完全な全国ネットではないが、『遠くへ行きたい』や一部の深夜番組が日本テレビを始めとした複数の系列局で放送されている。<br />
<br />
日曜昼に放送されている『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』は、関東などを除いた全国24局同時ネットで放送されている(関西では20%超の高[[視聴率]]で占拠率は50%近く<ref>ネット局のうち[[北日本放送]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でも関西地区以上の高視聴率を獲得している。</ref>を叩き出す事がある人気番組)。日本テレビが番組ネットを打診したが、司会の[[やしきたかじん]]ら出演者は'''「関東圏には流すな」'''<ref>日本テレビおよび[[東京メトロポリタンテレビ|東京MX]]といった[[在京放送局|東京テレビ局]]の事</ref>と拒否、日本テレビでは放送されていないというエピソードを持つ。<!--詳細が気になる閲覧者は「そこまで言って委員会」のページを御覧下さい--><br />
<br />
因みに[[広域放送|中京広域圏]]の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]との親交が深く、全国ネット化に先駆け『ミヤネ屋』を一足早く<ref>2007年9月24日から</ref>ネットした。この際「-ミヤネ屋」に[[東京]]制作部のスタッフを派遣しており、2009年に始まったローカル番組『[[愛の修羅バラ!]]』ではレギュラー番組としては初めての共同制作を行っていた(現在は『[[上沼・高田のクギズケ!]]』)。そのほか、土曜朝の『[[あさパラ!]]』を唯一同時ネットしていたが、2011年3月末で中京テレビへのネットを打ち切った。<br />
<br />
=== 関西ローカル番組 ===<br />
* 日曜22:30からの『[[大阪ほんわかテレビ]]』や土曜16:30からの『[[土曜はダメよ!]]』などを制作している。<br />
** [[1999年]][[4月]]より日曜の昼に関西ローカルの情報バラエティ『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の放送を開始し、一躍話題となる。同番組はキー局や地方局のワイドショーでは話せない芸能界の裏情報が満載の番組としてエリア外でも異名を轟かせていた。これに伴って[[1998年]]まで同時ネットされていた『[[防府読売マラソン]]』([[山口放送]]制作)の中継を深夜放送枠の時差ネットで録画放送している。2009年から2010年までは中京テレビと共同制作の「愛の修羅バラ!」を放送。<br />
* 関西ローカル向けのワイドショーを[[2001年]][[10月]]から[[2009年]][[3月]]まで平日の10時台に編成していたが、[[2004年]]に若年層をターゲットにした[[なるみ]]・[[陣内智則]]司会の『[[なるトモ!]]』をスタートさせた。2005年10月から『なるトモ!』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[中京テレビ放送|中京テレビ]]・[[広島テレビ放送|広島テレビ]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でもネットされる事になり、念願の“東京進出”を果たす。関西発のワイドショーが関東でもネットされたのは『[[2時のワイドショー]]』→『[[Beアップル2時!]]』以来12年半振りであり、共同制作の『[[ザ・ワイド]]』で約1年間放送されていた大阪からのパートを含めると10年ぶりの事だった。しかし、日本テレビでの放送は僅か半年で終了した。<br />
* 1990年代から日本テレビ系列の平日夕方時間帯(午後4・5時台)はローカル情報番組(帯番組)を編成している局([[札幌テレビ放送|STV]]・[[福岡放送|FBS]]など)が多くなっているが、読売テレビは長年夕方ローカル情報番組を編成する事なく[[2時間ドラマ]]の再放送枠で、一定の視聴率を保っていた。ローカル番組を編成する[[MBSテレビ|MBS]](『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』)や[[ABCテレビ|ABC]](『[[ワイドABCDE〜す]]』や『[[ムーブ!]]』など)に対抗すべく[[2005年]][[11月]]から毎週金曜日に元[[朝日放送|ABC]]アナウンサーの[[宮根誠司]]を司会に起用した自社制作の情報番組『[[激テレ★金曜日]]』をスタート。翌[[2006年]][[7月31日]]からは再放送枠を廃止し、『激テレ★金曜日』を帯番組に発展させた『情報ライブ ミヤネ屋』を開始した。[[2007年]][[10月1日]]から同年[[9月28日]]に終了した『ザ・ワイド』の後継番組として放送時間を13:55からに移動、全国ネットとなった。<br />
* 以前は『[[おはようニュースマガジン]]』『[[元気モンTV]]』『[[あさイチ!]]』など平日早朝時間帯にローカル情報番組を放送していたが、[[2006年]][[6月30日]]で一旦終了。[[7月3日]]からは日本テレビの『ズームイン!!SUPER』をフルネットし、その中で30分ほどのローカルコーナーを放送。2010年3月29日からは3年9ヶ月ぶりに早朝の自社制作情報番組『[[朝生ワイド す・またん!]]』を放送。<br />
* 他の在阪局と同様に全国ネットでは[[日本プロ野球|プロ野球]]中継のうち[[読売ジャイアンツ]]戦を関西地区では[[阪神タイガース]]戦中継に差し替えるケースが見られる(二元中継の場合もあり。[[2007年]][[5月28日]]には[[オリックス・バファローズ]]戦を中継)。<br />
** かつては阪神応援番組の先駆者的番組『[[週刊トラトラタイガース]]』を放送していた。現在は後述の『[[ZIP!]]』のローカルコーナー内で「ウル虎!Sports」を毎日放送している。<br />
* 毎年春と夏(『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』の開催当日)には朝9時半から夕方にかけて長時間の生ワイドスペシャルを企画しており、当該時間枠の生放送番組の拡大版が放送されている(2005年夏は放送なし)。また、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の放送枠でも珍しく比較的自主制作枠が多い。<br />
* 自社製作の深夜番組については、一部の番組を日本テレビ系列局にネットされており、日本テレビでは水曜深夜に3枠連続で当社製作番組を放送されている。<br />
* 1992年10月から放送された深夜番組「[[たかじんnoばぁ〜]]」は、関西地区で最高視聴率25.1%(占拠率56%)を記録し、読売テレビ深夜番組史上最高視聴率を記録した。(この記録は破られていない)<br />
関東でのメレンゲの枠でおしゃべりジャングルやっている。2014年12月20日はYahoo!に中村昌也が元奥さんについて語っていた事掲載された。余談であるがブランチに元奥さんが出演していた<br />
<br />
=== アニメ ===<br />
{{ウィキプロジェクト アニメ}}<br />
{{See also|日本テレビ系アニメ}}<br />
* 本局では[[1967年]]([[昭和]]42年)に放送が開始された[[紙芝居]]の名作をアニメ化した『[[黄金バット#アニメ|黄金バット]]』で[[アニメーション]]制作に参入した。在阪局のアニメ参入は[[MBSテレビ|毎日放送]](MBS)に次いで2局目で、『黄金バット』の他、[[スポ根]]アニメの金字塔とも言われる『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』や[[プロレス]]アニメの決定版『[[タイガーマスク#1作目|タイガーマスク]]』、[[赤塚不二夫]]の人気を不動のものとした『[[天才バカボン (アニメ)|天才バカボン]]』、アニメブームの金宇搭とも言われる『[[宇宙戦艦ヤマト]]』など[[1960年代]] - [[1970年代]]は大ヒット作を連発した。現在でも人気が高い『[[ルパン三世]]』を[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|初めてアニメ化]]したのも本局である。<br />
* [[1990年代]]以降、[[諏訪道彦]]プロデューサーによるアニメ制作に力を入れており、MBSと並んで在阪局ではアニメ制作に力を入れている事で知られている。諏訪がプロデュースした代表的な作品としては、[[1996年]]1月から放送が開始され[[2010年]]現在も続く『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』や『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』『[[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]]』『[[犬夜叉#第1期|犬夜叉]]』『[[シティーハンター (アニメ)#TVアニメ|シティーハンター]]』『[[YAWARA!#TVシリーズ|YAWARA!]]』[[読売新聞]][[朝刊]]に連載中の[[植田まさし]]作による[[4コマ漫画]]をアニメ化した『[[コボちゃん#アニメ版|コボちゃん]]』等。キー局の日本テレビに比べると熱心であると同時に、NNS系列全国ネットのアニメを数多く制作している。最近では『[[エンジェル・ハート#テレビアニメ版|エンジェル・ハート]]』等の[[深夜アニメ]]も手掛けている。<br />
** 本局発全国ネットのアニメ番組では、[[ポケモンショック]]を教訓とした視聴注意テロップ「'''○○からのお願い…テレビアニメを見るときは部屋を明るくして画面からはなれてくださいね'''(○○には“コナン”や“結界師”等のメインキャラクターの名前が入る)」という他局では見られない特徴的な視聴の注意文を使用している<ref>テレビ朝日の『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』でも同様の注意文が出るが、本局では全ての作品でこの形に統一している</ref>(『[[それいけ!アンパンマン]]』など[[番組販売|番販]]の場合は単に「'''テレビアニメを見るときは-'''」という表示である)。<br />
** 視聴注意テロップについては全日のみ表示である。但し、2007年10月に[[読売テレビ制作月曜夜7時枠のアニメ|月曜夜7時枠]]から深夜に移動した『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』では表示された。また午後7時からアニメ映画を放送する場合は表示されていた(2009年春に枠廃止)が、日本テレビ発である[[金曜ロードSHOW!]]でアニメ映画を放送する場合は表示されない。<br />
**一部作品を除きオープニング・エンディングテーマの楽曲名の表示は、OP・ED冒頭で一回と途中スタッフのクレジットと共に一回出しているため、2回楽曲名が表示されるようになっている。<br />
** [[1995年]]から[[2009年]]まで、月曜7時台は本局制作のアニメ2本立てという編成が続いていたが、安定していた視聴率も[[2005年]]頃から低迷していた。その結果、19:00 - 19:30に放送されていた『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』が2007年10月改編で全国ネットから深夜枠へ"降格"(一部の局は打ち切り)となった。同年内いっぱいは『名探偵コナン』の1時間スペシャルや単発2時間特番で凌ぎ、2008年[[1月]]からはかつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送された『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』のリメイク版を放送していた。<br />
** [[2009年]]3月時点で、在阪局でゴールデンタイムにアニメ枠を持っていたのは本局のみだった([[1996年]]までは[[ABCテレビ|ABC]]も持っていた。MBSも[[1994年]]に一度全廃したが[[2005年]]に1年間だけ復活)。 <br />
** 本局の本社前には『名探偵コナン』の主人公・[[江戸川コナン]]のブロンズ像が建てられている。<br />
* 一方で[[1980年代]]後半から[[1990年代]]前半頃にかけて日本テレビ制作のアニメ作品のネットに消極的な時期があった。<br />
**日本テレビ系列で平日夕方5時台に放送されているアニメは、当初は同時間帯で放送されていた。しかし1988年10月から当該時間でローカル番組『[[ざまぁKANKAN!]]』の放送が開始されると、同年4月の開始当初は同時ネット(金曜17時)だった『魔神英雄伝ワタル』は木曜16時台に移動、後に平日の朝の10時台に放送時間が変更され、次番組も含めて1年間は当該時間での放送が続き、その後は平日の早朝5時台に放送時間が変更される等、変動が激しかった。さらに『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ]]』の様に放送時間が取れない等の事情により、'''放送回数を飛ばしていきなり最終回にしてしまう'''等、対応に問題があった。また夕方時間帯で放送時期は『[[アニメだいすき!]]』枠が割り込む時もあった。<br />
*** この時期に平日早朝に放送されたアニメは『[[魔神英雄伝ワタル]]』(放送開始時は夕方に放送)・『[[電脳警察サイバーコップ]]』(これは[[特撮]]作品だが、ローカルセールス化後はこの時間帯で放送された。)・『[[戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV]]』・『[[魔動王グランゾート]]』・『[[機動警察パトレイバー#TVシリーズ|機動警察パトレイバー]]』・『[[魔神英雄伝ワタル2]]』・『[[からくり剣豪伝ムサシロード]]』・『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』・『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ(2代目)]]』・『[[ママは小学4年生]]』・『[[ミラクル☆ガールズ]]』が挙げられる。<br />
** 『[[それいけ!アンパンマン]]』はこの時期に土曜日や日曜日の早朝に放送時間が変更されている。<br />
* 自社及び日本テレビ制作の深夜アニメは、現在では月曜深夜の『[[MANPA]]』枠の中で放送している(後述の『[[無敵看板娘#テレビアニメ|無敵看板娘]]』もこの枠で放送されていた)。しかし日テレ制作の作品は大幅な遅れネットを生じる事がある。<br />
* [[UHFアニメ]]の参入は在阪局としては最後発で、2006年[[7月]]からの『無敵看板娘』で参入を果たし(この作品にも製作委員会に加わっている。しかし関東圏の[[全国独立放送協議会|独立局]]と比べると放送時期は3週間程遅れていた)、これにより全ての在阪局及び[[近畿地方]]の民放テレビ局がUHFアニメを放送する事になった。但し、完全な外部製作のUHFアニメは2012年7月期の『[[薄桜鬼 〜新選組奇譚〜|薄桜鬼 黎明録]]』まで無かった。<br />
** 『無敵看板娘』以降は長らくUHFアニメの放送が無かったが、2008年7月より本局では2年ぶり、2本目となるUHFアニメ『[[乃木坂春香の秘密#テレビアニメ|乃木坂春香の秘密]]』以後はおおよそ1クール月と1-2本程続々とUHFアニメを製作している(『[[ぬらりひょんの孫]]』シリーズは[[日本BS放送|BS11]]と共同で製作委員会に参加)。<br />
** 16:9SDマスターで制作されたUHFアニメは、地上デジタル放送ではフルサイズで放送されている。なお、在阪局でUHFアニメのフルサイズ放送を実施しているのは本局とMBS・[[テレビ大阪]](TVO)のみ。<br />
* [[1987年]]から[[1995年]]にかけて、学校の休み期間に『[[アニメだいすき!]]』と称した枠で[[OVA]]を集中して放送していた事でも知られる。<br />
* 2009年7月には東京支社内にアニメ事業部を設立。系列会社の[[読売テレビエンタープライズ|yte]]と連携し、深夜アニメへの制作意欲を強めている模様である。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[文字多重放送|字幕放送]]テロップ(当初は「文字放送・字幕」)は日本テレビで表示しているものと同一デザインである。当初は全国放送でも関西ローカルのみの表示だったが、2003年8月頃からキー局の日本テレビに先駆けて日本テレビ系列各局向け(ネット回線)にも表示される様になった(関西ローカルでの表示も継続。日本テレビは読売テレビに1年遅れ、2004年8月頃から系列各局向けにも字幕放送テロップを表示する様になった。)。2003年12月の地上デジタル放送対応のマスター更新後、提供クレジット表示の書体は日本テレビと同じゴシック体(イワタ新ゴシック)が使われている。マスター送出のテロップ表示は提供スポンサー<ref>一時期、一部番組では「[[CMのCMキャンペーン|CMのCM]]」でおなじみのキャラクター「[[コマーさるくん]]」も一緒に表示していた。</ref>のみカットイン〜カットアウトで、それ以外の表示<ref>字幕放送、二ヶ国語放送など各種多重放送、前述にあったアニメ番組視聴の注意文、『遠くへ行きたい』の次回予告テロップその他各種断りテロップ等。かつては画面右上の「アナログ」(アナログ放送のみ冒頭の数秒間表示)や2008年7月23日までの「HV ハイビジョン番組」のテロップもあった。</ref>はすべてフェードイン〜フェードアウト<ref>他の在阪民放4局はスポンサー表示・多重放送テロップ・断りテロップもすべてフェードイン〜フェードアウトで出しているため、実質的には在阪民放5局全てで「フェードイン〜フェードアウト」での表示となっている。ちなみに民放5系列が揃っている地域で全局フェードイン〜フェードアウトで提供クレジット表示を行っているのは北海道のみである。</ref>となっている(ロールスーパーで流す場合もある)。<br />
* 二ヶ国語放送のテロップは長らく「[二]BILINGUAL/二ヶ国語」というテロップだったが、2010年7月よりウキキが「二ヶ国語<改行>BILINGUAL」と書かれたボードを持ったデザインに変更された。<br />
* ローカルで深夜に放送する定時番組枠において放送枠に名称を表記して放送する傾向にある。これらは新聞の番組表や[[電子番組ガイド|EPG]](アナログ放送時代は[[Gコード]]も)でも枠名でまとめてもしくは枠名のみ掲載され、枠内で放送する番組の開始時刻も表記されない<ref>[[MBSテレビ|毎日放送]]でも深夜番組に枠名を付けて放送する場合があるが、こちらでは'''新聞の番組表やEPG等では独立した番組として扱われる事が多い。'''</ref>為、一つの番組(特に枠後半の番組)だけ視聴もしくは録画予約したい場合の障害となっている。<br />
* 関西圏の広域局で自社系のCS放送局を持っていない<ref>自社製作番組のうち、ニュース番組は[[日テレNEWS24]]。プロ野球中継の阪神・巨人戦は[[日テレG+]]。その他の一般番組(過去に放送されたものを含む)は[[日テレプラス]]など複数の放送事業者に配給されている。</ref> (他、大阪府域局の[[テレビ大阪]]も同様。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]もかつては持っていたが撤退)。<br />
* 社屋10階に社員食堂としてカフェテリアコーナーがあり、東側が食堂[[生駒山|生駒]]、西側が喫茶コーナー[[六甲山|六甲]]である。<br />
* 在阪民放で唯一大株主に[[鉄道会社]]が入らないが、鉄道会社での番組宣伝は積極的に行われており、特に[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では大阪駅に専用ボードがあるなど改編期を中心に番組の中吊り広告を展開している。また、[[大阪環状線]]で1編成貸し切りのジャック広告を行う事もある。毎年夏から秋頃にJR西日本管内の特定地域(例外で四国・九州を舞台にした実績あり)を舞台とした『名探偵コナンミステリーツアー』(但し1990年代は『[[金田一少年の事件簿]]』や『[[探偵学園Q]]』が扱われたことがある。)が行われている。なお、読売テレビ本社の最寄駅である[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]は、JR西日本と[[京阪電気鉄道]]の沿線に当たる。<br />
* [[2011年]]12月より、「ytv」という右上にある[[ウォーターマーク]]の位置が前回よりも右上にロゴが上がった。<br />
トキヲウバウネの話題日本テレビで取り上げなかったが、みやねでやった。ワンピースのヨーコもやった。<br />
<br />
=== 日本テレビとの関係 ===<br />
在阪局は在京キー局と対立しがちであるが、読売テレビは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の意向を受けて設立された放送局という経緯もあり、両者の関係は非常に良好である。<br />
<br />
かつては『[[お昼のワイドショー]]』(初期)、また『[[11PM]]』の火・木曜放送分を放送開始から終了まで制作を担当し(後継番組の『[[EXテレビ]]』でも)、2000年代においても『[[ズームイン!!SUPER]]』に当時同局解説委員の[[辛坊治郎]]がレギュラー出演したり、2009年4月 - 2010年3月まで放送された『[[SUPER SURPRISE]]』(開始当初のタイトルは『サプライズ』)においても、前述の『11PM』『EXテレビ』と同様、水曜放送分の制作を担当した。また2007年9月まで放送されていた『[[ザ・ワイド]]』では同局との共同制作を行い、前期は本局発の情報コーナーを設けたり、積極的に関西からリポーターの中継を入れたり、後期には同局解説委員の[[岩田公雄]]がレギュラー出演していた。<br />
<br />
本局制作の全国ネット番組(『[[どっちの料理ショー]]』など)に日本テレビのアナウンサーが出演したり、同じく本局制作の全国ネット番組の『[[ウェークアップ!ぷらす]]』や『[[情報ライブ ミヤネ屋|ミヤネ屋]]』には日本テレビも協力し、同局の記者や解説委員も多く出演している。『ウェークアップ!ぷらす』においては、東京で出演するゲストを東京・[[汐留]]の日本テレビスタジオに招いてネットを繋いだり、インタビュー映像に出演する識者のコメントを同局で収録する等、積極的な交流がなされている(党首討論や立候補予定者の討論など企画によって汐留のスタジオから全編生放送することもある)。<br />
<br />
改編期に放送されている『[[世界一受けたい授業]]』の番組対抗スペシャルに読売テレビから『ミヤネ屋』や『[[秘密のケンミンSHOW]]』チームがゲスト出演している。深夜番組は日本テレビと共に同日ネットを行う番組が他局と比べて多い。また『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』に関しては劇場版での制作に日本テレビのスタッフが参加したり、汐留社屋内にある日テレショップでのグッズ販売も行っている。2009年3月には日本テレビ55周年・読売テレビ50周年の両局の記念番組として、『[[ルパン三世VS名探偵コナン]]』が放送された。<br />
<br />
なお読売テレビの東京支社は2009年11月24日に東京・汐留の「[[日本テレビタワー]]」(日本テレビ本社ビル)内に移転し、在京キー局の本社内に在阪準キー局の東京支社が入居する形となった<ref>ラジオ局に例えると、[[エフエム大阪|FM大阪]]の東京支社が[[エフエム東京|TOKYO FM]]の本社が入居するJFNセンタービル(東京都千代田区麹町)の例があるが、TOKYO FMやFM大阪が加盟する[[全国FM放送協議会|JFN]]の放送局の東京支社は全社FMセンタービルに入居している。</ref><ref>同様の例として、[[毎日放送]]東京支社が[[東京放送ホールディングス|TBS]]本社敷地内[[赤坂サカス]]に2008年より入居している。</ref>。<br />
<br />
系列会社と日本テレビとの関係も良好であり、[[小西美穂]]の様に報道などで評価、本局から日本テレビに移籍する社員もいる。自社制作の深夜番組の多くは日本テレビにもネットされ、中京広域圏の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]とも番組制作など(『[[特報!EXPOプレス]]』や『[[愛の修羅バラ!]]』等)で積極的に協力がなされているなど、NNN系列の[[準キー局]]として非常に良好な関係を築いている。<br />
<br />
一方で、他の在阪局同様に日本テレビとは一線を画す番組編成を取る時間帯も少なくなく<ref>過去には『[[朝の連続ドラマ]]』放送の為に『[[ルックルックこんにちは]]』を時差放送した例がある(これに関しては中国四国九州地方各局も同様の編成をしていた。最末期のではあるが[[山口朝日放送]]開局以降の[[山口放送]]や一時期の[[広島テレビ放送|広島テレビ]]や非マストバイ局を除く)。また先述の様に読売グループの放送局でありながら『[[週刊トラトラタイガース]]』や『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』(共に放送終了)を関西ローカルで制作・放送している。また、ズームイン!シリーズも例外なくタイトルの差し替えのない時間帯であっても、第2部(6:30以降)の内容の差し替えは他地域の局に比べ多い。</ref>、中には先述の『たかじんのそこまで言って委員会』等の様に出演者の猛反対を受けた等の理由で日本テレビにはネットされない場合もある。<br />
<br />
同時ネット番組であっても、『[[笑点]]』の様に関西圏で比較的視聴率が低い全国ネット番組も少なくない(他系列でも『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』等多く存在する)。<br />
<br />
== オープニング・クロージング ==<br />
* 開局時頃のオープニングは読売新聞独特の社旗のデザインに「読売テレビ」と書かれた局の社旗をバックに周波数などが表記されたモノクロ映像で、BGMは[[1988年]][[8月]]に、現在の社屋に移転するまで使われた壮大な[[オーケストラ]]調の音楽。その後[[1988年]][[8月]]の社屋移転までのオープニングは、このBGMをバックに日の出を撮影した映像。クロージングは[[1981年]]当時は切り絵(影絵)風のもの(この当時は末尾に主要中継局のチャンネル表示もあった)だったが、その後[[ヨット]]や[[コアラ]]などの映像と[[西部劇]]風な曲に変更され、中継局の紹介字幕も割愛された。<br />
* 1988年8月の移転後はオープニング・クロージング共通で讀賣テレビ局舎をベースにクレイアニメーションを取り入れて大阪の四季をイメージしたものや、[[1997年]]〜[[1998年]]頃になってからは絵画作品をストーリー風にアレンジしたものが放送された(音楽を手掛けていたのは[[西司]])。<br />
** 放送終了と放送開始との時間が短い場合は終了時にID(静止画)を5秒間表示していた。<br />
* 1998年に深夜の休止時間帯の[[フィラー]](1日の基点は当初5時00分だったが、2009年現在は平日5時20分・土曜4時45分、日曜4時35分)としてNNN24(現・[[日テレNEWS24]])が放送を開始すると放送時間を大幅に縮小して(10秒程度)当時のペットキャラクターである『アイニー君』(当時はI Need 10=アイ・ニー・ジューというスローガンがあった)をモチーフにしたアニメ映像が採用された。これによって周波数のコメント表示が省略された。<br />
* しかし、[[2000年]]にペットキャラクターが『[[テレビヤン]]』(テレビのブラウン管をモチーフにしたキャラクター。後に少しデザインのマイナーチェンジがなされた)が採用されるとかつて使用した絵画作品のダイジェスト版が放送された。<br />
* [[2005年]][[4月1日]]から[[2007年]][[3月31日]]までは、[[絵本]]作家・[[永田萌]]のイラストを使用したオープニングとエンディングの映像が放送されていた。また、2005年[[7月29日]] - [[8月7日]]の「[[天保山10デイズわくわく宝島]]」の開催期間限定でエンディングは振付師・[[真島茂樹]]がこのイベントのために新たにレコーディングしたイメージテーマソング「宝島伝説〜ワクワク愛の伝道師〜」の一部を抜粋したものが放送された。<br />
* 2007年[[4月1日]]から2008年12月までは「ytvウキウキたいそう」が放送された(オープニング・エンディング共通、15秒スポットIDと同じ)。<br />
* 2008年は以下のような形でクロージング、オープニングを放送した。<br /><br />
最終番組→[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM15秒→[[フィラー]](日テレNEWS24または放送休止)→[[ズームイン!!SUPER]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組<br />
* 2009年1月からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM30秒→読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM15秒→フィラー→平日:読売テレビの番組CM30秒/土曜・日曜:読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組となり、またこれよりオープニング・クロージングは流れなくなった。<br />
* 2009年11月16日からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM15秒→読売テレビの番組CM45秒→フィラー→地上デジタル放送宣伝CM60秒(2011年1月24日以降は地デジテスト60秒)→最初の番組もしくはCMとなっている。<br />
* 地上アナログ放送終了告知画面は日テレNEWS24フィラー前の30秒間放送している(音楽付き)。なおデジタルはフィラーへ直行している。放送休止の場合は、放送再開(カラーバー終了)の際に30秒間放送している。<br />
* 以前はオープニングには今日の日付(○月○日○曜日)を、クロージングには「おやすみなさい」という文字を、またフィラー前には「この後はNEWS24」というテロップを表示していたが、2007年4月1日より表示されなくなった。<br />
* 2007年3月31日までフィラー時間中にサイマル放送される日テレNEWS24がスタートする場合は'''「この後はNEWS24」'''(当初は「本日の番組を終了します。この後はNNN24」)のIDタイトルを被せていた。放送休止を行う場合は'''「本日の放送を終了します。おやすみなさい」'''となっていた。また毎月1回行われる[[緊急警報放送]]試験が実施される場合、'''「EWSテスト終了次第NEWS24をお送りします」'''というクレジットを出していた(2007年3月31日まで)。<br />
* 2013年2月から2014年3月までは、開局55周年バージョンとしてオープニングが復活。開局当時の大阪市北区岩井町の旧社屋の映像とともに、開局55周年キャンペーン隊長を務めた中谷しのぶが55周年のロゴマークの説明を行い、最後は「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている(ナレーション担当は三浦隆志)。<br />
* 2014年4月からのオープニングは「パンダのたぷたぷ」の映像の後、「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている。<br />
<br />
=== アナログ放送終了特別バージョン ===<br />
[[2011年]][[7月24日]]正午に地上アナログ放送が終了。その後は[[ブルーバック]]によるお知らせ画面に切り替わり、23時59分ごろ、アナログ放送終了を告知するための特別クロージングが流された。<br />
<br />
ナレーションは[[萩原章嘉]]アナウンサーが担当。映像は開局当時の東天満社屋の空撮→読売テレビ開局パレード→1980年代の東天満社屋→生駒山の鉄塔→2011年現在のOBP現社屋の空撮と続いて、最後に、ホワイトバックに「{{Color|#FFD800|ytv <sup>・</sup><sub>JOIX-TV</sub>}} <span style="background:#FFD800; color:white;"> '''よみうりテレビ'''</span>」のロゴが表記された。ナレーションについては、下記の通りである。<br />
<br />
「'''1958年8月にスタートしたよみうりテレビは、52年と11ヶ月間、アナログ放送をお届けしてきました。2003年からは、地上デジタル放送が登場。本日、長らくお世話になりましたアナログ放送が終了します。明日よりは、デジタル放送が独り立ちしますが、読売テレビは、これからも皆様と共に歩んでまいります。JOIX-TV、よみうりテレビ。'''」<br />
<br />
=== フィラー放送 ===<br />
* 定時番組終了後(一部の日曜深夜 - 月曜未明を除く)は、日テレNEWS24(平日は基本的に[[Oha!4 NEWS LIVE]]部分のみ)がフィラーで放送されている。<br />
* 日テレNEWS24の放送は定時放送終了後からとなる為、番組の途中から放送される。<br />
* 日曜深夜 - 月曜未明とメンテナンス日(平日に不定期)は原則として休止となっている為、新聞発表がないものの放送開始(基点)時間の5時20分直前の数十分間(場合によっては1時間以上放送される場合も有り)程度日テレNEWS24が放送される。なお、[[データ放送]]の[[電子番組ガイド|EPG]]及び読売テレビの公式サイトでは放送開始時間の記載がされている。<br />
* CMについても日テレNEWS24と同じものを放送している。<br />
* 先述した緊急警報放送試験(基本的に毎月1日)を実施する場合、NEWS24の前に約15分間放送休止の時間を設けて、[[カラーバー]]と[[緊急警報放送]]試験を実施する(デジタル放送もアナログ放送と時間をずらしてデジタル専用の緊急警報放送試験を実施)。<br />
* 日テレNEWS24が休止の場合や24時間テレビ放送終了日の深夜等、日テレNEWS24の放送が無い場合に自社制作のフィラー番組 (フィラーというタイトルで番組表に記載、[[ハイビジョン]]制作)を実施する。<br />
内容は以下の通り。<br />
* パターン1 - 春の桜の映像を中心とした近畿地方の四季映像とBGMを放送。<br />
* パターン2 - 近畿地方と全国の詳細な天気予報とBGMを放送([[ABCテレビ|ABC]]のフィラーと同様)。データは1時間毎に更新。<br />
* パターン3 - 本社お天気カメラの映像を無音で放送。緊急警報放送試験の日に、日テレNEWS24の放送が無い場合等に実施。<br />
* なおフィラー放送はクロージング(局名告知)後すぐには放送せず、1分間程黒画面(2008年以前は灰色画面)とカラーバーを挟む。<br />
* 全曜日のフィラー終了時には、「'''番組の途中ですが、ご覧のチャンネルでの『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます'''」とテロップで表示される。2009年5月までの平日([[Oha!4 NEWS LIVE]]エンディング時)には、「'''『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます。この後、詳しいニュースは『[[ズームイン!!SUPER]]』をご覧下さい。'''」と表示されていた<ref>2009年6月から11月まではOha!4 NEWS LIVEエンディングでは表示されなかった。同年12月よりOha!4 NEWS LIVEは途中で飛び降りとなる。</ref>。<br />
* 1998年にNNN24(現・日テレNEWS24)が開始される前は放送休止時にはカラーバーやお天気カメラの他、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックPV]]やゲームのデモ画面を流していた事もあった(この時はクロージング後すぐに放送していた。またミュージックPVやゲーム画面を流している時は、およそ1分おきに画面右下に当時のキャラクターであるアイニー君のアニメーションを表示していた)。<br />
<br />
== 時刻出し ==<br />
* アナログは「クロスカット」、デジタルは16:9表示で「横回転」となる。<br />
* フィラー中は『[[日テレNEWS24]]』の映像をそのまま使用している。一時期、月 - 木曜深夜=火 - 金曜未明( - 4:30 祝日の深夜は除く)については天気情報とニュースをテロップなどで表記するカスタムバージョンとなっていた時代がある。<br />
; 平日<br />
* フィラー開始 - 10:25(途中5:19.00秒から30秒は消去)<br />
* 16:48-16:48.30(『かんさい情報ネットten!』の第1部 冒頭の約30秒間)<br />
* 17:53 - 18:15(CM中消去 『[[news every.]]』のNNN全国ニュースパート)<br />
:*『ZIP!』の時間帯はカスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
:*[[2013年]][[7月29日]]から、「[[スッキリ!!]]」の時間帯でも標準フォントと併用で天気テロップを挿入<br />
:*[[2006年]][[10月2日]]から『[[NNN Newsリアルタイム]]』『[[ニューススクランブル]]』の時間帯でも表示開始。但し、『Newsリアルタイム』の16:53 - 17:50までは時刻出しを行っていなかった。現在の「-Ten!」になってからは「-リアルタイム」→「-every.」の本編の時間帯のみに縮小される。<br />
<br />
; 土曜<br />
* フイラー開始 - 9:25(途中4:29.15秒から30秒は消去)<br />
:* 『[[ズームイン!!サタデー]]』カスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
<br />
; 日曜<br />
* フィラー開始 - 9:55(途中4:34.15秒-30秒と『[[それいけ!アンパンマン]]』の次回予告では消去(「アンパンマン」は番組内のテロップの関係))<br />
:* 2013年7月28日から「[[シューイチ]]」の時間帯で標準フォントのままで天気テロップを挿入<br />
<br />
; 天気テロップ<br />
* 『[[ZIP!]]』『[[ズームイン!!サタデー]]』『[[シューイチ]]』(2013・7・28-)『[[スッキリ!!]]』(2013・7・29-)の時間帯(CM中を除く 時報字幕は前者2番組はカスタム<CM中は標準フォント>、後者3番組はCMを含め全編標準フォントを併用)に近畿2府4県(大阪府、兵庫県南部・北部、京都府南部・北部、滋賀県南部・北部、奈良県南部・北部、和歌山県南部・北部 <ref>兵庫県南部は「兵庫南」、兵庫県北部は「兵庫北」、京都府南部は「京都南」、京都府北部は「京都北」、滋賀県南部は「滋賀南」、滋賀県北部は「滋賀北」、奈良県南部は「奈良南」、奈良県北部は「奈良北」、和歌山県南部は「和歌山南」、和歌山県北部は「和歌山北」と省略して表示。</ref>)と札幌、東京、名古屋、福岡を表示している。[[警報]]発令時は福岡と大阪の間にすべり込ませて表示。カスタム開始当初は天気表示は平日のみだったが、現在は土曜も表示している。<br />
*: 近畿のみならず基幹都市の天気を表示するのは、その地域への出張や旅行に出かける視聴者に配慮するためで、[[ABCテレビ]]、[[関西テレビ放送]]<ref>2011年元日より</ref>でも同様にこの表示をしている。<br />
<br />
== 新聞などのテレビ欄 ==<br />
* [[新聞]]の[[番組表|テレビ欄]]は、株主である[[読売新聞]]とその系列の[[スポーツ報知]]は'''『よみうりテレビ』'''と表記しているが、その他の新聞や[[テレビ情報誌]]は'''『読売テレビ』'''(又は単に『読売』)と表記している(新聞に限らずテレビカメラなど一部の放送機材や一部の送信所にも旧ロゴで'''『読売テレビ』'''と表記しているものがある)。これは略称が'''「ytv」'''或いは'''「読売テレビ」'''に変更された現在でも続いており、まだ「ytv」の愛称が定着しているとは言い難い。<br />
* スポーツ報知(大阪本社版)のテレビ欄には、本局の番組欄の左端に長年に渡って縦長サイズ(テレビ番組表のサイズ)で'''「今夜の見もの」'''として連日一つの番組を紹介する広告を掲載している。また2007年[[4月]]から[[産経新聞]]の[[夕刊]](大阪本社版)のテレビ欄に'''「読売テレビの今夜の見もの」'''という広告を連日掲載していたが、2008年4月からは明朝の『[[ズームイン!!SUPER]]』の番組内容紹介(ytvローカルパート)に変わった。現在はライバル局である[[ABCテレビ]]の広告に変更されている。<br />
<br />
== 社旗 ==<br />
当社の社旗は、[[読売新聞社]]のものと同じデザインである。ただし、文字の部分に関しては黒字で「讀賣(改行)テレビ」と表記される(読売新聞社は、赤字で「讀賣」と表記)。また色合いも読売新聞社の社旗は朱色に近い赤色だが、読売テレビの社旗はワイン色に近い赤色になっている。<br />
<br />
== 読売テレビ番組の分野別一覧 ==<br />
''詳細は[[読売テレビ番組の分野別一覧]]を参照。''<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|ニュース・情報]]'''…[[情報ライブ ミヤネ屋]]、[[かんさい情報ネットten!]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]などを'''報道局'''が制作。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#スポーツ|スポーツ番組]]'''…[[プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]や[[全英への道 ミズノオープン|ミズノ男子オープン読売クラシック]]など中継番組全般を'''制作スポーツ局・スポーツ制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#バラエティー|バラエティ番組(全国ネット版)]]'''…[[鳥人間コンテスト選手権大会]]や[[ベストヒット歌謡祭]]などは'''制作スポーツ局・制作部'''が制作。[[ダウンタウンDX]]や[[秘密のケンミンSHOW]]などは'''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|バラエティ番組(ローカル版)]]'''…'''制作スポーツ局・制作部'''が制作している。主に[[大阪ほんわかテレビ]]や[[たかじんのそこまで言って委員会]]など。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ドラマ|ドラマ]]''' … '''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#アニメ|アニメ]]''' … '''編成局・アニメ事業部'''が制作している。(2009年7月1日に新設。従来は制作スポーツ局・東京制作部が制作<!---2009年7/2 “スワッチのアニメ日記”「アニメ事業部始動!」より-->)主に[[宇宙兄弟#テレビアニメ|宇宙兄弟]]や[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]など。<br />
<br />
== スタジオ ==<br />
現社屋は、本局の開局30周年記念事業の一つとして[[1988年]][[4月]]に完成した。その後段階的に社内の引っ越しやスタジオ稼動を行い同年[[8月1日]]に主調整室(マスター)も移転して、完全に現社屋での放送となった。<br />
=== 大阪本社 ===<br />
* '''第1スタジオ'''(HD/SD、180坪)…[[大阪ほんわかテレビ]]、[[たかじんのそこまで言って委員会]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]<br />
* '''第2スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[朝生ワイド す・またん!]]、[[あさパラ!]]<br />
* '''第3スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[情報ライブ ミヤネ屋]]<br />
* '''ニューススタジオ'''(HD対応、75坪)…[[かんさい情報ネットten!]]<br />
: 旧本社は汎用スタジオが2つ(報道用を含めると3つ)だった事から、現本社移転に際してはスタジオを新たに1つ増設すると共に全体のスタジオ面積を拡大し大型化させた。なお、現本社移転時には1スタは旧本社1スタ、2スタは旧本社2スタからそれぞれ機材を移設して対応した。<br />
<!---「ミヤネ屋」と「なるトモ!」のスタジオは、9月29日からチェンジしたそうです。(森若アナのブログで確認)---><br />
<br />
=== 東京都内 ===<br />
* '''多摩スタジオ'''(東京都[[八王子市]]、閉鎖)<br />
: [[1993年]]、本局における「東京での番組制作の拠点」を目指し、[[東京都]][[八王子市]]の[[京王相模原線]][[京王堀之内駅]]前に建設されたスタジオである。在阪局では[[関西テレビ放送|関西テレビ]]が[[東京メディアシティ]]内に設置した[[レモンスタジオ]]に続いて2番目に開設した東京のテレビスタジオだった。<br />
: スタジオは2つあり、オープン時は第1スタジオ及び第1副調整室(サブ)のみに機材を整備し、この機材を第2スタジオと分けて運用されていた。この他にVTR編集室やMA室なども整備され、本局だけではなく東京地区での他局の番組収録にも使ってもらえる様な設備を目指していた事もある。当時は自社制作番組「[[即席!明るい改造計画]]」などの番組収録に使用されていた。[[失楽園 (渡辺淳一)#テレビドラマ|失楽園(ドラマ編)]]も同スタジオで一部収録された。<br />
: しかし、都心部から距離が離れていた事や、タレントやスタッフの移動に時間的制約が掛かる事が一番のネックとなり、それによる稼働率の低さからスタジオ運営の採算が取れず、やむを得ず同所の売却を検討したが買い手がつかなかった。このため、[[2003年]]に建物を解体し更地状態にした上で売却した。現在は同所跡地に[[マンション]]が建設されている。<br />
: このスタジオで制作されていた番組については都内の貸しスタジオに分散され、閉鎖当時にこのスタジオで収録されていた番組は[[渋谷ビデオスタジオ]](2007年9月閉鎖)や[[東京タワースタジオ]](旧・東京タワー芝公園スタジオ、2012年9月閉鎖)、[[東京メディアシティ]]などでの収録に切り替えられた。<br />
: なお、現在の東京での収録番組については下記の様になっている。<br />
* [[秘密のケンミンSHOW]]…東京メディアシティ内のTMC-A1スタジオ([[テクノマックス]]が運営。スタジオ管理は開設時の運営元である[[国際放映]]が担当)<br />
* [[ダウンタウンDX]]…東京メディアシティ内の[[TBSテレビ|TBS]]砧スタジオ([[緑山スタジオ・シティ]]が運営)。<br />
: また、一部番組は日本テレビが運営する[[生田スタジオ]](神奈川県川崎市多摩区)で収録されるケースもある。<br />
* '''読売テレビ東京支社'''(東京都[[港区 (東京都)|港区]])<br />
: 読売テレビ本社 - 東京支社間には常時使用可能な専用中継回線が引いてあり、[[情報ライブ ミヤネ屋]]などで使用されている。<br />
<br />
== 情報カメラ設置ポイント ==<br />
* [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見([[TWIN21|ツイン21]])※HD<br />
* [[新大阪駅]]<br />
* [[関西国際空港]]※HD<br />
* [[兵庫県]][[神戸市]](ポートピアホテル)※HD<br />
* [[明石海峡大橋]](淡路島・淡路サービスエリア)<br />
* [[京都市]][[中京区]]川端四条(カモガワビル)※HD<br />
* [[京都府]][[大山崎町]]([[名神高速道路]]・[[大山崎ジャンクション|大山崎JCT]]付近)<br />
* [[滋賀県]][[大津市]]([[NHK大津放送局]]、[[大津プリンスホテル]])<br />
* [[滋賀県]][[彦根市]]([[名神高速道路]]・[[彦根インターチェンジ|彦根IC]]、彦根トンネル付近)<br />
* [[奈良県]][[奈良市]]<br />
* [[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]<br />
<br />
== アナウンサー ==<br />
※はアナウンス部長経験者。<br />
=== 現在 ===<br />
入社順。<br />
* 1984年 [[道浦俊彦]]<br />
* 1985年 [[萩原章嘉]]<br />
* 1989年 [[植村なおみ]](東京支社製作センター宣伝部副部長兼務)<br />
* 1990年 [[脇浜紀子]]<br />
* 1991年 [[小澤昭博]]、[[三浦隆志]]<br />
* 1993年 [[尾山憲一]]<br />
* 1999年 [[横須賀ゆきの]](報道局神戸支局兼務)<br />
* 2000年 [[森若佐紀子]]<br />
* 2001年 [[清水健 (アナウンサー)|清水健]]2015年は夕方の番組を母親介護の為休んでいた。2月12日のYahoo!で明らかなった<br />
* 2003年 [[小林杏奈]]<br />
* 2005年 [[五十嵐竜馬]]、[[本野大輔]]<br />
* 2006年 [[川田裕美]]、2015年2月までみやねに出演。[[虎谷温子]]<br />
* 2007年 [[吉田奈央 (読売テレビアナウンサー)|吉田奈央]]<br />
* 2008年 [[林マオ]]2015年3月からみやねに出演、[[山本隆弥]]<br />
* 2009年 [[立田恭三]]<br />
* 2011年 [[中谷しのぶ]]<br />
* 2014年 [[増井渚]]<br />
<br />
=== 元・アナウンサー ===<br />
◎:2013年12月の時点で、「アナウンサー」「キャスター」として読売テレビ制作の番組に出演。<br><br />
* [[生田博巳]](読売テレビ開局時に[[日本放送協会|NHK]]から移籍)<br />
* [[寄藤隆也]](読売テレビ開局の第一声を行った)<br />
* [[羽川英樹]]<br />
* [[鎌田龍児]]<br />
* [[竹山祐一]]<br />
* [[小城敏]]<br />
* [[一丁田修一]]<br />
* [[佐藤忠功]]<br />
* [[岩田公雄]](報道局特別解説委員)<br />
* [[山本純也]](営業局)<br />
* [[結城豊弘]](編成局情報番組センター統括プロデューサー)<br />
* [[坂泰知]](報道局チーフプロデューサー)<br />
* [[牧野誠三]]◎(編成局アナウンス部)<br />
* [[村上順子]]<br />
* [[中元綾子]]<br />
* [[山田孝子]]<br />
* [[下山英三]]※<br />
* [[石黒新]]※<br />
* [[辛坊治郎]]◎([[大阪綜合研究所]]代表)<br />
* 村田真哉(編成局宣伝部長)<br />
* 斎藤敬(取締役報道局長兼解説委員長)<br />
* [[森武史]]※◎(情報スポーツ局情報番組センター次長)<br />
* [[大田良平]](報道記者)<br />
* [[野村明大]]◎(報道局プロデューサー)<br />
<br />
== 記者 ==<br />
* 河中可志子<br />
* 嶋田麻里<br />
* 田中麻美<br />
* 波止荘子<br />
<br />
== 解説委員 ==<br />
※現在、本局は在阪局で唯一解説委員を置いている。2人とも本局制作のローカル・全国ネット問わず報道・情報番組に出演・解説している。岩田は日本テレビ制作の報道・情報番組に出演することもある。<br />
* 岩田公雄(元アナウンサー・元報道記者・元解説委員長。特別解説委員)<br />
* [[春川正明]](元報道記者。解説副委員長)<br />
<br />
<br />
<br />
==画家==<br />
*[[中野一水]] - 藤島武二門下の抽象画家<br />
<br />
== 放送技術概要、送信所・中継局等一覧 ==<br />
=== リモコンキーID ===<br />
* [[リモコンキーID]]はアナログ親局のチャンネル番号を引き継ぎ10である。<br />
** アナログ親局が10chであった民放7局の中で唯一[[地上波デジタル放送]]でも「'''10'''」を採用した放送局である<ref><br />
* リモコンキーID「'''3'''」:[[琉球放送]]([[TBSテレビ|TBS]]系列)<br />
* リモコンキーID「'''4'''」:[[山形放送]]・[[南海放送]](共に日本テレビ系列)<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[テレビ朝日]](テレビ朝日系列)<br />
* リモコンキーID「'''6'''」:[[山陰放送]]・[[宮崎放送]](共にTBS系列)<br />
</ref>。<br />
** 区域外([[三重県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[福井県]]嶺南地方など)で、直接受信やCATVを通じて視聴する場合のチャンネル番号は、区域内と同じ「'''10'''」にセットされる事が大半である。<br />
* キー局の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のリモコンキーIDは日本テレビのアナログ親局と同じ「'''4'''」で、[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列全29局中21局で使われる。「4」を使わないのは本局以外に8局存在する。<ref><br />
* リモコンキーID「'''1'''」:[[青森放送]]・[[北日本放送]]・[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]・[[四国放送]]<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[札幌テレビ放送|STV札幌テレビ]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]<br />
* リモコンキーID「'''7'''」:[[福井放送]](日本テレビ系列主体・準テレビ朝日系列クロスネット局)<br />
</ref><br />
<br />
=== 送信所 ===<br />
* JOIX-DTV<br />
* 物理14ch(チャンネル番号101 - 103、 周波数 479.142857MHz)<br />
* [[空中線電力]]3kW・実効輻射電力30kW([[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数 約580万世帯)<br />
* 地上デジタル放送の物理チャンネル14chはかつて[[NHK UHFテレビ実験局]](大阪)が使用していた。<br />
* 送信所施設は[[MBSテレビ|毎日放送]](デジタルテレビ)と共同使用(デジタル放送開始以前は局単独の施設だった)。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* 滋賀県<br />
** 大津 14ch<br />
** 彦根 14ch<br />
** 甲賀 14ch<br />
** 大津石山 19ch<br />
** 甲賀大原 32ch<br />
** 信楽 32ch<br />
* 京都府<br />
** 京都(比叡山) 35ch<br />
** 福知山 14ch<br />
** 舞鶴 14ch<br />
** 宮津 14ch<br />
** 峰山 14ch<br />
** 亀岡 14ch<br />
** 中舞鶴 30ch<br />
** 野田川 30ch<br />
** 山科 22ch<br />
* 大阪府<br />
** 柏原 14ch<br />
** 岬深日 14ch<br />
** 中能勢 14ch<br />
** 西能勢 14ch<br />
* 兵庫県<br />
** 神戸 14ch<br />
** 姫路 14ch<br />
** 北淡垂水 14ch<br />
** 三木 14ch<br />
** 神戸兵庫 14ch<br />
** 西宮山口 14ch<br />
** 香住 14ch<br />
** 城崎 14ch<br />
** 龍野 14ch<br />
** 福崎 14ch<br />
** 西脇 14ch<br />
** 猪名川 30ch<br />
** 市島 20ch<br />
** 姫路西 14ch<br />
** 篠山 14ch<br />
** 氷上 14ch<br />
** 和田山 14ch<br />
** 八鹿 20ch<br />
** 日高 20ch<br />
** 山崎 32ch<br />
** 一宮安積 38ch<br />
** 神戸妙法寺 33ch<br />
** 赤穂 14ch<br />
** 相生 14ch<br />
** 川西けやき坂 14ch<br />
** 中町 23ch<br />
** 浜坂 36ch<br />
** 長田 33ch<br />
** 神崎 38ch<br />
** 相生若狭野 14ch<br />
** 佐用 38ch<br />
** 青垣 20ch<br />
** 南淡 14ch<br />
* 奈良県<br />
** 栃原 14ch<br />
** 三郷立野 40ch<br />
* 和歌山県<br />
** 和歌山 14ch<br />
** 紀ノ川 14ch<br />
** 海南 14ch<br />
** 御坊 14ch<br />
** 吉備 14ch<br />
** 有田 14ch<br />
** 橋本 34ch<br />
** 田辺北 14ch<br />
** 田辺 14ch<br />
** 南部川 34ch<br />
** 下津 14ch<br />
** 新宮 14ch<br />
** 串本 14ch<br />
** 由良 35ch<br />
** 印南切目 35ch<br />
<br />
==== データ放送について ====<br />
* 読売テレビの[[データ放送]]は同一地域他局や他の系列局とは違い番組連動データ放送は若干不便である。<br />
** 2011年11月までは、日本テレビを含めた他社制作番組の連動データ放送を利用する場合dボタンを押すだけでは通常のトップ画面となり、その画面から黄ボタンを押すかクリックしないことには連動データ放送にはたどり着けなかった。読売テレビ制作の番組を他の系列局等で放送する場合も同じであった。しかし現在では、dボタンを押すだけで連動データ放送にたどり着けるようになっている。<br />
<br />
=== アナログ放送の概要 ===<br />
2011年7月24日停波時点<br />
* JOIX-TV<br />
* 映像10kW、音声2.5kW<br />
* 生駒山送信所 '''10ch'''<br />
** [[滋賀県|滋賀]]・[[両丹|京都北部]]・[[但馬国|兵庫北部]]・[[播磨国|兵庫西部]]・[[和歌山県|和歌山]]、山間部などを除き多くがこのチャンネルで受信。UHF中継局で受信される場合もチャンネルポジションを「10」に設定されることが多かった。)<br />
** アナログ親局10chを使う局は、日本テレビ系列としは[[山形放送]]、本局、[[南海放送]]の3局であった。<br />
*[[四国|四国地方]]の[[徳島県]]にも届いており、同県内でも[[視聴者]]は多かった。ちなみに同県には同じ日本テレビ系列の[[四国放送]]があるため、同系列のテレビが2局視聴できる(ただし、非マストバイ局である四国放送では放送されない日本テレビ系列全国ネット番組も少なくないが平成初期(1990年代)に比べれば改善された)。また、[[福井県]]([[福井放送]]エリア)の若狭地方、[[三重県]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]エリア)の伊賀地方、[[香川県]]([[西日本放送テレビ|西日本放送]]エリア)の[[香川県]][[東かがわ市]]・[[小豆島町]]、[[高知県]]([[高知放送]]エリア)の[[室戸市]]東部・[[東洋町]]などでも電波が届き、視聴されている(ごく一部[[愛知県]]西部、[[岐阜県]]南部(ともに中京テレビエリア)、[[岡山県]]東部(西日本放送エリア)、[[鳥取県]]沿岸部([[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]エリア)でも受信可能であった)。<br />
*コールサイン「JOIX」は、本局が開局した1958年8月28日から[[1967年]][[10月31日]]まで、[[NHK旭川放送局]][[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]][[留萌ラジオ中継局#中継局概要|留萌中継局]]と重複割り当ての状態だった。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* [[大阪府]]<br />
** [[柏原市|柏原]] 60ch<br />
** [[河内長野市|河内長野寺元]] 58ch<br />
** 河内長野天見 60ch<br />
** [[泉南市|泉南金熊寺]] 60ch<br />
** [[岬町 (大阪府)|岬深日]] 60ch<br />
* [[滋賀県]]<br />
** [[大津市|大津]] 42ch<br />
** [[彦根市|彦根]] 62ch<br />
* [[京都府]]<br />
** [[京都市|京都]][[山科区|山科]] 60ch<br />
** [[福知山市|福知山]] 62ch<br />
** [[舞鶴市|舞鶴]] 61ch<br />
** 中舞鶴 41ch <br />
** [[亀岡市|亀岡]] 39ch <br />
** [[宮津市|宮津]] 41ch <br />
** [[京丹後市|峰山]] 42ch<br />
* [[兵庫県]]<br />
** [[神戸市|神戸]] 47ch <ref>指向性が西に向いているため、[[大阪湾]]沿岸部での受信が難しく、大阪10chか神戸灘を受信していた。またアナアナ変更以前は24chだった。</ref><br />
** 神戸灘 60ch<ref>灘区の沿岸部では大阪10ch受信している世帯が多いため。受信している世帯は、灘区北部や北区の一部に限られる。</ref><br />
** [[相生市|相生]] 41ch<br />
** [[宍粟市|山崎]] 41ch<br />
** [[丹波市|氷上]] 41ch<br />
** [[香美町|香住]] 41ch<br />
** [[佐用町|佐用]] 41ch<br />
** [[川西市|猪名川]] 41ch<br />
** [[川西市|川西けやき坂]] 61ch<br />
** [[姫路市|姫路]] 62ch<br />
** 姫路西 41ch<br />
** [[赤穂市|赤穂]] 62ch <br />
** [[西脇市|西脇]] 62ch <br />
** [[豊岡市|城崎]] 62ch <br />
** [[朝来市|和田山]] 62ch <br />
** [[淡路市|北淡垂水]] 61ch<br />
** [[三木市|三木]] 42ch<br />
** [[たつの市|龍野]] 42ch<br />
* [[奈良県]]<br />
** [[下市町|栃原]] 39ch<br />
** [[吉野町|吉野]] 40ch<br />
* [[和歌山県]]<br />
** [[和歌山市|和歌山]] 48ch<br />
** [[和歌山市|紀ノ川]] 61ch<br />
** [[橋本市|橋本]] 31ch<ref>同系列の[[静岡第一テレビ]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[海南市|海南]] 62ch<br />
** [[有田市|有田]] 41ch<br />
** [[御坊市|御坊]] 61ch<br />
** [[由良町|由良]] 62ch<br />
** [[白浜町|田辺]] 62ch<br />
** [[田辺市|田辺北]] 29ch<ref>同系列の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[新宮市|新宮]] 42ch<br />
** [[串本町|串本]] 61ch<br />
<br />
=== チャンネル番号について ===<br />
大阪地区のアナログテレビ放送の第10chである。既に開局していた[[大阪テレビ放送]](現・[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]]。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・[[関西テレビ放送]]。8ch(ただし、本局より3ヵ月後に開局))に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、新日本放送(現・[[毎日放送]])、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送との競願になり事態が硬直した際、新大阪テレビ側は[[兵庫県]][[姫路市|姫路]]地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ振り向けることを提案。これが通って、当時第4chで送信されていたNHK大阪放送局は第2chが割り当てられることになり、大阪地区は民放に2波、空いた第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった[[田中角栄]]が毎日放送と新大阪テレビにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、新大阪テレビが断固拒否した。次いで教育2社が合併して毎日放送と新大阪テレビのいずれかと合併することとなり、押し付けあったあげく新大阪テレビはキー局の[[日本テレビ放送網]]([[東京特別区|東京]])と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選び第10chを割り当てられた<ref>これで腸捻転解消まで東京地区と大阪地区では4chと10chで系列ベースで逆転することになった(NET:10-毎日放送:4, 日本テレビ:4-読売テレビ10)。</ref>。毎日放送は若いチャンネルである第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑んだ。<br /><br />
1988年に開局30周年を記念して読売テレビは「10マーク」<ref>ブラウン管のなかに10をデザインしたもの。東京の日本教育テレビ(NETテレビ、現・[[テレビ朝日]])も類似のマークを制定していた。また、</ref>を導入した。<br />
<br />
また、地上デジタル放送におけるリモコンキーIDを在阪他局同様にアナログ放送のチャンネル番号を引き継ぎ10とし、日本テレビ系列のみならず4大系列で唯一2桁の番号を採用した局でもある。<br />
<br />
== ケーブルテレビ再送信局 ==<br />
以下の[[ケーブルテレビ]]では、[[区域外再放送]]が行われている。この内、'''太字'''で表記した局ではデジタル放送の再送信も行われている。<br />
<br />
デジタル放送は近畿2府4県と三重県の3社、徳島県のひのき以外は再送信されていない。[[徳島県]]内では既に、広域民放3局とテレビ大阪などの県域民放は一部のケーブルテレビ局で地上デジタル放送の再送信が行われているものの、本局は唯一の県域局[[四国放送]]が同じ日本テレビ系列に加盟している事に考慮して、デジアナ変換の再送信のみ行われている。香川県と岡山県での再送信は2011年7月24日に終了した。<br />
<br />
徳島県は'''民放テレビが1局しかないため特例地域'''として位置付けられている事と、非マストバイ局の四国放送ではネットされていない日本テレビ系列全国ネット番組が少なくない<ref>しかし、四国放送の2011年春改編では[[おはようとくしま プラス|自社制作]]や[[スーパーモーニング|他系列同時ネット番組]]の打ち切りにより本来の日本テレビとの同時ネットに切り替わる。番組によっては読売テレビでは遅れネットあるいは未放送となる番組も若干含まれる。</ref>。各CATV会社で協議を行ってきたが不調に終わったため、ytvがデジタル再送信の要望を取り下げることを条件にデジアナ変換での再送信を提案したため、2015年3月まで12社で再送信が実施されている<ref>[http://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/07/2011_131052191524.html 徳島新聞Web 2011年7月13日 カウントダウン地デジ化 県内CATV12社、読売テレビ放送]</ref>。[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]は大臣裁定を申請し受理されたため、2011年7月24日正午から少なくとも裁定が行われるまでは再送信されている<ref>[http://www.cue.tv/pdf/press20110711.pdf 讀賣テレビ放送の区域外再放送に関して『大臣裁定』を申請 経過措置としてデジタル再放送を実施見通し]</ref>。ただし、徳島県で読売テレビのデジタル放送を受信するにはケーブルテレビ加入の有無(ひのきを除く)に関係なく、高利得UHFアンテナ(必要に応じてブースターも)による直接受信をする必要がある。<br />
<br />
* [[三重県]]<br />
** '''[[アドバンスコープ]]'''<br />
** '''[[伊賀上野ケーブルテレビ]]''' (ICT)<br />
** '''[[ZTV]]'''(東紀州〈紀南〉地域のみ)<br />
* [[徳島県]]<br />
** [[阿波市ケーブルネットワーク]]<br />
** [[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)<br />
** [[エーアイテレビ]]<br />
** [[上板町有線テレビ]] (KCI)<br />
** [[ケーブルテレビあなん]]<br />
** [[ケーブルネットおえ]]<br />
** [[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)<br />
** [[国府町CATV]] (KBC)<br />
** [[テレビ鳴門]]<br />
** [[徳島県南メディアネットワーク]] (MTC)<br />
** [[徳島中央テレビ]] (JCTV)<br />
** [[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)<br />
** '''[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]''' (CUEtv)<br />
<br />
== 関連会社 ==<br />
* 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />
* 株式会社[[ytv Nextry]]([[2011年]][[2月]]、これまでの株式会社[[映像企画]]、株式会社[[よみうりテレビ映像]]、株式会社[[サウンドエフェクト]]の3社を統合して設立された)<br />
* 株式会社[[よみうりテレビサービス]]<br />
* 株式会社[[ワイズビジョン]]<br />
* 株式会社[[エイデック]]<br />
* 株式会社[[よみうり文化センター]]<br />
* 株式会社[[センテンス]]<br />
* 株式会社放送事業社<br />
<br />
== 事件・事故 ==<br />
=== 不祥事・トラブル ===<br />
1998年。失楽園で任天堂に無許可でマリオランドの地下のテーマパクった。2015年のヒロイン崩御の話題でメイキング放送された<br />
* [[2004年]][[2月13日]] - 映画イベント「[[シネマダイスキ|CINEMA DAISUKI]] 映画祭2003」に応募した当選者の[[メールアドレス]]150人分が流出した。メールアドレスの[[電子メール#CCとBCC|CCとBCC]]を誤って入力した事が原因だった。謝罪し、誤送信したメールを削除するようお願いした。<br />
* [[2005年]][[9月22日]] - [[北海道]][[知床 (世界遺産)|知床]]での番組ロケで騒いでいた読売テレビスタッフとお笑い芸人たちに男性観光客が口頭で注意。しかし、この男性観光客は読売テレビスタッフと[[村上ショージ|参加していたお笑い芸人の一人]]に口汚く反論された上に体を押さえつけられて一時[[監禁]]されたとして警察に通報した。駆けつけた警察署員の前でも読売テレビスタッフらの態度は変わらず、男性観光客は後日読売テレビへ抗議。当初は謝罪の意志を示さなかったが、再度警察に相談したところ、ようやく行き過ぎた言動に対して読売テレビと[[村上ショージ|このお笑い芸人]]が男性に謝罪する事態となった<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_10/g2005101810.html 吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし - 夕刊フジ(2005年10月18日号)]</ref>。<br />
* [[2007年]][[6月17日]] - この年[[4月22日]]に放送された[[ディベート|討論]][[バラエティ番組]]『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』にて、当事者に取材せず、事実の確認をしない内容を放送したとして謝罪した。詳細は[[たかじんのそこまで言って委員会#番組中の公式謝罪]]を参照。<br />
* 2007年[[7月16日]] - この日放送の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]スペシャル』にて[[視聴者]][[クイズ]]を出題したが、[[インターネット]]による応募だった事と放送終了後30分を締め切りに設定したために応募者のアクセスが集中し、長時間に渡り読売テレビの[[サーバ]]自体が落ちるという羽目になった。これにより次週[[7月23日|23日]]のクイズからは企画を「24時間タイムリミットクイズ」と変更し、クイズの締め切りを放送翌日午後8時までとした。<br />
* 2007年[[12月12日]] - [[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]の医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件で、同年[[9月28日]]に[[調書]]の写しから[[京都大学]]医学研究科の教授の指紋が検出されたと報道したのは誤りだったとし、教授に謝罪文を提出した。教授は「大学のプロジェクトや生活に支障が出た」として本局に謝罪を求めていた。本局は、[[12月10日]]付で取締役報道局長や記者ら5人を処分したが、詳細は明らかにできないとしている。<br />
* [[2010年]][[12月]] - 同局の報道番組で、[[あいりん地区]]での[[向精神薬]]の売買などの[[貧困ビジネス]]の実態などを紹介する内容の特集が組まれた際、大阪市在住の男性が、この特集に[[匿名]]で取材協力したが、その直後に[[殺人罪|殺人]][[未遂]]事件に遭った。この男性は、同局が音声加工などで身元を秘匿するなどの処置を十分に行っていなかったためだとして、同日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に[[慰謝料]]などを求める訴えを起こした<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/11/08/20111108dde041040034000c.html 損賠提訴:取材協力で襲撃 被害男性、読売テレビを] 毎日新聞 2011年11月8日</ref>。その後[[2013年]][[6月30日]]付で、同社が男性に慰謝料や解決金など計約6,300万円を支払うことで[[和解]]が成立した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130707k0000m040026000c.html 読売テレビ:匿名の取材協力者と和解 解決金100万円] 毎日新聞 2013年7月7日</ref>。<br />
* 2011年[[7月25日]] - 同局は2007年から、給与を年俸制に変更し、さらに次長職を廃止するという新人事制度に移行した。さらに、次長職にある[[労働組合|組合]]員らに対し、契約に署名するよう執拗に要求し、従わなかった7人を一般職に降格した。[[都道府県労働委員会|大阪府労働委員会]]は、この行為が[[不当労働行為]]に該当するとして、同局に対し2011年7月25日付で再発防止の誓約書を作成するよう命じた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110726/crm11072611520007-n1.htm 給与下がる年俸制、一般職降格…読売TVの不当労働行為を認定] 産経新聞 2011年7月26日</ref>。<br />
*2011年[[9月4日]] - この日放送の「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」で、子供からの質問に対し出演者が回答するコーナーにおいて、「[[東北地方|東北]]の[[肉]]や[[野菜]]を食べるとどうなるか」との質問に対し、この日出演していた[[中部大学]][[教授]]の[[武田邦彦]]が、[[岩手県]][[一関市]]の[[放射線]]数値を示した上で、「食べると健康を害する」、「今、東北で農作業はすべきでない」等と回答した。これに対し、一関市の[[勝部修]][[市町村長|市長]]は、「[[農家]]の感情を逆撫でする非常識発言である」などと主張し、武田に対し抗議の[[電子メール]]を送付する事態となった。読売テレビ側は、「武田教授に批判的な意見も取り入れており、全体的に見れば内容に問題はない」と主張している<ref>[http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110907ddm041040164000c.html 東日本大震災:「東北の野菜や肉、健康害する」中部大教授、テレビ番組で発言] 毎日新聞 2011年9月7日</ref>が、この発言の影響で、遅れネットで放送予定だった[[福岡放送]]はこの日の放送を中止した。<br />
<br />
=== 64分にわたる放送中断 ===<br />
* [[1990年]][[5月9日]]午後1時59分から午後3時3分頃まで、近畿圏(読売テレビの放送エリア)に於いて本局の放送が64分間も中断する[[放送事故]]があった。原因は[[奈良県]][[生駒山]]にある送信所のトラブルと見られ、送信所に技術スタッフが急行するまでの間画面は[[スノーノイズ|砂嵐]](ザラザラ画面)だった。そのため近畿圏のみ午後2時からの『[[2時のワイドショー]]』が見られず、午後3時からの日本テレビからのネット受けの『[[キャッチ (ワイドショー番組)|キャッチ]]』も冒頭の3分程削られる状態となった。これだけの放送中断は史上初であり、本局に約1,500件もの苦情が寄せられた。<br />
====昼何で放送事故====<br />
2015年9月14日のエンディングではなわが有吉宣伝したところでいきなり。マークと阿蘇山としばらくお待ちください表示された。謝罪した。ヤフー乗っていた<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[わくわく宝島]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.ytv.co.jp/ ytv] - 讀賣テレビ放送公式サイト<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:よみうりてれひほうそう}}<br />
[[Category:読売テレビ|*]]<br />
[[Category:日本民間放送連盟会員|27よみうりてれひほうそう]]<br />
[[Category:第30回BCS賞]]<br />
[[Category:大阪市中央区の企業]]<br />
[[Category:日本のテレビ局]]<br />
[[Category:大阪府のマスメディア]]<br />
[[Category:アニメに関係する企業]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%AE%80%E8%B3%A3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81&diff=401205
讀賣テレビ放送
2022-08-27T06:35:43Z
<p>PG: /* 放送技術概要、送信所・中継局等一覧 */</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|[[近畿広域圏]]を放送対象地域とする放送局|[[鹿児島県]]を放送対象地域とする放送局|鹿児島讀賣テレビ}}<br />
{{redirect|ytv|その他の用法|YTV}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名=讀賣テレビ放送株式会社<br />
|英文社名= YOMIURI TELECASTING CORPORATION<br />
|ロゴ= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation Logo.svg|150px]]<br />
|画像= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation head office 2008-2.jpg|300px]]<br />
|画像説明= '''本社社屋'''<br />
|種類= [[株式会社]]<br />
|市場情報= 非上場<br />
|略称= 読売テレビ、よみうりテレビ、ytv<br />
|郵便番号= 540-8510<br />
|本社所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見二丁目2番33号<br />
|設立= [[1958年]][[2月13日]]<br />
|業種= 5250<br />
|事業内容= 放送法に基づくテレビジョン放送<br />
|代表者= [[代表取締役]]会長 [[越智常雄]] <br /> 代表取締役社長 [[望月規夫]]<br />
|資本金 = 6億5,000万円<br />
|売上高 = 583億1,100万円(2012年3月期)<br />
|経常利益 = 68億3,000万円(2012年3月期)<br />
|従業員数 = 504名(2012年7月末現在)<br />
|主要株主= [[日本テレビホールディングス]]株式会社 (11.59%) <br />株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%) 他<br />
|主要子会社= 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />株式会社[[ytv Nextry]]<br />株式会社[[ワイズビジョン]] 他<br />
|関係する人物= [[正力松太郎]]<br />[[務臺光雄]]<br />八反田角一郎<br />
|外部リンク= http://www.ytv.co.jp/<br />
|特記事項= 1958年8月1日に「新大阪テレビ放送株式会社」から現社名に変更|<br />
}}<br />
'''讀賣テレビ放送株式会社'''('''読売テレビ放送'''とも表記、よみうりテレビほうそう、[[英語|英称]]:YOMIURI TELECASTING CORPORATION)は、[[近畿広域圏]]を[[放送対象地域]]として[[テレビジョン放送]]をする[[特定地上基幹放送事業者]]である。<br />
<br />
通称は'''読売テレビ'''、略称は'''ytv'''。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「GO!GO!happiness」。<br />
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[Nippon News Network|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])の[[準キー局]]である。<br />
<br />
== 会社の概要 ==<br />
{{日本のテレビ局<br />
|英名=[[:wiki:en:Yomiuri Telecasting Corporation|YOMIURI TELECASTING CORPORATION]]<br />
|地域=[[広域放送|近畿広域圏]]<br />
([[大阪府]]・[[京都府]]・[[兵庫県]]・[[滋賀県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]])<br />
|系列=[[Nippon News Network|NNN]]|番組=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]|略称=ytv<br />
|愛称=読売テレビ<br />
|呼出名称= よみうりデジタルテレビ<br />
|コールサイン=IX|年=1958年|月日=8月28日|郵便番号=540-8510|都道府県=大阪府|本社=[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2丁目2番33号| 緯度度 = 34|緯度分 = 41|緯度秒 = 39.77| 経度度 = 135|経度分 = 32|経度秒 = 2.78|演奏所=本社と同じ|都市名=大阪|ch1=10|ch2=10|id=10|dch=14|中継局=[[#アナログ放送|主な中継局]]参照|デジ中継局=[[#デジタル放送|主な中継局]]参照<br />
|公式サイト= [http://www.ytv.co.jp/ 読売テレビ]<br />
|特記事項= 設立当時の商号は「新大阪テレビ放送」と称していたが、開局直前に現商号に変更した。<br />リモコンキーID「10」は本局と[[テレビ愛知]]([[TXN]]系列)のみ。<br />
}}<br />
<br />
=== 本社などの所在地 ===<br />
*本社 - [[郵便番号|〒]]540-8510 [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[大阪ビジネスパーク|城見]]二丁目2番33号<br />
*東京支社 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目6番1号 [[日本テレビタワー]]20階<ref>在阪準キー局の東京支社が在京キー局の本社ビル内に入居するのは読売テレビが唯一である。系列局で見ると本局の他、[[南海放送]]も入居している。また[[TBSテレビ|TBS]]系列の準キー局である[[毎日放送]]は東京・赤坂の[[東京放送ホールディングス]] (TBSHD) 敷地内にある「[[赤坂Bizタワー]]」内に東京支社が入居している。</ref> <br />
*名古屋支局 - [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]四丁目15番32号 日建住生ビル6階<br />
*京都支局 - [[京都府]][[京都市]][[中京区]][[烏丸通]]六角下ル七観音町630番地 読売京都ビル5階<br />
*神戸支局 - [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]栄町通一丁目2番10号 読売神戸ビル4階<br />
<br />
=== 現在の主な株主 ===<br />
括弧内は、持株比率を示す。<br />
# [[日本テレビホールディングス|日本テレビ放送網]]株式会社 (11.59%) ※1・2<br />
# 株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%)<br />
# 讀賣ゴルフ株式会社 (10.23%) ※1<br />
# 野村土地建物株式会社 (7.98%)<br />
# [[野村ホールディングス]]株式会社 (5.00%)<br />
# 株式会社[[UFJ銀行]] (4.00%) ※3<br />
# 株式会社[[三井住友銀行]] (3.60%)<br />
# 株式会社[[りそな銀行]] (2.70%)<br />
# 株式会社[[みずほコーポレート銀行]] (2.40%) ※4<br />
# 株式会社[[読売新聞大阪本社]] (2.01%)<br />
* ※1 [http://www.ntv.co.jp/info/news/268.html 日本テレビ放送網株式会社は、2005年12月6日に讀賣ゴルフ株式会社から株式を取得している。]<br />
* ※2 日本テレビ放送網株式会社は、[[2012年]][[10月1日]]に[[放送法]]に基づく[[認定放送持株会社]]に移行し、[[日本テレビホールディングス]]株式会社となっている。<br />
* ※3 株式会社UFJ銀行は、[[2006年]][[1月1日]]に株式会社[[東京三菱銀行]]と[[合併 (企業)|合併]]し、現在は株式会社[[三菱東京UFJ銀行]]となっている。<br />
* ※4 株式会社みずほコーポレート銀行は、[[2013年]][[7月1日]]に(旧)株式会社[[みずほ銀行]]を吸収合併し、同日商号を株式会社みずほ銀行に変更した。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月13日]] - 大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])などの出資により、準教育専門局「新大阪テレビ放送」(NOTV) として設立。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月1日]] - 「讀賣テレビ放送」(YTV) に社名変更。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月28日]] - [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町2-36(後に「東天満1-8-11」へ住居表示変更) から本放送開始(大阪第2局)。それまで[[大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]])にネットされていた[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] (NTV) の番組を移行させる形で開局した。[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]局の第一号として「ステーション・ネット局」宣言を打ち出す(フルネット局の嚆矢)。<br />
* [[1960年]](昭和35年)[[9月10日]] - カラーテレビ本放送開始(大阪地区では[[NHK大阪放送局]]、ABCと共に初。<br />
* [[1967年]](昭和42年)[[4月1日]] - 日本テレビとの編成制作協定(N-Y協定)を締結。<br />
* [[1978年]](昭和53年)[[10月1日]] - 音声多重放送開始(日本テレビに続いて2局目)。<br />
* [[1988年]](昭和63年)8月1日 - 本社社屋を大阪市北区東天満から同市[[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2-2-33の[[大阪ビジネスパーク]] (OBP) 内の現在地に移転する。10マークの使用開始。<br />
* [[2000年]](平成12年)[[7月1日]] - 開局以来初となるマスコットキャラクター「[[テレビヤン]]」がお目見え。<br />
* [[2003年]](平成15年)[[12月1日]] - 地上デジタル放送'''「よみうりデジタルテレビ」'''放送開始 (JOIX-DTV) 。本放送開始と同時にアナログ・デジタル統合[[主調整室|マスター]]の運用を開始(この時にマスターのシステム自体もこれまでの[[日本電気|NEC]]製から[[東芝]]製のものに変わる)。<br />
* [[2005年]](平成17年)[[7月29日]] - [[8月7日]] - [[天保山ハーバービレッジ]]を会場とした大規模イベント「[[天保山10デイズわくわく宝島|天保山10days わくわく宝島]]」を開催。<br />
* [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - 開局50周年を前に「ウキウキわくわくキャンペーン」を展開。[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入し、ロゴマークを原則として'''「よみうりテレビ」'''から'''「ytv」'''(報道関連、NNNの発信元テロップなど漢字表記する場合は'''「読売テレビ」''')に変更した。また、3代目マスコットキャラクター「[[ウキキ]]」がこの日に誕生した。<br />
* [[2009年]](平成21年)11月24日 - 東京支社が東京都港区東新橋の「日テレタワー」(日本テレビ本社ビル)内に移転。<br />
* [[2010年]](平成22年)7月5日 - [[日本放送協会|NHK]]と[[日本民間放送連盟]]の申し合わせにより、地上デジタル放送の移行を前提に、[[アナログ放送]]においての全番組が画角サイズ16:9の[[レターボックス (映像技術)|レターボックス放送]]に移行する(画角サイズ4:3で製作されたCMは除く)。また2010年[[9月6日]]から、アナログ放送の黒帯部分に地上デジタル放送の準備を啓発する告知をCM中を除いて常時表示されるようになった。<br />
* [[2011年]](平成23年)[[10月3日]] - 日本テレビ系列局の全番組ステレオ放送化により、今まで[[モノラル放送]]だった読売テレビ制作の番組が全て[[ステレオ放送]](一部はモノステレオ放送)に切り替わった。<br />
<br />
== 開局までの経緯 ==<br />
[[日本テレビ放送網]](以下、日本テレビ)は[[1953年]]、東京での開局に先立ち、大阪にも放送免許の申請を[[郵政省]]に提出した。しかし、当時の大阪地区の割り当て電波は2波しかなく、[[NHK大阪放送局]]と[[大阪テレビ放送]](OTV。現・[[ABCテレビ|朝日放送]])の2局に免許が与えられ、"日本テレビ大阪放送局"の免許は却下された。却下の理由は'''「日本テレビは東京地区を代表するもので、これが大阪で電波を出すのは"越境"である」'''というもの。日本テレビを率いる[[正力松太郎]]は、大阪の他[[札幌市|札幌]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[福岡市|福岡]]にも同局の地域放送局を設立する事を郵政省に申請したが、これも大阪と同じ理由で却下された。<br />
<br />
大阪では、その当時に[[読売新聞]]が大阪に進出したばかりで、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]などと販売競争で激しく競い合った。大阪テレビ放送は朝日新聞・毎日新聞と[[朝日放送]]・新日本放送(現・[[毎日放送]])によって設立されたテレビ局である事から、当時の大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])社長・[[務臺光雄]]は「両紙を相手に部数を伸ばすには、自社系列のテレビ局を持つ事が必要」と確信し、読売側も大阪讀賣新聞社を中心に関西の財界などの出資によるテレビ局を作ろうと決心。務臺が発起人代表となって、財界から発起人集めを行った。<br />
<br />
放送局の社名は'''「新大阪テレビ放送株式会社」'''(略称:'''NOTV'''='''New Osaka Television'''。'''『ノーテレ』'''と呼ばれた)とし、[[1957年]][[2月]]に設立の発起人総会を実施。社屋は[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町(現・東天満)の[[東本願寺]]天満別院跡地に建設された。[[1956年]][[10月]]に放送免許の申請を郵政大臣に提出した。そして、1957年[[10月]]に'''準教育局'''として新大阪テレビ放送に予備免許が交付(第10チャンネル、JOIX-TV)された。[[1958年]][[2月12日]]に創立総会を行い、同年[[8月1日]]に社名を「新大阪テレビ放送」から'''「讀賣テレビ放送株式会社」'''(略称・YTV、愛称・よみうりテレビ)へ変更、同月[[8月28日|28日]]にOTVにネットされていた日本テレビの番組を完全移行させる形で近畿地区では2局目の民放テレビ局として開局した。<br />読売テレビの開局でこれまでOTVの[[クロスネット局|クロスネット]]政策のため近畿地方に流れなかった日本テレビ番組のスポンサーの不満<ref>当時の大阪テレビの番組編成はラジオ東京優勢の編成であったため。(ニュースにいたってはYTV開局前からラジオ東京のもののみ放送されていた。)</ref>が解消し、読売新聞の[[西日本]]での部数増に大きく貢献した。<br />
<br />
== ネットワークの移り変わり ==<br />
* [[1958年]][[8月28日]] - 開局。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の第一号局として「ステーション・ネット局」を宣言。以降一貫して番組全般は日本テレビとなる。<!--しかし[[読売新聞ニュース]]が[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]]でも放送していたことからそれのみクロスとなっていた。--><br />
* [[1966年]][[4月1日]] - ニュースネットワークNNNが発足し加盟。<br />
* [[1972年]] - この年発足のNNSに加盟。<br />
<!--* [[1974年]][[6月23日]] - [[キー局]]の新聞再編成により[[読売新聞ニュース]]が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]発のみとなる。これによりTBS発の番組が姿を消す。--><br />
<br />
== 略称・ロゴ ==<br />
{{色}}<br />
初代のロゴ表記には、大文字の'''“YTV”'''と斜面の'''“よみうりテレビ”'''の2種類があった。開局30周年の1988年8月からは10マーク<ref>新ロゴ制定後も数年間本社の駐車場の入口に10マークが残っていたが、現在では撤去されている。</ref>を導入し、「10マーク」と「よみうりテレビ」の使用が主となる。開局50周年記念の一環として、[[2007年]][[4月]]から、小文字の略称新ロゴ'''「ytv」'''を導入し、NNS全国ネット向け・[[関西ローカル]]を問わずほぼすべての番組で表示することになった。日本テレビから送出されるNNNの各種ニュース番組及びCS放送[[日テレNEWS24]]の取材クレジット表示は「読売テレビ」としている。<br />
<br />
ローカル放送と一部全国ネット番組ではペットキャラクター(1996年 - 2000年はアイニー君、その後2007年3月まで[[テレビヤン]])をクレジットに併記していた。クレジット表示はアイニー君の場合は「制作・著作 (左にアイニー君のイラスト)よみうりテレビ」、テレビヤンの場合は「制作・著作 よみうりテレビ(その右にテレビヤンのイラスト)」だった。<br />
<br />
=== 愛称としてのよみうりテレビ ===<br />
[[ファイル:NNK-YTV Bell430 JA010Y RJOY 20090502-001.jpg|thumb|300px|新ロゴ「ytv」と正式社名「讀賣テレビ放送株式会社」が併記された取材用ヘリコプター(JA010Y、2009年5月2日撮影)]]<br />
開局から[[2007年]][[3月]]まで、自社制作番組のクレジットは関西ローカル・全国ネットを問わずにひらがな表記の愛称'''「よみうりテレビ」'''と表記していた。ひらがな表記の例としては、同局の看板番組でHPアクセス数常時最上位の[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]などが挙げられるが、これは漢字の読めない視聴者層を意識したものと思われる。<br />
<br />
ただし、番組以外の事業に関しては「読売テレビ」と表記されていた(被ネット局側がロゴ出しをした場合例外あり。実例として1990年代後半に[[広島テレビ放送|広島テレビ]] (HTV) が阪神vs広島戦を実況を差し替えて中継した際に制作・著作ロゴをHTV側で送出したため、「制作著作 広島テレビ・読売テレビ」と漢字で表記された事があったが、平仮名で「広島テレビ・よみうりテレビ」と表記した場合もあり、一貫性がなかった。また、過去には[[山口放送]] (KRY) 制作の『[[防府読売マラソン]]』でもネット局のロール表示の際に漢字ロゴが使われた事もあった)。[[青森放送]](RAB)が制作・中継し、本局も制作協力する『[[青森県民駅伝競走大会]]』(毎年9月開催)のエンドロールでは「読売テレビ」あるいは「讀賣テレビ」と表記している。<br />
<br />
見解としては「番組関連の表記は『よみうりテレビ』、事業関連や一般的な表記としては『読売テレビ』、そして事務的な場合など正式な企業名(登記社名)を表記する必要性がある場合に限り『読売テレビ放送』と使い分け」ていたようである。<br />
<br />
社章(バッジ)については、開局から1982年までは楕円の中に“YTV”ロゴを入れたものが用いられたが、開局25周年の1983年からは、長方形の中に“Y”と“O”を[[幾何学]]的にあしらったものに変更された。<br />
<br />
テレビカメラなど、一部の放送機材や一部の送信所でも『読売テレビ』と表記している。現在は放送機材にも現行のロゴを使用している。<br />
<br />
=== ytvへの移行 ===<br />
新ロゴマークは、黄色のytvの右上にチャンネル数'''10(テン)'''を表すオレンジ色の点(テンボール)をデザインしており、'''{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup>'''となる。なお、2008年は同年8月28日の開局満50年を記念して1年間限定で{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup><sub>{{Color|#FFD800|50th}}</sub>と表記した。これを機に段階的に「よみうりテレビ」ロゴと「10」マークが廃止された。長年使用していた為か「よみうり」ロゴ廃止後も「よみうりテレビ」の記述が見られる。<!--2009年度まで放送していたズームイン!!SUPER関西ローカル版が該当する-->なお、「ytv」の小文字での表記はロゴマークや読売テレビ社内で使用されるのであって、大文字の「YTV」でも何ら問題ない。<br />
<br />
2007年4月からは、地上デジタル放送に於いて画面右上に[[ウォーターマーク]]として「ytv」ロゴの表示を行う様になった([[提供クレジット]]時は除く、[[ワンセグ]]では非表示)が、あまり透過していないため、少し目立ってしまう。なお、この表示はキー局の日本テレビをはじめ、広島テレビ、福岡放送などでも実施している。<br />
<br />
2008年4月以降、番組関連での「制作クレジット」「番組宣伝ポスター」「社名“マーク”」としては「ytv」を用い、「社名」を表示する時には「読売テレビ」もしくは「読売(讀賣)テレビ放送」を使用するよう改められた(これにより今後は平仮名表記の「よみうりテレビ」は使用しない)。<br />
<!--表記の使い分けについては、読売テレビ東京支社の方から以前伺った話なので、幾分信憑性はあるかと思います。2008年5月加筆分についても同様です。--><br />
<br />
2013年に開局55周年を迎えた際、ロゴマークの後ろに笑顔のボールが付け加えられた記念ロゴが使用された。ボールの中に55の数字で笑顔を表し、読売テレビの番組で視聴者に笑顔に届けるという意味を込めたものとなっている。<br />
<br />
[[番組表]]に於いては、[[読売新聞]]や[[スポーツ報知]]に於いては「よみうりテレビ」と表記され、その他の新聞のテレビ番組表に於いては「読売テレビ」と表記される。また、デジタルテレビのEPGでは2007年3月31日までは"よみうりテレビ"と表記されていたが、同年4月1日からは"読売テレビ"に変更されている。なお、2011年7月24日24時前のアナログ波停波直前の画面の局名は「よみうりテレビ」と表示された。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=g92DAk90ibU 2011年7月24日のアナログ放送終了時の読売テレビ] YouTube</ref><br />
<br />
再放送番組に関しては基本的に旧ロゴのままだが、「[[ルパン三世 PartIII]]」の再放送用素材は、制作会社の[[トムス・エンタテインメント]]側が「[[東京ムービー]]」表記を現社名に改めた物を作成した際、作品の著作権が読売テレビにも残っているためか「よみうりテレビ」ロゴを「ytv」ロゴに改めた上で表記している。<br />
<br />
== キャッチコピー ==<br />
* ハロー10ch([[1980年]] - [[1995年]]) - [[サンリオ]]が製作したマスコットキャラクター「ハローちゃん」が存在していた。<br />
* あしたのテレビへ。その1。OPEN([[1995年]] - [[1996年]])<br />
* よみうりテレビは、あなたに「ぴたっ」とします。(1996年)<br />
* i need 10([[1997年]] - [[2000年]])<br />
* テレビヤン(2000年 - [[2006年]])<br />
* ウキウキわくわくytv([[2007年]] - 2012年)<br />
* GO!GO!happiness(2013年 - 現在)<br />
<br />
== 放送番組の特色 ==<br />
{{See also|読売テレビ番組の分野別一覧}}<br />
平日は以下の様に[[朝|早朝]]から19時まで、[[生放送]]の[[報道番組|報道]]・[[情報番組]]を中心にして放送されている。<br />
:(不定期で休止することがあるが、『[[日テレNEWS24]]』→)『[[朝生ワイド す・またん!|もうすぐ す・またん!]]』(5:10 - 5:20)→『[[朝生ワイド す・またん!]]』(5:20 - 6:30)→『[[ZIP!]]』(6:30 - 8:00)→『[[スッキリ!!]]』(8:00 - 10:25)→『[[PON!]]』(10:25 - 11:25 火~木のみ)→『[[NNNストレイトニュース]]』(11:30 - 11:45)→『[[ヒルナンデス!]]』(11:55 - 13:55)→『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』(13:55 - 15:50)→再放送など(15:50 - 16:47)→『[[かんさい情報ネットten.]]』(16:47 - 19:00)<br />
<br />
=== NNS全国ネット向け ===<br />
(番組は{{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在)<br />
* 長年に渡って[[日本テレビ系列平日午後2時台のワイドショー枠|平日午後2時台を中心とした生放送ワイドショー番組]]を放送している。現在の『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』は元々関西ローカルで夕方に放送されていた番組。[[2007年]][[9月]]まで放送していた『[[ザ・ワイド]]』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と共同制作の形を採った(詳細は[[ザ・ワイド]]参照)。<br />
* 1990年4月より他系列の在阪局同様、土曜日8時台・9時台前半に情報番組を放送している。現在は報道局が制作主体となっている『[[ウェークアップ!ぷらす]]』。この時間帯としては在阪民放唯一の報道番組であり、在阪局制作番組でありながらNNNの討論・報道番組としても扱われている。<br />
* [[ゴールデンタイム]]の制作番組は木曜日に集中しており、21時の『[[秘密のケンミンSHOW]]』、22時の『[[ダウンタウンDX]]』の2本を制作している。また、『[[NEWS ZERO]]』を挟んだ23時58分には『[[木曜ドラマ (読売テレビ)|木曜ドラマ]]』を制作しており、都合木曜日は3本の制作番組が並ぶ。<br />
*報道・情報系番組を除く3本の全国ネット番組は[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]あるいは[[ワンセグ]]の[[データ放送]]に対応している。<br />
*アニメ枠は長年月曜19時台に編成されていたが、後述する2009年4月の改編で土曜18時と日曜7時に放送枠が変更された。2013年4月からは『[[シューイチ]]』の放送時間拡大によって『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』が日曜7時に放送されることになりアニメの放送枠が土曜17時半に移動したため、土曜夕方に読売テレビ制作のアニメが2本連続放送されることになった。<br />
*かつては月曜日にも制作枠があり、[[連続ドラマ]]や[[バラエティ番組]]も手がけた事があったが、[[視聴率]]の不振が続いた為前者は[[2004年]][[3月]]、後者も日本テレビ制作番組と枠交換するも[[2008年]][[2月]]をもって撤退<ref>過去に日本テレビの『[[スーパーテレビ情報最前線]]』と制作枠を交換し、月曜21時が読売テレビ、月曜22時が日本テレビの制作枠となっていたが、[[2008年]][[4月]]に『情報ライブ ミヤネ屋』の日本テレビでの放送開始(14時台ネットワークセールス化)と引き換えに交換。</ref>、そして2009年4月改編で平日19時枠に帯バラエティ番組『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』がスタートした為、長年守り続けたアニメ枠までも枠移動を余儀なくされた。<br />
*深夜番組では『[[11PM]]』の火・木曜日分を担当して以来、現在の[[プラチナイト]]枠に至るまで全国ネット番組を途切れなく制作している。2008年[[10月2日]]より同枠にて、4年半ぶりに[[木曜ナイトドラマ|連続ドラマ]]を放送している。2010年4月からは『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』終了に伴う平日19時台の同局制作枠廃止(枠を日テレに事実上返上)に伴い、読売テレビ発・全国ネットは木曜日に集中する事になる(夜間に関しては21時台・22時台と[[木曜ミステリーシアター]]のみとなる)。<br />
<br />
==== 全国ネットに相当する番組 ====<br />
完全な全国ネットではないが、『遠くへ行きたい』や一部の深夜番組が日本テレビを始めとした複数の系列局で放送されている。<br />
<br />
日曜昼に放送されている『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』は、関東などを除いた全国24局同時ネットで放送されている(関西では20%超の高[[視聴率]]で占拠率は50%近く<ref>ネット局のうち[[北日本放送]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でも関西地区以上の高視聴率を獲得している。</ref>を叩き出す事がある人気番組)。日本テレビが番組ネットを打診したが、司会の[[やしきたかじん]]ら出演者は'''「関東圏には流すな」'''<ref>日本テレビおよび[[東京メトロポリタンテレビ|東京MX]]といった[[在京放送局|東京テレビ局]]の事</ref>と拒否、日本テレビでは放送されていないというエピソードを持つ。<!--詳細が気になる閲覧者は「そこまで言って委員会」のページを御覧下さい--><br />
<br />
因みに[[広域放送|中京広域圏]]の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]との親交が深く、全国ネット化に先駆け『ミヤネ屋』を一足早く<ref>2007年9月24日から</ref>ネットした。この際「-ミヤネ屋」に[[東京]]制作部のスタッフを派遣しており、2009年に始まったローカル番組『[[愛の修羅バラ!]]』ではレギュラー番組としては初めての共同制作を行っていた(現在は『[[上沼・高田のクギズケ!]]』)。そのほか、土曜朝の『[[あさパラ!]]』を唯一同時ネットしていたが、2011年3月末で中京テレビへのネットを打ち切った。<br />
<br />
=== 関西ローカル番組 ===<br />
* 日曜22:30からの『[[大阪ほんわかテレビ]]』や土曜16:30からの『[[土曜はダメよ!]]』などを制作している。<br />
** [[1999年]][[4月]]より日曜の昼に関西ローカルの情報バラエティ『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の放送を開始し、一躍話題となる。同番組はキー局や地方局のワイドショーでは話せない芸能界の裏情報が満載の番組としてエリア外でも異名を轟かせていた。これに伴って[[1998年]]まで同時ネットされていた『[[防府読売マラソン]]』([[山口放送]]制作)の中継を深夜放送枠の時差ネットで録画放送している。2009年から2010年までは中京テレビと共同制作の「愛の修羅バラ!」を放送。<br />
* 関西ローカル向けのワイドショーを[[2001年]][[10月]]から[[2009年]][[3月]]まで平日の10時台に編成していたが、[[2004年]]に若年層をターゲットにした[[なるみ]]・[[陣内智則]]司会の『[[なるトモ!]]』をスタートさせた。2005年10月から『なるトモ!』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[中京テレビ放送|中京テレビ]]・[[広島テレビ放送|広島テレビ]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でもネットされる事になり、念願の“東京進出”を果たす。関西発のワイドショーが関東でもネットされたのは『[[2時のワイドショー]]』→『[[Beアップル2時!]]』以来12年半振りであり、共同制作の『[[ザ・ワイド]]』で約1年間放送されていた大阪からのパートを含めると10年ぶりの事だった。しかし、日本テレビでの放送は僅か半年で終了した。<br />
* 1990年代から日本テレビ系列の平日夕方時間帯(午後4・5時台)はローカル情報番組(帯番組)を編成している局([[札幌テレビ放送|STV]]・[[福岡放送|FBS]]など)が多くなっているが、読売テレビは長年夕方ローカル情報番組を編成する事なく[[2時間ドラマ]]の再放送枠で、一定の視聴率を保っていた。ローカル番組を編成する[[MBSテレビ|MBS]](『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』)や[[ABCテレビ|ABC]](『[[ワイドABCDE〜す]]』や『[[ムーブ!]]』など)に対抗すべく[[2005年]][[11月]]から毎週金曜日に元[[朝日放送|ABC]]アナウンサーの[[宮根誠司]]を司会に起用した自社制作の情報番組『[[激テレ★金曜日]]』をスタート。翌[[2006年]][[7月31日]]からは再放送枠を廃止し、『激テレ★金曜日』を帯番組に発展させた『情報ライブ ミヤネ屋』を開始した。[[2007年]][[10月1日]]から同年[[9月28日]]に終了した『ザ・ワイド』の後継番組として放送時間を13:55からに移動、全国ネットとなった。<br />
* 以前は『[[おはようニュースマガジン]]』『[[元気モンTV]]』『[[あさイチ!]]』など平日早朝時間帯にローカル情報番組を放送していたが、[[2006年]][[6月30日]]で一旦終了。[[7月3日]]からは日本テレビの『ズームイン!!SUPER』をフルネットし、その中で30分ほどのローカルコーナーを放送。2010年3月29日からは3年9ヶ月ぶりに早朝の自社制作情報番組『[[朝生ワイド す・またん!]]』を放送。<br />
* 他の在阪局と同様に全国ネットでは[[日本プロ野球|プロ野球]]中継のうち[[読売ジャイアンツ]]戦を関西地区では[[阪神タイガース]]戦中継に差し替えるケースが見られる(二元中継の場合もあり。[[2007年]][[5月28日]]には[[オリックス・バファローズ]]戦を中継)。<br />
** かつては阪神応援番組の先駆者的番組『[[週刊トラトラタイガース]]』を放送していた。現在は後述の『[[ZIP!]]』のローカルコーナー内で「ウル虎!Sports」を毎日放送している。<br />
* 毎年春と夏(『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』の開催当日)には朝9時半から夕方にかけて長時間の生ワイドスペシャルを企画しており、当該時間枠の生放送番組の拡大版が放送されている(2005年夏は放送なし)。また、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の放送枠でも珍しく比較的自主制作枠が多い。<br />
* 自社製作の深夜番組については、一部の番組を日本テレビ系列局にネットされており、日本テレビでは水曜深夜に3枠連続で当社製作番組を放送されている。<br />
* 1992年10月から放送された深夜番組「[[たかじんnoばぁ〜]]」は、関西地区で最高視聴率25.1%(占拠率56%)を記録し、読売テレビ深夜番組史上最高視聴率を記録した。(この記録は破られていない)<br />
関東でのメレンゲの枠でおしゃべりジャングルやっている。2014年12月20日はYahoo!に中村昌也が元奥さんについて語っていた事掲載された。余談であるがブランチに元奥さんが出演していた<br />
<br />
=== アニメ ===<br />
{{ウィキプロジェクト アニメ}}<br />
{{See also|日本テレビ系アニメ}}<br />
* 本局では[[1967年]]([[昭和]]42年)に放送が開始された[[紙芝居]]の名作をアニメ化した『[[黄金バット#アニメ|黄金バット]]』で[[アニメーション]]制作に参入した。在阪局のアニメ参入は[[MBSテレビ|毎日放送]](MBS)に次いで2局目で、『黄金バット』の他、[[スポ根]]アニメの金字塔とも言われる『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』や[[プロレス]]アニメの決定版『[[タイガーマスク#1作目|タイガーマスク]]』、[[赤塚不二夫]]の人気を不動のものとした『[[天才バカボン (アニメ)|天才バカボン]]』、アニメブームの金宇搭とも言われる『[[宇宙戦艦ヤマト]]』など[[1960年代]] - [[1970年代]]は大ヒット作を連発した。現在でも人気が高い『[[ルパン三世]]』を[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|初めてアニメ化]]したのも本局である。<br />
* [[1990年代]]以降、[[諏訪道彦]]プロデューサーによるアニメ制作に力を入れており、MBSと並んで在阪局ではアニメ制作に力を入れている事で知られている。諏訪がプロデュースした代表的な作品としては、[[1996年]]1月から放送が開始され[[2010年]]現在も続く『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』や『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』『[[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]]』『[[犬夜叉#第1期|犬夜叉]]』『[[シティーハンター (アニメ)#TVアニメ|シティーハンター]]』『[[YAWARA!#TVシリーズ|YAWARA!]]』[[読売新聞]][[朝刊]]に連載中の[[植田まさし]]作による[[4コマ漫画]]をアニメ化した『[[コボちゃん#アニメ版|コボちゃん]]』等。キー局の日本テレビに比べると熱心であると同時に、NNS系列全国ネットのアニメを数多く制作している。最近では『[[エンジェル・ハート#テレビアニメ版|エンジェル・ハート]]』等の[[深夜アニメ]]も手掛けている。<br />
** 本局発全国ネットのアニメ番組では、[[ポケモンショック]]を教訓とした視聴注意テロップ「'''○○からのお願い…テレビアニメを見るときは部屋を明るくして画面からはなれてくださいね'''(○○には“コナン”や“結界師”等のメインキャラクターの名前が入る)」という他局では見られない特徴的な視聴の注意文を使用している<ref>テレビ朝日の『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』でも同様の注意文が出るが、本局では全ての作品でこの形に統一している</ref>(『[[それいけ!アンパンマン]]』など[[番組販売|番販]]の場合は単に「'''テレビアニメを見るときは-'''」という表示である)。<br />
** 視聴注意テロップについては全日のみ表示である。但し、2007年10月に[[読売テレビ制作月曜夜7時枠のアニメ|月曜夜7時枠]]から深夜に移動した『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』では表示された。また午後7時からアニメ映画を放送する場合は表示されていた(2009年春に枠廃止)が、日本テレビ発である[[金曜ロードSHOW!]]でアニメ映画を放送する場合は表示されない。<br />
**一部作品を除きオープニング・エンディングテーマの楽曲名の表示は、OP・ED冒頭で一回と途中スタッフのクレジットと共に一回出しているため、2回楽曲名が表示されるようになっている。<br />
** [[1995年]]から[[2009年]]まで、月曜7時台は本局制作のアニメ2本立てという編成が続いていたが、安定していた視聴率も[[2005年]]頃から低迷していた。その結果、19:00 - 19:30に放送されていた『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』が2007年10月改編で全国ネットから深夜枠へ"降格"(一部の局は打ち切り)となった。同年内いっぱいは『名探偵コナン』の1時間スペシャルや単発2時間特番で凌ぎ、2008年[[1月]]からはかつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送された『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』のリメイク版を放送していた。<br />
** [[2009年]]3月時点で、在阪局でゴールデンタイムにアニメ枠を持っていたのは本局のみだった([[1996年]]までは[[ABCテレビ|ABC]]も持っていた。MBSも[[1994年]]に一度全廃したが[[2005年]]に1年間だけ復活)。 <br />
** 本局の本社前には『名探偵コナン』の主人公・[[江戸川コナン]]のブロンズ像が建てられている。<br />
* 一方で[[1980年代]]後半から[[1990年代]]前半頃にかけて日本テレビ制作のアニメ作品のネットに消極的な時期があった。<br />
**日本テレビ系列で平日夕方5時台に放送されているアニメは、当初は同時間帯で放送されていた。しかし1988年10月から当該時間でローカル番組『[[ざまぁKANKAN!]]』の放送が開始されると、同年4月の開始当初は同時ネット(金曜17時)だった『魔神英雄伝ワタル』は木曜16時台に移動、後に平日の朝の10時台に放送時間が変更され、次番組も含めて1年間は当該時間での放送が続き、その後は平日の早朝5時台に放送時間が変更される等、変動が激しかった。さらに『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ]]』の様に放送時間が取れない等の事情により、'''放送回数を飛ばしていきなり最終回にしてしまう'''等、対応に問題があった。また夕方時間帯で放送時期は『[[アニメだいすき!]]』枠が割り込む時もあった。<br />
*** この時期に平日早朝に放送されたアニメは『[[魔神英雄伝ワタル]]』(放送開始時は夕方に放送)・『[[電脳警察サイバーコップ]]』(これは[[特撮]]作品だが、ローカルセールス化後はこの時間帯で放送された。)・『[[戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV]]』・『[[魔動王グランゾート]]』・『[[機動警察パトレイバー#TVシリーズ|機動警察パトレイバー]]』・『[[魔神英雄伝ワタル2]]』・『[[からくり剣豪伝ムサシロード]]』・『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』・『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ(2代目)]]』・『[[ママは小学4年生]]』・『[[ミラクル☆ガールズ]]』が挙げられる。<br />
** 『[[それいけ!アンパンマン]]』はこの時期に土曜日や日曜日の早朝に放送時間が変更されている。<br />
* 自社及び日本テレビ制作の深夜アニメは、現在では月曜深夜の『[[MANPA]]』枠の中で放送している(後述の『[[無敵看板娘#テレビアニメ|無敵看板娘]]』もこの枠で放送されていた)。しかし日テレ制作の作品は大幅な遅れネットを生じる事がある。<br />
* [[UHFアニメ]]の参入は在阪局としては最後発で、2006年[[7月]]からの『無敵看板娘』で参入を果たし(この作品にも製作委員会に加わっている。しかし関東圏の[[全国独立放送協議会|独立局]]と比べると放送時期は3週間程遅れていた)、これにより全ての在阪局及び[[近畿地方]]の民放テレビ局がUHFアニメを放送する事になった。但し、完全な外部製作のUHFアニメは2012年7月期の『[[薄桜鬼 〜新選組奇譚〜|薄桜鬼 黎明録]]』まで無かった。<br />
** 『無敵看板娘』以降は長らくUHFアニメの放送が無かったが、2008年7月より本局では2年ぶり、2本目となるUHFアニメ『[[乃木坂春香の秘密#テレビアニメ|乃木坂春香の秘密]]』以後はおおよそ1クール月と1-2本程続々とUHFアニメを製作している(『[[ぬらりひょんの孫]]』シリーズは[[日本BS放送|BS11]]と共同で製作委員会に参加)。<br />
** 16:9SDマスターで制作されたUHFアニメは、地上デジタル放送ではフルサイズで放送されている。なお、在阪局でUHFアニメのフルサイズ放送を実施しているのは本局とMBS・[[テレビ大阪]](TVO)のみ。<br />
* [[1987年]]から[[1995年]]にかけて、学校の休み期間に『[[アニメだいすき!]]』と称した枠で[[OVA]]を集中して放送していた事でも知られる。<br />
* 2009年7月には東京支社内にアニメ事業部を設立。系列会社の[[読売テレビエンタープライズ|yte]]と連携し、深夜アニメへの制作意欲を強めている模様である。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[文字多重放送|字幕放送]]テロップ(当初は「文字放送・字幕」)は日本テレビで表示しているものと同一デザインである。当初は全国放送でも関西ローカルのみの表示だったが、2003年8月頃からキー局の日本テレビに先駆けて日本テレビ系列各局向け(ネット回線)にも表示される様になった(関西ローカルでの表示も継続。日本テレビは読売テレビに1年遅れ、2004年8月頃から系列各局向けにも字幕放送テロップを表示する様になった。)。2003年12月の地上デジタル放送対応のマスター更新後、提供クレジット表示の書体は日本テレビと同じゴシック体(イワタ新ゴシック)が使われている。マスター送出のテロップ表示は提供スポンサー<ref>一時期、一部番組では「[[CMのCMキャンペーン|CMのCM]]」でおなじみのキャラクター「[[コマーさるくん]]」も一緒に表示していた。</ref>のみカットイン〜カットアウトで、それ以外の表示<ref>字幕放送、二ヶ国語放送など各種多重放送、前述にあったアニメ番組視聴の注意文、『遠くへ行きたい』の次回予告テロップその他各種断りテロップ等。かつては画面右上の「アナログ」(アナログ放送のみ冒頭の数秒間表示)や2008年7月23日までの「HV ハイビジョン番組」のテロップもあった。</ref>はすべてフェードイン〜フェードアウト<ref>他の在阪民放4局はスポンサー表示・多重放送テロップ・断りテロップもすべてフェードイン〜フェードアウトで出しているため、実質的には在阪民放5局全てで「フェードイン〜フェードアウト」での表示となっている。ちなみに民放5系列が揃っている地域で全局フェードイン〜フェードアウトで提供クレジット表示を行っているのは北海道のみである。</ref>となっている(ロールスーパーで流す場合もある)。<br />
* 二ヶ国語放送のテロップは長らく「[二]BILINGUAL/二ヶ国語」というテロップだったが、2010年7月よりウキキが「二ヶ国語<改行>BILINGUAL」と書かれたボードを持ったデザインに変更された。<br />
* ローカルで深夜に放送する定時番組枠において放送枠に名称を表記して放送する傾向にある。これらは新聞の番組表や[[電子番組ガイド|EPG]](アナログ放送時代は[[Gコード]]も)でも枠名でまとめてもしくは枠名のみ掲載され、枠内で放送する番組の開始時刻も表記されない<ref>[[MBSテレビ|毎日放送]]でも深夜番組に枠名を付けて放送する場合があるが、こちらでは'''新聞の番組表やEPG等では独立した番組として扱われる事が多い。'''</ref>為、一つの番組(特に枠後半の番組)だけ視聴もしくは録画予約したい場合の障害となっている。<br />
* 関西圏の広域局で自社系のCS放送局を持っていない<ref>自社製作番組のうち、ニュース番組は[[日テレNEWS24]]。プロ野球中継の阪神・巨人戦は[[日テレG+]]。その他の一般番組(過去に放送されたものを含む)は[[日テレプラス]]など複数の放送事業者に配給されている。</ref> (他、大阪府域局の[[テレビ大阪]]も同様。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]もかつては持っていたが撤退)。<br />
* 社屋10階に社員食堂としてカフェテリアコーナーがあり、東側が食堂[[生駒山|生駒]]、西側が喫茶コーナー[[六甲山|六甲]]である。<br />
* 在阪民放で唯一大株主に[[鉄道会社]]が入らないが、鉄道会社での番組宣伝は積極的に行われており、特に[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では大阪駅に専用ボードがあるなど改編期を中心に番組の中吊り広告を展開している。また、[[大阪環状線]]で1編成貸し切りのジャック広告を行う事もある。毎年夏から秋頃にJR西日本管内の特定地域(例外で四国・九州を舞台にした実績あり)を舞台とした『名探偵コナンミステリーツアー』(但し1990年代は『[[金田一少年の事件簿]]』や『[[探偵学園Q]]』が扱われたことがある。)が行われている。なお、読売テレビ本社の最寄駅である[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]は、JR西日本と[[京阪電気鉄道]]の沿線に当たる。<br />
* [[2011年]]12月より、「ytv」という右上にある[[ウォーターマーク]]の位置が前回よりも右上にロゴが上がった。<br />
トキヲウバウネの話題日本テレビで取り上げなかったが、みやねでやった。ワンピースのヨーコもやった。<br />
<br />
=== 日本テレビとの関係 ===<br />
在阪局は在京キー局と対立しがちであるが、読売テレビは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の意向を受けて設立された放送局という経緯もあり、両者の関係は非常に良好である。<br />
<br />
かつては『[[お昼のワイドショー]]』(初期)、また『[[11PM]]』の火・木曜放送分を放送開始から終了まで制作を担当し(後継番組の『[[EXテレビ]]』でも)、2000年代においても『[[ズームイン!!SUPER]]』に当時同局解説委員の[[辛坊治郎]]がレギュラー出演したり、2009年4月 - 2010年3月まで放送された『[[SUPER SURPRISE]]』(開始当初のタイトルは『サプライズ』)においても、前述の『11PM』『EXテレビ』と同様、水曜放送分の制作を担当した。また2007年9月まで放送されていた『[[ザ・ワイド]]』では同局との共同制作を行い、前期は本局発の情報コーナーを設けたり、積極的に関西からリポーターの中継を入れたり、後期には同局解説委員の[[岩田公雄]]がレギュラー出演していた。<br />
<br />
本局制作の全国ネット番組(『[[どっちの料理ショー]]』など)に日本テレビのアナウンサーが出演したり、同じく本局制作の全国ネット番組の『[[ウェークアップ!ぷらす]]』や『[[情報ライブ ミヤネ屋|ミヤネ屋]]』には日本テレビも協力し、同局の記者や解説委員も多く出演している。『ウェークアップ!ぷらす』においては、東京で出演するゲストを東京・[[汐留]]の日本テレビスタジオに招いてネットを繋いだり、インタビュー映像に出演する識者のコメントを同局で収録する等、積極的な交流がなされている(党首討論や立候補予定者の討論など企画によって汐留のスタジオから全編生放送することもある)。<br />
<br />
改編期に放送されている『[[世界一受けたい授業]]』の番組対抗スペシャルに読売テレビから『ミヤネ屋』や『[[秘密のケンミンSHOW]]』チームがゲスト出演している。深夜番組は日本テレビと共に同日ネットを行う番組が他局と比べて多い。また『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』に関しては劇場版での制作に日本テレビのスタッフが参加したり、汐留社屋内にある日テレショップでのグッズ販売も行っている。2009年3月には日本テレビ55周年・読売テレビ50周年の両局の記念番組として、『[[ルパン三世VS名探偵コナン]]』が放送された。<br />
<br />
なお読売テレビの東京支社は2009年11月24日に東京・汐留の「[[日本テレビタワー]]」(日本テレビ本社ビル)内に移転し、在京キー局の本社内に在阪準キー局の東京支社が入居する形となった<ref>ラジオ局に例えると、[[エフエム大阪|FM大阪]]の東京支社が[[エフエム東京|TOKYO FM]]の本社が入居するJFNセンタービル(東京都千代田区麹町)の例があるが、TOKYO FMやFM大阪が加盟する[[全国FM放送協議会|JFN]]の放送局の東京支社は全社FMセンタービルに入居している。</ref><ref>同様の例として、[[毎日放送]]東京支社が[[東京放送ホールディングス|TBS]]本社敷地内[[赤坂サカス]]に2008年より入居している。</ref>。<br />
<br />
系列会社と日本テレビとの関係も良好であり、[[小西美穂]]の様に報道などで評価、本局から日本テレビに移籍する社員もいる。自社制作の深夜番組の多くは日本テレビにもネットされ、中京広域圏の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]とも番組制作など(『[[特報!EXPOプレス]]』や『[[愛の修羅バラ!]]』等)で積極的に協力がなされているなど、NNN系列の[[準キー局]]として非常に良好な関係を築いている。<br />
<br />
一方で、他の在阪局同様に日本テレビとは一線を画す番組編成を取る時間帯も少なくなく<ref>過去には『[[朝の連続ドラマ]]』放送の為に『[[ルックルックこんにちは]]』を時差放送した例がある(これに関しては中国四国九州地方各局も同様の編成をしていた。最末期のではあるが[[山口朝日放送]]開局以降の[[山口放送]]や一時期の[[広島テレビ放送|広島テレビ]]や非マストバイ局を除く)。また先述の様に読売グループの放送局でありながら『[[週刊トラトラタイガース]]』や『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』(共に放送終了)を関西ローカルで制作・放送している。また、ズームイン!シリーズも例外なくタイトルの差し替えのない時間帯であっても、第2部(6:30以降)の内容の差し替えは他地域の局に比べ多い。</ref>、中には先述の『たかじんのそこまで言って委員会』等の様に出演者の猛反対を受けた等の理由で日本テレビにはネットされない場合もある。<br />
<br />
同時ネット番組であっても、『[[笑点]]』の様に関西圏で比較的視聴率が低い全国ネット番組も少なくない(他系列でも『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』等多く存在する)。<br />
<br />
== オープニング・クロージング ==<br />
* 開局時頃のオープニングは読売新聞独特の社旗のデザインに「読売テレビ」と書かれた局の社旗をバックに周波数などが表記されたモノクロ映像で、BGMは[[1988年]][[8月]]に、現在の社屋に移転するまで使われた壮大な[[オーケストラ]]調の音楽。その後[[1988年]][[8月]]の社屋移転までのオープニングは、このBGMをバックに日の出を撮影した映像。クロージングは[[1981年]]当時は切り絵(影絵)風のもの(この当時は末尾に主要中継局のチャンネル表示もあった)だったが、その後[[ヨット]]や[[コアラ]]などの映像と[[西部劇]]風な曲に変更され、中継局の紹介字幕も割愛された。<br />
* 1988年8月の移転後はオープニング・クロージング共通で讀賣テレビ局舎をベースにクレイアニメーションを取り入れて大阪の四季をイメージしたものや、[[1997年]]〜[[1998年]]頃になってからは絵画作品をストーリー風にアレンジしたものが放送された(音楽を手掛けていたのは[[西司]])。<br />
** 放送終了と放送開始との時間が短い場合は終了時にID(静止画)を5秒間表示していた。<br />
* 1998年に深夜の休止時間帯の[[フィラー]](1日の基点は当初5時00分だったが、2009年現在は平日5時20分・土曜4時45分、日曜4時35分)としてNNN24(現・[[日テレNEWS24]])が放送を開始すると放送時間を大幅に縮小して(10秒程度)当時のペットキャラクターである『アイニー君』(当時はI Need 10=アイ・ニー・ジューというスローガンがあった)をモチーフにしたアニメ映像が採用された。これによって周波数のコメント表示が省略された。<br />
* しかし、[[2000年]]にペットキャラクターが『[[テレビヤン]]』(テレビのブラウン管をモチーフにしたキャラクター。後に少しデザインのマイナーチェンジがなされた)が採用されるとかつて使用した絵画作品のダイジェスト版が放送された。<br />
* [[2005年]][[4月1日]]から[[2007年]][[3月31日]]までは、[[絵本]]作家・[[永田萌]]のイラストを使用したオープニングとエンディングの映像が放送されていた。また、2005年[[7月29日]] - [[8月7日]]の「[[天保山10デイズわくわく宝島]]」の開催期間限定でエンディングは振付師・[[真島茂樹]]がこのイベントのために新たにレコーディングしたイメージテーマソング「宝島伝説〜ワクワク愛の伝道師〜」の一部を抜粋したものが放送された。<br />
* 2007年[[4月1日]]から2008年12月までは「ytvウキウキたいそう」が放送された(オープニング・エンディング共通、15秒スポットIDと同じ)。<br />
* 2008年は以下のような形でクロージング、オープニングを放送した。<br /><br />
最終番組→[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM15秒→[[フィラー]](日テレNEWS24または放送休止)→[[ズームイン!!SUPER]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組<br />
* 2009年1月からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM30秒→読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM15秒→フィラー→平日:読売テレビの番組CM30秒/土曜・日曜:読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組となり、またこれよりオープニング・クロージングは流れなくなった。<br />
* 2009年11月16日からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM15秒→読売テレビの番組CM45秒→フィラー→地上デジタル放送宣伝CM60秒(2011年1月24日以降は地デジテスト60秒)→最初の番組もしくはCMとなっている。<br />
* 地上アナログ放送終了告知画面は日テレNEWS24フィラー前の30秒間放送している(音楽付き)。なおデジタルはフィラーへ直行している。放送休止の場合は、放送再開(カラーバー終了)の際に30秒間放送している。<br />
* 以前はオープニングには今日の日付(○月○日○曜日)を、クロージングには「おやすみなさい」という文字を、またフィラー前には「この後はNEWS24」というテロップを表示していたが、2007年4月1日より表示されなくなった。<br />
* 2007年3月31日までフィラー時間中にサイマル放送される日テレNEWS24がスタートする場合は'''「この後はNEWS24」'''(当初は「本日の番組を終了します。この後はNNN24」)のIDタイトルを被せていた。放送休止を行う場合は'''「本日の放送を終了します。おやすみなさい」'''となっていた。また毎月1回行われる[[緊急警報放送]]試験が実施される場合、'''「EWSテスト終了次第NEWS24をお送りします」'''というクレジットを出していた(2007年3月31日まで)。<br />
* 2013年2月から2014年3月までは、開局55周年バージョンとしてオープニングが復活。開局当時の大阪市北区岩井町の旧社屋の映像とともに、開局55周年キャンペーン隊長を務めた中谷しのぶが55周年のロゴマークの説明を行い、最後は「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている(ナレーション担当は三浦隆志)。<br />
* 2014年4月からのオープニングは「パンダのたぷたぷ」の映像の後、「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている。<br />
<br />
=== アナログ放送終了特別バージョン ===<br />
[[2011年]][[7月24日]]正午に地上アナログ放送が終了。その後は[[ブルーバック]]によるお知らせ画面に切り替わり、23時59分ごろ、アナログ放送終了を告知するための特別クロージングが流された。<br />
<br />
ナレーションは[[萩原章嘉]]アナウンサーが担当。映像は開局当時の東天満社屋の空撮→読売テレビ開局パレード→1980年代の東天満社屋→生駒山の鉄塔→2011年現在のOBP現社屋の空撮と続いて、最後に、ホワイトバックに「{{Color|#FFD800|ytv <sup>・</sup><sub>JOIX-TV</sub>}} <span style="background:#FFD800; color:white;"> '''よみうりテレビ'''</span>」のロゴが表記された。ナレーションについては、下記の通りである。<br />
<br />
「'''1958年8月にスタートしたよみうりテレビは、52年と11ヶ月間、アナログ放送をお届けしてきました。2003年からは、地上デジタル放送が登場。本日、長らくお世話になりましたアナログ放送が終了します。明日よりは、デジタル放送が独り立ちしますが、読売テレビは、これからも皆様と共に歩んでまいります。JOIX-TV、よみうりテレビ。'''」<br />
<br />
=== フィラー放送 ===<br />
* 定時番組終了後(一部の日曜深夜 - 月曜未明を除く)は、日テレNEWS24(平日は基本的に[[Oha!4 NEWS LIVE]]部分のみ)がフィラーで放送されている。<br />
* 日テレNEWS24の放送は定時放送終了後からとなる為、番組の途中から放送される。<br />
* 日曜深夜 - 月曜未明とメンテナンス日(平日に不定期)は原則として休止となっている為、新聞発表がないものの放送開始(基点)時間の5時20分直前の数十分間(場合によっては1時間以上放送される場合も有り)程度日テレNEWS24が放送される。なお、[[データ放送]]の[[電子番組ガイド|EPG]]及び読売テレビの公式サイトでは放送開始時間の記載がされている。<br />
* CMについても日テレNEWS24と同じものを放送している。<br />
* 先述した緊急警報放送試験(基本的に毎月1日)を実施する場合、NEWS24の前に約15分間放送休止の時間を設けて、[[カラーバー]]と[[緊急警報放送]]試験を実施する(デジタル放送もアナログ放送と時間をずらしてデジタル専用の緊急警報放送試験を実施)。<br />
* 日テレNEWS24が休止の場合や24時間テレビ放送終了日の深夜等、日テレNEWS24の放送が無い場合に自社制作のフィラー番組 (フィラーというタイトルで番組表に記載、[[ハイビジョン]]制作)を実施する。<br />
内容は以下の通り。<br />
* パターン1 - 春の桜の映像を中心とした近畿地方の四季映像とBGMを放送。<br />
* パターン2 - 近畿地方と全国の詳細な天気予報とBGMを放送([[ABCテレビ|ABC]]のフィラーと同様)。データは1時間毎に更新。<br />
* パターン3 - 本社お天気カメラの映像を無音で放送。緊急警報放送試験の日に、日テレNEWS24の放送が無い場合等に実施。<br />
* なおフィラー放送はクロージング(局名告知)後すぐには放送せず、1分間程黒画面(2008年以前は灰色画面)とカラーバーを挟む。<br />
* 全曜日のフィラー終了時には、「'''番組の途中ですが、ご覧のチャンネルでの『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます'''」とテロップで表示される。2009年5月までの平日([[Oha!4 NEWS LIVE]]エンディング時)には、「'''『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます。この後、詳しいニュースは『[[ズームイン!!SUPER]]』をご覧下さい。'''」と表示されていた<ref>2009年6月から11月まではOha!4 NEWS LIVEエンディングでは表示されなかった。同年12月よりOha!4 NEWS LIVEは途中で飛び降りとなる。</ref>。<br />
* 1998年にNNN24(現・日テレNEWS24)が開始される前は放送休止時にはカラーバーやお天気カメラの他、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックPV]]やゲームのデモ画面を流していた事もあった(この時はクロージング後すぐに放送していた。またミュージックPVやゲーム画面を流している時は、およそ1分おきに画面右下に当時のキャラクターであるアイニー君のアニメーションを表示していた)。<br />
<br />
== 時刻出し ==<br />
* アナログは「クロスカット」、デジタルは16:9表示で「横回転」となる。<br />
* フィラー中は『[[日テレNEWS24]]』の映像をそのまま使用している。一時期、月 - 木曜深夜=火 - 金曜未明( - 4:30 祝日の深夜は除く)については天気情報とニュースをテロップなどで表記するカスタムバージョンとなっていた時代がある。<br />
; 平日<br />
* フィラー開始 - 10:25(途中5:19.00秒から30秒は消去)<br />
* 16:48-16:48.30(『かんさい情報ネットten!』の第1部 冒頭の約30秒間)<br />
* 17:53 - 18:15(CM中消去 『[[news every.]]』のNNN全国ニュースパート)<br />
:*『ZIP!』の時間帯はカスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
:*[[2013年]][[7月29日]]から、「[[スッキリ!!]]」の時間帯でも標準フォントと併用で天気テロップを挿入<br />
:*[[2006年]][[10月2日]]から『[[NNN Newsリアルタイム]]』『[[ニューススクランブル]]』の時間帯でも表示開始。但し、『Newsリアルタイム』の16:53 - 17:50までは時刻出しを行っていなかった。現在の「-Ten!」になってからは「-リアルタイム」→「-every.」の本編の時間帯のみに縮小される。<br />
<br />
; 土曜<br />
* フイラー開始 - 9:25(途中4:29.15秒から30秒は消去)<br />
:* 『[[ズームイン!!サタデー]]』カスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
<br />
; 日曜<br />
* フィラー開始 - 9:55(途中4:34.15秒-30秒と『[[それいけ!アンパンマン]]』の次回予告では消去(「アンパンマン」は番組内のテロップの関係))<br />
:* 2013年7月28日から「[[シューイチ]]」の時間帯で標準フォントのままで天気テロップを挿入<br />
<br />
; 天気テロップ<br />
* 『[[ZIP!]]』『[[ズームイン!!サタデー]]』『[[シューイチ]]』(2013・7・28-)『[[スッキリ!!]]』(2013・7・29-)の時間帯(CM中を除く 時報字幕は前者2番組はカスタム<CM中は標準フォント>、後者3番組はCMを含め全編標準フォントを併用)に近畿2府4県(大阪府、兵庫県南部・北部、京都府南部・北部、滋賀県南部・北部、奈良県南部・北部、和歌山県南部・北部 <ref>兵庫県南部は「兵庫南」、兵庫県北部は「兵庫北」、京都府南部は「京都南」、京都府北部は「京都北」、滋賀県南部は「滋賀南」、滋賀県北部は「滋賀北」、奈良県南部は「奈良南」、奈良県北部は「奈良北」、和歌山県南部は「和歌山南」、和歌山県北部は「和歌山北」と省略して表示。</ref>)と札幌、東京、名古屋、福岡を表示している。[[警報]]発令時は福岡と大阪の間にすべり込ませて表示。カスタム開始当初は天気表示は平日のみだったが、現在は土曜も表示している。<br />
*: 近畿のみならず基幹都市の天気を表示するのは、その地域への出張や旅行に出かける視聴者に配慮するためで、[[ABCテレビ]]、[[関西テレビ放送]]<ref>2011年元日より</ref>でも同様にこの表示をしている。<br />
<br />
== 新聞などのテレビ欄 ==<br />
* [[新聞]]の[[番組表|テレビ欄]]は、株主である[[読売新聞]]とその系列の[[スポーツ報知]]は'''『よみうりテレビ』'''と表記しているが、その他の新聞や[[テレビ情報誌]]は'''『読売テレビ』'''(又は単に『読売』)と表記している(新聞に限らずテレビカメラなど一部の放送機材や一部の送信所にも旧ロゴで'''『読売テレビ』'''と表記しているものがある)。これは略称が'''「ytv」'''或いは'''「読売テレビ」'''に変更された現在でも続いており、まだ「ytv」の愛称が定着しているとは言い難い。<br />
* スポーツ報知(大阪本社版)のテレビ欄には、本局の番組欄の左端に長年に渡って縦長サイズ(テレビ番組表のサイズ)で'''「今夜の見もの」'''として連日一つの番組を紹介する広告を掲載している。また2007年[[4月]]から[[産経新聞]]の[[夕刊]](大阪本社版)のテレビ欄に'''「読売テレビの今夜の見もの」'''という広告を連日掲載していたが、2008年4月からは明朝の『[[ズームイン!!SUPER]]』の番組内容紹介(ytvローカルパート)に変わった。現在はライバル局である[[ABCテレビ]]の広告に変更されている。<br />
<br />
== 社旗 ==<br />
当社の社旗は、[[読売新聞社]]のものと同じデザインである。ただし、文字の部分に関しては黒字で「讀賣(改行)テレビ」と表記される(読売新聞社は、赤字で「讀賣」と表記)。また色合いも読売新聞社の社旗は朱色に近い赤色だが、読売テレビの社旗はワイン色に近い赤色になっている。<br />
<br />
== 読売テレビ番組の分野別一覧 ==<br />
''詳細は[[読売テレビ番組の分野別一覧]]を参照。''<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|ニュース・情報]]'''…[[情報ライブ ミヤネ屋]]、[[かんさい情報ネットten!]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]などを'''報道局'''が制作。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#スポーツ|スポーツ番組]]'''…[[プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]や[[全英への道 ミズノオープン|ミズノ男子オープン読売クラシック]]など中継番組全般を'''制作スポーツ局・スポーツ制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#バラエティー|バラエティ番組(全国ネット版)]]'''…[[鳥人間コンテスト選手権大会]]や[[ベストヒット歌謡祭]]などは'''制作スポーツ局・制作部'''が制作。[[ダウンタウンDX]]や[[秘密のケンミンSHOW]]などは'''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|バラエティ番組(ローカル版)]]'''…'''制作スポーツ局・制作部'''が制作している。主に[[大阪ほんわかテレビ]]や[[たかじんのそこまで言って委員会]]など。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ドラマ|ドラマ]]''' … '''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#アニメ|アニメ]]''' … '''編成局・アニメ事業部'''が制作している。(2009年7月1日に新設。従来は制作スポーツ局・東京制作部が制作<!---2009年7/2 “スワッチのアニメ日記”「アニメ事業部始動!」より-->)主に[[宇宙兄弟#テレビアニメ|宇宙兄弟]]や[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]など。<br />
<br />
== スタジオ ==<br />
現社屋は、本局の開局30周年記念事業の一つとして[[1988年]][[4月]]に完成した。その後段階的に社内の引っ越しやスタジオ稼動を行い同年[[8月1日]]に主調整室(マスター)も移転して、完全に現社屋での放送となった。<br />
=== 大阪本社 ===<br />
* '''第1スタジオ'''(HD/SD、180坪)…[[大阪ほんわかテレビ]]、[[たかじんのそこまで言って委員会]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]<br />
* '''第2スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[朝生ワイド す・またん!]]、[[あさパラ!]]<br />
* '''第3スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[情報ライブ ミヤネ屋]]<br />
* '''ニューススタジオ'''(HD対応、75坪)…[[かんさい情報ネットten!]]<br />
: 旧本社は汎用スタジオが2つ(報道用を含めると3つ)だった事から、現本社移転に際してはスタジオを新たに1つ増設すると共に全体のスタジオ面積を拡大し大型化させた。なお、現本社移転時には1スタは旧本社1スタ、2スタは旧本社2スタからそれぞれ機材を移設して対応した。<br />
<!---「ミヤネ屋」と「なるトモ!」のスタジオは、9月29日からチェンジしたそうです。(森若アナのブログで確認)---><br />
<br />
=== 東京都内 ===<br />
* '''多摩スタジオ'''(東京都[[八王子市]]、閉鎖)<br />
: [[1993年]]、本局における「東京での番組制作の拠点」を目指し、[[東京都]][[八王子市]]の[[京王相模原線]][[京王堀之内駅]]前に建設されたスタジオである。在阪局では[[関西テレビ放送|関西テレビ]]が[[東京メディアシティ]]内に設置した[[レモンスタジオ]]に続いて2番目に開設した東京のテレビスタジオだった。<br />
: スタジオは2つあり、オープン時は第1スタジオ及び第1副調整室(サブ)のみに機材を整備し、この機材を第2スタジオと分けて運用されていた。この他にVTR編集室やMA室なども整備され、本局だけではなく東京地区での他局の番組収録にも使ってもらえる様な設備を目指していた事もある。当時は自社制作番組「[[即席!明るい改造計画]]」などの番組収録に使用されていた。[[失楽園 (渡辺淳一)#テレビドラマ|失楽園(ドラマ編)]]も同スタジオで一部収録された。<br />
: しかし、都心部から距離が離れていた事や、タレントやスタッフの移動に時間的制約が掛かる事が一番のネックとなり、それによる稼働率の低さからスタジオ運営の採算が取れず、やむを得ず同所の売却を検討したが買い手がつかなかった。このため、[[2003年]]に建物を解体し更地状態にした上で売却した。現在は同所跡地に[[マンション]]が建設されている。<br />
: このスタジオで制作されていた番組については都内の貸しスタジオに分散され、閉鎖当時にこのスタジオで収録されていた番組は[[渋谷ビデオスタジオ]](2007年9月閉鎖)や[[東京タワースタジオ]](旧・東京タワー芝公園スタジオ、2012年9月閉鎖)、[[東京メディアシティ]]などでの収録に切り替えられた。<br />
: なお、現在の東京での収録番組については下記の様になっている。<br />
* [[秘密のケンミンSHOW]]…東京メディアシティ内のTMC-A1スタジオ([[テクノマックス]]が運営。スタジオ管理は開設時の運営元である[[国際放映]]が担当)<br />
* [[ダウンタウンDX]]…東京メディアシティ内の[[TBSテレビ|TBS]]砧スタジオ([[緑山スタジオ・シティ]]が運営)。<br />
: また、一部番組は日本テレビが運営する[[生田スタジオ]](神奈川県川崎市多摩区)で収録されるケースもある。<br />
* '''読売テレビ東京支社'''(東京都[[港区 (東京都)|港区]])<br />
: 読売テレビ本社 - 東京支社間には常時使用可能な専用中継回線が引いてあり、[[情報ライブ ミヤネ屋]]などで使用されている。<br />
<br />
== 情報カメラ設置ポイント ==<br />
* [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見([[TWIN21|ツイン21]])※HD<br />
* [[新大阪駅]]<br />
* [[関西国際空港]]※HD<br />
* [[兵庫県]][[神戸市]](ポートピアホテル)※HD<br />
* [[明石海峡大橋]](淡路島・淡路サービスエリア)<br />
* [[京都市]][[中京区]]川端四条(カモガワビル)※HD<br />
* [[京都府]][[大山崎町]]([[名神高速道路]]・[[大山崎ジャンクション|大山崎JCT]]付近)<br />
* [[滋賀県]][[大津市]]([[NHK大津放送局]]、[[大津プリンスホテル]])<br />
* [[滋賀県]][[彦根市]]([[名神高速道路]]・[[彦根インターチェンジ|彦根IC]]、彦根トンネル付近)<br />
* [[奈良県]][[奈良市]]<br />
* [[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]<br />
<br />
== アナウンサー ==<br />
※はアナウンス部長経験者。<br />
=== 現在 ===<br />
入社順。<br />
* 1984年 [[道浦俊彦]]<br />
* 1985年 [[萩原章嘉]]<br />
* 1989年 [[植村なおみ]](東京支社製作センター宣伝部副部長兼務)<br />
* 1990年 [[脇浜紀子]]<br />
* 1991年 [[小澤昭博]]、[[三浦隆志]]<br />
* 1993年 [[尾山憲一]]<br />
* 1999年 [[横須賀ゆきの]](報道局神戸支局兼務)<br />
* 2000年 [[森若佐紀子]]<br />
* 2001年 [[清水健 (アナウンサー)|清水健]]2015年は夕方の番組を母親介護の為休んでいた。2月12日のYahoo!で明らかなった<br />
* 2003年 [[小林杏奈]]<br />
* 2005年 [[五十嵐竜馬]]、[[本野大輔]]<br />
* 2006年 [[川田裕美]]、2015年2月までみやねに出演。[[虎谷温子]]<br />
* 2007年 [[吉田奈央 (読売テレビアナウンサー)|吉田奈央]]<br />
* 2008年 [[林マオ]]2015年3月からみやねに出演、[[山本隆弥]]<br />
* 2009年 [[立田恭三]]<br />
* 2011年 [[中谷しのぶ]]<br />
* 2014年 [[増井渚]]<br />
<br />
=== 元・アナウンサー ===<br />
◎:2013年12月の時点で、「アナウンサー」「キャスター」として読売テレビ制作の番組に出演。<br><br />
* [[生田博巳]](読売テレビ開局時に[[日本放送協会|NHK]]から移籍)<br />
* [[寄藤隆也]](読売テレビ開局の第一声を行った)<br />
* [[羽川英樹]]<br />
* [[鎌田龍児]]<br />
* [[竹山祐一]]<br />
* [[小城敏]]<br />
* [[一丁田修一]]<br />
* [[佐藤忠功]]<br />
* [[岩田公雄]](報道局特別解説委員)<br />
* [[山本純也]](営業局)<br />
* [[結城豊弘]](編成局情報番組センター統括プロデューサー)<br />
* [[坂泰知]](報道局チーフプロデューサー)<br />
* [[牧野誠三]]◎(編成局アナウンス部)<br />
* [[村上順子]]<br />
* [[中元綾子]]<br />
* [[山田孝子]]<br />
* [[下山英三]]※<br />
* [[石黒新]]※<br />
* [[辛坊治郎]]◎([[大阪綜合研究所]]代表)<br />
* 村田真哉(編成局宣伝部長)<br />
* 斎藤敬(取締役報道局長兼解説委員長)<br />
* [[森武史]]※◎(情報スポーツ局情報番組センター次長)<br />
* [[大田良平]](報道記者)<br />
* [[野村明大]]◎(報道局プロデューサー)<br />
<br />
== 記者 ==<br />
* 河中可志子<br />
* 嶋田麻里<br />
* 田中麻美<br />
* 波止荘子<br />
<br />
== 解説委員 ==<br />
※現在、本局は在阪局で唯一解説委員を置いている。2人とも本局制作のローカル・全国ネット問わず報道・情報番組に出演・解説している。岩田は日本テレビ制作の報道・情報番組に出演することもある。<br />
* 岩田公雄(元アナウンサー・元報道記者・元解説委員長。特別解説委員)<br />
* [[春川正明]](元報道記者。解説副委員長)<br />
<br />
<br />
<br />
==画家==<br />
*[[中野一水]] - 藤島武二門下の抽象画家<br />
<br />
== 放送技術概要、送信所・中継局等一覧 ==<br />
=== リモコンキーID ===<br />
* [[リモコンキーID]]はアナログ親局のチャンネル番号を引き継ぎ10である。<br />
** アナログ親局が10chであった民放7局の中で唯一[[地上波デジタル放送]]でも「'''10'''」を採用した放送局である<ref><br />
* リモコンキーID「'''3'''」:[[琉球放送]]([[TBSテレビ|TBS]]系列)<br />
* リモコンキーID「'''4'''」:[[山形放送]]・[[南海放送]](共に日本テレビ系列)<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[テレビ朝日]](テレビ朝日系列)<br />
* リモコンキーID「'''6'''」:[[山陰放送]]・[[宮崎放送]](共にTBS系列)<br />
</ref>。<br />
** 区域外([[三重県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[福井県]]嶺南地方など)で、直接受信やCATVを通じて視聴する場合のチャンネル番号は、区域内と同じ「'''10'''」にセットされる事が大半である。<br />
* キー局の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のリモコンキーIDは日本テレビのアナログ親局と同じ「'''4'''」で、[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列全29局中21局で使われる。「4」を使わないのは本局以外に8局存在する。<ref><br />
* リモコンキーID「'''1'''」:[[青森放送]]・[[北日本放送]]・[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]・[[四国放送]]<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[札幌テレビ放送|STV札幌テレビ]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]<br />
* リモコンキーID「'''7'''」:[[福井放送]](日本テレビ系列主体・準テレビ朝日系列クロスネット局)<br />
</ref><br />
<br />
=== 送信所 ===<br />
* JOIX-DTV<br />
* 物理14ch(チャンネル番号101 - 103、 周波数 479.142857MHz)<br />
* [[空中線電力]]3kW・実効輻射電力30kW([[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数 約580万世帯)<br />
* 地上デジタル放送の物理チャンネル14chはかつて[[NHK UHFテレビ実験局]](大阪)が使用していた。<br />
* 送信所施設は[[MBSテレビ|毎日放送]](デジタルテレビ)と共同使用(デジタル放送開始以前は局単独の施設だった)。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* 滋賀県<br />
** 大津 14ch<br />
** 彦根 14ch<br />
** 甲賀 14ch<br />
** 大津石山 19ch<br />
** 甲賀大原 32ch<br />
** 信楽 32ch<br />
* 京都府<br />
** 京都(比叡山) 35ch<br />
** 福知山 14ch<br />
** 舞鶴 14ch<br />
** 宮津 14ch<br />
** 峰山 14ch<br />
** 亀岡 14ch<br />
** 中舞鶴 30ch<br />
** 野田川 30ch<br />
** 山科 22ch<br />
* 大阪府<br />
** 柏原 14ch<br />
** 岬深日 14ch<br />
** 中能勢 14ch<br />
** 西能勢 14ch<br />
* 兵庫県<br />
** 神戸 14ch<br />
** 姫路 14ch<br />
** 北淡垂水 14ch<br />
** 三木 14ch<br />
** 神戸兵庫 14ch<br />
** 西宮山口 14ch<br />
** 香住 14ch<br />
** 城崎 14ch<br />
** 龍野 14ch<br />
** 福崎 14ch<br />
** 西脇 14ch<br />
** 猪名川 30ch<br />
** 市島 20ch<br />
** 姫路西 14ch<br />
** 篠山 14ch<br />
** 氷上 14ch<br />
** 和田山 14ch<br />
** 八鹿 20ch<br />
** 日高 20ch<br />
** 山崎 32ch<br />
** 一宮安積 38ch<br />
** 神戸妙法寺 33ch<br />
** 赤穂 14ch<br />
** 相生 14ch<br />
** 川西けやき坂 14ch<br />
** 中町 23ch<br />
** 浜坂 36ch<br />
** 長田 33ch<br />
** 神崎 38ch<br />
** 相生若狭野 14ch<br />
** 佐用 38ch<br />
** 青垣 20ch<br />
** 南淡 14ch<br />
* 奈良県<br />
** 栃原 14ch<br />
** 三郷立野 40ch<br />
* 和歌山県<br />
** 和歌山 14ch<br />
** 紀ノ川 14ch<br />
** 海南 14ch<br />
** 御坊 14ch<br />
** 吉備 14ch<br />
** 有田 14ch<br />
** 橋本 34ch<br />
** 田辺北 14ch<br />
** 田辺 14ch<br />
** 南部川 34ch<br />
** 下津 14ch<br />
** 新宮 14ch<br />
** 串本 14ch<br />
** 由良 35ch<br />
** 印南切目 35ch<br />
<br />
==== データ放送について ====<br />
* 読売テレビの[[データ放送]]は同一地域他局や他の系列局とは違い番組連動データ放送は若干不便である。<br />
** 2011年11月までは、日本テレビを含めた他社制作番組の連動データ放送を利用する場合dボタンを押すだけでは通常のトップ画面となり、その画面から黄ボタンを押すかクリックしないことには連動データ放送にはたどり着けなかった。読売テレビ制作の番組を他の系列局等で放送する場合も同じであった。しかし現在では、dボタンを押すだけで連動データ放送にたどり着けるようになっている。<br />
<br />
=== アナログ放送の概要 ===<br />
2011年7月24日停波時点<br />
* JOIX-TV<br />
* 映像10kW、音声2.5kW<br />
* 生駒山送信所 '''10ch'''<br />
** [[滋賀県|滋賀]]・[[両丹|京都北部]]・[[但馬国|兵庫北部]]・[[播磨国|兵庫西部]]・[[和歌山県|和歌山]]、山間部などを除き多くがこのチャンネルで受信。UHF中継局で受信される場合もチャンネルポジションを「10」に設定されることが多かった。)<br />
** アナログ親局10chを使う局は、日本テレビ系列としは[[山形放送]]、本局、[[南海放送]]の3局であった。<br />
*[[四国|四国地方]]の[[徳島県]]にも届いており、同県内でも[[視聴者]]は多かった。ちなみに同県には同じ日本テレビ系列の[[四国放送]]があるため、同系列のテレビが2局視聴できる(ただし、非マストバイ局である四国放送では放送されない日本テレビ系列全国ネット番組も少なくないが平成初期(1990年代)に比べれば改善された)。また、[[福井県]]([[福井放送]]エリア)の若狭地方、[[三重県]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]エリア)の伊賀地方、[[香川県]]([[西日本放送テレビ|西日本放送]]エリア)の[[香川県]][[東かがわ市]]・[[小豆島町]]、[[高知県]]([[高知放送]]エリア)の[[室戸市]]東部・[[東洋町]]などでも電波が届き、視聴されている(ごく一部[[愛知県]]西部、[[岐阜県]]南部(ともに中京テレビエリア)、[[岡山県]]東部(西日本放送エリア)、[[鳥取県]]沿岸部([[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]エリア)でも受信可能であった)。<br />
*コールサイン「JOIX」は、本局が開局した1958年8月28日から[[1967年]][[10月31日]]まで、[[NHK旭川放送局]][[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]][[留萌ラジオ中継局#中継局概要|留萌中継局]]と重複割り当ての状態だった。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* [[大阪府]]<br />
** [[柏原市|柏原]] 60ch<br />
** [[河内長野市|河内長野寺元]] 58ch<br />
** 河内長野天見 60ch<br />
** [[泉南市|泉南金熊寺]] 60ch<br />
** [[岬町 (大阪府)|岬深日]] 60ch<br />
* [[滋賀県]]<br />
** [[大津市|大津]] 42ch<br />
** [[彦根市|彦根]] 62ch<br />
* [[京都府]]<br />
** [[京都市|京都]][[山科区|山科]] 60ch<br />
** [[福知山市|福知山]] 62ch<br />
** [[舞鶴市|舞鶴]] 61ch<br />
** 中舞鶴 41ch <br />
** [[亀岡市|亀岡]] 39ch <br />
** [[宮津市|宮津]] 41ch <br />
** [[京丹後市|峰山]] 42ch<br />
* [[兵庫県]]<br />
** [[神戸市|神戸]] 47ch <ref>指向性が西に向いているため、[[大阪湾]]沿岸部での受信が難しく、大阪10chか神戸灘を受信していた。またアナアナ変更以前は24chだった。</ref><br />
** 神戸灘 60ch<ref>灘区の沿岸部では大阪10ch受信している世帯が多いため。受信している世帯は、灘区北部や北区の一部に限られる。</ref><br />
** [[相生市|相生]] 41ch<br />
** [[宍粟市|山崎]] 41ch<br />
** [[丹波市|氷上]] 41ch<br />
** [[香美町|香住]] 41ch<br />
** [[佐用町|佐用]] 41ch<br />
** [[川西市|猪名川]] 41ch<br />
** [[川西市|川西けやき坂]] 61ch<br />
** [[姫路市|姫路]] 62ch<br />
** 姫路西 41ch<br />
** [[赤穂市|赤穂]] 62ch <br />
** [[西脇市|西脇]] 62ch <br />
** [[豊岡市|城崎]] 62ch <br />
** [[朝来市|和田山]] 62ch <br />
** [[淡路市|北淡垂水]] 61ch<br />
** [[三木市|三木]] 42ch<br />
** [[たつの市|龍野]] 42ch<br />
* [[奈良県]]<br />
** [[下市町|栃原]] 39ch<br />
** [[吉野町|吉野]] 40ch<br />
* [[和歌山県]]<br />
** [[和歌山市|和歌山]] 48ch<br />
** [[和歌山市|紀ノ川]] 61ch<br />
** [[橋本市|橋本]] 31ch<ref>同系列の[[静岡第一テレビ]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[海南市|海南]] 62ch<br />
** [[有田市|有田]] 41ch<br />
** [[御坊市|御坊]] 61ch<br />
** [[由良町|由良]] 62ch<br />
** [[白浜町|田辺]] 62ch<br />
** [[田辺市|田辺北]] 29ch<ref>同系列の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[新宮市|新宮]] 42ch<br />
** [[串本町|串本]] 61ch<br />
<br />
=== チャンネル番号について ===<br />
大阪地区のアナログテレビ放送の第10chである。既に開局していた[[大阪テレビ放送]](現・[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]]。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・[[関西テレビ放送]]。8ch(ただし、本局より3ヵ月後に開局))に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、新日本放送(現・[[毎日放送]])、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送との競願になり事態が硬直した際、新大阪テレビ側は[[兵庫県]][[姫路市|姫路]]地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ振り向けることを提案。これが通って、当時第4chで送信されていたNHK大阪放送局は第2chが割り当てられることになり、大阪地区は民放に2波、空いた第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった[[田中角栄]]が毎日放送と新大阪テレビにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、新大阪テレビが断固拒否した。次いで教育2社が合併して毎日放送と新大阪テレビのいずれかと合併することとなり、押し付けあったあげく新大阪テレビはキー局の[[日本テレビ放送網]]([[東京特別区|東京]])と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選び第10chを割り当てられた<ref>これで腸捻転解消まで東京地区と大阪地区では4chと10chで系列ベースで逆転することになった(NET:10-毎日放送:4, 日本テレビ:4-読売テレビ10)。</ref>。毎日放送は若いチャンネルである第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑んだ。<br /><br />
1988年に開局30周年を記念して読売テレビは「10マーク」<ref>ブラウン管のなかに10をデザインしたもの。東京の日本教育テレビ(NETテレビ、現・[[テレビ朝日]])も類似のマークを制定していた。また、</ref>を導入した。<br />
<br />
また、地上デジタル放送におけるリモコンキーIDを在阪他局同様にアナログ放送のチャンネル番号を引き継ぎ10とし、日本テレビ系列のみならず4大系列で唯一2桁の番号を採用した局でもある。<br />
<br />
== ケーブルテレビ再送信局 ==<br />
以下の[[ケーブルテレビ]]では、[[区域外再放送]]が行われている。この内、'''太字'''で表記した局ではデジタル放送の再送信も行われている。<br />
<br />
デジタル放送は近畿2府4県と三重県の3社、徳島県のひのき以外は再送信されていない。[[徳島県]]内では既に、広域民放3局とテレビ大阪などの県域民放は一部のケーブルテレビ局で地上デジタル放送の再送信が行われているものの、本局は唯一の県域局[[四国放送]]が同じ日本テレビ系列に加盟している事に考慮して、デジアナ変換の再送信のみ行われている。香川県と岡山県での再送信は2011年7月24日に終了した。<br />
<br />
徳島県は'''民放テレビが1局しかないため特例地域'''として位置付けられている事と、非マストバイ局の四国放送ではネットされていない日本テレビ系列全国ネット番組が少なくない<ref>しかし、四国放送の2011年春改編では[[おはようとくしま プラス|自社制作]]や[[スーパーモーニング|他系列同時ネット番組]]の打ち切りにより本来の日本テレビとの同時ネットに切り替わる。番組によっては読売テレビでは遅れネットあるいは未放送となる番組も若干含まれる。</ref>。各CATV会社で協議を行ってきたが不調に終わったため、ytvがデジタル再送信の要望を取り下げることを条件にデジアナ変換での再送信を提案したため、2015年3月まで12社で再送信が実施されている<ref>[http://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/07/2011_131052191524.html 徳島新聞Web 2011年7月13日 カウントダウン地デジ化 県内CATV12社、読売テレビ放送]</ref>。[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]は大臣裁定を申請し受理されたため、2011年7月24日正午から少なくとも裁定が行われるまでは再送信されている<ref>[http://www.cue.tv/pdf/press20110711.pdf 讀賣テレビ放送の区域外再放送に関して『大臣裁定』を申請 経過措置としてデジタル再放送を実施見通し]</ref>。ただし、徳島県で読売テレビのデジタル放送を受信するにはケーブルテレビ加入の有無(ひのきを除く)に関係なく、高利得UHFアンテナ(必要に応じてブースターも)による直接受信をする必要がある。<br />
<br />
* [[三重県]]<br />
** '''[[アドバンスコープ]]'''<br />
** '''[[伊賀上野ケーブルテレビ]]''' (ICT)<br />
** '''[[ZTV]]'''(東紀州〈紀南〉地域のみ)<br />
* [[徳島県]]<br />
** [[阿波市ケーブルネットワーク]]<br />
** [[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)<br />
** [[エーアイテレビ]]<br />
** [[上板町有線テレビ]] (KCI)<br />
** [[ケーブルテレビあなん]]<br />
** [[ケーブルネットおえ]]<br />
** [[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)<br />
** [[国府町CATV]] (KBC)<br />
** [[テレビ鳴門]]<br />
** [[徳島県南メディアネットワーク]] (MTC)<br />
** [[徳島中央テレビ]] (JCTV)<br />
** [[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)<br />
** '''[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]''' (CUEtv)<br />
<br />
== 関連会社 ==<br />
* 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />
* 株式会社[[ytv Nextry]]([[2011年]][[2月]]、これまでの株式会社[[映像企画]]、株式会社[[よみうりテレビ映像]]、株式会社[[サウンドエフェクト]]の3社を統合して設立された)<br />
* 株式会社[[よみうりテレビサービス]]<br />
* 株式会社[[ワイズビジョン]]<br />
* 株式会社[[エイデック]]<br />
* 株式会社[[よみうり文化センター]]<br />
* 株式会社[[センテンス]]<br />
* 株式会社放送事業社<br />
<br />
== 事件・事故 ==<br />
=== 不祥事・トラブル ===<br />
1998年。失楽園で任天堂に無許可でマリオランドの地下のテーマパクった。2015年のヒロイン崩御の話題でメイキング放送された<br />
* [[2004年]][[2月13日]] - 映画イベント「[[シネマダイスキ|CINEMA DAISUKI]] 映画祭2003」に応募した当選者の[[メールアドレス]]150人分が流出した。メールアドレスの[[電子メール#CCとBCC|CCとBCC]]を誤って入力した事が原因だった。謝罪し、誤送信したメールを削除するようお願いした。<br />
* [[2005年]][[9月22日]] - [[北海道]][[知床 (世界遺産)|知床]]での番組ロケで騒いでいた読売テレビスタッフとお笑い芸人たちに男性観光客が口頭で注意。しかし、この男性観光客は読売テレビスタッフと[[村上ショージ|参加していたお笑い芸人の一人]]に口汚く反論された上に体を押さえつけられて一時[[監禁]]されたとして警察に通報した。駆けつけた警察署員の前でも読売テレビスタッフらの態度は変わらず、男性観光客は後日読売テレビへ抗議。当初は謝罪の意志を示さなかったが、再度警察に相談したところ、ようやく行き過ぎた言動に対して読売テレビと[[村上ショージ|このお笑い芸人]]が男性に謝罪する事態となった<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_10/g2005101810.html 吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし - 夕刊フジ(2005年10月18日号)]</ref>。<br />
* [[2007年]][[6月17日]] - この年[[4月22日]]に放送された[[ディベート|討論]][[バラエティ番組]]『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』にて、当事者に取材せず、事実の確認をしない内容を放送したとして謝罪した。詳細は[[たかじんのそこまで言って委員会#番組中の公式謝罪]]を参照。<br />
* 2007年[[7月16日]] - この日放送の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]スペシャル』にて[[視聴者]][[クイズ]]を出題したが、[[インターネット]]による応募だった事と放送終了後30分を締め切りに設定したために応募者のアクセスが集中し、長時間に渡り読売テレビの[[サーバ]]自体が落ちるという羽目になった。これにより次週[[7月23日|23日]]のクイズからは企画を「24時間タイムリミットクイズ」と変更し、クイズの締め切りを放送翌日午後8時までとした。<br />
* 2007年[[12月12日]] - [[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]の医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件で、同年[[9月28日]]に[[調書]]の写しから[[京都大学]]医学研究科の教授の指紋が検出されたと報道したのは誤りだったとし、教授に謝罪文を提出した。教授は「大学のプロジェクトや生活に支障が出た」として本局に謝罪を求めていた。本局は、[[12月10日]]付で取締役報道局長や記者ら5人を処分したが、詳細は明らかにできないとしている。<br />
* [[2010年]][[12月]] - 同局の報道番組で、[[あいりん地区]]での[[向精神薬]]の売買などの[[貧困ビジネス]]の実態などを紹介する内容の特集が組まれた際、大阪市在住の男性が、この特集に[[匿名]]で取材協力したが、その直後に[[殺人罪|殺人]][[未遂]]事件に遭った。この男性は、同局が音声加工などで身元を秘匿するなどの処置を十分に行っていなかったためだとして、同日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に[[慰謝料]]などを求める訴えを起こした<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/11/08/20111108dde041040034000c.html 損賠提訴:取材協力で襲撃 被害男性、読売テレビを] 毎日新聞 2011年11月8日</ref>。その後[[2013年]][[6月30日]]付で、同社が男性に慰謝料や解決金など計約6,300万円を支払うことで[[和解]]が成立した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130707k0000m040026000c.html 読売テレビ:匿名の取材協力者と和解 解決金100万円] 毎日新聞 2013年7月7日</ref>。<br />
* 2011年[[7月25日]] - 同局は2007年から、給与を年俸制に変更し、さらに次長職を廃止するという新人事制度に移行した。さらに、次長職にある[[労働組合|組合]]員らに対し、契約に署名するよう執拗に要求し、従わなかった7人を一般職に降格した。[[都道府県労働委員会|大阪府労働委員会]]は、この行為が[[不当労働行為]]に該当するとして、同局に対し2011年7月25日付で再発防止の誓約書を作成するよう命じた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110726/crm11072611520007-n1.htm 給与下がる年俸制、一般職降格…読売TVの不当労働行為を認定] 産経新聞 2011年7月26日</ref>。<br />
*2011年[[9月4日]] - この日放送の「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」で、子供からの質問に対し出演者が回答するコーナーにおいて、「[[東北地方|東北]]の[[肉]]や[[野菜]]を食べるとどうなるか」との質問に対し、この日出演していた[[中部大学]][[教授]]の[[武田邦彦]]が、[[岩手県]][[一関市]]の[[放射線]]数値を示した上で、「食べると健康を害する」、「今、東北で農作業はすべきでない」等と回答した。これに対し、一関市の[[勝部修]][[市町村長|市長]]は、「[[農家]]の感情を逆撫でする非常識発言である」などと主張し、武田に対し抗議の[[電子メール]]を送付する事態となった。読売テレビ側は、「武田教授に批判的な意見も取り入れており、全体的に見れば内容に問題はない」と主張している<ref>[http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110907ddm041040164000c.html 東日本大震災:「東北の野菜や肉、健康害する」中部大教授、テレビ番組で発言] 毎日新聞 2011年9月7日</ref>が、この発言の影響で、遅れネットで放送予定だった[[福岡放送]]はこの日の放送を中止した。<br />
<br />
=== 64分にわたる放送中断 ===<br />
* [[1990年]][[5月9日]]午後1時59分から午後3時3分頃まで、近畿圏(読売テレビの放送エリア)に於いて本局の放送が64分間も中断する[[放送事故]]があった。原因は[[奈良県]][[生駒山]]にある送信所のトラブルと見られ、送信所に技術スタッフが急行するまでの間画面は[[スノーノイズ|砂嵐]](ザラザラ画面)だった。そのため近畿圏のみ午後2時からの『[[2時のワイドショー]]』が見られず、午後3時からの日本テレビからのネット受けの『[[キャッチ (ワイドショー番組)|キャッチ]]』も冒頭の3分程削られる状態となった。これだけの放送中断は史上初であり、本局に約1,500件もの苦情が寄せられた。<br />
====昼何で放送事故====<br />
2015年9月14日のエンディングではなわが有吉宣伝したところでいきなり。マークと阿蘇山としばらくお待ちください表示された。謝罪した。ヤフー乗っていた<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[わくわく宝島]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.ytv.co.jp/ ytv] - 讀賣テレビ放送公式サイト<br />
<br />
{{NNN・NNS}}<br />
{{キー局}}<br />
{{Tv-kansai}}<br />
{{読売新聞グループ本社}}<br />
{{OBP高層ビル群}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:よみうりてれひほうそう}}<br />
[[Category:読売テレビ|*]]<br />
[[Category:日本民間放送連盟会員|27よみうりてれひほうそう]]<br />
[[Category:第30回BCS賞]]<br />
[[Category:大阪市中央区の企業]]<br />
[[Category:日本のテレビ局]]<br />
[[Category:大阪府のマスメディア]]<br />
[[Category:アニメに関係する企業]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E8%AE%80%E8%B3%A3%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E6%94%BE%E9%80%81&diff=401204
讀賣テレビ放送
2022-08-27T06:35:00Z
<p>PG: /* 沿革 */</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|[[近畿広域圏]]を放送対象地域とする放送局|[[鹿児島県]]を放送対象地域とする放送局|鹿児島讀賣テレビ}}<br />
{{redirect|ytv|その他の用法|YTV}}<br />
{{基礎情報 会社<br />
|社名=讀賣テレビ放送株式会社<br />
|英文社名= YOMIURI TELECASTING CORPORATION<br />
|ロゴ= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation Logo.svg|150px]]<br />
|画像= [[ファイル:Yomiuri Telecasting Corporation head office 2008-2.jpg|300px]]<br />
|画像説明= '''本社社屋'''<br />
|種類= [[株式会社]]<br />
|市場情報= 非上場<br />
|略称= 読売テレビ、よみうりテレビ、ytv<br />
|郵便番号= 540-8510<br />
|本社所在地= [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見二丁目2番33号<br />
|設立= [[1958年]][[2月13日]]<br />
|業種= 5250<br />
|事業内容= 放送法に基づくテレビジョン放送<br />
|代表者= [[代表取締役]]会長 [[越智常雄]] <br /> 代表取締役社長 [[望月規夫]]<br />
|資本金 = 6億5,000万円<br />
|売上高 = 583億1,100万円(2012年3月期)<br />
|経常利益 = 68億3,000万円(2012年3月期)<br />
|従業員数 = 504名(2012年7月末現在)<br />
|主要株主= [[日本テレビホールディングス]]株式会社 (11.59%) <br />株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%) 他<br />
|主要子会社= 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />株式会社[[ytv Nextry]]<br />株式会社[[ワイズビジョン]] 他<br />
|関係する人物= [[正力松太郎]]<br />[[務臺光雄]]<br />八反田角一郎<br />
|外部リンク= http://www.ytv.co.jp/<br />
|特記事項= 1958年8月1日に「新大阪テレビ放送株式会社」から現社名に変更|<br />
}}<br />
'''讀賣テレビ放送株式会社'''('''読売テレビ放送'''とも表記、よみうりテレビほうそう、[[英語|英称]]:YOMIURI TELECASTING CORPORATION)は、[[近畿広域圏]]を[[放送対象地域]]として[[テレビジョン放送]]をする[[特定地上基幹放送事業者]]である。<br />
<br />
通称は'''読売テレビ'''、略称は'''ytv'''。[[キャッチコピー|キャッチフレーズ]]は「GO!GO!happiness」。<br />
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[Nippon News Network|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])の[[準キー局]]である。<br />
<br />
== 会社の概要 ==<br />
{{日本のテレビ局<br />
|英名=[[:wiki:en:Yomiuri Telecasting Corporation|YOMIURI TELECASTING CORPORATION]]<br />
|地域=[[広域放送|近畿広域圏]]<br />
([[大阪府]]・[[京都府]]・[[兵庫県]]・[[滋賀県]]・[[奈良県]]・[[和歌山県]])<br />
|系列=[[Nippon News Network|NNN]]|番組=[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]|略称=ytv<br />
|愛称=読売テレビ<br />
|呼出名称= よみうりデジタルテレビ<br />
|コールサイン=IX|年=1958年|月日=8月28日|郵便番号=540-8510|都道府県=大阪府|本社=[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2丁目2番33号| 緯度度 = 34|緯度分 = 41|緯度秒 = 39.77| 経度度 = 135|経度分 = 32|経度秒 = 2.78|演奏所=本社と同じ|都市名=大阪|ch1=10|ch2=10|id=10|dch=14|中継局=[[#アナログ放送|主な中継局]]参照|デジ中継局=[[#デジタル放送|主な中継局]]参照<br />
|公式サイト= [http://www.ytv.co.jp/ 読売テレビ]<br />
|特記事項= 設立当時の商号は「新大阪テレビ放送」と称していたが、開局直前に現商号に変更した。<br />リモコンキーID「10」は本局と[[テレビ愛知]]([[TXN]]系列)のみ。<br />
}}<br />
<br />
=== 本社などの所在地 ===<br />
*本社 - [[郵便番号|〒]]540-8510 [[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[大阪ビジネスパーク|城見]]二丁目2番33号<br />
*東京支社 - [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目6番1号 [[日本テレビタワー]]20階<ref>在阪準キー局の東京支社が在京キー局の本社ビル内に入居するのは読売テレビが唯一である。系列局で見ると本局の他、[[南海放送]]も入居している。また[[TBSテレビ|TBS]]系列の準キー局である[[毎日放送]]は東京・赤坂の[[東京放送ホールディングス]] (TBSHD) 敷地内にある「[[赤坂Bizタワー]]」内に東京支社が入居している。</ref> <br />
*名古屋支局 - [[愛知県]][[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[栄 (名古屋市)|栄]]四丁目15番32号 日建住生ビル6階<br />
*京都支局 - [[京都府]][[京都市]][[中京区]][[烏丸通]]六角下ル七観音町630番地 読売京都ビル5階<br />
*神戸支局 - [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]栄町通一丁目2番10号 読売神戸ビル4階<br />
<br />
=== 現在の主な株主 ===<br />
括弧内は、持株比率を示す。<br />
# [[日本テレビホールディングス|日本テレビ放送網]]株式会社 (11.59%) ※1・2<br />
# 株式会社[[読売新聞グループ本社]] (10.78%)<br />
# 讀賣ゴルフ株式会社 (10.23%) ※1<br />
# 野村土地建物株式会社 (7.98%)<br />
# [[野村ホールディングス]]株式会社 (5.00%)<br />
# 株式会社[[UFJ銀行]] (4.00%) ※3<br />
# 株式会社[[三井住友銀行]] (3.60%)<br />
# 株式会社[[りそな銀行]] (2.70%)<br />
# 株式会社[[みずほコーポレート銀行]] (2.40%) ※4<br />
# 株式会社[[読売新聞大阪本社]] (2.01%)<br />
* ※1 [http://www.ntv.co.jp/info/news/268.html 日本テレビ放送網株式会社は、2005年12月6日に讀賣ゴルフ株式会社から株式を取得している。]<br />
* ※2 日本テレビ放送網株式会社は、[[2012年]][[10月1日]]に[[放送法]]に基づく[[認定放送持株会社]]に移行し、[[日本テレビホールディングス]]株式会社となっている。<br />
* ※3 株式会社UFJ銀行は、[[2006年]][[1月1日]]に株式会社[[東京三菱銀行]]と[[合併 (企業)|合併]]し、現在は株式会社[[三菱東京UFJ銀行]]となっている。<br />
* ※4 株式会社みずほコーポレート銀行は、[[2013年]][[7月1日]]に(旧)株式会社[[みずほ銀行]]を吸収合併し、同日商号を株式会社みずほ銀行に変更した。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
* [[1958年]]([[昭和]]33年)[[2月13日]] - 大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])などの出資により、準教育専門局「新大阪テレビ放送」(NOTV) として設立。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月1日]] - 「讀賣テレビ放送」(YTV) に社名変更。<br />
* 1958年(昭和33年)[[8月28日]] - [[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町2-36(後に「東天満1-8-11」へ住居表示変更) から本放送開始(大阪第2局)。それまで[[大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]])にネットされていた[[日本テレビ放送網|日本テレビ]] (NTV) の番組を移行させる形で開局した。[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]局の第一号として「ステーション・ネット局」宣言を打ち出す(フルネット局の嚆矢)。<br />
* [[1960年]](昭和35年)[[9月10日]] - カラーテレビ本放送開始(大阪地区では[[NHK大阪放送局]]、ABCと共に初。<br />
* [[1967年]](昭和42年)[[4月1日]] - 日本テレビとの編成制作協定(N-Y協定)を締結。<br />
* [[1978年]](昭和53年)[[10月1日]] - 音声多重放送開始(日本テレビに続いて2局目)。<br />
* [[1988年]](昭和63年)8月1日 - 本社社屋を大阪市北区東天満から同市[[中央区 (大阪市)|中央区]]城見2-2-33の[[大阪ビジネスパーク]] (OBP) 内の現在地に移転する。10マークの使用開始。<br />
* [[2000年]](平成12年)[[7月1日]] - 開局以来初となるマスコットキャラクター「[[テレビヤン]]」がお目見え。<br />
* [[2003年]](平成15年)[[12月1日]] - 地上デジタル放送'''「よみうりデジタルテレビ」'''放送開始 (JOIX-DTV) 。本放送開始と同時にアナログ・デジタル統合[[主調整室|マスター]]の運用を開始(この時にマスターのシステム自体もこれまでの[[日本電気|NEC]]製から[[東芝]]製のものに変わる)。<br />
* [[2005年]](平成17年)[[7月29日]] - [[8月7日]] - [[天保山ハーバービレッジ]]を会場とした大規模イベント「[[天保山10デイズわくわく宝島|天保山10days わくわく宝島]]」を開催。<br />
* [[2007年]](平成19年)[[4月1日]] - 開局50周年を前に「ウキウキわくわくキャンペーン」を展開。[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入し、ロゴマークを原則として'''「よみうりテレビ」'''から'''「ytv」'''(報道関連、NNNの発信元テロップなど漢字表記する場合は'''「読売テレビ」''')に変更した。また、3代目マスコットキャラクター「[[ウキキ]]」がこの日に誕生した。<br />
* [[2009年]](平成21年)11月24日 - 東京支社が東京都港区東新橋の「日テレタワー」(日本テレビ本社ビル)内に移転。<br />
* [[2010年]](平成22年)7月5日 - [[日本放送協会|NHK]]と[[日本民間放送連盟]]の申し合わせにより、地上デジタル放送の移行を前提に、[[アナログ放送]]においての全番組が画角サイズ16:9の[[レターボックス (映像技術)|レターボックス放送]]に移行する(画角サイズ4:3で製作されたCMは除く)。また2010年[[9月6日]]から、アナログ放送の黒帯部分に地上デジタル放送の準備を啓発する告知をCM中を除いて常時表示されるようになった。<br />
* [[2011年]](平成23年)[[10月3日]] - 日本テレビ系列局の全番組ステレオ放送化により、今まで[[モノラル放送]]だった読売テレビ制作の番組が全て[[ステレオ放送]](一部はモノステレオ放送)に切り替わった。<br />
<br />
== 開局までの経緯 ==<br />
[[日本テレビ放送網]](以下、日本テレビ)は[[1953年]]、東京での開局に先立ち、大阪にも放送免許の申請を[[郵政省]]に提出した。しかし、当時の大阪地区の割り当て電波は2波しかなく、[[NHK大阪放送局]]と[[大阪テレビ放送]](OTV。現・[[ABCテレビ|朝日放送]])の2局に免許が与えられ、"日本テレビ大阪放送局"の免許は却下された。却下の理由は'''「日本テレビは東京地区を代表するもので、これが大阪で電波を出すのは"越境"である」'''というもの。日本テレビを率いる[[正力松太郎]]は、大阪の他[[札幌市|札幌]]・[[名古屋市|名古屋]]・[[福岡市|福岡]]にも同局の地域放送局を設立する事を郵政省に申請したが、これも大阪と同じ理由で却下された。<br />
<br />
大阪では、その当時に[[読売新聞]]が大阪に進出したばかりで、[[朝日新聞]]、[[毎日新聞]]などと販売競争で激しく競い合った。大阪テレビ放送は朝日新聞・毎日新聞と[[朝日放送]]・新日本放送(現・[[毎日放送]])によって設立されたテレビ局である事から、当時の大阪讀賣新聞社(現・[[読売新聞大阪本社]])社長・[[務臺光雄]]は「両紙を相手に部数を伸ばすには、自社系列のテレビ局を持つ事が必要」と確信し、読売側も大阪讀賣新聞社を中心に関西の財界などの出資によるテレビ局を作ろうと決心。務臺が発起人代表となって、財界から発起人集めを行った。<br />
<br />
放送局の社名は'''「新大阪テレビ放送株式会社」'''(略称:'''NOTV'''='''New Osaka Television'''。'''『ノーテレ』'''と呼ばれた)とし、[[1957年]][[2月]]に設立の発起人総会を実施。社屋は[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]]岩井町(現・東天満)の[[東本願寺]]天満別院跡地に建設された。[[1956年]][[10月]]に放送免許の申請を郵政大臣に提出した。そして、1957年[[10月]]に'''準教育局'''として新大阪テレビ放送に予備免許が交付(第10チャンネル、JOIX-TV)された。[[1958年]][[2月12日]]に創立総会を行い、同年[[8月1日]]に社名を「新大阪テレビ放送」から'''「讀賣テレビ放送株式会社」'''(略称・YTV、愛称・よみうりテレビ)へ変更、同月[[8月28日|28日]]にOTVにネットされていた日本テレビの番組を完全移行させる形で近畿地区では2局目の民放テレビ局として開局した。<br />読売テレビの開局でこれまでOTVの[[クロスネット局|クロスネット]]政策のため近畿地方に流れなかった日本テレビ番組のスポンサーの不満<ref>当時の大阪テレビの番組編成はラジオ東京優勢の編成であったため。(ニュースにいたってはYTV開局前からラジオ東京のもののみ放送されていた。)</ref>が解消し、読売新聞の[[西日本]]での部数増に大きく貢献した。<br />
<br />
== ネットワークの移り変わり ==<br />
* [[1958年]][[8月28日]] - 開局。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の第一号局として「ステーション・ネット局」を宣言。以降一貫して番組全般は日本テレビとなる。<!--しかし[[読売新聞ニュース]]が[[TBSテレビ|ラジオ東京テレビ]]でも放送していたことからそれのみクロスとなっていた。--><br />
* [[1966年]][[4月1日]] - ニュースネットワークNNNが発足し加盟。<br />
* [[1972年]] - この年発足のNNSに加盟。<br />
<!--* [[1974年]][[6月23日]] - [[キー局]]の新聞再編成により[[読売新聞ニュース]]が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]発のみとなる。これによりTBS発の番組が姿を消す。--><br />
<br />
== 略称・ロゴ ==<br />
{{色}}<br />
初代のロゴ表記には、大文字の'''“YTV”'''と斜面の'''“よみうりテレビ”'''の2種類があった。開局30周年の1988年8月からは10マーク<ref>新ロゴ制定後も数年間本社の駐車場の入口に10マークが残っていたが、現在では撤去されている。</ref>を導入し、「10マーク」と「よみうりテレビ」の使用が主となる。開局50周年記念の一環として、[[2007年]][[4月]]から、小文字の略称新ロゴ'''「ytv」'''を導入し、NNS全国ネット向け・[[関西ローカル]]を問わずほぼすべての番組で表示することになった。日本テレビから送出されるNNNの各種ニュース番組及びCS放送[[日テレNEWS24]]の取材クレジット表示は「読売テレビ」としている。<br />
<br />
ローカル放送と一部全国ネット番組ではペットキャラクター(1996年 - 2000年はアイニー君、その後2007年3月まで[[テレビヤン]])をクレジットに併記していた。クレジット表示はアイニー君の場合は「制作・著作 (左にアイニー君のイラスト)よみうりテレビ」、テレビヤンの場合は「制作・著作 よみうりテレビ(その右にテレビヤンのイラスト)」だった。<br />
<br />
=== 愛称としてのよみうりテレビ ===<br />
[[ファイル:NNK-YTV Bell430 JA010Y RJOY 20090502-001.jpg|thumb|300px|新ロゴ「ytv」と正式社名「讀賣テレビ放送株式会社」が併記された取材用ヘリコプター(JA010Y、2009年5月2日撮影)]]<br />
開局から[[2007年]][[3月]]まで、自社制作番組のクレジットは関西ローカル・全国ネットを問わずにひらがな表記の愛称'''「よみうりテレビ」'''と表記していた。ひらがな表記の例としては、同局の看板番組でHPアクセス数常時最上位の[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]などが挙げられるが、これは漢字の読めない視聴者層を意識したものと思われる。<br />
<br />
ただし、番組以外の事業に関しては「読売テレビ」と表記されていた(被ネット局側がロゴ出しをした場合例外あり。実例として1990年代後半に[[広島テレビ放送|広島テレビ]] (HTV) が阪神vs広島戦を実況を差し替えて中継した際に制作・著作ロゴをHTV側で送出したため、「制作著作 広島テレビ・読売テレビ」と漢字で表記された事があったが、平仮名で「広島テレビ・よみうりテレビ」と表記した場合もあり、一貫性がなかった。また、過去には[[山口放送]] (KRY) 制作の『[[防府読売マラソン]]』でもネット局のロール表示の際に漢字ロゴが使われた事もあった)。[[青森放送]](RAB)が制作・中継し、本局も制作協力する『[[青森県民駅伝競走大会]]』(毎年9月開催)のエンドロールでは「読売テレビ」あるいは「讀賣テレビ」と表記している。<br />
<br />
見解としては「番組関連の表記は『よみうりテレビ』、事業関連や一般的な表記としては『読売テレビ』、そして事務的な場合など正式な企業名(登記社名)を表記する必要性がある場合に限り『読売テレビ放送』と使い分け」ていたようである。<br />
<br />
社章(バッジ)については、開局から1982年までは楕円の中に“YTV”ロゴを入れたものが用いられたが、開局25周年の1983年からは、長方形の中に“Y”と“O”を[[幾何学]]的にあしらったものに変更された。<br />
<br />
テレビカメラなど、一部の放送機材や一部の送信所でも『読売テレビ』と表記している。現在は放送機材にも現行のロゴを使用している。<br />
<br />
=== ytvへの移行 ===<br />
新ロゴマークは、黄色のytvの右上にチャンネル数'''10(テン)'''を表すオレンジ色の点(テンボール)をデザインしており、'''{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup>'''となる。なお、2008年は同年8月28日の開局満50年を記念して1年間限定で{{Color|#FFD800|ytv}}<sup>{{Color|#EF810F|・}}</sup><sub>{{Color|#FFD800|50th}}</sub>と表記した。これを機に段階的に「よみうりテレビ」ロゴと「10」マークが廃止された。長年使用していた為か「よみうり」ロゴ廃止後も「よみうりテレビ」の記述が見られる。<!--2009年度まで放送していたズームイン!!SUPER関西ローカル版が該当する-->なお、「ytv」の小文字での表記はロゴマークや読売テレビ社内で使用されるのであって、大文字の「YTV」でも何ら問題ない。<br />
<br />
2007年4月からは、地上デジタル放送に於いて画面右上に[[ウォーターマーク]]として「ytv」ロゴの表示を行う様になった([[提供クレジット]]時は除く、[[ワンセグ]]では非表示)が、あまり透過していないため、少し目立ってしまう。なお、この表示はキー局の日本テレビをはじめ、広島テレビ、福岡放送などでも実施している。<br />
<br />
2008年4月以降、番組関連での「制作クレジット」「番組宣伝ポスター」「社名“マーク”」としては「ytv」を用い、「社名」を表示する時には「読売テレビ」もしくは「読売(讀賣)テレビ放送」を使用するよう改められた(これにより今後は平仮名表記の「よみうりテレビ」は使用しない)。<br />
<!--表記の使い分けについては、読売テレビ東京支社の方から以前伺った話なので、幾分信憑性はあるかと思います。2008年5月加筆分についても同様です。--><br />
<br />
2013年に開局55周年を迎えた際、ロゴマークの後ろに笑顔のボールが付け加えられた記念ロゴが使用された。ボールの中に55の数字で笑顔を表し、読売テレビの番組で視聴者に笑顔に届けるという意味を込めたものとなっている。<br />
<br />
[[番組表]]に於いては、[[読売新聞]]や[[スポーツ報知]]に於いては「よみうりテレビ」と表記され、その他の新聞のテレビ番組表に於いては「読売テレビ」と表記される。また、デジタルテレビのEPGでは2007年3月31日までは"よみうりテレビ"と表記されていたが、同年4月1日からは"読売テレビ"に変更されている。なお、2011年7月24日24時前のアナログ波停波直前の画面の局名は「よみうりテレビ」と表示された。<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=g92DAk90ibU 2011年7月24日のアナログ放送終了時の読売テレビ] YouTube</ref><br />
<br />
再放送番組に関しては基本的に旧ロゴのままだが、「[[ルパン三世 PartIII]]」の再放送用素材は、制作会社の[[トムス・エンタテインメント]]側が「[[東京ムービー]]」表記を現社名に改めた物を作成した際、作品の著作権が読売テレビにも残っているためか「よみうりテレビ」ロゴを「ytv」ロゴに改めた上で表記している。<br />
<br />
== キャッチコピー ==<br />
* ハロー10ch([[1980年]] - [[1995年]]) - [[サンリオ]]が製作したマスコットキャラクター「ハローちゃん」が存在していた。<br />
* あしたのテレビへ。その1。OPEN([[1995年]] - [[1996年]])<br />
* よみうりテレビは、あなたに「ぴたっ」とします。(1996年)<br />
* i need 10([[1997年]] - [[2000年]])<br />
* テレビヤン(2000年 - [[2006年]])<br />
* ウキウキわくわくytv([[2007年]] - 2012年)<br />
* GO!GO!happiness(2013年 - 現在)<br />
<br />
== 放送番組の特色 ==<br />
{{See also|読売テレビ番組の分野別一覧}}<br />
平日は以下の様に[[朝|早朝]]から19時まで、[[生放送]]の[[報道番組|報道]]・[[情報番組]]を中心にして放送されている。<br />
:(不定期で休止することがあるが、『[[日テレNEWS24]]』→)『[[朝生ワイド す・またん!|もうすぐ す・またん!]]』(5:10 - 5:20)→『[[朝生ワイド す・またん!]]』(5:20 - 6:30)→『[[ZIP!]]』(6:30 - 8:00)→『[[スッキリ!!]]』(8:00 - 10:25)→『[[PON!]]』(10:25 - 11:25 火~木のみ)→『[[NNNストレイトニュース]]』(11:30 - 11:45)→『[[ヒルナンデス!]]』(11:55 - 13:55)→『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』(13:55 - 15:50)→再放送など(15:50 - 16:47)→『[[かんさい情報ネットten.]]』(16:47 - 19:00)<br />
<br />
=== NNS全国ネット向け ===<br />
(番組は{{CURRENTYEAR}}年{{CURRENTMONTHNAME}}現在)<br />
* 長年に渡って[[日本テレビ系列平日午後2時台のワイドショー枠|平日午後2時台を中心とした生放送ワイドショー番組]]を放送している。現在の『[[情報ライブ ミヤネ屋]]』は元々関西ローカルで夕方に放送されていた番組。[[2007年]][[9月]]まで放送していた『[[ザ・ワイド]]』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と共同制作の形を採った(詳細は[[ザ・ワイド]]参照)。<br />
* 1990年4月より他系列の在阪局同様、土曜日8時台・9時台前半に情報番組を放送している。現在は報道局が制作主体となっている『[[ウェークアップ!ぷらす]]』。この時間帯としては在阪民放唯一の報道番組であり、在阪局制作番組でありながらNNNの討論・報道番組としても扱われている。<br />
* [[ゴールデンタイム]]の制作番組は木曜日に集中しており、21時の『[[秘密のケンミンSHOW]]』、22時の『[[ダウンタウンDX]]』の2本を制作している。また、『[[NEWS ZERO]]』を挟んだ23時58分には『[[木曜ドラマ (読売テレビ)|木曜ドラマ]]』を制作しており、都合木曜日は3本の制作番組が並ぶ。<br />
*報道・情報系番組を除く3本の全国ネット番組は[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]あるいは[[ワンセグ]]の[[データ放送]]に対応している。<br />
*アニメ枠は長年月曜19時台に編成されていたが、後述する2009年4月の改編で土曜18時と日曜7時に放送枠が変更された。2013年4月からは『[[シューイチ]]』の放送時間拡大によって『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』が日曜7時に放送されることになりアニメの放送枠が土曜17時半に移動したため、土曜夕方に読売テレビ制作のアニメが2本連続放送されることになった。<br />
*かつては月曜日にも制作枠があり、[[連続ドラマ]]や[[バラエティ番組]]も手がけた事があったが、[[視聴率]]の不振が続いた為前者は[[2004年]][[3月]]、後者も日本テレビ制作番組と枠交換するも[[2008年]][[2月]]をもって撤退<ref>過去に日本テレビの『[[スーパーテレビ情報最前線]]』と制作枠を交換し、月曜21時が読売テレビ、月曜22時が日本テレビの制作枠となっていたが、[[2008年]][[4月]]に『情報ライブ ミヤネ屋』の日本テレビでの放送開始(14時台ネットワークセールス化)と引き換えに交換。</ref>、そして2009年4月改編で平日19時枠に帯バラエティ番組『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』がスタートした為、長年守り続けたアニメ枠までも枠移動を余儀なくされた。<br />
*深夜番組では『[[11PM]]』の火・木曜日分を担当して以来、現在の[[プラチナイト]]枠に至るまで全国ネット番組を途切れなく制作している。2008年[[10月2日]]より同枠にて、4年半ぶりに[[木曜ナイトドラマ|連続ドラマ]]を放送している。2010年4月からは『[[SUPER SURPRISE|サプライズ]]』終了に伴う平日19時台の同局制作枠廃止(枠を日テレに事実上返上)に伴い、読売テレビ発・全国ネットは木曜日に集中する事になる(夜間に関しては21時台・22時台と[[木曜ミステリーシアター]]のみとなる)。<br />
<br />
==== 全国ネットに相当する番組 ====<br />
完全な全国ネットではないが、『遠くへ行きたい』や一部の深夜番組が日本テレビを始めとした複数の系列局で放送されている。<br />
<br />
日曜昼に放送されている『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』は、関東などを除いた全国24局同時ネットで放送されている(関西では20%超の高[[視聴率]]で占拠率は50%近く<ref>ネット局のうち[[北日本放送]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でも関西地区以上の高視聴率を獲得している。</ref>を叩き出す事がある人気番組)。日本テレビが番組ネットを打診したが、司会の[[やしきたかじん]]ら出演者は'''「関東圏には流すな」'''<ref>日本テレビおよび[[東京メトロポリタンテレビ|東京MX]]といった[[在京放送局|東京テレビ局]]の事</ref>と拒否、日本テレビでは放送されていないというエピソードを持つ。<!--詳細が気になる閲覧者は「そこまで言って委員会」のページを御覧下さい--><br />
<br />
因みに[[広域放送|中京広域圏]]の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]との親交が深く、全国ネット化に先駆け『ミヤネ屋』を一足早く<ref>2007年9月24日から</ref>ネットした。この際「-ミヤネ屋」に[[東京]]制作部のスタッフを派遣しており、2009年に始まったローカル番組『[[愛の修羅バラ!]]』ではレギュラー番組としては初めての共同制作を行っていた(現在は『[[上沼・高田のクギズケ!]]』)。そのほか、土曜朝の『[[あさパラ!]]』を唯一同時ネットしていたが、2011年3月末で中京テレビへのネットを打ち切った。<br />
<br />
=== 関西ローカル番組 ===<br />
* 日曜22:30からの『[[大阪ほんわかテレビ]]』や土曜16:30からの『[[土曜はダメよ!]]』などを制作している。<br />
** [[1999年]][[4月]]より日曜の昼に関西ローカルの情報バラエティ『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の放送を開始し、一躍話題となる。同番組はキー局や地方局のワイドショーでは話せない芸能界の裏情報が満載の番組としてエリア外でも異名を轟かせていた。これに伴って[[1998年]]まで同時ネットされていた『[[防府読売マラソン]]』([[山口放送]]制作)の中継を深夜放送枠の時差ネットで録画放送している。2009年から2010年までは中京テレビと共同制作の「愛の修羅バラ!」を放送。<br />
* 関西ローカル向けのワイドショーを[[2001年]][[10月]]から[[2009年]][[3月]]まで平日の10時台に編成していたが、[[2004年]]に若年層をターゲットにした[[なるみ]]・[[陣内智則]]司会の『[[なるトモ!]]』をスタートさせた。2005年10月から『なるトモ!』は[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[中京テレビ放送|中京テレビ]]・[[広島テレビ放送|広島テレビ]]・[[熊本県民テレビ|くまもと県民テレビ]]でもネットされる事になり、念願の“東京進出”を果たす。関西発のワイドショーが関東でもネットされたのは『[[2時のワイドショー]]』→『[[Beアップル2時!]]』以来12年半振りであり、共同制作の『[[ザ・ワイド]]』で約1年間放送されていた大阪からのパートを含めると10年ぶりの事だった。しかし、日本テレビでの放送は僅か半年で終了した。<br />
* 1990年代から日本テレビ系列の平日夕方時間帯(午後4・5時台)はローカル情報番組(帯番組)を編成している局([[札幌テレビ放送|STV]]・[[福岡放送|FBS]]など)が多くなっているが、読売テレビは長年夕方ローカル情報番組を編成する事なく[[2時間ドラマ]]の再放送枠で、一定の視聴率を保っていた。ローカル番組を編成する[[MBSテレビ|MBS]](『[[ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい]]』)や[[ABCテレビ|ABC]](『[[ワイドABCDE〜す]]』や『[[ムーブ!]]』など)に対抗すべく[[2005年]][[11月]]から毎週金曜日に元[[朝日放送|ABC]]アナウンサーの[[宮根誠司]]を司会に起用した自社制作の情報番組『[[激テレ★金曜日]]』をスタート。翌[[2006年]][[7月31日]]からは再放送枠を廃止し、『激テレ★金曜日』を帯番組に発展させた『情報ライブ ミヤネ屋』を開始した。[[2007年]][[10月1日]]から同年[[9月28日]]に終了した『ザ・ワイド』の後継番組として放送時間を13:55からに移動、全国ネットとなった。<br />
* 以前は『[[おはようニュースマガジン]]』『[[元気モンTV]]』『[[あさイチ!]]』など平日早朝時間帯にローカル情報番組を放送していたが、[[2006年]][[6月30日]]で一旦終了。[[7月3日]]からは日本テレビの『ズームイン!!SUPER』をフルネットし、その中で30分ほどのローカルコーナーを放送。2010年3月29日からは3年9ヶ月ぶりに早朝の自社制作情報番組『[[朝生ワイド す・またん!]]』を放送。<br />
* 他の在阪局と同様に全国ネットでは[[日本プロ野球|プロ野球]]中継のうち[[読売ジャイアンツ]]戦を関西地区では[[阪神タイガース]]戦中継に差し替えるケースが見られる(二元中継の場合もあり。[[2007年]][[5月28日]]には[[オリックス・バファローズ]]戦を中継)。<br />
** かつては阪神応援番組の先駆者的番組『[[週刊トラトラタイガース]]』を放送していた。現在は後述の『[[ZIP!]]』のローカルコーナー内で「ウル虎!Sports」を毎日放送している。<br />
* 毎年春と夏(『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』の開催当日)には朝9時半から夕方にかけて長時間の生ワイドスペシャルを企画しており、当該時間枠の生放送番組の拡大版が放送されている(2005年夏は放送なし)。また、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の放送枠でも珍しく比較的自主制作枠が多い。<br />
* 自社製作の深夜番組については、一部の番組を日本テレビ系列局にネットされており、日本テレビでは水曜深夜に3枠連続で当社製作番組を放送されている。<br />
* 1992年10月から放送された深夜番組「[[たかじんnoばぁ〜]]」は、関西地区で最高視聴率25.1%(占拠率56%)を記録し、読売テレビ深夜番組史上最高視聴率を記録した。(この記録は破られていない)<br />
関東でのメレンゲの枠でおしゃべりジャングルやっている。2014年12月20日はYahoo!に中村昌也が元奥さんについて語っていた事掲載された。余談であるがブランチに元奥さんが出演していた<br />
<br />
=== アニメ ===<br />
{{ウィキプロジェクト アニメ}}<br />
{{See also|日本テレビ系アニメ}}<br />
* 本局では[[1967年]]([[昭和]]42年)に放送が開始された[[紙芝居]]の名作をアニメ化した『[[黄金バット#アニメ|黄金バット]]』で[[アニメーション]]制作に参入した。在阪局のアニメ参入は[[MBSテレビ|毎日放送]](MBS)に次いで2局目で、『黄金バット』の他、[[スポ根]]アニメの金字塔とも言われる『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』や[[プロレス]]アニメの決定版『[[タイガーマスク#1作目|タイガーマスク]]』、[[赤塚不二夫]]の人気を不動のものとした『[[天才バカボン (アニメ)|天才バカボン]]』、アニメブームの金宇搭とも言われる『[[宇宙戦艦ヤマト]]』など[[1960年代]] - [[1970年代]]は大ヒット作を連発した。現在でも人気が高い『[[ルパン三世]]』を[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|初めてアニメ化]]したのも本局である。<br />
* [[1990年代]]以降、[[諏訪道彦]]プロデューサーによるアニメ制作に力を入れており、MBSと並んで在阪局ではアニメ制作に力を入れている事で知られている。諏訪がプロデュースした代表的な作品としては、[[1996年]]1月から放送が開始され[[2010年]]現在も続く『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』や『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』『[[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]]』『[[犬夜叉#第1期|犬夜叉]]』『[[シティーハンター (アニメ)#TVアニメ|シティーハンター]]』『[[YAWARA!#TVシリーズ|YAWARA!]]』[[読売新聞]][[朝刊]]に連載中の[[植田まさし]]作による[[4コマ漫画]]をアニメ化した『[[コボちゃん#アニメ版|コボちゃん]]』等。キー局の日本テレビに比べると熱心であると同時に、NNS系列全国ネットのアニメを数多く制作している。最近では『[[エンジェル・ハート#テレビアニメ版|エンジェル・ハート]]』等の[[深夜アニメ]]も手掛けている。<br />
** 本局発全国ネットのアニメ番組では、[[ポケモンショック]]を教訓とした視聴注意テロップ「'''○○からのお願い…テレビアニメを見るときは部屋を明るくして画面からはなれてくださいね'''(○○には“コナン”や“結界師”等のメインキャラクターの名前が入る)」という他局では見られない特徴的な視聴の注意文を使用している<ref>テレビ朝日の『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』でも同様の注意文が出るが、本局では全ての作品でこの形に統一している</ref>(『[[それいけ!アンパンマン]]』など[[番組販売|番販]]の場合は単に「'''テレビアニメを見るときは-'''」という表示である)。<br />
** 視聴注意テロップについては全日のみ表示である。但し、2007年10月に[[読売テレビ制作月曜夜7時枠のアニメ|月曜夜7時枠]]から深夜に移動した『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』では表示された。また午後7時からアニメ映画を放送する場合は表示されていた(2009年春に枠廃止)が、日本テレビ発である[[金曜ロードSHOW!]]でアニメ映画を放送する場合は表示されない。<br />
**一部作品を除きオープニング・エンディングテーマの楽曲名の表示は、OP・ED冒頭で一回と途中スタッフのクレジットと共に一回出しているため、2回楽曲名が表示されるようになっている。<br />
** [[1995年]]から[[2009年]]まで、月曜7時台は本局制作のアニメ2本立てという編成が続いていたが、安定していた視聴率も[[2005年]]頃から低迷していた。その結果、19:00 - 19:30に放送されていた『[[結界師 (アニメ)|結界師]]』が2007年10月改編で全国ネットから深夜枠へ"降格"(一部の局は打ち切り)となった。同年内いっぱいは『名探偵コナン』の1時間スペシャルや単発2時間特番で凌ぎ、2008年[[1月]]からはかつて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送された『[[ヤッターマン (2008年のテレビアニメ)|ヤッターマン]]』のリメイク版を放送していた。<br />
** [[2009年]]3月時点で、在阪局でゴールデンタイムにアニメ枠を持っていたのは本局のみだった([[1996年]]までは[[ABCテレビ|ABC]]も持っていた。MBSも[[1994年]]に一度全廃したが[[2005年]]に1年間だけ復活)。 <br />
** 本局の本社前には『名探偵コナン』の主人公・[[江戸川コナン]]のブロンズ像が建てられている。<br />
* 一方で[[1980年代]]後半から[[1990年代]]前半頃にかけて日本テレビ制作のアニメ作品のネットに消極的な時期があった。<br />
**日本テレビ系列で平日夕方5時台に放送されているアニメは、当初は同時間帯で放送されていた。しかし1988年10月から当該時間でローカル番組『[[ざまぁKANKAN!]]』の放送が開始されると、同年4月の開始当初は同時ネット(金曜17時)だった『魔神英雄伝ワタル』は木曜16時台に移動、後に平日の朝の10時台に放送時間が変更され、次番組も含めて1年間は当該時間での放送が続き、その後は平日の早朝5時台に放送時間が変更される等、変動が激しかった。さらに『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ]]』の様に放送時間が取れない等の事情により、'''放送回数を飛ばしていきなり最終回にしてしまう'''等、対応に問題があった。また夕方時間帯で放送時期は『[[アニメだいすき!]]』枠が割り込む時もあった。<br />
*** この時期に平日早朝に放送されたアニメは『[[魔神英雄伝ワタル]]』(放送開始時は夕方に放送)・『[[電脳警察サイバーコップ]]』(これは[[特撮]]作品だが、ローカルセールス化後はこの時間帯で放送された。)・『[[戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV]]』・『[[魔動王グランゾート]]』・『[[機動警察パトレイバー#TVシリーズ|機動警察パトレイバー]]』・『[[魔神英雄伝ワタル2]]』・『[[からくり剣豪伝ムサシロード]]』・『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラ]]』・『[[魔法のプリンセスミンキーモモ#第2作|魔法のプリンセスミンキーモモ(2代目)]]』・『[[ママは小学4年生]]』・『[[ミラクル☆ガールズ]]』が挙げられる。<br />
** 『[[それいけ!アンパンマン]]』はこの時期に土曜日や日曜日の早朝に放送時間が変更されている。<br />
* 自社及び日本テレビ制作の深夜アニメは、現在では月曜深夜の『[[MANPA]]』枠の中で放送している(後述の『[[無敵看板娘#テレビアニメ|無敵看板娘]]』もこの枠で放送されていた)。しかし日テレ制作の作品は大幅な遅れネットを生じる事がある。<br />
* [[UHFアニメ]]の参入は在阪局としては最後発で、2006年[[7月]]からの『無敵看板娘』で参入を果たし(この作品にも製作委員会に加わっている。しかし関東圏の[[全国独立放送協議会|独立局]]と比べると放送時期は3週間程遅れていた)、これにより全ての在阪局及び[[近畿地方]]の民放テレビ局がUHFアニメを放送する事になった。但し、完全な外部製作のUHFアニメは2012年7月期の『[[薄桜鬼 〜新選組奇譚〜|薄桜鬼 黎明録]]』まで無かった。<br />
** 『無敵看板娘』以降は長らくUHFアニメの放送が無かったが、2008年7月より本局では2年ぶり、2本目となるUHFアニメ『[[乃木坂春香の秘密#テレビアニメ|乃木坂春香の秘密]]』以後はおおよそ1クール月と1-2本程続々とUHFアニメを製作している(『[[ぬらりひょんの孫]]』シリーズは[[日本BS放送|BS11]]と共同で製作委員会に参加)。<br />
** 16:9SDマスターで制作されたUHFアニメは、地上デジタル放送ではフルサイズで放送されている。なお、在阪局でUHFアニメのフルサイズ放送を実施しているのは本局とMBS・[[テレビ大阪]](TVO)のみ。<br />
* [[1987年]]から[[1995年]]にかけて、学校の休み期間に『[[アニメだいすき!]]』と称した枠で[[OVA]]を集中して放送していた事でも知られる。<br />
* 2009年7月には東京支社内にアニメ事業部を設立。系列会社の[[読売テレビエンタープライズ|yte]]と連携し、深夜アニメへの制作意欲を強めている模様である。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[文字多重放送|字幕放送]]テロップ(当初は「文字放送・字幕」)は日本テレビで表示しているものと同一デザインである。当初は全国放送でも関西ローカルのみの表示だったが、2003年8月頃からキー局の日本テレビに先駆けて日本テレビ系列各局向け(ネット回線)にも表示される様になった(関西ローカルでの表示も継続。日本テレビは読売テレビに1年遅れ、2004年8月頃から系列各局向けにも字幕放送テロップを表示する様になった。)。2003年12月の地上デジタル放送対応のマスター更新後、提供クレジット表示の書体は日本テレビと同じゴシック体(イワタ新ゴシック)が使われている。マスター送出のテロップ表示は提供スポンサー<ref>一時期、一部番組では「[[CMのCMキャンペーン|CMのCM]]」でおなじみのキャラクター「[[コマーさるくん]]」も一緒に表示していた。</ref>のみカットイン〜カットアウトで、それ以外の表示<ref>字幕放送、二ヶ国語放送など各種多重放送、前述にあったアニメ番組視聴の注意文、『遠くへ行きたい』の次回予告テロップその他各種断りテロップ等。かつては画面右上の「アナログ」(アナログ放送のみ冒頭の数秒間表示)や2008年7月23日までの「HV ハイビジョン番組」のテロップもあった。</ref>はすべてフェードイン〜フェードアウト<ref>他の在阪民放4局はスポンサー表示・多重放送テロップ・断りテロップもすべてフェードイン〜フェードアウトで出しているため、実質的には在阪民放5局全てで「フェードイン〜フェードアウト」での表示となっている。ちなみに民放5系列が揃っている地域で全局フェードイン〜フェードアウトで提供クレジット表示を行っているのは北海道のみである。</ref>となっている(ロールスーパーで流す場合もある)。<br />
* 二ヶ国語放送のテロップは長らく「[二]BILINGUAL/二ヶ国語」というテロップだったが、2010年7月よりウキキが「二ヶ国語<改行>BILINGUAL」と書かれたボードを持ったデザインに変更された。<br />
* ローカルで深夜に放送する定時番組枠において放送枠に名称を表記して放送する傾向にある。これらは新聞の番組表や[[電子番組ガイド|EPG]](アナログ放送時代は[[Gコード]]も)でも枠名でまとめてもしくは枠名のみ掲載され、枠内で放送する番組の開始時刻も表記されない<ref>[[MBSテレビ|毎日放送]]でも深夜番組に枠名を付けて放送する場合があるが、こちらでは'''新聞の番組表やEPG等では独立した番組として扱われる事が多い。'''</ref>為、一つの番組(特に枠後半の番組)だけ視聴もしくは録画予約したい場合の障害となっている。<br />
* 関西圏の広域局で自社系のCS放送局を持っていない<ref>自社製作番組のうち、ニュース番組は[[日テレNEWS24]]。プロ野球中継の阪神・巨人戦は[[日テレG+]]。その他の一般番組(過去に放送されたものを含む)は[[日テレプラス]]など複数の放送事業者に配給されている。</ref> (他、大阪府域局の[[テレビ大阪]]も同様。[[関西テレビ放送|関西テレビ]]もかつては持っていたが撤退)。<br />
* 社屋10階に社員食堂としてカフェテリアコーナーがあり、東側が食堂[[生駒山|生駒]]、西側が喫茶コーナー[[六甲山|六甲]]である。<br />
* 在阪民放で唯一大株主に[[鉄道会社]]が入らないが、鉄道会社での番組宣伝は積極的に行われており、特に[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)では大阪駅に専用ボードがあるなど改編期を中心に番組の中吊り広告を展開している。また、[[大阪環状線]]で1編成貸し切りのジャック広告を行う事もある。毎年夏から秋頃にJR西日本管内の特定地域(例外で四国・九州を舞台にした実績あり)を舞台とした『名探偵コナンミステリーツアー』(但し1990年代は『[[金田一少年の事件簿]]』や『[[探偵学園Q]]』が扱われたことがある。)が行われている。なお、読売テレビ本社の最寄駅である[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]は、JR西日本と[[京阪電気鉄道]]の沿線に当たる。<br />
* [[2011年]]12月より、「ytv」という右上にある[[ウォーターマーク]]の位置が前回よりも右上にロゴが上がった。<br />
トキヲウバウネの話題日本テレビで取り上げなかったが、みやねでやった。ワンピースのヨーコもやった。<br />
<br />
=== 日本テレビとの関係 ===<br />
在阪局は在京キー局と対立しがちであるが、読売テレビは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の意向を受けて設立された放送局という経緯もあり、両者の関係は非常に良好である。<br />
<br />
かつては『[[お昼のワイドショー]]』(初期)、また『[[11PM]]』の火・木曜放送分を放送開始から終了まで制作を担当し(後継番組の『[[EXテレビ]]』でも)、2000年代においても『[[ズームイン!!SUPER]]』に当時同局解説委員の[[辛坊治郎]]がレギュラー出演したり、2009年4月 - 2010年3月まで放送された『[[SUPER SURPRISE]]』(開始当初のタイトルは『サプライズ』)においても、前述の『11PM』『EXテレビ』と同様、水曜放送分の制作を担当した。また2007年9月まで放送されていた『[[ザ・ワイド]]』では同局との共同制作を行い、前期は本局発の情報コーナーを設けたり、積極的に関西からリポーターの中継を入れたり、後期には同局解説委員の[[岩田公雄]]がレギュラー出演していた。<br />
<br />
本局制作の全国ネット番組(『[[どっちの料理ショー]]』など)に日本テレビのアナウンサーが出演したり、同じく本局制作の全国ネット番組の『[[ウェークアップ!ぷらす]]』や『[[情報ライブ ミヤネ屋|ミヤネ屋]]』には日本テレビも協力し、同局の記者や解説委員も多く出演している。『ウェークアップ!ぷらす』においては、東京で出演するゲストを東京・[[汐留]]の日本テレビスタジオに招いてネットを繋いだり、インタビュー映像に出演する識者のコメントを同局で収録する等、積極的な交流がなされている(党首討論や立候補予定者の討論など企画によって汐留のスタジオから全編生放送することもある)。<br />
<br />
改編期に放送されている『[[世界一受けたい授業]]』の番組対抗スペシャルに読売テレビから『ミヤネ屋』や『[[秘密のケンミンSHOW]]』チームがゲスト出演している。深夜番組は日本テレビと共に同日ネットを行う番組が他局と比べて多い。また『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』に関しては劇場版での制作に日本テレビのスタッフが参加したり、汐留社屋内にある日テレショップでのグッズ販売も行っている。2009年3月には日本テレビ55周年・読売テレビ50周年の両局の記念番組として、『[[ルパン三世VS名探偵コナン]]』が放送された。<br />
<br />
なお読売テレビの東京支社は2009年11月24日に東京・汐留の「[[日本テレビタワー]]」(日本テレビ本社ビル)内に移転し、在京キー局の本社内に在阪準キー局の東京支社が入居する形となった<ref>ラジオ局に例えると、[[エフエム大阪|FM大阪]]の東京支社が[[エフエム東京|TOKYO FM]]の本社が入居するJFNセンタービル(東京都千代田区麹町)の例があるが、TOKYO FMやFM大阪が加盟する[[全国FM放送協議会|JFN]]の放送局の東京支社は全社FMセンタービルに入居している。</ref><ref>同様の例として、[[毎日放送]]東京支社が[[東京放送ホールディングス|TBS]]本社敷地内[[赤坂サカス]]に2008年より入居している。</ref>。<br />
<br />
系列会社と日本テレビとの関係も良好であり、[[小西美穂]]の様に報道などで評価、本局から日本テレビに移籍する社員もいる。自社制作の深夜番組の多くは日本テレビにもネットされ、中京広域圏の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]とも番組制作など(『[[特報!EXPOプレス]]』や『[[愛の修羅バラ!]]』等)で積極的に協力がなされているなど、NNN系列の[[準キー局]]として非常に良好な関係を築いている。<br />
<br />
一方で、他の在阪局同様に日本テレビとは一線を画す番組編成を取る時間帯も少なくなく<ref>過去には『[[朝の連続ドラマ]]』放送の為に『[[ルックルックこんにちは]]』を時差放送した例がある(これに関しては中国四国九州地方各局も同様の編成をしていた。最末期のではあるが[[山口朝日放送]]開局以降の[[山口放送]]や一時期の[[広島テレビ放送|広島テレビ]]や非マストバイ局を除く)。また先述の様に読売グループの放送局でありながら『[[週刊トラトラタイガース]]』や『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』(共に放送終了)を関西ローカルで制作・放送している。また、ズームイン!シリーズも例外なくタイトルの差し替えのない時間帯であっても、第2部(6:30以降)の内容の差し替えは他地域の局に比べ多い。</ref>、中には先述の『たかじんのそこまで言って委員会』等の様に出演者の猛反対を受けた等の理由で日本テレビにはネットされない場合もある。<br />
<br />
同時ネット番組であっても、『[[笑点]]』の様に関西圏で比較的視聴率が低い全国ネット番組も少なくない(他系列でも『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』等多く存在する)。<br />
<br />
== オープニング・クロージング ==<br />
* 開局時頃のオープニングは読売新聞独特の社旗のデザインに「読売テレビ」と書かれた局の社旗をバックに周波数などが表記されたモノクロ映像で、BGMは[[1988年]][[8月]]に、現在の社屋に移転するまで使われた壮大な[[オーケストラ]]調の音楽。その後[[1988年]][[8月]]の社屋移転までのオープニングは、このBGMをバックに日の出を撮影した映像。クロージングは[[1981年]]当時は切り絵(影絵)風のもの(この当時は末尾に主要中継局のチャンネル表示もあった)だったが、その後[[ヨット]]や[[コアラ]]などの映像と[[西部劇]]風な曲に変更され、中継局の紹介字幕も割愛された。<br />
* 1988年8月の移転後はオープニング・クロージング共通で讀賣テレビ局舎をベースにクレイアニメーションを取り入れて大阪の四季をイメージしたものや、[[1997年]]〜[[1998年]]頃になってからは絵画作品をストーリー風にアレンジしたものが放送された(音楽を手掛けていたのは[[西司]])。<br />
** 放送終了と放送開始との時間が短い場合は終了時にID(静止画)を5秒間表示していた。<br />
* 1998年に深夜の休止時間帯の[[フィラー]](1日の基点は当初5時00分だったが、2009年現在は平日5時20分・土曜4時45分、日曜4時35分)としてNNN24(現・[[日テレNEWS24]])が放送を開始すると放送時間を大幅に縮小して(10秒程度)当時のペットキャラクターである『アイニー君』(当時はI Need 10=アイ・ニー・ジューというスローガンがあった)をモチーフにしたアニメ映像が採用された。これによって周波数のコメント表示が省略された。<br />
* しかし、[[2000年]]にペットキャラクターが『[[テレビヤン]]』(テレビのブラウン管をモチーフにしたキャラクター。後に少しデザインのマイナーチェンジがなされた)が採用されるとかつて使用した絵画作品のダイジェスト版が放送された。<br />
* [[2005年]][[4月1日]]から[[2007年]][[3月31日]]までは、[[絵本]]作家・[[永田萌]]のイラストを使用したオープニングとエンディングの映像が放送されていた。また、2005年[[7月29日]] - [[8月7日]]の「[[天保山10デイズわくわく宝島]]」の開催期間限定でエンディングは振付師・[[真島茂樹]]がこのイベントのために新たにレコーディングしたイメージテーマソング「宝島伝説〜ワクワク愛の伝道師〜」の一部を抜粋したものが放送された。<br />
* 2007年[[4月1日]]から2008年12月までは「ytvウキウキたいそう」が放送された(オープニング・エンディング共通、15秒スポットIDと同じ)。<br />
* 2008年は以下のような形でクロージング、オープニングを放送した。<br /><br />
最終番組→[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM15秒→[[フィラー]](日テレNEWS24または放送休止)→[[ズームイン!!SUPER]]宣伝CM15秒→ytvウキウキたいそう→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組<br />
* 2009年1月からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM30秒→読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM15秒→フィラー→平日:読売テレビの番組CM30秒/土曜・日曜:読売テレビの番組CM15秒→地上デジタル放送宣伝CM30秒→最初の番組となり、またこれよりオープニング・クロージングは流れなくなった。<br />
* 2009年11月16日からは最終番組→地上デジタル放送宣伝CM15秒→読売テレビの番組CM45秒→フィラー→地上デジタル放送宣伝CM60秒(2011年1月24日以降は地デジテスト60秒)→最初の番組もしくはCMとなっている。<br />
* 地上アナログ放送終了告知画面は日テレNEWS24フィラー前の30秒間放送している(音楽付き)。なおデジタルはフィラーへ直行している。放送休止の場合は、放送再開(カラーバー終了)の際に30秒間放送している。<br />
* 以前はオープニングには今日の日付(○月○日○曜日)を、クロージングには「おやすみなさい」という文字を、またフィラー前には「この後はNEWS24」というテロップを表示していたが、2007年4月1日より表示されなくなった。<br />
* 2007年3月31日までフィラー時間中にサイマル放送される日テレNEWS24がスタートする場合は'''「この後はNEWS24」'''(当初は「本日の番組を終了します。この後はNNN24」)のIDタイトルを被せていた。放送休止を行う場合は'''「本日の放送を終了します。おやすみなさい」'''となっていた。また毎月1回行われる[[緊急警報放送]]試験が実施される場合、'''「EWSテスト終了次第NEWS24をお送りします」'''というクレジットを出していた(2007年3月31日まで)。<br />
* 2013年2月から2014年3月までは、開局55周年バージョンとしてオープニングが復活。開局当時の大阪市北区岩井町の旧社屋の映像とともに、開局55周年キャンペーン隊長を務めた中谷しのぶが55周年のロゴマークの説明を行い、最後は「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている(ナレーション担当は三浦隆志)。<br />
* 2014年4月からのオープニングは「パンダのたぷたぷ」の映像の後、「JOIX-DTV 読売テレビです」とナレーションされている。<br />
<br />
=== アナログ放送終了特別バージョン ===<br />
[[2011年]][[7月24日]]正午に地上アナログ放送が終了。その後は[[ブルーバック]]によるお知らせ画面に切り替わり、23時59分ごろ、アナログ放送終了を告知するための特別クロージングが流された。<br />
<br />
ナレーションは[[萩原章嘉]]アナウンサーが担当。映像は開局当時の東天満社屋の空撮→読売テレビ開局パレード→1980年代の東天満社屋→生駒山の鉄塔→2011年現在のOBP現社屋の空撮と続いて、最後に、ホワイトバックに「{{Color|#FFD800|ytv <sup>・</sup><sub>JOIX-TV</sub>}} <span style="background:#FFD800; color:white;"> '''よみうりテレビ'''</span>」のロゴが表記された。ナレーションについては、下記の通りである。<br />
<br />
「'''1958年8月にスタートしたよみうりテレビは、52年と11ヶ月間、アナログ放送をお届けしてきました。2003年からは、地上デジタル放送が登場。本日、長らくお世話になりましたアナログ放送が終了します。明日よりは、デジタル放送が独り立ちしますが、読売テレビは、これからも皆様と共に歩んでまいります。JOIX-TV、よみうりテレビ。'''」<br />
<br />
=== フィラー放送 ===<br />
* 定時番組終了後(一部の日曜深夜 - 月曜未明を除く)は、日テレNEWS24(平日は基本的に[[Oha!4 NEWS LIVE]]部分のみ)がフィラーで放送されている。<br />
* 日テレNEWS24の放送は定時放送終了後からとなる為、番組の途中から放送される。<br />
* 日曜深夜 - 月曜未明とメンテナンス日(平日に不定期)は原則として休止となっている為、新聞発表がないものの放送開始(基点)時間の5時20分直前の数十分間(場合によっては1時間以上放送される場合も有り)程度日テレNEWS24が放送される。なお、[[データ放送]]の[[電子番組ガイド|EPG]]及び読売テレビの公式サイトでは放送開始時間の記載がされている。<br />
* CMについても日テレNEWS24と同じものを放送している。<br />
* 先述した緊急警報放送試験(基本的に毎月1日)を実施する場合、NEWS24の前に約15分間放送休止の時間を設けて、[[カラーバー]]と[[緊急警報放送]]試験を実施する(デジタル放送もアナログ放送と時間をずらしてデジタル専用の緊急警報放送試験を実施)。<br />
* 日テレNEWS24が休止の場合や24時間テレビ放送終了日の深夜等、日テレNEWS24の放送が無い場合に自社制作のフィラー番組 (フィラーというタイトルで番組表に記載、[[ハイビジョン]]制作)を実施する。<br />
内容は以下の通り。<br />
* パターン1 - 春の桜の映像を中心とした近畿地方の四季映像とBGMを放送。<br />
* パターン2 - 近畿地方と全国の詳細な天気予報とBGMを放送([[ABCテレビ|ABC]]のフィラーと同様)。データは1時間毎に更新。<br />
* パターン3 - 本社お天気カメラの映像を無音で放送。緊急警報放送試験の日に、日テレNEWS24の放送が無い場合等に実施。<br />
* なおフィラー放送はクロージング(局名告知)後すぐには放送せず、1分間程黒画面(2008年以前は灰色画面)とカラーバーを挟む。<br />
* 全曜日のフィラー終了時には、「'''番組の途中ですが、ご覧のチャンネルでの『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます'''」とテロップで表示される。2009年5月までの平日([[Oha!4 NEWS LIVE]]エンディング時)には、「'''『NEWS24』の放送はここで終了させていただきます。この後、詳しいニュースは『[[ズームイン!!SUPER]]』をご覧下さい。'''」と表示されていた<ref>2009年6月から11月まではOha!4 NEWS LIVEエンディングでは表示されなかった。同年12月よりOha!4 NEWS LIVEは途中で飛び降りとなる。</ref>。<br />
* 1998年にNNN24(現・日テレNEWS24)が開始される前は放送休止時にはカラーバーやお天気カメラの他、[[ミュージック・ビデオ|ミュージックPV]]やゲームのデモ画面を流していた事もあった(この時はクロージング後すぐに放送していた。またミュージックPVやゲーム画面を流している時は、およそ1分おきに画面右下に当時のキャラクターであるアイニー君のアニメーションを表示していた)。<br />
<br />
== 時刻出し ==<br />
* アナログは「クロスカット」、デジタルは16:9表示で「横回転」となる。<br />
* フィラー中は『[[日テレNEWS24]]』の映像をそのまま使用している。一時期、月 - 木曜深夜=火 - 金曜未明( - 4:30 祝日の深夜は除く)については天気情報とニュースをテロップなどで表記するカスタムバージョンとなっていた時代がある。<br />
; 平日<br />
* フィラー開始 - 10:25(途中5:19.00秒から30秒は消去)<br />
* 16:48-16:48.30(『かんさい情報ネットten!』の第1部 冒頭の約30秒間)<br />
* 17:53 - 18:15(CM中消去 『[[news every.]]』のNNN全国ニュースパート)<br />
:*『ZIP!』の時間帯はカスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
:*[[2013年]][[7月29日]]から、「[[スッキリ!!]]」の時間帯でも標準フォントと併用で天気テロップを挿入<br />
:*[[2006年]][[10月2日]]から『[[NNN Newsリアルタイム]]』『[[ニューススクランブル]]』の時間帯でも表示開始。但し、『Newsリアルタイム』の16:53 - 17:50までは時刻出しを行っていなかった。現在の「-Ten!」になってからは「-リアルタイム」→「-every.」の本編の時間帯のみに縮小される。<br />
<br />
; 土曜<br />
* フイラー開始 - 9:25(途中4:29.15秒から30秒は消去)<br />
:* 『[[ズームイン!!サタデー]]』カスタム表示で時刻に緑色の縁取りを入れ、また天気テロップを表示している。<br />
<br />
; 日曜<br />
* フィラー開始 - 9:55(途中4:34.15秒-30秒と『[[それいけ!アンパンマン]]』の次回予告では消去(「アンパンマン」は番組内のテロップの関係))<br />
:* 2013年7月28日から「[[シューイチ]]」の時間帯で標準フォントのままで天気テロップを挿入<br />
<br />
; 天気テロップ<br />
* 『[[ZIP!]]』『[[ズームイン!!サタデー]]』『[[シューイチ]]』(2013・7・28-)『[[スッキリ!!]]』(2013・7・29-)の時間帯(CM中を除く 時報字幕は前者2番組はカスタム<CM中は標準フォント>、後者3番組はCMを含め全編標準フォントを併用)に近畿2府4県(大阪府、兵庫県南部・北部、京都府南部・北部、滋賀県南部・北部、奈良県南部・北部、和歌山県南部・北部 <ref>兵庫県南部は「兵庫南」、兵庫県北部は「兵庫北」、京都府南部は「京都南」、京都府北部は「京都北」、滋賀県南部は「滋賀南」、滋賀県北部は「滋賀北」、奈良県南部は「奈良南」、奈良県北部は「奈良北」、和歌山県南部は「和歌山南」、和歌山県北部は「和歌山北」と省略して表示。</ref>)と札幌、東京、名古屋、福岡を表示している。[[警報]]発令時は福岡と大阪の間にすべり込ませて表示。カスタム開始当初は天気表示は平日のみだったが、現在は土曜も表示している。<br />
*: 近畿のみならず基幹都市の天気を表示するのは、その地域への出張や旅行に出かける視聴者に配慮するためで、[[ABCテレビ]]、[[関西テレビ放送]]<ref>2011年元日より</ref>でも同様にこの表示をしている。<br />
<br />
== 新聞などのテレビ欄 ==<br />
* [[新聞]]の[[番組表|テレビ欄]]は、株主である[[読売新聞]]とその系列の[[スポーツ報知]]は'''『よみうりテレビ』'''と表記しているが、その他の新聞や[[テレビ情報誌]]は'''『読売テレビ』'''(又は単に『読売』)と表記している(新聞に限らずテレビカメラなど一部の放送機材や一部の送信所にも旧ロゴで'''『読売テレビ』'''と表記しているものがある)。これは略称が'''「ytv」'''或いは'''「読売テレビ」'''に変更された現在でも続いており、まだ「ytv」の愛称が定着しているとは言い難い。<br />
* スポーツ報知(大阪本社版)のテレビ欄には、本局の番組欄の左端に長年に渡って縦長サイズ(テレビ番組表のサイズ)で'''「今夜の見もの」'''として連日一つの番組を紹介する広告を掲載している。また2007年[[4月]]から[[産経新聞]]の[[夕刊]](大阪本社版)のテレビ欄に'''「読売テレビの今夜の見もの」'''という広告を連日掲載していたが、2008年4月からは明朝の『[[ズームイン!!SUPER]]』の番組内容紹介(ytvローカルパート)に変わった。現在はライバル局である[[ABCテレビ]]の広告に変更されている。<br />
<br />
== 社旗 ==<br />
当社の社旗は、[[読売新聞社]]のものと同じデザインである。ただし、文字の部分に関しては黒字で「讀賣(改行)テレビ」と表記される(読売新聞社は、赤字で「讀賣」と表記)。また色合いも読売新聞社の社旗は朱色に近い赤色だが、読売テレビの社旗はワイン色に近い赤色になっている。<br />
<br />
== 読売テレビ番組の分野別一覧 ==<br />
''詳細は[[読売テレビ番組の分野別一覧]]を参照。''<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|ニュース・情報]]'''…[[情報ライブ ミヤネ屋]]、[[かんさい情報ネットten!]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]などを'''報道局'''が制作。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#スポーツ|スポーツ番組]]'''…[[プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]や[[全英への道 ミズノオープン|ミズノ男子オープン読売クラシック]]など中継番組全般を'''制作スポーツ局・スポーツ制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#バラエティー|バラエティ番組(全国ネット版)]]'''…[[鳥人間コンテスト選手権大会]]や[[ベストヒット歌謡祭]]などは'''制作スポーツ局・制作部'''が制作。[[ダウンタウンDX]]や[[秘密のケンミンSHOW]]などは'''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ニュース・情報|バラエティ番組(ローカル版)]]'''…'''制作スポーツ局・制作部'''が制作している。主に[[大阪ほんわかテレビ]]や[[たかじんのそこまで言って委員会]]など。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#ドラマ|ドラマ]]''' … '''制作スポーツ局・東京制作部'''が制作している。<br />
* '''[[読売テレビ番組の分野別一覧#アニメ|アニメ]]''' … '''編成局・アニメ事業部'''が制作している。(2009年7月1日に新設。従来は制作スポーツ局・東京制作部が制作<!---2009年7/2 “スワッチのアニメ日記”「アニメ事業部始動!」より-->)主に[[宇宙兄弟#テレビアニメ|宇宙兄弟]]や[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]など。<br />
<br />
== スタジオ ==<br />
現社屋は、本局の開局30周年記念事業の一つとして[[1988年]][[4月]]に完成した。その後段階的に社内の引っ越しやスタジオ稼動を行い同年[[8月1日]]に主調整室(マスター)も移転して、完全に現社屋での放送となった。<br />
=== 大阪本社 ===<br />
* '''第1スタジオ'''(HD/SD、180坪)…[[大阪ほんわかテレビ]]、[[たかじんのそこまで言って委員会]]、[[ウェークアップ!ぷらす]]<br />
* '''第2スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[朝生ワイド す・またん!]]、[[あさパラ!]]<br />
* '''第3スタジオ'''(HD/SD、100坪)…[[情報ライブ ミヤネ屋]]<br />
* '''ニューススタジオ'''(HD対応、75坪)…[[かんさい情報ネットten!]]<br />
: 旧本社は汎用スタジオが2つ(報道用を含めると3つ)だった事から、現本社移転に際してはスタジオを新たに1つ増設すると共に全体のスタジオ面積を拡大し大型化させた。なお、現本社移転時には1スタは旧本社1スタ、2スタは旧本社2スタからそれぞれ機材を移設して対応した。<br />
<!---「ミヤネ屋」と「なるトモ!」のスタジオは、9月29日からチェンジしたそうです。(森若アナのブログで確認)---><br />
<br />
=== 東京都内 ===<br />
* '''多摩スタジオ'''(東京都[[八王子市]]、閉鎖)<br />
: [[1993年]]、本局における「東京での番組制作の拠点」を目指し、[[東京都]][[八王子市]]の[[京王相模原線]][[京王堀之内駅]]前に建設されたスタジオである。在阪局では[[関西テレビ放送|関西テレビ]]が[[東京メディアシティ]]内に設置した[[レモンスタジオ]]に続いて2番目に開設した東京のテレビスタジオだった。<br />
: スタジオは2つあり、オープン時は第1スタジオ及び第1副調整室(サブ)のみに機材を整備し、この機材を第2スタジオと分けて運用されていた。この他にVTR編集室やMA室なども整備され、本局だけではなく東京地区での他局の番組収録にも使ってもらえる様な設備を目指していた事もある。当時は自社制作番組「[[即席!明るい改造計画]]」などの番組収録に使用されていた。[[失楽園 (渡辺淳一)#テレビドラマ|失楽園(ドラマ編)]]も同スタジオで一部収録された。<br />
: しかし、都心部から距離が離れていた事や、タレントやスタッフの移動に時間的制約が掛かる事が一番のネックとなり、それによる稼働率の低さからスタジオ運営の採算が取れず、やむを得ず同所の売却を検討したが買い手がつかなかった。このため、[[2003年]]に建物を解体し更地状態にした上で売却した。現在は同所跡地に[[マンション]]が建設されている。<br />
: このスタジオで制作されていた番組については都内の貸しスタジオに分散され、閉鎖当時にこのスタジオで収録されていた番組は[[渋谷ビデオスタジオ]](2007年9月閉鎖)や[[東京タワースタジオ]](旧・東京タワー芝公園スタジオ、2012年9月閉鎖)、[[東京メディアシティ]]などでの収録に切り替えられた。<br />
: なお、現在の東京での収録番組については下記の様になっている。<br />
* [[秘密のケンミンSHOW]]…東京メディアシティ内のTMC-A1スタジオ([[テクノマックス]]が運営。スタジオ管理は開設時の運営元である[[国際放映]]が担当)<br />
* [[ダウンタウンDX]]…東京メディアシティ内の[[TBSテレビ|TBS]]砧スタジオ([[緑山スタジオ・シティ]]が運営)。<br />
: また、一部番組は日本テレビが運営する[[生田スタジオ]](神奈川県川崎市多摩区)で収録されるケースもある。<br />
* '''読売テレビ東京支社'''(東京都[[港区 (東京都)|港区]])<br />
: 読売テレビ本社 - 東京支社間には常時使用可能な専用中継回線が引いてあり、[[情報ライブ ミヤネ屋]]などで使用されている。<br />
<br />
== 情報カメラ設置ポイント ==<br />
* [[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]城見([[TWIN21|ツイン21]])※HD<br />
* [[新大阪駅]]<br />
* [[関西国際空港]]※HD<br />
* [[兵庫県]][[神戸市]](ポートピアホテル)※HD<br />
* [[明石海峡大橋]](淡路島・淡路サービスエリア)<br />
* [[京都市]][[中京区]]川端四条(カモガワビル)※HD<br />
* [[京都府]][[大山崎町]]([[名神高速道路]]・[[大山崎ジャンクション|大山崎JCT]]付近)<br />
* [[滋賀県]][[大津市]]([[NHK大津放送局]]、[[大津プリンスホテル]])<br />
* [[滋賀県]][[彦根市]]([[名神高速道路]]・[[彦根インターチェンジ|彦根IC]]、彦根トンネル付近)<br />
* [[奈良県]][[奈良市]]<br />
* [[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]<br />
<br />
== アナウンサー ==<br />
※はアナウンス部長経験者。<br />
=== 現在 ===<br />
入社順。<br />
* 1984年 [[道浦俊彦]]<br />
* 1985年 [[萩原章嘉]]<br />
* 1989年 [[植村なおみ]](東京支社製作センター宣伝部副部長兼務)<br />
* 1990年 [[脇浜紀子]]<br />
* 1991年 [[小澤昭博]]、[[三浦隆志]]<br />
* 1993年 [[尾山憲一]]<br />
* 1999年 [[横須賀ゆきの]](報道局神戸支局兼務)<br />
* 2000年 [[森若佐紀子]]<br />
* 2001年 [[清水健 (アナウンサー)|清水健]]2015年は夕方の番組を母親介護の為休んでいた。2月12日のYahoo!で明らかなった<br />
* 2003年 [[小林杏奈]]<br />
* 2005年 [[五十嵐竜馬]]、[[本野大輔]]<br />
* 2006年 [[川田裕美]]、2015年2月までみやねに出演。[[虎谷温子]]<br />
* 2007年 [[吉田奈央 (読売テレビアナウンサー)|吉田奈央]]<br />
* 2008年 [[林マオ]]2015年3月からみやねに出演、[[山本隆弥]]<br />
* 2009年 [[立田恭三]]<br />
* 2011年 [[中谷しのぶ]]<br />
* 2014年 [[増井渚]]<br />
<br />
=== 元・アナウンサー ===<br />
◎:2013年12月の時点で、「アナウンサー」「キャスター」として読売テレビ制作の番組に出演。<br><br />
* [[生田博巳]](読売テレビ開局時に[[日本放送協会|NHK]]から移籍)<br />
* [[寄藤隆也]](読売テレビ開局の第一声を行った)<br />
* [[羽川英樹]]<br />
* [[鎌田龍児]]<br />
* [[竹山祐一]]<br />
* [[小城敏]]<br />
* [[一丁田修一]]<br />
* [[佐藤忠功]]<br />
* [[岩田公雄]](報道局特別解説委員)<br />
* [[山本純也]](営業局)<br />
* [[結城豊弘]](編成局情報番組センター統括プロデューサー)<br />
* [[坂泰知]](報道局チーフプロデューサー)<br />
* [[牧野誠三]]◎(編成局アナウンス部)<br />
* [[村上順子]]<br />
* [[中元綾子]]<br />
* [[山田孝子]]<br />
* [[下山英三]]※<br />
* [[石黒新]]※<br />
* [[辛坊治郎]]◎([[大阪綜合研究所]]代表)<br />
* 村田真哉(編成局宣伝部長)<br />
* 斎藤敬(取締役報道局長兼解説委員長)<br />
* [[森武史]]※◎(情報スポーツ局情報番組センター次長)<br />
* [[大田良平]](報道記者)<br />
* [[野村明大]]◎(報道局プロデューサー)<br />
<br />
== 記者 ==<br />
* 河中可志子<br />
* 嶋田麻里<br />
* 田中麻美<br />
* 波止荘子<br />
<br />
== 解説委員 ==<br />
※現在、本局は在阪局で唯一解説委員を置いている。2人とも本局制作のローカル・全国ネット問わず報道・情報番組に出演・解説している。岩田は日本テレビ制作の報道・情報番組に出演することもある。<br />
* 岩田公雄(元アナウンサー・元報道記者・元解説委員長。特別解説委員)<br />
* [[春川正明]](元報道記者。解説副委員長)<br />
<br />
<br />
<br />
==画家==<br />
*[[中野一水]] - 藤島武二門下の抽象画家<br />
<br />
== 放送技術概要、送信所・中継局等一覧 ==<br />
[[ファイル:NNNID.png|thumb|right|300px|日本テレビ系列のリモコンキーID地図]]<br />
=== リモコンキーID ===<br />
* [[リモコンキーID]]はアナログ親局のチャンネル番号を引き継ぎ10である。<br />
** アナログ親局が10chであった民放7局の中で唯一[[地上波デジタル放送]]でも「'''10'''」を採用した放送局である<ref><br />
* リモコンキーID「'''3'''」:[[琉球放送]]([[TBSテレビ|TBS]]系列)<br />
* リモコンキーID「'''4'''」:[[山形放送]]・[[南海放送]](共に日本テレビ系列)<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[テレビ朝日]](テレビ朝日系列)<br />
* リモコンキーID「'''6'''」:[[山陰放送]]・[[宮崎放送]](共にTBS系列)<br />
</ref>。<br />
** 区域外([[三重県]]、[[徳島県]]、[[香川県]]、[[福井県]]嶺南地方など)で、直接受信やCATVを通じて視聴する場合のチャンネル番号は、区域内と同じ「'''10'''」にセットされる事が大半である。<br />
* キー局の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]のリモコンキーIDは日本テレビのアナログ親局と同じ「'''4'''」で、[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列全29局中21局で使われる。「4」を使わないのは本局以外に8局存在する。<ref><br />
* リモコンキーID「'''1'''」:[[青森放送]]・[[北日本放送]]・[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]・[[四国放送]]<br />
* リモコンキーID「'''5'''」:[[札幌テレビ放送|STV札幌テレビ]]・[[福岡放送|FBS福岡放送]]<br />
* リモコンキーID「'''7'''」:[[福井放送]](日本テレビ系列主体・準テレビ朝日系列クロスネット局)<br />
</ref><br />
<br />
=== 送信所 ===<br />
* JOIX-DTV<br />
* 物理14ch(チャンネル番号101 - 103、 周波数 479.142857MHz)<br />
* [[空中線電力]]3kW・実効輻射電力30kW([[放送#放送区域|放送区域]]内世帯数 約580万世帯)<br />
* 地上デジタル放送の物理チャンネル14chはかつて[[NHK UHFテレビ実験局]](大阪)が使用していた。<br />
* 送信所施設は[[MBSテレビ|毎日放送]](デジタルテレビ)と共同使用(デジタル放送開始以前は局単独の施設だった)。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* 滋賀県<br />
** 大津 14ch<br />
** 彦根 14ch<br />
** 甲賀 14ch<br />
** 大津石山 19ch<br />
** 甲賀大原 32ch<br />
** 信楽 32ch<br />
* 京都府<br />
** 京都(比叡山) 35ch<br />
** 福知山 14ch<br />
** 舞鶴 14ch<br />
** 宮津 14ch<br />
** 峰山 14ch<br />
** 亀岡 14ch<br />
** 中舞鶴 30ch<br />
** 野田川 30ch<br />
** 山科 22ch<br />
* 大阪府<br />
** 柏原 14ch<br />
** 岬深日 14ch<br />
** 中能勢 14ch<br />
** 西能勢 14ch<br />
* 兵庫県<br />
** 神戸 14ch<br />
** 姫路 14ch<br />
** 北淡垂水 14ch<br />
** 三木 14ch<br />
** 神戸兵庫 14ch<br />
** 西宮山口 14ch<br />
** 香住 14ch<br />
** 城崎 14ch<br />
** 龍野 14ch<br />
** 福崎 14ch<br />
** 西脇 14ch<br />
** 猪名川 30ch<br />
** 市島 20ch<br />
** 姫路西 14ch<br />
** 篠山 14ch<br />
** 氷上 14ch<br />
** 和田山 14ch<br />
** 八鹿 20ch<br />
** 日高 20ch<br />
** 山崎 32ch<br />
** 一宮安積 38ch<br />
** 神戸妙法寺 33ch<br />
** 赤穂 14ch<br />
** 相生 14ch<br />
** 川西けやき坂 14ch<br />
** 中町 23ch<br />
** 浜坂 36ch<br />
** 長田 33ch<br />
** 神崎 38ch<br />
** 相生若狭野 14ch<br />
** 佐用 38ch<br />
** 青垣 20ch<br />
** 南淡 14ch<br />
* 奈良県<br />
** 栃原 14ch<br />
** 三郷立野 40ch<br />
* 和歌山県<br />
** 和歌山 14ch<br />
** 紀ノ川 14ch<br />
** 海南 14ch<br />
** 御坊 14ch<br />
** 吉備 14ch<br />
** 有田 14ch<br />
** 橋本 34ch<br />
** 田辺北 14ch<br />
** 田辺 14ch<br />
** 南部川 34ch<br />
** 下津 14ch<br />
** 新宮 14ch<br />
** 串本 14ch<br />
** 由良 35ch<br />
** 印南切目 35ch<br />
<br />
==== データ放送について ====<br />
* 読売テレビの[[データ放送]]は同一地域他局や他の系列局とは違い番組連動データ放送は若干不便である。<br />
** 2011年11月までは、日本テレビを含めた他社制作番組の連動データ放送を利用する場合dボタンを押すだけでは通常のトップ画面となり、その画面から黄ボタンを押すかクリックしないことには連動データ放送にはたどり着けなかった。読売テレビ制作の番組を他の系列局等で放送する場合も同じであった。しかし現在では、dボタンを押すだけで連動データ放送にたどり着けるようになっている。<br />
<br />
=== アナログ放送の概要 ===<br />
2011年7月24日停波時点<br />
* JOIX-TV<br />
* 映像10kW、音声2.5kW<br />
* 生駒山送信所 '''10ch'''<br />
** [[滋賀県|滋賀]]・[[両丹|京都北部]]・[[但馬国|兵庫北部]]・[[播磨国|兵庫西部]]・[[和歌山県|和歌山]]、山間部などを除き多くがこのチャンネルで受信。UHF中継局で受信される場合もチャンネルポジションを「10」に設定されることが多かった。)<br />
** アナログ親局10chを使う局は、日本テレビ系列としは[[山形放送]]、本局、[[南海放送]]の3局であった。<br />
*[[四国|四国地方]]の[[徳島県]]にも届いており、同県内でも[[視聴者]]は多かった。ちなみに同県には同じ日本テレビ系列の[[四国放送]]があるため、同系列のテレビが2局視聴できる(ただし、非マストバイ局である四国放送では放送されない日本テレビ系列全国ネット番組も少なくないが平成初期(1990年代)に比べれば改善された)。また、[[福井県]]([[福井放送]]エリア)の若狭地方、[[三重県]]([[中京テレビ放送|中京テレビ]]エリア)の伊賀地方、[[香川県]]([[西日本放送テレビ|西日本放送]]エリア)の[[香川県]][[東かがわ市]]・[[小豆島町]]、[[高知県]]([[高知放送]]エリア)の[[室戸市]]東部・[[東洋町]]などでも電波が届き、視聴されている(ごく一部[[愛知県]]西部、[[岐阜県]]南部(ともに中京テレビエリア)、[[岡山県]]東部(西日本放送エリア)、[[鳥取県]]沿岸部([[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]エリア)でも受信可能であった)。<br />
*コールサイン「JOIX」は、本局が開局した1958年8月28日から[[1967年]][[10月31日]]まで、[[NHK旭川放送局]][[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2放送]][[留萌ラジオ中継局#中継局概要|留萌中継局]]と重複割り当ての状態だった。<br />
<br />
==== 中継局 ====<br />
* [[大阪府]]<br />
** [[柏原市|柏原]] 60ch<br />
** [[河内長野市|河内長野寺元]] 58ch<br />
** 河内長野天見 60ch<br />
** [[泉南市|泉南金熊寺]] 60ch<br />
** [[岬町 (大阪府)|岬深日]] 60ch<br />
* [[滋賀県]]<br />
** [[大津市|大津]] 42ch<br />
** [[彦根市|彦根]] 62ch<br />
* [[京都府]]<br />
** [[京都市|京都]][[山科区|山科]] 60ch<br />
** [[福知山市|福知山]] 62ch<br />
** [[舞鶴市|舞鶴]] 61ch<br />
** 中舞鶴 41ch <br />
** [[亀岡市|亀岡]] 39ch <br />
** [[宮津市|宮津]] 41ch <br />
** [[京丹後市|峰山]] 42ch<br />
* [[兵庫県]]<br />
** [[神戸市|神戸]] 47ch <ref>指向性が西に向いているため、[[大阪湾]]沿岸部での受信が難しく、大阪10chか神戸灘を受信していた。またアナアナ変更以前は24chだった。</ref><br />
** 神戸灘 60ch<ref>灘区の沿岸部では大阪10ch受信している世帯が多いため。受信している世帯は、灘区北部や北区の一部に限られる。</ref><br />
** [[相生市|相生]] 41ch<br />
** [[宍粟市|山崎]] 41ch<br />
** [[丹波市|氷上]] 41ch<br />
** [[香美町|香住]] 41ch<br />
** [[佐用町|佐用]] 41ch<br />
** [[川西市|猪名川]] 41ch<br />
** [[川西市|川西けやき坂]] 61ch<br />
** [[姫路市|姫路]] 62ch<br />
** 姫路西 41ch<br />
** [[赤穂市|赤穂]] 62ch <br />
** [[西脇市|西脇]] 62ch <br />
** [[豊岡市|城崎]] 62ch <br />
** [[朝来市|和田山]] 62ch <br />
** [[淡路市|北淡垂水]] 61ch<br />
** [[三木市|三木]] 42ch<br />
** [[たつの市|龍野]] 42ch<br />
* [[奈良県]]<br />
** [[下市町|栃原]] 39ch<br />
** [[吉野町|吉野]] 40ch<br />
* [[和歌山県]]<br />
** [[和歌山市|和歌山]] 48ch<br />
** [[和歌山市|紀ノ川]] 61ch<br />
** [[橋本市|橋本]] 31ch<ref>同系列の[[静岡第一テレビ]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[海南市|海南]] 62ch<br />
** [[有田市|有田]] 41ch<br />
** [[御坊市|御坊]] 61ch<br />
** [[由良町|由良]] 62ch<br />
** [[白浜町|田辺]] 62ch<br />
** [[田辺市|田辺北]] 29ch<ref>同系列の[[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]親局と同一周波数</ref><br />
** [[新宮市|新宮]] 42ch<br />
** [[串本町|串本]] 61ch<br />
<br />
=== チャンネル番号について ===<br />
大阪地区のアナログテレビ放送の第10chである。既に開局していた[[大阪テレビ放送]](現・[[ABCテレビ|朝日放送 (ABC)]]。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・[[関西テレビ放送]]。8ch(ただし、本局より3ヵ月後に開局))に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、新日本放送(現・[[毎日放送]])、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送との競願になり事態が硬直した際、新大阪テレビ側は[[兵庫県]][[姫路市|姫路]]地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ振り向けることを提案。これが通って、当時第4chで送信されていたNHK大阪放送局は第2chが割り当てられることになり、大阪地区は民放に2波、空いた第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった[[田中角栄]]が毎日放送と新大阪テレビにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、新大阪テレビが断固拒否した。次いで教育2社が合併して毎日放送と新大阪テレビのいずれかと合併することとなり、押し付けあったあげく新大阪テレビはキー局の[[日本テレビ放送網]]([[東京特別区|東京]])と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選び第10chを割り当てられた<ref>これで腸捻転解消まで東京地区と大阪地区では4chと10chで系列ベースで逆転することになった(NET:10-毎日放送:4, 日本テレビ:4-読売テレビ10)。</ref>。毎日放送は若いチャンネルである第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑んだ。<br /><br />
1988年に開局30周年を記念して読売テレビは「10マーク」<ref>ブラウン管のなかに10をデザインしたもの。東京の日本教育テレビ(NETテレビ、現・[[テレビ朝日]])も類似のマークを制定していた。また、</ref>を導入した。<br />
<br />
また、地上デジタル放送におけるリモコンキーIDを在阪他局同様にアナログ放送のチャンネル番号を引き継ぎ10とし、日本テレビ系列のみならず4大系列で唯一2桁の番号を採用した局でもある。<br />
<br />
== ケーブルテレビ再送信局 ==<br />
以下の[[ケーブルテレビ]]では、[[区域外再放送]]が行われている。この内、'''太字'''で表記した局ではデジタル放送の再送信も行われている。<br />
<br />
デジタル放送は近畿2府4県と三重県の3社、徳島県のひのき以外は再送信されていない。[[徳島県]]内では既に、広域民放3局とテレビ大阪などの県域民放は一部のケーブルテレビ局で地上デジタル放送の再送信が行われているものの、本局は唯一の県域局[[四国放送]]が同じ日本テレビ系列に加盟している事に考慮して、デジアナ変換の再送信のみ行われている。香川県と岡山県での再送信は2011年7月24日に終了した。<br />
<br />
徳島県は'''民放テレビが1局しかないため特例地域'''として位置付けられている事と、非マストバイ局の四国放送ではネットされていない日本テレビ系列全国ネット番組が少なくない<ref>しかし、四国放送の2011年春改編では[[おはようとくしま プラス|自社制作]]や[[スーパーモーニング|他系列同時ネット番組]]の打ち切りにより本来の日本テレビとの同時ネットに切り替わる。番組によっては読売テレビでは遅れネットあるいは未放送となる番組も若干含まれる。</ref>。各CATV会社で協議を行ってきたが不調に終わったため、ytvがデジタル再送信の要望を取り下げることを条件にデジアナ変換での再送信を提案したため、2015年3月まで12社で再送信が実施されている<ref>[http://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/07/2011_131052191524.html 徳島新聞Web 2011年7月13日 カウントダウン地デジ化 県内CATV12社、読売テレビ放送]</ref>。[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]は大臣裁定を申請し受理されたため、2011年7月24日正午から少なくとも裁定が行われるまでは再送信されている<ref>[http://www.cue.tv/pdf/press20110711.pdf 讀賣テレビ放送の区域外再放送に関して『大臣裁定』を申請 経過措置としてデジタル再放送を実施見通し]</ref>。ただし、徳島県で読売テレビのデジタル放送を受信するにはケーブルテレビ加入の有無(ひのきを除く)に関係なく、高利得UHFアンテナ(必要に応じてブースターも)による直接受信をする必要がある。<br />
<br />
* [[三重県]]<br />
** '''[[アドバンスコープ]]'''<br />
** '''[[伊賀上野ケーブルテレビ]]''' (ICT)<br />
** '''[[ZTV]]'''(東紀州〈紀南〉地域のみ)<br />
* [[徳島県]]<br />
** [[阿波市ケーブルネットワーク]]<br />
** [[石井町有線放送農業協同組合]](IHK 石井CATV)<br />
** [[エーアイテレビ]]<br />
** [[上板町有線テレビ]] (KCI)<br />
** [[ケーブルテレビあなん]]<br />
** [[ケーブルネットおえ]]<br />
** [[ケーブルテレビ徳島]](テレビトクシマ)<br />
** [[国府町CATV]] (KBC)<br />
** [[テレビ鳴門]]<br />
** [[徳島県南メディアネットワーク]] (MTC)<br />
** [[徳島中央テレビ]] (JCTV)<br />
** [[東阿波ケーブルテレビ]](e-あわネット)<br />
** '''[[ひのき (ケーブルテレビ)|ひのき]]''' (CUEtv)<br />
<br />
== 関連会社 ==<br />
* 株式会社[[読売テレビエンタープライズ]]<br />
* 株式会社[[ytv Nextry]]([[2011年]][[2月]]、これまでの株式会社[[映像企画]]、株式会社[[よみうりテレビ映像]]、株式会社[[サウンドエフェクト]]の3社を統合して設立された)<br />
* 株式会社[[よみうりテレビサービス]]<br />
* 株式会社[[ワイズビジョン]]<br />
* 株式会社[[エイデック]]<br />
* 株式会社[[よみうり文化センター]]<br />
* 株式会社[[センテンス]]<br />
* 株式会社放送事業社<br />
<br />
== 事件・事故 ==<br />
=== 不祥事・トラブル ===<br />
1998年。失楽園で任天堂に無許可でマリオランドの地下のテーマパクった。2015年のヒロイン崩御の話題でメイキング放送された<br />
* [[2004年]][[2月13日]] - 映画イベント「[[シネマダイスキ|CINEMA DAISUKI]] 映画祭2003」に応募した当選者の[[メールアドレス]]150人分が流出した。メールアドレスの[[電子メール#CCとBCC|CCとBCC]]を誤って入力した事が原因だった。謝罪し、誤送信したメールを削除するようお願いした。<br />
* [[2005年]][[9月22日]] - [[北海道]][[知床 (世界遺産)|知床]]での番組ロケで騒いでいた読売テレビスタッフとお笑い芸人たちに男性観光客が口頭で注意。しかし、この男性観光客は読売テレビスタッフと[[村上ショージ|参加していたお笑い芸人の一人]]に口汚く反論された上に体を押さえつけられて一時[[監禁]]されたとして警察に通報した。駆けつけた警察署員の前でも読売テレビスタッフらの態度は変わらず、男性観光客は後日読売テレビへ抗議。当初は謝罪の意志を示さなかったが、再度警察に相談したところ、ようやく行き過ぎた言動に対して読売テレビと[[村上ショージ|このお笑い芸人]]が男性に謝罪する事態となった<ref>[http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_10/g2005101810.html 吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし - 夕刊フジ(2005年10月18日号)]</ref>。<br />
* [[2007年]][[6月17日]] - この年[[4月22日]]に放送された[[ディベート|討論]][[バラエティ番組]]『[[たかじんのそこまで言って委員会]]』にて、当事者に取材せず、事実の確認をしない内容を放送したとして謝罪した。詳細は[[たかじんのそこまで言って委員会#番組中の公式謝罪]]を参照。<br />
* 2007年[[7月16日]] - この日放送の『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]スペシャル』にて[[視聴者]][[クイズ]]を出題したが、[[インターネット]]による応募だった事と放送終了後30分を締め切りに設定したために応募者のアクセスが集中し、長時間に渡り読売テレビの[[サーバ]]自体が落ちるという羽目になった。これにより次週[[7月23日|23日]]のクイズからは企画を「24時間タイムリミットクイズ」と変更し、クイズの締め切りを放送翌日午後8時までとした。<br />
* 2007年[[12月12日]] - [[奈良県]][[磯城郡]][[田原本町]]の医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件で、同年[[9月28日]]に[[調書]]の写しから[[京都大学]]医学研究科の教授の指紋が検出されたと報道したのは誤りだったとし、教授に謝罪文を提出した。教授は「大学のプロジェクトや生活に支障が出た」として本局に謝罪を求めていた。本局は、[[12月10日]]付で取締役報道局長や記者ら5人を処分したが、詳細は明らかにできないとしている。<br />
* [[2010年]][[12月]] - 同局の報道番組で、[[あいりん地区]]での[[向精神薬]]の売買などの[[貧困ビジネス]]の実態などを紹介する内容の特集が組まれた際、大阪市在住の男性が、この特集に[[匿名]]で取材協力したが、その直後に[[殺人罪|殺人]][[未遂]]事件に遭った。この男性は、同局が音声加工などで身元を秘匿するなどの処置を十分に行っていなかったためだとして、同日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に[[慰謝料]]などを求める訴えを起こした<ref>[http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2011/11/08/20111108dde041040034000c.html 損賠提訴:取材協力で襲撃 被害男性、読売テレビを] 毎日新聞 2011年11月8日</ref>。その後[[2013年]][[6月30日]]付で、同社が男性に慰謝料や解決金など計約6,300万円を支払うことで[[和解]]が成立した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130707k0000m040026000c.html 読売テレビ:匿名の取材協力者と和解 解決金100万円] 毎日新聞 2013年7月7日</ref>。<br />
* 2011年[[7月25日]] - 同局は2007年から、給与を年俸制に変更し、さらに次長職を廃止するという新人事制度に移行した。さらに、次長職にある[[労働組合|組合]]員らに対し、契約に署名するよう執拗に要求し、従わなかった7人を一般職に降格した。[[都道府県労働委員会|大阪府労働委員会]]は、この行為が[[不当労働行為]]に該当するとして、同局に対し2011年7月25日付で再発防止の誓約書を作成するよう命じた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110726/crm11072611520007-n1.htm 給与下がる年俸制、一般職降格…読売TVの不当労働行為を認定] 産経新聞 2011年7月26日</ref>。<br />
*2011年[[9月4日]] - この日放送の「[[たかじんのそこまで言って委員会]]」で、子供からの質問に対し出演者が回答するコーナーにおいて、「[[東北地方|東北]]の[[肉]]や[[野菜]]を食べるとどうなるか」との質問に対し、この日出演していた[[中部大学]][[教授]]の[[武田邦彦]]が、[[岩手県]][[一関市]]の[[放射線]]数値を示した上で、「食べると健康を害する」、「今、東北で農作業はすべきでない」等と回答した。これに対し、一関市の[[勝部修]][[市町村長|市長]]は、「[[農家]]の感情を逆撫でする非常識発言である」などと主張し、武田に対し抗議の[[電子メール]]を送付する事態となった。読売テレビ側は、「武田教授に批判的な意見も取り入れており、全体的に見れば内容に問題はない」と主張している<ref>[http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110907ddm041040164000c.html 東日本大震災:「東北の野菜や肉、健康害する」中部大教授、テレビ番組で発言] 毎日新聞 2011年9月7日</ref>が、この発言の影響で、遅れネットで放送予定だった[[福岡放送]]はこの日の放送を中止した。<br />
<br />
=== 64分にわたる放送中断 ===<br />
* [[1990年]][[5月9日]]午後1時59分から午後3時3分頃まで、近畿圏(読売テレビの放送エリア)に於いて本局の放送が64分間も中断する[[放送事故]]があった。原因は[[奈良県]][[生駒山]]にある送信所のトラブルと見られ、送信所に技術スタッフが急行するまでの間画面は[[スノーノイズ|砂嵐]](ザラザラ画面)だった。そのため近畿圏のみ午後2時からの『[[2時のワイドショー]]』が見られず、午後3時からの日本テレビからのネット受けの『[[キャッチ (ワイドショー番組)|キャッチ]]』も冒頭の3分程削られる状態となった。これだけの放送中断は史上初であり、本局に約1,500件もの苦情が寄せられた。<br />
====昼何で放送事故====<br />
2015年9月14日のエンディングではなわが有吉宣伝したところでいきなり。マークと阿蘇山としばらくお待ちください表示された。謝罪した。ヤフー乗っていた<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[わくわく宝島]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.ytv.co.jp/ ytv] - 讀賣テレビ放送公式サイト<br />
<br />
{{NNN・NNS}}<br />
{{キー局}}<br />
{{Tv-kansai}}<br />
{{読売新聞グループ本社}}<br />
{{OBP高層ビル群}}<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:よみうりてれひほうそう}}<br />
[[Category:読売テレビ|*]]<br />
[[Category:日本民間放送連盟会員|27よみうりてれひほうそう]]<br />
[[Category:第30回BCS賞]]<br />
[[Category:大阪市中央区の企業]]<br />
[[Category:日本のテレビ局]]<br />
[[Category:大阪府のマスメディア]]<br />
[[Category:アニメに関係する企業]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Yomiuri_Telecasting_Corporation_Logo.svg&diff=401203
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2022-08-27T06:33:37Z
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<hr />
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2022-08-27T06:33:01Z
<p>PG: {{Commons/GFDL}}</p>
<hr />
<div>{{Commons/GFDL}}</div>
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http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Nippon_News_Network&diff=401201
Nippon News Network
2022-08-27T06:27:31Z
<p>PG: /* 過去の加盟局 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>'''Nippon News Network'''('''ニッポン ニュース ネットワーク'''、略称:'''NNN''')は、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]](NTV)を[[キー局]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]](ytv)を[[準キー局]]とする、日本の[[民間放送]][[テレビ]]の[[ニュース系列|ニュースネットワーク]]である。<br />
<br />
[[TBSテレビ]]を[[キー局]]とするニュースネットワーク『[[Japan News Network|JNN]]』に続いて日本で2番目に古いニュースネットワークである。なお、ニュースとは別関係の番組供給ネットワーク「NNS」については、[[日本テレビネットワーク協議会]]を参照のこと。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
[[日本テレビ放送網|日本テレビ(NTV)]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ(ytv)]]などを中心として[[1966年]][[4月1日]]に結成。結成時の加盟局は19局。<br />
<br />
NTVの初期のネット局である[[大阪テレビ放送]](OTV、現在の[[朝日放送]])や[[中部日本放送]]などは[[TBSテレビ|ラジオ東京(現在のTBS)]]のニュースをネットしていたため、ytvの開局までNTVのニュースにネットワークニュースは無かった。ytv等系列局が順次開局したことに伴い、NTVもこれまで自局向けに制作されていた「[[NTVニュース]]」をそのままネット局に流す事を改め、ネット局向けの全国ニュースを制作することとなり、「あさ7時のニュース」、「[[日本テレニュース]]」、「ニュースフラッシュ」、「[[NNNきょうの出来事|今日の出来事]]」がネットワークニュースとして制作された。これらの番組は原則としてNTVが制作に当たったが、各局は取材協力を行うなど現在のNNNに近い体制であった。しかしながら、スポンサーはNTVが付け(のち各社独自の販売に変わる)、制作費もNTVが丸抱えをするなどこれらはあくまでもNTVの番組であった。<br />
<br />
NNN発足当初は、[[福岡県]]等の九州全域に系列局が無く、NNN発足当初に九州地方にNNN系列局が存在しなかったことが今のところ[[沖縄県]]に[[南西放送|日本テレビ系列局]]が存在しない理由にもなっており、また中京地区も長らく不安定なネット状態([[東海テレビ放送|東海テレビ]]→[[名古屋テレビ放送|メ~テレ]]→[[中京テレビ放送|中京テレビ]])であった事など、[[Japan News Network|JNN]]や[[フジニュースネットワーク|FNN]]に比べ体制作りに時間を要した。<br />
<br />
1994年に[[鹿児島讀賣テレビ]]が加盟し現体制が完成。{{CURRENTYEAR}}年現在、フルネット局27局と[[クロスネット局]]2局([[福井放送]]、[[テレビ大分]])、[[トリプルネット|トリプルネット局]]1局([[テレビ宮崎]])の計30局で形成されていて日本最大である(JNNはフル28局、FNNはフル26局とクロス1局、トリプル1局、[[All-nippon News Network|ANN]]はフル24局とクロス1局、トリプル1局、[[TXN]]はフルネットが大都市圏中心の6局のみである)。<br />
<br />
なお、「NNN」のロゴは日テレ本社の汐留(港区東新橋)移転に伴い、シンボル的に別バージョンが報道局内など一部に掲示されているが、正式なロゴの変更は行われておらず、番組などでもこれまで通りのロゴが使用されている。しかし「NNNストレイトニュース」、週末の「NNNニュース」では、NNNのロゴの表記は使用されていない。<br />
<br />
地方発のニュースの場合は毎回ニュースVTR終わり時、画面右上に日本地図とともにNNNのロゴと配信元の放送局名が表記されている<ref>この表記方法は1980年代後半頃から開始。初代の表記は簡素化された日本地図で、取材局の地域の所に赤い点を付けていた。2代目の表記は1990年代後半頃からで、日本地図は正確なものであったが、日本全体の地図ではなく、取材局所在地の道府県のみを表記していた。3代目は日テレ汐留移転の2004年2月29日からで、再び簡素化された日本地図に戻ったが、NNNのロゴが日本地図に重なっているため、初代のような表記とは異なっている。</ref>。2局以上にまたがる場合は連名表記され、地震や大事件・事故発生の場合は近隣地域局と日本テレビも含むので「NNN 取材団」と表記される。毎回表記されるのはNNNくらいである。当初は単に「(系列局名)取材」と表記していた。<br />
<br />
== 特徴 ==<br />
*ハイビジョンでの中継や取材に力を入れている。全国ニュース向けの素材回線は、系列局全体の3分の2以上が既にハイビジョン回線への更新を完了している。なお、NNNでの報道方針として2008年8月頃まで系列局の送出回線全てを出来る限りハイビジョン化する目標だったが、回線設備の更新には多額な経費を要するため、未だ標準画質での送出を行っている局もある[http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0706/25/news012.html]。またハイビジョンで送出している系列局でも各支社・支局が取材するニュース映像が標準画質になっている場合も多い。衛星中継車([[SNG (放送)|SNG]])によるハイビジョン中継は、コスト削減の目的で同じ仕様の中継車を系列局全体で共同購入したため、ほとんどの系列局で対応している。全国ニュースで地上回線がハイビジョンに対応していない局でも「中継車→衛星→キー局(NTV・ytvなど)」のルートでハイビジョン中継が可能である(その場合のテロップはキー局側で挿入。特に「[[ズームイン!!SUPER]]」でこのような中継方式をとることが多い)。<br />
*夕方のニュース番組は[[関東地方|関東]]や[[関西地方|関西]]などでは視聴率苦戦を強いられていたが、最近では関東など[[東日本]]地域や(その地域に)最初開局した局(第1局)の地域においては、視聴率は回復している。また、NNN地方局では、ローカル夕方ワイド番組の視聴率が好調な局が多いので全国の夕方ニュースも高視聴率をマークする場合が多い(北海道・宮城・広島・愛媛・山口・福岡・熊本など)。しかし、17時台からの「[[NNN Newsリアルタイム]]」を、一部のみネット(ローカルワイドに内包)、または17時台全てネットして、18:16からローカルニュースをする系列局もある。なお、前番組の「[[NNNニュースプラス1]]」に比べると、17時台ネットは増加している。[[2006年]][[4月]]に[[福岡放送]]が、同年[[7月]]にytvが、同年[[9月]]に[[中京テレビ放送|中京テレビ]]が、同年[[10月]]には[[高知放送]]と[[秋田放送]]が、[[2007年]]には[[福井放送]]が、それぞれ17時台の一部ネット、または完全ネットを開始した。<br />
*近年、報道に対する意識が低下しているという視聴者の声も聞かれるようになった(NNN/NNSに加盟していない他局、他系列も同様)。以前は番組内容(独自ネタ・スクープや、横並びの項目を他局より深く掘り下げる姿勢など)が高い評価を集めたが、夕方や夜の基幹ニュースにおいて、他局のワイドニュースでの制作・構成手法を取り入れて「芸能」「スポーツ」「生活情報」など、報道本来のカテゴリーから逸脱するような内容が幅を効かせるようになったことが、その理由と言われている。明らかに視聴率を意識しているようなスタンスへの移行を鮮明にしていることについては、各方面から批判の的となっている。また、他局を結果的に模倣するスタイルとなっているが、視聴率の獲得=結果を出すに至っていないことも、批判を増す原因の一つと考えられてもいるという。<br />
**このため、NTV開局55周年となった[[2008年]]、「[[ACTION 日本を動かすプロジェクト]]」を立ち上げ、報道分野の再強化を図っている。<br />
*[[テレビ神奈川|tvk]]や[[千葉テレビ放送|チバテレ]]など、一部の[[全国独立UHF放送協議会|独立U局]]に対して、ニュース素材の供給を行っている(これはかつて、関東地方の一部の独立U局が[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]にオブザーバー加盟していた名残である)。<br />
<br />
== 加盟局 ==<br />
=== 現在の加盟局 ===<br />
この表は、北海道-東北-関東-甲信越-静岡-東海-北陸-近畿-中四国-九州沖縄 の順で記載している。<br />
*● - [[中波]][[ラジオ放送局|ラジオ局]]兼営局(○○放送と言う名の局は福岡放送を除きラテ兼営)<br />
*○ - 関連会社・子会社にラジオ局を持つ局<ref>関連会社として日本テレビには[[アール・エフ・ラジオ日本|RFラジオ日本]]、テレビ岩手には[[エフエム岩手]](TVI社屋内に本社・演奏所を設けている)がある。札幌テレビは[[2005年]][[10月1日]]からラジオ部門が子会社の[[STVラジオ]]へ移行</ref>。<br />
*■ - 地域ニュース動画配信実施局<br />
*◆ - [[第三セクター]]局<br />
*□ - 全国ニュースのハイビジョン回線配信実施局({{CURRENTYEAR}}年5月現在)<br />
*なお、[[ウォーターマーク|ロゴ表示]]は{{CURRENTYEAR}}年4月現在、系列全局が実施している。<br />
<br />
<br />
{| class="wikitable" width=100%<br />
|-<br />
!width="10%"|[[放送|エリア]]!!width="6%"|略称/[[リモコンキーID|ID]]!!width="20%"|社名!!width="12%"|開局日!!備考!!記号<br />
|-<br />
![[北海道]]<br />
|'''STV 5'''||[[札幌テレビ放送]]||style="font-size:90%;"|[[1959年]][[4月1日]]||style="font-size:85%;"|[[基幹局]]。NNSには[[1972年]]4月1日加盟。<ref>[[1969年]]4月1日~1972年[[3月31日]]の間は[[フジネットワーク|FNS]]に加盟していた(このため、STVはNNSには加盟しなかった)。なお、実際は1959年4月1日の開局時からフジの制作番組をネットしていた。また、STVは開局から一貫して[[フジニュースネットワーク|FNN]]には非加盟を継続している。</ref>ロゴ表示は[[2008年]][[6月1日]]開始||○■□<br />
|-<br />
![[青森県]]<br />
|'''RAB 1'''||[[青森放送]]||style="font-size:90%;"|1959年[[10月1日]]||style="font-size:85%;"|[[1975年]]3月31日~[[1991年]][[9月30日]]の間は[[All-nippon News Network|ANN]]との[[クロスネット局|クロスネット]]だった。ロゴ表示は[[2009年]][[4月3日]]開始(ワンセグでは非表示)。||●■□<br />
|-<br />
![[岩手県]]<br />
|'''TVI 4'''||[[テレビ岩手]]||style="font-size:90%;"|[[1969年]][[12月1日]]||style="font-size:85%;"|1969年12月1日開局~[[1980年]][[3月31日]]の間はANNとのクロスネットだった。||○■<br />
|-<br />
![[宮城県]]<br />
|'''MMT 4'''||[[宮城テレビ放送]]||style="font-size:90%;"|[[1970年]]10月1日||style="font-size:85%;"|基幹局。1970年10月1日開局~[[1975年]]9月30日の間はANNとのクロスネットだった。||■□<br />
|-<br />
![[秋田県]]<br />
|'''ABS 4'''||[[秋田放送]]||style="font-size:90%;"|[[1960年]][[4月1日]]||style="font-size:85%;"|1960年4月1日開局~[[1992年]]9月30日の間は番販で[[Japan News Network|JNN]]にも参加。||●■◆□<br />
|-<br />
![[山形県]]<br />
|'''YBC 4'''||[[山形放送]]||style="font-size:90%;"|1960年[[3月16日]]||style="font-size:85%;"|[[1980年]]4月1日~[[1993年]]3月31日の間はANNとのクロスネットだった。||●■◆□<br />
|-<br />
![[福島県]]<br />
|'''FCT 4'''||[[福島中央テレビ]]||style="font-size:90%;"|[[1970年]]4月1日||style="font-size:85%;"|本社は[[郡山市]]。[[1971年]]10月1日加盟。<br/>1970年4月1日開局~1971年9月30日の間はFNN/ANNとのクロスネット。<br />1971年10月1日~[[1981年]]9月30日の間はANNとのクロスネットだった。||■□<br />
|-<br />
![[関東広域圏]]<br />
|'''NTV 4'''||[[日本テレビ放送網]]||style="font-size:90%;"|[[1953年]][[8月28日]]||style="font-size:85%;"|[[キー局]]及び基幹局。日本初の民放テレビ局。<br/>ロゴ表示は2008年[[5月19日]]開始(ワンセグでは非表示)。||○■□<br />
|-<br />
![[山梨県]]<br />
|'''YBS 4'''||[[山梨放送]]||style="font-size:90%;"|1959年[[12月20日]]||||●□<br />
|-<br />
![[長野県]]<br />
|'''TSB 4'''||[[テレビ信州]]||style="font-size:90%;"|1980年10月1日||style="font-size:85%;"|1980年10月1日開局~[[1991年]][[3月31日]]の間はANNとのクロスネット。<br/>1980年9月30日までは[[日本テレビ長野支局]]が取材。<br/>1980年10月1日開局~2007年9月30日の間は[[松本市]]に本社があった。||■<br />
|-<br />
![[新潟県]]<br />
|'''TeNY 4'''||[[テレビ新潟放送網]]||style="font-size:90%;"|1981年4月1日||||■□<br />
|-<br />
![[静岡県]]<br />
|'''SDT 4'''||[[静岡第一テレビ]]||style="font-size:90%;"|[[1979年]][[7月1日]]||style="font-size:85%;"|[[1978年]][[6月30日]]までは[[日本テレビ報道局静岡駐在部]]が取材。||■□<br />
|-<br />
![[中京広域圏]]<br />
|'''CTV 4'''||[[中京テレビ放送]]||style="font-size:90%;"|[[1969年]]4月1日||style="font-size:85%;"|基幹局。[[1973年]]4月1日加盟。||■□<br />
|-<br />
![[富山県]]<br />
|'''KNB 1'''||[[北日本放送]]||style="font-size:90%;"|1959年4月1日||||●■◆□<br />
|-<br />
![[石川県]]<br />
|'''KTK 4'''||[[テレビ金沢]]||style="font-size:90%;"|[[1990年]]4月1日||style="font-size:85%;"|1990年3月31日まで北日本放送(金沢・能登地区)と福井放送(小松・加賀地区)が取材を担当||<br />
|-<br />
![[福井県]]<br />
|'''FBC 7'''||[[福井放送]]||style="font-size:90%;"|1960年[[6月1日]]||style="font-size:85%;"|[[1989年]]4月1日からANNとの[[クロスネット局]]||●■<br />
|-<br />
![[近畿広域圏]]<br />
|'''ytv 10'''||[[讀賣テレビ放送]]||style="font-size:90%;"|[[1958年]]8月28日||style="font-size:85%;"|[[準キー局]]及び基幹局||■□<br />
|-<br />
![[鳥取県]]<br />
|rowspan=2|'''NKT 1'''||rowspan=2|[[日本海テレビジョン放送]]||rowspan=2 style="font-size:90%;"|[[1959年]][[3月3日]]||style="font-size:85%;"|1959年3月3日開局~1959年12月14日の間はJNNに加盟。<br />1959年12月15日~[[1972年]]9月21日<ref>山陰地区の放送局相互乗り入れ開始直前日。1972年9月22日より山陰地区の放送局相互乗り入れ開始。</ref>の間は[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]/ANNトリプルクロス。1972年9月22日<ref>山陰地区の放送局相互乗り入れ開始日。</ref>~1989年9月30日の間はANNとのクロスネットだった。本社は[[鳥取県]][[鳥取市]]。<br />
|rowspan=2|■□<br />
|-<br />
![[島根県]]<br />
|style="font-size:85%;"|山陰地区の放送局相互乗り入れ開始から対象<br />
|-<br />
![[広島県]]<br />
|'''HTV 4'''||[[広島テレビ放送]]||style="font-size:90%;"|[[1962年]][[9月1日]]||style="font-size:85%;"|基幹局。1966年4月1日発足~1975年9月30日の間はFNN/FNSとのクロスネットだった。||■□<br />
|-<br />
![[山口県]]<br />
|'''KRY 4'''||[[山口放送]]||style="font-size:90%;"|1959年10月1日||style="font-size:85%;"|1969年4月1日に福岡放送が開局するまでは九州全体の取材を担当。<ref>テレビ長崎、テレビ熊本、鹿児島テレビも同じく1969年4月1日の開局で、FBSを含むこれら4局が開局するまでは、山口放送が九州地方全体が取材対象地域だった。</ref><br/>[[1978年]]10月1日~[[1993年]]9月30日の間はANNとのクロスネットだった。本社は[[周南市]]。<br />
||●■◆□<br />
|-<br />
![[徳島県]]<br />
|'''JRT 1'''||[[四国放送]]||style="font-size:90%;"|1959年4月1日||style="font-size:85%;"|ANN非加盟にも係わらず、平日15:55から[[ANNニュース]]をネットする。||●■◆□<br />
|-<br />
![[香川県]]<br />
|rowspan=2|'''RNC 4'''||rowspan=2|[[西日本放送]]||rowspan=2 style="font-size:90%;"|1958年7月1日||||rowspan=2|●■□<br />
|-<br />
![[岡山県]]<br />
|style="font-size:85%;"|[[1983年]]4月1日から対象<br />
|-<br />
![[愛媛県]]<br />
|'''RNB 4'''||[[南海放送]]||style="font-size:90%;"|1958年12月1日||style="font-size:85%;"|1992年10月1日に[[あいテレビ|伊予テレビ]]が開局するまで、番販でJNNにも参加(1958年12月1日開局~1992年9月30日の間)。<br/>[[1995年]]4月1日に[[愛媛朝日テレビ]]が開局するまでは一部のANNニュースをネット受けしていた(1970年[[1月1日]]ANN発足~1995年3月31日の間)。||●■□<br />
|-<br />
![[高知県]]<br />
|'''RKC 4'''||[[高知放送]]||style="font-size:90%;"|1959年4月1日||style="font-size:85%;"|1970年4月1日に[[テレビ高知]]が開局するまでは番販でJNNにも参加(1959年4月1日開局~1970年3月31日の間)。||●□<br />
|-<br />
![[福岡県]]<br />
|'''FBS 5'''||[[福岡放送]]||style="font-size:90%;"|1969年4月1日||style="font-size:85%;"|基幹局。正式の放送対象区域は福岡県のみ。||■◆□<br />
|-<br />
![[佐賀県]]<br />
|colspan=3 style="font-size:85%;"|なし||style="font-size:85%;"|福岡放送が取材を担当||<br />
|-<br />
![[長崎県]]<br />
|'''NIB 4'''||[[長崎国際テレビ]]||style="font-size:90%;"|[[1991年]]4月1日||||□<br />
|-<br />
![[熊本県]]<br />
|'''KKT 4'''||[[熊本県民テレビ]]||style="font-size:90%;"|[[1982年]]4月1日||||■□<br />
|-<br />
![[大分県]]<br />
|'''TOS 4'''||[[テレビ大分]]||style="font-size:90%;"|1970年4月1日||style="font-size:85%;"|FNN・FNSクロスネット局。<br />1970年4月1日開局~[[1993年]]9月30日の間はFNN/FNS/ANNトリプルクロスであった。||■<br />
|-<br />
![[宮崎県]]<br />
|'''UMK 3'''||[[テレビ宮崎]]||style="font-size:90%;"|1970年4月1日||style="font-size:85%;"|FNN/FNS/ANNトリプルクロスネット局。正式加盟は[[1979年]]4月1日。NNSには非加盟。||■<br />
|-<br />
![[鹿児島県]]<br />
|'''KYT 4'''||[[鹿児島讀賣テレビ]]||style="font-size:90%;"|[[1994年]]4月1日||||□<br />
|-<br />
![[沖縄県]]<br />
|colspan=3 style="font-size:85%;"|なし||style="font-size:85%;"|[[日本テレビ那覇支局]]が取材。||□(那覇支局)<br />
|}<br />
<br />
=== 過去の加盟局 ===<br />
{|class="wikitable" border="1" width="100%"<br />
|-<br />
!width="8%"|[[放送|エリア]]!!width="7%"|略称 / [[リモコンキーID|ID]]!!width="14%"|社名!!width="22%"|加盟期間!!脱退理由・備考<br />
|-<br />
|宮城県||OX 8||[[仙台放送]]||style="font-size:85%;"|1966年4月1日発足~[[1970年]][[9月30日]]||style="font-size:85%;"|宮城テレビ開局のため脱退。<br />
|-<br />
|福島県||FTV 8||[[福島テレビ]]||style="font-size:85%;"|1966年4月1日発足~[[1971年]][[5月31日]]<ref name=A>10月に行われるネットチェンジに先駆け5月末に脱退。</ref>||style="font-size:85%;"|新聞資本の意向による福島中央テレビとのネット整理のため。<ref name=A>10月に行われるネットチェンジに先駆け5月末に脱退。</ref>本社は[[福島市]]。<br />
|-<br />
|新潟県||NST 8||[[新潟総合テレビ]]||style="font-size:85%;"|[[1968年]][[12月16日]]開局~[[1981年]][[3月31日]]||style="font-size:85%;"|テレビ新潟開局のため脱退。<br />
|-<br />
|静岡県||SATV 5||style="font-size:85%;"|静岡県民放送<br />(現[[静岡朝日テレビ]])||style="font-size:85%;"|[[1978年]][[7月1日]]開局~[[1979年]]6月30日||style="font-size:85%;"|静岡第一テレビ開局のため脱退。<br />
|-<br />
|中京広域圏||NBN 6||style="font-size:85%;"|名古屋放送<br />(現[[名古屋テレビ放送]])||style="font-size:85%;"|1966年4月1日発足~[[1973年]]3月31日||style="font-size:85%;"|系列整理により中京テレビに一本化した。<br />
|-|近畿広域圏||ABC 6||style="font-size:85%;"|朝日放送<br />||style="font-size:85%;"|[[1956年]][[12月1日]]開局~[[1958年]]8月28日||style="font-size:85%;"|読売テレビ開局のため脱退。<br />
|-<br />
|長崎県||KTN 8||[[テレビ長崎]]||style="font-size:85%;"|[[1969年]]4月1日開局~[[1990年]]9月30日||style="font-size:85%;"|長崎国際テレビ開局のため脱退。<ref>長崎国際テレビ開局と同時にテレビ長崎はNNNを脱退する予定だったが、長崎国際テレビの開局が遅れ、半年の空白期間が生じた(1990年[[10月1日]]~[[1991年]]3月31日)。なお、空白期間中のニュース取材は、福岡放送が新たに[[福岡放送長崎支局|長崎支局]]を設置して担当した。</ref><br />
|-<br />
|熊本県||TKU 8||[[テレビ熊本]]||style="font-size:85%;"|1969年4月1日開局~[[1982年]]3月31日||style="font-size:85%;"|熊本県民テレビ開局のため脱退。<br />
|-<br />
|鹿児島県||KTS 8||[[鹿児島テレビ放送]]||style="font-size:85%;"|1969年4月1日開局~[[1994年]]3月31日||style="font-size:85%;"|鹿児島讀賣テレビ開局のため脱退。<br />
|}<br />
<br />
==海外支局==<br />
地名は順不同。運営している加盟局を地名の後に示す。<br />
<br />
*NNNニューヨーク支局(日本テレビ)<br />
*NNNワシントン支局(日本テレビ)<br />
*NNNロサンゼルス支局(読売テレビ)<br />
*NNNロンドン支局(日本テレビ)<br />
*NNNパリ支局(読売テレビ)<br />
*NNNモスクワ支局(日本テレビ・札幌テレビ)<br />
*NNNカイロ支局(日本テレビ)<br />
*NNN北京支局(日本テレビ)<br />
*NNN上海支局(読売テレビ)<br />
*NNNソウル支局(日本テレビ)<br />
**韓国[[SBS (韓国)|SBS]]本社内に設置。福岡放送も記者を派遣<br />
*NNNバンコク支局(福岡放送)<br />
<br />
== ネットニュース ==<br />
=== 随時 ===<br />
*[[NNNニュース]]<br />
**オリンピック中継やワールドカップ中継の時、『[[NEWS ZERO]]』と『[[スポーツうるぐす]]』が休止の為、その代わりに『'''[[NNNニュース&スポーツ]]'''』を放送(ニュースはノンスポンサーで、スポーツニュースはスポンサードネット)。<br />
<br />
=== 朝 ===<br />
{{Main|日本テレビ系列朝ニュース枠}}<br />
<br />
=== 昼 ===<br />
{{Main|日本テレビ系列昼ニュース枠}}<br />
<br />
=== 夕方 ===<br />
{{Main|日本テレビ系列夕方ニュース枠}}<br />
<br />
=== 20:54 - 21:00===<br />
*[[NNNニューススポット]](1963年10月 - 2008年9月29日)<!--天気予報はNNN番組ではない--><br />
<br />
=== 最終版 ===<br />
{{Main|日本テレビ系列深夜ニュース枠}}<br />
<br />
==報道特別番組==<br />
{{Main|NNN報道特別番組}}<br />
選挙・台風・地震や、他に、大きな事件・事故の際に特別番組を編成、放送する。<br />
<br />
===国政選挙===<br />
開票状況を伝える特別番組を放送。[[出口調査]]などを駆使して早く、分かりやすく伝える。なお選挙テレビ特番で多くのテレビ局が実施している議席数や当確情報を表示する通称「[[L字型画面|L字画面]]」はNNNが国政選挙速報をプロ野球中継と両立させるために実施したのが始まりである。<br />
*[[NNN ELECTION]]<br />
*[[ゲキセン!|NNN選挙開票特別番組 ゲキセン!]]<br />
*[[ZERO×選挙]]<br />
<br />
===地震・津波===<br />
震度3以上を観測した揺れについては[[ニュース|ニュース速報]]の形式で伝え、場合によっては市町村別震度も伝える。なお、'''NNNニュース速報'''は地上波のほか[[BS日本|BS日テレ]]、[[日テレNEWS24]]でも表示される。<br />規模が大きな地震については、長時間にわたって伝える。地震に伴う津波に関しても同様の措置をとる。<br />尚、[[2007年]][[1月13日]]13時24分(日本時間)に北西太平洋で発生したM8.3の地震では12分後の13時36分に[[津波警報]]・[[津波注意報|注意報]]が発令されたが、NNN系列(BS・CS含む)では警報・注意報が出される地域を表示する“日本地図”が、警報・注意報発令から約18分後の13時54分になって表示されていた(NHKとNNN以外の他系列は、すぐに表示していた)。なお、日テレNEWS24に至っては、13時53分になって“速報”という形で津波情報を放送した。<br />
<br />
===台風===<br />
台風時は、各局で編成されるため、すべての加盟局に向けた特別番組の放送は滅多にしない。又、通常の[[ニュース]]・[[情報番組]]のなかで、番組の多くを台風情報に充てている。<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ニュースの女王決定戦]](NNN各局のNGハプニング特番。毎年春に放送。)<br />
*[[ACTION 日本を動かすプロジェクト]]<br />
*[[日テレNEWS24]](CSテレビチャンネル)<br />
*[[日本テレビネットワーク協議会]](NNS、番組供給ネットワーク。)<ref>NNN加盟局のうち、[[テレビ宮崎|UMK]]を除く29局が加盟。[[琉球放送|RBC]]、[[沖縄テレビ放送|OTV]]はNNN・NNSには非加盟。</ref><br />
*[[BS日本]](BS日テレ)<br />
*番組ネット放送局<br />
**[[大分放送]](OBS)-[[TBSテレビ|TBS]]系列([[Japan News Network|JNN]]。TOSで放送しきれない番組をネット)<br />
**[[宮崎放送]](MRT)-TBS系列(JNN。UMKで放送しきれない番組をネット。一部同時ネット番組あり)<br />
**[[沖縄テレビ放送]](OTV) - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列([[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]]。一部番組を同時ネットまたはスポンサードで時差ネットしている)<br />
**[[琉球放送]](RBC) - TBS系列(JNN。FNN・FNS系列のOTVが放送しきれない番組をネット)<br />
*[[ラジオ局ローカルニュースタイトル一覧]]<br />
*[[ローカルニュース動画配信実施局一覧]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<div class="references-small"><references/></div><br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.ntv.co.jp/ 日本テレビ]<br />
*[http://www.news24.jp/ 日テレNEWS24]<br />
*[http://www.ntv.co.jp/info/outline/domestic.html 日テレIR情報 国内ネットワーク] 加盟社一覧<br />
<br />
==補足==<br />
*なお、[http://www.nnn.co.jp www.nnn.co.jp]のURLは[[日本海新聞|新日本海新聞社]]([[鳥取県]])のドメインとして取得されている。<br />
<br />
{{Wikipedia/Ja}}<br />
{{DEFAULTSORT:につほんにゆうしぬつとわあく}}<br />
[[Category:日本テレビ|*]]<br />
[[Category:日本テレビ系列|*]]<br />
[[Category:日本の民放ネットワーク]]<br />
[[Category:報道]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%9F%E3%82%B5&diff=401199
新しいミサ
2022-08-27T05:43:02Z
<p>PG: /* 文献 */</p>
<hr />
<div>'''新しいミサ'''(あたらしいみさ、{{Lang-en|New Mass}}、{{Lang-it|la Nuova Messa}}、{{Lang-fr|la Nouvelle Messe}})とは、[[カトリック教会]]において[[第2バチカン公会議]]([[1962年]]-[[1965年]])後の[[1969年]]に発布された、新しい典礼様式による[[ミサ]]である。[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]が発布したので「'''パウロ6世のミサ'''(英・Mass of Paul VI)」とも言う。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は、1969年4月3日付けの使徒憲章『ミッサーレ・ロマーヌム』に署名をして「ミサの新しい式次第」({{Lang-la|Novus Ordo Missae}})の使用を許可した。ミサの原文は[[ラテン語]]である。<br />
<br />
新しいミサのミサ典書のラテン語典型版(Editio typica)は、発表直後の[[1970年]]に改訂され、[[1975年]]にも改訂があり、更に[[2002年]]に改訂版が出版された。<br />
<br />
== 名称 ==<br />
教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]は、ローマ・ミサ典書の版の名前に従って、[[2007年]]7月7日の自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』では「1970年に教皇パウロ6世が発布したローマ・ミサ典礼書」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm 教皇ベネディクト十六世 自発教令 スンモールム・ポンティフィクム――1970年の改革以前のローマ典礼の使用について―― (カトリック中央協議会)]第2項を見よ。<br/>英語訳[http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/letters/2007/documents/hf_ben-xvi_let_20070707_lettera-vescovi_en.html Letter of Pope Benedict XVI to the Bishops on the occasion of the publication of ''Summorum Pontificum'']</ref>と呼んだ。また同教皇は「通常の形式(Forma ordinaria)」とも言った<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって (カトリック中央協議会)]第5段落を見よ。<br/>[http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/letters/2007/documents/hf_ben-xvi_let_20070707_lettera-vescovi_en.html Letter of Pope Benedict XVI to the Bishops on the occasion of the publication of ''Summorum Pontificum'',] paragraph 5</ref>。<br />
<br />
[[1976年]]5月24日の[[枢機卿]]会議(sacrum consistorium)で、パウロ6世自身が "Novus Ordo" が発布されたと表現している<ref>[http://www.vatican.va/holy_father/paul_vi/speeches/1976/documents/hf_p-vi_spe_19760524_concistoro_lt.html CONCISTORO SEGRETO DEL SANTO PADRE PAOLO VI PER LA NOMINA DI VENTI CARDINALI Lunedi`, 24 maggio 1976]</ref>ので「新しいミサ」のことを「'''ノヴス・オルド'''」ともいう。<br />
<br />
「現行のミサ」とも言う人もあるが、教皇ベネディクト16世は次のように言っているので、正確な言い方ではない。<br />
<br />
:「教皇[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]の権威のもとで1962年に公布され、公会議中も使用された、公会議前のローマ・ミサ典礼書の最終版は、典礼の『特別な形式(Forma extraordinaria)』として用いることが可能です。... ミサ典礼の『特別な形式』である1962年のミサ典礼書の使用に関して、わたしは次のことに注目していただきたいと思います。すなわち、このミサ典礼書が'''法的な意味で廃止されたことは決してありません'''。したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです。」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって (カトリック中央協議会)]</ref><br />
<br />
その理由は、「現行のミサ」というのはあたかも「教皇ヨハネ23世の権威のもとで1962年に公布され、公会議中も使用された、公会議前のローマ・ミサ典礼書」が廃止されたものであることを暗示させるからである。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
新しいミサは、自発的に突発的に生まれてきたのではなく、約50年ほど(1920年ごろから1969年まで)の「典礼運動」と呼ばれる教会の一グループの努力によって準備されてきた。<br />
<br />
=== 典礼運動 ===<br />
典礼運動の初期はソレムのベネディクト大修道院長であったドン・ゲランジェの影響下のもとにあったが、次第に、将来の[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]となるロンカリ神父の友人であったドン・ランベール・ボドワン(dom Lambert Beauduin (1873-1966))の影響を受けていった。<br />
<br />
ドン・ボドワンの影響で、典礼の目的として礼拝よりも'''司牧の首位性'''が強調された。それ以前は、例えば[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピオ12世]]の『メディアトル・デイ』によれば、典礼の主要な目的は礼拝であり、司牧や信徒の教育は副次的なものとされていた。またドン・ボドワンの影響を受けて、典礼は'''教会の一致のため'''に適応すべきであるという考えが生まれた。<br />
<br />
これら2つの目的のために、典礼運動は次のような改革を求めた。すなわち'''[[ラテン語]]の代わりに各国語を使用'''すること、'''ことばの典礼を強調'''すること、'''司式司祭が会衆の方に向く'''こと、[[プロテスタント]]が受け入れることが出来ないような'''カトリックのドグマを、典礼において強調しない'''こと、である。<br />
<br />
=== 規範ミサ「ミサ・ノルマティーヴァ」 ===<br />
[[1964年]]、教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は、コンシリウムと呼ばれる「典礼憲章実行委員会(''Consilium ad exsequendam Constitutionem de Sacra Liturgia'')」を作り、典礼聖省発布の1964年9月26日付けの指針『インテル・エキュメニチ』で、典礼に大きな変更を加え、[[1965年]]から効力を持たせようとした<ref>http://www.adoremus.org/Interoecumenici.html ''Inter oecumenici'']</ref>。<br />
<br />
更に、[[1967年]]に『[[典礼憲章]]』を実行するための第2の指針『トレス・アビンク・アンノス''Tres abhinc annos''<ref>[http://www.adoremus.org/TresAbhinc.html ''Tres abhinc annos'']</ref>が出された。<br />
<br />
[[1967年]]10月21日に、アンニバレ・ブニーニが事務長を務める典礼憲章実行委員会(コンシリウム)は、新しいミサの草案('''「ミサ・ノルマティーヴァ(Missa Normativa)」'''つまり「規範ミサ」と呼ばれた)を完成させローマで司教会議([[シノド|シノドス]])に提出した。この草案は、『典礼憲章』の論理的な結論として「儀式は簡素の美を備え、簡単明瞭であり、不必要な重複を避け」(『典礼憲章』34)、「祭儀における聖書の朗読を、いっそう豊富で、変化に富み、また、より適切なものに改訂」(『典礼憲章』35)した、「より簡潔にされなければならない。時代の経過につれて重複するようになったものや、有益でもないのに付加されたものは削除され」(『典礼憲章』50)たものであった。ブニーニは、あたかも信徒たちが[[グレゴリオ聖歌]]を歌いつつも典礼様式を全く理解してこなかったし、また典礼の単なる目撃者にすぎなかったかのように主張していた<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), p. 55</ref>。<br />
<br />
10月26日、シノドスではミサの規範版の原案について討議が行われたが、180名の[[司教]]のうち、71名が賛成、62名が条件付賛成、4名が棄権、43名が反対であった<ref>規範ミサは司教たちの投票に付せられ、180票のうち、71人の司教が''placet'' (賛成)し、43人の司教が''non placet'' (反対)、そして 62人が''placet iuxta modum'' (条件付き賛成)であった。</ref>。パウロ6世はブニーニに見直しを求め、その後ブニーニは、6回にわたってミサに新しい聖変化の言葉で3つの典文 Canon(後の「奉献文」Prex Eucharistica)を作る許可と、聖変化の言葉から「信仰の神秘」Mysterium fidei を取り除く許可を求めた。パウロ6世は同意し、<!-- 1966年5月23日には教皇に従順であるために典礼聖省の長官グート枢機卿は同年8月15日から新しい典文を使うことを許した。 (この部分、時系列が合わないのでは?)-->ブニーニは新しい典文の[[聖変化]]の言葉と合わせて今まであったローマ典文の聖変化の言葉を変えた<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), pp 375-380</ref>。<br />
<br />
== 1970年の新しいミサ典書 ==<br />
[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は[[1969年]]4月28日の枢機卿会議(sacrum consistorium)で、ミサの新しい式次第(Novus Ordo Missae)について予告した。同年5月2日に、4月3日付けで使徒憲章『ミッサーレ・ロマーヌム』が発表され、長い総則(Institutio generalis)と共に公にされた。<br />
<br />
同年9月、オッタヴィアーニ[[枢機卿]]とバッチ枢機卿とは「新しいミサの批判的研究」を承認しパウロ6世への手紙にサインした。10月21日、両枢機卿はパウロ6世に新しいミサの批判的研究<ref>[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/ottaviani2.html 新しい「ミサ司式」の批判的研究 Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae] [http://www.unavox.it/doc14.htm Il Breve esame critico della Nuova Messa, dei Cardd. Ottaviani e Bacci]-イタリア語原文</ref>を提出し、新しいミサの中止を求めて次のような内容の手紙を送った。<br />
<br />
:「新しい司式は、その全体といいまたその詳細といい、[[トリエント公会議|トレント公会議]]の第22総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱しています。あの当時に決定的に定められた典礼様式のカノンは、この[ミサの]神秘の完全性に対して向けられた如何なる異端に対しても越えることのできない防御の壁を作っていたのです。」<ref>il Novu Ordo Missæ, considerati gli elementi nuovi, suscettibili di pur diversa valutazione, che vi appaiono sottesi ed implicati, rappresenta, sia nel suo insieme come nei particolari, un impressionante allontanamento dalla teologia cattolica della Santa Messa, quale fu formulata nella Sessione XXII del Concilio Tridentino, il quale, fissando definitivamente i «canoni» del rito, eresse una barriera invalicabile contro qualunque eresia che intaccasse l’integrità del magistero.<br/>[http://www.unavox.it/doc14.htm Breve esame critico del «Novus Ordo Missæ»: Presentato al Pontefice Paolo VI dai Cardinali Ottaviani e Bacci]<br/>日本語訳は[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/rappot.html オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿のパウロ6世教皇聖下への手紙]</ref><br />
<br />
:「ですから、これ程の痛ましい分裂と、信仰の純粋さと教会の一致に対するますます大きくなる危機(このことは私たちの共通の父である聖下ご自身がお嘆きになったことでもあります)の時に当たって、私たちは本当に心から聖下にひたすらお願い申しあげます。聖下ご自身がかくも高く賞賛され、全カトリック世界がかくも深く愛し崇敬してきた[[ピウス5世 (ローマ教皇)|聖ピオ5世]]のローマ・ミサ典書の実り豊かな完全性に私たちが続けて使用することが出来るようにその可能性を私たちから奪わないで下さい。」<ref>Supplichiamo perciò istantemente la Santità Vostra di non volerci togliere - in un momento di cosí dolorose lacerazioni e di sempre maggiori pericoli per la purezza della Fede e l’unità della Chiesa, che trovano eco quotidiana e dolente nella voce del Padre comune - la possibilità di continuare a ricorrere alla integrità feconda di quel Missale Romanum di San Pio V dalla Santità Vostra cosí altamente lodato e dall’intero mondo cattolico cosí profondamente venerato ed amato. <br/>[http://www.unavox.it/doc14.htm Breve esame critico del «Novus Ordo Missæ»: Presentato al Pontefice Paolo VI dai Cardinali Ottaviani e Bacci]<br/>日本語訳は[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/rappot.html オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿のパウロ6世教皇聖下への手紙]</ref><br />
<br />
パウロ6世はこの手紙と研究書を受け取ると、これらを教理聖省長官セペル枢機卿(Cardinal Seper)に送った。教理聖省は“両枢機卿によりなされた批判”の精査を行うようにと依頼した。セペル枢機卿はグート枢機卿に相談し、ブニーニに要求して新しいミサ式次第の最終的な出版を一時的に差し控え、教理聖省の神学者3名に批判研究小論を調査させることを命じた。パウロ6世は、使徒座憲章の初版には存在していなかった「この憲章に規定したことは、本年の11月30日待降節第1主日より発効するものとします」という22語を、密かに付け加えていた。他方で、Nostra haec autem statua et praescripta nunc et in posterum firma et efficacia esse et fore volumus.(上記の規定と決定とが今も将来にも確定され、効力を持つものであることを望みます。)と自分の意志を表明したが、この規定は聖変化の言葉の新しい形式についてのみ関わることであったので、パウロ6世は「真に法律上の意味合いにおいて、間違いなく御自分のミサ典書の義務化をお望みにはなってはいなかった」と言える<ref>Itinéraires n. 140, fevrier 1970, pp. 39-40</ref>。<br />
<br />
11月3日、署名のないの通達がオッセルヴァトーレ・ロマーノ紙に現れ、イタリア司教団の通達として1969年11月30日から新しいミサの式次第に従ってミサを行うべしと書かれていた。しかし、この通達について尋ねられると、イタリア司教協議会議長ポマ枢機卿は何も知らなかったと述べた。<br />
<br />
11月12日、教理聖省長官であるセペル枢機卿は、国務聖省を通して教皇に教理聖省の神学者3名による批判研究の分析結果を送った。これによれば「批判研究は、表面的で過大で不正確で過激で誤った命題が多数含まれている」<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), pp 375-380</ref>とした。<br />
<br />
パウロ6世は、オッタヴィアーニ枢機卿らによって批判されていたミサ典礼総則第7条を修正するように要請した。しかし、問題の総則第7条に対応している新しいミサの式次第それ自体の修正は行わなかった。そして11月19日に、新しいミサは正統であると訓話をして、10日もすると[[イタリア]]ではそれが“義務”となる事を明示した。また11月26日の第2回目の訓話でパウロ6世は、この変革が「非常に大きな犠牲」であると言った。しかし、パウロ6世の新しいミサとその総則は、1969年4月3日の承認後に、何度も修正が加えられ、公式の規範版が発表されたのは、[[1970年]]3月のことであった<ref>1969年4月3日の使徒憲章の題は「公布」という意図を明示していた:「[[第2バチカン公会議]]の教令に基づいて刷新されたローマ・ミサ典礼書を公布する使徒座憲章」(Constituio Apostolica qua Missale Romanum ex decreto concilii Oecumenici Vaticani II instauratum PROMULGATUR "Missale Romanum")。 しかし、1970年3月26日、典礼聖省の教令(decretum)が、新しいミサの公式版を公布したとき、この教令は1964年4月3日の使徒憲章はこのミサ典書のテキストを承認していただけであって公布はしていなかった、という矛盾した説明をした。</ref>。<br />
<br />
== 目的 ==<br />
新しいミサの目的は二つある。<br />
<br />
#'''礼拝よりも司牧の首位性'''<br />
#*第一の目的は、宣教と使徒職の必要性にミサを合わせること(礼拝よりも司牧の首位性)である。これは、[[第2バチカン公会議]]による「司祭職は宣教のためにある」に対応している。第2バチカン公会議によると、[[司祭]]の職務的司祭職は、信徒による「宣教という司祭職」を助けるためにある奉仕職とされる。(これに対して[[トリエント公会議]]では、司祭の職務的司祭職はミサ聖祭のいけにえを捧げえるためにあるとされていた。)<br />
#'''エキュメニズム'''<br />
#*第二の目的は、第2バチカン公会議の目標としていた[[エキュメニズム]]のためである。<br />
<br />
なお、[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]の親友だったジャン・ギトン(Jean Guitton)はパウロ6世から新しいミサの目的が何であったかを直接聞き、1993年12月19日にパリのラジオ局 Radio-Courtoisie でそれについて次のように語っている。<br />
<br />
:「『パウロ6世の』 という名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化、これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくすることだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ6世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、[[カルヴィン]]派のミサに近づけるという意向がありました。」<ref>"Je crois ne pas me tromper en disant que l'intention de Paul VI, et de la nouvelle liturgie qui porte son nom, c'est de demander aux fideles une plus grande participation a la messe, c'est de faire une plus grande place a l'Ecriture et une moins grande place a tout ce qu'il y a, certains disent "de magique", d'autres "de consecration consubstantielle", transsubstantielle, et qui est la foi catholique. Autrement dit, il y a chez Paul VI une intention ecumenique d'effacer -- ou du moins de corriger, ou du moins d'assouplir -- ce qu'il y a de trop "catholique", au sens traditionnel, dans la messe, et de rapprocher la messe catholique, je le repete, de la messe calviniste (...)".日本語訳はトマス小野田圭志神父による</ref><br />
<br />
また、パウロ6世の信頼を得て典礼憲章実行委員会(コンシリウム)の事務長として新しいミサを作るために働いた中心人物であったアンニバレ・ブニーニ神父は、自分の作った新しいミサについてこう言う。<br />
<br />
:「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、([[プロテスタント]]たちにとって) 躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた<ref>"L'Eglise a ete guidee par l'amour des ames et le desir de tout faire pour faciliter a nos freres separes le chemin de l'union, en ecartant toute pierre qui pourrait constituer ne serait-ce que l'ombre d'un risque d'achoppement ou de deplaisir." (Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)</ref>。」<br />
<br />
また、オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙にも、同様にこう語っている。<br />
<br />
:「私たちは私たちのカトリックの祈りから、カトリックの典礼から、別れた兄弟達、つまりプロテスタントたちにとって、躓きの陰となるかもしれないものは全て取り除かなければならない<ref>"We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants." (Archbishop Annibale Bugnini, L'Osservatore Romano, March 19, 1965)</ref>。」<br />
<br />
[[ローマ教皇庁]]の公式資料のフランス語版であるドキュマンタシオン・カトリック(Documentation Catholique)の表紙には、「新しいミサを一緒に作ったオブサーバーの6人のプロテスタントの[[牧師]]らが、パウロ6世とともに写っている写真」が掲載されたことがある。オブサーバーとして積極的に働いたテゼのマックス・チュリアンは新しいミサについて次のように述べた。「この新しくなったミサにおいて、[[福音派]]のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」<ref>"Dans cette messe renovée, il n'y a rien qui puisse vraiment géner les protestants évangeliques." (Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)</ref><br />
<br />
== 新しいミサで変更された主な点 ==<br />
新しいミサによる最も大きな変更は、それまで[[ラテン語]]でのみ執り行われていた[[ミサ]]式文を、各国の言語で執り行われるようになったことである。<br />
<br />
それ以前に、[[教皇]][[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピオ12世]]は典礼の大切さを強調し、[[1947年]]の回勅『メディアトル・デイ』では「複数の典礼儀式で母国語の使用が会衆にとって有益であるかも知れない」ことを示唆しつつ、同時に俗語の使用の許可は[[ローマ教皇庁]]のみが持つ<ref>[http://www.vatican.va/holy_father/pius_xii/encyclicals/documents/hf_p-xii_enc_20111947_mediator-dei_en.html ''Mediator Dei'']</ref>とした。ピオ12世は、[[聖土曜日]]の復活の徹夜祭における[[洗礼]]の約束の更新を各国語ですることを許可したことがある。<br />
<br />
[[第2バチカン公会議]]では、1963年12月4日『[[典礼憲章]]』(Sacrosanctum Concilium<ref>[http://www.vatican.va/archive/hist_councils/ii_vatican_council/documents/vat-ii_const_19631204_sacrosanctum-concilium_en.html ''Sacrosanctum Concilium'']</ref>が発表されたが、それによると、『典礼憲章』36 §1には原則として「[[ラテン語]]の使用は、ラテン典礼様式において遵守される」とある。また『典礼憲章』36 §2によれば、「国語の使用も可能である」<ref>§2 しかし、ミサにおいても、[[秘跡]]授与においても、また典礼の他の分野においても、国語の使用は人々のために非常に有益な場合が少なくないため、より広範囲にわたって国語を使用することも可能である。それは特に、朗読、訓戒、祈願と聖歌の中のあるものに、次の各章中で個々に定める規定によって適用することができる。</ref>と定められた。とはいえ、原則はラテン語の遵守であり、国語訳の使用は認可の下に<ref>『典礼憲章』36 §4 ラテン文の国語訳が典礼に使用される場合、上述の地域所轄の教会権限所持者によって認可されなければならない。</ref>なされるべきものとされたが、現実には、世界中で各国語で新しいミサが捧げられるようになった。ただし原則は、司祭は常にどこででもラテン語でミサをすることが許されている<ref>[http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/ccdds/documents ''Redemptionis Sacramentum'', 112]</ref>。<!-- 日本では、この規定が無視され、ラテン語で新しいミサを捧げることは、事実上禁止されている<ref>「鹿児島カトリック教区報 2001年9月」を参照</ref>。--><br />
<br />
=== 廃止された点 ===<br />
* 以前の奉献文(Offertorium)のほとんどの祈りが廃止された。<br />
* [[三位一体]]への祈りがほとんど廃止された。<br />
* ミサの贖罪的目的についての言及がほとんど削られた。<br />
<br />
=== 省略された点 ===<br />
* 多くの十字架の印、跪き、イエズスの名前における会釈、[[聖体]]を触れた後での指の清めなどが省略された。<br />
* ミサにおける司祭の個人的な祈りは省略された。<br />
* 以前まで3枚であった祭壇布が1枚に省略され、[[聖遺物]]を置く義務も省略され、名前も「祭壇 altare」から「食卓 mensa」に変わった。<br />
<br />
=== 変更された点 ===<br />
* [[聖変化]]の言葉が変更され、聖変化が歴史的叙述となった。<br />
* 司式司祭の個人的な行為よりも、信徒の司祭職による記念に強調が移行した。<br />
* 司祭の小声でする祈りは全て大きな声ですることに変更された。<br />
<br />
=== 追加された点 ===<br />
* 今まで唯一であったローマ・カノン(典文)に加えて3つの別の奉献文(Prex Eucharistica)が付け加えられた。<br />
* 今まで女性が立ち入ることが禁止されていた至聖所で女性が典礼奉仕することが出来るようになった。<br />
<br />
== 新しいミサに対する好意的評価 ==<br />
* テゼのマックス・チュリアン「おそらく、(新しいミサの)実りの一つは、非カトリックの共同体もカトリック教会がするのと同じ祈りで聖餐を祝うことが出来るようになることだろう。神学的にそれは可能である。」<ref>Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969</ref><br />
<br />
== 新しいミサに対する批判 ==<br />
=== ベネディクト16世教皇 ===<br />
[[教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]は、[[枢機卿]]の頃から新しいミサについてこう語ってきた。<br />
* 「[[第2バチカン公会議]]の典礼改革の各段階は、真のアジョルナメントであったかどうか、むしろそれは典礼の凡俗化でなかったかどうか、どこまで司牧的に賢明であったか、もしやその逆で、軽はずみではなかったか、じっくりと見ていきたい・・・。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』158ページ</ref><br />
* 「ラッツィンガーによれば、まさに典礼の分野において ----- 専門家たちの研究にしろ、実際的適応にしろ ----- 『'''第2バチカン公会議の真正の憲章が言っていることと、それが理解され適用されるやり方との間の差異の最も著しい一例が確かめられる。'''』」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』161ページ</ref><br />
* 「今までなされてきた合理的平準化や、漠然とした論点など、カトリック典礼を村の寄り合い並に引き下げ、くだらないレベルに低下させようとする司牧的幼稚症に対して、もっと果断に反対しなければならない。既に実行されている改革も、特に定式書に関してはこの観点から見直しがなされるべきである。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』159ページ</ref><br />
* 「時として身震いするほど陳腐で平凡な趣向によってつくられた、愚鈍で退屈な公会議後のある種の典礼」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』161ページ</ref><br />
* 「カトリック者にとって、典礼は共通の母国であり、自分のアイデンティティの源泉そのものである。このためにも典礼は、祭式を通じて神の聖性が顕現されるのだから、"あらかじめ設定され"、"何ものにも煩わされるもの" でなければならないのである。ところが、"規則に縛られた古くさい厳格さ" と呼ばれ、"創造性" を奪うと非難された典礼に対する反発は、'''典礼をも "手作り" の渦の中に巻き込んで、私たちの凡庸さに見合うものにし、凡俗化した'''。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』166ページ</ref><br />
* 「パウロ6世のミサ典書は、司式者が典礼の中にあれこれの要素を自由に選択する或いは導入することができるということを規定しており、それ自体で誤った創造性への扉を大きく開けてしまっている。」<ref>ラッツィンガー枢機卿とフィリップ・マクサンスとの対話 ロム・ヌヴォ誌(日本語訳はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えています。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えています。それは典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまいました。しかし1870年[[第1バチカン公会議]]は教皇を絶対君主としてではなく、啓示された神の御言葉に従順な保護者として定義したのです。'''教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えると言うことに縛られています'''。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきています。'''いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ません。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎないのです'''。」<ref>ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』</ref><br />
* 「第2バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた。ガンバーは、真の預言者の警戒と真の証人の勇気とを持って、この捏造(falsification)に反対した。そして、彼の信じられないほど豊かな知識をもって、疲れを知らずに私たちに真の典礼の生きる充満性について教えてくれた。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー(Monsignor Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」Die Reform der Römischen Liturgie のフランス語版のために書かれたラッツィンガー枢機卿の「序言」([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)[http://www.barroux.org/docum/RATZINGER_REF.pdf TEXTE du cardinal Ratzinger paru en tête de l’édition française de La Réforme liturgique en question (Die Reform der Römischen Liturgie) par Mgr Klaus Gamber]</ref><br />
* 「私たちが今日経験している教会の危機は、『あたかも神が存在していないかのような(etsi Deus non daretur)』の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。」<ref>ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ</ref><br />
* 「多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が『典礼を創造的に行うこと』を正当化し、さらには要求しているとまで考えられたからです。この『典礼を創造的に行うこと』は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって]</ref><br />
<br />
=== モンシニョール・クラウス・ガンバー ===<br />
クラウス・ガンバー師は、ドイツ人のカトリック典礼学者であり、彼の著作はヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(当時)に大きな影響を与えた。ベネディクト16世の自発教書『スンモールム・ポンティフィクム』の成立に学問的インスピレーションを与えた人物であるとされる。([http://de.wikipedia.org/wiki/Klaus_Gamber Klaus Gamber])<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/Klaus_Gamber His critical work was praised by Cardinal Joseph Ratzinger and he is credited for being one of the academic inspirations behind the motu proprio Summorum Pontificum, allowing broader use of traditional liturgy.]</ref><br />
<br />
* 「パウロ6世がそうするまで、教皇たちは固有の意味におけるミサ式次第(Ordo Missae)には一切変化を加えたことがない。・・・今では、私たちの足元に瓦礫を見つめている。トリエントミサの瓦礫ではなく、あれほど長い期間にわたって成熟まで発展し成長してきた古代ローマ典礼様式の瓦礫である。<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie "... and we now contemplate at our feet the ruins, not of the Tridentine Mass, but of the ancient Roman Rite which had developed and grown to maturity during that long period." 英語版p. 26([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「1969年の新しいミサ式次第の発表は、新しい典礼様式を創造した。言い換えると、聖伝の典礼様式は単に改正されたばかりではなく、むしろ完全に廃止された。そして数年後には、事実上、聖伝の典礼様式は禁止された。・・・典礼様式は「教会の規律と統治」というカテゴリーには入らない。更に付け加えることができるのは、カトリック教会法典を含めて、教皇には教会の最高牧者として聖伝の典礼様式を廃止する権能があると述べられている文章は一つも存在していない。事実、教皇にたった一つの地方の典礼の伝統を変える権威があるなどと述べているような文書は何処にも無い。・・・従って、著名な神学者であるスアレス(Suarez 1617年没)は、やはり神学の権威であるカイェタノ(Cajetan 1634年没)を引用して「もしも教皇が自分の義務であるにもかかわらず、教会の神秘体と全き交わりを保たなかったとしたら、たとえばもしも教皇が全教会を破門したとしたら、或いは'''もしも教皇が使徒継承の聖伝として保たれてきた教会の典礼様式を全て変えてしまったとしたら」彼は離教的(schismaticus)となるだろう'''という立場を取っている。・・・確実な史実によれば、[[パウロ6世]]がそうするまで、私たちが目前にしているような典礼形式における根本的な変化の型を導入した教皇はただの一人も存在していない。事実、典礼において教皇によって導入された極めて小さい変化であったとしてもすぐに受け入れられたことは決してなかったということを私たちは述べなければならない。・・・1969年のミサ式次第は典礼様式を変えたのみならず、典礼暦年や諸聖人の祝日を大幅に変えてしまった。一つ二つの祝日を付け加えることは、それ自体としては、典礼様式を変えることではない。しかし無数の変更を導入し、聖伝の典礼形式は形を全く変えてしまった。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「私たちは東方教会にも、西方教会にも、会衆と対面して versus populum 儀式などというものは存在していなかったことと言うことができるし充分に証明することもできる。むしろ存在していたのは、祈る時に東方を向くということだけであった。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版p. 77([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による) [http://www.sacredarchitecture.org/pubs/saj/articles/biblical_roots.php The Biblical Roots of Church Orientation] by Helen Dietz]</ref><br />
* 「典礼の歴史においても神学においても社会学的にもいかなる根拠もないが故に、会衆と対面した versus populum ミサの儀式というのは徐々に姿を消すべきである。」 <ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版 p. 92([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「今日、私たちは、教会の聖伝ほぼ2000年の廃墟を前にして立っている。私たちはこう思わざるを得ない。多くの改革は教会の聖伝に損害を与え、それはそれを元に戻すのが難しいほどだ。今日、かくも酷い破壊の後に、聖伝の秩序を再建築するのが可能なのかと疑問にさえ思う。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版 p. 95([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)<br/>更にまた「曖昧さなくこう言う必要がある。私たちが知っていたローマ典礼様式は、もはや存在していない。それは破壊された。」ジョセフ・ジュリノ著『典礼の明日』Joseph Gelineau SJ, Demain la liturgie Paris: Ed. du Cerf, 1979, p.10. という証言もある。</ref><br />
<br />
<!--<br />
===オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿===<br />
オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿とはパウロ6世教皇に新しいミサについて手紙を書きこう述べた。<br />
(以下、手紙文は[[#1970年の新しいミサ典書]]の節と一部重複するため、残りの部分も[[#1970年の新しいミサ典書]]の節に移動させて削除しました)--><br />
<br />
=== 新しいミサの神学的な問題 ===<br />
*'''「十字架のいけにえ」から「神の民の集会」'''<br />
:新しいミサでは、[[第2バチカン公会議]]の提示する新しい司祭職としての「宣教」する「神の民」が典礼を執行する。職務的司祭は、神の民の集会の座長であるが、ミサは神の民の集会であり、信徒がミサを捧げるのであって、信徒が主体的に行動すべきであるとされる。従って、総則の第7条にはこうある。<br />
<br />
:* 主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、司祭を座長として、'''一つに集まった神の民の集会である'''。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される<ref>人間こそ、われわれの全叙述の中心点」(『[[現代世界憲章]]』3)であり「地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づけられなければならない」(『現代世界憲章』 12)。</ref>。<br />
<br />
*'''「贖罪のいけにえ」という概念の排除'''<br />
:[[エキュメニズム]]のために、新しいミサからは「贖罪のいけにえ」という概念が体系的に排除されている。[[マルティン・ルター]]に始まって[[プロテスタント]]にとって、「ミサ」はいけにえではなく晩餐であり、全て信徒は「司祭」である。新しいミサはそれに合わせた。<br />
<br />
=== 翻訳の問題 ===<br />
[[聖変化]]の言葉が各国語に訳されるときの誤りの問題が[[1967年]]から生じていた。典礼英語国際委員会 International Commission on English in the Liturgy (ICEL)による英語訳に始まって、ほぼ世界中で同じ誤りが犯されてきていた。<br />
<br />
誤った翻訳とは、御血の聖変化の言葉の部分の翻訳である。[[ラテン語]]では、 pro multis (多くの人々のために)となっているところを、「全ての人々のために」とほぼ全世界で訳されてきた。(例外は[[ポルトガル語]]、[[ポーランド語]]、[[日本語]]訳のみ)<br />
<br />
[[2006年]]11月、アリンゼ[[枢機卿]]はこれを訂正することを求めた<ref>[http://www.d-b.ne.jp/mikami/fp061213.htm 「あなたたちのためそしてすべての人のため」はゴミ箱行きとなる]<br>[http://www.remnantnewspaper.com/Archives/archive-2006-1130-pro-multis.htm Rome Corrects Error...After 40 Years]</ref>。<br />
<br />
=== ミサの式次第の翻訳 ===<br />
ラテン語の翻訳から各国語に翻訳をする時に直訳ではない事。<br />
<br />
「Liturgiam authenticam」においても指摘されているように多くの翻訳の問題がある<ref> http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/ccdds/documents/rc_con_ccdds_doc_20010507_liturgiam-authenticam_en.html</ref>。<br />
<br />
日本では「日本における適応」として認可を受けるようにバチカン([[ローマ教皇庁|教皇庁]])と交渉中である<ref>[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>。<br />
<br />
== 日本における新しいミサ ==<br />
=== 日本語への翻訳 ===<br />
「新しいミサ」が発表されて日本語に翻訳されると「悪文なので驚いた。へんないいまわし、敬語を使わないこと」「あまりにもチグハグ」「信者でない人が味わう忘れがたい印象、信仰に導くミサの本質的なものが次第に失われていく」など、国語化されたミサ式文に寄せる不満が多く出された<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)4月19日 第2128号(1)<br/>「声」欄には読者からの声として「やっぱり「あなたをおいてだれのところに行きましょう」という、なんだか芝居役者のセリフのような言葉を公式の儀式で唱える祈りにされているのが残念です」などという意見も掲載された。</ref>。「あらゆる苦情殺到の中で」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)2月22日 第2120号(1)</ref>日本典礼司教委員委員長である長江恵[[司教]]は1970年春に「新しいミサの典礼とその意義」という講話を行い「一番悩んでいるのは言葉の問題である」「翻訳には限界があるからである」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)4月19日 第2128号(2)</ref>という。<br />
<br />
新しいミサが導入されてからほぼ40年がたった[[2007年]]には、2月19日から23日まで開かれた日本司教評議会の司教総会(会長は野村司教)で一番時間がかかった問題が、典礼式文翻訳の課題であった。例えば Et cum spiritu tuoの訳<ref>典礼秘跡省は、spirituは単に「霊」ではなく、司祭が叙階の時に受けた霊の「たまもの」を浮かび上がらせるような言葉の使用を指示。言葉を補って翻訳すると「原文との相違」が生じてしまう。[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>、mea culpaの訳、Sursum cordaの訳など、ラテン語を使用に耐える日本語に翻訳することには困難が多い<ref>[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>。<br />
<br />
=== 手による聖体拝領 ===<br />
「日本司教様評議会は1970年5月の定例総会で[[聖体拝領]]に際して'''聖体を手に授ける'''ことを決定して教皇庁に申請していたところ、典礼聖省長官ベンノ・グート枢機卿から、信者に聖体を手に授けるための指針が届いた。」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)10月11日 第2151号(1)</ref>それによると、<br />
# 日本大司教評議会の管轄地域ではそれぞれの司教は、自らの判断と責任において、管轄[[教区|司教区]]内で聖体拝領の新しい様式の導入を許可することが出来る。<br />
# 聖体拝領の新しい方法は従来の慣習を排除してしまうような仕方で押しつけられてはならない。<br />
# 特に大切なことは、それぞれの信者は聖体を舌で受けて拝領できるように配慮する必要がある。<br />
<br />
しかし現実は、<!-- 2009年現在、日本のほとんどの小教区で手による聖体拝領がほぼ強制させられている。(地方によって違うのかもしれませんが、「日本のほとんどの小教区で」という事実はありません)-->多くの司教区では2009年5月から新型インフルエンザ対策という名目で口による聖体拝領は事実上禁止された<ref>[http://www.ignatius.gr.jp/flu.html 新型インフルエンザに関するお知らせ]<br/>http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/090221influenza.doc<br/>[http://www.kyoto.catholic.jp/new/topnews/20090501kyouku.pdf 新型インフルエンザ・京都教区感染防止司牧指針]など</ref>。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
その後、1990年代から2000年代以降、司教区や小教区でさまざまな形態・様式のミサが試みられている。<br />
;「手作りのミサ」<br />
:鹿児島司教区の教区長である郡山司教は、200名あまりの若者で作った「手作りのミサ」「東京パワー日本の中心でミんなとつながって素直に感謝をサさげよう」~キミとボクとドキドキミサ~について、教会の未来は明るい!と高く評価している<ref>[http://sdemo.net/pken/Blog/archives/2008/9/14 それでも Blog! 24時間司教 東京パワー]</ref>。<br />
<br />
;「踊るミサ」と「祝福の儀(食卓)」<br />
:幸田和生神父(当時・現[[カトリック東京大司教区|東京大司教区]]補佐司教)は、東京教区教会学校リーダー研修会で 「子どもと共に捧げるミサ」 の工夫についての話の中で、「踊るミサ」 をはじめとして、 子供自身の信仰の表現をさまざまに工夫してミサの中に取り込むと講演した。さらに、初聖体を受けていない子や、 受洗していない子のために、 ミサとは区別した上で、 手づくりのパンで 「祝福の儀 (食卓) なるものを試みた」。このような試みに感激をしたと好意的に紹介している<ref>http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/1992/kn098b.htm</ref>。<br />
<br />
;「能」を取り入れたミサ<br />
:1993年5月14日には真生会館で、日本の伝統芸能である「[[能]]」を取り入れたミサが行われた。そこでは、ミサ中の聖歌の部分が、「能」の形式によって歌われた<ref>http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/1993/kn104.htm</ref>。<br />
<br />
;「あっちこっちミサ」<br />
:「あっちこっちミサ」とは、「全国各地の教区で、同じ日時、同じ典礼でミサを捧げよう!という趣旨で始った、青年たちのプロジェクト」である。「普段、教区ごとに分かれて活動している青年たちが、『離れていても自分達は信仰で繋がっている』ということを感じ、一致の恵みを喜び合うミサ」とされる<ref>[http://attikottimisa4.xxxxxxxx.jp/about.html 第4回 あっちこっちミサ]</ref><ref>[http://attikottimisa4.xxxxxxxx.jp/tenrei.html 第4回 あっちこっちミサ(当日の典礼)]</ref>。<br />
<br />
;「南無アッバミサ」<br />
:「南無アッバミサ」とは、井上洋治神父(東京教区)が、故[[白柳誠一]][[枢機卿]]の賛同を得て、日本人にあった福音の形を模索するための運動である「風の家」という活動の中で始められたミサ。典文(奉献文)以外のミサ通常文の一部を、カトリックではない人々が親しみやすくするために「南無アッバ」というフレーズを入れるなどして変えている<ref>カトリック新聞2009年12月13日(4032)号及び2009年12月13日(4033)号「東京教区・井上洋治神父の模索(上)(下)」</ref><ref>[http://blog-imgs-41.fc2.com/n/a/m/namuabba/sidai-inori.htm 「南無アッバミサ」式次第]</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist|2}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.papalencyclicals.net/Pius05/p5quopri.htm 聖ピオ五世の『クォー・プリームム』''Quo primum''の英語訳]<br />
* [http://www.rtforum.org/lt/lt92.html ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』に関する書評]<br />
* [http://sacramentary.blogspot.com/2007/06/reform-of-roman-liturgy-msgr-klaus.html The Reform of the Roman Liturgy (Msgr. Klaus Gamber) -- Where the modern Liturgy went wrong By Michael Davies]<br />
* [http://www.westernorthodox.com/novusordo An excerpt from The Reform of the Roman Liturgy: Its Problems and Background, by Monsignor Klaus Gamber]<br />
<br />
== 文献 ==<br />
* Davies, Michael, [http://www.latin-mass-society.org/msshst.htm ''A Short History of the Roman Rite''] (ローマ典礼様式の短い歴史), Rockford (IL), TAN Publishers 1997.<br />
* Bugnini, Annibale, ''The Reform of the Liturgy 1948-1975''(典礼改革 1948年-1975年). ISBN C814615716<br />
* Gamber, Klaus, ''The Reform of the Roman Liturgy. Its Problems and Background''(ローマ典礼の改革 その問題と背景). Roman Catholic Books (U.S.) 1993. ISBN 978-0-912141-05-3.<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あたらしいみさ}}<br />
[[Category:カトリック|あららしいみさ]]<br />
[[Category:キリスト教の礼拝・典礼・奉神礼|あたらしいみさ]]<br />
[[Category:ミサ|あたらしいみさ]]</div>
PG
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新しいミサ
2022-08-27T05:42:35Z
<p>PG: /* 1970年の新しいミサ典書 */ 赤リンクファイル画像の除去</p>
<hr />
<div>'''新しいミサ'''(あたらしいみさ、{{Lang-en|New Mass}}、{{Lang-it|la Nuova Messa}}、{{Lang-fr|la Nouvelle Messe}})とは、[[カトリック教会]]において[[第2バチカン公会議]]([[1962年]]-[[1965年]])後の[[1969年]]に発布された、新しい典礼様式による[[ミサ]]である。[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]が発布したので「'''パウロ6世のミサ'''(英・Mass of Paul VI)」とも言う。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は、1969年4月3日付けの使徒憲章『ミッサーレ・ロマーヌム』に署名をして「ミサの新しい式次第」({{Lang-la|Novus Ordo Missae}})の使用を許可した。ミサの原文は[[ラテン語]]である。<br />
<br />
新しいミサのミサ典書のラテン語典型版(Editio typica)は、発表直後の[[1970年]]に改訂され、[[1975年]]にも改訂があり、更に[[2002年]]に改訂版が出版された。<br />
<br />
== 名称 ==<br />
教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]は、ローマ・ミサ典書の版の名前に従って、[[2007年]]7月7日の自発教令『スンモールム・ポンティフィクム』では「1970年に教皇パウロ6世が発布したローマ・ミサ典礼書」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message243.htm 教皇ベネディクト十六世 自発教令 スンモールム・ポンティフィクム――1970年の改革以前のローマ典礼の使用について―― (カトリック中央協議会)]第2項を見よ。<br/>英語訳[http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/letters/2007/documents/hf_ben-xvi_let_20070707_lettera-vescovi_en.html Letter of Pope Benedict XVI to the Bishops on the occasion of the publication of ''Summorum Pontificum'']</ref>と呼んだ。また同教皇は「通常の形式(Forma ordinaria)」とも言った<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって (カトリック中央協議会)]第5段落を見よ。<br/>[http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/letters/2007/documents/hf_ben-xvi_let_20070707_lettera-vescovi_en.html Letter of Pope Benedict XVI to the Bishops on the occasion of the publication of ''Summorum Pontificum'',] paragraph 5</ref>。<br />
<br />
[[1976年]]5月24日の[[枢機卿]]会議(sacrum consistorium)で、パウロ6世自身が "Novus Ordo" が発布されたと表現している<ref>[http://www.vatican.va/holy_father/paul_vi/speeches/1976/documents/hf_p-vi_spe_19760524_concistoro_lt.html CONCISTORO SEGRETO DEL SANTO PADRE PAOLO VI PER LA NOMINA DI VENTI CARDINALI Lunedi`, 24 maggio 1976]</ref>ので「新しいミサ」のことを「'''ノヴス・オルド'''」ともいう。<br />
<br />
「現行のミサ」とも言う人もあるが、教皇ベネディクト16世は次のように言っているので、正確な言い方ではない。<br />
<br />
:「教皇[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]の権威のもとで1962年に公布され、公会議中も使用された、公会議前のローマ・ミサ典礼書の最終版は、典礼の『特別な形式(Forma extraordinaria)』として用いることが可能です。... ミサ典礼の『特別な形式』である1962年のミサ典礼書の使用に関して、わたしは次のことに注目していただきたいと思います。すなわち、このミサ典礼書が'''法的な意味で廃止されたことは決してありません'''。したがって、このミサ典礼書は原則的にはつねに認められてきたということです。」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって (カトリック中央協議会)]</ref><br />
<br />
その理由は、「現行のミサ」というのはあたかも「教皇ヨハネ23世の権威のもとで1962年に公布され、公会議中も使用された、公会議前のローマ・ミサ典礼書」が廃止されたものであることを暗示させるからである。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
新しいミサは、自発的に突発的に生まれてきたのではなく、約50年ほど(1920年ごろから1969年まで)の「典礼運動」と呼ばれる教会の一グループの努力によって準備されてきた。<br />
<br />
=== 典礼運動 ===<br />
典礼運動の初期はソレムのベネディクト大修道院長であったドン・ゲランジェの影響下のもとにあったが、次第に、将来の[[ヨハネ23世 (ローマ教皇)|ヨハネ23世]]となるロンカリ神父の友人であったドン・ランベール・ボドワン(dom Lambert Beauduin (1873-1966))の影響を受けていった。<br />
<br />
ドン・ボドワンの影響で、典礼の目的として礼拝よりも'''司牧の首位性'''が強調された。それ以前は、例えば[[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピオ12世]]の『メディアトル・デイ』によれば、典礼の主要な目的は礼拝であり、司牧や信徒の教育は副次的なものとされていた。またドン・ボドワンの影響を受けて、典礼は'''教会の一致のため'''に適応すべきであるという考えが生まれた。<br />
<br />
これら2つの目的のために、典礼運動は次のような改革を求めた。すなわち'''[[ラテン語]]の代わりに各国語を使用'''すること、'''ことばの典礼を強調'''すること、'''司式司祭が会衆の方に向く'''こと、[[プロテスタント]]が受け入れることが出来ないような'''カトリックのドグマを、典礼において強調しない'''こと、である。<br />
<br />
=== 規範ミサ「ミサ・ノルマティーヴァ」 ===<br />
[[1964年]]、教皇[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は、コンシリウムと呼ばれる「典礼憲章実行委員会(''Consilium ad exsequendam Constitutionem de Sacra Liturgia'')」を作り、典礼聖省発布の1964年9月26日付けの指針『インテル・エキュメニチ』で、典礼に大きな変更を加え、[[1965年]]から効力を持たせようとした<ref>http://www.adoremus.org/Interoecumenici.html ''Inter oecumenici'']</ref>。<br />
<br />
更に、[[1967年]]に『[[典礼憲章]]』を実行するための第2の指針『トレス・アビンク・アンノス''Tres abhinc annos''<ref>[http://www.adoremus.org/TresAbhinc.html ''Tres abhinc annos'']</ref>が出された。<br />
<br />
[[1967年]]10月21日に、アンニバレ・ブニーニが事務長を務める典礼憲章実行委員会(コンシリウム)は、新しいミサの草案('''「ミサ・ノルマティーヴァ(Missa Normativa)」'''つまり「規範ミサ」と呼ばれた)を完成させローマで司教会議([[シノド|シノドス]])に提出した。この草案は、『典礼憲章』の論理的な結論として「儀式は簡素の美を備え、簡単明瞭であり、不必要な重複を避け」(『典礼憲章』34)、「祭儀における聖書の朗読を、いっそう豊富で、変化に富み、また、より適切なものに改訂」(『典礼憲章』35)した、「より簡潔にされなければならない。時代の経過につれて重複するようになったものや、有益でもないのに付加されたものは削除され」(『典礼憲章』50)たものであった。ブニーニは、あたかも信徒たちが[[グレゴリオ聖歌]]を歌いつつも典礼様式を全く理解してこなかったし、また典礼の単なる目撃者にすぎなかったかのように主張していた<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), p. 55</ref>。<br />
<br />
10月26日、シノドスではミサの規範版の原案について討議が行われたが、180名の[[司教]]のうち、71名が賛成、62名が条件付賛成、4名が棄権、43名が反対であった<ref>規範ミサは司教たちの投票に付せられ、180票のうち、71人の司教が''placet'' (賛成)し、43人の司教が''non placet'' (反対)、そして 62人が''placet iuxta modum'' (条件付き賛成)であった。</ref>。パウロ6世はブニーニに見直しを求め、その後ブニーニは、6回にわたってミサに新しい聖変化の言葉で3つの典文 Canon(後の「奉献文」Prex Eucharistica)を作る許可と、聖変化の言葉から「信仰の神秘」Mysterium fidei を取り除く許可を求めた。パウロ6世は同意し、<!-- 1966年5月23日には教皇に従順であるために典礼聖省の長官グート枢機卿は同年8月15日から新しい典文を使うことを許した。 (この部分、時系列が合わないのでは?)-->ブニーニは新しい典文の[[聖変化]]の言葉と合わせて今まであったローマ典文の聖変化の言葉を変えた<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), pp 375-380</ref>。<br />
<br />
== 1970年の新しいミサ典書 ==<br />
[[教皇]][[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]は[[1969年]]4月28日の枢機卿会議(sacrum consistorium)で、ミサの新しい式次第(Novus Ordo Missae)について予告した。同年5月2日に、4月3日付けで使徒憲章『ミッサーレ・ロマーヌム』が発表され、長い総則(Institutio generalis)と共に公にされた。<br />
<br />
同年9月、オッタヴィアーニ[[枢機卿]]とバッチ枢機卿とは「新しいミサの批判的研究」を承認しパウロ6世への手紙にサインした。10月21日、両枢機卿はパウロ6世に新しいミサの批判的研究<ref>[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/ottaviani2.html 新しい「ミサ司式」の批判的研究 Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae] [http://www.unavox.it/doc14.htm Il Breve esame critico della Nuova Messa, dei Cardd. Ottaviani e Bacci]-イタリア語原文</ref>を提出し、新しいミサの中止を求めて次のような内容の手紙を送った。<br />
<br />
:「新しい司式は、その全体といいまたその詳細といい、[[トリエント公会議|トレント公会議]]の第22総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱しています。あの当時に決定的に定められた典礼様式のカノンは、この[ミサの]神秘の完全性に対して向けられた如何なる異端に対しても越えることのできない防御の壁を作っていたのです。」<ref>il Novu Ordo Missæ, considerati gli elementi nuovi, suscettibili di pur diversa valutazione, che vi appaiono sottesi ed implicati, rappresenta, sia nel suo insieme come nei particolari, un impressionante allontanamento dalla teologia cattolica della Santa Messa, quale fu formulata nella Sessione XXII del Concilio Tridentino, il quale, fissando definitivamente i «canoni» del rito, eresse una barriera invalicabile contro qualunque eresia che intaccasse l’integrità del magistero.<br/>[http://www.unavox.it/doc14.htm Breve esame critico del «Novus Ordo Missæ»: Presentato al Pontefice Paolo VI dai Cardinali Ottaviani e Bacci]<br/>日本語訳は[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/rappot.html オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿のパウロ6世教皇聖下への手紙]</ref><br />
<br />
:「ですから、これ程の痛ましい分裂と、信仰の純粋さと教会の一致に対するますます大きくなる危機(このことは私たちの共通の父である聖下ご自身がお嘆きになったことでもあります)の時に当たって、私たちは本当に心から聖下にひたすらお願い申しあげます。聖下ご自身がかくも高く賞賛され、全カトリック世界がかくも深く愛し崇敬してきた[[ピウス5世 (ローマ教皇)|聖ピオ5世]]のローマ・ミサ典書の実り豊かな完全性に私たちが続けて使用することが出来るようにその可能性を私たちから奪わないで下さい。」<ref>Supplichiamo perciò istantemente la Santità Vostra di non volerci togliere - in un momento di cosí dolorose lacerazioni e di sempre maggiori pericoli per la purezza della Fede e l’unità della Chiesa, che trovano eco quotidiana e dolente nella voce del Padre comune - la possibilità di continuare a ricorrere alla integrità feconda di quel Missale Romanum di San Pio V dalla Santità Vostra cosí altamente lodato e dall’intero mondo cattolico cosí profondamente venerato ed amato. <br/>[http://www.unavox.it/doc14.htm Breve esame critico del «Novus Ordo Missæ»: Presentato al Pontefice Paolo VI dai Cardinali Ottaviani e Bacci]<br/>日本語訳は[http://fsspxjapan.fc2web.com/pro_missae/rappot.html オッタヴィアーニ・バッチ両枢機卿のパウロ6世教皇聖下への手紙]</ref><br />
<br />
パウロ6世はこの手紙と研究書を受け取ると、これらを教理聖省長官セペル枢機卿(Cardinal Seper)に送った。教理聖省は“両枢機卿によりなされた批判”の精査を行うようにと依頼した。セペル枢機卿はグート枢機卿に相談し、ブニーニに要求して新しいミサ式次第の最終的な出版を一時的に差し控え、教理聖省の神学者3名に批判研究小論を調査させることを命じた。パウロ6世は、使徒座憲章の初版には存在していなかった「この憲章に規定したことは、本年の11月30日待降節第1主日より発効するものとします」という22語を、密かに付け加えていた。他方で、Nostra haec autem statua et praescripta nunc et in posterum firma et efficacia esse et fore volumus.(上記の規定と決定とが今も将来にも確定され、効力を持つものであることを望みます。)と自分の意志を表明したが、この規定は聖変化の言葉の新しい形式についてのみ関わることであったので、パウロ6世は「真に法律上の意味合いにおいて、間違いなく御自分のミサ典書の義務化をお望みにはなってはいなかった」と言える<ref>Itinéraires n. 140, fevrier 1970, pp. 39-40</ref>。<br />
<br />
11月3日、署名のないの通達がオッセルヴァトーレ・ロマーノ紙に現れ、イタリア司教団の通達として1969年11月30日から新しいミサの式次第に従ってミサを行うべしと書かれていた。しかし、この通達について尋ねられると、イタリア司教協議会議長ポマ枢機卿は何も知らなかったと述べた。<br />
<br />
11月12日、教理聖省長官であるセペル枢機卿は、国務聖省を通して教皇に教理聖省の神学者3名による批判研究の分析結果を送った。これによれば「批判研究は、表面的で過大で不正確で過激で誤った命題が多数含まれている」<ref>A. Bugnini, ''La Riforma liturgica'' (2nd ed. 1997), pp 375-380</ref>とした。<br />
<br />
パウロ6世は、オッタヴィアーニ枢機卿らによって批判されていたミサ典礼総則第7条を修正するように要請した。しかし、問題の総則第7条に対応している新しいミサの式次第それ自体の修正は行わなかった。そして11月19日に、新しいミサは正統であると訓話をして、10日もすると[[イタリア]]ではそれが“義務”となる事を明示した。また11月26日の第2回目の訓話でパウロ6世は、この変革が「非常に大きな犠牲」であると言った。しかし、パウロ6世の新しいミサとその総則は、1969年4月3日の承認後に、何度も修正が加えられ、公式の規範版が発表されたのは、[[1970年]]3月のことであった<ref>1969年4月3日の使徒憲章の題は「公布」という意図を明示していた:「[[第2バチカン公会議]]の教令に基づいて刷新されたローマ・ミサ典礼書を公布する使徒座憲章」(Constituio Apostolica qua Missale Romanum ex decreto concilii Oecumenici Vaticani II instauratum PROMULGATUR "Missale Romanum")。 しかし、1970年3月26日、典礼聖省の教令(decretum)が、新しいミサの公式版を公布したとき、この教令は1964年4月3日の使徒憲章はこのミサ典書のテキストを承認していただけであって公布はしていなかった、という矛盾した説明をした。</ref>。<br />
<br />
== 目的 ==<br />
新しいミサの目的は二つある。<br />
<br />
#'''礼拝よりも司牧の首位性'''<br />
#*第一の目的は、宣教と使徒職の必要性にミサを合わせること(礼拝よりも司牧の首位性)である。これは、[[第2バチカン公会議]]による「司祭職は宣教のためにある」に対応している。第2バチカン公会議によると、[[司祭]]の職務的司祭職は、信徒による「宣教という司祭職」を助けるためにある奉仕職とされる。(これに対して[[トリエント公会議]]では、司祭の職務的司祭職はミサ聖祭のいけにえを捧げえるためにあるとされていた。)<br />
#'''エキュメニズム'''<br />
#*第二の目的は、第2バチカン公会議の目標としていた[[エキュメニズム]]のためである。<br />
<br />
なお、[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]の親友だったジャン・ギトン(Jean Guitton)はパウロ6世から新しいミサの目的が何であったかを直接聞き、1993年12月19日にパリのラジオ局 Radio-Courtoisie でそれについて次のように語っている。<br />
<br />
:「『パウロ6世の』 という名前を持つ新しい典礼の意向は、信徒らにミサに対するより大きな参加をもとめること、聖書にもっと大きな場所を与え、いわゆる『マジック』とか『同一実体の聖変化』とかいわれるもの、全実体変化、これがカトリックの信仰ですが、の場所を少なくすることだといって間違いはないと思います。言い換えると、パウロ6世には、聖伝の意味においてあまりにも『カトリック』的なものをミサにおいて消し去る、或いは少なくとも訂正するか曲げる、そしてカトリックのミサを、繰り返して言いますが、[[カルヴィン]]派のミサに近づけるという意向がありました。」<ref>"Je crois ne pas me tromper en disant que l'intention de Paul VI, et de la nouvelle liturgie qui porte son nom, c'est de demander aux fideles une plus grande participation a la messe, c'est de faire une plus grande place a l'Ecriture et une moins grande place a tout ce qu'il y a, certains disent "de magique", d'autres "de consecration consubstantielle", transsubstantielle, et qui est la foi catholique. Autrement dit, il y a chez Paul VI une intention ecumenique d'effacer -- ou du moins de corriger, ou du moins d'assouplir -- ce qu'il y a de trop "catholique", au sens traditionnel, dans la messe, et de rapprocher la messe catholique, je le repete, de la messe calviniste (...)".日本語訳はトマス小野田圭志神父による</ref><br />
<br />
また、パウロ6世の信頼を得て典礼憲章実行委員会(コンシリウム)の事務長として新しいミサを作るために働いた中心人物であったアンニバレ・ブニーニ神父は、自分の作った新しいミサについてこう言う。<br />
<br />
:「教会は、霊魂への愛と別れた私たちの兄弟たちが一致の道へと至るように全てをしようと言う望みとに導かれ、([[プロテスタント]]たちにとって) 躓きや気に入らないかもしれない危険の陰とでもなるかもしれないものは全ての石を取り除いた<ref>"L'Eglise a ete guidee par l'amour des ames et le desir de tout faire pour faciliter a nos freres separes le chemin de l'union, en ecartant toute pierre qui pourrait constituer ne serait-ce que l'ombre d'un risque d'achoppement ou de deplaisir." (Annibale Bugnini, Documentation Catholique du 4 avril 1965)</ref>。」<br />
<br />
また、オッセルヴァトーレ・ロマーノ紙にも、同様にこう語っている。<br />
<br />
:「私たちは私たちのカトリックの祈りから、カトリックの典礼から、別れた兄弟達、つまりプロテスタントたちにとって、躓きの陰となるかもしれないものは全て取り除かなければならない<ref>"We must strip from our Catholic prayers and from the Catholic liturgy everything which can be the shadow of a stumbling block for our separated brethren that is for the Protestants." (Archbishop Annibale Bugnini, L'Osservatore Romano, March 19, 1965)</ref>。」<br />
<br />
[[ローマ教皇庁]]の公式資料のフランス語版であるドキュマンタシオン・カトリック(Documentation Catholique)の表紙には、「新しいミサを一緒に作ったオブサーバーの6人のプロテスタントの[[牧師]]らが、パウロ6世とともに写っている写真」が掲載されたことがある。オブサーバーとして積極的に働いたテゼのマックス・チュリアンは新しいミサについて次のように述べた。「この新しくなったミサにおいて、[[福音派]]のプロテスタントたちを困らせるようなものは全くない。」<ref>"Dans cette messe renovée, il n'y a rien qui puisse vraiment géner les protestants évangeliques." (Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969)</ref><br />
<br />
== 新しいミサで変更された主な点 ==<br />
新しいミサによる最も大きな変更は、それまで[[ラテン語]]でのみ執り行われていた[[ミサ]]式文を、各国の言語で執り行われるようになったことである。<br />
<br />
それ以前に、[[教皇]][[ピウス12世 (ローマ教皇)|ピオ12世]]は典礼の大切さを強調し、[[1947年]]の回勅『メディアトル・デイ』では「複数の典礼儀式で母国語の使用が会衆にとって有益であるかも知れない」ことを示唆しつつ、同時に俗語の使用の許可は[[ローマ教皇庁]]のみが持つ<ref>[http://www.vatican.va/holy_father/pius_xii/encyclicals/documents/hf_p-xii_enc_20111947_mediator-dei_en.html ''Mediator Dei'']</ref>とした。ピオ12世は、[[聖土曜日]]の復活の徹夜祭における[[洗礼]]の約束の更新を各国語ですることを許可したことがある。<br />
<br />
[[第2バチカン公会議]]では、1963年12月4日『[[典礼憲章]]』(Sacrosanctum Concilium<ref>[http://www.vatican.va/archive/hist_councils/ii_vatican_council/documents/vat-ii_const_19631204_sacrosanctum-concilium_en.html ''Sacrosanctum Concilium'']</ref>が発表されたが、それによると、『典礼憲章』36 §1には原則として「[[ラテン語]]の使用は、ラテン典礼様式において遵守される」とある。また『典礼憲章』36 §2によれば、「国語の使用も可能である」<ref>§2 しかし、ミサにおいても、[[秘跡]]授与においても、また典礼の他の分野においても、国語の使用は人々のために非常に有益な場合が少なくないため、より広範囲にわたって国語を使用することも可能である。それは特に、朗読、訓戒、祈願と聖歌の中のあるものに、次の各章中で個々に定める規定によって適用することができる。</ref>と定められた。とはいえ、原則はラテン語の遵守であり、国語訳の使用は認可の下に<ref>『典礼憲章』36 §4 ラテン文の国語訳が典礼に使用される場合、上述の地域所轄の教会権限所持者によって認可されなければならない。</ref>なされるべきものとされたが、現実には、世界中で各国語で新しいミサが捧げられるようになった。ただし原則は、司祭は常にどこででもラテン語でミサをすることが許されている<ref>[http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/ccdds/documents ''Redemptionis Sacramentum'', 112]</ref>。<!-- 日本では、この規定が無視され、ラテン語で新しいミサを捧げることは、事実上禁止されている<ref>「鹿児島カトリック教区報 2001年9月」を参照</ref>。--><br />
<br />
=== 廃止された点 ===<br />
* 以前の奉献文(Offertorium)のほとんどの祈りが廃止された。<br />
* [[三位一体]]への祈りがほとんど廃止された。<br />
* ミサの贖罪的目的についての言及がほとんど削られた。<br />
<br />
=== 省略された点 ===<br />
* 多くの十字架の印、跪き、イエズスの名前における会釈、[[聖体]]を触れた後での指の清めなどが省略された。<br />
* ミサにおける司祭の個人的な祈りは省略された。<br />
* 以前まで3枚であった祭壇布が1枚に省略され、[[聖遺物]]を置く義務も省略され、名前も「祭壇 altare」から「食卓 mensa」に変わった。<br />
<br />
=== 変更された点 ===<br />
* [[聖変化]]の言葉が変更され、聖変化が歴史的叙述となった。<br />
* 司式司祭の個人的な行為よりも、信徒の司祭職による記念に強調が移行した。<br />
* 司祭の小声でする祈りは全て大きな声ですることに変更された。<br />
<br />
=== 追加された点 ===<br />
* 今まで唯一であったローマ・カノン(典文)に加えて3つの別の奉献文(Prex Eucharistica)が付け加えられた。<br />
* 今まで女性が立ち入ることが禁止されていた至聖所で女性が典礼奉仕することが出来るようになった。<br />
<br />
== 新しいミサに対する好意的評価 ==<br />
* テゼのマックス・チュリアン「おそらく、(新しいミサの)実りの一つは、非カトリックの共同体もカトリック教会がするのと同じ祈りで聖餐を祝うことが出来るようになることだろう。神学的にそれは可能である。」<ref>Max Thurian dans La Croix du 30 mai 1969</ref><br />
<br />
== 新しいミサに対する批判 ==<br />
=== ベネディクト16世教皇 ===<br />
[[教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]は、[[枢機卿]]の頃から新しいミサについてこう語ってきた。<br />
* 「[[第2バチカン公会議]]の典礼改革の各段階は、真のアジョルナメントであったかどうか、むしろそれは典礼の凡俗化でなかったかどうか、どこまで司牧的に賢明であったか、もしやその逆で、軽はずみではなかったか、じっくりと見ていきたい・・・。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』158ページ</ref><br />
* 「ラッツィンガーによれば、まさに典礼の分野において ----- 専門家たちの研究にしろ、実際的適応にしろ ----- 『'''第2バチカン公会議の真正の憲章が言っていることと、それが理解され適用されるやり方との間の差異の最も著しい一例が確かめられる。'''』」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』161ページ</ref><br />
* 「今までなされてきた合理的平準化や、漠然とした論点など、カトリック典礼を村の寄り合い並に引き下げ、くだらないレベルに低下させようとする司牧的幼稚症に対して、もっと果断に反対しなければならない。既に実行されている改革も、特に定式書に関してはこの観点から見直しがなされるべきである。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』159ページ</ref><br />
* 「時として身震いするほど陳腐で平凡な趣向によってつくられた、愚鈍で退屈な公会議後のある種の典礼」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』161ページ</ref><br />
* 「カトリック者にとって、典礼は共通の母国であり、自分のアイデンティティの源泉そのものである。このためにも典礼は、祭式を通じて神の聖性が顕現されるのだから、"あらかじめ設定され"、"何ものにも煩わされるもの" でなければならないのである。ところが、"規則に縛られた古くさい厳格さ" と呼ばれ、"創造性" を奪うと非難された典礼に対する反発は、'''典礼をも "手作り" の渦の中に巻き込んで、私たちの凡庸さに見合うものにし、凡俗化した'''。」<ref>『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』166ページ</ref><br />
* 「パウロ6世のミサ典書は、司式者が典礼の中にあれこれの要素を自由に選択する或いは導入することができるということを規定しており、それ自体で誤った創造性への扉を大きく開けてしまっている。」<ref>ラッツィンガー枢機卿とフィリップ・マクサンスとの対話 ロム・ヌヴォ誌(日本語訳はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「教皇権力の典礼分野までの拡大のために、基本的に教皇は典礼に関して、特に教皇が公会議の決定に基づいて行為する場合は、全能であるかのような印象を与えています。この印象の結果は特に第2バチカン公会議後に目に見えています。それは典礼が与えられたものであって自分の思いのままに変えることの出来ることではないということが、西方カトリック者の意識の中から完全に消え失せてしまいました。しかし1870年[[第1バチカン公会議]]は教皇を絶対君主としてではなく、啓示された神の御言葉に従順な保護者として定義したのです。'''教皇の権能の正当性は、とりわけ教皇が信仰を伝えると言うことに縛られています'''。信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実さ典礼において特別な仕方で関わってきています。'''いかなる権威当局も典礼を「作り上げる」ことは出来ません。教皇ご自身は典礼の同質的な発展、典礼の完全性とその同一性の永続のための謙遜なしもべに過ぎないのです'''。」<ref>ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』</ref><br />
* 「第2バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた。ガンバーは、真の預言者の警戒と真の証人の勇気とを持って、この捏造(falsification)に反対した。そして、彼の信じられないほど豊かな知識をもって、疲れを知らずに私たちに真の典礼の生きる充満性について教えてくれた。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー(Monsignor Klaus Gamber)の「ローマ典礼の改革」Die Reform der Römischen Liturgie のフランス語版のために書かれたラッツィンガー枢機卿の「序言」([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)[http://www.barroux.org/docum/RATZINGER_REF.pdf TEXTE du cardinal Ratzinger paru en tête de l’édition française de La Réforme liturgique en question (Die Reform der Römischen Liturgie) par Mgr Klaus Gamber]</ref><br />
* 「私たちが今日経験している教会の危機は、『あたかも神が存在していないかのような(etsi Deus non daretur)』の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。」<ref>ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ</ref><br />
* 「多くの地域で、新しいミサ典礼書の規定が忠実に守られなかったためです。それどころか、実際に、新しいミサ典礼書が『典礼を創造的に行うこと』を正当化し、さらには要求しているとまで考えられたからです。この『典礼を創造的に行うこと』は、しばしば耐えがたいしかたで典礼をゆがめました。わたしは経験から述べています。わたしもあの希望と混乱に満ちた時期を体験したからです。そしてわたしは、典礼を勝手にゆがめることが、教会の信仰に完全なしかたで根ざした人々をどれほど深く傷つけたかを目にしてきました。」<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message242.htm 教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙 1970年の改革以前のローマ典礼の使用に関する「自発教令」の発表にあたって]</ref><br />
<br />
=== モンシニョール・クラウス・ガンバー ===<br />
クラウス・ガンバー師は、ドイツ人のカトリック典礼学者であり、彼の著作はヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(当時)に大きな影響を与えた。ベネディクト16世の自発教書『スンモールム・ポンティフィクム』の成立に学問的インスピレーションを与えた人物であるとされる。([http://de.wikipedia.org/wiki/Klaus_Gamber Klaus Gamber])<ref>[http://en.wikipedia.org/wiki/Klaus_Gamber His critical work was praised by Cardinal Joseph Ratzinger and he is credited for being one of the academic inspirations behind the motu proprio Summorum Pontificum, allowing broader use of traditional liturgy.]</ref><br />
<br />
* 「パウロ6世がそうするまで、教皇たちは固有の意味におけるミサ式次第(Ordo Missae)には一切変化を加えたことがない。・・・今では、私たちの足元に瓦礫を見つめている。トリエントミサの瓦礫ではなく、あれほど長い期間にわたって成熟まで発展し成長してきた古代ローマ典礼様式の瓦礫である。<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie "... and we now contemplate at our feet the ruins, not of the Tridentine Mass, but of the ancient Roman Rite which had developed and grown to maturity during that long period." 英語版p. 26([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「1969年の新しいミサ式次第の発表は、新しい典礼様式を創造した。言い換えると、聖伝の典礼様式は単に改正されたばかりではなく、むしろ完全に廃止された。そして数年後には、事実上、聖伝の典礼様式は禁止された。・・・典礼様式は「教会の規律と統治」というカテゴリーには入らない。更に付け加えることができるのは、カトリック教会法典を含めて、教皇には教会の最高牧者として聖伝の典礼様式を廃止する権能があると述べられている文章は一つも存在していない。事実、教皇にたった一つの地方の典礼の伝統を変える権威があるなどと述べているような文書は何処にも無い。・・・従って、著名な神学者であるスアレス(Suarez 1617年没)は、やはり神学の権威であるカイェタノ(Cajetan 1634年没)を引用して「もしも教皇が自分の義務であるにもかかわらず、教会の神秘体と全き交わりを保たなかったとしたら、たとえばもしも教皇が全教会を破門したとしたら、或いは'''もしも教皇が使徒継承の聖伝として保たれてきた教会の典礼様式を全て変えてしまったとしたら」彼は離教的(schismaticus)となるだろう'''という立場を取っている。・・・確実な史実によれば、[[パウロ6世]]がそうするまで、私たちが目前にしているような典礼形式における根本的な変化の型を導入した教皇はただの一人も存在していない。事実、典礼において教皇によって導入された極めて小さい変化であったとしてもすぐに受け入れられたことは決してなかったということを私たちは述べなければならない。・・・1969年のミサ式次第は典礼様式を変えたのみならず、典礼暦年や諸聖人の祝日を大幅に変えてしまった。一つ二つの祝日を付け加えることは、それ自体としては、典礼様式を変えることではない。しかし無数の変更を導入し、聖伝の典礼形式は形を全く変えてしまった。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「私たちは東方教会にも、西方教会にも、会衆と対面して versus populum 儀式などというものは存在していなかったことと言うことができるし充分に証明することもできる。むしろ存在していたのは、祈る時に東方を向くということだけであった。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版p. 77([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による) [http://www.sacredarchitecture.org/pubs/saj/articles/biblical_roots.php The Biblical Roots of Church Orientation] by Helen Dietz]</ref><br />
* 「典礼の歴史においても神学においても社会学的にもいかなる根拠もないが故に、会衆と対面した versus populum ミサの儀式というのは徐々に姿を消すべきである。」 <ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版 p. 92([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)</ref><br />
* 「今日、私たちは、教会の聖伝ほぼ2000年の廃墟を前にして立っている。私たちはこう思わざるを得ない。多くの改革は教会の聖伝に損害を与え、それはそれを元に戻すのが難しいほどだ。今日、かくも酷い破壊の後に、聖伝の秩序を再建築するのが可能なのかと疑問にさえ思う。」<ref>モンシニョール・クラウス・ガンバー「ローマ典礼の改革」Die Reform der roemischen Liturgie 英語版 p. 95([http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/fd765c886012be88a582aae25596e3f6 日本語訳]はトマス小野田圭志神父による)<br/>更にまた「曖昧さなくこう言う必要がある。私たちが知っていたローマ典礼様式は、もはや存在していない。それは破壊された。」ジョセフ・ジュリノ著『典礼の明日』Joseph Gelineau SJ, Demain la liturgie Paris: Ed. du Cerf, 1979, p.10. という証言もある。</ref><br />
<br />
<!--<br />
===オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿===<br />
オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿とはパウロ6世教皇に新しいミサについて手紙を書きこう述べた。<br />
(以下、手紙文は[[#1970年の新しいミサ典書]]の節と一部重複するため、残りの部分も[[#1970年の新しいミサ典書]]の節に移動させて削除しました)--><br />
<br />
=== 新しいミサの神学的な問題 ===<br />
*'''「十字架のいけにえ」から「神の民の集会」'''<br />
:新しいミサでは、[[第2バチカン公会議]]の提示する新しい司祭職としての「宣教」する「神の民」が典礼を執行する。職務的司祭は、神の民の集会の座長であるが、ミサは神の民の集会であり、信徒がミサを捧げるのであって、信徒が主体的に行動すべきであるとされる。従って、総則の第7条にはこうある。<br />
<br />
:* 主の晩餐、またはミサは、聖なる集会の儀、すなわち「主の記念」を祝うために、司祭を座長として、'''一つに集まった神の民の集会である'''。したがって、「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいる」(マタイ18:20)というキリストの約束は、とくに教会が、それぞれの地域で集まる時に実現される<ref>人間こそ、われわれの全叙述の中心点」(『[[現代世界憲章]]』3)であり「地上に存在するあらゆるものは、その中心および頂点である人間に秩序づけられなければならない」(『現代世界憲章』 12)。</ref>。<br />
<br />
*'''「贖罪のいけにえ」という概念の排除'''<br />
:[[エキュメニズム]]のために、新しいミサからは「贖罪のいけにえ」という概念が体系的に排除されている。[[マルティン・ルター]]に始まって[[プロテスタント]]にとって、「ミサ」はいけにえではなく晩餐であり、全て信徒は「司祭」である。新しいミサはそれに合わせた。<br />
<br />
=== 翻訳の問題 ===<br />
[[聖変化]]の言葉が各国語に訳されるときの誤りの問題が[[1967年]]から生じていた。典礼英語国際委員会 International Commission on English in the Liturgy (ICEL)による英語訳に始まって、ほぼ世界中で同じ誤りが犯されてきていた。<br />
<br />
誤った翻訳とは、御血の聖変化の言葉の部分の翻訳である。[[ラテン語]]では、 pro multis (多くの人々のために)となっているところを、「全ての人々のために」とほぼ全世界で訳されてきた。(例外は[[ポルトガル語]]、[[ポーランド語]]、[[日本語]]訳のみ)<br />
<br />
[[2006年]]11月、アリンゼ[[枢機卿]]はこれを訂正することを求めた<ref>[http://www.d-b.ne.jp/mikami/fp061213.htm 「あなたたちのためそしてすべての人のため」はゴミ箱行きとなる]<br>[http://www.remnantnewspaper.com/Archives/archive-2006-1130-pro-multis.htm Rome Corrects Error...After 40 Years]</ref>。<br />
<br />
=== ミサの式次第の翻訳 ===<br />
ラテン語の翻訳から各国語に翻訳をする時に直訳ではない事。<br />
<br />
「Liturgiam authenticam」においても指摘されているように多くの翻訳の問題がある<ref> http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/ccdds/documents/rc_con_ccdds_doc_20010507_liturgiam-authenticam_en.html</ref>。<br />
<br />
日本では「日本における適応」として認可を受けるようにバチカン([[ローマ教皇庁|教皇庁]])と交渉中である<ref>[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>。<br />
<br />
== 日本における新しいミサ ==<br />
=== 日本語への翻訳 ===<br />
「新しいミサ」が発表されて日本語に翻訳されると「悪文なので驚いた。へんないいまわし、敬語を使わないこと」「あまりにもチグハグ」「信者でない人が味わう忘れがたい印象、信仰に導くミサの本質的なものが次第に失われていく」など、国語化されたミサ式文に寄せる不満が多く出された<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)4月19日 第2128号(1)<br/>「声」欄には読者からの声として「やっぱり「あなたをおいてだれのところに行きましょう」という、なんだか芝居役者のセリフのような言葉を公式の儀式で唱える祈りにされているのが残念です」などという意見も掲載された。</ref>。「あらゆる苦情殺到の中で」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)2月22日 第2120号(1)</ref>日本典礼司教委員委員長である長江恵[[司教]]は1970年春に「新しいミサの典礼とその意義」という講話を行い「一番悩んでいるのは言葉の問題である」「翻訳には限界があるからである」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)4月19日 第2128号(2)</ref>という。<br />
<br />
新しいミサが導入されてからほぼ40年がたった[[2007年]]には、2月19日から23日まで開かれた日本司教評議会の司教総会(会長は野村司教)で一番時間がかかった問題が、典礼式文翻訳の課題であった。例えば Et cum spiritu tuoの訳<ref>典礼秘跡省は、spirituは単に「霊」ではなく、司祭が叙階の時に受けた霊の「たまもの」を浮かび上がらせるような言葉の使用を指示。言葉を補って翻訳すると「原文との相違」が生じてしまう。[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>、mea culpaの訳、Sursum cordaの訳など、ラテン語を使用に耐える日本語に翻訳することには困難が多い<ref>[http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2007/02/post_5f3a.html 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から]</ref>。<br />
<br />
=== 手による聖体拝領 ===<br />
「日本司教様評議会は1970年5月の定例総会で[[聖体拝領]]に際して'''聖体を手に授ける'''ことを決定して教皇庁に申請していたところ、典礼聖省長官ベンノ・グート枢機卿から、信者に聖体を手に授けるための指針が届いた。」<ref>カトリック新聞 昭和45年(1970年)10月11日 第2151号(1)</ref>それによると、<br />
# 日本大司教評議会の管轄地域ではそれぞれの司教は、自らの判断と責任において、管轄[[教区|司教区]]内で聖体拝領の新しい様式の導入を許可することが出来る。<br />
# 聖体拝領の新しい方法は従来の慣習を排除してしまうような仕方で押しつけられてはならない。<br />
# 特に大切なことは、それぞれの信者は聖体を舌で受けて拝領できるように配慮する必要がある。<br />
<br />
しかし現実は、<!-- 2009年現在、日本のほとんどの小教区で手による聖体拝領がほぼ強制させられている。(地方によって違うのかもしれませんが、「日本のほとんどの小教区で」という事実はありません)-->多くの司教区では2009年5月から新型インフルエンザ対策という名目で口による聖体拝領は事実上禁止された<ref>[http://www.ignatius.gr.jp/flu.html 新型インフルエンザに関するお知らせ]<br/>http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/090221influenza.doc<br/>[http://www.kyoto.catholic.jp/new/topnews/20090501kyouku.pdf 新型インフルエンザ・京都教区感染防止司牧指針]など</ref>。<br />
<br />
=== その他 ===<br />
その後、1990年代から2000年代以降、司教区や小教区でさまざまな形態・様式のミサが試みられている。<br />
;「手作りのミサ」<br />
:鹿児島司教区の教区長である郡山司教は、200名あまりの若者で作った「手作りのミサ」「東京パワー日本の中心でミんなとつながって素直に感謝をサさげよう」~キミとボクとドキドキミサ~について、教会の未来は明るい!と高く評価している<ref>[http://sdemo.net/pken/Blog/archives/2008/9/14 それでも Blog! 24時間司教 東京パワー]</ref>。<br />
<br />
;「踊るミサ」と「祝福の儀(食卓)」<br />
:幸田和生神父(当時・現[[カトリック東京大司教区|東京大司教区]]補佐司教)は、東京教区教会学校リーダー研修会で 「子どもと共に捧げるミサ」 の工夫についての話の中で、「踊るミサ」 をはじめとして、 子供自身の信仰の表現をさまざまに工夫してミサの中に取り込むと講演した。さらに、初聖体を受けていない子や、 受洗していない子のために、 ミサとは区別した上で、 手づくりのパンで 「祝福の儀 (食卓) なるものを試みた」。このような試みに感激をしたと好意的に紹介している<ref>http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/1992/kn098b.htm</ref>。<br />
<br />
;「能」を取り入れたミサ<br />
:1993年5月14日には真生会館で、日本の伝統芸能である「[[能]]」を取り入れたミサが行われた。そこでは、ミサ中の聖歌の部分が、「能」の形式によって歌われた<ref>http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/1993/kn104.htm</ref>。<br />
<br />
;「あっちこっちミサ」<br />
:「あっちこっちミサ」とは、「全国各地の教区で、同じ日時、同じ典礼でミサを捧げよう!という趣旨で始った、青年たちのプロジェクト」である。「普段、教区ごとに分かれて活動している青年たちが、『離れていても自分達は信仰で繋がっている』ということを感じ、一致の恵みを喜び合うミサ」とされる<ref>[http://attikottimisa4.xxxxxxxx.jp/about.html 第4回 あっちこっちミサ]</ref><ref>[http://attikottimisa4.xxxxxxxx.jp/tenrei.html 第4回 あっちこっちミサ(当日の典礼)]</ref>。<br />
<br />
;「南無アッバミサ」<br />
:「南無アッバミサ」とは、井上洋治神父(東京教区)が、故[[白柳誠一]][[枢機卿]]の賛同を得て、日本人にあった福音の形を模索するための運動である「風の家」という活動の中で始められたミサ。典文(奉献文)以外のミサ通常文の一部を、カトリックではない人々が親しみやすくするために「南無アッバ」というフレーズを入れるなどして変えている<ref>カトリック新聞2009年12月13日(4032)号及び2009年12月13日(4033)号「東京教区・井上洋治神父の模索(上)(下)」</ref><ref>[http://blog-imgs-41.fc2.com/n/a/m/namuabba/sidai-inori.htm 「南無アッバミサ」式次第]</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{reflist|2}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.papalencyclicals.net/Pius05/p5quopri.htm 聖ピオ五世の『クォー・プリームム』''Quo primum''の英語訳]<br />
* [http://www.rtforum.org/lt/lt92.html ラッツィンガー枢機卿『典礼の精神』に関する書評]<br />
* [http://sacramentary.blogspot.com/2007/06/reform-of-roman-liturgy-msgr-klaus.html The Reform of the Roman Liturgy (Msgr. Klaus Gamber) -- Where the modern Liturgy went wrong By Michael Davies]<br />
* [http://www.westernorthodox.com/novusordo An excerpt from The Reform of the Roman Liturgy: Its Problems and Background, by Monsignor Klaus Gamber]<br />
<br />
== 文献 ==<br />
* Davies, Michael, [http://www.latin-mass-society.org/msshst.htm ''A Short History of the Roman Rite''] (ローマ典礼様式の短い歴史), Rockford (IL), TAN Publishers 1997.<br />
* Bugnini, Annibale, ''The Reform of the Liturgy 1948-1975''(典礼改革 1948年-1975年). ISBN C814615716<br />
* Gamber, Klaus, ''The Reform of the Roman Liturgy. Its Problems and Background''(ローマ典礼の改革 その問題と背景). Roman Catholic Books (U.S.) 1993. ISBN 978-0-912141-05-3.<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:あたらしいみさ}}<br />
[[Category:カトリック|あららしいみさ]]<br />
[[Category:キリスト教の礼拝・典礼・奉神礼|あたらしいみさ]]<br />
[[Category:ミサ|あたらしいみさ]]<br />
<br />
[[cs:Mše Pavla VI.]]<br />
[[de:Novus Ordo Missae]]<br />
[[en:Mass of Paul VI]]<br />
[[fr:Rite romain]]<br />
[[id:Misa Paulus VI]]<br />
[[ko:바오로 6세 미사]]<br />
[[nl:Mis van Paulus VI]]<br />
[[pl:Zwyczajna forma rytu rzymskiego]]<br />
[[ru:Novus Ordo Missae]]<br />
[[sv:Paulus VI:s liturgi]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B0&diff=401197
ローレグ
2022-08-27T05:40:51Z
<p>PG: /* 概要 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>'''ローレグ'''とは、<br />
# [[ハイレグ]]の対義語で、股の切れ込みが浅い[[下着]]や[[水着]]の呼び方。<br />
# 絵や漫画の中にのみ存在する極端な[[ローライズ]]([[股上]]が浅い)の[[下着]]や[[水着]]の呼び方。<br />
ここでは主に2. について説明する。<br />
<br />
==概要==<br />
1.ローレッグカット(Low leg cut)の略。(特に女性用の)下着や水着で股部分の切れ込みの布が鈍角をなしているものを指す。肌の露出が抑えられるが、デザインによっては動きやすさや通気性が劣ることがある。<br />
<br />
2. ある[[同人]]作家がローライズの下着などを、股上をより可愛くまた過激に浅くした物のことを、ハイレグと正反対だから、という理由でローレグ(ローは英語の low・低い の意)と呼ぶ事を提唱してから広がった[[萌え]]要素の一つ。<br />
その股上は[[陰毛]]が生えていれば丸見えになってしまうほど浅く、しばしば[[性器]]さえも見えるか見えないかというギリギリの状態であり、「穿いているほうが恥ずかしい」エロチックな要素を持った衣装の一つとして定着した。<br />
首記のとおりこのような衣服の形態は「'''ローライズ'''」であり、言葉の誤用であるが、実際描かれている絵や[[漫画]]、[[同人誌]]などでは、それらほとんど全てがローライズと呼ぶには無理があるほど股下が低く小さくなったものの割合が多いため、あえて区別させるためにこの呼び方が使われている側面がある。<br />
<br />
なお、実際の下着などでのローライズは陰毛などが見えない程度の浅さであり、こういったものが多数存在するとか、流行するといった兆候はなく、あくまでもフィクションの中の産物であるが、極端に覆う面積の少ないセクシーなデザインの[[ショーツ]]は市販されている。<br />
<br />
==書籍==<br />
*朝木貴行「ろぉーれぐ」([[成年コミック]]) ISBN 4871828689<br />
<!-- 追加を希望します --><br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ハイレグ]]<br />
*[[マイクロビキニ]]<br />
*[[島田フミカネ]] - フィクションにおけるローレグを広めたとされる。<br />
*[[萌え]]<br />
*[[前貼り]] - フィクションにおいては、こちらも似たような使い方をされる。<br />
<br />
{{jawp}}<br />
{{DEFAULTSORT:lowlegcut}}<br />
[[Category:アニメ]]<br />
[[Category:マンガ表現論]]<br />
[[Category:萌え属性]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=iPod_touch&diff=401196
iPod touch
2022-08-27T05:39:16Z
<p>PG: /* 第5世代 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>'''iPod touch'''(アイポッド タッチ)は、[[アップル インコーポレイテッド|アップル]]が開発・販売する、[[NAND型フラッシュメモリ|フラッシュメモリ]]を内蔵した[[iPod]]シリーズの[[ポータブルメディアプレーヤー]]である。<br />
<br />
==概要==<br />
同社が発売する携帯電話端末である[[iPhone]]と同様、物理的なボタンは極力少なくし、ほとんどの操作は画面にタッチして行うという特徴を持っている。また、一般的なタッチパネルとは異なり、「マルチタッチ」対応のタッチパネルを使用することにより、単に画面を触るだけではなく、複数の指を画面上で広げたり閉じたりするような操作で、画面に表示している写真などを直感的に拡大・縮小できる。また、どの程度の速度で指を動かしているかを認識し、表示している項目のスクロール速度をコントロールするなど、従来のタッチパネルにない高度な操作を可能としている<ref>{{cite web|url =http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0709/07/news075.html|title =iPod touchはBest iPod――米Apple幹部に聞く「iPod touch」|publisher = [[iTmedia]]|work=+D LifeStyle|date=2007-09-07|accessdate=2007年9月25日 }}</ref>。<br />
<br />
これまでのiPodでできた[[音楽]]や[[動画]]の再生のみならず、[[無線LAN]]を通じて内蔵の[[iTunes]]でiPod touch単独で楽曲の購入が可能となり、[[Safari]]を搭載することによって[[ウェブサイト]]の閲覧をはじめとする[[インターネット]]端末の役割をもつほか、[[App Store]]から[[ダウンロード]]した[[ゲーム]]など[[アプリケーション]]の実行機能も搭載されている。3G以外のiPhoneとの違いは[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]や[[方位磁針|電子コンパス]]の有無など。<br />
<br />
==歴代モデル==<br />
===第1世代===<br />
第6世代iPod ([[iPod classic]])、第3世代[[iPod nano]]と共に[[2007年]][[9月5日]](日本時間[[9月6日]])に発表された<ref>[http://www.apple.com/jp/news/2007/sep/06touch.html iPod touch 発表]</ref>。ラインナップは8GB(34,000円/$299)および16GB(46,000円/$399)、[[2008年]][[2月5日]]に32GB(58,800円/$499)のモデルが追加され3種類で、色はブラックのみである。システム要件は[[USB2.0]]ポート搭載で、iPod touch 1.1はiTunes 7.6以降、2.0はiTunes 7.7以降、2.1はiTunes 8.0以降がインストールされた[[Mac OS X v10.4|Mac OS X v10.4.10]]以降の[[Macintosh|Mac]]または[[Microsoft Windows XP|Windows XP SP2以降]]、[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]および[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]のパソコン。<br />
<br />
発売当初に搭載されていたアプリケーションは、カレンダー・YouTube・時計・計算機の4つ。2008年1月15日(日本時間)出荷分より、メール・マップ・株価・メモ・天気の5つが追加され、それ以前に出荷されたiPodのユーザーは、1月のアップデートとしてアプリケーションをiTunes Storeで購入(2,480円)することで対応した。なお、マップと同時に凝似[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]も追加されたが日本は一部を除き非対応である。また、日本の株価は[[日経平均株価]]と[[円相場]]以外は表示できない。<br />
<br />
2008年7月11日に、iPhone 2.0 Software Update for iPod touch が公開され、2.0にアップデートすることによって、App Storeへの対応、関数電卓、Safariやメールからの画像保存、iTunesのアプリケーションのデザイン変更、連絡先の検索機能強化、日本語入力式独自のテンキー採用、[[MobileMe]]対応など新機能を使用することができる。1月のアップデートでのアプリケーションも含まれていて、1,200円でアップデートできる。こちらは7月11日以降出荷分もアップデートが必要である。<br />
<br />
2008年9月9日、第2世代iPod touchの登場に伴い、Genius機能の追加された iPod touch 2.1アップデートが公開された。アップデートは、2.0からは無料、1.1からは1,200円。<br />
<br />
2009年3月17日、同年夏に提供されるiPhone/iPod touchの最新OSとなる「iPhone OS 3.0」が発表された。iPhoneは無料、iPod touchは9.95ドルでアップデートできる(日本では1200円)。 バージョン3.0にアップデートすることにより、100以上の新機能が追加される。例えば、すべてのアプリ間における文章のコピー&ペースト、メールやメモの横書き、写真・住所録・オーディオファイル・位置情報を送信できるMMS、全アプリケーションを対象とする検索といった機能に対応している。Bluetoothには非対応。<br />
<br />
===第2世代===<br />
2008年9月9日に第4世代iPod nanoと共に発表され、アメリカでは9月10日に発売、日本ではやや遅れ、無線LAN規格の認可が下りた数週間後に出荷された。<br />
<br />
基本的な性能は第1世代を踏襲しているが、新たに音量調節ボタンとスピーカーが搭載された。また、[[Nike+iPod]]のワイヤレス機能も内蔵され、専用のセンサーを使用することによってNike+iPodのサービスを利用できる<ref>[http://japan.cnet.com/review/news/story/0,3800080055,20380234,00.htm 新型「iPod touch」と「iPod nano」を米サイトがさっそく分解:レビュー - CNET Japan]</ref>。<br />
<br />
価格は第1世代からは大幅に値下げされ、ラインナップは8GB(27,800円/$229)、16GB(35,800円/$299)および32GB(47,800円/$399)の3種類。システム要件はUSB2.0ポート搭載でiTunes 8.0以降がインストールされたMac OS X v10.4.10以降のMacまたはWindows XP SP2以降、Windows VistaおよびWindows 7のパソコン。iPhone OS 2.1 for touchが標準搭載されている。本モデルにソフトウェア3.0以降をインストールすることによりBluetoothが使用可能になる。Bluetoothでは[[Advanced Audio Distribution Profile|A2DP]]に対応した。<br />
<br />
===第3世代===<!--Appleが第3世代と呼称することにしたそうです--><br />
2009年9月9日にiPod nano(第5世代)と共に発表された。当初Appleによる呼称は「Late 2009」「End 2009」だったが、2010年4月8日のiPhone OS 4.0発表イベントより第3世代となった(32GBと64GBモデル)<ref>[http://support.apple.com/kb/HT1353#iPod_touch_late2009/|Apple Identifying iPod models]</ref>。<br />
<br />
新たに64GBモデル(39,800円)が追加され、32GBモデルは第2世代よりも値下げされて29,800円となった。また、8GBモデルは第2世代のまま値下げされて19,800円となり、16GBモデルはラインナップから消えている。背面の鏡面に刻まれている文字の配置が変更されている。32GBと64GB両モデルはCPU/GPUが高速化され、メインメモリが倍増したことで、iPhone 3GSと同等の処理能力となったが、チップの型番は完全に同一ではない。<br />
<br />
機能は第1世代、第2世代を受け継いでいる。32GBと64GBではiPhone 3GSと同じく音声コントロールが可能となり、同梱されているイヤホンはリモコンとマイクが搭載されたものに変更になった。さらに、32GBと64GBモデルでは、Wi-Fi接続でこれまでよりも早くウェブページがロードされるようになっている。システム要件はUSB2.0ポート搭載でiTunes 9.0以降がインストールされたMac OS X v10.4.11以降のMacまたはWindows XP SP3、Windows Vista、Windows 7およびWindows 8のパソコン。<br />
<br />
===第4世代===<br />
[[2010年]][[9月2日]]に[[サンフランシスコ]]のYerba Buena Centerで開催されたAppleのイベントで、マルチタッチをサポートした[[iPod nano]](第6世代)と、[[iPod shuffle]]と共に発表された。<br />
<br />
高解像度ディスプレイ(3.5インチ、iPhone 4と同解像度(960×640)の「Retinaディスプレイ」)、[[Apple A4]]プロセッサ、3軸[[ジャイロセンサー]]など、iPhone 4で搭載されるようになったハードウェアが多数加えられた。ただし、ディスプレイはiPhoneに比べ視野角がやや狭いなどの違いがあり、iPhone 4と全く同じではない。<br />
<br />
また、本世代から[[カメラ]]が搭載されるようになり、フロントカメラと背面カメラの2つを備えている。2つのカメラは[[720p]]のHD動画が撮影可能であり、それに伴い[[マイクロフォン]]も内蔵されるようになった。「[[FaceTime]]」でビデオ通話も可能となった。<br />
<br />
一方で、iPhone 3G以降に搭載されているGPS機能や、iPhone 3GS以降に搭載されているデジタル[[方位磁針|コンパス]]は、このモデルにも搭載されていない。<br />
<br />
今までは、iPhone 4でのみ利用可能だった「iMovie」が利用可能となったため、撮った動画を編集してそのまま[[YouTube]]などにアップロードすることも可能となった。また、iOS 4.1搭載で「GameCenter」が利用可能となっている。システム要件はUSB2.0搭載で[[iTunes]] 10.0以降がインストールされているMac OS X 10.5.8以降のMacまたはWindows XP SP3、Windows VistaかWindows 7が搭載されたパソコンが必要である<ref>{{Cite web<br />
|url=http://www.apple.com/jp/ipodtouch/specs.html<br />
|title=アップル - iPod touch - 技術仕様<br />
|publisher=アップル<br />
|language=日本語<br />
|accessdate=2011-05-13<br />
}}</ref>。<br />
価格は、8GBモデルを除いて若干値下がりしている。また、今回は8GBモデルも仕様変更されている。<br />
8GBモデルが20,900円、32GBモデルが27,800円、64GBモデルが36,800円となっている。<br />
発表日と同じ、9月2日より予約受付開始となった。9月15日よりApple Storeや一部の家電量販店で販売開始された。<br />
<br />
[[2011年]][[10月5日]]にホワイトモデルが追加され、8GBモデルが16,800円、32GBモデルが24,800円、64GBモデルが33,800円と価格が引き下げられた。同時に発売された[[iPhone 4S]]とは違い、仕様面でのバージョンアップはされなかったため、iPhoneシリーズとの差別化がより明確となった。<br />
<br />
[[2012年]][[9月12日]]に第5世代の発表と同時に、8GBモデル、64GBモデルの取り扱いは終了し、新たに第2世代以来の16GBモデルが追加された。価格は16GBモデルが16,800円、32GBモデルが20,900円となった。<br />
<br />
===第5世代===<br />
[[アップル インコーポレイテッド|アップル]]は、2012年9月12日(米国時間)にプレスイベントを開催し、[[Long Term Evolution|LTE]]対応の「[[iPhone 5]]」とともに新しい「iPod touch」と「iPod nano」を発表した。いずれもデザインを一新し、iPod touchには、初めて5つのボディカラーを用意した。<br />
<br />
iPod touchは、IPS方式の4インチ「Retinaディスプレイ」(1136×640ピクセル)を搭載しつつ、サイズは58.6(幅)×123.4(高さ)×6.1(厚さ)ミリ、重量は88グラムと薄型・軽量化。販売時点で、ピンク、イエロー、ブルー、シルバー、スレートの5色を用意した。内蔵メモリは32GB版と64GB版がある。8GBは5世代目から外れた。2012年9月14日から[[Apple Online Store]]で先行注文を受け付けた。価格は32GBモデルが2万4800円、64GBモデルは3万3800円。当面は第4世代のiPod touchも併売された。<br />
デュアルコアのA5チップを採用し、第4世代iPod touchの最大2倍の処理能力を持つ。[[IOS (アップル)|iOS]]も最新のiOS6となり、初めてiPodで「[[Siri]]」も使えるようになった。また[[iCloud]]を使った共有[[フォトストリーム]]や[[iMessage]]、[[FaceTime]]、[[メール]]、Game Centerなど、iOSの主要機能をカバー。AirPlayミラーリングも備えているため、[[写真]]や動画、ゲームなどを大画面テレビに映し出して楽しめる。<br />
<br />
500万画素になったiSightカメラは[[オートフォーカス]]付きで、[[LED]]フラッシュも装備。[[顔検出]]や[[手ぶれ補正]]付きのHD[[1080p]]動画の[[撮影]]をサポートしたほか、[[風景]]に沿ってカメラを動かすだけで[[パノラマ写真]]が撮影できる「パノラマ」も新たに搭載する。<br />
<br />
従来の30ピンDockコネクタを廃し、小型の「Lightningコネクタ」を装備。従来のオプションも使えるように“Lightning-30ピン変換アダプター”(2800円)なども用意する(但し、これを以ってしても、可能なのは電気的接続だけ。Dockコネクタを活用したサードパーティー製品で立てることは出来ない)。<br />
<br />
[[バッテリー]]駆動時間は音楽再生で最長40時間、動画再生で最長8時間。新デザインの「Apple EarPods」イヤフォン、およびビデオ録画時などに便利なリストストラップ「iPod touch loop」が付属する。<br />
<br />
2013年5月31日に、16GBの背面カメラを省略したモデルを追加した。アメリカ市場で229ドル、日本国内では22,800円で販売される<ref>[http://jp.techcrunch.com/2013/05/31/20130530apple-new-ipod-touch-no-camera/ 背面カメラなしの16GB iPod Touchが登場。日本版Appleストアでの価格は22,800円] - techcrunch 2013年5月31日</ref>。<br />
<br />
2013年5月31日に、日本国内で32GBモデルが29,800円、64GBモデルが39,800円に価格が引き上げられた<ref name="weekly_ascii_130531">[http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/147/147361/ アップルがiPadを最大1.3万円ひっそり値上げ 比較表で見る新旧価格(追記)] - 週アスPLUS 2013年5月31日</ref>。値上げ理由は、NHKなどの取材で「円安ドル高による改訂」としている<ref>{{Cite news |title=アップル 円安でiPadなど値上げ |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130531/t10014974711000.html |date=2013-05-31 |newspaper=NHKニュース |publisher=日本放送協会 |accessdate=2013-06-02 |archiveurl=http://megalodon.jp/2013-0602-2300-14/www3.nhk.or.jp/news/html/20130531/t10014974711000.html |archivedate=2013-06-02}}</ref>。アメリカ市場では値段は据え置かれている<ref name="J-CAST20130531">[http://www.j-cast.com/2013/05/31176349.html 円安でiPadなど最大1万6000円値上げ 「駆け込み需要」で売り切れも続出] - J-CASTニュース 2013年5月31日</ref>。<br />
<br />
2013年9月11日、新色のスペースグレーを32GB・64GBに設定。6色の設定になった<ref>[http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20130911_615126.html アップル、iPod touchやnanoに新色スペースグレーを追加] - AV Watch 2013年9月11日</ref>。<br />
<br />
2014年6月26日、16GBモデルの仕様を変更。32GBモデル・64GBモデル同様、カラーバリエーションがピンク、イエロー、ブルー、シルバー、スペースグレイ、(PRODUCT) REDの6色に増えた。背面カメラも搭載したため、iPod touch loop ホルダーが付けられたが、iPod touch loop本体は付属してない。<ref>[http://www.apple.com/jp/pr/library/2014/06/26Apple-Brings-Vibrant-Colors-iSight-Camera-to-Most-Affordable-iPod-touch-Model.html Apple、お求めやすい価格のiPod touchモデルに鮮やかなカラーとiSightカメラを装備] - Apple Press Info 2014年6月26日</ref>。価格は全モデル値引きされ、16GBモデルが20,800円(199ドル)、32GBモデルが24,800円(249ドル)、64GBモデルが29,800円(299ドル)に改定された<ref>[http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304057704579648883717893914 アップル、iPodを最大100ドル値下げ] - ウォールストリートジャーナル 2014年6月27日</ref>。<br />
<br />
==仕様==<br />
基本的に従来のiPodシリーズに内蔵されている機能はすべてサポートしているが、USBマスストレージ規格上の、いわゆる[[USBメモリ]]としては利用できない。内部へのアクセス、データ保存自体はiPhone explorerなどによって可能。またiTunes Storeで販売されているAir Sharing等を使うことにより、無線経由でのストレージとして使用可能。<br />
<br />
ビデオプレイリストも利用できない。音楽プレイヤーとしての基本仕様はiPodの項を参照。以下はiPod touchオリジナルの仕様や機能である。<br />
{|class=wikitable align=center style="font-size:80%"<br />
|-<br />
!<br />
!style="width:15%"|第1世代<br />
!style="width:15%"|第2世代<br />
!style="width:15%"|第3世代<br>(8GBモデル,第2世代Late 2009)<br />
!style="width:15%"|第3世代<br>(32/64GBモデル)<br />
!style="width:15%"|第4世代<br />
!style="width:15%"|第5世代<br />
|-<br />
|-<br />
!初期搭載[[iOS (アップル)|iOS]]<br />
|iPhone OS 1.1<br />
|iPhone OS 2.2<br />
|colspan=2|iPhone OS 3.1<br />
|iOS 4.1 または 5<br />
|iOS 6.0 または 7.0<br />
|-<br />
!iOS最終サポート<br />
|iPhone OS 3.1.3<br />
|iOS 4.2.1<br />
|colspan=2|iOS 5.1.1<br />
|iOS 6.1.6<br />
|未定<br />
|-<br />
!style="width:10%"|CPU<br />
|[[ARMアーキテクチャ|ARM11]]プロセッサ400MHz<br>後に412MHzが採用<br />
|colspan=2|ARM11プロセッサ533MHz<br />
|ARM Cortex-A8プロセッサ 600MHz<br />
|[[Apple A4]]プロセッサー 800MHz<br />
|[[Apple A5]]プロセッサー 800MHz<br />
|-<br />
!メインメモリ<br />
|colspan=3|Mobile [[DDR SDRAM]] 128MB<br />
|colspan=2|Mobile DDR SDRAM 256MB<br />
|colspan="1"|Mobile DDR2 SDRAM 512MB<ref>{{Cite web|url=http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/111/111740/|title=第5世代iPod touchファーストインプレ|publisher=週刊アスキーPLUS|accessdate=2012-10-10}}</ref><br />
|-<br />
!フラッシュメモリ<br />
|colspan=2|8/16/32GB<br />
|8GB<br />
|32/64GB<br />
|8/16/32/64GB(2012年9月12日に第5世代iPod touchが正式発表されたのと同時に16GBモデルが追加され、8GBおよび64GBの取り扱いは終了した。)<br />
|16/32/64GB<br />
|-<br />
![[ディスプレイ]]<br />
|colspan=4|3.5[[インチ]]型マルチタッチ[[液晶]]<br>画素数:480×320[[ピクセル]]、解像度:163[[ppi]]<br />
|3.5インチ型<br>マルチタッチ液晶 Retinaディスプレイ<br>画素数:960×640ピクセル、解像度:326ppi<br />
|4インチ型<br>マルチタッチ液晶 Retinaディスプレイ<br>画素数:1136×640ピクセル、解像度:326ppi<br />
|-<br />
!rowspan=2|無線LAN<br />
|colspan=4|IEEE 802.11[[IEEE 802.11#IEEE 802.11b|b]]/[[IEEE 802.11#IEEE 802.11g|g]]<br />
|IEEE 802.11b/g/[[IEEE 802.11#IEEE 802.11n|n]](2.4GHz帯のみ)<br />
|IEEE 802.11[[IEEE 802.11#IEEE 802.11a|a]]/b/g/n(2.4GHz、5.0GHz)<br />
|-<br />
|colspan="6"|[[PPPoE]]には非対応。すべてのインターネットへのアクセスは無線LAN(Wi-Fi)を介する。<br />
|-<br />
!カメラ<br />
|colspan=4|非搭載<br />
|背面と前面に搭載。960×720ピクセル<!--ただし、iPhone 4に搭載されているカメラは500万画素だが、iPod touchに搭載されているカメラは70万画素(背面)と30万画素(前面)で画素数が少ない、フラッシュが搭載されていないなど、仕様はやや異なっている-->(ビデオ撮影対応,背面カメラで[[720p]] HD 30fps)、タップで露出調整<br />
|新16/32/64GB : 背面と前面に搭載。前面に120万画素、背面には500万画素のiSightカメラ、LEDフラッシュ、HD([[1080p]] 30fps)ビデオ撮影、タップで露出とフォーカス調整<br />旧16GB : 前面に搭載。前面に120万画素のiSightカメラ<br />
|-<br />
!外部接続端子<br />
|colspan=5|[[Dockコネクタ#Apple Dockコネクタ|Apple Dockコネクタ]]<br />
|[[Dockコネクタ#Lightning|Lightningコネクタ]]<br />
|-<br />
![[電池]]<br />
|colspan="6"|充電式リチウムイオンバッテリー<br />
|-<br />
!カラー<br />
|colspan=4|前面ブラック、背面ステンレス<br />
|前面(ブラック、ホワイト)、背面ステンレス<br />
|新16/32/64GB : ブラックは前面・背面共に黒色。前面ホワイト、背面アルミニウム6色(シルバー、ピンク、イエロー、ブルー、{{Product Red}}、スペースグレー)<br />旧16GB : ブラック&シルバー<br />
|-<br />
!サイズ<br />
|110mm(縦)× 61.8mm(横)× 8mm(厚)<br />
|colspan=3|110mm(縦)× 61.8mm(横)× 8.5mm(厚)<br />
|111mm(縦)× 58.9mm(横)× 7.2mm(厚)<br />
|123.4mm(縦)× 58.6mm(横)× 6.1mm(厚)<br />
|-<br />
!重さ<br />
|120g<br />
|colspan=3|115g<br />
|101g<br />
|新16/32/64GB : 88g<br /> 旧16GB : 86g<br />
|}<br />
*iPhoneと同様に、[[オペレーティングシステム]](OS)に[[OS X]]ベースのiOS(旧称 iPhone OS・OS X iPhone)を搭載。<br />
*[[加速度センサー]]による重力加速度方向検出による縦横の感知。<br />
*iCloudをサポート。<br />
*Safariによるウェブブラウズ。<br />
*YouTubeアプリをApp Storeからダウンロードすることにより、YouTubeの動画の閲覧が可能(iOS 5まではYouTubeのアプリがプリインストールされていた)。通常のYouTubeでは[[FLV]]([[MPEG-4]])形式で動画が提供されるが、アプリからはより高画質な[[H.264]]形式の動画が視聴できる。ただし、H.264に変換されていない動画は視聴できない。<br />
*メールでは、PDF、HTML、Microsoft Word、Microsoft Excelの添付ファイルの表示もできる。<br />
*iPhone、iPad、[[OS X Mountain Lion]]のユーザーとメッセージをやりとりできる「iMessage」が利用できる。<br />
*アップルによる独自のマップアプリ(iOS 5までは[[Google マップ]]のデータを利用していた)。<br />
*閲覧・編集・検索機能付き住所録。<br />
*10桁[[電卓]]機能。iOS 2.0以降では横画面表示で関数電卓に対応。<br />
*[[Passbook]]で、クーポンやメンバーズカードなどを一元管理できる。<br />
*[[iTunes Store]]に接続しiPod touch単体で音楽やビデオをダウンロード。<br />
*App Store(iOS 2.0 以降)に接続しAppをダウンロード。<br />
<br />
2008年[[3月6日]]にiPhoneおよびiPod touch向けネイティブアプリケーション[[ソフトウェア開発キット]](SDK)を6月にリリース予定と発表<ref>{{cite web|url=http://www.apple.com/jp/news/2008/mar/07iphone.html|title=アップル、iPhone 2.0ソフトウェアのベータ版を発表|date=2008-03-07|author=Apple Inc.|accessdate=2008年4月26日 }}</ref>。7月11日にiPhone 2.0と同時にApp Storeが公開され、アプリケーションの追加が可能となった。<br />
<br />
==ファームウェア・アップデート履歴==<br />
*詳しくは[[IOS (アップル)|iOS]]を参照。<br />
<br />
{|class=wikitable style="font-size:small"<br />
!style="white-space:nowrap"|バージョン||style="white-space:nowrap"|内容<br />
|-<br />
|1.0<br />
|<br />
*1.1.1:2バイト文字を使用するWindowsと接続した際のロック問題を修正。<br />
*1.1.2:iPod touchのカレンダー機能からスケジュール登録が可能となった。[[Tagged Image File Format|TIFF]]ライブラリの[[セキュリティホール#脆弱性|脆弱性]]が修正。また、言語設定が英語の状態で日本語の文字を表示すると、非常に形の崩れた[[フォント]]になる問題が修正されている。<br />
*1.1.3:脆弱性が修正。画面下部のアプリケーションの背景が鏡面からiPhone式に変更された。Safariで画面上部にあったお気に入り追加ボタンが画面下部に加わり、いままでお気に入りボタンがあった場所には検索ボタンが追加された。また、SafariでiPod touchを横向きにしたときに日本語の変換ができるようになった。<br />
**iPhoneと同様に、メール機能・Googleマップ<!--同時に凝似GPSも追加されたが日本は一部を除き非対応である。-->・株価<!--日本の株価は日経平均株価と円相場以外は表示できない。-->・メモ・天気等の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]中心のアプリケーションソフトの使用が可能となった。2008年1月15日(日本時間)以前に出荷したものは有償(日本では2,480円)、それ以後の出荷は無償である。また、Safariで見つけたお気に入りのサイトやアプリケーションをWebクリップとしてホーム画面に表示させる機能や、ホーム画面をユーザ専用にカスタマイズする機能が追加されたほか、音楽再生時に歌詞を表示することができるようになった。<br />
*1.1.4:不具合の修正(1.1.3でSafariを横画面表示にし、文字入力した場合のキー表示ズレ・1.1.3でSafariを縦画面表示にし文字入力の際にバックスペースで修正するとSafariが落ちるなどの修正)<br />
*1.1.5:不具合の修正(2.0の新機能を含まないもの)<br />
|-<br />
|2.0<br />
|<br />
*2.0:9.95ドル(日本円では1200円)でアップデートできる。ただし、7月11日以降出荷分でもアップデートが必要だった。App Storeへの対応、関数電卓、Safariやメールからの画像保存、iTunesのアプリケーションのデザイン変更、連絡先の検索機能強化、日本語入力式独自のテンキ採用、MobileMe対応など新機能が豊富に搭載されている。<br />
*2.0.1:不具合の修正<br />
*2.0.2:不具合の修正<br />
*2.1 :多数の不具合の修正(関数電卓の[[π]]を使った計算のバグが訂正されていたり、日本語入力においてレスポンスが向上、連文節変換ができるようになった<ref>"[http://ipodtouchlab.com/2008/09/ipod-touchiphone-21.html iPod touchに先行リリースされたiPhone 2.1、日本語入力が劇的に改善!?]" ''iPhone・iPod touch ラボ''. 2008年9月11日閲覧.</ref>。)、セキュリティアップデート<ref>[http://support.apple.com/kb/HT3026 About the security content of iPod touch v2.1 ]</ref>、Genius機能の追加。第2世代iPod touchには標準搭載。第1世代のiPod touchからのアップデートは、2.0からは無料、1.1からは1,200円。<br />
*2.2 :12個の不具合の修正。PodcastをiPodからダウンロードできるようになるなど新機能の追加(この中には[[ストリートビュー]]、絵文字の対応などiPhoneでのみ利用できるものも含まれる)。Safariの一部UI変更や安定性の向上。セキュリティアップデート。なお価格は2.1のときと同じ。<br />
|-<br />
|3.0<br />
|<br />
*3.0 :9.95ドル(日本では1200円)でアップデートできる。 バージョン3.0にアップデートすることにより、100以上の新機能が追加される。例えば、すべてのアプリ間における文章のコピー&ペースト、メールやメモの横書き、写真・住所録・オーディオファイル・位置情報を送信できるMMS、全アプリケーションを対象とする検索といった機能に対応している。BluetoothではA2DPプロトコルに対応した。<br />
*3.1 :iPhone OS 3.0をインストールしていれば無料。それ以外は600円と有償。<br />
|-<br />
|4.0<br />
|<br />
*4.0 :第2世代、第3世代ともに無料でアップデートができる。100以上の新機能が追加された。しかし、第2世代と第3世代では機能が異なっている。たとえば、ホーム画面の壁紙の変更やマルチタスクの対応は第3世代のiPod touchのみとなっている。<br />
*4.0.2 :不具合の修正。<br />
*4.1 :バージョン4.0と同じく第2世代、第3世代ともに無料でアップデートができる。iPod touch(第4世代)では標準で搭載されている。「Game Center」の追加や、バグ修正、[[Audio/Video Remote Control Profile|AVRCP]]対応、「FaceTime」が利用可能となった。ただし、FaceTimeは前面カメラが搭載された、第4世代のみ対応となっている。<br />
*4.2.1 :同じく第2世代、第3世代ともに無料でアップデートができる。AirPrint機能のほか、マルチタスクにも音量調節ができる新機能が追加された(マルチタスクの利用できない第2世代iPod touchはこの機能を利用できない)ボイスメモアプリアイコンの変更などもある。<br />
|-<br />
|5.0<br />
|<br />
*5.0 :第3世代以降に対応し、無料でアップデートができる。2011年10月5日以降に出荷された第4世代では標準で搭載されている。<br />
*5.0.1:不具合の修正、セキュリティアップデート。バッテリー問題(電池の減りが早い)の修正が盛り込まれたが改善されなかった。<br />
*5.1 :バッテリー問題の修正、フォトストリームからの写真の削除が可能、ロック画面にカメラのショートカットが常時表示。<br />
|-<br />
|6.0<br />
|<br />
*6.0 :第4世代以降に対応し、無料でアップデートできる。Safariの写真とビデオのアップデート対応•iCloudタブ•オフラインリーディングリスト、おやすみモードの追加、設定.appの改善、UIが少し変更された<br />
|}<br />
<br />
==公表されている誤動作など==<br />
iPod touch は、コンテンツ(アドレスデータ、カレンダー、曲、写真、ビデオ、Podcast など)の為に、正常に動作しなくなることがある。この場合は、異常な動作の原因と考えられるコンテンツを選択して削除する<ref>[http://www.apple.com/jp/support/ipodtouch/assistant/ipodtouch/ Apple - サポート - iPod touch - iPod touch トラブルシューティングアシスタント]</ref>と回復することが多い。しかし、リストアなどの復帰処理を試しても回復不能となる場合もある<ref>[http://support.apple.com/kb/TS1275?viewlocale=ja_JP iPod touch でのアップデートおよび復元時のエラーメッセージ]</ref>。また、米国では発火事件(アップルは製品の故障によるものではないとしている)、フランスでは2010年8月5日にフランス政府のコンピューターセキュリティー機関CERTAから、iOS3.1.2 - 4.0を搭載するiPod Touchの脆弱性も報告されている。<br />
<br />
==ファームウェアハック==<br />
iPhoneと同様に、アップル社非公式のファームウェアに書き換えることで、アップル社からの認証を受けていない[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]、[[機能拡張|Tweak]]などをインストールし、動作させることができる(通称:"[[Jailbreak]]"、日本語では「脱獄」)。しかし、この行為により、アップル社のサポートを受けられなくなるほか、故障その他の可能性もある。<br />
<blockquote></blockquote><br />
<br />
==備考==<br />
[[Point-to-Point Protocol|PPPoE]]に非対応であるので、「'''PPPoEを使用する'''無線LANアクセスポイント」(NTTの提供する[[フレッツ#フレッツ・スポット|フレッツ・スポット]]のうちWeb認証が導入されていない箇所など)を利用することはできない。<br />
<br />
無料Wi-Fiスポットでは[[FREESPOT]]、[[FON]]などが利用できる。また、個人で使用している無線LANに接続しWi-Fiを利用する事ができる。ただし無断で他人の暗号化されている無線LANを利用すると[[不正アクセス]]となる恐れがある。<br />
<br />
第1世代iPod touchの発売直後に、日本語版など主に2バイト文字の言語圏<ref>{{cite web|url=http://discussions.apple.com/thread.jspa?threadID=1131087&tstart=0|title=How to start? Ipod keeps showing USB ...|work=Apple Discussions|author=Apple.com|accessdate=2007年10月12日 }}</ref>のWindowsでロックの解除ができない不具合が見つかったが<ref>{{cite web|url=http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0709/24/news002.html|title =iPod touchにWindows環境で利用できない不具合|publisher = iTmedia|work=+D LifeStyle|date=2007-09-24|accessdate=2007年9月25日 }}</ref><ref name="CNET Japan 2007年9月23日付">{{cite web|url =http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20356999,00.htm|title =iPod touch、商品到着と同時にWinユーザーから不具合報告多数--「確認できていない」とアップル|publisher = [[CNET Japan]]|accessdate=2007年9月23日 }}</ref>、Windows版iTunesの改版、iPod touchのソフトウエア・アップデートにて改善した<ref>{{cite web|url=http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/09/28/17017.html|title=Windows環境におけるiPod touchの不具合を修正した「iTunes 7.4.3」|work=INTERNET Watch|date=2007-09-28|accessdate=2007年9月28日 }}</ref>。<!--一部の無線LANが使用できないという問題も発生している{{要出典}}。--><br />
<!--{{要出典範囲|date=2011年3月|1.1.3ではsafariで文字を書き込みしてバックスペースボタンを押すとホーム画面に戻る問題も発生している。}}<br />
<br />
{{要出典範囲|date=2011年3月|さらに、2008年6月現在、Intel系のチップセットを使用したWindows Vista PCとの同期において、データ化けが起こるバグが報告されている。この問題の原因は、USBコントローラの相性問題であるという説が有力である。VIA製コントローラを搭載したUSB拡張ボードを使用することにより、問題を回避できることがある}}が、根本的な解決に繋がるソフトウェア・アップデートは、まだ公開されていない。--><br />
<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.apple.com/jp/ipodtouch/ Apple - iPod touch]<br />
<br />
[[Category:IPod]]<br />
[[Category:iOS (アップル)]]<br />
[[Category:携帯情報端末]]<br />
[[Category:Bluetooth搭載機器|i]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF&diff=401195
ジャパン・ニュースネットワーク
2022-08-27T05:37:07Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>{{混同|x1=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]をキー局とする|日本ニュースネットワーク|}}<br />
'''ジャパン・ニュース・ネットワーク'''(''Japan News Network''<ref>{{Kotobank|東京放送}}</ref>)は、[[TBSテレビ]]を[[キー局]]とする、[[日本]]の[[民間放送|民放]]テレビの[[ニュース系列|ニュースネットワーク]]である。略称の'''JNN'''(ジェイエヌエヌ)で言及されることが多い<ref>2018年4月時点で、正式名称の「JAPAN NEWS NETWORK」が使われるのは「TBS NEWS」の各ページ最下段の著作権表記や、土曜夕方に放送「[[報道特集 (TBS)|報道特集]]」の番組タイトルと項目クレジットなど少数に留まっている。</ref>。<br />
<br />
日本のテレビニュースネットワークとしては最も歴史が古い。なお、ここではニュースとは別関係のテレビ番組供給ネットワーク、'''TBSネットワーク'''('''TBS Network''')についても解説する。ただし、[[TBSラジオ]]を基幹局としてテレビと同時並行的に存在する[[中波放送|ラジオ]]ネットワークについては、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク]](JRN)を参照のこと。<br />
<br />
また、一般に本項で解説するJNNとTBSネットワークとを合わせて'''[[TBS系列#テレビ|TBS系列]]'''という<ref>JNN、TBSネットワークのどちらか一方だけでも通じる場合もある。なお、単にテレビニュースネットワークのJNNのみを指す場合は'''JNN系列'''という場合が多い。場合によっては、別項で解説するラジオネットワークJRNをも含めてTBS系列とする場合もある。</ref>。<br />
<br />
== 概説 ==<br />
=== ネットワークの形成 ===<br />
ラジオ東京(KRT、東京放送。現:[[TBSホールディングス]])が、[[日本放送協会]](NHK)に対抗する日本初のテレビニュースネットワークとして[[1959年]][[8月1日]]に結成。 この年に放送された[[皇太子]][[明仁|明仁親王]](後の第125代[[天皇]])結婚特別番組のネット局がほぼそのまま加盟した形となった<ref>初期の加盟局は、北海道放送、東北放送、静岡放送、信越放送、[[新潟放送|ラジオ新潟]]、北陸放送、中部日本放送、朝日放送テレビ、山陽放送、日本海テレビ、[[中国放送|ラジオ中国]]、RKB毎日放送、長崎放送、[[熊本放送|ラジオ熊本]]、[[南日本放送|ラジオ南日本]]、そしてラジオ東京の16局。</ref><ref>皇太子結婚特番のネット局には、上記の他に日本教育テレビ(現:[[テレビ朝日]])と[[MBSテレビ|毎日放送]]があった。</ref>。当時[[郵政省]](現在:[[総務省]])ではテレビの全国放送はNHKのみとし、[[民間放送]]は各県域内でのローカル放送を前提としていた。しかしながら、ラジオと異なりテレビの場合はNHKに対抗し得る内容の全国ニュースを放送するにはどうしても各局間のニュース映像素材の交換が必要となっていた。<br />
<br />
これより先、ラジオ東京制作の『東京テレニュース』を初期加盟16局がネット受けを行い放送していた。特に[[北海道放送]](HBC)、[[中部日本放送]](CBC、現:[[CBCテレビ]])、[[大阪テレビ放送]](OTV、[[朝日放送テレビ]]の前身)、ラジオ九州(RKB、[[RKB毎日放送]]の前身)とラジオ東京はその前年である1958年にニュース協定を結んでいた。<br />
<br />
JNN発足当時、他局も放送局間で素材交換を行った全国ニュース番組を放送していたが、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]は自社で制作したニュースをネット局に配給、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]と日本教育テレビ(NETテレビ。現:[[テレビ朝日]])はニュース番組制作会社が制作したニュース番組を購入して配給する形で全国放送していた。特にNETの場合は制作に[[朝日新聞社]]が関わっていた。これに対し、JNNは特定の新聞社との関係を持たず、自主制作で且つ加盟各社の共同制作であり、ラジオ東京が編集・制作・送出およびセールスを行っていたものの、同社は加盟各社の代表という立場に過ぎない点が他系列と異なっていた。<br />
<br />
初期はニュース番組のタイトルも各局が自由に差し替えられたが、1975年3月31日、朝日放送テレビから[[MBSテレビ|毎日放送]]への[[ネットチェンジ#近畿広域圏におけるいわゆる大阪準キー局「腸捻転」の解消|ネットチェンジ]]後はネット加盟局全社統一となっている。<br />
<br />
[[フルネット]]局28局で形成されている。[[秋田県]]・[[福井県]]・[[徳島県]]・[[佐賀県]]にはJNN加盟局がない<ref>ただし、いずれの地域でも直接受信もしくはケーブルテレビ経由で隣接のTBS系列局を視聴している世帯がある。</ref><ref>取材担当は秋田県がIBC、福井県嶺北地方(主に[[福井市]]など)はMRO、同県嶺南地方(主に[[敦賀市]]、[[小浜市]]など)と徳島県はMBS、佐賀県はRKBが主に担当</ref>。<br />
<br />
1989年11月27日から、被疑者の呼び捨てを止めている<ref>「スピーカーが風となり ブラウン管が光になる時 北海道とともに50年 HBC」(HBC社史)より</ref>。<br />
<br />
ロゴマークの色は原則緑で「{{Color|green|'''''JNN'''''}}」と(公式サイトでは)表示するが、2017年10月以降、定時ニュースのロゴが独自のものに変更されたほか、「新・情報7days ニュースキャスター」なども独自のロゴを使用する<ref>正式ロゴを使うのは、平日朝の「あさチャン」のみとなっている。</ref>。また、番組配信局テロップは一切出していない。<br />
<br />
== ネットワークの特徴 ==<br />
全体として、[[中波放送|AMラジオ]]を[[ラテ兼営|兼営]]している老舗局が多く、特に「○○放送」という名前のJNN加盟局はそのほとんどがその地域において、最初の民放テレビ局(第1局)となっている<ref>基幹局の[[毎日放送]]と[[中部日本放送]]のラジオ放送は'''1951年'''開局であり、TBSラジオの開局も'''1951年'''である。'''1951年'''は日本の民間放送が開始された年である。</ref>。北海道、[[東北地方|東北]]の[[太平洋]]側<ref>岩手、宮城、福島の3県を指す。</ref><ref>福島県では、地元の民放AM局[[ラジオ福島]](RFC)が[[1957年]][[10月22日]]に、テレビ予備免許([[日本の放送局所の呼出符号#JO*R|コールサイン・JOWR-TV]])を取得してラテ兼営局化、並びにテレビ、ラジオいずれもTBS系列局化(=JNN・JRN)する予定だったが、役員選任の難航などから、約半年後の[[1958年]][[4月1日]]をもってテレビ予備免許が失効してしまった経緯がある。それ以降、RFCはAM単営局となった。このため福島県では民放テレビ先発局の[[福島テレビ]]が他県より後れて開局することになり、それまで民放テレビが全く視聴できない状態の期間が他県より長かった。{{main|開局を断念した放送局一覧#予備免許を交付されたが開局できなかった局}}</ref><ref>また、福島テレビがJNNを脱退し猶予期間終了後の1983年10月1日から同年12月4日のTUF開局まで、福島県ではTBS系列の番組が一部を除き視聴不可となる状態が約2か月間続いていた。{{main|ネットチェンジ#福島県の事例|テレビユー福島#開局2ヶ月前まで福島テレビ(FTV)で放送されていたTBS系列の番組}}</ref>、静岡県、長野県、新潟県、石川県、近畿地方<ref>現在JNNに加盟している毎日放送は、在阪局で一番早く1951年9月1日にラジオ放送を開局した(当時は新日本放送、NJB)が、テレビ放送は1959年3月1日に、朝日放送テレビ(当時は大阪テレビ放送、OTV)、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]](ytv)、[[関西テレビ放送|関西テレビ]](KTV)に続いて4番目の開局であった。ちなみにかつてJNNに所属していた朝日放送テレビについては、1956年12月1日に在阪局で最初にテレビ放送を開始したものの、ラジオ放送は1951年11月11日に、在阪局では2番目に開局した。</ref>、中国地方(山口県を除く)、九州・沖縄地方の全局<ref>佐賀県では民放テレビ先発局の[[サガテレビ]]が1969年4月1日にフジテレビ系列(FNN/FNS)で開局したが、以後佐賀県に県域民放テレビは開局していない。ただし、直接受信あるいはケーブルテレビ経由でRKB毎日放送等の在福民放局も視聴可能。なお、RKB毎日放送や九州朝日放送(KBC、テレビ朝日系列)は佐賀県に支局を置いている。なお沖縄県では最も開局の早いテレビ局は沖縄テレビ([[フジテレビ系列]])であるが、ラジオを含めた開局としてはJNN加盟の琉球放送が最も早い。</ref>では、[[ジャパン・ラジオ・ネットワーク]](JRN)にも同時加盟している<ref>また[[テレビ朝日|日本教育テレビ(NET)]]から[[学校放送]]番組のネットを受けていた関係で[[民間放送教育協会]]にも16局が同時加盟している。{{see also|民間放送教育協会#加盟局}}</ref><ref>逆に東北の日本海側、山梨県、富山県、福井県、四国地方、山口県における先発民放テレビ局は、同じラテ兼営でも[[日本テレビ系列]]([[NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])である。マイクロ回線等の都合からJNNへの加盟を断念した局もある。</ref><ref>JRN加盟の民放AM局は[[朝日放送ラジオ]]を除き当該地域で最初に開局している。ただし兼営テレビがNNN/NNS系列やAMラジオ単営局の中にはJRN加盟がかなり遅れた局もある。</ref><ref>ラテ両部門を分離し、持株会社化したTBS(東京放送ホールディングス→TBSホールディングス)、CBC(中部日本放送)、MBS(MBSメディアホールディングス)も含む(なおTBSは2001年10月1日※持株会社移行前、CBCは2013年4月1日※同、MBSは2021年4月1日※持株会社移行後 にラジオ部門を分社化している)。うち[[TBSラジオ]]・[[CBCラジオ]]・[[RKBラジオ|RKB毎日放送]]・琉球放送の4局はJRN[[ネットワーク (放送)|シングルネット]]局。残り16局([[HBCラジオ|北海道放送]]・IBC岩手放送・東北放送・新潟放送・信越放送・静岡放送・北陸放送・[[MBSラジオ]]・山陰放送・[[RSKラジオ|RSK山陽放送]]・中国放送・長崎放送・熊本放送・大分放送・宮崎放送・南日本放送)は[[全国ラジオネットワーク]](NRN)との[[クロスネット]]局。</ref>。したがって、[[基幹局]]<ref>TBSテレビ(東京)、北海道放送(札幌)、CBCテレビ(名古屋)、毎日放送(大阪)、RKB毎日放送(福岡)を指す。</ref>は事実上も含めれば全てラテ兼営(札幌・福岡が同一法人による本来のラテ兼営、東京・名古屋・大阪が同一放送持株会社傘下による事実上のラテ兼営)で、同時にJRNの基幹局でもある。<br />
<br />
デジタル放送では、すべての加盟局が、映像の権利保護などの観点からCMを除いた放送中、画面右上に[[ロゴタイプ|自社ロゴ]]([[ウォーターマーク]])の表示を行っている(一部系列局ではワンセグでは行っていない)。現在は5大系列はすべての放送局で実施されているが放送開始当初から行っているのはJNNのみである。<br />
<br />
加盟局は[[Gガイド]]の番組データを配信している([[電子番組ガイド]](EPG)の[[Gガイド#Gガイドホスト局|Gガイドのホスト局]]となっている)<ref>BS-TBSも含む。</ref><ref name="Not_JNN_G-Guide_Host">JNN加盟局が存在しない[[秋田県]]・[[福井県]]・[[徳島県]]・[[佐賀県]]の4県のGガイドのホスト局については'''[[Gガイド#JNN系列局が存在しない地域のホスト局|こちらの項]]'''を参照。</ref>。<br />
<br />
認定[[放送持株会社]]、ならびに[[株式上場]]への取り組みも多く、2009年4月1日にTBSテレビ(東京放送ホールディングス→TBSホールディングス)、2014年4月1日にCBCテレビ(中部日本放送)、2016年4月1日にRKB毎日放送(RKB毎日ホールディングス)、2017年4月1日に毎日放送(MBSメディアホールディングス)、2019年4月1日にRSK山陽放送(RSKホールディングス)が認定放送持株会社体制に移行している。TBSホールディングス・中部日本放送・RKB毎日ホールディングス・新潟放送は株式を上場<ref>TBS(HD):[[東京証券取引所|東証]]1部 [http://charge.quote.yahoo.co.jp/q?s=9401&d=c&k=c3&h=on&z=m 9401]、CBC:[[名古屋証券取引所#市場第一部|名証1部]] [http://charge.quote.yahoo.co.jp/q?s=9402&d=c&k=c3&h=on&z=m 9402]、RKB(HD):[[福岡証券取引所|福証]] [http://charge.quote.yahoo.co.jp/q?s=9407&d=c&k=c3&h=on&z=m 9407]、BSN:[[ジャスダック|東証JQ]] [http://charge.quote.yahoo.co.jp/q?s=9408&d=c&k=c3&h=on&z=m 9408]。</ref>している。<br />
<br />
=== JNN協定 ===<br />
加盟局には、'''JNNと番組名につくものは全ての加盟局が同じ時間に放送すること'''<ref>報道特別番組は全ての加盟局のほか、BS-TBSやTBSニュースバードの衛星波でも同時放送されることがある。</ref>や、'''他のニュースネットワークにJNNのニュース素材を提供してはならない'''ことなどを内容とする「'''テレビニュースに関するネットワーク協定'''」(「[[JNN排他協定]]」「JNN協定」とも言う)を結んでいる。<!--「JNN」冠をつけた番組は基本的にJNN基金から番組制作費を支出している=「加盟各局の共同制作という位置づけ」ということも、排他協定の理由の一つと言われている-->{{main|JNN排他協定#概要}}<br />
<br />
また、系列局がスクープしたニュースにおいては、「JNNの取材により明らかになった-」とコメントする。これは全国級のニュースになった時点でJNN基金より取材費が補助されるためである。<br />
<br />
一部地域(加盟局)でしか放送されないニュース<ref name="hanamaru">[[2009年]][[3月27日]]までの『[[はなまるマーケット]]』内の『はなまるニュース』はJNN協定適用除外だった。</ref>がある場合には、「JNN」の名称を使用していない。また、TBS系列以外の放送局にも番組を放送している最中に、止むを得ずTBSからニュースを放送する場合も、「JNN」の名称は付かない。なお、TBSニュースバードでも「JNN」の名称のつく番組名(『JNNイブニング』など)があるが、CSのオリジナル番組のためJNN協定は適用されていない。{{main|JNN排他協定#全国ニュース番組}}<br />
<br />
番組制作に関しては、すべての加盟局による共同制作番組を企画するほか、北から北海道放送(HBC)・TBSテレビ(TBS)・CBCテレビ(CBC)・毎日放送(MBS)・RKB毎日放送(RKB)の5局が「基幹局」に位置付けられ、「5社連盟」を結成している<!--(JNN基幹局)-->。{{要出典|範囲=[[東北放送]](TBC)も基幹局と自社が発表しているものの、JNN基幹局には、該当していない。ただし、[[静岡放送]](SBS)・[[RSKテレビ|RSK山陽放送]](RSK)・[[中国放送]](RCC)と同様に基幹局出稿広告等共同事業の一部に参加する事がある。|date=2017年7月}}ちなみにCS放送『[[TBS NEWS (CS放送)|TBS NEWS]]』の列島ニュースにはTBS以外の以上8局のほか、[[新潟放送]](BSN)・[[信越放送]](SBC)のニュースが紹介されている。<br />
<br />
過去には、当時JNN加盟局のなかった地域のJRN加盟ラテ兼営局([[秋田放送]]、[[高知放送]]、[[南海放送]]。いずれも日本テレビ系)や、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|ANN]]単独加盟時代の[[青森テレビ]]に対し、『[[JNNニュース]]』を[[番組販売]]扱いでネットしていた。ネットワーク黎明期において、系列の協定がより強固に確立される前の貴重な例である。<ref>南海放送・秋田放送については、特に朝の情報番組をネットし、その中のコーナーにJNNニュースがあったこと等があり1992年までネットしていた。</ref>なお、青森テレビについてはANN加盟時代も特例措置により、番組販売扱いながらもJNNのニュース取材・配信への参加を認めていた。<ref>出典:青森テレビ社史『青森テレビ十年の歩み』(1978年刊行)、並びに『ATV20年のあゆみ』(1989年刊行)この青森テレビの例は「加盟局は他系列局のニュースをネットしないこと」というJNNの原則がJNN結成時ではなく、結成後に加えられた項目であることも関係している。</ref>{{main|南海放送#TBSとの関係|JNN排他協定#青森テレビにおける過去の例外的取扱}}<br />
<br />
[[1999年]]には、日本初の[[インターネット]]でのニュース動画配信サービス『JNN News i』(2017年度に『[[TBS NEWS (ニュースサイト)|TBS NEWS]]』に改称)をスタートさせ、以後系列各局は全国ニュースのみならずローカル(地域)ニュースも動画で配信するようになった。<br />
<br />
=== TBSネットワークとJNN ===<br />
[[報道番組|ニュース番組]]以外の一般の番組供給系列の[[ネットワーク (放送)#テレビジョン放送|ネットワーク]]は「TBSネットワーク」と呼称されている。ただし、JNNを運営する「JNNネットワーク協議会」による付帯事業として行われ、[[フジニュースネットワーク|FNN]]と[[フジネットワーク|FNS]]、[[日本ニュースネットワーク|NNN]]と[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]の様に、JNNと別組織とはなっていない。このためか一般には「TBSネットワーク」の名称は浸透しておらず、「TBS系列」やニュース系列と同様に「JNN」と呼称される場合が多い。前者は「[[テレビ情報誌]]」に基幹局・準基幹局共同で出していた広告に「'''日本のお茶の間を結ぶ最高のネットワーク-TBS系-'''」と謳われており、一般向けには「'''TBS系列'''」が多用される。後者もTBSがスポーツ中継のオープニングキャッチで「JNN SPORTS」と出していた時期がある他([[1993年]]頃)<ref>1993年にはプロ野球中継のオープニングキャッチでも使われていたが、中国放送では同じデザインと音楽で独自にタイトルコールを加えて『RCC SPORTS』としたものを使用していた。</ref>、バラエティ番組でも「JNN○周年」 を冠した事例もある。また、TBSのネットワーク局一覧のウェブサイトでも用いられる等、「JNN」をTBS系列のネットワークそのものの愛称として使用する例も多い。放送事故やネットの無い時間帯にTBSネットワークと表示された画面が出たこともある(『[[キャッチアップ]]』のSBSの例がある)。<br />
<br />
本来、原則的にはJNN協定が適用されるニュース番組に関して加盟局(加盟社)共同製作という形をとる(そのため「製作著作」のクレジットが出ない)が、適用外のネットワーク番組は、製作した各局(各社)それぞれで著作権を持ち、製作局のロゴがクレジットされる。これが両者の違いである。なお、TBSネットワーク扱いで放送している番組には、TBS以外の局の製作番組でもネットワーク・シンボルである「[[ジ〜ン]]」が製作局ロゴの隣に付加される(一部例外あり)。TBSは「ジ〜ン」をステーション・シンボルとしても使用しているため、ローカル番組でも表示される。{{main|ジ〜ン#概要|CBCテレビ#「製作著作」クレジット表記について}}<br />
<br />
また、JNNネットワーク協議会には[[プロ野球中継]]に特化した「'''プロ野球中継担当者会議'''」という組織があり、[[日本プロ野球|プロ野球]]チームが放送エリア内に本拠を構えている各局(5社連盟構成局すべてと東北放送(TBC)、中国放送(RCC))が加盟している。この会議においてTBS系列におけるプロ野球中継に関して詳細が決定されている。<ref>[[政令指定都市]]及び[[日本プロ野球|プロ野球]][[セントラル・リーグ|セ]]・[[パシフィック・リーグ|パ]]各球団を持つ都道府県における先発ラテ兼営局の併設テレビは、TBSが首都圏2番目にテレビ放送を開始した関東地方を除き、全てJNN系列。</ref>{{main|SAMURAI BASEBALL#制作局と担当球団}}<br />
<br />
このほか、[[深夜アニメ]]や一部スポンサードネット番組、また「協定」を適用しない番組を中心に秋田県や福井県など系列局不在地域を中心とした系列外局や[[全国独立放送協議会|地上独立テレビ局]]への販売も行っているが、その比率は他系列よりも少なく特にTBSネットワーク基本協定に定められた系列内の優先放送権が適用される加盟局製作の番組は系列局がネットしないとそのエリアでは基本的に放送されない<ref>深夜アニメに関しては、かつては毎日放送(MBS)・中部日本放送(CBC)製作作品を関東地区の地上独立テレビ局に販売することが多かったが、現在はTBS・CBC→関西地区の地上独立テレビ局、というパターンのほうが多い。</ref>。他系列では関東キー局で放送されない番組をエリア内の他の地上独立テレビ局に[[番組販売]]するケースもあるが、TBS系列では、1970年代に在阪局発の番組で若干実例があったものの、[[2008年]]10月改編で『[[パチンコNOWTV]]』が打ち切られた後、2013年7月から『[[よしもと新喜劇]]』を[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]がレギュラー放送開始するまで途絶えていた。{{main|全国独立放送協議会#TBS系列}}<br />
<br />
また、系列局内でも放送局の少ない地域は他系列の番組を放送することが多く、ネットワークの中でも番組編成に大きな差が生じている。<br />
<br />
なお、1999年頃に[[東京新聞]]が『テレビ&芸能スクランブル』のコーナーにて、「JNNはこの頃、排他的性格を見直すこと」という情報(記事)が伝えられた。しかし、今日まで具体的な結論は出ていないものの、[[山陰放送]]<ref name="hanamaru" />、[[宮崎放送]]<ref name="hanamaru" />、[[テレビ山口]]<ref>2009年3月まではゴールデンタイムのローカル枠(当時は木曜19時台)をTBS同時としていたものの、土曜19時台のネットワークセールス枠をフジテレビの番組の遅れネット枠に充当していた。</ref>で認められていたネットワークセールス枠の他系列の差し替えネットが2009年3月29日をもって廃されているという動きがある。{{要検証|date=2011年8月}}<ref>これに関連して、2017年7月現在、TBS(JNN)系列においてのプライムタイム枠でのローカルセールス差し替え可能な時間帯は、水19時~21台のみである。</ref><br />
<br />
=== 全国紙との関係 ===<br />
JNNは結成当初から特定の新聞との関係を持っていない。これは民放版全国ニュースネットワークを構築することが狙いであったため。NHKに対抗して地方民放各社が手を携えて独自の全国ニュース番組を放送しようとしたものである。<br />
<br />
当時のラジオ東京は[[毎日新聞社]]を中心に[[朝日新聞社]]、[[読売新聞社]]といったいわゆる「3大紙」と関わりを持っていたが、ラジオ東京はむしろ新聞色を払拭すべく動き、地方局には特定の新聞色を出さないことを条件にネットワークへの加盟を呼びかけた。後にTBSは資本系列を整理して毎日新聞社との関係を強めたが、[[毎日新聞社]]の経営悪化による新社移行問題で保有株式が売却されたのをきっかけに完全に独立した。{{main|ラジオ日本ジャイアンツナイター#バッチリナイターからジャイアンツナイターへ}}<br />
<br />
5社連盟の中では[[毎日放送]]もTBSと同時期に毎日新聞社保有株の大半が売却され、「毎日」の文字こそ残っているものの新聞系列から独立している。{{main|毎日放送#会社情報|高橋信三#MBS会長}}<br />
ただし、現在でも毎日新聞社とTBS、毎日放送、RKB毎日放送は友好会社の関係にある。<br />
<br />
また現在も系列局には地元有力新聞社と親密な放送局が多く、北海道放送=[[北海道新聞社]]、中部日本放送=[[中日新聞社]]、東北放送=[[河北新報社]]、中国放送=[[中国新聞社]]という全国紙に匹敵する[[ブロック紙]]、[[熊本放送]]=[[熊本日日新聞]]社、静岡放送=[[静岡新聞]]社、[[新潟放送]]=[[新潟日報社]]、山陽放送=[[山陽新聞]]社、[[南日本放送]]=[[南日本新聞]]社、[[信越放送]]=[[信濃毎日新聞]]社、[[琉球放送]]=[[沖縄タイムス]]という各地域の[[地方紙]]の影響を受けているという一筋縄では行かない点を有している。<br />
<br />
=== リモコンキーID ===<br />
[[ファイル:JNNID.png|thumb|right|200px|JNN系列の[[リモコンキーID#地上波系統|リモコンキーID]]地図]]<br />
キー局のTBSテレビ、ならびにTBS系列の[[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS局]]の[[BS-TBS]]の[[リモコンキーID#BSデジタルテレビ放送|リモコンキーID]]は「'''6'''」。TBS以外の系列局でキー局と同じリモコンキーIDを使用している局(地図上で赤で塗られている地域の局)は15局、「6」以外が12局ある。他の民放ネットワークと比較して統一されている割合が低く、特に東海(名古屋)以西の西日本地域で「6」以外のリモコンIDを使用している局が多い<ref>三大都市圏の3局は、3局とも異なるリモコンIDを使用している。</ref>。これは加盟局の多くがその当該地域の先発局で、アナログ放送親局と同じチャンネル番号をリモコンIDに採用した局が多いことや広島以西の地域でNHK総合・Eテレに次いで若い番号である「3」をリモコンIDに採用した局が多い<ref>大分県のリモコンIDは開局順に割り当てられている。</ref>ことが原因であるとされる。リモコンキーIDに6chを使用する系列局の内、TBSテレビ以外では、IBC岩手放送及び北陸放送も、アナログ放送の親局チャンネル番号を引き継いだ。<br />
<br />
なお、アナログ親局'''5ch'''を使用していた新潟放送は、デジタル放送では「6」を割り当てている<ref group="注">新潟地区でのリモコンキーID「5」は、[[新潟テレビ21]](UX・テレビ朝日系列)に割り当て。</ref>。<br />
<br />
=== 沿革 ===<br />
* [[1955年]]([[昭和]]30年)[[4月1日]] - ラジオ東京がテレビ放送(過去の[[東京放送ホールディングス|東京放送]]、現在の[[TBSテレビ]])開始。この時点でネット局はなし。<br />
* [[1956年]](昭和31年)[[12月1日]] - この日テレビ放送開始の中部日本放送(現在の[[CBCテレビ]])と同日開局の大阪テレビ放送(後の[[朝日放送テレビ]])とネットを組む。<ref>どちらも日本テレビ放送網(以下日本テレビ)との[[クロスネット局|クロスネット]]であった。</ref><br />
* [[1957年]](昭和32年)4月1日 - この日テレビ放送開始の北海道放送とネットを組む。<ref name="k">日本テレビとのクロスネットであった。</ref><br />
* [[1958年]](昭和33年)<br />
** [[3月1日]] - この日テレビ放送開始のラジオ九州<ref>ラジオ九州は同年[[8月1日]]西部毎日テレビ放送と合併してRKB毎日放送と改称した。</ref>とネットを組む。<ref name="k">日本テレビとのクロスネットであった。</ref><br />
** [[6月1日]] - この日テレビ放送開始の[[RSKテレビ|山陽放送]](現在のRSK山陽放送)とネットを組む。<ref name="k">日本テレビとのクロスネットであった。</ref><br />
** [[8月1日]] - この日まで開局した山陽放送を除く5局でニュースネットワーク協定に調印、これがJNNの土台となる。<br />
** [[8月28日]] - 大阪テレビ放送・RKB毎日放送がクロスネットから[[フルネット]]局となる。<ref>讀賣テレビ・[[テレビ西日本]]が開局し両局が日本テレビステーション・ネット局を宣言したため。</ref><br />
** [[11月22日]] - この日開局した[[関西テレビ放送]]とも一部に限りネットを組む。<br />
** [[12月25日]] - この日開局した[[東海テレビ放送]]と中部日本放送が番組に限りネットを共有。<ref>日本テレビクロスネットも同じであった。東海テレビ放送は翌年の3月1日以降フジテレビジョン(以下フジテレビ)・日本教育テレビ(現:[[テレビ朝日]]、以下NET)ともクロス=カルテットクロスを編成する。</ref><br />
* [[1959年]](昭和34年)<br />
** 3月1日 - この日テレビ放送開始の毎日放送 (現在の[[MBSテレビ]]) と一部に限りネットを組む。<ref>関西テレビ・大阪テレビと共に同年[[2月1日]]開局の日本教育テレビ(現:テレビ朝日)・同日開局のフジテレビとのトリプルクロスを共有していた。</ref><br />
** 4月1日 - [[札幌テレビ放送]]開局。これにより北海道放送はクロスネットを日本テレビからフジテレビ・NETに段階的に変更。<ref>完了したのはこの年の大晦日。</ref><br />
** 8月1日 - 前年にニュースネットワーク協定に調印した5局とネットを組んでいた山陽放送とこの日までに開局ないしテレビ放送開始の東北放送・[[静岡放送]]・[[信越放送]]・[[新潟放送]]・[[北陸放送]]・[[日本海テレビジョン放送]]・中国放送・[[長崎放送]]・[[熊本放送]]・[[南日本放送]]の11局で、ニュース番組の供給を目的とするネットワーク・JNNを結成(以降、現在の社名で表記)。<ref>南海放送・高知放送における番組販売によるニュースネットはこの時点で継続される。</ref><br />
** [[9月1日]] - この日テレビ放送開始の[[IBC岩手放送]](当時は岩手放送)がJNNに加盟。<br />
** [[10月1日]] - この日テレビ放送開始の[[大分放送]]がJNNに加盟。<br />
** [[11月1日]] - 現行のロゴマーク使用開始<ref>『民間放送十年史』369頁「第2部各社史録 東京放送 年表」より。</ref><br />
** [[12月15日]] - この日テレビ放送開始のラジオ山陰(現在の山陰放送)<ref>当時のテレビの放送エリアは島根県のみ</ref>がJNNに加盟し日本海テレビジョン放送<ref>当時の放送エリアは鳥取県のみ</ref>が脱退。<ref>1959年[[12月14日]]付で脱退。</ref><br />
* [[1960年]](昭和35年)<br />
** 2月1日 - ラジオ東京・中部日本放送・朝日放送<ref>[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]が1959年3月1日に大阪テレビ放送を子会社化してから3か月後の同年[[6月1日]]に吸収合併し同社のテレビ局とした。</ref>・RKB毎日放送が4社連盟を結成し、JNN基幹局となる。これにより[[フルネット]]固定となる。これにより中部日本放送は東海テレビ放送との番組クロスネット共有を、朝日放送は関西テレビ放送・毎日放送との番組トリプルクロスネット共有を解消した。<br />
** 3月1日 - 北海道放送がJNN基幹局となる。<ref>これにより4社連盟は5社連盟と改称。これ以降、この5局がJNNの幹事としての役割を果たしている。</ref>ただし、北海道放送は「[[日曜劇場#東芝日曜劇場|東芝日曜劇場]]」制作参加にとどまった。<br />
** 4月1日 - この日テレビ放送開始の秋田放送が番組販売でニュースネットを開始(一部の一般番組も)。<br />
** 10月1日 - この日テレビ放送開始の宮崎放送がJNNに加盟<ref name="MRT30th_329>宮崎放送開局三十周年記念事業委員会「年表」『宮崎放送三十年史』MRT宮崎放送、1984年 p.329</ref>。<br />
** 11月29日 - キー局のラジオ東京が東京放送に社名変更。<br />
* [[1963年]](昭和38年)4月1日 - この日開局の[[福島テレビ]]が番組販売でニュースネットを開始(一部の一般番組も)。<br />
* [[1964年]](昭和39年)9月1日 - RKB毎日放送が一般番組に限り日本テレビとのクロスネット復活。<ref>それまでの日本テレビ系列局であったテレビ西日本がフジテレビ系列に[[ネットチェンジ]]した、フジテレビ系列とNETテレビ系列のクロスネットだった[[九州朝日放送]]がNETテレビ系列に一本化したため。</ref><br />
* [[1969年]](昭和44年)<br />
** 4月1日 - 北海道放送が[[北海道テレビ放送]]の全道テレビ放送開始によりフルネット開始。<br />
** 4月1日 - RKB毎日放送が[[福岡放送]]の開局により番組のみの日本テレビとのクロスネットを取りやめてフルネットが復活(5社連盟加盟局のフルネット化完了)。<br />
** 4月1日 - 山陽放送が[[岡山放送]]の開局によりフルネット局となる。<br />
** [[12月1日]] - この日開局の[[青森テレビ]]番組販売でJNNに参加<ref>開局時から『JNNニュース』のネット受けを行い、報道取材活動にも協力していたが、番組編成がNETとのクロスネットで、[[全国ニュース]]の一部にも『[[朝日新聞ニュース#テレビ|NETニュース]]』〔後の『[[ANNニュース]]』〕が含まれていたため排他協定との関係で当初は正式加盟できなかった。</ref><br />
* [[1970年]](昭和45年)4月1日 - この日開局の[[テレビ山梨]]・テレビ山口・[[テレビ高知]]がJNNに加盟。後者の加盟により高知放送が番組販売によるニュースネットを終了。<br />
* [[1971年]](昭和46年)<br />
** [[1月19日]] - 加盟23社で「'''JNNネットワーク協議会'''」を発足させる。<ref>この年には、フジテレビ系列の「フジネットワーク業務協定」も成立している。</ref><br />
** [[6月1日]] - 福島テレビが[[福島中央テレビ]]とのネット交換によりJNNに加盟。ただし、番組編成上の完全移行は10月改編時に持ち越しとなった。<br />
* [[1972年]](昭和47年)<br />
** [[5月15日]] - [[沖縄県]]の施政権返還により琉球放送が正式にJNNに加盟。<ref>復帰前ではまず1959年(昭和34年)[[11月1日]][[沖縄テレビ放送]]がテレビ番組のテープネットを開始し、1960年(昭和35年)6月1日テレビ放送開始の琉球放送と共有する事となる。そして琉球放送がJNN特派員配置局の位置付けとなりマイクロネット回線が開通した1964年(昭和39年)9月1日以降は琉球放送に集中していった。</ref><br />
** [[7月22日]] - 山陰放送が山陰相互乗り入れにより[[島根県]]のみから島根県・[[鳥取県]]両県での放送に移行。<br />
* [[1974年]](昭和49年)[[11月18日]] - 東京放送と毎日放送との間で1975年3月31日から朝日放送テレビに代わりネットを開始することで合意に達し、同時に東京放送は朝日放送テレビに対し「1975年[[3月30日]]をもってネットを打ち切り翌日から毎日放送とネットを開始する。」と通告する。<br />
* [[1975年]](昭和50年)[[3月31日]]<br />
** 朝日放送がJNN・5社連盟を脱退し<ref>ただし[[朝日放送ラジオ|併設ラジオ]]についてはテレビ系列がANNに変わってからも今日までJRNを脱退していないため、関西(近畿広域圏)は全国でも珍しい形態として、同一放送区域にJRN加盟局が2局存在する([[和歌山放送]](WBS)を含めると3局)。現在は全国ニュース番組が毎日放送経由(JRNニュース取材も毎日放送が担当)、それ以外の番組は朝日放送ラジオ経由となる事が多い。ただし近年は全国ニュース番組はCMのみネット受けして本編は自社制作としているので、JRN全国ニュースが毎日放送で流れることは報道特別番組などを除いて皆無に近い。</ref>、毎日放送がJNN・5社連盟に加盟([[朝日新聞社]]や[[毎日新聞社]]の意向により、[[新聞社]]の資本関係を明確にするといった、[[ネットチェンジ#近畿広域圏におけるいわゆる大阪準キー局「腸捻転」の解消|ネットチェンジ=腸捻転解消政策]]を実施。これにより、毎日放送が[[準キー局]]となる)。<br />
** 青森テレビがJNNに正式加盟(全国ニュースをJNNに統一、ANNも脱退しクロスネット解消)。<br />
* [[1979年]](昭和54年)4月1日<br />
** 4月1日 - 山陽放送が岡山・香川相互乗り入れの実施により[[岡山県]]のみから岡山県・[[香川県]]両県での放送に移行。<br />
* [[1983年]](昭和58年)4月1日<br />
** 4月1日 - 福島テレビがJNNを脱退しFNNに加盟。同年[[12月3日]]までTBS福島支局を設置して対処する。<br />
** 10月1日 - [[テレビユー福島]]がJNNに加盟<ref name="MRT30th_346>宮崎放送開局三十周年記念事業委員会「年表」『宮崎放送三十年史』MRT宮崎放送、1984年 p.346</ref>(開局は同年12月4日。同時にフルネットを開始)。<br />
* [[1989年]]([[平成]]元年)10月1日 - この日開局の[[テレビユー山形]]がJNNに加盟、同時にフルネット(他系列の番組は番組販売のみ)を開始。<br />
* [[1990年]](平成2年)10月1日 - この日開局のテレビユー富山(現:[[チューリップテレビ]])がJNN加盟。<br />
* [[1992年]](平成4年)<br />
** 10月1日 - この日開局の伊予テレビ(現:[[あいテレビ]])がJNNに加盟。これにより南海放送が番組販売でのニュースネットを終了。<br />
** 10月1日 - 秋田放送が番組販売でのニュースネットを終了。<ref>伊予テレビ(現:あいテレビ)開局に伴い、JNNのネットワークを整理するため。[[秋田県]]の取材はこの時点前後で引き続きIBC岩手放送が受け持っている。</ref><br />
** 12月30日 - TBS系列初の長時間特別番組『[[元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」]]』を放送。<br />
* [[2009年]](平成21年)4月1日 - 東京放送の[[放送持株会社]]移行(社名を[[TBSホールディングス|東京放送ホールディングス]]に変更)に伴い、キー局がテレビ放送事業を東京放送から承継する[[TBSテレビ]]に変更。<br />
* [[2014年]](平成26年)4月1日 - [[中部日本放送]]の放送持株会社移行(社名変更なし)に伴い、テレビ放送事業を中部日本放送から承継する[[CBCテレビ]]に変更。<br />
* [[2016年]](平成28年)4月1日 - RKB毎日放送の放送持株会社移行(社名を[[RKB毎日ホールディングス]]に変更)に伴い、テレビ・ラジオの放送事業全般を旧社から承継する新法人の[[RKB毎日放送]]に変更。<br />
* [[2017年]](平成29年)4月1日 - 毎日放送の放送持株会社移行(社名を[[MBSメディアホールディングス]]に変更)に伴い、テレビ・ラジオの放送事業全般を旧社から承継する新法人の[[毎日放送]]に変更。<br />
*2017年(平成29年)10月1日 - 「[[TBS NEWS]]」ブランド統一したが、JNN公式ロゴは引き続き使用されている。<br />
* [[2019年]](平成31年)4月1日 - 山陽放送の放送持株会社移行(社名を[[RSKホールディングス]]に変更)に伴い、テレビ・ラジオの放送事業全般を旧社から承継する新法人の[[RSK山陽放送]]に変更。<br />
<br />
== 加盟局 ==<br />
=== 現在の加盟局 ===<br />
この表中の社名の欄は、[https://j-ba.or.jp/mlist/ 日本民間放送連盟公式サイト「会員社」ページ]の表記に準じて記載している(一部に例外あり)。JNN加盟局はすべて[[Gガイド]]のホスト局であり、JNN加盟局のない[[秋田県]]・[[福井県]]・[[徳島県]]・[[佐賀県]]の4県を除き、番組データの配信を行っている<ref name="Not_JNN_G-Guide_Host"/>。<br />
* ● - [[中波]][[ラジオ放送局|ラジオ局]]兼営局<br />
* ○ - 旧中波ラジオ局兼営局で、現在は関連会社・子会社にラジオ局を持つ局 <ref>TBSは[[2001年]][[10月1日]]からラジオ部門が子会社のTBSラジオ&コミュニケーションズ([[2016年]][[4月1日]]に社名を「[[TBSラジオ]]」に改称)に継承。CBCは[[2013年]][[4月1日]]からラジオ部門が子会社の[[CBCラジオ]]に継承。MBSは[[2021年]]4月1日からラジオ部門が関連会社の[[MBSラジオ]]に継承。</ref><br />
* ■ - 自社サイトでのニュースの[[動画]]配信実施局<br />
* △ - 外部サイト([[Yahoo!ニュース]]<ref>[https://news.yahoo.co.jp/media Yahoo!ニュース ニュース提供社]</ref>・[[YouTube]]など)でのニュースの動画配信実施局<br />
* ◆ - [[第三セクター]]局<br />
{|class="wikitable" style="font-size:small"<br />
!style="white-space:nowrap"|[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]!!略称/[[リモコンキーID#地上波系統|ID]]!!社名!!style="white-space:nowrap"|開局日および<br />テレビ放送開始日!!JNN加盟日!!備考!!記号<br />
|-<br />
|[[北海道]]||'''HBC 1'''||[[北海道放送]]||[[1957年]][[4月1日]]||style="white-space:nowrap"|[[1959年]][[8月1日]]発足時<ref>これよりJNN発足前の1957年4月1日からネット関係を結んでいた。</ref>||基幹局。ワンセグはウォーターマーク表示なし。||●■△<br />
|-<br />
|[[青森県]]||'''ATV 6'''||[[青森テレビ]]||[[1969年]][[12月1日]]||[[1975年]][[3月31日]]<ref>1969年12月1日開局 - [[1975年]][[3月30日]]の間は番販扱いでニュースネットと報道取材活動のみ参加(このような事例は青森テレビ以外にはない)。当時は番組編成が日本教育テレビ(NETテレビ〈NET〉、現在のテレビ朝日)とのクロスネットで、全国ニュースもJNNニュースとNETニュース→ANNニュースが併存しており、排他協定との関係上、このような参加形態となった。</ref>||ワンセグはウォーターマーク表示なし。||■<br />
|-<br />
|[[岩手県]]||'''IBC 6'''||[[IBC岩手放送]]||colspan="2"|[[1959年]][[9月1日]]||[[1995年]][[6月22日]]までの局名は岩手放送。||●■△<br />
|-<br />
|[[秋田県]]||colspan="4"|なし||主にIBC岩手放送が担当している。<ref>大館市は青森テレビが、由利本荘市はテレビユー山形が担当する場合有り。</ref><ref>大事件の時は東北放送が加わる場合あり。</ref><ref>1960年4月1日 - 1992年9月30日の間はABS 秋田放送が番販扱いでニュースネットをしていた。</ref><br/><ref name="Not_JNN_G-Guide_Host"/>||<br />
|-<br />
|[[山形県]]||'''TUY 6'''||[[テレビユー山形]]||colspan="2"|[[1989年]][[10月1日]]|| ||<br />
|-<br />
|[[宮城県]]||'''tbc 1'''||[[東北放送]]||1959年4月1日||1959年8月1日発足時||||●■△<br />
|-<br />
|[[福島県]]||'''TUF 6'''||[[テレビユー福島]]||[[1983年]][[12月4日]]||1983年10月1日<ref name="MRT30th_346/>|| ||■△<br />
|-<br />
|style="white-space:nowrap"|[[広域放送#テレビジョン放送|関東広域圏]]||'''TBS 6'''||[[TBSテレビ]]||[[1955年]]4月1日||[[2009年]]4月1日||[[基幹局]]、[[キー局]]。2009年3月31日までは東京放送<ref>現社名は[[TBSホールディングス]]。[[1960年]][[11月29日]]にラジオ東京(KRT)から東京放送に社名変更。</ref>が免許人であった。<ref>2001年10月1日にラジオ部門を分社化。分社化(子会社「[[TBSラジオ|TBSラジオ&コミュニケーションズ]]」に継承)後は[[日本の放送局所の呼出符号|コールサイン]]をラテ別々にしている。ラジオは従前通りJOKRであるが、テレビはJORX-TV及びJORX-DTV。なお、ラジオ主幹送信所の保守管理は分社化後も業務委託の形で引き続きTBSテレビ(持株会社化されるまでは東京放送)が行っている。</ref>||○■△<br />
|-<br />
|[[山梨県]]||'''UTY 6'''||[[テレビ山梨]]||colspan="2"|[[1970年]]4月1日|| ||■△<br />
|-<br />
|[[新潟県]]||'''BSN 6'''||[[新潟放送]]||1958年[[12月24日]]||1959年8月1日発足時||1959年[[8月1日]]に正式加盟。[[1961年]][[2月28日]]まで局名はラジオ新潟(RNK)。||●■△<br />
|-<br />
|[[長野県]]||'''SBC 6'''||[[信越放送]]||[[1958年]][[10月25日]]||1959年8月1日発足時||[[1952年]][[3月7日]]まで局名は信濃放送(略称は変わらずSBC)。||●■△<br />
|-<br />
|[[静岡県]]||'''SBS 6'''||[[静岡放送]]||1958年[[11月1日]]||1959年8月1日発足時|||||●■△<br />
|-<br />
|[[富山県]]||'''TUT 6'''||style="white-space:nowrap"|[[チューリップテレビ]]||colspan="2"|[[1990年]]10月1日||[[1992年]][[9月30日]]まで局名はテレビユー富山。||■<br />
|-<br />
|[[石川県]]||'''MRO 6'''||[[北陸放送]]||1958年12月1日||1959年8月1日発足時||チューリップテレビ開局前は富山県も取材対象地域だった。<br />CM未放送問題で、1997年から1年間報道取材以外の会員活動停止処分を受けた。||●△<br />
|-<br />
|[[福井県]]||colspan="4"|なし||取材は[[嶺北|嶺北地方]]と[[敦賀市]]は北陸放送<ref>北陸放送が担当できない場合、CBCテレビが担当する場合あり。</ref>、敦賀市を除く[[嶺南|嶺南地方]]は毎日放送がそれぞれ担当している<ref>[[敦賀市]]・[[三方郡]][[美浜町 (福井県)|美浜町]]は北陸放送が取材するケースがある。</ref>。<br/><ref name="Not_JNN_G-Guide_Host"/>||<br />
|-<br />
|[[広域放送#テレビジョン放送|中京広域圏]]||'''CBC 5'''||[[CBCテレビ]]||[[1956年]]12月1日||[[2014年]]4月1日||基幹局。2014年3月31日までは中部日本放送が免許人であった<ref>テレビ放送開始はTBSに続いて開局が早い。ただし、ラジオの開局は早く、日本で最初に開局した[[民間放送]]局でもある([[1951年]][[9月1日]]、日本で初めての民間放送ラジオ局として開局)。2013年4月1日にラジオ部門を分社化。分社化(子会社「[[CBCラジオ]]」に継承)後は[[日本の放送局所の呼出符号|コールサイン]]をラテ別々にしている。ラジオは従前通りJOARであるが、テレビはJOGX-DTV。</ref>。||○■△<br />
|-<br />
|[[広域放送#テレビジョン放送|近畿広域圏]]||'''MBS 4'''||[[MBSテレビ|毎日放送]]<ref>現毎日放送の設立は[[2016年]][[7月28日]](旧商号は毎日放送分割準備株式会社)。旧毎日放送である現在の[[MBSメディアホールディングス]](毎日放送の[[放送持株会社|持株会社]])の設立は[[1950年]][[12月27日]]。</ref>||1959年[[3月1日]]||2017年4月1日||[[基幹局]]、[[キー局|準キー局]]。ワンセグはウォーターマーク表示なし。<br/>かつては民放テレビ局は[[NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]]系列局のみの[[徳島県]]にもアナログGガイドの番組データの配信を対応していた。||○■△<br />
|-<br />
|[[徳島県]]||colspan="4"|なし||取材は[[毎日放送徳島支局]]が担当している。<br/><ref name="Not_JNN_G-Guide_Host"/>||<br />
|-<br />
|[[高知県]]||style="white-space:nowrap"|'''KUTV 6'''||[[テレビ高知]]||colspan="2"|1970年4月1日||<ref>1959年4月1日 - 1970年3月31日の間はRKC 高知放送が番販扱いでニュースネットをしていた。</ref>||■△<br />
|-<br />
|[[愛媛県]]||'''itv 6'''||[[あいテレビ]]||colspan="2"|[[1992年]]10月1日||[[2002年]][[9月30日]]まで局名は伊予テレビ。<ref>1958年12月1日 - 1992年9月30日の間はRNB 南海放送が番販扱いでニュースネットをしていた。</ref>||■△<br />
|-<br />
|[[香川県]]||rowspan="2"|'''RSK 6'''||rowspan="2"|[[RSKテレビ|RSK山陽放送]]<ref>RSK山陽放送の設立は[[2018年]][[5月25日]](旧商号は山陽放送分割準備株式会社)。旧山陽放送である現在の[[RSKホールディングス]](RSK山陽放送の持株会社)の設立は[[1953年]][[4月1日]]。</ref>||rowspan="2"|1958年[[6月1日]]||rowspan="2"|[[2019年]]4月1日||rowspan="2"|2019年3月31日まで山陽放送<ref>現社名は[[RSKホールディングス]]</ref>が免許人であった。<ref>2019年4月1日より、放送事業とイベント事業をRSK山陽放送に承継。テレビとラジオの分社化は行わず、山陽放送で使用されていたコールサイン(JOYR、JOYR-DTV)もそのまま承継している。</ref>|| rowspan="2" |●■△◆<br />
|-<br />
|[[岡山県]]<br />
|-<br />
|[[鳥取県]]||rowspan="2"|'''BSS 6'''||rowspan="2"|[[山陰放送]]||colspan="2" rowspan="2"|1959年[[12月15日]]||rowspan="2"|1959年12月15日開局 - [[1972年]][[9月30日]]の間は、テレビは島根県のみを対象とした。||rowspan="2" style="white-space:nowrap"|●■△<br />
|-<br />
|[[島根県]]<br />
|-<br />
|[[広島県]]||'''RCC 3'''||[[中国放送]]||1959年4月1日||1959年8月1日発足時||[[1967年]]3月31日まで局名はラジオ中国(略称は変わらずRCC)。<br />
|●■△<br />
|-<br />
|[[山口県]]||'''tys 3'''||[[テレビ山口]]||colspan="2"|1970年4月1日||<ref>1970年4月1日開局 - [[1978年]][[9月30日]]の間はJNN/テレビ朝日(一般番組のみの参加で、ニュースネット〔ANN〕はJNN協定の関係上、参加しなかった。)/FNSのクロスネット、1978年10月1日 - [[1987年]]9月30日の間はJNN・FNSのクロスネットだった。</ref>||■△<br />
|-<br />
|[[福岡県]]||'''rkb 4'''||[[RKB毎日放送]]<ref>現RKB毎日放送の設立は[[2015年]][[9月29日]](旧商号はRKB毎日分割準備株式会社)。旧RKB毎日放送である現在の[[RKB毎日ホールディングス]](RKB毎日放送の持株会社)の設立は[[1951年]][[6月29日]]。</ref>||1958年3月1日||1959年8月1日発足時<ref>これよりJNN発足前の1958年3月1日からネット関係を結んでいた。</ref>||基幹局。1958年[[8月17日]]まで局名はラジオ九州(略称は変わらずRKB)。<br/>かつては民放テレビ局は[[フジニュースネットワーク|FNN]]/[[フジネットワーク|FNS]]系列局のみの[[佐賀県]]にもアナログGガイドの番組データの配信を対応していた。||●■△<br />
|-<br />
|[[佐賀県]]||colspan="4"|なし||ニュース取材はRKB毎日放送が担当している。<br />ラジオ中波放送は[[NBCラジオ佐賀]]<ref>長崎放送の佐賀県域におけるラジオ運営子会社、ならびに愛称。</ref>が行っている。<br/><ref name="Not_JNN_G-Guide_Host"/>||<br />
|-<br />
|[[長崎県]]||'''NBC 3'''||[[長崎放送]]||1959年[[1月1日]]||1959年8月1日発足時|| ||●■△<br />
|-<br />
|[[熊本県]]||'''RKK 3'''||[[熊本放送]]||1959年4月1日||1959年8月1日発足時||[[1961年]][[5月31日]]まで局名はラジオ熊本(略称は変わらずRKK)。||●■△<br />
|-<br />
|[[大分県]]||'''OBS 3'''||[[大分放送]]||colspan="2"|1959年10月1日||1961年[[3月31日]]まで局名はラジオ大分。||●■◆<br />
|-<br />
|[[宮崎県]]|| '''mrt 6'''||[[宮崎放送]]||colspan="2"|[[1960年]][[10月1日]]<ref name="MRT30th_329/>||1961年[[6月30日]]まで局名はラジオ宮崎(RMK)。||●■△<br />
|-<br />
|[[鹿児島県]]||'''MBC 1'''||[[南日本放送]]||1959年4月1日||1959年8月1日発足時||1961年[[9月30日]]まで局名はラジオ南日本。||●■△<br />
|-<br />
|[[沖縄県]]||'''RBC 3'''||[[琉球放送]]||1960年[[6月1日]]||[[1972年]][[5月15日]]<ref>JNNとは開局時から関係を持っていたが、正式加盟は沖縄の日本復帰時である。ただ、正式ではないものとみなされば、主に発足日の1959年8月1日としているケースがある。『民間放送十年史』(日本民間放送連盟・1961年発行)には、「1959年12月10日加盟」と記載されている。</ref>||<ref>同社社屋と併設しているANNマストバイ局の[[琉球朝日放送]]の放送業務の一部も受託している。ただし、営業関係・排他協定で統合できない報道取材関係などを除く。</ref>||●<ref>琉球放送では、[[2002年]]4月に、社内カンパニー化のため、新聞ラテ欄では''RBCiラジオ''と表記されている。</ref>■△<br />
|}<br />
<br />
=== 過去の加盟局 ===<br />
{|class="wikitable" style="font-size:small"<br />
!放送対象地域!!style="white-space:nowrap"|略称!!社名!!JNN加盟期間!!備考(脱退の理由など)!!現在の<br />所属系列<br />
|-<br />
|福島県||FTV||[[福島テレビ]]||[[1971年]][[6月1日]]<ref>出典:福島テレビ30年史、150ページ。ただし、日曜日に『[[JNNニュースコープ]]』ではなく「(午後)5:00[[NNN日曜夕刊| (NNN)日曜夕刊]]』」・「5:20 [[笑点]]」が編成されたようにニュースを含む一部の日本テレビ系番組が10月改編までの暫定措置として残っていた(出典:河北新報、1971年9月から10月のFTVテレビ欄)</ref> - [[1983年]][[3月31日]]||当時のTBSの経営陣が、福島テレビの株式の過半数を持っていた福島県の方針に難色を示したため([[ネットチェンジ#福島県の事例]]を参照)<ref>2005年2月号の『[[月刊現代]]』([[講談社]])に掲載された[[濱口浩三]](TBS社長を歴任)の回想による。</ref><ref>[[1963年]]4月1日開局 - 1971年5月31日の間は(NNN加盟期間)、一部の一般番組に限り、番組販売という形式でネットをしていた。</ref>。||FNN/FNS<ref>1983年[[4月1日]]にFNN/FNS(フルネット/マストバイ局)にネットチェンジ。なお、多くの一般番組は、猶予期間の同年9月30日まで放送された。</ref><br />
|-<br />
|style="white-space:nowrap"|関東広域圏||KRT → TBS||ラジオ東京 → [[TBSホールディングス|東京放送]]||[[1959年]][[8月1日]]発足 - [[2009年]][[3月31日]]||東京放送(移行後は「東京放送ホールディングス」→「TBSホールディングス」)の認定[[放送持株会社]]移行により、テレビ放送部門がTBSテレビに分割されたため。||rowspan="2"|-<br />
|-<br />
|中京広域圏||CBC||[[中部日本放送]]||style="white-space:nowrap"|1959年8月1日発足 - [[2014年]]3月31日<ref>これよりJNN発足前の1956年12月1日からネット関係を結んでいた。</ref>||中部日本放送の認定[[放送持株会社]]移行により、テレビ放送部門がCBCテレビに分割されたため。<br />
|-<br />
|rowspan="2"|近畿広域圏||ABC||[[朝日放送テレビ|朝日放送]]||1959年[[8月1日]]発足 - [[1975年]]3月30日||現・朝日放送テレビ。筆頭株主である[[朝日新聞社]]の意向による([[ネットチェンジ#近畿広域圏におけるいわゆる大阪準キー局「腸捻転」の解消|当該項目]]を参照)<ref>なお、[[朝日放送ラジオ|併設ラジオ]]は、テレビネットワークが入れ替わった1975年以降、現在もJRNに加盟しており、TBSラジオ制作の一部番組をネット受けしている(逆に朝日放送ラジオ制作の番組がTBSラジオでネット受けする事例もある)。ただし[[ABCニュース (朝日放送ラジオ)|ラジオニュース]]は100%自社制作であり、JRN全国ニュース番組は[[MBSラジオ|毎日放送]]経由である。ラジオは[[1951年]][[11月11日]]、テレビは[[1956年]][[12月1日]]に([[大阪テレビ放送]]として)それぞれ開局。</ref>。||ANN<ref>1975年3月31日にANN(フルネット/マストバイ局)にネットチェンジ</ref><br />
|-<br />
||MBS||[[MBSメディアホールディングス|毎日放送]]||1975年3月31日<ref>これよりJNN発足前の1959年3月1日からネット関係を結んでいたが、一部の一般番組のネットに留まっていた。1960年2月1日 - 1975年3月30日(腸捻転解消の前日)までの間は同一放送地域(近畿広域圏)の朝日放送(ABC)がJNNに加盟していた関係で毎日放送はJNNに参加できなかった。ちなみに毎日放送は開局当初、準教育放送局としてテレビ放送を開始したことと、他のキー局はすでに他の在阪局が関係を結んでいたこともあり、ネットキー局は当時のNET 日本教育テレビ(現:テレビ朝日)であり、東西で新聞資本のある局同士が逆転していた。詳細は[[ネットチェンジ#近畿広域圏におけるいわゆる大阪準キー局「腸捻転」の解消|ネットチェンジ]]を参照。</ref> - [[2017年]]3月31日||(旧)毎日放送(移行後は「MBSメディアホールディングス」)の認定放送持株会社移行により、テレビを含む放送・送信業務が(新)毎日放送に移行したため。||-<br />
|-<br />
|鳥取県||NKT||style="white-space:nowrap"|[[日本海テレビジョン放送]]||1959年8月1日発足 - 同年[[12月14日]]||山陰放送(BSS)が開局したことによる配慮のため<ref>NKTは1959年3月3日に鳥取県[[鳥取市]]で開局。同年12月15日に、同じく鳥取県で山陰放送が[[米子市]]に開局したが、NKTに配慮し、山陰放送の(JNNとしての報道)取材対象は隣県の島根県となった。JNN加盟時代は鳥取県のみ取材対象。開局は1959年[[3月3日]]。</ref>。||NNN/NNS<ref>1959年[[12月15日]]に日本テレビ(NNN/NNS)系列にネットチェンジ。</ref><br />
|-<br />
|style="white-space:nowrap"|香川県・岡山県||RSK||style="white-space:nowrap"|[[RSKホールディングス|山陽放送]]||1959年8月1日発足<ref>これよりJNN発足前の1958年6月1日からネット関係を結んでいた。</ref> - [[2019年]]3月31日||山陽放送(移行後は「RSKホールディングス」)の認定放送持株会社移行により、テレビを含む放送・送信業務がRSK山陽放送に移行したため。1958年6月1日開局 - 1979年3月31日の間は、テレビは岡山県のみ対象とした。||-<br />
|-<br />
|福岡県||RKB||style="white-space:nowrap"|[[RKB毎日ホールディングス|RKB毎日放送]]<!--RKB毎日ホールディングスはJNNに加盟していません。削除するなら、それなりの根拠を出してください。※持株会社移行前に加盟していたということでは?-->||1959年8月1日発足 - [[2016年]]3月31日||(旧)RKB毎日放送(移行後は「RKB毎日ホールディングス」)の認定放送持株会社移行により、テレビを含む放送・送信業務が(新)RKB毎日放送に移行したため。||-<br />
|}<br />
<br />
=== 現在の主な非加盟局 ===<br />
:※加盟の意思があったものの、結局加盟しなかった、または出来なかった主な局を掲載。<br />
{|class="wikitable" style="font-size:small"<br />
|-<br />
!style="white-space:nowrap"|放送対象地域!!略称!!社名!!備考(加盟しなかった理由など)!!style="white-space:nowrap"|現在の所属系列<br />
|-<br />
|青森県||RAB||style="white-space:nowrap"|[[青森放送]]||ネットスポンサーの経営的理由による<ref>『青森放送二十五年史』より参照。1959年のテレビ開局直前までネットワークが決まらず、1ヶ月前にようやくJNN系列になることが発表された。サービス放送が始まった9月14日からはフィルム番組、20日からニュースを含むラインネットのJNN系番組が流れ始めたが、ラジオ東京側が提示したネットスポンサー額が事前の概要合意案よりも月額で約1,000万円も低かったことが経営面での影響を及ぼすことから、当時の社長・[[竹内俊吉]]が病後の身を押してラジオ東京の幹部と会談したが物別れに終わった。このため、竹内が急遽個人的に知己のあった日本テレビ社長(当時)の[[正力松太郎]]と会談を申し込むと、正力が役員・部長を社長室に集めて「ラジオ青森のことは引き受けるから、さっそく作業を開始するように」と、ネットワーク関係を結ぶことを直ちに決断したことから、9月25日に日本テレビ系列(当時NNN・NNSは組織として未成立)への変更が決まり、そのまま10月1日に開局した。竹内は正力の決断に「感謝の一言に尽きる」と語ったという。その後、1969年に青森2番目の民放テレビ局として開局した青森テレビが1975年よりJNNに正式加盟し、現在に至る。なお、ニュース以外のJNN系列の一般番組については、青森テレビのJNN正式加盟まで同局の編成から外れた一部の番組を放送していた。</ref>。||rowspan="3"|NNN/NNS<br />
|-<br />
|秋田県||ABS||[[秋田放送]]||マイクロ回線の技術的理由による<ref>1960年4月1日に、日本テレビ系列(当時NNN・NNSは組織として未成立)でテレビ放送局が開局。これは先に隣県の山形放送が日本テレビ系列で開局していたため。ただし、1992年9月30日までは、一部のTBS系列ニュース番組も番組販売という形式で一部ネットした(『[[JNN8時のニュース]]』など)。現在は一部のドラマなどは時差放送されている。</ref>。<br />
|-<br />
|富山県||KNB||style="white-space:nowrap"|[[北日本放送]]||隣県の民放局がラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)とネットを組んでいたため、当初はKNBもその線だろうというのが一般の見方であり、KNB社内でもラジオ東京テレビか、日本テレビか真剣に検討が行われたが、サービス放送中に営業成績が良くプロ野球のナイター中継が多くナイターの延長にも対応可能である等の理由から日本テレビ系列主体の編成にすることが決まったため<ref>『北日本放送十年史』(1962年4月17日、北日本放送発行)232 - 233ページ『ネットワークの問題』より。</ref><ref>その後、1990年10月1日にJNN系列の「チューリップテレビ」が開局したため、2019年現在もJNN非加盟を継続している。</ref>。<br />
|-<br />
|福井県||FBC||[[福井放送]]||北陸放送との競合を避けるため<ref>開局当初は、TBS系列に入る予定をしていたが、当時すでに開局していた、北陸放送の電波が嶺北地方の大部分に来ており、競合を避けるために断念したとされる。1990年代に、[[福井文化テレビジョン]]の名称で第3局が開局予定だったが、当時のTBSの社長が開局断念を決めたことと、県内各地にケーブルテレビ局が普及してきたことから、開局できなかった。現在は一部のドラマなどが時差放送されている。</ref>。||style="white-space:nowrap"|NNN/NNS・ANN<br /><small>(クロスネット局)</small><br />
|-<br />
|愛媛県||RNB||[[南海放送]]||マイクロ回線の技術的理由による<ref name="shikoku">南海放送は1958年12月1日に、高知放送は1959年4月1日に、日本テレビ系列(当時NNN・NNSは組織として未成立)でテレビ放送局が開局。これは先に同じ[[四国]]内の徳島県のラテ兼営の民間放送局の四国放送が日本テレビ系列で開局していたため。</ref><ref>ただし、1992年9月30日までは一部のTBS系列テレビ番組も番組販売という形式で一部ネットした(『JNN8時のニュース』など)上、TBS系向けの番組制作にも参加し、「RNB」の略称ロゴもローカル番組や日本テレビ系番組と異なるTBS系専用のもの(福島放送の『KFB』に類似)を作成していた。その後、同年10月1日にJNN全国最後発として開局した「伊予テレビ(あいテレビ)」に、最終的にJNN系列の番組をすべて移行して、番組販売関係は解消した。</ref>。||rowspan="2"|NNN/NNS<br />
|-<br />
|高知県||RKC||[[高知放送]]||開局当時日本テレビの方が人気が高かったこととマイクロ回線の技術的理由<ref name="shikoku" />による。<br>技術的問題の解決後、1970年に民放第2局がフジテレビ系で開局することが内定したことから、JNNニュースのネットを実施してTBSとの関係強化を図るも、日本テレビとの関係が悪化し、社内でTBS系列へのネットチェンジが検討された。しかし第2局(テレビ高知)が開局直前にJNNへの加盟に切り替えたことでネットチェンジを断念した<ref>高知放送編『高知放送三十年史』、株式会社高知放送、1984年。</ref>。<br />
|}<br />
<br />
<gallery perrow="5"><br />
File:TBS Broadcasting Center 20200607.jpg|JNNの在京キー局:[[TBSテレビ]](TBS、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]5-3-6、TBS放送センター)<br />
ファイル:MBS media holdings headquarters in 201909 001.jpg|JNNの在阪準キー局:[[毎日放送]](MBS、[[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[茶屋町 (大阪市)|茶屋町]])<br />
ファイル:CBC Hall of Chubu-Nippon Broadcasting.jpg|JNNの在名基幹局:[[CBCテレビ]](CBC、[[名古屋市]][[中区 (名古屋市)|中区]][[新栄]])<br />
ファイル:HBC新社屋-1.jpg|JNNの在札基幹局:[[北海道放送]](HBC、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]][[北○条西 (札幌市)|北1条西]])<br />
ファイル:RKB毎日放送放送会館.jpg|JNNの在福基幹局:[[RKB毎日放送]]([[福岡市]][[早良区]][[シーサイドももち|百道浜]]、RKB放送会館)<br />
</gallery><br />
<br />
== 支局 ==<br />
2018年4月現在、11支局がある。これらの支局はJNN加盟各局が出し合い運営されている「JNN基金」を元にして、基幹局がそれぞれ費用を一部負担する格好で開設・運営している。ただしTBSテレビ以外のJNN加盟局に所属する記者は開設局に所属しつつ、TBSテレビの名前も背負う。そのため開設局とTBSテレビの両方のロゴが印刷された特注の名刺をTBSから各記者に支給して活動させる。<br />
<br />
ネットワークはその時々の情勢により変化。加盟局が独自に開設するケースもあるが、常に統廃合が繰り返されている。また記者の派遣については、開設・運営局以外から行われることも少なくない<ref>一例として、静岡放送については人事交流の一環でニューヨーク支局へ記者を派遣していた時期がある。その派遣にかかる費用は静岡放送が負担し、一部をJNNが補助する形となっていた。</ref>。[[兵庫県]][[西宮市]]の[[阪神甲子園球場]]にて行われる[[選抜高等学校野球大会]]や[[全国高等学校野球選手権大会]]など、日本国内で行われる大型スポーツイベントの際にも、イベント開催地の近くにJNN加盟局共同の取材拠点を設置する場合がある<ref>{{Cite web|url=https://www.mbs.jp/kouhou/news/log/200730.pdf|title=2020年甲子園高校野球交流試合 JNN各局への素材伝送でクラウドを活用|accessdate=2020-08-13|publisher=|date=2020-07-30|website=株式会社毎日放送}}</ref>。<br />
<br />
海外記者のリポートはJRNのニュースでも録音で放送されている。そのため、一部のJNN海外記者リポートがJRNを通じて日本テレビ(NNN)系ラテ兼営局<ref>[[青森放送]]・[[秋田放送]]・[[山形放送]]・[[山梨放送]]・[[北日本放送]]・[[福井放送]]・[[山口放送]]・[[四国放送]]・[[西日本放送ラジオ|西日本放送]]・[[南海放送]]・[[高知放送]]の11局。</ref>と[[中波放送|AM]]単営の[[ラジオ福島]]・[[和歌山放送]]にも放送される。<ref>全国ネットでは『[[ネットワークトゥデイ|ネットワークTODAY]]』(ただし、毎日放送・和歌山放送は本編自社製作)、『[[ウィークエンドネットワーク]]』(ただし、毎日放送は本編自社製作)。ローカルニュースでは『[[加藤雅章の夕刊ほっかいどう]]』、『[[河北新報ニュース#TBCラジオ|河北新報ニュース]]』、『[[中日新聞ニュース#中日新聞ニュース|中日新聞ニュース]]』、『[[MBSニュース#ラジオ|MBSニュース]]』、『[[RKBヘッドライン|RKBラジオニュース]]』。</ref><br />
<br />
=== 海外支局 ===<br />
{|class="wikitable"<br />
|-<br />
!地域!!海外支局名!!設置・運営<br />加盟局!!備考<br />
|-<br />
|rowspan=3|[[アメリカ合衆国|アメリカ<br />合衆国]]||style="white-space:nowrap"|JNN[[ニューヨーク]]支局||rowspan=2|TBSテレビ||静岡放送からも記者を派遣していた期間がある。<ref>毎日放送も、ネットチェンジ以前からJNN加盟後の1990年代前半まで、自社で独自に支局を開設。1963年には、特派員として赴任していたアナウンサー出身の[[前田治郎]]が、日本初のテレビ衛星中継を通じて[[ケネディ大統領暗殺事件]]を伝えた。</ref><br />
|-<br />
|JNN[[ワシントンD.C|ワシントン]]支局||<br />
|-<br />
|JNN[[ロサンゼルス]]支局||CBCテレビ||TBSテレビからも記者を派遣。かつては、毎日放送が支局を開設していた。<br />
|-<br />
|style="white-space:nowrap" rowspan=3|[[ヨーロッパ]]<br />旧[[ソビエト連邦|ソ連]]<br />[[アフリカ]]||JNN[[ロンドン]]支局||rowspan=2|TBSテレビ||<br />
|-<br />
|JNN[[モスクワ]]支局||北海道放送からも記者を派遣<ref>一時北海道放送が運営をしていた時期があるが、これは1990年代に北海道放送が極東地域に開設していた支局を統合したことの名残である。</ref><br />
|-<br />
|JNN[[パリ]]支局||毎日放送||[[1969年]]に朝日放送(当時)が開設<ref>{{Cite|和書|author=朝日放送社史編修室(編集)|title=朝日放送の50年 3 資料集|date=2000|pages=304}}</ref>。[[1975年]]の[[ネットチェンジ#近畿広域圏におけるいわゆる大阪準キー局「腸捻転」の解消|ネットチェンジ]]に伴って、組織ごとANNパリ支局に移行したことから、TBSが改めて開設した<ref>{{Cite|和書|author=東京放送(編集)|title=TBS50年史 資料編|date=2002|pages=344}}</ref>。後に一時閉鎖したが、2017年10月から毎日放送の運営によって業務を再開<ref name="MBS Paris">[https://ja-jp.facebook.com/mbsnews/posts/847945778702236 「MBS NEWS」Facebook公式アカウント2017年10月19日付記事【報道カメラマンの世界#210 JNNパリ支局】]</ref>。同局が再開設の前まで設置していた[[#過去の海外支局|ベルリン支局]]時代から、旧ソ連地域の諸国(モスクワ支局の管轄)・イギリスと北ヨーロッパ諸国(ロンドン支局の管轄)を除くヨーロッパ全域の取材を担当している。<br />
|-<br />
|rowspan=5|[[アジア]]||JNN[[中東]]支局||TBSテレビ||2012年3月まで山陽放送が運営していた「JNN[[カイロ]]支局」を閉鎖したうえで、同年7月から開設<ref name="RSK Cairo">{{Cite web|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNMSJD35706_S2A700C1000000/|title=人事、TBSテレビ|publisher=日本経済新聞社|accessdate=2019-06-02}}</ref>。<br />
|-<br />
|JNN[[北京市|北京]]支局||北海道放送||TBSテレビからも記者を派遣。<br />
|-<br />
|JNN[[上海市|上海]]支局||毎日放送||1992年から2000年まで中国放送が運営。<br />
|-<br />
|JNN[[ソウル特別市|ソウル]]支局||TBSテレビ||rowspan=2|ソウル支局は1969年にRKB毎日放送<ref>{{Cite|和書|author=RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会(編集)|title=放送この十年 RKB毎日放送創立30周年記念|date=1981|pages=192}}</ref>、バンコク支局は[[1977年]]にTBSが開設<ref>{{Cite|和書|author=東京放送(編集)|title=TBS50年史 資料編|date=2002|pages=346}}</ref>。<br />[[1996年]][[7月1日]]に両支局の担当を入れ替えて<ref>{{Cite|和書|author=東京放送(編集)|title=TBS50年史 資料編|date=2002|pages=363}}</ref>からも、TBS・RKBは両支局に記者を派遣している。<br />
|-<br />
|JNN[[バンコク]]支局||style="white-space:nowrap"|RKB毎日放送<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
==== 過去の海外支局 ==== <br />
上記の支局以外にも、[[2000年シドニーオリンピック]]の開催を機に、TBSテレビが「JNN[[シドニー]]支局」を設置(設置当初の名称は「JNNシドニー五輪支局」)。日本のテレビ局でニュース番組の制作に携わった経験を持つ現地在住の[[フリージャーナリスト]]・飯島浩樹が、「JNNシドニー通信員」という肩書で[[オセアニア]]地域の取材活動に携わっている<ref>[https://www.actusaustralia.com/actus-who-s-who/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC/%E9%A3%AF%E5%B3%B6%E6%B5%A9%E6%A8%B9/ TBSシドニー通信員 飯島浩樹(Hiroki Iijima)]</ref>。<br />
<br />
山陽放送は1973年から、中東地域に支局<ref>もともと、1973年に中東[[レバノン]]の[[ベイルート]]にベイルート支局として開設されたが、レバノン情勢の悪化を機に閉鎖したうえで、1976年に支局をカイロへ移転した。</ref>を開設していた。JNNが2012年に海外支局を再編する方針を打ち出したことから、この方針に沿って「JNNカイロ支局」を閉鎖したことを機に、海外支局の運営業務から撤退した<ref name="RSK Cairo" />。<br />
<br />
かつては、毎日放送の設置・運営による「JNN[[マニラ]]支局」「JNN[[ベルリン]]支局」も存在。ベルリン支局については、自社の運営によるパリ支局の開設を前提に、2017年9月で閉鎖した<ref name="MBS Paris" />。<!--マニラ支局の閉鎖時期は調査中。--><br />
<br />
CBCテレビも、[[中部日本放送]]時代の1974年から、[[中日新聞社]]との共同運営方式で「JNN[[ローマ]]支局」を開設。東欧情勢の変化を背景に、1990年限りで同支局を閉鎖するとともに、同年から2010年9月まで「JNN[[ウィーン]]支局」を自社で運営していた<ref>{{Cite|和書|author=中部日本放送|title=中部日本放送50年のあゆみ|date=2000|pages=185,285}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://hicbc.com/whatscbc/enkaku/|title=what's CBC 沿革|publisher=中部日本放送|accessdate=2016-07-16}}</ref>。<br />
<br />
そのほか、JNNは[[香港]]支局(1992年にTBSが開設、1999年閉鎖)、[[サイゴン]]支局(1971年にTBSが開設、1974年閉鎖、シンガポールに移設)、[[シンガポール]]支局(1974年にTBSが開設、1977年閉鎖)、[[ジャカルタ]]支局(1998年にTBSが開設、2000年閉鎖)、[[サンパウロ]]支局(1980年に北海道放送が開設、1993年閉鎖)、[[ロシア]]極東支局(1993年に北海道放送が[[サハリン]]に開設、1995年に[[ウラジオストク]]に移転、2001年に閉鎖)、[[ヨハネスブルク]]支局(1987年にTBSが開設、1991年閉鎖)を設置したこともある<ref>{{Cite|和書|author=東京放送|title=TBS50年史 資料編|date=2002|pages=50}}</ref>。<br />
<br />
=== 国内支局 ===<br />
JNNは日本のニュースネットワークで唯一加盟局が無い地域に支局を置いておらず、過去に存在したものを含めれば、[[TBSテレビ|TBS福島支局]](福島テレビのJNN脱退からテレビユー福島が開局する間まで)と[[IBC岩手放送秋田支局]]が存在したのみとなっている。<br />
*JNN三陸臨時支局([[宮城県]][[気仙沼市]])<br />
**[[東日本大震災]]被災地の長期的取材体制の現地拠点として、2011年5月1日に気仙沼市の気仙沼プラザホテル内に開設された臨時支局。取材エリアは通常はIBC岩手放送と東北放送が担当する、岩手県から宮城県にかけての[[三陸海岸]]沿いを中心にしたエリアで、TBSテレビ<ref>支局長・[[SNG (放送)|SNG]][[中継車]]などを派遣。</ref>を中心としたJNN加盟各局の共同運営という形で設置されていた。2014年に閉鎖。<br />
***初代局長:[[龍崎孝]]<br />
***2代目局長:佐々木智之<br />
<br />
== 番組販売協力局 ==<br />
=== TBS系列のない地域で同系列の番組を放送している局 ===<br />
* [[秋田県]]<br />
** [[秋田放送]](ABS、[[日本テレビ系列]])<br />
** [[秋田テレビ]](AKT、[[フジテレビ系列]])<br />
* [[福井県]]<br />
** [[福井放送]](FBC、日本テレビ〈主体〉・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]の[[クロスネット局|クロスネット]]だが、番組編成上は[[フルネット]]局に準じた扱いとされる場合もある)<br />
** [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]](FTB、フジテレビ系列)<br />
* [[徳島県]]<br />
** [[四国放送]](JRT、日本テレビ系列)<br />
<br />
[[JNN排他協定]]の影響で系列外で放送される番組は数本程度と極少数で在京キー局の番販番組では最も少ない。<br />
<br />
1960年代までは地方の民放テレビが一局かつオープンネット状態ということもあり、上記局(秋田テレビと福井テレビ以外)におけるTBS系列番組の放送本数も現在より多く、また一部同時ネット番組も存在した(『[[ロッテ 歌のアルバム]]』『[[ヤング720]]』等)。<br />
<br />
[[サガテレビ]](STS、フジテレビ系列)は元々系列外番組の放送が少ないが、『[[笑顔がいちばん!]]』や『[[THE PRIME (テレビ番組)#みのりの風景|みのりの風景]]』などスポンサードネット番組を中心に放送したことがある。<br />
<br />
=== その他特記事項 ===<br />
<!--特定の局にて、過去に特定の番組を放送していたという記述は、編集論争の恐れがあるので、無暗に書かないこと。特に必要最低限の内容に留める。--><br />
朝日放送テレビ(現在はテレビ朝日系列)は、[[1975年]]の『[[ミス・ユニバース・ジャパン#テレビ放送_2|ミス・ユニバース日本代表選出大会]]』では、開催をネットチェンジ直前の3月中に行い、TBS系列にネットした。これは前年にTBS系列局が出場者の募集活動を行ったためである。それ以降は、大晦日の『[[ゆく年くる年 (民間放送テレビ)|ゆく年くる年]]』など民放連加盟全局ネット番組がTBS制作となった場合、[[TBSグロウディア]]や[[放送番組センター]]などを通じて購入した権利切れ再放送番組、[[日音]]などTBSグループの企業が制作に関与した外部制作扱いの番組、TBS並びに系列局が[[製作委員会]]に参加した特定のネットワークに依存しない[[深夜アニメ]]や[[公営競技]]中継などの例外を除き、TBS系列の番組は一切放送されなくなった。<br />
<br />
== ネットニュース ==<br />
; 随時<br />
* [[JNNニュース]](1959年8月1日 - 2009年3月29日、2010年3月29日 - )<br />
* [[THE NEWS (TBS・JNN)|THE NEWS]](2009年3月30日 - 2010年3月28日)<br />
; 朝<br />
{{Main|TBSテレビ系列朝ニュース枠}}<br />
; 昼<br />
{{Main|TBSテレビ系列昼ニュース枠}}<br />
; 夕方<br />
{{Main|TBSテレビ系列夕方ニュース枠}}<br />
;<nowiki> 20:54 - 21:00 </nowiki>(平日は別時間)<br />
* [[JNNフラッシュニュース]](1962年10月 - 放送中)<br />
; 最終版<br />
{{Main|TBSテレビ系列深夜ニュース枠}}<br />
<br />
== 特別番組 ==<br />
選挙・台風・地震や、他に、大きな事件・事故の際に特別番組を編成、放送する。<br />
<br />
=== 国政選挙 ===<br />
開票状況を伝える特別番組を放送。[[出口調査]]などを駆使して早く、分かりやすく伝える。<br />
* [[JNN票決ライブ|JNN開票速報(1971年参院選)]] <br />
* [[JNN票決ライブ|JNN選挙速報(1972年衆院選)]] <br />
* [[JNN票決ライブ|参院選開票速報(1974年参院選)]] <br />
* [[JNN票決ライブ|衆院選開票速報(1976年衆院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|参院選'77(1977年参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|総選挙'79(1979年衆院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|選挙・選挙'80(1980年衆院選・参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|JNN参院選'83(1983年参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|JNN衆院選'83(1983年衆院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|選挙・選挙'86(1986年衆院選・参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|票決'89(1989年参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|筑紫哲也のどーなるニッポン世紀末決戦'90(1990年衆院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|巨泉・筑紫の報道スクープ選挙版'92(1992年参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|筑紫哲也の選挙'93(1993年衆院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|選挙スタジアム'95(1995年参院選)]]<br />
* [[JNN票決ライブ|総選挙ライブネット'96(1996年衆院選)]]<br />
* [[選挙開票特別番組 票決!ライブ]](1998年参院選~2004年参院選)<br />
* [[乱!総選挙2005]](2005年衆院選)<br />
*[[乱!参議院選挙2007]](2007年参院選)<br />
* [[乱!総選挙2009]](2009年衆院選)<br />
* [[乱!参院選2010]](2010年参院選)<br />
* [[乱!総選挙2012]](2012年衆院選)<br />
* 夏の決戦!参院選2013 ニッポンどこへ行く!(2013年参院選)<br />
* [[乱!総選挙2014]](2014年衆院選)<br />
* [[激突!選挙スタジアム2016]](2016年参院選)<br />
* [[激突!与野党大決戦 選挙スタジアム2017]](2017年衆院選)<br />
*[[Nスタ]]×[[NEWS23]] 選挙スペシャル(2019年参院選)<br />
<br />
=== ニュース速報・地震・津波・気象・台風情報 ===<br />
状況に応じて「速報のみの対応」「速報+臨時ニュース」「速報+臨時ニュースの後、特番へ移行」と、大まかに分けて3つのパターンが存在する。<br />
<br />
ニュース速報や交通・気象・地震情報等の速報テロップを表示する際は、JNN系列全28局・BS-TBS・TBS NEWS共通で『ポッポ、ポッポ』と<ref>加盟局により、使用している機材のメーカーや製造年度、または性能が異なるため、チャイムは同一ながらその音程や音感に若干の差異が見受けられる。(例えばCBCテレビはチャイムの音程が他の加盟局に比べるとやや高音になっている。またBS-TBSはチャイムの音程がややシャープになっている。)</ref><ref>ただしHBCはニュース速報は他の加盟局と同じ『ポッポ、ポッポ』(音程はやや硬め)と鳴らすが、それ以外の速報テロップ表示時(地震情報、気象情報、交通情報)は、クリアな金属音に近づけた独自チャイムが鳴る。</ref>、高音と低音を組み合わせた独特のチャイムを鳴らす<ref>民放のニュースネットワークで、全ての加盟局でチャイムが統一されているのは2021年現在ではJNNのみである。</ref>。ニュース速報を表示する際は『'''JNNニュース速報'''』と表示する。地上波放送では全国ネットの番組を放送している場合は、TBSテレビ送出の速報テロップが全ての加盟局に向けて表示される<ref>ただし系列局製作の全国ネット番組が放送される場合は、TBSテレビではなくそこの系列局送出の速報テロップが全ての系列局に表示される。</ref><ref>ただしこれはあくまでも全国のニュース速報においてのみであり、加盟局の放送エリア内におけるニュース速報、地震情報、気象情報、交通情報は加盟局ごとの表示となる。</ref><ref>地震情報の場合TBSテレビを始めとした一部の加盟局、BS-TBS、TBS NEWSでは『'''JNN地震情報'''』ど表示するが大半の加盟局は『(加盟局名)'''地震情報'''』とJNNを冠せず、加盟局名で冠している。</ref>。加盟局がローカル編成をしている時間帯であれば加盟局が個々に速報テロップを送出する。(ただし速報テロップが表示されるタイミングはTBSテレビより若干遅れる。<ref>稀にTBSテレビと同じタイミングに速報テロップが表示されたり、TBSテレビよりも早く速報テロップが表示される場合がある。</ref>)<br />
<br />
津波情報に関しては、津波注意報・津波警報が発表された場合、「JNN津波情報 ただちに避難」が挿入され、CM中でも常時文字情報を出し続けることになっている(ただし先述した『'''JNNニュース速報'''』と違い、加盟局ごとの表示となるため、地域によって対応が異なる。また、近年ではCMに入ったら一旦消去することもある。)。<br />
<br />
気象情報のチャイムは鳴らないまま、テロップだけが表示される。ただし、土砂災害警戒情報、竜巻注意情報が地方のみ表示される。<br />
<br />
台風時は、各局で編成されるため、すべての加盟局に向けた特別番組の放送は滅多にしない。また、通常の[[ニュース]]・[[情報番組]]のなかで、番組の多くを台風情報に充てている。<br />
<br />
== ブロックネット番組等 ==<br />
=== 東北地区 ===<br />
※新潟地区も含む。<br />
* [[アナナビ]](系列外の秋田テレビ〈FNS〉にもネット。2004年3月終了)<br />
* [[ふしぎのトビラ]](系列外の秋田放送〈NNS〉にもネット。提供は[[東北電力]]。月一回の放送・現在は東日本大震災の影響で休止)<br />
* なお、不定期で単発のブロック番組が放送される場合がある。<!---2013年3月2日16時から放送の『JNN東北スペシャル ふるさと 自然編 神の舞い降りる山~早池峰山と神楽衆~』など---><br />
<br />
=== 中部地区 ===<br />
※もともと[[中部地方|甲信越静]]の4局だったが、後に北陸の2局も参加。名古屋に所在して東海3県をエリアとするCBCは含まず。<br />
*[[ニッポンど真ん中!]](2012年以降は制作からSBSが外れ、甲信越・北陸の5局持ち回り制作)<br />
*甲信越静4局共同制作特番(年数回、不定期放送)<br />
<br />
=== 近畿・中国・四国地区 ===<br />
※大分地区も含む。<br />
* 西日本8局特番<br />
:(かつては地域情報系統として放送されていたが、現在は毎日放送主体で報道ドキュメンタリー系統になっている)<br />
<br />
=== 山口・九州・沖縄地区 ===<br />
{{See also|[[e-JNN]]}}<br />
* [[窓をあけて九州]]([[九州電力]][[一社提供]]、2012年3月終了)<br />
** 新 窓をあけて九州(九州電力グループ一社提供、九州6局のみ)<br />
* [[列車に乗って]]([[九州旅客鉄道|JR九州]]一社提供、九州6局のみ、2016年3月終了)<br />
* [[味わいぶらり旅]](JR九州一社提供、九州6局のみ、2013年3月終了)<br />
* [[JNN九州・沖縄ドキュメント ムーブ]]<br />
* [[世界一の九州が始まる!]]([[キリンビール]]一社提供)<br />
* 冒険王国思いっきりトムソーヤ(2001年9月終了、九州6局のみ)<br />
* [[電撃黒潮隊]]([[アートネイチャー]]一社提供、2002年9月終了)<br />
* 九州遺産(テレビ山口除く、2002年9月終了)<br />
* フィッシュEYE→フィッシングナビ(終了、テレビ山口除く)<br />
<br />
=== 全国ネット(特別企画) ===<br />
[[2009年]]はJNN発足50周年であったことから、以下の特別企画(特別番組)が編成された。<br />
*[[3月30日]]から1週間、「[[JNN50周年記念 ハイパーバラエティウィーク|ハイパーバラエティーウィーク]]」を展開。<br />
*[[8月13日]]から10日間、[[山本高広]]が10日かけて「大阪-東京間」をマラソンで走る「[[真夏のJNN祭り 「壁を壊そう!炎の240時間マラソン」|真夏のJNN祭り 「'''壁を壊そう'''!炎の240時間マラソン]]」を展開。<br />
**ほぼ同時期に開催された『[[日本における世界陸上競技選手権大会の報道#TBS系|世界陸上]] '''ベルリン'''大会』とかけたイベントでもあった。<br />
*また、同年秋の番組改編では、バラエティ番組を中心にデジタル放送のEPG等で、番組名に「'''JNN50周年記念'''」が付されていた。<br />
<br />
:※この他にも年1-2回、「[[JNN共同制作番組]]」をJNN各局で放送する。<br />
:※ローカルワイドニュース(夕方)については[[JNN夕方ローカルニュース一覧|一覧]]を参照。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[JNN排他協定]]<br />
<!--* JNN基幹局--><br />
* [[JNNニュース|JNN NEWS]]<br />
* [[JNN夕方ローカルニュース一覧]]<br />
* [[TBS NEWS (ニュースサイト)|TBS NEWS]]<br />
* [[TBS系列]]<br />
* [[BS-TBS]]<br />
** [[NEWS サンデー・スコープ]] <ref>JNN各局が制作協力している。JNNと名が付いているものの、JNN各局へのネットは行われていない。</ref><br />
*[[TBS NEWS (CS放送)|TBS NEWS]] - JNNニュース専門CSチャンネル<br />
* [[TBSチャンネル]] - CSエンターテイメントチャンネル<br />
* [[ジャパン・ラジオ・ネットワーク|JRN]] - TBS系列の[[ラジオネットワーク]]<br />
* [[毎日新聞社]]<br />
* [[民放テレビ全国四波化]]<br />
**[[開局を断念した放送局一覧]]<br />
**[[かつて日本に存在した放送局]]<br />
* [[日本の放送送信所一覧]]<br />
* [[エリアで最初に開局した放送局の一覧 (日本)]]<br />
* [[裏送り]]<br />
* [[ラジオ局ローカルニュースタイトル一覧]]<br />
* [[ラテ兼営#概要|ラテ兼営]]<br />
* [[ローカルニュース動画配信実施局一覧]]<br />
* [[ニュース系列]]<br />
* [[アノンシスト賞]]<br />
* [[ラインネット]]・[[テープネット]]<br />
* [[ヤン坊マー坊天気予報]](番組開始がJNN発足と同じ1959年)<br />
* [[日本レコード大賞#放送|輝く!日本レコード大賞]](同上)<br />
* [[全国高等学校ラグビーフットボール大会#テレビ中継|全国高等学校ラグビーフットボール大会]]([[1977年]] - [[2001年]]までJNN各局と、[[全国独立放送協議会|独立協]]12社の主催・共同制作)<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
=== 注釈 ===<br />
{{Reflist|group="注"}}<br />
=== 出典 ===<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Commons|JNN|JNN}}<br />
* [https://www.tbs.co.jp/jnn/ JNN web 公式サイト]<br />
* [https://news.tbs.co.jp/ TBS NEWS]([[RSS]]は「TBS News i」のままになっている)<br />
* {{Facebook|jnnsanriku|JNN三陸臨時支局}}<br />
* {{Twitter|tbs_news|TBS NEWS}}<br />
* [https://www.themoviedb.org/network/160-tbs TBS] - [[TMDb]] <!-- TMDbのページ名は「TBS」だが、TBSネットワークのことを指す。 --><br />
<br />
{{デフォルトソート:しやはんにゆうすねつとわあく}}<br />
[[Category:JNN|*]]<br />
[[Category:日本の民放ネットワーク|しえええぬえぬ]]<br />
[[Category:ニュース専門テレビチャンネル]]<br />
[[Category:TBSテレビ|*JNN]]<br />
[[Category:1959年設立の組織]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Firefox_OS&diff=401193
Firefox OS
2022-08-27T05:34:27Z
<p>PG: /* オープンウェブ技術スタック */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>[[Image:Firefox OS.jpg|350px|thumb|Firefox OS]]<br />
'''Firefox OS'''<ref>{{citation |url=http://www.frikipandi.com/public/post/geeksphone-el-primer-movil-en-espana-con-firefox-os-445.asp |title=The first mobile in Spain with Firefox OS. Geekphone Keon y Peak |date=22 January 2013}}</ref>(ファイアフォックス オーエス、プロジェクト名:Boot to Gecko、B2G)<ref name="MDN">{{cite web |title = Firefox OS |url = https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Mozilla/Firefox_OS |publisher = Mozilla |accessdate = 17 September 2012 |date = 21 August 2012 }}</ref>とは、[[Mozilla]]によって開発された[[スマートフォン]]と[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]向けの[[オープンソース]][[オペレーティングシステム]]である。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
JavaScriptを使っている端末のハードウェアに直接統合できる[[HTML5]]アプリケーションが動作するように設計されている<ref name="MDN"/>。<br />
<br />
[[Android]]互換スマートフォン<ref name="pcworld1">{{cite web |url = http://www.pcworld.com/article/250879/first_look_at_mozillas_web_platform_for_phones_boot_to_gecko.html |title = First Look at Mozilla's Web Platform for Phones: 'Boot to Gecko' |author = Ginny Maies |date = 2012-02-28 |publisher = [[PCWorld (magazine)|PCWorld]] |accessdate = 2012-03-23 }}</ref><ref name="HSW">{{cite web |url = http://hoowstuffworks.blogspot.com/2011/07/mozilla-making-mobile-os-using-android.html |title = Mozilla making mobile OS using Android |work = blog |date = July 2011 |publisher = I Didn't Know That! |accessdate = August 4, 2011 }}</ref>と[[Raspberry Pi]]で動作デモが行われている<ref name="theRegister">{{cite web |title = Raspberry Pi |url = http://www.theregister.co.uk/2012/08/17/firefox_os_on_pi/print.html |publisher = The Register |accessdate = 22 January 2013 |date = 22 January 2013 }}</ref>。OSはカーネル部分などはAndroidを母体(ベース)にしているものの、Androidのアプリケーションに関しては全く互換性がなく、一切動作しない。<br />
<br />
==歴史==<br />
===2011年===<br />
* 2011年7月25日、[[Mozilla Corporation]]の研究員であるアンドレアス・ガルが[https://lists.mozilla.org/listinfo/dev-platform mozilla.dev.platform メーリングリスト]にて「あらゆる点で --- iPhone、Android、Windows Phone 7のために構築されるアプリケーションに等しい、アプリケーションを構築出来るようにするためのウェブ開発者を維持するギャップを見つける」ために「オープンウェブのためのスタンドアローンオペレーティングシステムの完成を目標として努力する」ことを発表した<ref name="m.d.p announce">{{cite mailing list | last = Gal | first = Andrea | title = Booting to the web | mailinglist = mozilla.dev.platform | date = 2011-07-25 | url = http://groups.google.com/group/mozilla.dev.platform/browse_thread/thread/7668a9d46a43e482?pli=1 | accessdate = 2011-11-20}}</ref>。発表ではまた作業工程としてデバイスを転送するための新しいウェブAPIやテレフォニーやカメラ、{{仮リンク|特権 (コンピュータ)|en|Privilege (computing)|label=特権モデル}}といった安全にウェブページに転送するためのOSケーパビリティ、それらのケーパビリティを証明するアプリケーション、Android互換端末で[[ブート]]するための低レベルコードが提示された。この発表は多くのブログで取り上げられ<ref name="androidesque1">{{cite web |url= http://gagagadget.com/wordpress/2011/07/firefox-phone-mozilla-os-mobile/ |title= The Firefox Phone? Mozilla Working on Android-Esque OS |work= blog |publisher= Gagagadget |date= July 26, 2011 |accessdate= August 4, 2011 }}</ref><ref name="androidesque2">{{cite web |url= http://androinica.com/2011/07/mozilla-borrows-from-android-to-create-its-own-mobile-operating-system/ |title= Mozilla borrows from Android to create its own mobile operating system |work= blog |publisher= androinica |author= Andrew Kameka |date= July 26, 2011 |accessdate= August 4, 2011 }}</ref>、[[Ars Technica]]は「B2G (Boot to Gecko) は、標準に基づいたオープンウェブには、有力なモバイルオペレーティングシステムが提供する既存の単一ベンダーのアプリケーション開発スタックの競争力のある代替となる可能性がある、ということを証明したいという欲求によって動機づけられた、とMozillaは述べた」と書いている<ref name="androidesque3">{{cite web |url= http://arstechnica.com/open-source/news/2011/07/mozilla-eyes-mobile-os-landscape-with-new-boot-to-gecko-project.ars |title= Mozilla eyes mobile OS landscape with new Boot to Gecko project |publisher= Ars Technica |date= July 26, 2011 |author= Ryan Paul |accessdate= August 4, 2011 }}</ref>。<br />
<br />
===2012年===<br />
* 2012年7月、Boot to GeckoはMozillaの著名ウェブブラウザである[[Mozilla Firefox|Firefox]]にちなむ形でFirefox OSに改名し<ref>{{cite web |last = Brown |first = Mark |url = http://www.wired.co.uk/news/archive/2012-07/03/mozilla-firefox-os |title = Mozilla's HTML5 phone platform now called Firefox OS, launching 2013 (Wired UK) |publisher = Wired.co.uk |date = 2012-08-08 |accessdate = 2012-08-18 }}</ref>、8月にスクリーンショットを公開した<ref>{{cite web |url = http://www.theinquirer.net/inquirer/news/2196370/mozilla-shows-off-firefox-os-screenshots |title = Mozilla shows off Firefox OS screenshots |publisher = The Inquirer |date = |accessdate = 2012-08-18 }}</ref>。<br />
* 2012年9月、ストラテジー・アナリティクスはFireFox OSは商業的展開の初年となる2013年のグローバルなスマートフォン市場において1%のシェアを取るだろうと分析した<ref>{{cite web |url = http://blogs.strategyanalytics.com/WSS/post/2012/09/27/Firefox-OS-to-Capture-1-Percent-Share-of-Global-Smartphone-Market-in-2013.aspx |title = Firefox OS to Capture 1 Percent Share of Global Smartphone Market in 2013 |publisher = Strategy Analytics |date = |accessdate = 2012-09-27 }}</ref>。<br />
<br />
===2013年===<br />
* 2013年2月25日、スペインのバルセロナで開催したモバイル関連の展示会「Mobile World Congress 2013」で、「Firefox OS」を搭載したスマートフォンの販売パートナーとしてKDDIの名前を挙げた。<br />
<br />
===2014年===<br />
* 2014年11月28日、[[Mozilla Japan]]は、日本国内における一般ユーザー向け端末がまもなく登場することを記念し「Firefox OS Coming Soonキャンペーン」を発表<ref>{{cite web |url = http://news.mynavi.jp/news/2014/11/28/412/ |title = フォクすけの写真をアップしてFirefox OSを盛り上げよう! - Firefox OS Coming Soonキャンペーン |publisher = マイナビニュース |date = 2014-11-28 |accessdate = 2014-11-28 }}</ref>。マスコットキャラクターである[[フォクすけ]]の[[ぬいぐるみ]]が応募者の中から抽選で貸し出され、フォクすけと一緒に行楽地、観光地などで写真を撮影し、[[Twitter]]や[[Facebook]]にアップロードすることで認知度アップをおこなう。<br />
<br />
== 端末 ==<br />
[[2013年]][[6月]]、初の搭載スマートフォンを[[ブラジル]]、[[ポーランド]]、[[ポルトガル]]、[[スペイン]]、[[ベネズエラ]]で発売し、2013年中にさらに11カ国で発売した。2014年には[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]などに投入、[[アメリカ]]や[[日本]]も順次発売予定<ref name="allthingsd">[http://allthingsd.com/20130415/mozilla-will-debut-firefox-os-in-five-countries-by-summer/ Mozilla Will Debut Firefox OS in Five Countries in June]</ref><ref>http://futurehandling.com/2013/01/22/mozilla-firefox-os-cellphones-launch-but-tizen-os-is-still-more-promising/</ref>。<br />
<br />
[[2013年]][[1月]]、[[コンシューマー・エレクトロニクス・ショー]]にて[[中興通訊]] (ZTE)、および[[LGエレクトロニクス]]、[[ソニーモバイルコミュニケーションズ]]などが搭載スマートフォンを発売すると発表し<ref>http://www.techweekeurope.co.uk/news/zte-firefox-os-smartphone-ces-103878</ref><ref>[http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1302/26/news035.html 『ソニーモバイルも「Firefox OS」に参入 2014年に端末発売へ』] - ITmediaエンタープライズ 2013年2月26日</ref>、さらに日本では[[au (携帯電話)|auブランド]]を展開する[[KDDI]]([[連結子会社]]の[[沖縄セルラー電話]]を含む)も[[2014年]]末までに搭載スマートフォンを投入することを検討していることが明らかとなり<ref>{{Cite web |url=http://www.kddi.com/corporate/news_release/2013/0225/ |title=「Firefox OS」搭載端末の導入に向けた取り組みについて~HTML5時代到来に向け、両社のノウハウを生かす協力関係を構築~ |accessdate=2013-02-26}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1302/25/news032.html |title=『KDDIも参加:Mozilla、「Firefox OS」のパートナーを拡大 LG電子とHuaweiも端末製造』 - ITmediaエンタープライズ |accessdate=2013-02-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1302/25/news062.html |title=『KDDI、Firefox OS搭載スマートフォンの日本導入を検討』 - ITmediaエンタープライズ |accessdate=2013-02-25}}</ref>、2014年[[12月23日]]に第1号端末となる「[[Fx0 LGL25]]」(LGエレクトロニクス製)が発表された<ref>[http://news.kddi.com/kddi/corporate/newsrelease/2014/12/23/843.html つくる自由! ウェブ新世紀ハジマル ~国内通信事業者初、Firefox OSスマートフォンがついに登場~ | 2014年 | KDDI株式会社] 2014年12月23日</ref>。<br />
<br />
[[2013年]][[4月]]、Mozilla CEOのGary Kovacsはシリコンバレーの人間はハイエンド端末に注目しがちだが、世界の大半はハイエンド端末ではないため、Firefox OSは先進国以外も注力したい旨の発言をしている<ref name="allthingsd"/>。<br />
<br />
[[2014年]][[2月23日]]、中国のファブレスメーカー「Spreadtrum」との提携によるFirefox OS向けチップセット「SC6821」を開発し、価格を25ドル(約2,500円)におさえた端末を発表した<ref>{{cite web |url = http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1402/24/news048.html |title = Mobile World Congress 2014:Mozilla、25ドルの「Firefox OS」リファレンス端末を発表 ZTEとAlcatelからも新モデル登場 |publisher = ITmedia Mobile |date = 2014-02-24 |accessdate = 2014-02-24 }}</ref>。<br />
<br />
==一般向けの販売開始==<br />
2013年7月2日、[[テレフォニカ]]傘下の[[モビスター]]がスペインで[[ZTE]]製「ZTE Open」の販売を開始した。<br />
<br />
2013年7月12日、[[ドイツテレコム]]の子会社である[[T-モバイル]]がポーランドで[[TCL集団|TCL]]製「ALCATEL ONE TOUCH Fire」の販売を開始した。<br />
<br />
2013年8月1日(現地時間)、モビスターがコロンビアとベネズエラでALCATEL ONE TOUCH FireとZTE Openの販売を開始した。<br />
<br />
2014年12月25日、日本の大手通信キャリアである[[au (携帯電話)|au]]([[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]][[連合]])が[[LGエレクトロニクス]]製「Fx0 LGL25」をauオンラインショップ、並びにKDDI直営店にて先行販売。また、auショップ及び[[PiPit]]を含む[[トヨタ自動車#ディーラー|トヨタディーラー各店]]、その他量販店に関しては2015年1月6日より順次販売が予定されている。<br />
<br />
==デモンストレーション==<br />
[[モバイルワールドコングレス]]2012にてMozillaと[[テレフォニカ]]はスペインの通信接続企業が2012年にHTML5や対応APIをベースに「オープンウェブデバイス」を提供することを目指すと発表した<ref>{{cite press release |title=Telefónica and Mozilla pioneer first Open Web Devices |url=http://saladeprensa.telefonica.com/jsp/base.jsp?contenido=/jsp/notasdeprensa/notadetalle.jsp&selectNumReg=5&pagina=1&id=66&origen=notapres&idm=eng&pais=1&elem=17874 |publisher=[[テレフォニカ|Telefónica]] |date=2012-02-27 |accessdate=2012-03-23}}</ref>。<br />
<br />
Mozillaはまた[[アドビシステムズ]]と[[クアルコム]]がプロジェクトを支援することと[[ドイツテレコム]]のイノベーションラボもプロジェクトに加わることを発表した<ref>{{cite press release |title=Mozilla in Mobile – the Web is the Platform |url=http://blog.mozilla.com/blog/2012/02/27/mozilla-in-mobile-the-web-is-the-platform/ |date=2012-02-27 |publisher=[[Mozilla]] |accessdate=2012-03-23}}</ref>。<br />
<br />
また[[SC-02C|Samsung Galaxy S II]](通常のAndroidを完全に入れ替え)上でソフトウェアやアプリケーションの「sneak preview」を動作させるデモンストレーションを行った<ref>{{cite web |url=http://www.pcworld.com/article/250879/first_look_at_mozillas_web_platform_for_phones_boot_to_gecko.html |title=First Look at Mozilla’s Web Platform for Phones: 'Boot to Gecko' |author=Ginny Maies |date=2012-02-28 |publisher=[[PCWorld]] |accessdate=2012-03-23}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.pcmag.com/article2/0,2817,2400901,00.asp |title=Mozilla Tackles Walled Gardens, Demos 'Boot to Gecko' Mobile OS |author=Chloe Albanesius |date=2012-02-28 |publisher=[[PCMag.com]] |accessdate=2012-03-23}}</ref>。<br />
<br />
同年8月、[[ノキア]]の社員がRaspberry PiでOSを動作させるデモンストレーションを行った<ref>{{cite web |url = http://www.theregister.co.uk/2012/08/17/firefox_os_on_pi/ |title = Raspberry Pi now comes in Firefox OS flavour |publisher = Theregister.com |accessdate = 2012-09-15 }}</ref>。<br />
<br />
Firefox OSはFirefox OS開発機 (Unagi, Otoro)、[[PandaBoard]]、エミュレータ (ARM, x86)、[[パーソナルコンピュータ|パソコン(デスクトップ版)]]、[[Nexus S]]、Nexus S 4G、Samsung Galaxy S II、[[SC-04D|Galaxy Nexus]]で動作できる状態となっている<ref>{{cite web |title = B2G Build Prerequisites |url = https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Mozilla/Firefox_OS/Firefox_OS_build_prerequisites |publisher = Mozilla Developer Network |accessdate = 9 September 2012 }}</ref>。<br />
<br />
2013年4月23日に開発機のKeonとPeakが発売開始。<br />
<br />
Keon<br />
* CPU: [[Snapdragon]] S1 1.0 GHz 1コア<br />
* 通信: [[HSPA]] (3.5G), Wi-Fi (802.11 n), Bluetooth 2.1 EDR<br />
* ディスプレイ: 3.5インチ (320x480)<br />
* DRAM: 512MB<br />
* ストレージ: 4GB + microSD<br />
* カメラ: 300万画素<br />
* 価格: $119<br />
<br />
Peak<br />
* CPU: [[Snapdragon]] S4 1.2 GHz 2コア<br />
* 通信: [[HSPA]] (3.5G), Wi-Fi (802.11 n), Bluetooth 2.1 EDR<br />
* ディスプレイ: 4.3インチ (540x960)<br />
* DRAM: 512MB<br />
* ストレージ: 4GB + microSD<br />
* カメラ: 800万画素 + 200万画素<br />
* 価格: $194<br />
<br />
==他のモバイルOSとの比較==<br />
アンドレアス・ガルはインタビューで現在のモバイルOSは{{仮リンク|クローズドプラットフォーム|en|Closed platform|label=壁で囲まれた庭園}}のようなものとし<ref name="knowyourmobile">{{cite web |url = http://www.knowyourmobile.com/features/1267951/mozillas_boot_2_gecko_and_why_it_could_change_the_world.html |title = Mozilla’s Boot 2 Gecko and why it could change the world - Features |publisher = Know Your Mobile |date = 2012-03-02 |accessdate = 2012-08-18 }}</ref>、Firefox OSはよりアクセスしやすいOSとして完全なオープン標準を使用しており、プロプライエタリなソフトウェアや技術は一切含んでおらず、ソフトウェアスタックは完全にHTML5であり、既に多くの開発者がいることをポイントにしていると述べた<ref name="knowyourmobile" />。<br />
<br />
他のコメンテーターは「理想主義的思想実験」と評した上、飽和した市場においてFirefox OSが伸びるのは難しいだろうと示唆した<ref>{{cite web |url = http://www.extremetech.com/computing/133159-firefox-os-doesnt-stand-a-chance |title = Firefox OS doesn’t stand a chance |publisher = ExtremeTech |date = 2012-07-20 |accessdate = 2012-08-18 }}</ref>。<br />
<br />
==オープンウェブ技術スタック==<br />
初期の開発ではGonk、Gecko、Gaiaユーザーインターフェイスを含むHTML5レイヤーといった3つの主要なソフトウェアレイヤーを必要としている<ref name="MW B2G arch">{{cite web |title = B2G/Architecture wiki page |url = https://wiki.mozilla.org/B2G/Architecture |date = 2012-06-05 |work = Mozilla wiki |publisher = [[Mozilla]] |accessdate = 2012-06-05 }}</ref>。<br />
<br />
===Gaia===<br />
b2gのインターフェース。b2gのスタートアップ後に常に現れるのがGaiaの幾つかのパートである。Gaiaのツールはロックスクリーン、ホームスクリーン、テレフォンダイヤラー、テキストメッセージアプリケーションなど多数。HTML5やCSS、JavaScriptで書かれている。OSの根本的部分へのインターフェースのみGeckoが実行したオープンウェブAPIを介する。Gaiaはb2gのトップでよく動作するが、他のOSやウェブブラウザ(劣る機能があるとはいえ)では標準的なウェブAPIしか使用しない。サードパーティアプリケーションはGaiaと一緒にインストールできる<ref name="MW B2G arch"/>。<br />
<br />
===Gecko===<br />
{{main|Gecko}}<br />
b2gの「アプリケーションランタイム」。ハイレベルでGeckoはHTML、CSS、JavaScriptのオープンスタンダードを実行し、Gecko対応OS上でそれらのインターフェースを軽快に動作させる。これはGeckoがネットワーキングスタック、グラフィックススタック、レイアウトエンジン、JavaScript対応仮想マシン、ポーティングレイヤーなどで構成されることを意味する<ref name="MW B2G arch"/>。<br />
<br />
===Gonk===<br />
b2gの下層レベルの「オペレーティングシステム」。GonkはLinuxカーネル、ユーザースペースHardware Abstract Layer (HAL) で構成される。カーネルと幾つかのユーザースペースライブラリーは一般のオープンソースプロジェクトであるLinux、libusb、BlueZなどから成り立っている。HALの他の部分はAndroidプロジェクトのGPSやカメラ等と共有している。Gonkは基本的に極めてシンプルなLinuxディストリビューションであり、それゆえにGeckoのポーティングターゲットになっており、GeckoのGonkへのポートはGeckoのOS XへのポートやGeckoのAndroidへのポートと等しい。b2gプロジェクトがGonkをフルコントロールして以降、他のOSでは公開することが出来ないインターフェイスをGonkはGeckoへ公開することが出来る。例として、GeckoはGonkにおけるフルテレフォニースタックとディスプレイフレームバッファに直接アクセスできるが、他のOSでは同様のアクセスは出来ない<ref name="MW B2G arch"/>。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[Flame]] - 日本で最初に発売されるFirefox OS搭載端末。<br />
* [[Fx0 LGL25]] - 日本の大手通信キャリア ([[au (携帯電話)|au]]) 向けとして最初に発売されるLGエレクトロニクス製のFirefox OS搭載端末。<br />
* [[Mozilla]]<br />
<br />
==脚注==<br />
<br />
==外部リンク==<br />
{{Commons category|Firefox OS}}<br />
{{ウィキポータルリンク|FLOSS}}<br />
* [http://www.mozilla.jp/firefoxos/ Firefox OS (Mozilla Japan)] {{ja icon}}<br />
* [https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Mozilla/Firefox_OS Firefox OS project page] on [[Mozilla Developer Center|MDN]]<br />
* [https://github.com/mozilla-b2g/B2G Firefox OS source code] on [[GitHub]]<br />
* [http://openwebdevice.com/ Telefónica's "Open Web Device" site]<br />
* [http://firefoxos.info/ Unofficial website for Firefox OS]<br />
* [http://paulrouget.com/gaia/ Online demo of the user interface] (requires a recent Mozilla-powered browser such as Firefox)<br />
* [https://addons.mozilla.org/en-US/firefox/addon/firefox-os-simulator/ Firefox OS Simulator] (Firefox addon)<br />
* [http://www.frikipandi.com/public/post/geeksphone-el-primer-movil-en-espana-con-firefox-os-445.asp The first mobile in Spain with firefos OS. Geekphone Keon y Peak], published on January 22, 2013. <br />
<br />
<br />
[[Category:Mozilla]]<br />
[[Category:モバイルオペレーティングシステム]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=All-nippon_News_Network&diff=401191
All-nippon News Network
2022-08-27T05:32:13Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>{{redirect|ANN}}<br />
[[画像:TV Asahi Roppongi.jpg|thumb|right|250px|ANNのキー局:[[テレビ朝日]](EX)]]<br />
'''All-nippon News Network'''(オールニッポンニュース・ネットワーク、略称:'''ANN'''は、[[テレビ朝日|テレビ朝日(EX)]]を[[キー局]]、[[朝日放送]](ABC)を[[キー局|準キー局]]とするテレビのニュースネットワークである。<br />
<br />
==概要==<br />
[[朝日新聞社]]と関連のある放送局によるネットワークではあるが、『'''Asahi''' News Network('''朝日'''・ニュース・ネットワーク)』ではない。かつて[[毎日放送]](MBS)がANNに加盟していたころ、MBS側はANNのAを「AsahiのA」と勘違いしていたというが、現在の[[準キー局]]であるABCでも、そして一般の視聴者でも勘違いしている人は非常に多い。[[1974年]][[4月1日]]に日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)が各地の地方局とニュース協定を結んだことにより始まるが、『[[ANNニュース]]』と呼ばれる番組はこれより前の[[1970年]][[1月]]より既に始められていた。つまり他局系列と異なり番組が先行し、遅れてニュース協定が組まれるという生い立ちを持つ。<br />
<br />
NETテレビのニュースは当初自ら出資する[[共同テレビジョン|共同テレビジョンニュース社]]が制作及び配給を行う「共同テレニュース」を放送する予定であったが、同じ東京地区にある[[フジテレビジョン|フジテレビ]]も共同テレニュースを放送することになっていたため、重複を避けるべく開局直前にNETテレビの親会社筋である[[東映]]が朝日新聞社と提携して[[テレビ朝日映像|朝日テレビニュース社]]を設立し、同社からニュース提供を受けることに変更。[[1959年]]の開局と同時に「NETニュース 朝日新聞製作」が放送されたが、この番組は朝日新聞社の関係で当初から[[九州朝日放送]](KBC)に同時ネットされた。このとき、ANNの骨子が形成されたといえる。(また[[裏送り]]で[[札幌テレビ放送]](STV)でも放送された。)ただし、翌[[1960年]]に大阪・毎日放送とのネット関係が結ばれるまでは、この番組は関西地区では未放送で、関西地区の取材は東映が契約した地元カメラマン(映画館主等)によって行われていた。これは朝日放送が大阪テレビ放送時代にラジオ東京(現在の[[東京放送]]=TBS=)とニュース協定を結んでいたため、「NETニュース 朝日新聞製作」が放送されなかった事と、毎日放送が開局当初ニュース番組を自社制作で賄っていた事によるものである。<br>その後[[極超短波|UHF]]局の大量免許・開局に伴い、ネット局が増加したため、1970年1月1日に「NETニュース 朝日新聞製作」を「ANNニュース」に改題したが、相変わらず朝日テレビニュース社が制作した外注ニュース番組をネット各局が購入する形を採っていた。(なお、系列各局ではANNニュースに改題する前は各局独自のタイトルを付けていた。「[[朝日新聞ニュース]]」、「HTBニュース」、「中京テレビニュース」、「[[MBSニュース]]」、「KBCニュース」など)<br />
<br />
上記の通り、元々[[大阪]]準キー局は[[毎日新聞社]]系の毎日放送(MBS)だったが、[[新聞|新聞社]]との[[資本]]関係を明確にする(いわゆる[[腸捻転]]を解消する)為、[[1975年]][[4月1日]]より朝日放送(ABC)に替わっている。[[2004年]]3月現在の加盟局は24の[[フルネット|フルネット局]]、2つの[[クロスネット局]](2局ともメインネットとしていない)の26放送局で構成されている。<br />
<br />
ネットワークとしては出遅れた為、クロスネット局が多い時代が長く続き、[[1990年]][[3月]]初めの時点でフルネット局はわずか12局のみであったが、その後[[バブル経済]]当時に郵政省(現在の[[総務省]])が推進した「全国4局化」(情報格差是正を理由に、全国で少なくとも民放4系列が視聴できることを目標とした)によりフルネット局新局が増え(=[[平成新局]]政策)、[[1989年]]10月の[[熊本朝日放送]] 開局を皮切りに、[[1996年]]10月の[[岩手朝日テレビ]]開局までに[[富山県]]、[[福井県]]、[[山梨県]]、[[鳥取県]]・[[島根県]]、[[徳島県]]、[[高知県]]、[[佐賀県]]、[[宮崎県]]を除いた現在のフルネット局24局ネットワークを完成させている。(4波化とは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列([[Nippon News Network|NNN]]・[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]])、[[東京放送|TBS]]系列([[Japan News Network|JNN]])、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列([[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]])、そして[[テレビ朝日]]系列(ANN)の4つのグループを指す)この為か、ANN加盟の放送局には○○朝日放送または○○朝日テレビという名前が多い。岩手朝日テレビ開局をもってネットワーク完成を宣言したため、系列局を開局させることは少なくともデジタル放送移行まではないと思われる。<br />
<br />
また、ANNは一般番組供給系列も兼ねているが、ニュースとは別扱いとしているためか、現在は'''テレビ朝日ネットワーク'''(通称:テレ朝ネットワーク・テレビ朝日系列等)の名称を使用し、'''フルネット局のみ'''をこの対象としている(過去には[[テレビ山口]]が番組供給のみ、[[山口放送]]が番組供給とニュースネットのみの形で参加した例もあった)。このためか、ANNニュースホームページの「ANNネットワーク」のリンクにはクロスネット局も含まれているが、テレビ朝日ホームページの「系列局」のリンクはフルネット局のみとなっている。またこの番組供給系列には、TBS系列のTBSネットワーク(JNNが運営)と同様、日本テレビ系列のNNSやフジテレビ系列のFNSのような略称がない。<br />
<br />
「ANN」のロゴは、2003年のテレ朝本社の六本木ヒルズ移転に伴い、フォントやカラーリングを改めたものに変更された。<br />
<br />
==ANN加盟局==<br />
===現加盟局===<br />
*記号について<br />
**★ - [[中波]][[ラジオ局]]兼営局<br />
<br />
{|class=wikitable border=1 width=100%<br />
|-<br />
|'''[[放送対象地域|エリア]]'''||'''略称''' / '''[[リモコンキーID|ID]]'''||'''社名'''||width=55%|'''備考'''(かつて加盟していた局など)||'''記号'''<br />
|-<br />
|[[北海道]]||'''HTB 6'''||[[北海道テレビ放送]]||<small>'''1968年11月3日開局から'''||<br />
|-<br />
|[[青森県]]||'''ABA 5'''||[[青森朝日放送]]||<small>'''1991年10月開局から。'''<br/>発足~1975年3月までATV [[青森テレビ]](離脱後はJNNフルネット)<br/>→1975年4月~1991年9月までRAB [[青森放送]](=[[Nippon News Network|NNN]]/[[日本テレビネットワーク協議会|NNS]][[クロスネット局|クロスネット]])が加盟||<br />
|-<br />
|[[岩手県]]||'''IAT 5'''||[[岩手朝日テレビ]]||<small>'''1996年10月開局から。'''<br/>発足~1980年3月まではTVI [[テレビ岩手]](=NNN/NNSとのクロスネット)が加盟<br>TVIのANN離脱以降は[[テレビ朝日盛岡支局|盛岡支局]]が取材を担当||<br />
|-<br />
|[[宮城県]]||'''KHB 5'''||[[東日本放送]]||<small>'''1975年10月開局から。'''<br/>発足~1970年9月まではOX [[仙台放送]](離脱後は[[フジニュースネットワーク|FNN]]・[[フジネットワーク|FNS]]フルネット)→1970年10月開局~1975年9月まではmm34(現MMT) [[宮城テレビ放送]](=NNN/NNSとのクロスネット)が加盟||<br />
|-<br />
|[[秋田県]]||'''AAB 5'''||[[秋田朝日放送]]||<small>'''1992年10月開局から。'''<br/>発足~1987年3月まではAKT [[秋田テレビ]](=FNN/FNSとのクロスネット)が加盟||<br />
|-<br />
|[[山形県]]||'''YTS 5'''||[[山形テレビ]]||<small>'''1975年4月~1980年3月'''まで(=FNN/FNSとのクロスネット)と<br/>'''1993年4月から'''(=FNN/FNS脱退)'''。'''<br/>1980年4月~1993年3月まで離脱、その間YBC [[山形放送]](=NNN/NNSとのクロスネット)が加盟||<br />
|-<br />
|[[福島県]]||'''KFB 5'''||[[福島放送]]||<small>'''1981年10月開局から。'''<br/>発足~1981年9月まではFCT [[福島中央テレビ]](=NNN/NNSとのクロスネット)が加盟||<br />
|-<br />
|[[関東広域圏]]||'''EX 5'''||[[テレビ朝日]]||<small>'''[[キー局]]'''<br/>旧社名:日本教育テレビ(NET、[[1959年]]2月~[[1977年]]3月)<br/>→全国朝日放送(ANB、通称:テレビ朝日 1977年4月~[[2003年]]9月)<br/>ニュース取材は山梨県・富山県・鳥取県・島根県も含む||<br />
|-<br />
|[[山梨県]]||colspan=2|<small>なし||colspan=2|<small>テレビ朝日が取材([[テレビ朝日甲府支局|甲府支局]]が存在する)<br />
|-<br />
|[[新潟県]]||'''UX 5'''||[[新潟テレビ21]]||<small>'''1983年10月開局から。'''旧通称:NT21。<br/>発足~1983年9月まではNST [[新潟総合テレビ]](=NNN/NNS、FNN/FNSとのクロスネット。NNN/NNSは1981年3月脱退)が加盟||<br />
|-<br />
|[[長野県]]||'''abn 5'''||[[長野朝日放送]]||<small>'''1991年4月開局から。'''<br/>1980年10月開局~1991年3月まではTSB [[テレビ信州]](=NNNとのクロスネット、abn開局と同時にNNSに加盟)が加盟||<br />
|-<br />
|[[静岡県]]||'''SATV 5'''||[[静岡朝日テレビ]]||<small>旧社名:静岡県民放送(SKT、[[1978年]]7月~[[1993年]]9月)<br/>開局から1979年6月まではNNN/NNSとのクロスネット。||<br />
|-<br />
|[[中京広域圏]]||'''NBN 6'''||[[名古屋テレビ放送]]||<small>'''1962年4月開局から。'''愛称:メ~テレ。<br/>発足~1973年3月まではCTV [[中京テレビ放送|中京テレビ]]も加盟(重複加盟)||<br />
|-<br />
|[[富山県]]||colspan=2|<small>なし||colspan=2|<small>テレビ朝日が取材([[テレビ朝日富山支局|富山支局]]が存在する)<br />
|-<br />
|[[石川県]]||'''HAB 5'''||[[北陸朝日放送]]||<small>'''1991年10月開局から'''||<br />
|-<br />
|[[福井県]]||'''FBC 7'''||[[福井放送]]||<small>[[クロスネット局]](NNN/NNSと)、[[1989年]]4月から。但し一般番組供給部門には非参加||★<br />
|-<br />
|[[近畿広域圏]]||'''ABC 6'''||[[朝日放送]]||<small>'''[[準キー局]]'''、'''1975年4月から'''<br/>(但し、'''テレビの開局は1956年12月1日。'''OTV 大阪テレビ放送として開局した。'''ラジオは1951年11月11日開局。''')<br/>〔朝日放送は、1956年12月1日開局のOTV 大阪テレビ放送を、1959年3月に吸収合併(3月~5月まではABC-OTV 朝日放送大阪テレビ。6月以降ABC 朝日放送テレビとなる。)したが、2ヵ月後の[[Japan News Network|JNN]]発足で、JNNに自動的に加盟。ネットキー局が[[東京放送|ラジオ東京→東京放送]](KRT→TBS)だったため、[[腸捻転]]が生じていた。〕<br/>〔ANN発足から~1975年3月までは MBS [[毎日放送]]が加盟。これはテレビ朝日が教育専門局・日本教育テレビとして開局していた名残で、毎日放送はテレビ放送開始(1959年3月)当時、準教育局として免許を交付されていた。〕<br/>ニュース取材は徳島県・高知県も含む。||★<br />
|-<br />
|[[鳥取県]]||colspan=2|なし<small>||colspan=2|<small>テレビ朝日が取材([[テレビ朝日鳥取支局|鳥取支局]]が取材)。<br/>以前はNKT[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]が加盟(1970年1月~1989年9月)、現在はNNN/NNSフルネット<br />
|-<br />
|[[島根県]]||colspan=2|なし<small>||colspan=2|<small>[[松江市]]を含む温泉津町以東はテレビ朝日米子支局が、[[江津市]]以西は広島ホームテレビがそれぞれ取材。<br/>以前はNKT[[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]が加盟(1970年1月~1989年9月)、現在はNNN/NNSフルネット<br />
|-<br />
|[[広島県]]||'''HOME 5'''||[[広島ホームテレビ]]||<small>'''1970年12月開局から。'''<br/>ニュース取材は島根県西部(江津市以西)も含む||<br />
|-<br />
|[[山口県]]||'''yab 5'''||[[山口朝日放送]]||<small>'''1993年10月開局から。'''<br/>1978年9月まではTYS [[テレビ山口]]が一般番組供給のみ、1978年10月~1993年9月まではKRY [[山口放送]](=NNN/NNSとのクロスネット)が一般番組供給とニュースネットのみの形で参加、その後正式加盟||<br />
|-<br />
|[[徳島県]]||colspan=2|<small>なし||colspan=2|<small>朝日放送が取材([[朝日放送徳島支局|徳島支局]]が存在する)<br />
|-<br />
|[[岡山県]]||rowspan=2|'''KSB 5'''||rowspan=2|[[瀬戸内海放送]]||rowspan=2|<small>'''1969年4月開局から。'''<br/>1979年3月の岡山・香川相互乗り入れまではOHK [[岡山放送]]も加盟。稀に徳島県西部や高知県内の取材も行なう場合がある(重大事件・事故や大規模災害の場合に限る)。||rowspan=2|<br />
|-<br />
|[[香川県]]<br />
|-<br />
|[[愛媛県]]||'''eat 5'''||[[愛媛朝日テレビ]]||<small>'''1995年4月開局から。'''||<br />
|-<br />
|[[高知県]]||colspan=2|<small>なし||colspan=2|<small>朝日放送が取材([[朝日放送高知支局|高知支局]]が存在する)<br />
|-<br />
|[[福岡県]]||'''KBC 1'''||[[九州朝日放送]]||<small>'''ラジオは1954年1月開局。'''<br/>'''テレビは1959年3月開局から'''<br/>二ュース取材は佐賀県も含む。||★<br />
|-<br />
|[[佐賀県]]||colspan=2|<small>なし||colspan=2|<small>九州朝日放送が取材([[九州朝日放送佐賀支局|佐賀支局]]が存在する)<br />
|-<br />
|[[長崎県]]||'''NCC 5'''||[[長崎文化放送]]||<small>'''1990年4月開局から'''||<br />
|-<br />
|[[熊本県]]||'''KAB 5'''||[[熊本朝日放送]]||<small>'''1989年10月開局から。'''<br/>発足~1989年9月まではTKU [[テレビ熊本]]が加盟||<br />
|-<br />
|[[大分県]]||'''OAB 5'''||[[大分朝日放送]]||<small>'''1993年10月開局から。'''<br/>1970年4月~1993年9月まではTOS [[テレビ大分]]が加盟||<br />
|-<br />
|[[宮崎県]]||'''UMK 3'''||[[テレビ宮崎]]||<small>クロスネット局(FNN/FNSとNNN。但しANNの一般番組供給部門とNNSには非参加)||<br />
|-<br />
|[[鹿児島県]]||'''KKB 5'''||[[鹿児島放送]]||<small>'''1982年10月開局から。'''<br/>発足~1982年9月まではKTS [[鹿児島テレビ放送]]が加盟||<br />
|-<br />
|[[沖縄県]]||'''QAB 5'''||[[琉球朝日放送]]||<small>'''1995年10月開局から。'''<br/>なお、QAB開局までは[[テレビ朝日那覇支局|那覇支局]]が取材を担当||<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
===かつて加盟していた局===<br />
*肩代わりした局を除く<br />
{|class=wikitable border=1 width=100%<br />
|-<br />
|'''[[放送対象地域|エリア]]'''||'''略称'''/'''[[リモコンキーID|ID]]'''||'''社名'''||'''備考'''(脱退した理由)<br />
|-<br />
|[[中京広域圏]]||CTV 4||[[中京テレビ放送]]||<small>発足~1973年3月までNBN [[名古屋テレビ放送]]と重複加盟。<br/>名古屋テレビ放送がANNマストバイ局となったため離脱(1973年4月からNNNに加盟)。<br />
|}<br />
<br />
===参加を予定しながら加盟しなかった局===<br />
{|class=wikitable border=1 width=100%<br />
|-<br />
|'''[[放送対象地域|エリア]]'''||'''略称'''/'''[[リモコンキーID|ID]]'''||'''社名'''||width=70%|'''備考'''(加盟しなかった理由)<br />
|-<br />
| [[中京広域圏]]||GBS 8||[[岐阜放送]]|| <small>テレビ放送開始当時、日本教育テレビ(NET・現:テレビ朝日)の番組を多くネットしていたため、発足準備段階でNBN 名古屋テレビをNNNフルネットとして、同局を中京広域圏のANNフルネット局とする事が予定されていた。<br/>(この時点でCTV 中京テレビ(当時は中京UHFテレビ)は東京12チャンネル(12ch・現:テレビ東京)のフルネット局となる予定だった。)<br/>しかし名古屋テレビが、NNN/ANNの人気番組中心とした変則クロスネットを維持するため、中京テレビと結託し、加盟を妨害したため(2局同時加盟)、結局加盟に至らなかった。<sup><span title="要出典">''<nowiki>[</nowiki>[[Template:要出典|<span title="要出典">要出典</span>]]<nowiki>]</nowiki>''</span></sup><br/><br />
|}<br />
<br />
==支局==<br />
<br />
===国内===<br />
ここでは報道取材拠点としてのもののみを取り上げる。支局所在地に別途加盟局が存在するものは除く。<br />
====放送対象地域内====<br />
※以下は各局のWebサイトや会社案内などには書かれていないが、インターネット[[タウンページ]]や現地での存在が確認が出来たもの。<br />
*テレビ朝日前橋支局<br />
*テレビ朝日宇都宮支局<br />
*テレビ朝日水戸支局<br />
*テレビ朝日城東支局<br />
*テレビ朝日多摩支局<br />
*テレビ朝日千葉支局<br />
*テレビ朝日横浜支局<br />
*テレビ朝日小田原支局<br />
*テレビ朝日さいたま支局([[さいたま市]][[浦和区]])<br />
*テレビ朝日成田支局第一ターミナル・第二ターミナル([[成田市]])<br />
====放送対象地域外====<br />
取材網充実のため、加盟局のない地域を中心に支局を置いている。これらの支局は地元のCATV会社及び技術会社への委託、もしくは駐在カメラマンの派遣により運営されている。ただし、支局管内で大事件、大規模な自然災害が起きたときは本社やキー局、近くの加盟局から取材の応援が来る。<br />
以下は各局のWebサイトや会社案内などには書かれていないが、インターネット[[タウンページ]]や現地での存在が確認が出来たもの。<br />
*[[テレビ朝日富山支局]]<br />
*[[テレビ朝日甲府支局]]<br />
*[[テレビ朝日鳥取支局]]<br />
*[[テレビ朝日米子支局]]<br />
*[[朝日放送徳島支局]]<br />
*[[朝日放送高知支局]]<br />
*[[九州朝日放送佐賀支局]]<br />
<br />
===海外===<br />
海外支局はANN加盟各局がANNの承認を得た上で開設しており、支局の運営にはANN基金より費用が補助されている(ただし全額ではなく、一部は設置社が負担している)。<br><br />
なお、テレビ朝日はアメリカの[[ニュース専門放送局]][[CNN]]と提携しており、重大事件などの際にはCNNの映像を使用することもある。<br />
<br />
*[[テレビ朝日]]ニューヨーク支局…[[広島ホームテレビ]]からも記者派遣<br />
*テレビ朝日ワシントン支局<br />
*テレビ朝日ロサンゼルス支局<br />
*テレビ朝日ロンドン支局…[[北海道テレビ]]からも記者派遣<br />
*朝日放送パリ支局<br />
*テレビ朝日モスクワ支局<br />
*テレビ朝日カイロ支局<br />
*静岡朝日テレビバンコク支局<br />
*テレビ朝日マニラ支局<br />
*テレビ朝日ソウル支局<br />
*テレビ朝日中国総局(北京)<br />
*朝日放送上海支局<br />
*朝日放送台北支局<br />
*名古屋テレビ放送シンガポール支局<br />
<br />
==ネットニュースの変遷==<br />
1969年12月まで『[[朝日新聞ニュース|NETニュース]]』として放送。<br />
<br />
===随時===<br />
*'''[[ANNニュース]]'''<br />
<br />
===朝===<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1969年12月)<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年3月)<br />
*[[ANNニュースセブン]](1975年4月 - 1987年9月)<br />
*[[ANNニュースフレッシュ]](1987年10月 - 2003年9月) <br />
*ANNニュース(2003年10月 - )<br />
<br />
※時期によって『[[やじうまワイド]]』などの番組の1コーナーとして放送されている。<br />
<br />
===昼===<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1969年12月)<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年3月)<br />
*[[ANNニュースライナー]](1975年4月 - 1993年3月)<br />
*ANNニュース(1993年4月 - )<br />
<br />
※平日に関して、1993年4月からは情報番組の1コーナーとして放送されている([[ザ・ニュースキャスター]]→[[お昼のN天ワイド]]→[[ワイド!スクランブル]])。<br />
<br />
===夕方===<br />
;月曜日~金曜日<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1969年12月)<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年3月)<br />
*[[ANNニュースレーダー]](1975年4月 - 1987年9月)<br />
*[[ニュースシャトル]](1987年10月 - 1989年9月)<br />
*[[600ステーション]](1989年10月 - 1991年3月)<br />
*[[ステーションEYE]](1991年4月 - 1997年3月)<br />
*[[スーパーJチャンネル]](1997年4月 - )<br />
;土曜日<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1969年12月)<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年3月)<br />
*ANNニュースレーダー(1975年4月 - 1987年9月)<br />
*[[ANNニュース&スポーツ (1980年代)|ANNニュース&スポーツ]](1987年10月 - 1989年9月)<br />
*[[ザ・スクープ|鳥越&畑 ザ・スクープ]](1989年10月 - 1990年9月)<br />
*530ステーション(1990年10月 - 1993年3月)<br />
*ステーションEYE(1993年4月 - 1997年9月)<br />
*スーパーJチャンネル(1997年4月 - )<br />
;日曜日<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1965年3月)<br />
*[[朝日新聞テレビ夕刊]](1965年4月 - 1979年3月)<br />
*ANNニュースレーダー(1979年4月 - 1987年9月)<br />
*ANNニュース&スポーツ(1987年10月 - 1990年9月)<br />
*530ステーション(1990年10月 - 1993年3月)<br />
*ステーションEYE(1993年4月 - 1997年9月)<br />
*スーパーJチャンネル(1997年4月 - )<br />
<br />
===最終版===<br />
;月曜日~金曜日<br />
*NETニュース(1959年2月 - 1967年3月)<br />
*NET夜のワイドニュース(1967年4月 - 1969年12月)<br />
*[[ANN 夜のワイドニュース]](1970年1月 - 1971年3月)<br />
*ANNニュース(1971年4月 - 1975年9月)<br />
*[[ANNニュースファイナル]](1975年10月 - 1985年9月)<br />
*[[ニュースステーション]](1985年10月 - 2004年3月)<br />
*[[報道STATION]](2004年4月 - )<br />
;土曜日<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年9月)<br />
*ANNニュースファイナル(1975年9月 - 1987年9月)<br />
*[[ナイトライン (ANN)|ナイトライン]](1987年10月 - 1991年3月)<br />
*[[ニュースフロンティア]](1991年4月 - 1994年3月)<br />
*[[フロンティア (ニュース番組)|フロンティア]](1994年4月 - 1995年9月)<br />
*[[ジャングル (情報番組)|サタデージャングル]](1995年10月 - 1997年9月)<br />
*検証ドキュメンタリー ザ・スクープ (1997年10月 - 2000年3月)<br />
*ANNニュース(2000年4月 - 2001年3月)<br />
*[[ANN NEWS&SPORTS]](2001年4月 - )<br />
;日曜日<br />
*ANNニュース(1970年1月 - 1975年9月)<br />
*ANNニュースファイナル(1975年9月 - 1987年9月)<br />
*ナイトライン(1987年10月 - 1991年3月)<br />
*[[スポーツフロンティア]](1991年4月 - 1994年3月)<br />
*フロンティア(1994年4月 - 1995年9月)<br />
*サンデージャングル(1995年10月 - 2001年3月)<br />
*[[ベストポジションSPORTS]](2001年4月 - 2002年3月)<br />
*ANN NEWS&SPORTS(2002年4月 - ) ・・・ 一部の地域は『[[GET SPORTS]]』を内包。<br />
<br />
==テーマ音楽・曲==<br />
かつてのANNニュース系の番組の多くは共通のテーマ曲を用いていた。<br />
<br />
*1974年~1978年頃 - 作曲:[[宮川泰]](別名:パッパヤーのサイケバージョン)<br />
<br />
*1978年頃~1982年頃 - 作曲:宮川泰(別名:パッパヤーのスタジオバージョン、曲のアレンジを変更)<br />
<br />
*1982年頃~1984年頃 - 作曲:不明<br />
**ピアノと電子音の初期とシンセサイザー系の後期の物とがある。前期の物は怖い印象が強く、視聴者の評判も悪かった為、数ヶ月で後期の物へ。<br />
<br />
*1984年頃~1985年頃 - 作曲:不明<br />
**管弦楽系の曲となっている。<br />
<br />
*1985年頃~1990年代初期 - 作曲:[[松岡直也]](別名:青屏風)<br />
**1985年10月に放映を開始した『[[ニュースステーション]]』にあわせて始まった。番組によって違う仕上がりになっていた。<br />
<br />
==特別番組==<br />
::;{{main|ANN報道特別番組}}<br />
*選挙、台風、地震、他に大型の事件・事故の際に放送される。<br />
===国政選挙===<br />
開票状況を伝える特別番組を放送。[[出口調査]]などを駆使して早く、分かりやすく伝える。<br />
*[[選挙STATION]]<br />
*[[朝いち!!やじうま|朝いち!!やじうま開票速報]]<br />
<br />
===地震・津波===<br />
震度3以上を観測した揺れについては[[ニュース速報]]の形式で伝え、場合によっては市町村別震度も伝える。<br />
<br />
規模が大きな地震については、長時間にわたって伝える。地震に伴う津波に関しても同様の処置をとる。<br />
===台風===<br />
台風時は各局で編成されるため、すべての加盟局に向けた特別番組の放送は減多にしない。また、通常の[[ニュース]]・[[情報番組]]のなかで、番組の多くを台風情報に充てている。<br />
<br />
==主な非ネット([[クロスネット]]含む)地域の対応==<br />
*山梨県では、ANN系列局がないものの、ケーブルテレビと共聴設備の普及率が90%以上のため、ほとんどの地域ではテレビ朝日を視聴できるほか、富士山周辺や身延地域では静岡朝日テレビが視聴可能。また、地元民放2局でも一部番組を同時・時差ネットを行っている(両局ともクロスネットは行っていない)。<br />
*北陸地方では、現在、[[石川県]]の北陸朝日放送のみがフルネットとなっている。その為、HABが直接受信できる地域以外では、[[富山県]]では[[北日本放送]]と[[富山テレビ放送]]、福井県では[[福井放送]](クロスネット加盟)で番組を配信している他、[[ケーブルテレビ]]では富山県と福井県の嶺北地方では主としてHAB、福井県嶺南は朝日放送宮津局を区域外配信で受信している地域が多い。<br />
*山陰地方、高知県では現在フルネット、クロスネットとも加盟局がないので、直接受信できる放送局(主として山陰地方は[[山陰放送]]中心、高知県は[[高知放送]]中心)で[[番販]]を受けている他、ケーブルテレビでは鳥取県では主に朝日放送・[[瀬戸内海放送]]、島根県では松江・出雲地区で朝日放送・瀬戸内海放送、石見・雲南地方で広島ホームテレビ・山口朝日放送)、高知県では西部で愛媛朝日テレビの各局を配信している局が存在する。なお、[[2007年]][[2月6日]]の[[スーパーJチャンネル|super J チャンネル~ANN~]]で西日本で少雨の話題を放送した際、高知県にある[[早明浦ダム]]上空からの[[ヘリコプター|ヘリ]]取材があったが、この取材は、朝日放送ではなく瀬戸内海放送が、担当していた。<br />
*徳島県は加盟局がないものの、ほとんどの地域で朝日放送の[[生駒山|生駒局]]、三原局([[淡路島]])、和歌山局などが直接受信で視聴できるため、「非ネット地域」とは言いにくい。ABCのローカルニュースや選挙特番でも「近畿と徳島の・・・」といった具合でエリア内の各府県と同様に取り扱う。また地元局[[四国放送]]でも一部番組を放送するほか、非加盟にもかかわらず平日のみ15:55からANNニュース(昼の5分ニュース)をネットしている。また、ケーブルテレビではABCを配信する地域がほとんどだが、一部局は[[瀬戸内海放送]]を配信する場合もある。<br />
*佐賀県は地元の民放が[[サガテレビ]]だけだが、隣県の電波が入る環境にあり、KBC[[九州朝日放送]]、[[熊本朝日放送]]又は[[長崎文化放送]]を受信。現在はKBCがよく見られており、KBCも朝日新聞佐賀支局の建物内に支局を開設している。佐賀支局の開設を公式に明らかにしている福岡の民放はKBCだけである。<br />
*宮崎県では現状[[テレビ宮崎]]がクロスネット加盟をしているが、メイン配信がFNN・FNS([[フジテレビジョン|フジ]]系)と、NNN([[日本テレビ放送網|日テレ]]系のニュースネット)が中心となるため、UMKで放送されない番組は[[宮崎放送]]に番販を行っている他(日テレ系もMRTへの番販あり)、熊本朝日放送、[[鹿児島放送]]をケーブルテレビ、あるいは地域によって直接受信で受信できる地域が存在する。なお、九州(沖縄県含む)のANN系列ブロックネット[[帯番組]]『[[スーパーJチャンネル九州沖縄|スーパーJチャンネル 九州・沖縄]]』の宮崎県の取材はKABが担当している。「[[スーパーモーニング]]」はMRTでネットされるが、「製作協力:テレビ宮崎」になっている(ただし朝日放送製作番組の一部は「製作協力:MRT」の番組もある。これは同局が[[JNN]]だった名残に加え、ラジオではJRN/NRNの双方で系列局であるからと思われる)。<br />
*沖縄県の[[先島諸島]]、[[大東諸島]](島嶼部)では[[琉球朝日放送]]の中継局がなく、ケーブルテレビでの再配信も現在行われていないためQABを受信できない。その為、[[宮古テレビ]]([[宮古島]])、[[石垣ケーブルテレビ]]([[石垣島]])ではテレ朝系列の番組を時差配信をしている。また大東諸島ではケーブル局もないため現在は通信衛星で受信したテレビ朝日の映像を再受信して放送している。(大東諸島に関しては他の放送局も同じで、現状沖縄県の放送は直接受信できない)<br />
*なお、[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタルテレビ]]では現在ケーブルテレビの区域外再送信を基本的に認めない方針のため、将来的にはケーブルテレビでの受信が出来ない場合がある。(但し、琉球朝日放送を受信できない先述の地域でのケーブルテレビ配信が行われる場合は、同じ沖縄県内であるため、区域外配信ではない)<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ビーエス朝日|BS朝日]]<br />
*[[朝日ニュースター]]<br />
*[[民間放送教育協会]](民教協)<br />
*[[サンテレビジョン]](朝日放送と提携。かつてはANNの映像を使用して全国ニュースを伝えていた)<br />
*[[京都放送]](サンテレビと同じく、かつてはANNの映像を使用して全国ニュースを伝えていた)<br />
*[[テレビ神奈川]](メ~テレ・静岡朝日テレビと提携)<br />
*[[岐阜放送]](メ~テレと友好協力協定 テレビ局開始当初はNETテレビの番組の多くをネットしていたが、ANNの結成には参加しなかった)<br />
*[[ANNアナウンサー賞]]<br />
*[[テレメンタリー|テレメンタリー{{CURRENTYEAR}}]]<br />
*[[全国おもしろニュースグランプリ]](年末特番、ANN加盟26局全局参加)<br />
*[[27時間チャレンジテレビ]](1996年、1997年のみ)<br />
*番組販売ネット局およびクロスネット局<br />
**[[山梨放送]](YBS) - [[NNN]]:[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[テレビ山梨]](UTY) - [[JNN]]:[[東京放送|TBS]]系列<br />
**[[北日本放送]](KNB) - NNN:日本テレビ系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[富山テレビ放送]](BBT) - [[FNN]]:[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列<br />
**[[チューリップテレビ]](TUT) - JNN:[[東京放送|TBS]]系列<br />
**[[福井放送]](FBC) - NNN:日本テレビ系列、ANN:[[テレビ朝日]]系列(昼・午後ニュースはANN、平日朝のワイドショーはテレビ朝日([[スーパーモーニング]]))<br />
**[[福井テレビジョン放送]](FTB) - FNN:フジテレビ系列<br />
**[[日本海テレビジョン放送]](NKT) - NNN:日本テレビ系列<br />
**[[山陰放送]](BSS) - JNN:TBS系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[山陰中央テレビジョン放送]](TSK) - FNN:フジテレビ系列<br />
**[[四国放送]](JRT) - NNN:日本テレビ系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[高知放送]](RKC) - NNN:日本テレビ系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[テレビ高知]](KUTV) - JNN:TBS系列<br />
**[[サガテレビ]](sts) - FNN:フジテレビ系列<br />
**[[宮崎放送]](MRT) - JNN:TBS系列(一部情報番組もネット)<br />
**[[テレビ宮崎]](UMK) - NNN:日本テレビ系列、FNN:フジテレビ系列、ANN:テレビ朝日系列(昼ニュースはANN)<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index.html ANNニュースホームページ]<br />
<br />
{{jawp}}<br />
<br />
[[Category:テレビ朝日|Allnippon News Network]]<br />
[[Category:報道|Allnippon News Network]]<br />
[[Category:日本の民放ネットワーク|Allnippon News Network]]<br />
[[Category:ANN| ]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=All_your_base_are_belong_to_us&diff=401190
All your base are belong to us
2022-08-27T05:30:36Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>'''All your base are belong to us.'''(短縮して'''All Your Base'''、'''AYBABTU'''または'''AYB''')は[[2001年]]から[[2002年]]にかけて、[[インターネット]]で流行った[[ミーム]]の一つであり、インターネット上で爆発的に[[フラッシュ]]が[[流行]]するようになった最初期の現象のひとつである。この語句がはっきりまたはこっそりはいるように[[コラージュ]]された画像が[[Macromedia Flash|フラッシュ]]にまとめられ、広く[[ダウンロード]]された。フラッシュ画像は[[:en:The Laziest Men on Mars|The Laziest Men on Mars]]と名乗る集団によって作られたものが有名である([[#外部リンク]]参照)。<br />
<br />
この語句は、『[[ゼロウィング]]』という[[日本]]製[[ゲーム]]のオープニングでの会話中にある<br />
「君達の基地は、全てCATSがいただいた。」<br />
という文章の、稚拙な[[翻訳]][[英語]]からきている。"{{lang|en|All your base are belong to us.}}"は英語の[[母語|ネイティブ・スピーカー]]からは予想もできない英語の文章であり、シリアスな画面との対比のおかしさ、あるいはその文章自体のインパクトによって一気に流行することになった。<br />
<br />
既に流行としては過ぎ去ったものではあるが、[[Engrish]]の好例として語り継がれている。このフレーズは[[インターネット]]上でいわゆる「[[コピー&ペースト|コピペ]]の[[テンプレート|テンプレ]]」となっており、特に[[オンラインゲーム]]などで、戦いの雄叫びとして使われている。<br />
<br />
== 原典について ==<br />
この語句は[[日本]]の[[東亜プラン]]によって[[1989年]]に作られた[[コンピュータゲーム]]、[[ゼロウイング]]の[[英語]]版にある[[翻訳]]から来ている。もっとも有名なものは、[[1992年]]につくられた[[ヨーロッパ]]向けの[[メガドライブ]]版から引用されたもので、[[日本]]向けのメガドライブ版での語句は[[日本語]]である。これは元々の[[アーケードゲーム|アーケード]]版には含まれておらず、[[PCエンジン]]版には[[CD]]音質でイントロが入っているがまるっきり別物である。ゼロウイングの家庭版は[[北米]]向けにはリリースされていない(アーケード版は[[ウィリアムズ・エレクトロニクス]]より発売されていた)。<br />
<br />
"{{lang|en|All your base}}" は[[1998年]]に初めて[[インターネット]]上に出現し、[[1998年]]の中ごろから終りにかけてインターネットの掲示板に現れるようになった。[[2000年]]頃、[[カナダ]]の[[ガバ_(音楽)|ガバ]]集団{{lang|en|The Laziest Men on Mars}}によって、[[ロボット]]音のようなサンプル音声をつかった「ギャバロボットの侵略({{lang|en|Invasion of the Gabber Robots}})」という[[歌]]が作られた。<br />
<br />
次に、[[2001年]]2月中頃までに、元画像に加え、多くの[[コラージュ]][[写真]]、[[GIF]][[アニメ]]、[[フラッシュ]]画像等がインターネット中を席巻した。<br />
<br />
; 問題の英語版<br />
: [[:en:Zero Wing (translations)#Transcript]]を参照<br />
; 元の日本語版<br />
: [[:en:Zero Wing (translations)#Original Japanese text]]を参照<br />
; 逐語的な翻訳<br />
: [[:en:Zero Wing (translations)#Literal translation]]を参照<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ゼロウィング]]<br />
* [[Engrish]]<br />
* [[はっぱ隊]](シングル「YATTA!」が元となったフラッシュがアメリカで広く流布した)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://24hour.system.to/jitb/ayb.htm All your base are belong to us]<br />
* [http://www.faireal.net/articles/8/03/#d30815_2 "All your base" vs. "反省しる"]<br />
* [http://bugzilla.wikimedia.org/ MediaZilla Main Page(Wikimedia.org内バグ報告のページ: AYBのパロディ)]<br />
* [http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/02/news073.html YouTubeに謎のメンテナンス?画面]<br />
{{stub}}<br />
{{jawp}}<br />
<br />
[[Category:英語]]<br />
[[Category:インターネットのミーム]]<br />
[[Category:FLASHムービー]]<br />
<br />
[[en:All your base are belong to us]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=U.N.%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%81%AF%E5%BD%BC%E5%A5%B3%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F&diff=401189
U.N.オーエンは彼女なのか?
2022-08-27T05:29:03Z
<p>PG: /* オーエンについて */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div><br />
{{Q|あら、こんな事もあったの?調べたら色々出てきそうね。|[[八雲紫]]}}<br />
<br />
'''U.N.オーエンは彼女なのか?'''(- かのじょ -)とは、16世紀末の[[イギリス]]で発表された戯曲。原題は「Is she U.N.Owen?」である。[[ルーマニア]]の孤島にある屋敷で起こった悲しい物語で実際に起こった事件を基にして作られている。[[日本]]国内では[[アガサ・クリスティ]]の傑作として世に広く知られているが、実際はアガサ・クリスティの生まれるかなり前に発表されたものであり、アガサ・クリスティは無関係である。<br />
<br />
孤島から出られなくなった10人が1人ずつ殺されていくという、[[クローズド・サークル]]と呼ばれるジャンルを開拓した作品であり、同ジャンルの傑作とされる。<br />
<br />
== あらすじ ==<br />
孤島にある屋敷に、年齢も職業も異なる[[7]]人の男女が招かれた。しかし、招待状の差出人で自らをこの[[島]]の主であるというU・N・オーエンは、姿を現さないままだった。やがてその招待状は虚偽のものであることがわかったが、[[10]]人は島から出ることができなくなり、完全な孤立状態となってしまう。<br />
<br />
10人が不審に思った晩餐のさなか、彼らの過去の罪を告発する謎の声が響き渡った。その声は蓄音機からのものとすぐに知れるのだが、その直後に屋敷の主人が飛んで来た銀のナイフにより、さらに翌朝には元陸軍大尉が原因不明の死を遂げる。残された者は、それが童謡『10人のインディアン』を連想させる死に方であることに気づき、またその場に始め10個あった[[インディアン]]人形が8個に減っていることにも気づく。さらに老将軍の、今度ははっきりと撲殺された死体が発見され、人形もまた1つ減っているのを確認するころにはもう皆は、これは自分たちを殺すための招待だった、そして犯人オーエンは島に残された7人の中の誰かなのだ、と確信する。<br />
<br />
誰が犯人かわからない疑心暗鬼の中で、元召使、老婦人、元[[判事]]、[[医者]]が死体となり、人形も減っていく。そして、残された3人も次々と死んでいき、最後に屋敷の主人の娘が荒れ狂う海に落ちて、誰もいなくなった。後日警察の捜索が始まっても、誰が10人を殺したのかわからずじまいであった。<br />
<br />
謎を解く探偵などは登場せず、真相は、とある少女が拾ったボトルに入っていた犯人の告白文により明らかになる。<br />
<br />
== 登場人物 ==<br />
*ヴラディスラウス・ドラグリュー(=ツェペリシュ公) - 屋敷の本当の持ち主。<br />
*[[東方Projectの登場人物#フランドール・スカーレット|レミリア・ドラグリュー]] - ツェペリシュ公の娘でこの物語の主人公。一人だけ罪が無いのではぶられる事があり、更には屋敷の秘密の通路を知っていたために疑心暗鬼に陥った登場人物に犯人扱いされる。この戯曲のタイトルの「彼女」とはこの娘の事。<br />
*[[東方Projectの登場人物#十六夜 咲夜|イザベラ・パッドフッド]] - ドラグリュー家の元召使。<span style="color:#ffffff">いよっ、PAD長!!</span><br />
*[[東方Projectの登場人物#パチュリー・ノーレッジ|オーガスタス・ノーレッジ]] - [[秘書]]・[[家庭教師]]を職業とする娘。<br />
*[[西行寺幽々子|ユユコ・レストレンジ・アンブリッジ・サイギョウジ ]] - 元陸軍大尉。<br />
*[[アリス・マーガトロイド|アリス・マーガレット・グリゼルダ]] - 高名な元判事。<br />
*[[八雲紫|ユカリン・アントニン]] - 退役の老将軍。<br />
*[[東方Projectの登場人物#メディスン・メランコリー|メディスン・メラント]] - 医師。<br />
*[[東方Projectの登場人物#霧雨 魔理沙|キリサメ・マーリン・アーノルド・ピーズグッド ]] - 遊び好きの青年。<br />
*[[東方Projectの登場人物#マエリベリー・ハーン|マエリベリー]] - 元[[警部]]。<br />
*U・N・オーエン - 屋敷の持ち主だと偽って8人の男女を呼び寄せた謎の人物。夫はUlick Norman Owen、妻はUna Nancy Owenと名乗って招待状の差出人になっている。略すとU.N.Owen、つまり「UNKNOWN(何者とも判らぬ者)」とかけられている。 <br />
<br />
===オーエンについて===<br />
晩餐のさなか、突然そこに集まった9人の過去の[[罪]]を告発し、<br />
<br />
「さあ、[[裁判]]を始めましょう。被告はあなた方、裁判官は私達。」<br />
<br />
というメッセージで締め括った事から正義感の強く独善的な性格が見て取れる。<br />
{{SpoilerH|U・N・オーエン}}<br />
<br />
犯人はアリス・マーガレット・グリゼルダ判事。「死よりも酷いことはない」と信じる判事は、自らを不死の存在にすべく、[[ホークラックス]]により、魂を分割して保存している。魂の分割を行うには生贄が必要だが、そのために、若い頃から容赦なく殺人を重ねた。同時に正義感も非常に強かった。そのため、犯罪者に死刑判決を下す裁判官として両方の願いをかなえる職業についていたが、退官後は殺人の衝動を抑えきれなくなった。一方で正義感も強く、罪のない者を殺すことには抵抗したため、法律で裁かれない殺人をしている9人を集めて、一人ずつ殺していく計画を実行したのである。<br />
<br />
マーガレット判事はメラント医師の信頼を得る。5人を殺した後で自分を次の犠牲者に装うことをメラント医師に提案する。犯人が想定しない殺人を偽装して犯人を動揺させることと、生きていないことを理由に自由に動き回ることを目的とし、メラント医師の同意を得る。死んだふりをしたマーガレット判事を検死したメラント医師が「判事が死亡した」と断言した。他の3人はメラント医師の判断に誰も口を挟まず、マーガレットが犠牲者になったと思った。<br />
<br />
その後、マーガレット判事は残りの4人も殺害する。たった一人となったマーガレット判事は事件のすべてを記述した手紙を瓶に入れて海に投げた後で、自らに死の呪文を唱える。9人を生贄にして、ホークラックスを作ったことにより死は免れたものの、肉体と強い魔力を失ってしまい、失踪する。<br />
<br />
No one lives forever.<br />
<br />
{{SpoilerF}}<br />
<br />
===アリス・マーガレットについて===<br />
近年になってここで死んだ訳ではなく生き残って[[魔女]]になり名前を捨て、魔界に辿り着きそこで暮らしたという話があるが、<br />
{{禁則事項です}}<br />
と筆者は考えるが、関係者の殆んどが亡くなっているので確かめる術はもう本人に会って聞くしかないので断定出来ない。<br />
<br />
===レミリア・ドラグリューについて===<br />
[[海]]に落とされたが海岸に流れ着き事件の全容が記された瓶を拾い、スカートレット家に幽閉されたというという説が有力で本人も認めている為、<br />
<br />
『レミリア・ドラグリュー=フランドール・スカーレット』<br />
<br />
というのが定説となると思われたが、フランドール・スカーレットの「インタビューを受けたことが無いというよりも会った事すら無い。」という発言によりこの説を提唱した射命丸氏の調査の仕方が問題となっている。<br />
詳しくは『QED「495年の波紋」』を見て欲しい。<br />
<br />
== 幻想郷との関連 ==<br />
[[幻想郷]]との関連は、スカートレット家の者がツェペリシュ公の末裔を自称したのを見た[[ZUN|神主]]が「U.N.オーエンは彼女なのか?」という曲を作った事に端を発す。それから色々あったがここでは触れないことにする。何故ならこの項で説明しているのは大まかな流れであり枝葉末節を気にしていたら面倒だからである。<br />
また、ビートまりお(IOSYS)の手によって「最終鬼畜妹~U.N.オーエンは彼女なのか?」の曲名でリミックスされている。<br />
「ダッダーダッダラッダラダだラダッダラダラダダダラダラダラダ(適当)」の部分をライブやニコニコ動画では連呼するのがお決まり(らしい)。<br />
中毒になるので注意(オイ<br />
筆者も中毒の一員である(お<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[東方Projectの登場人物#アリス・マーガトロイド|アリス・マーガトロイド]]<br />
*[[東方Projectの登場人物#フランドール・スカーレット|フランドール・スカーレット]]<br />
*[[亡き王女の為のセプテット]]<br />
*[[殺人]]<br />
*[[ホークラックス]]<br />
<br />
{{ウィキペディア2|そして誰もいなくなった}}<br />
{{DEFAULTSORT:U N おおえんはかのしよなのか}}<br />
[[Category:東方Project]]<br />
[[Category:ミステリー]]<br />
[[Category:音楽]]<br />
[[Category:戯曲]]<br />
[[Category:小説]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Linux_Mint&diff=401188
Linux Mint
2022-08-27T05:26:46Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>[[ファイル:Linux Mint.png|thumb|right|400px|Linux Mint]][[ファイル:Linux Mint2.png|thumb|right|400px|Linux Mint]]<br />
'''Linux Mint'''(リナックス・ミント)は[[Linuxディストリビューション]]の一つである。洗練され、最新で快適な[[Linux]]デスクトップを提供することを目標としている。[[Ubuntu]]をベースにしており、Ubuntuの[[リポジトリ]]を共有している。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
Linux Mintは[[2006年]]に[[フランス]]出身で[[アイルランド]]在住のクレマン・ルフェーブルにより設立された。Linux Mintは、シンプルであることよりも、多くのソフトウェアと最新の技術を使用することにより、誰にでも使いやすいLinuxシステムを提供することに焦点を当てている<ref>{{Cite book | author=Linux Mint | title=Official Guide Linux Mint 5 "Elyssa" MAIN EDITION | edition=Document Version 1 | year=2008 | pages=3-4}}</ref>。<br />
<br />
デスクトップ環境はGNOME 2から派生した[[MATE (デスクトップ環境)|MATE]]、GNOME 3から派生した、他[[KDE]]、[[Xfce]]を採用する。どちらもWindowsに良く似たデザインを持っているがCinnamonの動作にはGNOME 3の要件に従い3Dアクセラレータが必須となる。<br />
<br />
2010年7月2日に製作側は公式ブログにてUbuntuの代わりに[[Debian]]をベースとしたLinux Mintをテストしていることを明らかにした<ref>{{Cite web |url=http://blog.linuxmint.com/?p=1467 |title=A system based on Debian |publisher=News from the Dev Team |date=2010-07-02 |accessdate=2011-12-20}}</ref>。ベースをUbuntuからDebianへすることの主なメリットとして、製作側はコンピュータリソースの使用量を抑えられ、Ubuntuベースよりも快適に動くことを挙げている。<br />
<br />
また、2010年9月にはLinux Mint Debian Edition (LMDE) をリリースした。<br />
<br />
== 配布形態 ==<br />
Linux Mintには同梱されるコンポーネントや標準デスクトップ環境によるいくつかのエディションがある。各エディションは起動時にインストール不要な[[Live CD|Live DVD]]として動作する。<br />
<br />
No codecsと示されている[[DVD]]イメージ以外は、特許で保護されている[[コーデック]]やDVDの[[Content Scramble System|CSS]]を回避する[[libdvdcss]]を含んでいる。日本国内での配布は、[[特許法]]や[[不正競争防止法]]に抵触するので注意が必要である。かつては国内の複数のミラーサーバがLinux Mintを提供していたが、これを理由に2012年3月1日に[[JAIST]]のサーバが一旦提供を中止したのを皮切りに、すべてのミラーサーバがLinux Mintの提供を中止している。しかし2013年5月から、JAISTはlibdvdcssなどを含んでいないNo codecs版のイメージに限って提供を再開した<ref>[http://ftp-admin.blogspot.jp/2013/06/linux-mint.html ftp-adminの憂鬱:Linux Mintのミラーを再開しました]</ref>。この時からLinux MintおよびLMDEのパッケージのミラーも日本国内で唯一再開している。<br />
<br />
== mintTools == <!-- 「Ubuntuとの比較」からのリンクあり --><br />
Linux Mintはユーザの利便性を向上させるために、mintソフトウェア群mintToolsを含んでいる。これらは[[Python]]および[[シェルスクリプト]]で開発されている。<br />
<br />
;mintUpdate<br />
:Linux Mint専用のアップデートソフトウェア。mintUpdateはアップデートに安全性と必要性に応じてセーフティレベル(1から5)を割り当てる。アップデートはレベルごとに、通知する/しない・適用対象とする/しないの設定ができ、レベル4と5にカテゴライズされている開発版(動作に問題がある、あるいはテストが十分に行われていない)パッケージは、非常に経験豊かなユーザだけが必要とするので、デフォルトでは隠される。これにより、初心者ユーザが自身のハードウェアでは適切ではない更新を行ってシステムが破壊されるといった事態を防ぐ。<br />
;mintInstall<br />
:Linux Mint用ソフトウェアマネージャ。mintファイルを配布するインターネット上のカタログからソフトウェア情報を取得しダウンロードおよびインストールする。[http://community.linuxmint.com/software Linux Mint Software Portal]のフロントエンドとして動作し、ソフトウェアのスクリーンショット、ユーザレビューや人気度、インストール済みの場合のバージョンおよびインストール可能バージョンの確認が行える。[[APT]]のGUIフロントエンドでもあるため、Ubuntuリポジトリや[http://www.getdeb.net/ GetDeb]の検索機能も具備する。mintファイルはソフトウェアを含まないが、すべての情報とダウンロード[[URI]]を含む。<br />
;mintUpload<br />
:ファイルマネージャ上でのファイルの右クリックメニューで、「Upload」を選択することによりファイルをサーバーにアップロードする[[File Transfer Protocol|FTP]]クライアント。アップロードするとそのファイルへのURLが与えられ、迅速かつ容易に他人とファイルを共有することができる。ファイルサーバは、一般のFTPサーバの他、無償でスペースが提供され保存期間が制限されるデフォルトサービス(ファイルサイズ最大10MB、保存期間2日間)およびLinux Mintが提供するレンタルサーバーサービス(有償)の[http://linuxmint.com/store.php Mint-Space]に対応する。<br />
;mintNanny<br />
:簡易[[ペアレンタルコントロール]]ソフトウェア。設定された[[ドメイン名]]のサイトへのアクセスを禁止する。<br />
;mint4win<br />
:[[Wubi]]のLinux Mint版。<br />
;mintMenu<br />
:MATEデスクトップに提供されるメインメニュー。テキスト、アイコン、色を完全にカスタマイズ可能である。[[GNOME]]メインメニューと同じホットリンクを共有する。<br />
;mintWifi<br />
:いくつかの無線LANドライバを含む無線LAN設定ツール。<br />
;mintBackup<br />
:バックアップツール。指定したフォルダやインストール済みソフトウェアの一覧情報を容易にバックアップおよびリストア可能。バックアップ対象から除外するディレクトリおよびファイルの指定、バックアップ対象とする隠しディレクトリおよびファイルの指定が行える。mintBackupがインストールされているシステムであれば、バックアップファイルをダブルクリックするだけでリストアできる。<br />
;mintSources<br />
:Ubuntuの「ソフトウェアソース」を置換する。PPAの管理も行える他、全てのミラーサーバーに対してチェックを行いどこが最も速いかをグラフで表示する機能も独自に持つ。Linux Mint 15 "Olivia" から搭載。<br />
;mintDrivers<br />
:Ubuntuのドライバ管理のフロントエンドを代替する。Ubuntuのものと違い、バージョンを明記するほか有名なメーカーの物にはロゴが表示される。Linux Mint 15 "Olivia" から搭載。<br />
;mintDesktop<br />
:デスクトップ設定を簡単に行うためのツール。KDEとCinnamonを除くエディションで提供される。<br />
;mintStick<br />
:LinuxのライブCD形式のISOイメージをUSBメモリにブート可能な形で展開するツール。Linux Mint以外のディストリビューションも扱える。Linux Mint 16 "Petra" 以降ではUSBメモリのフォーマットツールも含む。<br />
<br />
== リリース ==<br />
Linux Mintは、一定のリリースサイクルに従わない。リリースは、順々に計画される。まず、プロジェクトは次のリリースのために目標を定める。通常、すべての目標が達成された時にRC版がリリースされ、問題がなければその後安定版がリリースされる。従来のUbuntuベースを離れ、更なる軽量化を目的としたLinux Mint Debian Edition(以下LMDE)の試験的なリリースもされている<ref>[http://www.linuxmint.com/rel_debian_whatsnew.php Linux Mint Debian Changelog]</ref>。<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
! 色<br />
! 意味<br />
|-<br />
| style="background-color:#fa8072;" |<br />
| 旧版 サポートなし<br />
|-<br />
| style="background-color:#f0e68c;" |<br />
| 旧版 サポートあり<br />
|-<br />
| style="background-color:#a0e75a;" |<br />
| 現在のリリース<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" |<br />
| テストリリース<br />
|-<br />
| style="background-color:#87ceeb;" |<br />
| 次のリリース<br />
|}<br />
<br />
{| class="wikitable"<br />
|- style="background-color:#ececec;" |<br />
! バージョン<br />
! コードネーム<br />
! エディション<br />
! デスクトップ環境<br />
! パッケージベース<br />
! リリース日<br />
! サポート期限<br />
|-<br />
| style="background-color:#fa8072;" | 1.0<br />
| '''Ada'''<br />
| Main<br />
| [[KDE]]<br />
| [[Kubuntu]] Dapper<br />
| 2006/08/27<br />
| N/A<br />
|-<br />
| style="background-color:#fa8072;" | 2.0<br />
| '''Barbara'''<br />
| Main<br />
| [[GNOME]]<br />
| rowspan=5 | Ubuntu Edgy<br>(6.10)<br />
| 2006/11/13<br />
| 2008/04<br />
|-<br />
| style="background-color:#fa8072;" | 2.1<br />
| '''Bea'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| 2006/12/20<br />
| 2008/04<br />
|-<br />
| rowspan=3 style="background-color:#fa8072;" | 2.2<br />
| rowspan=3 | '''Bianca'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| 2007/02/20<br />
| 2008/04<br />
|-<br />
| Light<br />
| GNOME<br />
| 2007/03/29<br />
| 2008/04<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2007/04/20<br />
| 2008/04<br />
|-<br />
| rowspan=5 style="background-color:#fa8072;" | 3.0<br />
| rowspan=5 | '''Cassandra'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=7 | Ubuntu Feisty (7.04)<br />
| 2007/05/30<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| Light<br />
| GNOME<br />
| 2007/06/15<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2007/08/14<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| MiniKDE<br />
| KDE<br />
| 2007/08/14<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| XFCE CE<br />
| [[Xfce]]<br />
| 2007/08/07<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| rowspan=2 style="background-color:#fa8072;" | 3.1<br />
| rowspan=2 | '''Celena'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| 2007/09/24<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| Light<br />
| GNOME<br />
| 2007/10/01<br />
| 2008/10<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color: #fa8072;" | 4.0<br />
| rowspan=4 | '''Daryna'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Gutsy (7.10)<br />
| 2007/10/15<br />
| 2009/04<br />
|-<br />
| Light<br />
| GNOME<br />
| 2007/10/15<br />
| 2009/04<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2008/03/03<br />
| 2009/04<br />
|-<br />
| miniKDE<br />
| KDE<br />
| 2008/03/03<br />
| 2009/04<br />
|-<br />
| '''Dalyna {{small|BETA008}}'''<br />
| XFCE CE<br />
| Xfce<br />
| 2007/11/02<br />
| N/A<br />
|-<br />
| '''Dalyna {{small|BETA021}}'''<br />
| Fluxbox CE<br />
| [[Fluxbox]]<br />
| 2008/01/03<br />
| N/A<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" | テスト<br />
| '''Debian {{small|ALPHA023}}'''<br />
| [[Debian]]<br />
| GNOME<br />
| Debian Etch<br />
| 2008/01/03<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 5 (LTS)<br />
| rowspan=6 | '''Elyssa'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Hardy (8.04 LTS)<br />
| 2008/06/08<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| Light<br />
| GNOME<br />
| 2008/06/08<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| x64<br />
| GNOME<br />
| 2008/10/18<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| XFCE CE<br />
| Xfce<br />
| 2008/09/08<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2008/09/15<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| Fluxbox CE<br />
| Fluxbox<br />
| 2008/10/21<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 6<br />
| rowspan=6 | '''Felicia'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Intrepid (8.10)<br />
| 2008/12/15<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| Universal<br />
| GNOME<br />
| 2008/12/15<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| x64<br />
| GNOME<br />
| 2009/02/06<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| XFCE CE<br />
| Xfce<br />
| 2009/02/24<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2009/04/08<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| Fluxbox CE<br />
| Fluxbox<br />
| 2009/04/07<br />
| 2010/04<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 7<br />
| rowspan=6 | '''Gloria'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Jaunty (9.04)<br />
| 2009/05/26<br />
| 2010/10<br />
|-<br />
| Universal<br />
| GNOME<br />
| 2009/05/26<br />
| 2010/10<br />
|-<br />
| x64<br />
| GNOME<br />
| 2009/06/24<br />
| 2010/10<br />
|-<br />
| KDE CE<br />
| KDE<br />
| 2009/08/03<br />
| 2010/10<br />
|-<br />
| XFCE CE<br />
| Xfce<br />
| 2009/09/13<br />
| 2010/10<br />
|-<br />
| Fluxbox CE<br />
| Fluxbox<br />
| 未定<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=8 style="background-color:#fa8072;" | 8<br />
| rowspan=8 | '''Helena'''<br />
| Main<br />
| GNOME<br />
| rowspan=8 | Ubuntu Karmic Koala<br>(9.10)<br />
| 2009/11/28<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| Universal<br />
| GNOME<br />
| 2009/11/28<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| x64<br />
| GNOME<br />
| 2009/12/14<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2010/02/06<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| KDE x64<br />
| KDE<br />
| 2010/02/12<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| Fluxbox<br />
| Fluxbox<br />
| 2010/02/12<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| Xfce RC1<br />
| Xfce<br />
| 2010/03/07<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| LXDE RC1<br />
| LXDE<br />
| 2010/03/15<br />
| 2011/04<br />
|-<br />
| rowspan=7 style="background-color:#fa8072;" | 9 (LTS)<br />
| rowspan=7 | '''Isadora'''<br />
| GNOME CD/DVD<br />
| GNOME<br />
| rowspan=7 | Ubuntu Lucid Lynx<br>(10.04 LTS)<br />
| 2010/05/17<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| USA-Japan<br />
| GNOME<br />
| 2010/05/18<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| OEM<br />
| GNOME<br />
| 2010/05/18<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| Fluxbox CD<br />
| Fluxbox<br />
| 2010/09/06<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| KDE DVD<br />
| KDE<br />
| 2010/07/27<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| LXDE CD<br />
| LXDE<br />
| 2010/07/18<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2010/08/24<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201009<br />
| N/A<br />
| LMDE<br />
| GNOME<br />
| Debian<br />
| 2010/09/07<br />
| N/A<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201012<br />
| N/A<br />
| LMDE<br />
| GNOME<br />
| Debian<br />
| 2010/12/24<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=5 style="background-color:#fa8072;" | 10<br />
| rowspan=5 | '''Julia'''<br />
| CD/DVD<br />
| GNOME<br />
| rowspan=5 | Ubuntu Maverick Meerkat<br>(10.10)<br />
| 2010/11/12<br />
| 2012/04<br />
|-<br />
| USA-Japan<br />
| GNOME<br />
| 2010/11/12<br />
| 2012/04<br />
|-<br />
| OEM<br />
| GNOME<br />
| 2010/11/12<br />
| 2012/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2011/02/23<br />
| 2012/04<br />
|-<br />
| LXDE<br />
| LXDE<br />
| 2011/03/16<br />
| 2012/04<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201101<br />
| N/A<br />
| LMDE<br />
| GNOME<br />
| Debian<br />
| 2011/01/02<br />
| N/A<br />
|-<br />
| style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201104<br />
| N/A<br />
| LMDE<br />
| Xfce<br />
| Debian<br />
| 2011/04/06<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=3 style="background-color:#fa8072;" | 11<br />
| rowspan=3 | '''Katya'''<br />
| CD/DVD<br />
| GNOME<br />
| rowspan=3 | Ubuntu Natty Narwhal<br>(11.04)<br />
| 2011/05/26<br />
| 2012/10<br />
|-<br />
| OEM<br />
| GNOME<br />
| 2011/05/26<br />
| 2012/10<br />
|-<br />
| LXDE<br />
| LXDE<br />
| 2011/08/16<br />
| 2012/10<br />
|-<br />
| rowspan=2 style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201109<br />
| rowspan=2 | N/A<br />
| rowspan=2 | LMDE<br />
| GNOME<br />
| rowspan=2 | Debian<br />
| 2011/09/16<br />
| N/A<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| 2011/09/16<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=4 style="background-color:#fa8072;" | 12<br />
| rowspan=4 | '''Lisa'''<br />
| CD no codecs<br />
| GNOME<br />
| rowspan=4 | Ubuntu Oneiric Ocelot<br>(11.10)<br />
| 2011/11/26<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| DVD<br />
| GNOME + MATE<br />
| 2011/11/26<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2012/02/03<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| LXDE<br />
| LXDE<br />
| 2012/03/09<br />
| 2013/04<br />
|-<br />
| rowspan=2 style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201204<br />
| rowspan=2 | N/A<br />
| rowspan=2 | LMDE<br />
| MATE/Cinnamon<br />
| rowspan=2 | Debian<br />
| 2012/04/24<br />
| N/A<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| 2012/04/24<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#f0e68c;" | 13 (LTS)<br />
| rowspan=6 | '''Maya'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Precise Pangolin<br>(12.04 LTS)<br />
| 2012/5/16<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| Cinnamon No codecs<br />
| Cinnamon<br />
| 2012/5/16<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2012/5/16<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| MATE No codecs<br />
| MATE<br />
| 2012/5/16<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2012/7/24<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2012/7/24<br />
| 2017/04<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 14<br />
| rowspan=6 | '''Nadia'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Quantal Quetzal<br>(12.10)<br />
| 2012/11/20<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| Cinnamon No codecs<br />
| Cinnamon<br />
| 2012/11/20<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2012/11/20<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| MATE No codecs<br />
| MATE<br />
| 2012/11/20<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2012/12/23<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2012/12/21<br />
| 2014/04<br />
|-<br />
| rowspan=2 style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201303<br />
| rowspan=2 | N/A<br />
| rowspan=2 | LMDE<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=2 | Debian<br />
| 2013/03/22<br />
| N/A<br />
|-<br />
| MATE<br />
| 2013/03/22<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 15<br />
| rowspan=6 | '''Olivia'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Raring Ringtail<br>(13.04)<br />
| 2013/05/29<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| Cinnamon No codecs<br />
| Cinnamon<br />
| 2013/05/29<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2013/05/29<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| MATE No codecs<br />
| MATE<br />
| 2013/05/29<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2013/07/21<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2013/07/12<br />
| 2014/01<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#fa8072;" | 16<br />
| rowspan=6 | '''Petra'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Saucy Salamander<br>(13.10)<br />
| 2013/11/30<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| Cinnamon No codecs<br />
| Cinnamon<br />
| 2013/11/30<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2013/11/30<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| MATE No codecs<br />
| MATE<br />
| 2013/11/30<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2013/12/22<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2013/12/22<br />
| 2014/07<br />
|-<br />
| rowspan=2 style="background-color:#e7c5f2;" | LMDE 201403<br />
| rowspan=2 | N/A<br />
| rowspan=2 | LMDE<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=2 | Debian<br />
| 2014/03/02<br />
| N/A<br />
|-<br />
| MATE<br />
| 2014/03/02<br />
| N/A<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#f0e68c;" | 17<br />
| rowspan=6 | '''Qiana'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Trusty Tahr<br>(14.04 LTS)<br />
| 2014/05/31<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| Cinnamon No Codec<br />
| Cinnamon<br />
| 2014/05/31<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2014/05/31<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| MATE No Codec<br />
| MATE<br />
| 2014/05/31<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2014/06/23<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2014/06/26<br />
| 2019/04<br />
|-<br />
| rowspan=6 style="background-color:#a0e75a;" | 17.1<br />
| rowspan=6 | '''Rebecca'''<br />
| Cinnamon<br />
| Cinnamon<br />
| rowspan=6 | Ubuntu Trusty Tahr<br>(14.04 LTS)<br />
| 2014/11/29<br />
| 2019<br />
|-<br />
| Cinnamon No Codecs<br />
| Cinnamon<br />
| 2014/11/29<br />
| 2019<br />
|-<br />
| MATE<br />
| MATE<br />
| 2014/11/29<br />
| 2019<br />
|-<br />
| MATE No Codecs<br />
| MATE<br />
| 2014/11/29<br />
| 2019<br />
|-<br />
| KDE<br />
| KDE<br />
| 2015/01/08<br />
| 2019<br />
|-<br />
| Xfce<br />
| Xfce<br />
| 2015/01/11<br />
| 2019<br />
|}<br />
<br />
== インストール方法 ==<br />
Live DVDのISOファイルをダウンロードして、インストール可能である。同一バージョンのUbuntuからアップデートすることも可能。<br />
<br />
基本的に、Linux MintはUbuntuにパッケージなどを追加したディストリビューションなので、UbuntuにLinux Mint、Canonical Partnerのレポジトリを追加して、Linux Mint関係のソフトウェアをインストールして、デスクトップ環境(Cinnamonなど)の設定を修正するとLinux Mintになる。<br />
<br />
== 日本での普及 ==<br />
各エディションはセットアップ時に日本語を選択する事で不完全ながら日本語化が可能となっている。整った日本語環境を求める際は公式のローカルコミュニティーであるLinux Mint Japanのリポジトリを追加することによる日本語化が必要になる。<br />
<br />
[http://linuxmint-jp.net/download.html Linux Mint Japan - ダウンロード]を参照。Linux Mintのリリース番号とUbuntuのリリース番号の対応については[[#リリース]]を参照。<br />
<br />
== Ubuntuとの比較 ==<br />
Linux MintはUbuntuをベースとしており、Ubuntuのソフトウェアリポジトリを使用することから、ほとんどのパッケージは両ディストリビューションで同じであり、二つのシステムはほとんど同じように振る舞う。例えば、Linux Mint 16 "Petra" はUbuntu 13.10 "Saucy Salamander" のパッケージプールを使用する。<br />
<br />
もっとも大きな違いはそのデスクトップにある。UbuntuとLinux Mintはどちらも使いやすさにフォーカスしているが、Linux Mintは独自のテーマを提供し、'''mintTools'''と呼ばれる独自のアプリケーションを搭載している。詳細は[[#mintTools]]に譲るが、例えばmintDesktopはMATEおよびXfceそれぞれのデスクトップの設定、Windowsワークグループおよび近くのネットワークの自動ブラウズを行うツールである。<br />
<br />
Linux Mintでは、No codecs以外ではプロプライエタリなマルチメディアコーデックはLiveDVDからデフォルトでインストールされる。Ubuntuではデフォルトではこれらのいくつかは外されているが、後でインストールできる。その理由はそれらは[[オープンソースソフトウェア]]ではなく、日本やアメリカを含むいくつかの国で使用する場合の法的責任を回避するためである。<br />
<br />
先述のとおりLinux MintはUbuntuを基にしているため、Linux Mintより非常に大きなコミュニティを持つUbuntuのヘルプやアドバイスは多くの場合でLinux Mintにも同じように適用できる。<br />
<br />
== ブランチ ==<br />
他の多くのLinuxディストリビューションと同様に、Linux Mintにも異なるテストバージョンあるいは “ブランチ” が存在する。最新の機能またはLinux Mintの “不安定ブランチ” を含むブランチは “Romeo” と呼ばれ、Linux Mintリリースにおいてデフォルトで有効になることはない。最先端の機能を求めるユーザや新パッケージのテストを手助けしたいユーザがRomeoを[[APT]]ソースに追加できる。Romeoはそれ自身がブランチではなく、他のリポジトリを置き換えるわけではない。<br />
<br />
新しいパッケージは開発者及びテスターによってテストされるRomeoで最初にリリースされる。のちにそのパッケージが十分な安定性があると判断されると最新の安定版リリースにバックポートされる。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[Linuxディストリビューションの比較]]<br />
* [[Linuxライブディストリビューションの比較]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.linuxmint.com/ Linux Mint]{{en icon}}<br />
* [http://linuxmint-jp.net/ Linux Mint Japan]<br />
* [http://distrowatch.com/table.php?distribution=mint DistroWatch.com: Linux Mint]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:Linux mint}}<br />
<br />
[[Category:Linuxディストリビューション]]<br />
[[Category:オープンソース]]<br />
[[Category:LiveCD]]<br />
[[Category:2006年のソフトウェア]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA&diff=401187
ワールドシリーズ
2022-08-27T05:19:54Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>{{Otheruses|ワールドシリーズ|その他}}<br />
'''ワールドシリーズ'''('''World Series''')とは[[メジャーリーグベースボール]]における優勝チーム決定戦である。毎年レギュラーシーズン終了後の10月に[[ナショナルリーグ]]と[[アメリカンリーグ]]のそれぞれの優勝チーム同士が戦ってその年の全米一([[年間王者]])を争う。優勝チームには[[トロフィー]]が贈呈され、記念品として[[球団]]が[[チャンピオンリング]]を製作するのが習慣となっている。<br />
<br />
==歴史==<br />
メジャーリーグにおいて異なるリーグの優勝チーム同士の対戦が初めて行われたのは[[1884年]]のことで、現在の[[ナショナルリーグ]]と当時あった[[アメリカン・アソシエーション]]の優勝チームが5回戦制を戦うシリーズが行われていた。この対戦は[[1891年]]まで続けられたが、同年末アメリカン・アソシエーションがナショナルリーグに吸収合併されたことで消滅した。<br />
<br />
[[1901年]]にアメリカン・リーグが設立され既存のナショナル・リーグとの2リーグ制になったのをきっかけとして、米国内の[[新聞]]"TheWorld"が年間王者決定戦を企画し、[[1903年]]に第1回大会が開催された。翌年には両リーグの監督が対立し試合をボイコットし、早くも大会は一時中止。結局第2回は[[1905年]]に開催、以降さまざまな事件や珍事、ドラマが生まれ現代に至っている。TheWorldがスポンサーを降りた後も名称は変わらず続いている。<br />
<br />
ただし米国内の新聞"TheWorld"が企画したという起源には異論があり、「極めてこれ見よがしな自己宣伝をしがちなタブロイド紙であった"TheWorld"であるのにワールドシリーズとの関係を主張したことはない」との指摘もある。別の説によれば、世界最大のスポーツ用品会社が発行した「スポールディングベースボールガイド」の[[1887年]]版にそれまで"The World's Championship"と呼ばれていたものをスポンサーの野心から近い将来に全世界が参加すると見越して"World's Series"と記載したのが始まりとされる。ところがその後全世界の参加はまったく実現しないままその呼び名が定着し[[1917年]]版からは慣例によって'sを取ってしまい、"World Series"と記載された。<br />
<br />
==現在の仕組み==<br />
[[1995年]]以降のワールドシリーズまでの道のりはトーナメント方式で次の通り。<br />
<br />
'''ファーストステージ'''は地区シリーズ([[ディビジョンシリーズ]])。ここで5試合の内3勝すれば次のステップへ(基本的な組み合わせとしては1位チームの最高勝率チームvs2位の最高勝率チーム=ワイルドカード、1位チームの勝率2位チームvs同3位チームとなるが、1位のチームとワイルドカードのチームが同一地区にならない範囲で組み分けされる)。<br />
<br />
'''セカンドステージ'''はリーグ優勝決定戦([[リーグチャンピオンシップシリーズ]])で7試合の内4勝すればリーグチャンピオン達成と同時にワールドシリーズへ。<br />
<br />
そして'''ファイナルステージ'''でアメリカン・ナショナル両リーグのチャンピオンチーム同士が全米チャンピオン決定戦のワールドシリーズを行う。方式はリーグ優勝決定戦(リーグチャンピオンシップ)同様で7試合の内4勝すれば晴れてワールドチャンピオンとなる。<br />
<br />
==DH制==<br />
[[指名打者]]制度は原則としてアメリカン・リーグのチームの本拠地で行う試合には設けられ、ナショナル・リーグの本拠地で行う試合には設けないこととなっている。<br />
<br />
==各年度のワールドシリーズ==<br />
{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" style="background:#f9f9f9; text-align:center"<br />
|-style="background:#f2f2f2"<br />
!回!!開催年!!勝利チーム!!優勝回数!!成績!!相手チーム<br />
|-<br />
|[[1903年のワールドシリーズ|1]]||[[1903年]]||[[ボストン・レッドソックス|ボストン・アメリカンズ]](ア)||初優勝||5-3||[[ピッツバーグ・パイレーツ]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1904年のワールドシリーズ|-]]||[[1904年]]||colspan="4" style="text-align:left"|ボストン・アメリカンズ(ア)と[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]](ナ)がリーグ優勝するが、ニューヨーク・ジャイアンツ側が<br />対戦を拒否したため中止<br />
|-<br />
|[[1905年のワールドシリーズ|2]]||[[1905年]]||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)||初優勝||4-1||[[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]](ア)<br />
|-<br />
|[[1906年のワールドシリーズ|3]]||[[1906年]]||[[シカゴ・ホワイトソックス]](ア)||初優勝||4-2||[[シカゴ・カブス]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1907年のワールドシリーズ|4]]||[[1907年]]||シカゴ・カブス(ナ)||初優勝||4-0||[[デトロイト・タイガース]](ア)<br />
|-<br />
|[[1908年のワールドシリーズ|5]]||[[1908年]]||シカゴ・カブス(ナ)||2年連続2回目||4-1||デトロイト・タイガース(ア)<br />
|-<br />
|[[1909年のワールドシリーズ|6]]||[[1909年]]||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)||初優勝||4-3||デトロイト・タイガース(ア)<br />
|-<br />
|[[1910年のワールドシリーズ|7]]||[[1910年]]||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)||初優勝||4-1||シカゴ・カブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1911年のワールドシリーズ|8]]||[[1911年]]||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)||2年連続2回目||4-2||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1912年のワールドシリーズ|9]]||[[1912年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||9年ぶり2回目||4-3||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1913年のワールドシリーズ|10]]||[[1913年]]||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)||2年ぶり3回目||4-1||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1914年のワールドシリーズ|11]]||[[1914年]]||[[アトランタ・ブレーブス|ボストン・ブレーブス]](ナ)||初優勝||4-0||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1915年のワールドシリーズ|12]]||[[1915年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||3年ぶり3回目||4-1||[[フィラデルフィア・フィリーズ]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1916年のワールドシリーズ|13]]||[[1916年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||2年連続4回目||4-1||[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1917年のワールドシリーズ|14]]||[[1917年]]||シカゴ・ホワイトソックス(ア)||11年ぶり2回目||4-2||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1918年のワールドシリーズ|15]]||[[1918年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||2年ぶり5回目||4-2||[[シカゴ・カブス]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1919年のワールドシリーズ|16]]||[[1919年]]||[[シンシナティ・レッズ]](ナ)||初優勝||5-3||シカゴ・ホワイトソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1920年のワールドシリーズ|17]]||[[1920年]]||[[クリーブランド・インディアンス]](ア)||初優勝||5-2||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1921年のワールドシリーズ|18]]||[[1921年]]||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)||16年ぶり2回目||5-3||[[ニューヨーク・ヤンキース]](ア)<br />
|-<br />
|[[1922年のワールドシリーズ|19]]||[[1922年]]||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)||2年連続3回目||4-0||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1923年のワールドシリーズ|20]]||[[1923年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||初優勝||4-2||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1924年のワールドシリーズ|21]]||[[1924年]]||[[ミネソタ・ツインズ|ワシントン・セネタース]](ア)||初優勝||4-3||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1925年のワールドシリーズ|22]]||[[1925年]]||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)||16年ぶり2回目||4-3||ワシントン・セネタース(ア)<br />
|-<br />
|[[1926年のワールドシリーズ|23]]||[[1926年]]||[[セントルイス・カージナルス]](ナ)||初優勝||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1927年のワールドシリーズ|24]]||[[1927年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||4年ぶり2回目||4-0||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1928年のワールドシリーズ|25]]||[[1928年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続3回目||4-0||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1929年のワールドシリーズ|26]]||[[1929年]]||[[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]](ア)||16年ぶり4回目||4-1||[[シカゴ・カブス]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1930年のワールドシリーズ|27]]||[[1930年]]||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)||2年連続5回目||4-2||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1931年のワールドシリーズ|28]]||[[1931年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||6年ぶり2回目||4-3||フィラデルフィア・アスレチックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1932年のワールドシリーズ|29]]||[[1932年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||5年ぶり4回目||4-0||シカゴ・カブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1933年のワールドシリーズ|30]]||[[1933年]]||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)||11年ぶり4回目||4-1||[[ミネソタ・ツインズ|ワシントン・セネタース]](ア)<br />
|-<br />
|[[1934年のワールドシリーズ|31]]||[[1934年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||4年ぶり3回目||4-3||デトロイト・タイガース(ア)<br />
|-<br />
|[[1935年のワールドシリーズ|32]]||[[1935年]]||デトロイト・タイガース(ア)||初優勝||4-2||シカゴ・カブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1936年のワールドシリーズ|33]]||[[1936年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||4年ぶり5回目||4-2||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1937年のワールドシリーズ|34]]||[[1937年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続6回目||4-1||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1938年のワールドシリーズ|35]]||[[1938年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||3年連続7回目||4-0||シカゴ・カブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1939年のワールドシリーズ|36]]||[[1939年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||4年連続8回目||4-0||[[シンシナティ・レッズ]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1940年のワールドシリーズ|37]]||[[1940年]]||シンシナティ・レッズ(ナ)||21年ぶり2回目||4-3||デトロイト・タイガース(ア)<br />
|-<br />
|[[1941年のワールドシリーズ|38]]||[[1941年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年ぶり9回目||4-1|||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1942年のワールドシリーズ|39]]||[[1942年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||8年ぶり4回目||4-1||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1943年のワールドシリーズ|40]]||[[1943年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年ぶり10回目||4-1||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1944年のワールドシリーズ|41]]||[[1944年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||2年ぶり5回目||4-2||[[ボルチモア・オリオールズ|セントルイス・ブラウンズ]](ア)<br />
|-<br />
|[[1945年のワールドシリーズ|42]]||[[1945年]]||[[デトロイト・タイガース]](ア)||10年ぶり2回目||4-3||シカゴ・カブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1946年のワールドシリーズ|43]]||[[1946年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||2年ぶり6回目||4-3||ボストン・レッドソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1947年のワールドシリーズ|44]]||[[1947年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||4年ぶり11回目||4-3||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1948年のワールドシリーズ|45]]||[[1948年]]||クリーブランド・インディアンス(ア)||28年ぶり2回目||4-2||[[アトランタ・ブレーブス|ボストン・ブレーブス]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1949年のワールドシリーズ|46]]||[[1949年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年ぶり12回目||4-1||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1950年のワールドシリーズ|47]]||[[1950年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続13回目||4-0||フィラデルフィア・フィリーズ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1951年のワールドシリーズ|48]]||[[1951年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||3年連続14回目||4-2||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1952年のワールドシリーズ|49]]||[[1952年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||4年連続15回目||4-3||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1953年のワールドシリーズ|50]]||[[1953年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||5年連続16回目||4-2||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1954年のワールドシリーズ|51]]||[[1954年]]||ニューヨーク・ジャイアンツ(ナ)||21年ぶり5回目||4-0||クリーブランド・インディアンス(ア)<br />
|-<br />
|[[1955年のワールドシリーズ|52]]||[[1955年]]||ブルックリン・ドジャース(ナ)||初優勝||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1956年のワールドシリーズ|53]]||[[1956年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||3年ぶり17回目||4-3||ブルックリン・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1957年のワールドシリーズ|54]]||[[1957年]]||ミルウォーキー・ブレーブス(ナ)||43年ぶり2回目||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1958年のワールドシリーズ|55]]||[[1958年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年ぶり18回目||4-3||ミルウォーキー・ブレーブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1959年のワールドシリーズ|56]]||[[1959年]]||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)||5年ぶり2回目||4-2||シカゴ・ホワイトソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1960年のワールドシリーズ|57]]||[[1960年]]||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)||35年ぶり3回目||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1961年のワールドシリーズ|58]]||[[1961年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||3年ぶり19回目||4-1||シンシナティ・レッズ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1962年のワールドシリーズ|59]]||[[1962年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続20回目||4-3||サンフランシスコ・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1963年のワールドシリーズ|60]]||[[1963年]]||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)||4年ぶり3回目||4-0||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1964年のワールドシリーズ|61]]||[[1964年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||18年ぶり7回目||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1965年のワールドシリーズ|62]]||[[1965年]]||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)||2年ぶり4回目||4-3||ミネソタ・ツインズ(ア)<br />
|-<br />
|[[1966年のワールドシリーズ|63]]||[[1966年]]||[[ボルチモア・オリオールズ]](ア)||初優勝||4-0||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1967年のワールドシリーズ|64]]||[[1967年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||3年ぶり8回目||4-3||ボストン・レッドソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1968年のワールドシリーズ|65]]||[[1968年]]||デトロイト・タイガース(ア)||23年ぶり3回目||4-3||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1969年のワールドシリーズ|66]]||[[1969年]]||[[ニューヨーク・メッツ]](ナ)||初優勝||4-1||ボルチモア・オリオールズ(ア)<br />
|-<br />
|[[1970年のワールドシリーズ|67]]||[[1970年]]||ボルチモア・オリオールズ(ア)||4年ぶり2回目||4-1||[[シンシナティ・レッズ]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1971年のワールドシリーズ|68]]||[[1971年]]||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)||11年ぶり4回目||4-3||ボルチモア・オリオールズ(ア)<br />
|-<br />
|[[1972年のワールドシリーズ|69]]||[[1972年]]||オークランド・アスレチックス(ア)||42年ぶり6回目||4-3||シンシナティ・レッズ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1973年のワールドシリーズ|70]]||[[1973年]]||オークランド・アスレチックス(ア)||2年連続7回目||4-3||ニューヨーク・メッツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1974年のワールドシリーズ|71]]||[[1974年]]||オークランド・アスレチックス(ア)||3年連続8回目||4-1||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1975年のワールドシリーズ|72]]||[[1975年]]||シンシナティ・レッズ(ナ)||35年ぶり3回目||4-3||ボストン・レッドソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1976年のワールドシリーズ|73]]||[[1976年]]||シンシナティ・レッズ(ナ)||2年連続4回目||4-0||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1977年のワールドシリーズ|74]]||[[1977年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||nowrap|15年ぶり21回目||4-2||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1978年のワールドシリーズ|75]]||[[1978年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続22回目||4-2||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)<br />
|-<br />
|[[1979年のワールドシリーズ|76]]||[[1979年]]||ピッツバーグ・パイレーツ(ナ)||8年ぶり5回目||4-3||ボルチモア・オリオールズ(ア)<br />
|-<br />
|[[1980年のワールドシリーズ|77]]||[[1980年]]||[[フィラデルフィア・フィリーズ]](ナ)||初優勝||4-2||[[カンザスシティ・ロイヤルズ]](ア)<br />
|-<br />
|[[1981年のワールドシリーズ|78]]||[[1981年]]||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)||16年ぶり5回目||4-2||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[1982年のワールドシリーズ|79]]||[[1982年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||15年ぶり9回目||4-3||[[ミルウォーキー・ブルワーズ]](ア)<br />
|-<br />
|[[1983年のワールドシリーズ|80]]||[[1983年]]||ボルチモア・オリオールズ(ア)||13年ぶり3回目||4-1||フィラデルフィア・フィリーズ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1984年のワールドシリーズ|81]]||[[1984年]]||デトロイト・タイガース(ア)||16年ぶり4回目||4-1||[[サンディエゴ・パドレス]](ナ)<br />
|-<br />
|[[1985年のワールドシリーズ|82]]||[[1985年]]||カンザスシティ・ロイヤルズ(ア)||初優勝||4-3||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1986年のワールドシリーズ|83]]||[[1986年]]||ニューヨーク・メッツ(ナ)||17年ぶり2回目||4-3||ボストン・レッドソックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1987年のワールドシリーズ|84]]||[[1987年]]||ミネソタ・ツインズ(ア)||63年ぶり2回目||4-3||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1988年のワールドシリーズ|85]]||[[1988年]]||ロサンゼルス・ドジャース(ナ)||7年ぶり6回目||4-1||オークランド・アスレチックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1989年のワールドシリーズ|86]]||[[1989年]]||オークランド・アスレチックス(ア)||15年ぶり9回目||4-0||サンフランシスコ・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1990年のワールドシリーズ|87]]||[[1990年]]||シンシナティ・レッズ(ナ)||14年ぶり5回目||4-0||オークランド・アスレチックス(ア)<br />
|-<br />
|[[1991年のワールドシリーズ|88]]||[[1991年]]||ミネソタ・ツインズ(ア)||5年ぶり3回目||4-3||アトランタ・ブレーブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1992年のワールドシリーズ|89]]||[[1992年]]||[[トロント・ブルージェイズ]](ア)||初優勝||4-2||アトランタ・ブレーブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1993年のワールドシリーズ|90]]||[[1993年]]||トロント・ブルージェイズ(ア)||2年連続2回目||4-2||フィラデルフィア・フィリーズ(ナ)<br />
|-<br />
|[[1994年のワールドシリーズ|-]]||[[1994年]]||colspan="4"|ストライキにより中止<br />
|-<br />
|[[1995年のワールドシリーズ|91]]||[[1995年]]||アトランタ・ブレーブス(ナ)||38年ぶり3回目||4-2||クリーブランド・インディアンス(ア)<br />
|-<br />
|[[1996年のワールドシリーズ|92]]||[[1996年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||18年ぶり23回||4-2||アトランタ・ブレーブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1997年のワールドシリーズ|93]]||[[1997年]]||[[フロリダ・マーリンズ]](ナ)||初優勝||4-3||クリーブランド・インディアンス(ア)<br />
|-<br />
|[[1998年のワールドシリーズ|94]]||[[1998年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年ぶり24回目||4-0||サンディエゴ・パドレス(ナ)<br />
|-<br />
|[[1999年のワールドシリーズ|95]]||[[1999年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||2年連続25回目||4-0||アトランタ・ブレーブス(ナ)<br />
|-<br />
|[[2000年のワールドシリーズ|96]]||[[2000年]]||ニューヨーク・ヤンキース(ア)||3年連続26回目||4-1||ニューヨーク・メッツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[2001年のワールドシリーズ|97]]||[[2001年]]||[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]](ナ)||初優勝||4-3||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[2002年のワールドシリーズ|98]]||[[2002年]]||[[ロサンゼルス・エンゼルス|アナハイム・エンゼルス]](ア)||初優勝||4-3||サンフランシスコ・ジャイアンツ(ナ)<br />
|-<br />
|[[2003年のワールドシリーズ|99]]||[[2003年]]||フロリダ・マーリンズ(ナ)||6年ぶり2回目||4-2||ニューヨーク・ヤンキース(ア)<br />
|-<br />
|[[2004年のワールドシリーズ|100]]||[[2004年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||86年ぶり6回目||4-0||セントルイス・カージナルス(ナ)<br />
|-<br />
|[[2005年のワールドシリーズ|101]]||[[2005年]]||シカゴ・ホワイトソックス(ア)||88年ぶり3回目||4-0||[[ヒューストン・アストロズ]](ナ)<br />
|-<br />
|[[2006年のワールドシリーズ|102]]||[[2006年]]||セントルイス・カージナルス(ナ)||24年ぶり10回目||4-1||デトロイト・タイガース(ア)<br />
|-<br />
|[[2007年のワールドシリーズ|103]]||[[2007年]]||ボストン・レッドソックス(ア)||3年ぶり7回目||4-0||[[コロラド・ロッキーズ]](ナ)<br />
|}<br />
<br />
==優勝回数==<br />
*ニューヨーク・ヤンキース 26回<br />
*セントルイス・カージナルス 10回<br />
*オークランド・アスレチックス 9回<br />
*ボストン・レッドソックス 7回<br />
*ロサンゼルス・ドジャース 6回<br />
<br />
==ワールドシリーズ優勝を経験した日本人選手==<br />
*[[伊良部秀輝]] - 1998年、1999年(ベンチ入りしたが出場機会無し)<br />
*[[井口資仁]] - 2005年<br />
*[[田口壮]] - 2006年<br />
*[[松坂大輔]] - 2007年<br />
*[[岡島秀樹]] - 2007年<br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[ブラックソックス事件]]<br />
*[[ワールドシリーズ・トロフィー]]<br />
*[[チャンピオンリング]]<br />
<br />
{{ワールドシリーズ}}<br />
{{MLB}}<br />
{{MLB-stub}}<br />
{{DEFAULTSORT:わるとしりす}}<br />
[[Category:メジャーリーグベースボール]]<br />
[[Category:ワールドシリーズ|*]]<br />
<div style="margin:0.5em 0; background-color:#f6f6f6; border:1px solid #ccc; padding:3px; font-size:80%"><br />
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</div></div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBNV200%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88&diff=401185
日産・NV200バネット
2022-08-27T05:16:52Z
<p>PG: /* 外部リンク */</p>
<hr />
<div>'''NV200バネット'''(エヌブイ ニーマルマル バネット、''NV200 VANETTE'')は、[[日産自動車]]により製造・販売される[[ライトバン|バン]]型商用車及び乗用車である。世界戦略車種であり、日本とマレーシア以外の地域では'''NV200'''(エヌブイトゥーハンドレッド)もしくは'''EVALIA'''(エヴァリア)の車名で販売される。<br />
<br />
==概要==<br />
2007年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー、[[日産・NV200 (コンセプトカー)|NV200]]のデザインをベースとして開発されたバンで、商用車だけでなく、7人乗りワゴンタイプの5ナンバー車も設定される。日本国内には[[1978年]]より販売されている[[日産・バネット|バネットバン]]の後継車種として2009年5月に投入され、[[4WD]]車や[[ディーゼル]]車は当面、[[マツダ]]からOEM供給を受けているS21型バネットバンを継続販売する。欧州市場においては[[日産・キュビスター|キュビスター]]の後継車として販売され<ref>[http://www.whatvan.co.uk/index.php?option=com_content&task=view&id=809&Itemid=54 Nissan NV200] What Van?{{en icon}}</ref>、欧州日産の商用車ラインアップのエントリーモデルとなる。<br />
<br />
チーフデザイナーは同社のミニバンである[[日産・セレナ|セレナ]]も務めた<ref>[http://www.g-mark.org/search/Detail?id=31423&sheet=outline&lang=ja グッドデザインファインダー ミニバン] Good Design Award</ref>倉岡亨一が担当した。サイドの窓周りはスムーズな仕上がりで、窓のないルートバン(ブラインドバン)でも凹凸は少ない。その面一感を壊さぬよう、開閉式のリアサイドウインドウにもプラグ式が採用されている。<br />
<br />
日本市場向けの製造は[[日産車体]]湘南工場で行われる。また、日本だけでなく、[[2009年]]秋には'''NV200'''の名称で欧州で、2010年6月には[[中華人民共和国|中国]]市場でも発売された<ref>[http://www.nissan.com.cn/news/news/newscenter_detail.php?newsid=797 郑州日 NV200正式上市 引领中国CDV进入全新时代] NISSAN-新闻中心</ref>。また、欧州向けの車両は[[スペイン]]の[[日産モトール・イベリカ]]によって2009年11月から製造され<ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2464 NV200: Nissan's new global van makes European debut at Barcelona Motor Show] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>、中国向けの車両については2010年から同国[[鄭州日産汽車]]第二工場で製造される計画となっている<ref>[http://www.ipnext.jp/news/index.php?id=4710 日産、中国の生産拠点で「東風」「日産」のダブルブランド戦略を始動] IP NEXT</ref><ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2607 Nissan NV200 is the International Van of the Year 2010] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>。<br />
<br />
[[2011年]][[5月3日]]にはNV200が[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]]のタクシー、「ニューヨークタクシー」(通称:[[イエローキャブ_(タクシー)|イエローキャブ]])の次世代標準機種に選出された。それまで16車種を使用していたニューヨーク市の13,237台が[[2013年]]から[[2018年]]までに順次NV200に入れ替わり、契約規模は10年間で約10億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]に達する<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a.Pijr7w3wfQ 日産自動車:NY市の次世代「イエローキャブ」供給-13年から] Bloomberg.co.jp 2011年5月4日</ref><ref>[http://www.nissannews.com/pressrelease/2444/181/nissan-nv200-selected-new-york-city%E2%80%99s-taxi-tomorrow Nissan NV200 Selected As New York City's “Taxi Of Tomorrow”] Nissan/Infiniti News Room{{en icon}}</ref>。<br />
<br />
翌[[2012年]][[2月8日]]には[[シカゴオートショー]]にて北米向けのNV200コンパクトカーゴバンも発表された<ref>{{cite web<br />
| title=2013 Nissan NV200 goes after Transit Connect's lunch money<br />
| url=http://www.autoblog.com/2012/02/08/2013-nissan-nv200-chicago-2012/<br />
| author=Zach Bowman<br />
| publisher=Autoblog<br />
| date=2012-02-08<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。北米仕様車はカーゴバン、イエローキャブ専用車(5人乗り)とも三分割グリルが装着され、2.0L 4気筒エンジンが搭載される。また、ホイールハブも5穴化され、タイヤサイズも日本仕様と比べると若干大型化されている。ボディサイズは全般的に一回り拡大されており、ホイールベースは約200mm、全幅は約30mm拡大されている <ref>[http://bdfd.com/ja/Forums/1/1/430/2013+Nissan+NV200 , http://blogs.yahoo.co.jp/canime7201/2910891.html , http://www.caranddriver.com/news/2013-nissan-nv200-photos-and-info-news]</ref>。<br />
製造は[[メキシコ]]日産自動車会社[[クエルナバカ]]工場にて行われる。<br />
<br />
2011年10月からは[[三菱自動車工業]]に[[三菱・デリカD:3|デリカD:3]]および5代目[[三菱・デリカ|デリカバン]]としてOEM供給されている<ref>[http://www.mitsubishi-motors.com/publish/pressrelease_jp/products/2011/news/detail4503.html 三菱自動車、5ナンバーミニバン『デリカD:3』と小型商用車『デリカバン』を新発売] 三菱自動車工業 プレスリリース 2011年10月6日</ref>。<br />
<br />
==メカニズム==<br />
日本仕様車は1.6L [[日産・HRエンジン|HR16DE]]型ガソリンエンジンのみを搭載し、4速[[オートマチックトランスミッション|AT]] (E-ATx) および5速[[マニュアルトランスミッション|MT]]が組み合わせられる。欧州仕様車には[[ルノー]]製の1.5L K9K型ディーゼルエンジンも搭載され、5速MTのみが組み合わせられる。また、中国仕様車にはHR16DE型エンジンに5速MTを組み合わせたモデルのみがラインアップされる。<br />
<br />
[[プラットフォーム (自動車)|プラットフォーム]]には[[日産・Bプラットフォーム|Bプラットフォーム]]が採用され、[[前輪駆動]]の採用と、後輪[[サスペンション]]の小型化により低床化がなされた。サスペンションスプリングは乗り心地に優れるテーパードモノリーフ<ref>欧州の[[商用車]]に良く見られる、両端がテーパー状に薄くなった単板リーフスプリングのこと。モノリーフは重ね板ばねに比べ、軽く、板間[[摩擦]]がないため動きがよく、反発力が急に高まることもない。さらに両端をテーパー状に成型することで微小ストローク域での乗り心地も良くなる。切りっぱなしのばねに比べ成型工程が増えるため、コスト重視の日本車では少数派である。なお、重ね板ばねではあるが、日産は[[日産・パトロール|60型系パトロール]]、および[[日産・サファリ|160型系サファリ]]でテーパードリーフスプリングの使用実績を持つ。</ref>で、リア側をベルリンアイばねが目玉(ブッシュの入る輪)の中心に位置する。テーパードリーフ同様メリットはあるが、曲げ工程が増えるため、これも日本車では少数派。</ref>として、高さを抑えると共に、ばねの暴れを防いでいる。リアのホイールハウスは非常に小さく、荷室への張り出しはごく少ない。ホイールハウス間は1220mmあり、[[パレット#主なサイズ|欧州規格(1200×800mm)]]の[[パレット]]が収まる寸法となっている。<br />
<br />
また、乗用モデルについては、大荷重を想定していないため、リアサスペンションが専用チューンとなり、ばね・ダンパーもよりソフトとなり、その代わり、リア[[スタビライザー]]が追加されている<ref>[http://www.webcg.net/WEBCG/impressions/i0000021315.html?pg=1 日産NV200バネット(FF/4AT)【短評】] webCG</ref>。また、欧州仕様については高速志向の専用チューンとなり、前後にスタビライザーが追加される<ref>[[ネコ・パブリッシング]]『car MAGAZINE』No.374 今月のちょい乗りレビュー</ref>。<br />
<br />
従前の[[日産・バネット|バネット]]は、[[キャブオーバー]]スタイルとすることで、全長に対して室内容積を大きく取っていたが、NV200バネットは日本国外での販売も想定して開発されたため、操縦安定性・衝突安全性および快適性に優れる[[ボンネット]]スタイルとなった。しかしながら[[前輪駆動|FFレイアウト]]の採用により生じる前席下部の空間を活用することで、細長いものであれば3mまで収納することができ、NV200の開発陣は、同じく5ナンバーサイズとなる[[トヨタ・タウンエース]]/[[トヨタ・ライトエース|ライトエース]]に積載性能で負けているところはないと語っている。また、運転席周りの収納スペースについてはS21型バネットの2倍となった<ref>[http://gazoo.com/NEWS/NewsDetail.aspx?NewsId=3dc7173a-f027-4d18-9cb1-ad37a7ba1def 日産自動車、小型商用車「NV200バネット」発売] GAZOO.com</ref>。<br />
<br />
また、環境性能も大幅に向上され、全車で「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(☆☆☆☆)」認定を取得。また、バンは「平成27年度燃費基準+20%」または「平成27年度燃費基準+10%」を達成している。<br />
<br />
==ラインアップ==<br />
[[ファイル:NISSAN NV200 VANETTE 16S.jpg|thumb|right|200px|16S]]<br />
[[ファイル:NISSAN NV200 VANETTE Taxi rear.jpg|thumb|right|200px|タクシー]]<br />
日本仕様車のNV200バネットにはバンおよびワゴンが用意される。当初、バンには「DX」・「GX」が、ワゴンには「16S」が用意され、3グレード展開となっていた。「DX」には2列5人乗り仕様の他、1列2人乗り仕様も用意され、同じく1列2人乗りのルートバンタイプも設定される。また、ワゴンの「16S」は3列7人乗りで、[[ミニバン]]としての素養を備えており、2列目、3列目は降りたたんでラゲッジスペースとすることもできる。<br />
<br />
ワゴンは2010年10月にラインナップを刷新し、従来設定されていた「16S」は内装をフルトリム化すると共に、カップホルダーや小物入れを2列目・3列目にも追加。また、フロントフォグランプを標準装備化してグレード名を「16X-3R」(3[[ロウ]])に変更すると共に、ユーザーのニーズに応える形で同仕様の2列シート車「16X-2R」を新たに設定した。「16X-2R」ではワゴンでは標準装備であったCDプレーヤーをオーディオレス仕様に変更されている。また、バンについても同年12月に「DX」と「GX」の中間グレードである「VX」が追加された。「VX」は最上級グレードから電動ドアミラーや上下調整式[[ヘッドレスト]]等の装備が省略される。<br />
<br />
エクステリアデザインにおける違いについては、バン「VX」・「GX」およびワゴンにカラードバンパーおよびフルホイールカバーが装備される。またワゴンにはMTが用意されない。<br />
<br />
また、2010年12月22日には日本国内で[[タクシー]]用モデル「NV200 バネットタクシー」が発売になり<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2010/_STORY/101222-01-j.html 「NV200バネットタクシー」を発売] NISSAN PRESS ROOM</ref>、さらに、[[日産・リーフ|リーフ]]に次ぐ量産[[電気自動車]]として同車をベースとしたEVが[[2013年]]に発売される予定となっている<ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2602 Nissan Releases Concept Sketch of Light Commercial Electric Vehicle] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref><ref name="Hanover">[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=40725 Nissan Unveils Future Heavy Van In A World Premeire At The 63rd Hanover Motor Show] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>。タクシー仕様車については、[[#概要|上述]]のようにニューヨーク市のイエローキャブ仕様車も存在する。<br />
<br />
欧州仕様車については、2009年秋に日本仕様の2人乗りルートバンに相当するモデルが「バン」として、そして乗用および貨客兼用の5人乗りあるいは7人乗りモデルが「コンビ」として発売された。バンについては全車、コンビについても一部グレードではバックドアが日本国内向けにはない[[観音開き]]となる。また、2011年1月以降[[ドイツ]]および[[スイス]]を皮切りに順次5/7人乗りの乗用モデル「EVALIA」も追加される。<br />
{{-}}<br />
<br />
==年表==<br />
;[[2008年]][[12月22日]]<br />
:NV200の発売を発表<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2008/_STORY/081222-02-j.html 日産自動車、コンパクトな車体に広い積荷スペースを備えた新型LCV「NV200」を2009年度に発売] NISSAN PRESS ROOM</ref>。<br />
;[[2009年]][[2月24日]]<br />
:欧州仕様「バン」および「コンビ」の画像が公開。<br />
;2009年3月<br />
:第79回[[ジュネーヴモーターショー]]にて乗用モデルが発表。<br />
;2009年[[4月2日]]<br />
:同年5月中旬に日本で発売することを発表し、同時に事前販売活動を開始。<br />
;2009年[[5月21日]]<br />
:日本国内で販売開始。<br />
;2009年10月<br />
:欧州市場において[[商用車|商用モデル]]を発売。<br />
:同月、第41回[[東京モーターショー]]にてNV200バネットタクシーを参考出品。<br />
;2009年11月<br />
:「インターナショナル・バン・オブ・ザ・イヤー2010」を受賞。<br />
:[[マツダ]]へ[[マツダ・ボンゴ|ボンゴ]]として[[OEM]]供給開始。<br />
;[[2010年]][[6月18日]]<br />
:中国国内で販売開始。<br />
;2010年[[10月28日]]<br />
:ワゴンのラインナップを刷新し、「16S」に替わり、「16X-2R」・「16X-3R」が追加。<br />
;2010年[[12月22日]]<br />
:「VX」並びにタクシー仕様車「NV200 バネットタクシー」を追加。<br />
;2011年10月<br />
:[[三菱自動車工業]]へ[[三菱・デリカD:3|デリカD:3]]及び5代目[[三菱・デリカ|デリカバン]]としてOEM供給開始。<br />
;2012年[[1月5日]]<br />
:[[インド]]の[[ニューデリーオートエクスポ]]にてインド日産が「EVALIA(エバリア)」(7人乗り)として出展。[[チェンナイ]]工場で生産されるエバリアは乗用車として展開される。<ref>{{cite web<br />
| title=Nissan unveils NV200 MVP known as Evalia for Indian auto market at Delhi Auto Show (Photos)<br />
| url=http://www.rushlane.com/nissan-unveils-nv200-mvp-known-as-evalia-for-indian-auto-market-at-delhi-auto-show-photos-1226553.html<br />
| author=Sagar Patel<br />
| publisher=Rush Lane<br />
| date=2012-01-06<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。また、日産とLCV(小型商用車)事業で提携している[[アショク・レイランド]]もNV200をベースとする「STILE(スティーレ)」[[コンセプトカー|コンセプト]]を発表した<ref>{{cite web<br />
| title=Ashok Leyland - Nissan JV unveil their first passenger vehicle and LCV at Delhi Auto Expo<br />
| url=http://www.rushlane.com/ashok-leyland-nissan-jv-unveil-their-first-passenger-vehicle-and-lcv-at-delhi-auto-expo-1226798.html<br />
| author=Sagar Patel<br />
| publisher=Rush Lane<br />
| date=2012-01-10<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。両者は製造、販売とも完全に独立して行われる<ref>{{cite web<br />
| title=2012 Auto Expo - Ashok Leyland Stile and Partner unveiled!<br />
| url=http://www.bsmotoring.com/news/2012-auto-expo-ashok-leyland-stilepartner-unveiled/4472/1<br />
| publisher=BS Motoring<br />
| date=2012-01-07<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。<br />
;2012年[[1月9日]]<br />
:[[北米国際自動車ショー]]にて[[電気自動車|動力を電気]]とした「e-NV200コンセプト」を発表。電力、動力関係は同社の[[日産・リーフ|リーフ]]をベースとしており、前年から[[フェデックス|FedEx]]の協力を得て、[[ロンドン]]市内でデータ取りのためのテストが行われている。量産開始は[[2014年]]を予定している<ref>[http://www.env200.com/JP/ e-NV200 紹介ページ]</ref>。<br />
;2012年[[2月8日]]<br />
:[[シカゴオートショー]]にて北米向けNV200コンパクトカーゴバンが発表される。<br />
;2012年[[2月18日]]<br />
:[[マレーシア]]のタンチョン・モーターがNV200バネットを発売。長らく製造されてきたC22バネットに代わる車種となる<ref>{{cite web<br />
| title=Nissan NV200 Vanette launched – successor to the C22<br />
| url=http://paultan.org/2012/02/18/nissan-nv200-vanette-launched-successor-to-the-c22/<br />
| author=Danny Tan<br />
| publisher=paultan.org<br />
| date=2012-02-18<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref><br />
;2012年[[3月6日]]<br />
:[[サロン・アンテルナショナル・ド・ロト|ジュネーブモーターショー]]12にて、欧州で初めてe-NV200コンセプトを発表。<br />
;2012年5月15日<br />
:同年1月に発表した「e-NV200」をベースにしたモニター車を[[イオンリテール]]に約1ヶ月間貸与し、[[首都圏]]向け「イオン[[ネットスーパー]]」の配達車両として実証走行を開始<ref>{{cite web<br />
| title=日産自動車、「NV200」をベースとした電気自動車の実証運行をイオンリテール株式会社と開始<br />
| url=http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2012/_STORY/120515-01-j.html<br />
| publisher=NISSAN PRESS ROOM<br />
| date=2012-05-15<br />
| accessdate=2012-06-08<br />
}}</ref>。<br />
;2012年[[6月8日]]<br />
:一部仕様を改良。安全に関する法規制強化に伴うスライドドア強度要件への対応を行うとともに、ワゴンはセカンドシート中央3点式シートベルトを新たに採用した。<br />
<br />
==車名の由来==<br />
NVは'''N'''ew generation '''V'''ehicle(新世代の乗り物)を意味し、「'''200'''」は車格([[車両総重量]]2,000kg未満)を表している。また、'''バネット'''のサブネームは同社の商用車である「[[日産・バネット|バネット]]」に由来している。<br />
<br />
==受賞==<br />
;2010年<br />
*インターナショナル・バン・オブ・ザ・イヤー<br />
*プロフェッショナルバン&ライトトラックマガジン「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
*ホワット・バン?「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
*ITM「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
<br />
==脚注==<br />
===注釈===<br />
{{Reflist|group=※}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==関連項目==<br />
{{Commonscat|Nissan NV200}}<br />
*[[日産・NV200 (コンセプトカー)]]<br />
*[[日産・バネット]]<br />
*[[日産・セレナ]]<br />
*[[日産・インタースター]]<br />
*[[日産・プリマスター]]<br />
*[[日産・キュビスター]]<br />
*[[三菱・デリカD:3]] - [[バッジエンジニアリング|OEM]]車種<br />
*[[三菱・デリカ]] - バンがOEM車種<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.nissan.co.jp/NV200VANETTE/ 日産:NV200バネット ミニバン/ワゴン Webカタログ ホーム]<br />
*[http://biz.nissan.co.jp/SPECIAL/TAXI/index.html Biz NISSAN:NV200 バネットタクシー]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:NV200はねつと}}<br />
[[Category:日産の車種]]<br />
[[Category:貨物自動車]]<br />
[[Category:ミニバン]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BBNV200%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88&diff=401184
日産・NV200バネット
2022-08-27T05:16:28Z
<p>PG: /* 年表 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>'''NV200バネット'''(エヌブイ ニーマルマル バネット、''NV200 VANETTE'')は、[[日産自動車]]により製造・販売される[[ライトバン|バン]]型商用車及び乗用車である。世界戦略車種であり、日本とマレーシア以外の地域では'''NV200'''(エヌブイトゥーハンドレッド)もしくは'''EVALIA'''(エヴァリア)の車名で販売される。<br />
<br />
==概要==<br />
2007年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー、[[日産・NV200 (コンセプトカー)|NV200]]のデザインをベースとして開発されたバンで、商用車だけでなく、7人乗りワゴンタイプの5ナンバー車も設定される。日本国内には[[1978年]]より販売されている[[日産・バネット|バネットバン]]の後継車種として2009年5月に投入され、[[4WD]]車や[[ディーゼル]]車は当面、[[マツダ]]からOEM供給を受けているS21型バネットバンを継続販売する。欧州市場においては[[日産・キュビスター|キュビスター]]の後継車として販売され<ref>[http://www.whatvan.co.uk/index.php?option=com_content&task=view&id=809&Itemid=54 Nissan NV200] What Van?{{en icon}}</ref>、欧州日産の商用車ラインアップのエントリーモデルとなる。<br />
<br />
チーフデザイナーは同社のミニバンである[[日産・セレナ|セレナ]]も務めた<ref>[http://www.g-mark.org/search/Detail?id=31423&sheet=outline&lang=ja グッドデザインファインダー ミニバン] Good Design Award</ref>倉岡亨一が担当した。サイドの窓周りはスムーズな仕上がりで、窓のないルートバン(ブラインドバン)でも凹凸は少ない。その面一感を壊さぬよう、開閉式のリアサイドウインドウにもプラグ式が採用されている。<br />
<br />
日本市場向けの製造は[[日産車体]]湘南工場で行われる。また、日本だけでなく、[[2009年]]秋には'''NV200'''の名称で欧州で、2010年6月には[[中華人民共和国|中国]]市場でも発売された<ref>[http://www.nissan.com.cn/news/news/newscenter_detail.php?newsid=797 郑州日 NV200正式上市 引领中国CDV进入全新时代] NISSAN-新闻中心</ref>。また、欧州向けの車両は[[スペイン]]の[[日産モトール・イベリカ]]によって2009年11月から製造され<ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2464 NV200: Nissan's new global van makes European debut at Barcelona Motor Show] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>、中国向けの車両については2010年から同国[[鄭州日産汽車]]第二工場で製造される計画となっている<ref>[http://www.ipnext.jp/news/index.php?id=4710 日産、中国の生産拠点で「東風」「日産」のダブルブランド戦略を始動] IP NEXT</ref><ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2607 Nissan NV200 is the International Van of the Year 2010] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>。<br />
<br />
[[2011年]][[5月3日]]にはNV200が[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]]のタクシー、「ニューヨークタクシー」(通称:[[イエローキャブ_(タクシー)|イエローキャブ]])の次世代標準機種に選出された。それまで16車種を使用していたニューヨーク市の13,237台が[[2013年]]から[[2018年]]までに順次NV200に入れ替わり、契約規模は10年間で約10億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]に達する<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=a.Pijr7w3wfQ 日産自動車:NY市の次世代「イエローキャブ」供給-13年から] Bloomberg.co.jp 2011年5月4日</ref><ref>[http://www.nissannews.com/pressrelease/2444/181/nissan-nv200-selected-new-york-city%E2%80%99s-taxi-tomorrow Nissan NV200 Selected As New York City's “Taxi Of Tomorrow”] Nissan/Infiniti News Room{{en icon}}</ref>。<br />
<br />
翌[[2012年]][[2月8日]]には[[シカゴオートショー]]にて北米向けのNV200コンパクトカーゴバンも発表された<ref>{{cite web<br />
| title=2013 Nissan NV200 goes after Transit Connect's lunch money<br />
| url=http://www.autoblog.com/2012/02/08/2013-nissan-nv200-chicago-2012/<br />
| author=Zach Bowman<br />
| publisher=Autoblog<br />
| date=2012-02-08<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。北米仕様車はカーゴバン、イエローキャブ専用車(5人乗り)とも三分割グリルが装着され、2.0L 4気筒エンジンが搭載される。また、ホイールハブも5穴化され、タイヤサイズも日本仕様と比べると若干大型化されている。ボディサイズは全般的に一回り拡大されており、ホイールベースは約200mm、全幅は約30mm拡大されている <ref>[http://bdfd.com/ja/Forums/1/1/430/2013+Nissan+NV200 , http://blogs.yahoo.co.jp/canime7201/2910891.html , http://www.caranddriver.com/news/2013-nissan-nv200-photos-and-info-news]</ref>。<br />
製造は[[メキシコ]]日産自動車会社[[クエルナバカ]]工場にて行われる。<br />
<br />
2011年10月からは[[三菱自動車工業]]に[[三菱・デリカD:3|デリカD:3]]および5代目[[三菱・デリカ|デリカバン]]としてOEM供給されている<ref>[http://www.mitsubishi-motors.com/publish/pressrelease_jp/products/2011/news/detail4503.html 三菱自動車、5ナンバーミニバン『デリカD:3』と小型商用車『デリカバン』を新発売] 三菱自動車工業 プレスリリース 2011年10月6日</ref>。<br />
<br />
==メカニズム==<br />
日本仕様車は1.6L [[日産・HRエンジン|HR16DE]]型ガソリンエンジンのみを搭載し、4速[[オートマチックトランスミッション|AT]] (E-ATx) および5速[[マニュアルトランスミッション|MT]]が組み合わせられる。欧州仕様車には[[ルノー]]製の1.5L K9K型ディーゼルエンジンも搭載され、5速MTのみが組み合わせられる。また、中国仕様車にはHR16DE型エンジンに5速MTを組み合わせたモデルのみがラインアップされる。<br />
<br />
[[プラットフォーム (自動車)|プラットフォーム]]には[[日産・Bプラットフォーム|Bプラットフォーム]]が採用され、[[前輪駆動]]の採用と、後輪[[サスペンション]]の小型化により低床化がなされた。サスペンションスプリングは乗り心地に優れるテーパードモノリーフ<ref>欧州の[[商用車]]に良く見られる、両端がテーパー状に薄くなった単板リーフスプリングのこと。モノリーフは重ね板ばねに比べ、軽く、板間[[摩擦]]がないため動きがよく、反発力が急に高まることもない。さらに両端をテーパー状に成型することで微小ストローク域での乗り心地も良くなる。切りっぱなしのばねに比べ成型工程が増えるため、コスト重視の日本車では少数派である。なお、重ね板ばねではあるが、日産は[[日産・パトロール|60型系パトロール]]、および[[日産・サファリ|160型系サファリ]]でテーパードリーフスプリングの使用実績を持つ。</ref>で、リア側をベルリンアイばねが目玉(ブッシュの入る輪)の中心に位置する。テーパードリーフ同様メリットはあるが、曲げ工程が増えるため、これも日本車では少数派。</ref>として、高さを抑えると共に、ばねの暴れを防いでいる。リアのホイールハウスは非常に小さく、荷室への張り出しはごく少ない。ホイールハウス間は1220mmあり、[[パレット#主なサイズ|欧州規格(1200×800mm)]]の[[パレット]]が収まる寸法となっている。<br />
<br />
また、乗用モデルについては、大荷重を想定していないため、リアサスペンションが専用チューンとなり、ばね・ダンパーもよりソフトとなり、その代わり、リア[[スタビライザー]]が追加されている<ref>[http://www.webcg.net/WEBCG/impressions/i0000021315.html?pg=1 日産NV200バネット(FF/4AT)【短評】] webCG</ref>。また、欧州仕様については高速志向の専用チューンとなり、前後にスタビライザーが追加される<ref>[[ネコ・パブリッシング]]『car MAGAZINE』No.374 今月のちょい乗りレビュー</ref>。<br />
<br />
従前の[[日産・バネット|バネット]]は、[[キャブオーバー]]スタイルとすることで、全長に対して室内容積を大きく取っていたが、NV200バネットは日本国外での販売も想定して開発されたため、操縦安定性・衝突安全性および快適性に優れる[[ボンネット]]スタイルとなった。しかしながら[[前輪駆動|FFレイアウト]]の採用により生じる前席下部の空間を活用することで、細長いものであれば3mまで収納することができ、NV200の開発陣は、同じく5ナンバーサイズとなる[[トヨタ・タウンエース]]/[[トヨタ・ライトエース|ライトエース]]に積載性能で負けているところはないと語っている。また、運転席周りの収納スペースについてはS21型バネットの2倍となった<ref>[http://gazoo.com/NEWS/NewsDetail.aspx?NewsId=3dc7173a-f027-4d18-9cb1-ad37a7ba1def 日産自動車、小型商用車「NV200バネット」発売] GAZOO.com</ref>。<br />
<br />
また、環境性能も大幅に向上され、全車で「平成17年基準排出ガス75%低減レベル(☆☆☆☆)」認定を取得。また、バンは「平成27年度燃費基準+20%」または「平成27年度燃費基準+10%」を達成している。<br />
<br />
==ラインアップ==<br />
[[ファイル:NISSAN NV200 VANETTE 16S.jpg|thumb|right|200px|16S]]<br />
[[ファイル:NISSAN NV200 VANETTE Taxi rear.jpg|thumb|right|200px|タクシー]]<br />
日本仕様車のNV200バネットにはバンおよびワゴンが用意される。当初、バンには「DX」・「GX」が、ワゴンには「16S」が用意され、3グレード展開となっていた。「DX」には2列5人乗り仕様の他、1列2人乗り仕様も用意され、同じく1列2人乗りのルートバンタイプも設定される。また、ワゴンの「16S」は3列7人乗りで、[[ミニバン]]としての素養を備えており、2列目、3列目は降りたたんでラゲッジスペースとすることもできる。<br />
<br />
ワゴンは2010年10月にラインナップを刷新し、従来設定されていた「16S」は内装をフルトリム化すると共に、カップホルダーや小物入れを2列目・3列目にも追加。また、フロントフォグランプを標準装備化してグレード名を「16X-3R」(3[[ロウ]])に変更すると共に、ユーザーのニーズに応える形で同仕様の2列シート車「16X-2R」を新たに設定した。「16X-2R」ではワゴンでは標準装備であったCDプレーヤーをオーディオレス仕様に変更されている。また、バンについても同年12月に「DX」と「GX」の中間グレードである「VX」が追加された。「VX」は最上級グレードから電動ドアミラーや上下調整式[[ヘッドレスト]]等の装備が省略される。<br />
<br />
エクステリアデザインにおける違いについては、バン「VX」・「GX」およびワゴンにカラードバンパーおよびフルホイールカバーが装備される。またワゴンにはMTが用意されない。<br />
<br />
また、2010年12月22日には日本国内で[[タクシー]]用モデル「NV200 バネットタクシー」が発売になり<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2010/_STORY/101222-01-j.html 「NV200バネットタクシー」を発売] NISSAN PRESS ROOM</ref>、さらに、[[日産・リーフ|リーフ]]に次ぐ量産[[電気自動車]]として同車をベースとしたEVが[[2013年]]に発売される予定となっている<ref>[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=2602 Nissan Releases Concept Sketch of Light Commercial Electric Vehicle] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref><ref name="Hanover">[http://newsroom.nissan-europe.com/EU/en-gb/Media/Media.aspx?mediaid=40725 Nissan Unveils Future Heavy Van In A World Premeire At The 63rd Hanover Motor Show] Nissan Media Europe{{en icon}}</ref>。タクシー仕様車については、[[#概要|上述]]のようにニューヨーク市のイエローキャブ仕様車も存在する。<br />
<br />
欧州仕様車については、2009年秋に日本仕様の2人乗りルートバンに相当するモデルが「バン」として、そして乗用および貨客兼用の5人乗りあるいは7人乗りモデルが「コンビ」として発売された。バンについては全車、コンビについても一部グレードではバックドアが日本国内向けにはない[[観音開き]]となる。また、2011年1月以降[[ドイツ]]および[[スイス]]を皮切りに順次5/7人乗りの乗用モデル「EVALIA」も追加される。<br />
{{-}}<br />
<br />
==年表==<br />
;[[2008年]][[12月22日]]<br />
:NV200の発売を発表<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2008/_STORY/081222-02-j.html 日産自動車、コンパクトな車体に広い積荷スペースを備えた新型LCV「NV200」を2009年度に発売] NISSAN PRESS ROOM</ref>。<br />
;[[2009年]][[2月24日]]<br />
:欧州仕様「バン」および「コンビ」の画像が公開。<br />
;2009年3月<br />
:第79回[[ジュネーヴモーターショー]]にて乗用モデルが発表。<br />
;2009年[[4月2日]]<br />
:同年5月中旬に日本で発売することを発表し、同時に事前販売活動を開始。<br />
;2009年[[5月21日]]<br />
:日本国内で販売開始。<br />
;2009年10月<br />
:欧州市場において[[商用車|商用モデル]]を発売。<br />
:同月、第41回[[東京モーターショー]]にてNV200バネットタクシーを参考出品。<br />
;2009年11月<br />
:「インターナショナル・バン・オブ・ザ・イヤー2010」を受賞。<br />
:[[マツダ]]へ[[マツダ・ボンゴ|ボンゴ]]として[[OEM]]供給開始。<br />
;[[2010年]][[6月18日]]<br />
:中国国内で販売開始。<br />
;2010年[[10月28日]]<br />
:ワゴンのラインナップを刷新し、「16S」に替わり、「16X-2R」・「16X-3R」が追加。<br />
;2010年[[12月22日]]<br />
:「VX」並びにタクシー仕様車「NV200 バネットタクシー」を追加。<br />
;2011年10月<br />
:[[三菱自動車工業]]へ[[三菱・デリカD:3|デリカD:3]]及び5代目[[三菱・デリカ|デリカバン]]としてOEM供給開始。<br />
;2012年[[1月5日]]<br />
:[[インド]]の[[ニューデリーオートエクスポ]]にてインド日産が「EVALIA(エバリア)」(7人乗り)として出展。[[チェンナイ]]工場で生産されるエバリアは乗用車として展開される。<ref>{{cite web<br />
| title=Nissan unveils NV200 MVP known as Evalia for Indian auto market at Delhi Auto Show (Photos)<br />
| url=http://www.rushlane.com/nissan-unveils-nv200-mvp-known-as-evalia-for-indian-auto-market-at-delhi-auto-show-photos-1226553.html<br />
| author=Sagar Patel<br />
| publisher=Rush Lane<br />
| date=2012-01-06<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。また、日産とLCV(小型商用車)事業で提携している[[アショク・レイランド]]もNV200をベースとする「STILE(スティーレ)」[[コンセプトカー|コンセプト]]を発表した<ref>{{cite web<br />
| title=Ashok Leyland - Nissan JV unveil their first passenger vehicle and LCV at Delhi Auto Expo<br />
| url=http://www.rushlane.com/ashok-leyland-nissan-jv-unveil-their-first-passenger-vehicle-and-lcv-at-delhi-auto-expo-1226798.html<br />
| author=Sagar Patel<br />
| publisher=Rush Lane<br />
| date=2012-01-10<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。両者は製造、販売とも完全に独立して行われる<ref>{{cite web<br />
| title=2012 Auto Expo - Ashok Leyland Stile and Partner unveiled!<br />
| url=http://www.bsmotoring.com/news/2012-auto-expo-ashok-leyland-stilepartner-unveiled/4472/1<br />
| publisher=BS Motoring<br />
| date=2012-01-07<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref>。<br />
;2012年[[1月9日]]<br />
:[[北米国際自動車ショー]]にて[[電気自動車|動力を電気]]とした「e-NV200コンセプト」を発表。電力、動力関係は同社の[[日産・リーフ|リーフ]]をベースとしており、前年から[[フェデックス|FedEx]]の協力を得て、[[ロンドン]]市内でデータ取りのためのテストが行われている。量産開始は[[2014年]]を予定している<ref>[http://www.env200.com/JP/ e-NV200 紹介ページ]</ref>。<br />
;2012年[[2月8日]]<br />
:[[シカゴオートショー]]にて北米向けNV200コンパクトカーゴバンが発表される。<br />
;2012年[[2月18日]]<br />
:[[マレーシア]]のタンチョン・モーターがNV200バネットを発売。長らく製造されてきたC22バネットに代わる車種となる<ref>{{cite web<br />
| title=Nissan NV200 Vanette launched – successor to the C22<br />
| url=http://paultan.org/2012/02/18/nissan-nv200-vanette-launched-successor-to-the-c22/<br />
| author=Danny Tan<br />
| publisher=paultan.org<br />
| date=2012-02-18<br />
| accessdate=2012-02-18<br />
}}</ref><br />
;2012年[[3月6日]]<br />
:[[サロン・アンテルナショナル・ド・ロト|ジュネーブモーターショー]]12にて、欧州で初めてe-NV200コンセプトを発表。<br />
;2012年5月15日<br />
:同年1月に発表した「e-NV200」をベースにしたモニター車を[[イオンリテール]]に約1ヶ月間貸与し、[[首都圏]]向け「イオン[[ネットスーパー]]」の配達車両として実証走行を開始<ref>{{cite web<br />
| title=日産自動車、「NV200」をベースとした電気自動車の実証運行をイオンリテール株式会社と開始<br />
| url=http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2012/_STORY/120515-01-j.html<br />
| publisher=NISSAN PRESS ROOM<br />
| date=2012-05-15<br />
| accessdate=2012-06-08<br />
}}</ref>。<br />
;2012年[[6月8日]]<br />
:一部仕様を改良。安全に関する法規制強化に伴うスライドドア強度要件への対応を行うとともに、ワゴンはセカンドシート中央3点式シートベルトを新たに採用した。<br />
<br />
==車名の由来==<br />
NVは'''N'''ew generation '''V'''ehicle(新世代の乗り物)を意味し、「'''200'''」は車格([[車両総重量]]2,000kg未満)を表している。また、'''バネット'''のサブネームは同社の商用車である「[[日産・バネット|バネット]]」に由来している。<br />
<br />
==受賞==<br />
;2010年<br />
*インターナショナル・バン・オブ・ザ・イヤー<br />
*プロフェッショナルバン&ライトトラックマガジン「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
*ホワット・バン?「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
*ITM「バン・オブ・ザ・イヤー」<br />
<br />
==脚注==<br />
===注釈===<br />
{{Reflist|group=※}}<br />
<br />
=== 出典 ===<br />
{{reflist}}<br />
<br />
==関連項目==<br />
{{Commonscat|Nissan NV200}}<br />
*[[日産・NV200 (コンセプトカー)]]<br />
*[[日産・バネット]]<br />
*[[日産・セレナ]]<br />
*[[日産・インタースター]]<br />
*[[日産・プリマスター]]<br />
*[[日産・キュビスター]]<br />
*[[三菱・デリカD:3]] - [[バッジエンジニアリング|OEM]]車種<br />
*[[三菱・デリカ]] - バンがOEM車種<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.nissan.co.jp/NV200VANETTE/ 日産:NV200バネット ミニバン/ワゴン Webカタログ ホーム]<br />
*[http://biz.nissan.co.jp/SPECIAL/TAXI/index.html Biz NISSAN:NV200 バネットタクシー]<br />
<br />
{{NISSAN}}<br />
{{NISSAN Timeline}}<br />
{{DEFAULTSORT:NV200はねつと}}<br />
[[Category:日産の車種]]<br />
[[Category:貨物自動車]]<br />
[[Category:ミニバン]]<br />
[[en:Nissan NV200]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2&diff=401183
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
2022-08-27T05:10:21Z
<p>PG: </p>
<hr />
<div>{{独自研究}}<br />
'''マーティン・ルーサー・キング・ジュニア'''('''Martin Luther King, Jr'''、[[1929年]][[1月15日]] - [[1968年]][[4月4日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[プロテスタント]][[バプティスト派]]の[[牧師]]である。'''キング牧師'''の名で知られる、[[アフリカ系アメリカ人]][[公民権運動]]の指導者的役割を果たした[[活動家]]。<br />
<br />
「'''I have a dream'''」(私には夢がある)で知られる有名な[[スピーチ]]を行った人物。[[1964年]]の[[ノーベル平和賞]]受賞者。[[2004年]]の[[議会名誉黄金勲章]]受賞者。アメリカの[[人種差別]](特に[[アフリカ系アメリカ人]]に対する差別)の歴史を語る上で重要な人物の1人である。<br />
<br />
== 生い立ち ==<br />
=== 初めての差別 ===<br />
[[1929年]]、[[ジョージア州]][[アトランタ (ジョージア州)|アトランタ市]]で[[バプティスト派]][[牧師]]マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。父・マイケルと同じ名前を付けられたがマイケルは[[1935年]]に'''マーティン'''と改名し、息子も同様としたため「'''マーティン・ルーサー・キング Jr.'''」となった。[[宗教改革]]をはじめた[[マルティン・ルター]]から父親が名前を取ってつけた名前である。<br />
<br />
幼少の頃隣に[[白人]]の家族が住んでおり同年の男の子2人と遊んでいたがマーティンが6歳のある日、彼らの母親が「([[黒人]]であるマーティンとは)二度と遊ばせません!」と宣言した。これが人生で初めての[[差別]]体験であった。また高校時代には[[討論大会]]で優勝したが帰り道にバスの中で白人から席を譲れと強制され、激しく怒った。これが後のバス・ボイコットにつながっていく。<br />
<br />
=== 牧師として ===<br />
[[モアハウス大学]]卒業後、[[ペンシルヴァニア州]]のクローザー神学校を経て父親と同じくバプティスト派の牧師となる。その後[[1955年]]に[[ボストン大学]]神学部で[[博士号]]を取得した。<br />
<br />
ボストン大学に在学中、コレッタ・スコット・キング(Coretta Scott King)と知り合って結婚した。コレッタは4人の子供を育て、マーティンが亡くなった後も夫の意思を継ぎ「非暴力社会変革センター」を設立。映画やTV、ビデオ・ゲームなどの暴力シーンを無くす運動を精力的に行ったり無暴力運動、人種差別撤廃、貧困層救済の運動を指導して世界を行脚した。彼女は[[2005年]]8月16日に[[脳卒中]]で倒れて[[半身不随]]となり、[[2006年]][[1月31日]]に78歳で死去した。<br />
<br />
またボストン大学在学中に飲食店に入った際、マーティンが黒人である事に腹を立てて店員が注文を取りに来なかったがボストンが北部であったため、店員は人種差別として即逮捕となった。マーティンには南部で当たり前だったこの行為に、ひどく驚いたという。<br />
<br />
== 公民権運動 ==<br />
=== 法的差別 ===<br />
[[1862年]]9月に[[エイブラハム・リンカーン]][[大統領]]によって行われた[[奴隷解放宣言]]によりアメリカ合衆国での奴隷制は廃止され、主としてアフリカ系アメリカ人は奴隷のくびきからは脱していた。しかし奴隷制度からの解放は直ちに[[人種差別]]の撤廃を意味するものではなく、その後も人種によって取り扱いを異なるものとすること、特に[[学校]]や[[便所|トイレ]]、[[プール]]などの公共施設や[[バス (交通機関)|バス]]などの公共交通等において[[白人]]と[[有色人種]]等の区別に基づき異なる施設を用いることは容認されたままであった。この様な状況は、アメリカが「自由で平等な{{要出典}}」、「[[民主主義]]の橋頭堡{{要出典}}」として参戦した<ref>[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領はミシガン州デトロイト市の大工業地帯を「民主主義の工廠」と呼んだ。</ref>[[第二次世界大戦]]後も続いており、むしろ法令上もかかる取り扱いを義務付けていたことすらあった。<br />
<br />
[[1954年]]以来、[[アラバマ州]][[モンゴメリー (アラバマ州)|モンゴメリー]]のバプティスト派教会牧師も兼ねていたが[[1955年]]12月にモンゴメリーで発生した[[ローザ・パークス]]逮捕事件に抗議してモントゴメリー・バス・ボイコット運動を指導する。11ヶ月後に裁判所から呼び出しがあり運動中止命令かと思っていた所、[[アメリカ連邦最高裁判所|連邦最高裁判所]]からバス車内人種分離法違憲判決(法律上における[[人種差別]]容認に対する違憲判決)を勝ち取る。これ以降、アトランタでバプティスト派教会の牧師をしながら全米各地で公民権運動を指導した。<br />
<br />
=== 「非暴力主義」 ===<br />
[[Image:Martin Luther King - March on Washington.jpg|thumb|right|240px|[[1963年]]8月、[[ワシントン大行進]]にて、“[[I Have a Dream]]”の演説を行うキング]]<br />
マーティンの提唱した運動の特徴は徹底した「[[非暴力|非暴力主義]]」である。[[インド]]独立の父、[[マハトマ・ガンディー]]に啓蒙され、また自身の牧師としての素養も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫いた。一見非暴力主義は無抵抗で弱腰の姿勢と勘違いされがちだが、マーティンのそれは「非暴力抵抗を大衆市民不服従に発展させる。そして支配者達が「黒人は現状に満足している」と言いふらしてきた事が嘘であることを全世界中にハッキリと見せる」{{要出典}}という決して単なる弱腰姿勢ではなかった{{要出典}}。<br />
<br />
事実、[[1963年]]5月にアラバマ州[[バーミングハム (アラバマ州)|バーミングハム]]で起きたデモの中で丸腰の黒人青年に[[警察犬]]をけしかけ襲わせている警官や[[警棒]]で滅多打ちにする警官、高圧ホースで水をかける警官などの姿が映し出され世論は次第にそれらの暴力に拒絶反応を示していった。<br />
<br />
公民権運動にあたっては、主として南部諸州における人種差別的取扱いがその対象となった。通常、差別的取り扱いには州法上の法的根拠が存在し運用を実際に行う政府当局ないしは警察なども公民権運動には反対の姿勢をとることが多かったことから、公民権運動は必然的に州政府などの地域の権力との闘争という側面を有していた。合衆国においては州と連邦との二重の統治体制が設けられている中で連邦政府ないしは北部各州は南部各州の州政府に比れば人種差別の撤廃に肯定的であり、州政府ないしは[[州兵]]に対し連邦政府が連邦軍兵士を派遣して事態の収拾を図るケースも見られた。<br />
<br />
なおマーティンも[[1963年]][[4月12日]]にバーミングハムで行われた抗議デモの際自らバーミングハム市警に逮捕され、[[4月19日]]まで拘置所の独居房に投獄されたこともある。<br />
<br />
=== 「I Have a Dream」 ===<br />
この年に行われた[[ワシントン大行進]]において[[リンカーン記念堂]]の前で有名な“[[I Have a Dream]]”(私には夢がある)で始まる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え広く共感を呼んだ。<br />
<br />
当該箇所の演説は即興にて行われたものといわれるがその内容は高く評価され、[[1960年]]に就任した[[ジョン・F・ケネディ]][[大統領]]の就任演説と並び[[20世紀]]のアメリカを代表する名演説として有名である。<br />
<br />
=== 勝利 ===<br />
[[Image:Lyndon Johnson signing Civil Rights Act, 2 July, 1964.jpg|thumb|right|240px|[[ホワイトハウス]]で公民権法施行の文書に署名する[[リンドン・B・ジョンソン]]大統領(後列中央がキング)]]<br />
マーティンを先頭に行われたこれらの地道かつ積極的な運動の結果、アメリカ国内の世論も盛り上がりを見せついに[[リンドン・B・ジョンソン]]政権下の[[1964年]][[7月2日]]に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった。<br />
<br />
なお、公民権法案を議会に提出したのはジョンソン大統領が[[副大統領]]であったケネディ政権時代のことである。そのためケネディ大統領は黒人社会から絶大な支持を受け、一方で南部支配(白人の保守派)層からは敵意にも似た批判を浴びることになっていく。また、ケネディ大統領を継いだジョンソン大統領は人種差別を嫌う自らの信条のもとマーティンとともにこれを推進し公民権法の早期制定に持ち込んだ。<br />
<br />
なお公民権運動に対する多大な貢献が評価され、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための[[非暴力]]抵抗運動」を理由にマーティンに対し1964年度の[[ノーベル平和賞]]が授与されることに決まった(受賞は[[12月10日]])。これは史上最年少の受賞であり、黒人としては3人目の受賞である。「受賞金は全てのアフリカ系アメリカ人のものだ」とコメントした。ただし当時の全てのアフリカ系アメリカ人がキングに同意していたわけではなく、一部の過激派は[[マルコムX]]を支持しマーティンの非暴力的で融和的な方針に反発した。<br />
<br />
=== マルコムXとの関係 ===<br />
上記のように暴力的手法を含む強行的な手段による人種差別の解決を訴え同時期に一気に支持を得て台頭し始めていたマルコムXが[[1965年]]2月に[[暗殺]]されると、マルコムXとはその手段において相当の隔絶があったにも関わらず「マルコムXの暗殺は悲劇だ。世界にはまだ、暴力で物事を解決しようとしている人々がいる」と語った。しかしその数年後、マーティン自身も暗殺される。<br />
<br />
一時期は公然とマーティンの姿勢を批判し演説の中で非暴力抵抗を笑いものにしていた事さえあったマルコムXだったが、暗殺の前年には自らの過激な思想の中核をなしていたブラック・モスリムの[[ネーション・オブ・イスラム]]教団と手を切っていた。<br />
<br />
また、新たな思想運動のステップを登るべく「なんとかキング牧師と会って話がしたい」と黒人[[社会学者]][[ケニス・クラーク]]の仲介で会談を持とうと模索している矢先のできごとであった。マーティンはそのためにマルコムXの暗殺を特に嘆いていた。<br />
<br />
=== その後の黒人解放運動 ===<br />
[[ワシントンDC]]への20万人デモで最高の盛り上がりを見せ公民権法を勝ち取った黒人解放運動はその後、生前のマルコムXやその支持者を代表とする過激派や極端派などへ内部分裂を起こしていきマーティンの非暴力抵抗は次第に時代遅れなものになっていった。<br />
<br />
黒人運動は暴力的なものになり「ブラック・パワー」を提唱する[[ストークリー・カーマイケル]]に代表されるような強硬的な指導者が現れたり(「ブラック・パワー運動」といわれる事もある)、[[ブラックパンサー党]]が結成されたり[[1967年]][[夏]]に[[ニュージャージー州]]で大規模な黒人暴動が起きるに至って世論を含め白人社会との新たな対立の時代に入っていく。また、呼応するように白人からの黒人に対する暴力事件も各地で増えていった。<br />
<br />
キング牧師はその要因を自身の演説の中で以下のように分析し、「すべての罪が黒人に帰せられるべきではない」と結論付けた。<br />
#公民権法成立は黒人から見ると解放運動の最初のステップでしかなかったが、白人社会は「これで問題は片付いた」とゴールだと位置づけた。<br />
#深く根付いた差別意識は依然として教育や[[雇用]]の場に蔓延しており、黒人は階段の入り口には立てても頂点には上っていけない。<br />
#差別意識により雇用の機会を奪われた黒人の[[失業]]問題は、白人に比べ深刻である。<br />
#[[ベトナム戦争]]により黒人は多数徴用され、その多くは最前線で戦わせられている。彼らは母国で[[民主主義]]の恩恵を受けていないのに、民主主義を守るために戦争に狩り出されている。<br />
#大都市では[[スラム街]]に黒人が押し込められ、戦争のためにそのインフラ整備等の環境問題はないがしろにされている。<br />
<br />
そして「ベトナム戦争反対」の意思を明確に打ち出しながら、「ブラック・パワー」に対し「グリーン・パワー」(緑はアメリカで紙幣に使われる色、つまり「金の力」)などでさらなる黒人の待遇改善を訴えていった。一方で自身でも時代遅れになりつつあることを自覚していながらも非暴力抵抗の可能性を信じ、それを黒人社会に訴えていった。<br />
<br />
== 暗殺 ==<br />
[[Image:Martin Luther King was shot here Small Web view.jpg|right|thumb|240px|キングが暗殺されたモーテル]]<br />
[[Image:MLK tomb 2.jpg|right|thumb|240px|キング牧師の棺]]<br />
その後、マーティンは泥沼化が進むベトナム戦争反対運動にも立ち上がったが時代の中で「黒人社会」からも「白人社会」からも徐々に孤立していきマーティンを邪魔だと考える「敵」が増えていった。爆弾テロや刺殺(犯人は精神障害のある黒人女性)未遂もあったが、奇しくも命をとりとめている。<br />
<br />
その様な状況下でも精力的に活動を続けていたものの、[[1968年]][[4月4日]]に遊説活動中の[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]で"I've Been to the Mountaintop"(私は山頂に達した)とメイソン・テンプルで遊説後、メンフィス市内のロレアンヌ・[[モーテル]]の[[バルコニー]]で白人男性のジェームス・アール・レイに撃たれる。弾丸は喉から脊髄に達し病院に搬送されたが、間もなく死亡した。葬られた墓標には「ついに自由を得た」と穿たれている。<br />
<br />
暗殺の前日にキング牧師がおこなった最後の演説は詳しくは以下のようなものであり、自らの死を予見したかのようなその内容は“I Have a Dream”と共に有名なものとなった。<br />
<br />
''…前途に困難な日々が待っています。''<br />
''でも、もうどうでもよいのです。''<br />
''私は山の頂上に登ってきたのだから。''<br />
<br />
''皆さんと同じように、私も長生きがしたい。''<br />
''長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。''<br />
''神の意志を実現したいだけです。''<br />
''神は私が山に登るのを許され、''<br />
''私は頂上から約束の地を見たのです。''<br />
<br />
''私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、''<br />
''ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。''<br />
<br />
''今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。''<br />
''神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。''<br />
<br />
== キングの死後 ==<br />
アメリカではマーティンの栄誉を称え、[[ロナルド・レーガン]]政権下の[[1986年]]よりキングの誕生日(1月15日)に近い毎年1月第3月曜日が「'''マーティン・ルーサー・キング・デー'''」(Martin Luther King, Jr. Day)として[[祝日]]になっている。なお、アメリカにおいて祝日となった故人は他に[[クリストファー・コロンブス]]と[[ジョージ・ワシントン]]の2人である。<br />
<br />
アメリカ国内において[[アングロサクソン]]系を中心とした白人によるアフリカ系アメリカ人や[[ネイティブ・アメリカン]]、[[日系アメリカ人]]をはじめとする[[少数民族]]に対する[[人種差別]]は未だなくなっていないものの、運動の結果、公民権法が施行されたことによる法的側面からの人種差別撤廃の動きを平和的な手段によって大きく前進させた意味は大きいといえる。公民権運動に携わった時期及び凶弾に倒れた際の話は、[[日本]]の[[中学校]]3年英語教科書の教材として使用されている。<br />
<br />
「人は兄弟姉妹として共に生きていく術を学ばなければならない。さもなくば、私たちは愚か者として滅びるだろう」は、マーティンがメンフィスで語った言葉である。<br />
<br />
== 楽曲 ==<br />
*[[吹奏楽]]曲であるJ・ホセイ作曲の『ひとつの声に導かれる時』はマーティンの公民権運動がテーマとなっている。<br />
*[[スティーヴィー・ワンダー]]の楽曲『ハッピー・バースディ』(「[[ホッター・ザン・ジュライ|Hotter Than July]]」に収録)はマーティンの誕生日に捧げた曲である。<br />
*[[U2]]の楽曲『MLK』『PRIDE(IN THE NAME OF LOVE)』(「[[焔|The Unforgettable Fire]]」に収録)はマーティンに捧げた曲である。<br />
*[[マイケル・ジャクソン]]の『[[マン・イン・ザ・ミラー|Man in the Mirror]]』の[[ショートフィルム]]([[ビデオクリップ]])には、ガンディーらと共に一瞬ではあるがマーティンの映像が登場する。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
*『マーティン・ルーサー・キング自伝』 [[日本基督教団出版局]] ISBN 4818404306<br />
*『[[私には夢がある]]――M・L・キング説教・講演集』 [[新教出版社]] ISBN 4400421228<br />
*『汝の敵を愛せよ』 新教出版社 ISBN 4400520099<br />
*『自由への大いなる歩み――非暴力で闘った黒人たち』 [[岩波書店]][[[岩波新書]]] ISBN 4004150035<br />
*『良心のトランペット』 [[みすず書房]] ISBN 4622049406<br />
*『黒人はなぜ待てないか』 みすず書房 ISBN 4622049392<br />
*『キング牧師とマルコムX』 [[講談社]][[[講談社現代新書]]]ISBN 4061492314<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[クー・クラックス・クラン]]<br />
*[[公民権運動]]<br />
*[[非暴力]]<br />
*[[ヘンリー・デイヴィッド・ソロー]]<br />
*[[マハトマ・ガンディー]]<br />
*[[マルコムX]]<br />
*[[フレデリック・ダグラス]]<br />
*[[南部バプテスト連盟]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.stanford.edu/group/King/ スタンフォード大学 マーティン・ルーサー・キング・プロジェクト](英語)<br />
*[http://www.mecca.org/~crights/dream.html I Have A Dream](英語)<br />
*[http://www.americanrhetoric.com/speeches/mlkihaveadream.htm American Rhetoric : I Have A Dream] スピーチ全文&動画(英語)(20世紀の名スピーチ100中1位にランク)<br />
*[http://longtailworld.blogspot.com/2006/02/i-have-dream-speech.html I Have A Dream](和訳)<br />
*{{Google video|1732754907698549493|I Have A Dream}}<br />
*[http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_01.html 公民権運動・史跡めぐり](日本語)より<br />
:*10. [http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_18.html Selma→Montgomery(アラバマ州)選挙権獲得をめざす大行進(1965)]<br />
:*12. [http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_22.html キング牧師の暗殺(1968)](暗殺現場の現在のレポートも載せている)<br />
*[http://dreamer1.hp.infoseek.co.jp/dream.html キング牧師の部屋(日本語)音声・英文・和訳]<br />
<br />
[[Category:アフリカ系アメリカ人の人物]]<br />
[[Category:ジョージア州の人物]]<br />
[[Category:公民権運動]]<br />
[[Category:非暴力]]<br />
[[Category:ノーベル平和賞受賞者]]<br />
[[Category:キリスト教に関連する人物]]<br />
[[Category:キリスト教聖職者]]<br />
[[Category:暗殺された人物]]<br />
[[Category:1929年生]]<br />
[[Category:1968年没]]<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
PG
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ファイル:MLK tomb 2.jpg
2022-08-27T05:09:27Z
<p>PG: {{Commons/GFDL}}</p>
<hr />
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ファイル:Martin Luther King was shot here Small Web view.jpg
2022-08-27T05:08:38Z
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ファイル:Lyndon Johnson signing Civil Rights Act, 2 July, 1964.jpg
2022-08-27T05:07:16Z
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FOMA
2022-08-27T01:50:31Z
<p>PG: /* データ通信端末 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div><div style="border:solid #699 1px; background:#eff; padding:0.5em; margin:1em 0.5em"><br />
<div style="float:left">[[Image:Split-arrows.svg|left|&#91;分割&#93;]]</div><br />
<div style="text-align:left;margin-left:65px"><span style="text-align:center;font-size:117%">'''項目分割の提案'''</span>:FOMAは文章の一部を機種単体記事に順次分割しております。分割に関する議論は[[Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 携帯電話/携帯電話端末について#端末の記述について]]を参照してください。</div></div><br />
{{予定}}<br />
<br />
'''FOMA'''(フォーマ)は[[NTTドコモ|NTTドコモグループ]]の[[第三世代携帯電話|IMT-2000]] ([[W-CDMA]]) サービス。'''Freedom Of Mobile multimedia Access'''の略。[[第三世代携帯電話]]である。<br />
<br />
以下本項目全体において、日本国[[消費税法]]の規定に基づき、価格表記は原則として消費税課税後の価格を優先する。また、「本体価格」とあるのは、消費税額を除いた金額である。<br />
<br />
== FOMA開始の背景 ==<br />
[[1999年]]から[[2000年]]頃のNTTドコモは、[[NTTグループ|NTT]]ブランドである安心感や[[iモード]]の成功などで、ユーザーが多く、通信帯域が逼迫していた。特に、都市部の[[ターミナル駅]]周辺では、状況によっては(金曜の夜、俗に言う「花金」など)通話用のチャンネルが満杯となってつながりにくいこともあり、チャンネルあたりの占有周波数を半分にするハーフレート化を行ったり、他社の営業譲渡を受け周波数帯を拡大したり、自動的に1.5GHz帯も利用するデュアル端末(211i/504i以降)を発売したりしていたが、限界が来るのははっきりしていた。<br />
<br />
これらのこともあり、ドコモが率先して第三世代携帯電話の規格制定に当たり、[[2001年]][[5月1日]]よりモニター試験の形でサービス開始し、[[10月1日]]に世界で初めて正式サービスを開始した。<br />
しかし、サービス入りを急いだことで、当初発売された端末は連続待ち受け時間が55時間と極端に短く、大きさも通常の[[mova]]よりかなり大きい物だった。また、使用している周波数帯も[[2GHz帯]]と、[[800MHz帯]]を使用していた[[mova]]に比べて高く、W-CDMA方式自体が未熟であったために、「つながらない・圏外になる・切れる」などの不満が爆発した時期もあった。コンテンツ関連では、movaのiモードメニューと互換性が無く、多くのコンテンツが未対応であった。これらの要素から一般市場に受け入れられなかった。<br />
<br />
さらに[[3GPP]](W-CDMAに関する国際標準団体)での仕様決定前に設備や端末を導入してしまったため、[[3GPP]]内で最初に制定された規格のRelease99と互換性がなかった。また、[[ソフトバンクモバイル]]([[SoftBank 3G]])をはじめとして、その後にW-CDMA([[UMTS]])を採用したキャリアは、更に新しいRelease4(別称:Release2000)を使用していたため、[[PDC]]方式に続き、世界で孤立してしまった。これを改善し、海外製のW-CDMA端末の[[ローミング]]を受け入れるためには、最低限Release99準拠へのアップデートを行わなければいけない問題があったが、2004年度に行われた大規模なFOMA基地局の改修工事によって急速にそれらが行われ、晴れて2005年6月にGSMやW-CDMAの国際的な相互接続認証団体のGlobal Certification Forum(GCF)の認定業者となることができた。なお、Release99という規格自体は、その後のRelease4などのバージョンとも互換性が取れるものとなっており、これによりローミングの受け入れ体制に関する問題は解決された。<br />
<br />
また、当初はmovaとは異なる型番ルールを採用していたため、movaユーザーから「異質なもの」として敬遠される傾向もあった。2004年の900iシリーズからはmovaと類似した型番ルールになり、movaからFOMAへの移行も進み始めた。<br />
<br />
現在では'''エリアや通話品質、端末の問題も解消されている'''。[[2006年]][[6月18日]]には契約数比率が50%を超え、2007年9月末時点ではその比率が75.6%、契約数自体も4,000万件を超え、名実共にNTTドコモのメインストリームサービスとなっている。<br />
<br />
== 沿革 ==<br />
* [[2001年]][[5月]] - 試験サービス開始。<br />
* 2001年[[10月]] - 正式サービス開始。[[N2001]]、[[P2101V]]、[[P2401]]発売開始。<br />
* 2001年[[11月]] - [[N2002]]発売開始。<br />
* [[2002年]][[3月]] - [[D2101V]]発売開始。<br />
* 2002年[[4月]] - [[F2611]]発売開始。<br />
* 2002年[[6月]] - [[P2002]]発売開始。<br />
* 2002年[[7月]] - [[SH2101V]]発売開始。<br />
* 2002年[[9月]] - [[T2101V]]発売開始。<br />
* [[2003年]][[1月]] - [[F2051]]、[[N2051]]発売開始。<br />
* 2003年[[3月]] - [[P2102V]]発売開始。<br />
* 2003年[[6月]] - [[N2701]]発売開始。'''50万ユーザー'''を突破。<br />
* 2003年[[7月]] - [[F2102V]]、[[N2102V]]発売開始。<br />
* 2003年[[9月]] - [[F2402]]発売開始。<br />
* 2003年[[10月]] - '''100万ユーザー'''を突破。<br />
* 2003年[[11月]] - [[P2402]]発売開始。ドコモ中央で[[人口カバー率]]99%達成。<br />
* [[2004年]][[1月]] - '''200万ユーザー'''を突破。<br />
* 2004年[[2月]] - [[F900i]]、[[N900i]]、[[P900i]]発売開始。<br />
* 2004年[[3月]] - [[SH900i]]発売開始。'''300万ユーザー'''を突破。全国で人口カバー率99%達成。<br />
* 2004年[[5月]] - [[パケットパック]]値下げ。'''400万ユーザー'''を突破。<br />
* 2004年[[6月]] - 定額コース「[[パケ・ホーダイ]]」開始。[[D900i]]、[[F900iT]]、[[N900iS]]、[[P900iV]]発売開始。<br />
* 2004年[[7月]] - '''500万ユーザー'''を突破。<br />
* 2004年[[8月]] - [[F900iC]]発売開始。<br />
* 2004年[[9月]] - [[FOMAらくらくホン|FOMAらくらくホン(F880iES)]]発売開始。'''600万ユーザー'''を突破。<br />
* 2004年[[10月]] - '''700万ユーザー'''を突破。<br />
* 2004年[[11月]] - 企業向けに[[N900iL]]発売開始。<br />
* 2004年[[12月]] - [[F901iC]]、[[N900iG]]、[[SH901iC]]発売開始。'''800万ユーザー'''を突破。<br />
* [[2005年]][[1月]] - '''900万ユーザー'''を突破。[[N901iC]]発売開始。<br />
* 2005年[[2月]] - [[D901i]]、[[P901i]]、[[F700i]]、[[SH700i]]発売開始。'''1000万ユーザー'''を突破<br />
* 2005年[[3月]] - [[N700i]]、[[P700i]]発売開始。<br />
* 2005年[[6月]] - 「[[FOMAプラスエリア]]」対応、[[D901iS]]、[[F901iS]]、[[N901iS]]、[[P901iS]]、[[SH901iS]]発売開始。<br />
* 2005年[[7月]] - [[F700iS]]、[[SH700iS]]、[[M1000]]発売開始。<br />
* 2005年[[8月]] - DOLCE([[SH851i]])、[[FOMAらくらくホンII|FOMAらくらくホンII(F881iES)]]発売開始。'''1500万ユーザー'''を突破。<br />
* 2005年[[9月]] - [[D701i]]、[[N701i]]発売開始。<br />
* 2005年[[10月]] - [[SA700iS]]、[[P701iD]]発売開始。<br />
* 2005年[[11月]] - FOMAおよび[[mova]]サービス共通の新基本料金プラン導入。[[D902i]]、[[F902i]]、[[N902i]]、prosolid II([[P851i]])発売開始。<br />
* 2005年[[12月]] - [[P902i]]、[[SH902i]]、Music Porter II([[D701iWM]])、[[らくらくホンシンプル|らくらくホンシンプル(D880SS)]]発売開始。'''2000万ユーザー'''を突破。<br />
* [[2006年]][[2月]] - [[F702iD]]、[[N702iD]]、[[P702i]]、[[SH702iD]]発売開始。<br />
* 2006年[[3月]] - 「[[パケ・ホーダイ]]」が全ての新料金プランで使える様になる。[[N701iECO]]、[[D702i]]、キッズケータイ([[SA800i]])、[[NM850iG]]、[[P901iTV]]、[[SO902i]]発売開始。<br />
* 2006年[[4月]] - SIMPURE N([[N600i]])、SIMPURE L([[L600i]])、MUSIC PORTER X([[D851iWM]])発売開始。<br />
* 2006年[[5月]] - [[SO702i]]、[[SH902iS]]発売開始。'''2500万ユーザー'''を突破。<br />
* 2006年[[6月]] - [[D902iS]]、[[F902iS]]、[[N902iS]]、[[P902iS]]、[[SO902iWP+]]発売開始。ユーザー数がmovaを上回る。<br />
* 2006年[[7月]] - [[DOLCE SL]](SH902iSL)、[[SA702i]]、[[SH702iS]]発売開始。<br />
* 2006年[[8月]] - [[P702iD]]発売開始。[[HSDPA]]サービス「[[FOMAハイスピード]]」開始、[[N902iX HIGH-SPEED]]発売開始。<br />
* 2006年[[9月]] - [[FOMAらくらくホンIII|FOMAらくらくホンIII(F882iES)]]、[[D702iF]]、[[M2501 HIGH-SPEED]]発売開始。FOMAデータプラン価格改定&LL導入。<br />
* 2006年[[10月]] - [[SH903i]]発売開始。<br />
* 2006年[[11月]] - [[P903i]]、[[D903i]]、[[F903i]] 、[[N903i]]、[[SIMPURE L1]]、[[SO903i]]発売開始。'''3000万ユーザー'''を突破。<br />
* 2006年[[12月]] - SIMPURE N1([[N601i]])、[[M702iS]]、[[M702iG]]発売開始。<br />
* [[2007年]][[1月]] - [[N703iD]]発売開始。<br />
* 2007年[[2月]] - [[P703i]]、[[F703i]]、[[D703i]]、[[P703iμ]]、[[SH703i]]、[[D800iDS]]、[[N902iL]]、[[D903iTV]]、[[F903iX HIGH-SPEED]]、[[N703iμ]]、[[SO703i]]、[[P903iTV]]、[[SH903iTV]]発売開始。<br />
* 2007年[[3月]] - 定額コース「[[パケ・ホーダイフル]]」開始、[[F903iBSC]]発売開始。[[沖縄県]][[南大東村]]・[[北大東村]]をカバーし、'''全国人口カバー率100%'''を達成。'''3500万ユーザー'''を突破。FOMAサービス契約数が、携帯電話・自動車電話サービス契約数全体の3分の2を超える。<br />
* 2007年[[4月]] - 定額コース「[[Biz・ホーダイ]]」開始、[[M702iS|M702iS DOLCE&GABBANA]]、[[らくらくホンベーシック|らくらくホンベーシック(F883i)]]、[[P903iX HIGH-SPEED]]発売開始。<br />
* 2007年[[5月]] - [[N904i]]、[[SH904i]]発売開始。[[2in1]]、[[直感ゲーム]]、定額コース「[[うた・ホーダイ]]」サービス開始。<br />
* 2007年[[6月]] - [[F904i]]、[[D904i]]、[[P904i]]、[[SO903iTV]]、[[SIMPURE L2|SIMPURE L2(L602i)]]発売開始。<br />
* 2007年[[7月]] - [[SO704i]]、[[F704i]]、[[N704iμ]]、[[SH704i]]、[[P704iμ]]発売開始。<br />
* 2007年[[8月]] - [[らくらくホンIV|らくらくホンIV(F883iES)]]、[[D704i]]、[[P704i]]発売開始。<br />
* 2007年[[9月]] - '''4000万ユーザー'''を突破。<br />
* 2007年[[10月]] - [[L704i]]発売開始。定額制データ通信「[[定額データプランHIGH-SPEED]]」、「[[定額データプラン64K]]」サービス開始。<br />
* 2007年11月 - [[D905i]]・[[F905i]]・[[N905i]]・[[N905iμ]]・[[P905i]]・[[SH905i]]・[[SO905i]]発売開始。同時に、料金体系を抜本改定([[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]・[[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]を導入)。<br />
* [[2008年]]1月 - [[SH905iTV]]・[[P705i]]・[[D705i]]・[[D705iμ]]」発売開始<br />
* 2008年2月 - [[N705i]]発売開始<br />
<br />
== サービスの特徴 ==<br />
=== 契約体系 ===<br />
従来の[[電話機]]単位の契約から[[FOMAカード]]([[UIMカード]])単位の契約になるため、1つの契約で複数の電話機を使い分けることもできる。また、[[第二世代携帯電話]]の「[[mova]]」([[PDC]])より通信帯域を有効に活用出来ることから、[[パケット]]あたりの通信料金が安く設定されている。さらに[[2004年]][[5月]]にパケットパックの値下げが行われ、6月には[[パケット定額制]]サービス「[[パケ・ホーダイ]]」が開始された。当初はパケットパックとパケ・ホーダイは重複して加入する事が出来たが、2005年4月にパケ・ホーダイ加入者のPCなどでの通信料が値下げされたことで(0.2円&gt;0.02円)、重複加入している人は、パケ・ホーダイのみの契約になった。それと同時にパケットパック90が開始になった。また、[[2005年]][[11月]]から、1つのFOMAカードに基本番号に加えて最大2つまでの番号を追加して付与できる[[マルチナンバー]]サービスが始まった。<br />
<br />
なお、提携している他国事業者の[[ローミング]]インも可能となっており、他国から来た旅行者が、ローミングして使うことが出来る。また逆に、対応端末のユーザーが他国に旅行した際に、ローミングアウトして提携他国事業者のエリアでFOMAを使える(一部使えないサービスあり)。<br />
<br />
=== エリア ===<br />
movaと互換性のない、全く新しい方式を使用しており、従来のmovaの基地局が使えないことと、[[2GHz帯]]と[[800MHz帯]]との[[電波]]伝播特性の違いによりサービスエリアは狭いと言われていたが、全国的にエリアに定評のあるmovaと同等以上のエリアまで拡大されつつあり、これまでmovaが繋がらなかった所でも、エリア改善の要望などによりFOMAなら繋がる場所も存在する。これは、FOMAへのユーザ移行を進めようとする意図から、地方や都市郊外の住宅地などを重点的に基地局を設置した結果だといえる。また、開始当初は電波同様に苦情の多かった途切れやすいなどの通話の品質の悪さも現在は改善されている。<br />
<br />
ただし、屋内への電波浸透度(建物内での通信安定度)においては800MHz帯を使用するmovaや[[Au (携帯電話)|au]]の[[CDMA 1X]]に比べ、劣っている。<br />
<br />
{{未検証}}<br />
同じ周波数帯、通信方式を使用するソフトバンクモバイルのPDC→3G乗り換えユーザーよりも繋がらない印象を持たれる原因は、エリア品質に定評のあったmovaとの格差にあると思われる{{要出典}}。<br />
<br />
<br />
次項の「デュアルネットワークサービス」利用することでmovaに切り替えて使用することが可能だが、端末を常に2台持ち歩かなければならず煩雑な上、デュアルネットワーク使用料(月額315円)がかかる。<br />
<br />
2004年から2005年にかけて発売された901iシリーズから、movaで使用している電波の伝達性で有利な800MHz帯の一部を利用し、2GHz帯と800MHz帯の両方をFOMAで使用する計画であった。しかし、[[ソフトバンク]]によって、既存の業者のみに800MHz帯を割り当てるのは不当との意見が出され、その時は実現には至らなかった。しかしその後、[[ソフトバンクモバイル|ボーダフォンの日本法人]]を買収したソフトバンクに800MHzを割り当てない事が確定し、2005年6月に発表された901iSシリーズから、ほとんどの機種が従来の2GHz帯に加え、800MHz帯に対応したデュアルバンド端末になった。800MHz帯を利用するエリアは「[[FOMAプラスエリア]]」と呼ばれ、郊外や山間部などでサービスエリアが大幅に拡大した。<br />
<br />
さらに、首都圏を始めとする東名阪の地域では、2GHz帯の不足を補うため、902iSシリーズから1.7GHz帯の導入を開始した([[NTTドコモ]]が保有している1.7GHz帯は東名阪専用バンドである)。しかしながら1.7GHz帯という帯域は、主に加入者の急増に対応するためであり、エリアが拡大するわけではないため、[[NTTドコモ]]はこのエリアに関して公にしていない(2008年度以降には、更なる加入者の増大に対応するため、1.5GHz帯の利用も視野に入っている)。<br />
<br />
現在は、山間部を中心にさらなるサービスエリアの拡大が行われ、トラフィックが増大している住宅街などにも光張り出し方式の基地局を置く、基地局ごとに電波を[[チューニング]]するなどして、[[2006年]][[秋]]に[[mova]]のエリアをFOMAのエリアが越えること(movaの方がつながりやすい場所も多数存在する)、すべての[[JR]][[鉄道駅|駅]](4565駅)、[[高等学校|高校]]・[[高等専門学校|高専]](5495校)、[[大学]]・[[短期大学|短大]](1603校)、[[サービスエリア]]・[[パーキングエリア]]・[[道の駅]](1657ヶ所)をカバーすることを達成した。当面の目標は2007年度中に屋外基地局を約7,000局、屋内基地局を約3,600局増設し、FOMAの総基地局数56,700局にすることおよび、『'''いちばん「つながる」ケータイへ'''』を[[スローガン]]にネットワーク品質において顧客満足度No.1を獲得することとしている。<br />
<br />
2007年3月29日には、[[エヌ・ティ・ティ・ドコモ九州|ドコモ九州]]が[[沖縄県]][[北大東村]]・[[南大東村]]をカバーし、第三世代携帯電話では業界初の'''全国[[人口カバー率]]100%'''を達成した。<br />
<br />
=== デュアルネットワーク ===<br />
「FOMA」のサービス区域の狭さを補うため、「FOMA」で契約した1つの電話番号で、「[[mova]]」も利用できる「デュアルネットワークサービス」がある。これによって「FOMA」サービス区域外では「mova」に切替えることで通話・通信が可能になり、どちらの機種からも[[留守番電話]]や受信メールをチェック出来る。ただし、このサービスには、別途月額300円(税込315円)掛かり、「番号の入っていないmova」もしくは「N2701」を準備する必要がある。「mova→FOMA」の[[機種変更#契約変更|契約変更]]の場合、これまで使っていたmovaをそのままデュアルネットワークの副端末として利用できる。<br />
<br />
なおFOMAのサービスエリアが狭かった初期は、デュアルネットワークサービスが無いので、行動範囲でつながるかどうか試す為にショップ契約の電波測定用のFOMAが貸し出された。今でも端末の貸し出しを行っている代理店・販売店がある。<br />
<br />
このサービスの加入は任意で、FOMA側をカード端末、mova側を音声端末にして、パソコンによる通信にFOMAを使い、メインではmovaを使うモバイラーに重宝されている。<br />
<br />
movaのサービスエリアをほぼ網羅した今日でもデュアルネットワークサービスの契約者は個人・法人計約285万(2006年6月現在)にのぼっている。<br />
<br />
=== FOMAハイスピード ===<br />
詳しくは、[[FOMAハイスピード]]を参照。<br />
<br />
=== FOMAのネットワーク ===<br />
FOMAのネットワークならびに端末は、国際標準団体[[3GPP]]のRelease99に準拠しているものとなっているが、細かな部分で(仕様で決められていない部分での)機能向上あるいは[[3GPP]] 仕様の先行導入を行っている。具体的には以下の通りである。<!--(NTT DoCoMo テクニカル・ジャーナル VOL.14 NO.1 P.10)--><br />
<br />
* 発着信完了率の向上(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)<br />
* 周波数サーチの最適化(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)<br />
* 位置情報登録回数の低減(機能向上、901iS以降に搭載)(端末側)<br />
* 緊急通報の優先接続([[3GPP]] R4仕様、901iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)<br />
* 音声通話/テレビ電話の途中切り替え([[3GPP]] R5仕様、901iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)<br />
* 回線交換・パケット通信の分離制御([[3GPP]] R6仕様、902iS以降に搭載)(端末側・ネットワーク側)<br />
<br />
特に、「回線交換・パケット通信の分離制御」により、災害時などネットワークが輻輳した際に、通話に制限をかけてもパケット通信は可能とすることで、メールやiモードの災害用伝言板にて安否確認を行う事ができるようになった([[mova]]はもともと回線交換網とパケット通信網が分離されているため同様の制限は可能である)。<br />
<br />
また、海外製の[[W-CDMA]]端末の一部では、FOMAのネットワーク上での動作が不安定であることが報告されている。{{要出典}}<br />
<br />
=== FOMAの今後 ===<br />
2008年発売予定の906iシリーズでは下り7.2Mbps、上り5.7Mbpsにする予定である。<br />
([http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0706/06/news042.html 参考])<br />
<br />
また、2007年度中には上りの通信スピードを高速化した[[HSDPA#HSUPA|HSUPA]]対応端末を投入し、2010年度を目処に現行の[[W-CDMA]]方式や[[HSDPA]]方式などとの完全上位互換性のある[[HSDPA#Super 3G|Super 3G]]方式対応で下り最大100Mbps程度の超高速データ通信商用サービスを[[FOMA]]のネットワーク上で開始する予定となっている。<br />
<br />
== 定額データ通信サービス ==<br />
PHSサービスが2008年1月7日をもって終了することが決定したため、PHS定額データ通信サービス[[@FreeD]]の代替サービスが2007年10月22日に開始された。<br />
<br />
'''定額データプランHIGH-SPEED'''<br />
* 料金<br />
** 月額4200~1万500円<br />
<br />
* 対応端末<br />
** FOMA HIGH-SPEED対応端末<br />
<br />
* 通信可能エリア<br />
** FOMAエリア<br />
<br />
* 通信速度<br />
** 受信3.6Mbps (HIGH-SPEEDエリア以外は384Kbps)<br />
** 送信384Kbps<br />
<br />
'''定額データプラン64K'''<br />
* 料金<br />
** 月額4200円(税込み)<br />
<br />
* 対応端末<br />
** FOMAハイスピード対応端末<br />
<br />
* 通信可能エリア<br />
** FOMAエリア<br />
<br />
* 通信速度<br />
** 送受信とも最大64Kbps<br />
<br />
なお、FOMAハイスピード対応端末でのサービスとなる理由は、伝送効率の良い方式が必要なためである。<br />
<br />
== 料金 ==<br />
従来のコースはmova最安の料金コースに当たるタイプBの3,500円(本体価格)に対して、FOMAの最安の料金コースに当たるのはFOMAプラン39の3,900円(本体価格)と割高感があった。しかし、時間当たりの通話料金はFOMAの方が安く必ずしも割高とは言い切れなかった。<br />
<br />
現在はmova・FOMA共通の新料金プランが開始され、『[[年間割引サービス|(新)いちねん割引]]』や通話単価などが総合的に見直されている。<br />
<br />
パケ・ホーダイは、旧料金プランではFOMAプラン67以上のものでないと適用できないが、新料金プランは全プランとパケ・ホーダイの組み合わせが可能である。なお、引き続きmovaへのパケット割引サービスの適用は無い。<br />
<br />
なお、従来の料金プランは基本料金に端末料金の一部を含むものであったが、国の指導などにより、ソフトバンクモバイルが導入したような「端末料金」と「利用料金」を完全に別個のものとした体系が、905iシリーズ発売に合わせて導入された。<ref>{{Cite web<br />
|date=2007-10-26<br />
|url=http://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/page/071026_00.html<br />
|title=報道発表資料 : 新たなご購入方法および料金プランを提供<br />
|publisher=[[NTTドコモ]]<br />
|accessdate=10月27日<br />
|accessyear=2007年<br />
}}</ref>導入後、それまでの「新料金プラン」はコース導入後に新規発売の端末購入分については「[[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]」に改められ、購入した端末を2年間継続して使用することを求められる(導入前に発売済みの端末については引き続き新料金プランを適用)。新たに導入された「[[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]」では、端末料金が別払いとなり、分割払いやクレジットカード払いが可能となる。<br />
<br />
=== 905i・705i以降 ===<br />
905iシリーズ及び705iシリーズ以降に発売される端末購入にあたっては、以下の2つのコースから料金プランを選ぶことになる。<br />
* [[バリューコース (NTTドコモ)|バリューコース]]<br />
* [[ベーシックコース (NTTドコモ)|ベーシックコース]]<br />
なお、ベーシックコースの料金体系については、[[#新料金プラン|次項]]を参照。<br />
<br />
=== 新料金プラン ===<br />
==== 音声 ====<br />
movaと同一のプランかつ時間帯・曜日毎の通話料を一律とし、分かりやすさを重視した料金プラン。[[2005年]][[11月1日]]より開始された。それ以降にFOMA・movaに新規加入した場合、従来の料金プランは選択出来ず、以下の新料金プランの中から選択することになる。また、[[2007年]][[11月26日]]以降は、それ以前に新規発売された端末を利用する場合に限りこのプランを利用できる。<br />
<br />
'''「無料通信分」は利用料金の先払い分'''であり、プランごとの単価に基づいて利用料金が精算され、無料通信分を使い切った後利用料金が加算開始される。<br />
<br />
無料通信分はパケット通信料としても利用が可能。また余った無料通信分は2か月先まで[[2ヶ月くりこし|繰り越し]]利用ができる。また、[[2005年]]2月より、2か月先まで使い切れなかった分は、[[家族割引サービス|ファミリー割引]]を契約している家族で共有できるようになった。なお、割引サービスが適用されても、無料通信分が減ることはないため、高額の料金プランにおいては、割引適用状況によっては支払った基本使用料を上回る金額を無料通信として利用できる仕組みになっている。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!colspan=7|基本料金プラン (価格)は本体価格<br />
|-<br />
!rowspan=2|料金プラン!!colspan=3|基本料金!!colspan=2|通信料単価(/30秒)!!rowspan=2|備考<br />
|-<br />
!基本支払額!!うち<br />無料通信分!!実質基本料金!!音声!!テレビ電話等の<br />デジタル通話料<br />
|-<br />
!タイプSS<br />
|3,780円<br />(3,600円)||1,050円<br />(1,000円)||2,730円<br />(2,600円)||21円00銭<br />(20円00銭)||37円80銭<br />(36円00銭)||<br />
|-<br />
!タイプS<br />
|4,830円<br />(4,600円)||2,100円<br />(2,000円)||2,730円<br />(2,600円)||18円90銭<br />(18円00銭)||33円60銭<br />(32円00銭)||<br />
|-<br />
!タイプM<br />
|6,930円<br />(6,600円)||4,200円<br />(4,000円)||2,730円<br />(2,600円)||14円70銭<br />(14円00銭)||26円25銭<br />(25円00銭)||<br />
|-<br />
!タイプL<br />
|10,080円<br />(9,600円)||6,300円<br />(6,000円)||3,780円<br />(3,600円)||10円50銭<br />(10円00銭)||18円90銭<br />(18円00銭)||<br />
|-<br />
!タイプLL<br />
|15,330円<br />(14,600円)||11,550円<br />(11,000円)||3,780円<br />(3,600円)||7円87銭5厘<br />(7円50銭0厘)||14円70銭<br />(14円00銭)||<br />
|-<br />
!タイプリミット<br />
|4,410円<br />(4,200円)<br />'''+上限分'''||2,310円<br />(2,200円)||2,100円<br />(2,000円)||21円00銭<br />(20円00銭)||37円80銭<br />(36円00銭)||style="text-align:left;"|上限額については下記を参照。<br />
|-<br />
!タイプビジネス<br />
|10,290円<br />(9,800円)||5,775円<br />(5,500円)||4,515円<br />(4,300円)||colspan=2 style="text-align:center;"|時間により異なる||colspan=2 style="text-align:left;"|平日昼間の通話料を割安にしたプラン。<br />
|-<br />
!ファミリーワイド<br />
|3,150円<br />(3,000円)||無し||3,150円<br />(3,000円)||26円25銭<br />(25円00銭)||47円25銭<br />(45円00銭)||style="text-align:left;"|各種制限事項あり。<br />下記参照<br />
|-<br />
!ファミリーワイド<br />リミット<br />
|3,360円<br />(3,200円)<br />'''+上限分'''||無し||3,360円<br />(3,200円)||26円25銭<br />(25円00銭)||47円25銭<br />(45円00銭)||style="text-align:left;"|2006年3月に開始。<br />各種制限事項あり。下記参照<br />
|}<br />
<br />
; 備考<br />
* タイプリミットの上限分は以下のとおり。無料通信分、通話・通信料以外の課金と無料通話分を超えた通話・通信料の合計が利用可能額を超えると自動的に発信停止。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!上限額コース<br />(本体価格)<br />
|840円<br />(800円)||2,940円<br />(2,800円)||5,040円<br />(4,800円)||8,190円<br />(7,800円)||13,440円<br />(12,800円)<br />
|-<br />
!利用可能額<br />(本体価格)<br />
|3,150円<br />(3,000円)||5,250円<br />(5,000円)||7,350円<br />(7,000円)||10,500円<br />(10,000円)||15,750円<br />(15,000円)<br />
|}<br />
* ファミリーワイド・ファミリーワイドリミットに関する制限事項は以下のとおり。<br />
** 利用できる年齢は中学生以下及び60歳以上。中学校卒業後は、4月より自動的に「ファミリーワイド」は「タイプSS」に、「ファミリーワイドリミット」は「タイプリミット・上限額800円」に、それぞれ契約が変更される。<br />
** 当該プラン単独で契約することはできず、「(新)いちねん割引」とセットで契約するか(自動適用)、障がい者の場合は「ハーティ割引」とセットで契約(「(新)いちねん割引」は利用不可)する形となる。「(新)いちねん割引」の当初割引率は25%。<br />
** ファミリー割引とのセット契約は任意。<br />
** ファミリーワイドリミットのオプション上限額は一律で1,050円(本体1,000円)。発信停止に関する規定は「タイプリミット」に準じる。<br />
* 新料金プラン制度への移行により、新プラン契約者は以下のサービスが適用対象外となった。<br />
** [[ボリュームディスカウント]]<br />
** ドンドンコール<br />
** 度数表示サービス<br />
** グループ内番号サービス<br />
** 「[[ゆうゆうコール]]」の無料通信プレゼント(旧プランでゆうゆうコールの指定をされている回線から着信した場合は、無料通信プレゼントを受けることができる)<br />
<br />
==== データ ====<br />
データプランは、FOMAを電話としてではなく、モデムとして利用する場合のプランである。音声通信およびiモードは利用できない。音声プランと異なり、無料通信分は「○○円分」のように利用料金の全体に適用されるのではなく、プランごとに設定された所定のパケット通信分にのみ適用される。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!colspan=7|基本料金プラン (価格)は本体価格<br />
|-<br />
!rowspan=2|料金プラン!!rowspan=2|基本料金!!rowspan=2|パケット<br />無料通信分!!colspan=2|通信料単価!!rowspan=2|備考<br />
|-<br />
!パケット<br />超過分<br />(/パケット)!!テレビ電話等の<br />デジタル通話料<br />(/30秒)<br />
|-<br />
!データプランSS<br />
|1,890円<br />(1,800円)||無し||rowspan=2 style="text-align:center;"|下記参照||rowspan=5|31円50銭<br />(30円00銭)||<br />
|-<br />
!データプランS<br />パケットプラス<br />
|3,045円<br />(2,900円)||10万パケット||<br />
|-<br />
!データプランM<br />パケットプラス<br />
|5,460円<br />(5,200円)||45万パケット||0円02銭1厘<br />(0円02銭0厘)||<br />
|-<br />
!データプランL<br />パケットプラス<br />
|7,770円<br />(7,400円)||120万パケット||0円01銭5.75厘<br />(0円01銭5厘)||<br />
|-<br />
!データプランLL<br />パケットプラス<br />
|14,595円<br />(13,900円)||250万パケット||0円01銭2.6厘<br />(0円01銭2厘)||2006年9月開始<br />
|}<br />
; 備考<br />
* デジタル通信料は、無料通信分の対象とはならない。<br />
* らくらくホン シンプルは、このプランを利用できない。<br />
* データプランSS及びデータプランS パケットプラスパケット通信料単価は以下のとおり。(価格)は本体価格。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!↓月利用パケット数!!SS!!S パケットプラス<br />
|-<br />
!〜10万パケット<br />
|rowspan=2|0円10銭5厘<br />(0円10銭0厘)||無料<br />
|-<br />
!10万パケット超<br />〜60万パケット<br />
|0円05銭2.5厘<br />(0円05銭0厘)<br />
|-<br />
!60万パケット超<br />〜200万パケット<br />
|colspan=2|0円05銭2.5厘<br />(0円05銭0厘)<br />
|-<br />
!200万パケット超<br />
|colspan=2|0円02銭1厘<br />(0円02銭0厘)<br />
|}<br />
<br />
=== 旧料金プラン ===<br />
新料金プラン導入後は、データプランを除いてそれまで加入していた利用者のみ継続して利用できる。なお、新プラン導入から2年が経過したことや、料金体系の抜本見直しにより、旧料金プランの継続利用ができなくなる可能性がある。<br />
<br />
==== 2005年10月末までのプラン ====<br />
通信料単価は、地域会社・利用時間帯ごとに異なっていたので、ここでは詳しい説明を省く。(価格)は本体価格。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!プラン!!基本使用料!!無料通信分!!備考<br />
|-<br />
!FOMAプラン39<br />
|4,095円<br />(3,900円)||787円<br />(750円)||<br />
|-<br />
!FOMAプラン49<br />
|5,145円<br />(4,900円)||2,152円<br />(2,050円)||<br />
|-<br />
!FOMAプラン67<br />
|7,035円<br />(6,700円)||4,252円<br />(4,050円)||<br />
|-<br />
!FOMAプラン100<br />
|10,500円<br />(10,000円)||7,717円<br />(7,350円)||<br />
|-<br />
!FOMAプラン150<br />
|15,750円<br />(15,000円)||12,232円<br />(11,650円)||<br />
|-<br />
!ビジネスプラン<br />
|10,290円<br />(9,800円)||5,460円<br />(5,200円)||平日昼間の通話料を割安にしたプラン<br />
|-<br />
!リミットプラス<br />
|4,515円<br />(4,300円)||2,310円<br />(2,200円)||movaのリミットプラスとほぼ同じコース<br />
|}<br />
<br />
==== 2005年5月末までのプラン ====<br />
* FOMAデータプラン22 2,310円(本体2,200円)<br />
*: データ通信のみで音声通話はできない。テレビ電話は可能。2005年5月末で申し込み終了。<br />
<br />
=== パケット料金 ===<br />
2005年4月1日現在。1パケットは128バイト。<br />
<br />
==== 定額料 ====<br />
パケット定額料は「無料通信分」に相当するものであり、パケット利用料の先払い分である。<br />
* パケットパック10 1,050円(本体価格1,000円)<br />
* パケットパック30 3,150円(本体価格3,000円)<br />
* パケットパック60 6,300円(本体価格6,000円)<br />
* パケットパック90 9,450円(本体価格9,000円)<br />
<br />
==== 通信料単価 ====<br />
1か月の総パケット数に応じて、それぞれのパケット通信料が適用される。(価格)は本体価格。<span style="background:#9999ff">価格</span>はパケットパックの定額料で精算(定額料を全てパケットに使った場合)。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!↓月利用パケット数!!パック無し!!パック10!!パック30!!パック60!!パック90<br />
|-<br />
!〜1万パケット<br />
|rowspan=3|0円21銭0厘<br />(0円20銭0厘)||style="background:#9999ff;"|0円10銭5厘<br />(0円10銭0厘)||rowspan=2 style="background:#9999ff;"|0円05銭2.5厘<br />(0円05銭0厘)||rowspan=4 style="background:#9999ff;"|0円02銭1厘<br />(0円02銭0厘)||rowspan=5 style="background:#9999ff;"|0円01銭5.75厘<br />(0円01銭5厘)<br />
|-<br />
!1万パケット超<br />〜6万パケット<br />
|rowspan=2|0円10銭5厘<br />(0円10銭0厘)<br />
|-<br />
!6万パケット超<br />〜15万パケット<br />
|rowspan=3|0円05銭2.5厘<br />(0円05銭0厘)<br />
|-<br />
!15万パケット超<br />〜30万パケット<br />
|colspan=2 rowspan=2|0円10銭5厘<br />(0円10銭0厘)<br />
|-<br />
!30万パケット超<br />〜60万パケット<br />
|rowspan=2|0円02銭1厘<br />(0円02銭0厘)<br />
|-<br />
!60万パケット超<br />〜200万パケット<br />
|colspan=3|0円05銭2.5厘<br />(0円05銭0厘)||rowspan=2|0円01銭5.75厘<br />(0円01銭5厘)<br />
|-<br />
!200万パケット超〜<br />
|colspan=4|0円02銭1厘<br />(0円02銭0厘)<br />
|}<br />
; (参考)mova:<br />
: 10万パケットまで 0円31銭5厘(本体0円30銭0厘)/パケット<br />
: 10万パケット超 0円21銭(本体0円20銭)/パケット<br />
<br />
==== 完全定額サービス ====<br />
(価格)は本体価格。定額対象外となる通信については、一律で1パケットあたり0円02銭1厘(本体0円02銭0厘)の料金が別途請求される。<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!サービス名!!定額料!!定額対象サービス!!定額対象外サービス<br />
|-<br />
![[パケ・ホーダイ]]<br />
|style="text-align:center;"|4,095円<br />(3,900円)||iモードの通信||<br />
* iモード[[フルブラウザ]]を使用した通信<br />
* パソコン・PDAなどを接続したパケット通信<br />
|-<br />
![[パケ・ホーダイフル]]<br />
|style="text-align:right;"|5,985円<br />(5,700円)||<br />
* iモードの通信<br />
* iモード[[フルブラウザ]]を使用した通信<br />
|PDAやコンピュータなどを接続したパケット通信<br />
|-<br />
![[Biz・ホーダイ]]<br />
|style="text-align:right;"|5,985円<br />(5,700円)||iモード非対応のスマートフォンにおける<br />日本国内でのパケット通信料||<br />
* PDAやコンピュータなどを接続したパケット通信<br />
* iモード対応端末にFOMAカードを差し替えてiモード通信を行った場合<br />
|}<br />
<br />
==== 備考 ====<br />
* パケットパックの余った無料通信分は音声プランの無料通信分と合算して2か月先まで繰り越し利用ができる。さらに余った分は家族で分け合うことができる。<br />
* パケ・ホーダイは新料金プランの全て及び67以上の旧料金プランを契約している場合のみ契約することができる。<br />
** 新料金プランのうち、M以上とタイプビジネスは新料金プラン移行当初から適用、Sまでとタイプリミット・ファミリーワイド・ファミリーワイドリミットについては2006年3月から適用。<br />
* デュアルネットワークでmovaを使用する場合のパケット料金は、パケホーダイ及びパケットパックの有無に関わらず、movaのパケット料金である。ただし、パケットパック及びパックプランの無料通信料を使うことはできる。<br />
* パケットパック60およびパケットパック90は、主にPC等を接続するユーザーを想定したプランである。<br />
<br />
=== その他のサービス ===<br />
以下では基本料金およびパケット通信以外の付加サービスおよびその料金を挙げる。<br />
* [[2in1]](2007年5月25日開始) - 月額945円(本体900円)。<br />
* オプションパック割引(留守番電話サービス・転送でんわサービス・キャッチホン・メロディコール ベーシックコース) - 月額420円(本体400円)。<br />
* [[留守番電話]]サービス - 月額315円(本体300円)。<br />
* キャッチホン - 月額210円(本体200円)。<br />
* マルチナンバー - 電話番号を最大2件まで追加できる。1件に付き月額525円(本体500円)。<br />
* [[#デュアルネットワーク|デュアルネットワーク]] - FOMAサービスエリア外のmovaサービスエリアで代替としてmovaを使用。月額315円(本体300円)。<br />
* [[ショートメッセージサービス]](SMS) - 一通あたり5円25銭(本体5円)。<br />
* [[メロディコール]] - ベーシックコース月額105円(本体100円)。ただし、楽曲によっては異なる。<br />
* [[プッシュトーク]] - 対象機種:902i以降の9シリーズと[[P702i]]・[[P702iD]]・[[SH702iS]]・[[SH703i]]・[[SO703i]]・[[P703i]]<br />
** 通常は1回の発言につき5円25銭(本体5円)。<br />
** カケ・ホーダイ - プッシュトークにおける発言が月額1,050円(本体1,000円)で定額となる。<br />
** プッシュトークプラス - 参加可能人数が20人までに拡大など。定額料金が2,100円(本体2,000円)、代表者のみグループ管理費として月額10,500円(本体10,000円)が必要。<br />
* [[iチャネル]] - 対象機種:701i/902i以降。ニュースや天気予報などの情報が表示される。月額157円50銭(本体150円、ベーシックチャネルの更新に対するパケット料金含む)。<br />
* 着もじ - 対象機種:902iS以降/N902iX。発信時にメッセージ(10文字まで)を付ける事ができる。1回につき5円25銭(本体5円)。<br />
* [[ミュージックチャネル]] - 対象機種:90xiX HIGH-SPEED、[[N904i]]、[[L704i]]。音楽番組配信サービス。月額315円(本体300円)、パケ・ホーダイの契約が必要。<br />
<br />
== 通信端末 ==<br />
=== 音声端末 ===<br />
==== 2xxxシリーズ ====<br />
===== 2101Vシリーズ =====<br />
最初に出たFOMAの端末である。2000番台の型番はIMT-2000による。またiモード機能の搭載が当然となっていたことから、型番に「i」を付けずロゴもない。初期ものゆえか、全体的に電池の持ちが悪く、また筐体も大きかった。この頃の機種によりFOMAの「デカイ、繋がらない」のイメージが定着してしまった。[[テレビ電話]]機能付き。[[iアプリ]]は[[mova#503i|503]]相当のものに対応している。P2101V以外は[[iモーション]]に対応している。イメージキャラクターは[[宇多田ヒカル]]。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:left;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
!P2101V<br />
|2001年10月1日||FOMAの試験サービスにも使われた端末である。ドコモ初の[[カメラ付き携帯電話]]である。折りたたみ式で、重量は150g。連続待ち受け時間は55時間。その後[[パナソニック モバイルコミュニケーションズ|松下]]は3G携帯電話端末の開発を[[日本電気|NEC]]と協業することになったので、[[PDC]]方式端末のPシリーズに近い操作体系を持つ唯一のFOMA端末となった。<br />
|-<br />
![[D2101V]]<br />
|2002年3月||現在、FOMA唯一のフリップ式。160g。連続待ち受け時間は55時間。<br />
|-<br />
!SH2101V<br />
|2002年7月||FOMA初の[[携帯情報端末|PDA]]一体型端末である。M1000発売まで長らく、FOMA唯一のPDA一体型だった。本体280g、ハンドセット43g。連続待ち受け時間は60時間。本体とハンドセットとの通信には[[Bluetooth]]が用いられている。ザウルスOSが使われている。仕様が災いしてか、当時の実売値段は10万円を越える高額機になっていた<br />
|-<br />
![[T2101V]]<br />
|2002年9月27日||FOMA初のストレート型端末。連続待ち受け時間は125時間。受話口の上にある回転式のカメラが特徴。東芝がFOMA端末を供給したのはこの機種のみ。<br />
|}<br />
<br />
===== 2001/2002シリーズ =====<br />
2101と同じく、最初に出たFOMAのグループである。カメラは無く、テレビ電話未対応である他は、2101シリーズと仕様は変わらない。N2001以外は[[iモーション]]に対応している。<br />
{| class="wikitable" style="text-align::left;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[N2001]]<br />
|2001年10月1日||FOMAの試験サービスにも使われた端末である。折りたたみ式。105g。連続待ち受け時間は55時間。メインディスプレイに、FOMAで唯一[[有機エレクトロルミネッセンス|有機EL]]を採用している。ディスプレイの特殊さが災いしてか短命に終わっている<br />
|-<br />
!N2002<br />
|2001年11月||折りたたみ式。107g。連続待ち受け時間は55時間。N2001のメインディスプレイをTFT液晶に変更し、そのためディスプレイ部の厚みがN2001より増している。また、[[iモーション]]に対応した<br />
|-<br />
!P2002<br />
|2002年5月||折りたたみ式。107g。連続待ち受け時間は55時間。NECとパナソニックとの協業によって出た初の端末である。N2002の[[OEM]]モデルである。細部のデザイン・本体カラーに若干の違いがある<br />
|}<br />
<br />
===== F2611 =====<br />
[[ダイヤルアップ接続|ダイヤルアップ]][[ルーター]]内蔵モデル。企業向け製品で、一般に市販はされない。下り384k、上り384kまでの通信に対応する。<br />
<br />
===== 2051シリーズ =====<br />
いわゆる「新FOMA」の第1弾(FOMAの端末としては第二世代)である。以前の機種より電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。[[デジタルカメラ|カメラ]]は付いているが[[iショット]]用でテレビ電話に対応しない。51という型番は、カメラ付きという事からmovaの[[mova#251i|251i]]シリーズに由来。外部メモリーには対応していない。iアプリは[[mova#504i|504]]相当のものに対応している。[[iモーション]]の方式が[[MP4]]に変更になった。<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
!F2051<br />
|2003年1月||折りたたみ式。114g。待ち受け時間は170時間(移動時)、230時間(静止時)。[[富士通]]製FOMA初の音声端末である<br />
|-<br />
!N2051<br />
|2003年1月||折りたたみ式。122g。待ち受け時間は180時間(移動時)、250時間(静止時)。[[ニューロポインター]]を初搭載。これ以降のNのFOMAは本機の操作系を踏襲することになる<br />
|}<br />
<br />
===== 2102Vシリーズ =====<br />
「新FOMA」の第2弾(FOMAの端末としては第二世代)である。2051の特徴を引き継ぎ、電池の持ちが良くなり、筐体も小さくなった。これらの機種が出た頃より、FOMAのパケット代が安いというメリットが認められはじめ、FOMAユーザが増え始めた。Nは外部メモリーには対応していない。iアプリは504相当のものに対応している。<br />
{| class="wikitable"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[P2102V]]<br />
|2003年3月15日||回転2軸式。133g。外部メモリーは[[SDメモリーカード]]対応。カメラ性能は[[CCDイメージセンサ|CCD]]30万画素<br />
10月31日に追加カラー発売開始。<br />
|-<br />
!F2102V<br />
|2003年7月3日||折りたたみ式。115g。外部メモリーは[[SDメモリーカード#MiniSDカード|miniSD]]対応。カメラ性能は[[CCDイメージセンサ|CCD]]30万画素<br />
|-<br />
!N2102V<br />
|2003年7月18日||折りたたみ式。109g。外部メモリーは非対応。カメラ性能はCMOS 30万画素<br />
|}<br />
<br />
===== N2701 =====<br />
2003年6月発売。折りたたみ式。130g。唯一のmovaとFOMAの''複合''端末。これ一台で「デュアルネットワークサービス」契約が可能。カメラ性能はCMOS 30万画素。W-CDMA端末のN2051にPDC端末N504iSを貼り付けたような機種。設定により、FOMA圏外時にmova網に自動切り替えする事も出来る。販売から4年以上経った今でも、後継デュアル機が発売されていないので、根強いユーザーもいる。<br />
<br />
==== 90xシリーズ(9シリーズ) ====<br />
===== 900iシリーズ =====<br />
FOMAの端末としては第三世代に当たる。[[mova#50xシリーズ|50xシリーズ]]の機能を採用して、ドコモのフラッグシップ携帯として登場した。movaシリーズと共通の型番ルールを採用し、9という数字には50xの上位という意味も込め、一般向けに広くアピールした。全機種にQVGA液晶とメガピクセルカメラを搭載した。iアプリは505iの規格をさらに拡張し、500[[バイト (情報)|KB]](ダウンロード100KB、[[スクラッチパッド]]400KB)の仕様になった。開発の初期段階では、2103Vとされていた。2005年5月のプレスリリースで900i及び900ixを1098万台発売したと発表した。FOMA普及にかなり貢献したシリーズだが「[[着うた]]をメール着信音に設定できない」「全体的に動作の機敏さに欠ける」などの問題が残されていた。イメージキャラクターは[[坂口憲二]]と[[長谷川京子]](同コンビで901iSシリーズまで起用)。CMソングには[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)]]の[[小西康陽]]や[[ケン・イシイ]]・[[石野卓球]]らによるアレンジバージョンを起用。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[F900i]]<br />
|2004年2月6日||発売後不具合により販売が一時停止され、3月6日から販売再開<br />
|-<br />
![[N900i]]<br />
|2004年2月22日||<br />
|-<br />
![[P900i]]<br />
|2004年2月29日||<br />
|-<br />
![[SH900i]]<br />
|2004年3月20日||<br />
|-<br />
![[D900i]]<br />
|2004年6月23日||<br />
|}<br />
<br />
===== 900i系企画端末 =====<br />
900i第2弾。基本性能は大きく変わらないが、新機能が多く盛り込まれている。[[2004年]][[6月1日]]に、F900iT・P900iV・N900iSの3機種を発表。F900iTは[[タッチパネル]]・[[Bluetooth]]を搭載し、P900iVは強化されたムービー撮影・再生機能を搭載。デコメール改善などの細かなバージョンアップにとどまる[[日本電気|NEC]]製は単に900i"S"になっている。[[6月16日]]には、[[おサイフケータイ]]の発表会で、F900iCがFOMA初の[[FeliCa]]対応機種として発表。[[7月13日]]には国内初の[[無線LAN]]対応となるN900iL、[[12月16日]]にはFOMA初の[[国際ローミング]]([[W-CDMA]]および[[GSM]]・[[GPRS]])対応となるN900iGを発表した。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[F900iT]]<br />
|2004年6月19日||<br />
|-<br />
![[P900iV]]<br />
|2004年6月19日||<br />
|-<br />
![[N900iS]]<br />
|2004年6月25日||<br />
|-<br />
![[F900iC]]<br />
|2004年8月7日||<br />
|-<br />
![[N900iL]]<br />
|2004年11月16日||法人専用モデルのため個人購入不可<br />
|-<br />
![[N900iG]]<br />
|2004年12月25日||<br />
|}<br />
<br />
===== 901iシリーズ =====<br />
900i、900ixの後継端末。共通機能はもちろんのこと、それぞれの個性のある端末となっている。共通機能は主に[[着うた]]や[[着モーション]]の最大再生容量を300KBから500KBに拡大、iモードメールの添付ファイルの最大容量も100KBから500KBに拡張、ツインスピーカー搭載、iアプリの3Dグラフィックス機能強化、[[Adobe Flash Lite|Flash]]からの端末情報取得、外部からの[[コンテンツ]]に対して問題要素を検出する「[[セキュリティ]]スキャン機能」を搭載しているなど、iモードにまつわる機能が強化されている。また、全機種でミュージックプレーヤー機能が正式対応になった。(連続再生に対応するのはD,F,SHのみ)<br />
<br />
なお、型番にiCが付く端末はiモードFeliCaにも対応している。[[FeliCa]]チップの供給数に余裕が無いため全機種対応にならなかった。予定されていた800MHz帯とのデュアルバンド機能はソフトバンクが因縁をつけたことから見送られ、901iSから搭載される。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[SH901iC]]<br />
|2004年12月1日||<br />
|-<br />
![[F901iC]]<br />
|2004年12月24日||<br />
|-<br />
![[N901iC]]<br />
|2005年1月28日||<br />
|-<br />
![[D901i]]<br />
|2005年2月1日||<br />
|-<br />
![[P901i]]<br />
|2005年2月4日||<br />
|}<br />
<br />
===== 901iSシリーズ =====<br />
2005年5月17日にドコモよりプレスリリースされた。元々、2005年1月に公表されたロードマップに2005年度中の投入が公表されていた。iモードFeliCaに全機種対応。よって、これまでFeliCa端末を示していた「iC」ではなく「iS」を名乗る事になった。このシリーズから800MHz帯「[[FOMAプラスエリア]]」のデュアルバンド対応となり、山間部などでエリアが拡大した。また、901iS以降の機種同士であれば音声通話中にテレビ電話への切り替えが出来るようになる。<br />
D、F、Pは自動時刻補正に対応。また、[[Portable Document Format|PDF]]ファイルの閲覧やダウンロードができる[[Adobe Reader|Adobe Reader LE]]を搭載する。(SHは、[[Microsoft Excel|Excel]]、[[Microsoft Word|Word]]、[[Microsoft Powerpoint|Powerpoint]]の閲覧が可能な[[Picsel Viewer]]も備える。)<br />
このシリーズ以降、FOMA発売以来使われてきた初代ロゴが無くなる。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[SH901iS]]<br />
|2005年6月3日||<br />
|-<br />
![[P901iS]]<br />
|2005年6月10日||<br />
|-<br />
![[F901iS]]<br />
|2005年6月10日||<br />
|-<br />
![[D901iS]]<br />
|2005年6月10日||<br />
|-<br />
![[N901iS]]<br />
|2005年6月24日||<br />
|}<br />
<br />
===== 901i系企画端末 =====<br />
901i系企画端末として、ワンセグ携帯のP901iTVが発売されている。<br />
* '''[[P901iTV]]''' (2006年3月3日発売)<br />
<br />
===== 902iシリーズ =====<br />
[[2005年]][[10月19日]]にSH902i、N902i、D902i、P902i、F902i、SO902iがドコモより[[プレスリリース]]された。新機能として、[[定額制]]プランも用意し[[トランシーバー]]のような通話が可能な「[[プッシュトーク]]」、「[[iモードFelica]]」の新機能である「[[トルカ]]」サービスに対応。701iに搭載された[[iチャネル]]にも対応している。[[iアプリ]]は容量は変わりないが、[[HyperText Markup Language|HTML]]の仕様がバージョンアップしている。902iでは、従来まで[[FOMA]]の課題となっていたキーレスポンスのもたつきの解消に力が入れられており、今まで特に遅いとされていたP,Nといった[[Linux]][[オペレーティングシステム|OS]]採用端末のレスポンスもかなり快適になっている。イメージキャラクターは一新され、[[KAT-TUN]]の[[亀梨和也]]と[[赤西仁]]を起用。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[F902i]]<br />
|2005年11月11日||<br />
|-<br />
![[D902i]]<br />
|2005年11月11日||<br />
|-<br />
![[N902i]]<br />
|2005年11月18日||<br />
|-<br />
![[P902i]]<br />
|2005年12月6日||<br />
|-<br />
![[SH902i]]<br />
|2005年12月9日||<br />
|-<br />
![[SO902i]]<br />
|2006年3月21日||<br />
|}<br />
<br />
===== 902iSシリーズ =====<br />
[[2006年]][[5月11日]]にD902iS、F902iS、N902iS、P902iS、SH902iSがドコモより[[プレスリリース]]された。新機能として1.7GHz帯の対応、DCMXアプリのプリセット、着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名、電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応等がある。また、P902iSはドコモ初の着うたフルに対応、N902iS、P902iSが3Gローミングに対応し、F902iSは、[[Windows Media Audio]]形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術([[デジタル著作権管理|DRM]])に対応している事などより、[[Napster Japan]]等の有料音楽配信サイトの利用も出来る。イメージキャラクターは[[KAT-TUN]]。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SH902iS]]''' (2006年5月30日発売)<br />
* '''[[P902iS]]''' (2006年6月7日発売)<br />
* '''[[N902iS]]''' (2006年6月9日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[D902iS]]''' (2006年6月9日発売)<br />
* '''[[F902iS]]''' (2006年6月16日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 902i系企画端末 =====<br />
[[2006年]][[5月11日]]に企画端末として、902iSシリーズと同時にSO902iWP+、N902iX HIGH-SPEED、DOLCE SLが[[プレスリリース]]された。新機能としてDCMXアプリのプリセット等がある。また、N902iX HIGH-SPEEDとSH902iSLでは着もじ、おまかせロック、外部メモリへのコンテンツ移行、デコメール署名に対応。SH902iSLでは電話帳預かりサービス、パケット通信中のテレビ電話対応に対応。N902iX HIGH-SPEEDでは着うたフル、ミュージックチャネルに対応。902iSシリーズとは違い1.7GHz帯、バイオ認証、3Gローミングには対応しない。また、[[2006年]][[10月12日]]に903iシリーズと同時に[[N902iL]]が[[プレスリリース]]された。[[N900iL]]の後継機である。<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SO902iWP+]]''' (2006年6月30日発売)<br />
* '''[[DOLCE SL]](SH902iSL)''' (2006年7月7日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[N902iX HIGH-SPEED]]''' (2006年8月31日発売)<br />
* '''[[N902iL]]'''([[2007年]][[2月13日]]発売、法人専用モデル)<br />
|}<br />
<br />
===== 903iシリーズ =====<br />
[[2006年]][[10月12日]]にD903i、F903i、N903i、P903i、SH903i、SO903iがドコモよりプレスリリースされた。新機能として全機種に[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]搭載した。このため、[[ケータイお探しサービス]]に対応している他、[[警察]]([[110番]])・[[消防]]([[119番]])等に通報した際の位置特定もできる。[[イマドコサーチ]]にも適している。またメガ[[iアプリ]]に対応。容量が1MBに拡張されダウンロード、スクラッチパッドの区切りが無くなった。また、外部メモリーカードにソフトを保存できる事で、さらに容量があるソフトの作成も出来る。[[おさいふケータイ]]関連では、[[felica]]のメモリー容量が約3倍に拡大され、[[モバイルSuica]]など多くのメモリーを必要とするICアプリも複数使用できるようになった。その他、[[着うたフル]]、IC通信、3Gローミングに対応している。SH903i、D903i、F903i、N903iはきせかえツールに対応している。<br />
<br />
また、903iシリーズのうち、[[D903i]]、[[SH903i]]、[[F903i]]の三機種は、[[Windows Media Audio]]形式の音楽ファイル再生に対応。またデジタル著作権管理技術([[デジタル著作権管理|DRM]])に対応している事などより、[[Napster Japan]]等の有料音楽配信サイトの利用も出来る(2007年12月31日まで、Napsterを2週間無料で使えるキャンペーンを行っている)。[[SO903i]]は、[[ATRAC3]]形式及び、[[MP3]]形式の音楽ファイル再生にも対応している。N903i、P903i、SH903iはSD-Audio対応で、長時間再生が可能となった。SH903iのみWindows Media AudioとSD-Audioの二つの形式に対応している。<br />
<br />
イメージキャラクターは902iシリーズ・902iSシリーズに引き続き[[KAT-TUN]](赤西も一部出演)。一方カメラのイメージセンサは、SH903i、D903iがCCD([[スーパーCCDハニカム]]ではない)、P903iが[[ΝMaicovicon|νMaicovicon]]を搭載し、ほかはすべて[[CMOS]]に変更された。<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SH903i]]'''(2006年10月24日発売)<br />
* '''[[P903i]]'''(2006年11月1日発売)<br />
* '''[[D903i]]'''(2006年11月14日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[F903i]]'''(2006年11月14日発売)<br />
* '''[[N903i]]'''(2006年11月14日発売)<br />
* '''[[SO903i]]'''(2006年11月25日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 903i系企画端末 =====<br />
[[2006年]][[10月12日]]に企画端末として、903iシリーズと同時にSH903iTV、D903iTV、P903iTV、P903iX HIGH-SPEED、F903iX HIGH-SPEEDが[[プレスリリース]]された。[[P901iTV]]に次いでワンセグ対応端末が3機種、[[N902iX HIGH-SPEED]]に次いで[[HSDPA]]対応端末が2機種が予定されている。ノーマルの903iと異なり、3Gローミング、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]には非対応なので注意が必要。また、[[2007年]][[1月16日]]に[[SO903iTV]]が703iシリーズと同時に発表された。2007年[[3月14日]]にビジネス向けの[[F903iBSC]]が発表された。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!ブランド!!備考<br />
|-<br />
![[D903iTV]]<br />
|2007年2月16日<br />
|||<br />
|-<br />
![[F903iX HIGH-SPEED]]<br />
|2007年2月20日<br />
|||<br />
|-<br />
![[P903iTV]]<br />
|2007年2月23日<br />
|||<br />
|-<br />
![[SH903iTV]]<br />
|2007年2月28日<br />
|[[AQUOSケータイ]]||<br />
|-<br />
![[F903iBSC]]<br />
|2007年3月19日<br />
|||法人専用モデルのため個人購入不可<br />
|-<br />
![[P903iX HIGH-SPEED]]<br />
|2007年4月19日||<br />
|-<br />
![[SO903iTV]]<br />
|2007年6月22日<br />
|[[BRAVIAケータイ]]||<br />
|}<br />
<br />
===== 904iシリーズ =====<br />
[[2007年]][[4月23日]]に[[DoCoMo2.0]]の最初のシリーズとして、D904i、N904i、SH904i、P904i、F904iがドコモよりプレスリリースされた。今回より型式ルールの見直しより、903iSではなく904iとなった。(今後も場合によっては90XiSとなる。)(なおN904iは[[ミラノサローネ]]で発売前に公開されていた。)新機能として音楽を定額で利用できる[[うた・ホーダイ]]に対応した。また[[2in1]]と呼ばれる、1台の端末で2つのメールアドレスと電話番号を使用できるサービスに対応。一部を除き直感ゲーム(携帯本体を振るなど体を使ってプレイする)に対応。またP904iが[[フルブラウザ]]を搭載した事で、全機種フルブラウザ対応になった。全機種で[[Windows Media Audio]]、3Gローミングに対応。N904iのみ[[HSDPA]]に対応。F904iのみワンセグに対応。尚、[[ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ|ソニー・エリクソン]]の新機種は発表されていない。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SH904i]]'''([[2007年]]5月25日発売)<br />
* '''[[N904i]]'''([[2007年]]5月25日発売)<br />
* '''[[F904i]]'''([[2007年]]6月1日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[D904i]]'''([[2007年]]6月8日発売)<br />
* '''[[P904i]]'''([[2007年]]6月15日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 905iシリーズ =====<br />
[[2007年]][[11月1日]]に905i企画端末(N905iBizを除く)、705iシリーズとともにD905i、N905i、SH905i、P905i、F905i、SO905iがドコモよりプレスリリースされた。<br />
全機種[[Video Graphics Array|VGA]]以上の[[画面解像度]]、Flash Lite3、[[ワンセグ]]、[[FOMAハイスピード|FOMAハイスピード(HSDPA)]]、[[GSM]][[ローミング]]、緊急速報[[エリアメール]]、バージョンアップしたきせかえツールが標準搭載(一部機能非搭載機種あり)。<br />
新サービスとしては[[ミュージックチャネル]]が動画に対応し[[ミュージックチャネル|Music&Videoチャネル]]となった。また、iアプリ・直感ゲームが音声入力に対応した。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!ブランド!!備考<br />
|-<br />
![[SH905i]]<br />
|2007年11月26日発売||||<br />
|-<br />
![[D905i]]<br />
|2007年11月26日発売||||<br />
|-<br />
![[N905i]]<br />
|2007年11月28日発売||||<br />
|-<br />
![[P905i]]<br />
|2007年11月28日発売||[[VIERA#VIERAケータイ|VIERAケータイ]]<br />
|-<br />
![[F905i]]<br />
|2007年11月29日発売||||音声入力非対応<br />
|-<br />
![[SO905i]]<br />
|2007年11月29日発売||||音声入力非対応<br />
|}<br />
<br />
===== 905i系企画端末 =====<br />
{{節新製品}}<br />
[[2007年]][[11月1日]]に905i、705iシリーズとともにドコモよりプレスリリースされた(N905iBizを除く)。N905iμは9シリーズでは初めての薄型μ端末である。SH905iTVはドコモではSH903iTVに続く2代目の[[AQUOSケータイ]]である。SO905iCSは[[Cyber-shot#Cyber-shotケータイ|Cyber-shotケータイ]]とし、[[ソニー]]の[[デジタルカメラ]]ブランド「[[Cyber-shot]]」を冠している。P905iTVは[[VIERA#VIERAケータイ|VIERAケータイ]]とし、[[松下電器産業|Panasonic]]の[[薄型テレビ|液晶、プラズマテレビ]]のブランド「[[VIERA]]」を冠している。N905iBizは[[2007年]][[12月3日]]に発表された法人専用モデルで、N905iμベースでカメラ非搭載。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:left;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!ブランド!!備考<br />
|-<br />
![[N905iμ]]<br />
|2007年11月30日発売||||[[ワンセグ]]非対応、本体がモノラルスピーカー<br />
|-<br />
![[SH905iTV]]<br />
|2008年1月24日発売<br />
|[[AQUOSケータイ]]||[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]、GSMローミング非対応<br />
|-<br />
![[SO905iCS]]<br />
|2008年1月~2月発売予定<br />
|[[Cyber-shot#Cyber-shotケータイ|Cyber-shotケータイ]]||[[ワンセグ]]、音声入力非対応<br />
|-<br />
![[P905iTV]]<br />
|2008年2月~3月以降発売予定<br />
|[[VIERA#VIERAケータイ|VIERAケータイ]]||[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]、GSMローミング、直感ゲーム非対応<br />
|-<br />
![[N905iBiz]]<br />
|2007年12月18日発売<br />
|||法人専用モデルのため個人購入不可<br />
|}<br />
<br />
==== 70xシリーズ(7シリーズ) ====<br />
===== 700iシリーズ =====<br />
movaの[[mova#25xシリーズ|25xiシリーズ]]に相当する普及ラインの端末。2005年2月2日にF700i、SH700i、N700i、P700iがドコモよりプレスリリースされた。90xiよりも端末値段を1万円前後下げて、より一層のFOMA普及を図る。全ての端末に、QVGA液晶、デコメールやFlash対応など、出来る限り901iのプラットフォームを活用しているが、iアプリの性能は[[mova#506i|506i]]相当の230KB(ダウンロード30KB、スクラッチパッド200KB)に、メガピクセル級のカメラを搭載とあえて抑えている。800MHz帯デュアルバンド対応は901i同様、ソフトバンクとの係争により見送られている。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[F700i]]''' (2005年2月10日発売)<br />
* '''[[SH700i]]''' (2005年2月25日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[N700i]]''' (2005年3月11日発売)<br />
* '''[[P700i]]''' (2005年3月11日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 700iSシリーズ =====<br />
2005年7月12日にF700iS、SH700iSがドコモよりプレスリリースされた。700iシリーズのセカンドモデル。800MHz帯とのデュアルバンド「FOMAプラスエリア」に対応する以外は700iシリーズとの機能の違いはない。8月3日にSA700iSがプレスリリースされた。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[F700iS]]''' (2005年7月21日発売)<br />
* '''[[SH700iS]]''' (2005年7月28日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SA700iS]]''' (2005年10月1日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 701iシリーズ =====<br />
2005年8月3日にD701i、N701i、P701iDがドコモよりプレスリリース。700iの後継モデル。このシリーズからニュースなどを自動配信する「iチャネル」に対応する。音声通話中にテレビ電話への切り替えが可能。また、901iSシリーズ同様に800MHz帯のデュアルバンド対応「FOMAプラスエリア」対応。それ以外の機能はほぼ700iSと同じ。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[D701i]]''' (2005年9月9日発売)<br />
* '''[[N701i]]''' (2005年9月9日発売)<br />
* '''[[P701iD]]''' (2005年10月1日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[Music Porter II]](D701iWM)''' (2005年12月22日発売)<br />
* '''[[N701iECO]]''' (2006年3月10日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 702iシリーズ =====<br />
2006年1月17日にF702iD、SH702iD、N702iD、P702i、D702iがドコモよりプレスリリース。701iの後継モデル。70xシリーズより廉価なモデルが出ることになったことより、個性派モデルになっている。機種によっては90xの機能を取り込んだモデルもある。2005年11月・12月にJATEを通過した。5月11日にSA702i、SO702iがドコモよりプレスリリースされた。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[F702iD]]''' (2006年2月24日発売)<br />
* '''[[N702iD]]''' (2006年2月24日発売)<br />
* '''[[SH702iD]]''' (2006年2月24日発売)<br />
* '''[[P702i]]''' (2006年2月24日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[D702i]]''' (2006年3月17日発売)<br />
* '''[[SO702i]]''' (2006年5月26日発売)<br />
* '''[[D702iBCL]]''' (2006年6月26日発売、法人専用モデル)<br />
* '''[[SA702i]]''' (2006年7月11日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 702iSシリーズ =====<br />
2006年7月4日にD702iF、P702iD、N702iS、SH702iS、M702iS、M702iGがドコモよりプレスリリース。702iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。機種によって70xベースと90xベースに分かれる。1.7GHz帯には対応しない。2005年11月・12月にJATEを通過した。<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SH702iS]]''' (2006年7月21日発売)<br />
* '''[[N702iS]]''' (2006年8月25日発売)<br />
* '''[[P702iD]]''' (2006年8月31日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[D702iF]]''' (2006年9月9日発売)<br />
* '''[[M702iS]]'''(2006年12月14日発売)<br />
* '''[[M702iG]]'''(2006年12月22日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 703iシリーズ =====<br />
[[2007年]]1月16日にD703i、F703i、N703iD、P703i、SH703i、SO703iがドコモよりプレスリリース。702iSの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。[[iアプリ]]は、最低でも500kアプリに対応。D703i、F703i、P703i、SH703i、SO703iではメガアプリに対応している。全機種[[着うたフル]]に対応している。[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]には非対応。ドコモ中国管内では「902iSを超えた703i」のキャッチコピーで販売されている。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[N703iD]]''' (2007年1月26日発売)<br />
* '''[[D703i]]''' (2007年2月2日発売)<br />
* '''[[F703i]]''' (2007年2月2日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[P703i]]''' (2007年2月2日発売)<br />
* '''[[SH703i]]''' (2007年2月9日発売)<br />
* '''[[SO703i]]''' (2007年2月23日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 703i系企画端末 =====<br />
[[2007年]]1月16日に企画端末として、703iシリーズと同時にN703iμ、P703iμが[[プレスリリース]]された。両モデル共に折りたたみ式第三世代携帯電話端末として'''世界最薄'''([[2007年]][[2月]]現在)となる厚さ11.4[[ミリメートル|mm]]の端末である。1.7GHz帯には対応しない。<br />
<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[P703iμ]]''' (2007年2月9日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[N703iμ]]''' (2007年2月20日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 704iシリーズ =====<br />
[[2007年]]7月4日にD704i、F704i、P704i、SH704i、SO704i、L704i、N704iμ、P704iμがドコモよりプレスリリース。703iの後継モデルで、引き続き個性派モデル路線を引きついている。D704i、SH704iではワンセグに対応している。L704iはハイスピードに対応している。[[2007年]]春以降発売の機種は原則[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]搭載としているのに704iシリーズでは搭載されてない。これについてドコモは薄型のためにやむをえなかったとしている。<br />
{|<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SO704i]]''' (2007年7月13日発売)<br />
* '''[[F704i]]''' (2007年7月20日発売)<br />
* '''[[N704iμ]]''' (2007年7月20日発売)<br />
* '''[[P704iμ]]''' (2007年7月27日発売)<br />
|valign=top|<br />
* '''[[SH704i]]''' (2007年7月27日発売)<br />
* '''[[D704i]]''' (2007年8月23日発売)<br />
* '''[[P704i]]''' (2007年8月31日発売)<br />
* '''[[L704i]]''' (2007年10月19日発売)<br />
|}<br />
<br />
===== 705iシリーズ =====<br />
{{節新製品}}<br />
[[2007年]][[11月1日]]に905iシリーズと同時に705iシリーズがドコモよりプレスリリースされた。<br />
[[ワンセグ]]搭載機種が5機種、[[おサイフケータイ]]対応機種が10機種ある。折りたたみ携帯世界最薄9.8mmの[[N705iμ]]、[[P705iμ]]、デザイン家電ブランド[[amadana]]とのコラボレーション端末[[N705i]]や7.2Mbps[[HSDPA]]に対応した[[L705iX]]などが登場した。また、[[ノキア]]が初めて7シリーズを開発した。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:right;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[D705i]]<br />
|2008年1月30日発売||<br />
|-<br />
![[F705i]]<br />
|2008年1月22日発売||<br />
|-<br />
![[L705i]]<br />
|2008年2月5日発売予定||<br />
|-<br />
![[N705i]]<br />
|2008年2月1日発売予定||<br />
|-<br />
![[P705i]]<br />
|2008年1月25日発売||<br />
|-<br />
![[D705iμ]]<br />
|2008年1月30日発売||<br />
|-<br />
![[N705iμ]]<br />
|2008年1月~2月発売予定||<br />
|-<br />
![[P705iμ]]<br />
|2008年1月~2月発売予定||<br />
|-<br />
![[NM705i]]<br />
|2008年2月発売予定||<br />
|-<br />
![[SH705i]]<br />
|2008年2月発売予定||<br />
|-<br />
![[SO705i]]<br />
|2008年2月発売予定||<br />
|-<br />
![[P705iμ|PROSOLID μ(P705iCL)]]<br />
|2008年2月発売予定||<br />
|-<br />
![[L705iX]]<br />
|2008年2月~3月発売予定||7.2Mbpsのサービス提供開始は2008年4月以降の予定<br />
|}<br />
<br />
==== 8xxシリーズ ====<br />
{{節stub}}<br />
movaでいう600番台で、特殊モデルに割り当てている。なお、800番台はもともとはドッチーモ(PDCとPHSの複合機)に割り当てられていたもので、すでに使われている81x、82xを避ける格好になる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[D800iDS]]<br />
|2007年2月9日発売<br />
||2画面ケータイ<br />
|-<br />
![[SA800i|キッズケータイ(SA800i)]]<br />
|2006年3月4日発売||<br />
|-<br />
![[F801i|キッズケータイ(F801i)]]<br />
|2007年12月20日発売<br />
||防水・GPS対応<br />
|-<br />
![[Nokia 6630#FOMA NM850iG|NM850iG]]<br />
|2006年3月17日||<br />
|-<br />
!DOLCE(SH851i)<br />
|2005年8月5日発売<br />
||折りたたみ式。129g。外部メモリーはminiSD対応。カメラ性能はCCD123万画素。液晶には2.4インチのVeilViewモバイルASV液晶を搭載。iアプリ、キャラ電には非対応。movaで発売されていたコンセプトケータイがFOMAにこのモデルから登場する。FOMAらくらくホンのコンセプトを受け継ぎながら、高級志向、大人向けの携帯とされている。読み方は「ドルチェ」<br />
|-<br />
![[Prosolid#FOMA P851i prosolid II|prosolid II(P851i)]]<br />
|2005年11月26日発売||<br />
|-<br />
![[MUSIC PORTER X|MUSIC PORTER X(D851iWM)]]<br />
|2006年4月8日発売||<br />
|-<br />
![[FOMAらくらくホン|FOMAらくらくホン(F880iES)]]<br />
|2004年9月4日発売||<br />
|-<br />
![[FOMAらくらくホンII|FOMAらくらくホンII(F881iES)]]<br />
|2005年8月19日発売||<br />
|-<br />
![[らくらくホンシンプル|FOMAらくらくホンシンプル(D880SS)]]<br />
|2005年12月16日発売||<br />
|-<br />
![[FOMAらくらくホンIII|FOMAらくらくホンIII(F882iES)]]<br />
|2006年9月1日発売||<br />
|-<br />
![[らくらくホンベーシック|らくらくホン ベーシック(F883i)]]<br />
|2007年4月13日発売||<br />
|-<br />
![[らくらくホンIV|らくらくホンIV(F883iES)]]<br />
|2007年8月17日発売||<br />
|}<br />
<br />
==== SIMPURE ====<br />
詳しくは[[SIMPURE]]参照の事。<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[SIMPURE L|SIMPURE L(L600i)]]<br />
|2006年4月14日発売||発売後不具合により販売が一時停止され、7月16日から順次販売再開<br />
|-<br />
![[SIMPURE N|SIMPURE N(N600i)]]<br />
|2006年4月25日発売||発売開始後不具合により販売が一時停止され、地域により7月21日または7月24日から販売再開<br />
|-<br />
![[SIMPURE L1|SIMPURE L1(L601i)]]<br />
|2006年11月17日発売||<br />
|-<br />
![[SIMPURE#SIMPURE N1 (N601i)|SIMPURE N1(N601i)]]<br />
|2006年12月8日発売||<br />
|-<br />
![[SIMPURE L2|SIMPURE L2(L602i)]]<br />
|2007年6月29日発売||<br />
|}<br />
<br />
=== ビジネスコンシューマー向け ===<br />
{{節新製品}}<br />
以下の端末はiモードには対応せず、[[パケ・ホーダイ]]が利用できないため[[Biz・ホーダイ]]の対象となる。<br />
<br />
{| class="wikitable" style="text-align:center;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[M1000]]<br />
|2005年7月1日発売||<br />
|-<br />
![[htc Z]]<br />
|2006年7月発売<br />
||[[QWERTY配列]]キーボードを搭載したスマートフォン。[[Windows Mobile]]5.0搭載。W-CDMAに加えGSM/GPRS通信に対応し、国際ローミング可能。ドコモ中央管内の法人専用モデル<br />
|-<br />
![[BlackBerry|BlackBerry 8707h]]<br />
|2006年9月発売<br />
||QWERTY配列キーボードを搭載したスマートフォン。日本語表示はできるが、日本語入力には非対応。W-CDMAに加えGSM/GPRS通信に対応、国際ローミングが可能。法人向けの販売で、個人ユーザーには販売されない。<br />
|-<br />
![[F1100]]<br />
|2008年1月~3月発売予定||<br />
|-<br />
![[HT1100]]<br />
|2008年1月~3月発売予定||<br />
|}<br />
<br />
=== データ通信端末 ===<br />
{{節新製品}}<br />
{| class="wikitable" style="text-align:left;"<br />
|-<br />
!端末型番!!発売開始日!!備考<br />
|-<br />
![[P2401]]<br />
|2001年10月1日発売<br />
||[[PCカード]]サイズの端末。パケット通信が下り最大384kbps、上り最大64kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応<br />
|-<br />
![[F2402]]<br />
|2003年9月13日発売<br />
||PCカードサイズの端末。パケット通信が上り下り共に最大384kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応。パソコンに挿してテレビ電話、音声通話ができる<br />
|-<br />
![[P2402]]<br />
|2003年11月28日発売<br />
||[[コンパクトフラッシュ|CFカード]]サイズの端末。パケット通信が下り最大384kbps、上り最大64kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。パソコンに挿してテレビ電話ができる。<br />
|-<br />
![[P2403]]<br />
|2006年3月22日発売<br />
||CFカードサイズの端末。パケット通信が下り最大384kbps、上り最大64kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。データ通信端末初の[[FOMAプラスエリア]]対応端末<br />
|-<br />
![[M2501 HIGH-SPEED]]<br />
|2006年9月29日発売<br />
||PCカードサイズの端末。データ通信端末として初の[[FOMAハイスピード]](HSDPA)対応。パケット通信が下り最大3.6Mbps、上り最大384kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。FOMAプラスエリアにも対応。海外では3G+GSMの国際ローミング([[WORLD WING]])が利用可能。パソコンに挿してテレビ電話、音声通話ができる<br />
|-<br />
![[A2502 HIGH-SPEED]]<br />
|2007年10月5日発売<br />
||初のUSBタイプの端末。パケット通信が下り最大3.6Mbps、上り最大384kbpsで、FOMAプラスエリアにも対応。海外では3Gの国際ローミング(WORLD WING)が利用可能<br />
|-<br />
![[N2502 HIGH-SPEED]]<br />
|2008年1月~3月発売予定<br />
||[[FOMAハイスピード]](HSDPA)初のCFカードサイズの端末。パケット通信が下り最大3.6Mbps、上り最大384kbpsで、データ通信(回線交換方式)が上り下り共に最大64kbpsに対応する。FOMAプラスエリアにも対応。パソコンに挿してテレビ電話ができる。<br />
|-<br />
![[OP2502 HIGH-SPEED]]<br />
|2008年1月~3月発売予定<br />
||初の[[ExpressCard34]]タイプの端末。海外では3G+GSMの国際ローミング([[WORLD WING]])が利用可能。<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日本国外で使用可能な携帯電話端末の一覧]]<br />
* [[mova]]<br />
* [[NTTドコモ]]<br />
* [[WORLD WING]]<br />
* [[FOMAプラスエリア]]<br />
* [[iチャネル]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.nttdocomo.co.jp/product/foma/ NTTドコモ|FOMA]<br />
* [http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0607/12/news089.html ITmedia +D モバイル-番号ポータビリティまでにムーバ以上のエリアを構築する]<br />
* [http://it.nikkei.co.jp/mobile/news/index.aspx?n=NN000Y707%2003012007 日本経済新聞-ドコモの次期高速携帯、速度260倍・投資は10分の1]<br />
* [http://www.docomokyusyu.co.jp/info/news_release/20070302_a1.html NTTドコモ九州|報道発表資料|FOMAサービスエリアの全国人口カバー率が100%に~南大東村・北大東村でFOMAエリア拡大~]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
{{携帯電話の世代}}<br />
<br />
[[Category:スマートフォン]]<br />
[[Category:携帯電話 (NTTドコモ)]]<br />
[[Category:モバイルネットワーク]]<br />
[[Category:国際ローミング]]<br />
<br />
[[de:Freedom_of_Mobile_Access]]<br />
[[en:Freedom_of_Mobile_Multimedia_Access]]<br />
[[es:FOMA]]<br />
[[fi:FOMA]]<br />
[[fr:Freedom_of_Mobile_Multimedia_Access]]<br />
[[it:FOMA]]<br />
[[no:Freedom_of_Mobile_Multimedia_Access]]<br />
[[pl:FOMA]]<br />
[[zh:FOMA]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=vagina&diff=401173
vagina
2022-08-27T01:07:57Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>{{Wikipedia}}<br />
{{Q|I created man as an image of myself, but when it came to women, I hit her between the legs with an axe|God|Vaginas}}<br />
The '''Vagina''' (or more commonly known as 'the "Happy Hole"') is commonly considered to be small [[furry]] animal with possibly thousands of rows of razor-sharp, serrated teeth - capable of devouring large quantities of raw meat. The vagina has the distinction of being colloquially known as an "axe wound" in every spoken language on [[Earth]]. Also known as the thing-that-you-will-spend-nine-tenths-of-your-life-looking-for-but-never-getting.<br />
<br />
Its primary justification is to give meaning to the existence of [[females]], for the vagina was made to give pleasure to men (among no other things) and is the one main reason why men keep women around (aside from [[breasts]]).<br />
<br />
Females were created to be a host to vaginas and sustain their lives by supplying oxygenated [[blood]], and enable transportation to fresh kills of raw meat. Some [[Expert|experts]] claim the that the original [[Intelligent_design|intended]] use of the vagina (note: the orange ones fuck you up real good) was to steal any fresh kitten souls from men who've been [[Kitten Huffing|huffing]] - which explains why [[Kitsune#Kitsune_Vampirism|the male becomes lethargic and the female energized]] after [[Sex|sex]].<br />
<br />
Professors of vaginology are commonly referred to as vaginarians, vaginalogists or [[vegetarians|vagiterians]]. That they may be called gynecologists is a vagination of clitorical proportion.<br />
<br />
== Alternate Definitions == <br />
The most influential [[force]] in the [[known universe]], the vagina is stronger than the five fundamental physical [[force]]s (gravity, strong and weak nuclear, electro-magnetic, Rayner Administration foreign policy) combined. the vagina is lined with razor sharp teeth . It is also very formidable, except Katie Rayner likes them. It is thought to be the portal to [[God]] (at least according to Katie Rayner). Approximately one-half of the terrestrial [[human]] population is afflicted by the mysterious force, while the other half spends the majority of their young adult lives trying to access it momentarily.<br />
<br />
Vaginas sometimes have sex with their poop from the usual raw meat to include cheese, a change which transforms the creature into what is known as a "cheesy vagina." The vagina becomes more irritable after this transformation, and may indeed temporarily lose its appetite for raw meat entirely.<br />
The term vagina also typically refers to cities, states or countries with the characteristics of a vagina. For example, [[Toronto]], [[Ontario]] in the summer can be considered a vagina because it is hot (near body temperature), humid (90%+ relative humidity), smells like rotting garbage (unwashed), and additionally gives birth to all [[Canadian]] hubris (reproductive function). Similar conditions exist for countries such as [[Taiwan]] ROC and states such as [[Florida]] in the summer.<br />
<br />
The world's leading expert on vaginology, Dr Condoleeza Rice, has suggested that the vagina's true purpose lies in the fabled "pussy fart", in which the vagina forces out a mysterious hydrocarbon gas capable of killing millions by means of hornification. Because of its overall deadliness, none have been able to analyse it in its entirety. All that is speculated is that if the atmosphere reaches critcal levels, massive horniness could be achieved and that in the case of such an event all men and homosexual females -- everyone who ever lusted after pussy -- will die. <br />
Vaginas are sometimes thought to have a mind of their own.<br />
<br />
Although it generally controls all of their functions, females are occasionally able to overcome the force of the vagina and use it as a suctioning device, removing all property and monetary assets from any man that may be attached. This action is generally referred to as a pussywhipping, referring to Admiral H. T. Pussy, whose female's pussy actually grew bullwhips to remove the money from his wallet by force. Males who believe they may be in danger of a pussywhipping are advised to dangle a diamond, credit card, or pair of shoes in front of the vagina, in order to increase its strength over the female's mind and keep her placated.<br />
<br />
==Civilization==<br />
If global trends continue as they are now, it is predicted that by the year 2037 the woman's vagina will reign supreme over all of civilization as we know it, in the rise of the second [[Woman Empire]], Aristasia. Under the new administration, men will be used only for fertilization such as when a woman/vagina wants to have offspring or only if it/she is rather horny.<br />
<br />
Men will be addressed simply by numbers, e.g. #2774890. Each man will have their own unique number and must send a request to the almighty vagina for their needs, such as new clothing or food of their own choice. The food they'll receive by default will be beer and steak and they will have daily activities such as watching porn or sports shows from the 90s, in a highly effective method to keep men from questioning the world around them.<br />
<br />
Women will also have a vast amount of freedom to do as they please and have the privilege of not asking the supreme vagina. This freedom will be spent shoeshopping 24-7. The shoe industry will experience an unparallelled economic boom. Science and technology will fade away as women will be too busy trying on shoes.<br />
<br />
If any man or woman defies the rule of the supreme vagina, they will be tortured and automatically thrown into the death chamber which lies deep within the supreme vagina herself and straight into the [[placenta]]. There, the victims will be squeezed to death and if still alive, they will drown in acidic amniotic fluids. Vaginas also produces the funniest phone number in the world.<br />
<br />
However, without a radical restructuring in policy this empire is doomed to fail like the first one.<br />
<br />
==Censorship==<br />
Many women attempt to [[censorship|censor]] their vaginas. The most common method, though generally discouraged by males everywhere, is to grow [[hair]] there. Alternatively, they can wear clothes. Many a man's preferred methods include burqas.<br />
<br />
== Other notes ==<br />
*Hillary Clinton's vagina is a very scary place. it eats small children and uses their bones to make the necks of vagina shaped guitars! (However, the Democrats deny its existence.)<br />
<br />
*In some South American countries vaginas are known as ''chorros'' which is a Spanish word for the shellfish known to the rest of the world as mussels. Streetwalkers are known to frequently bathe their vaginas in salt water which helps keep their chorros fresh.<br />
<br />
*Also, it should be noted, as it is important to know, that vagina is very hard to rhyme. It was successfully rhymed with words like Sa-brina, sublime-''aaahhhhhhhh'', lima, and Regina.<br />
<br />
*Vaginas require significant maintenance with specialized tools. Maintenance is typically conducted on a monthly basis. Should you note a string hanging from a vagina, your best bet is to leave it alone. Better yet, leave the woman attached to it alone, as well.<br />
<br />
*Vaginas are one of the most common storage places on the human body. Bottles, luggage, lettuce, hand grenades, beer and semen are a few of the things that women have been known to keep in their vaginas. Spare change may also be kept in them when the piggy bank does not have any remaining capacity.<br />
<br />
==Pope Benedict XVI's Address on the Existence of the Vagina==<br />
<br />
With more questions being asked daily and public pressure mounting, during his 2008 visit to the [[United States]], [[Pope Benedict XVI]] spoke publicly for the first time regarding his stance on the existence of the vagina. The statement is as follows:<br />
<br />
''...and finally to my subjects:''<br />
<br />
<blockquote>"''In recent months, so-called 'authorities' have been fueling the public imagination with unwarranted speculation on the vagina. It is [[God]]'s will that the subject of the vagina is not to be explored, and is not supposed to be questioned. We shall know in due time, once God tells us what it is for. Man may question or even speculate on the purpose of the vagina, but no conclusions should be drawn unto its origin. I do not have a vagina, nor have I ever seen one. I'm not even sure if I have a [[asshole|butthole]] or not. We must not question God's motives on the existence of the vagina. If anyone here now has ever seen a vagina, please email me a picture at <u>popebennyxvi@vatican.va</u>. Rest assured that all these pictures will be forwarded personally to me for quick viewing.''"</blockquote><br />
<br />
''God bless you, and may your life be free of freak Skil-Saw accidents.''<br />
<br />
Pope Benedict XVI<br />
<br />
<br />
==See also==<br />
* [[Barbara Bush]]<br />
* [[Your Mom]]<br />
* [[HowTo:Handle Flashing Your Vagina in Public]]<br />
* [[Nude]]<br />
* [[That time of the month]]<br />
* [[The Vagina Monologues]]<br />
* [[Scenester]]<br />
* [[Oscar Wilde]]<br />
* [[Cameltoe]]<br />
* [[C.U.N.T]]<br />
* [[Kitsune]]<br />
<br />
[[Category:Childish Misogynistic Humor]] <br />
[[Category:Women]]<br />
[[Category:Anatomy]]<br />
[[Category:Things That Smell]]<br />
[[Category:Sexuality]]<br />
[[Category:Vagina]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=VHS&diff=401172
VHS
2022-08-27T01:05:49Z
<p>PG: /* VHSフォーマット概要 */</p>
<hr />
<div>'''VHS'''(ブイエイチエス、'''Video Home System'''、ビデオホームシステム)とは[[日本ビクター]]が[[1976年]]に開発した家庭用[[ビデオテープレコーダ|ビデオ]]規格である。当初は記録方式を示す'''Vertical Helical Scan'''の略称であったが、後に'''Video Home System'''の略称として定着した。<br />
<br />
==ベータマックスとの規格戦争==<br />
VHSが開発される前年には[[ソニー]]が開発した家庭用ビデオ[[ベータマックス]]が発売されていた。VHSはその対抗規格として脚光を浴び、史上類を見ないフォーマット戦争([[規格争い]])が約10年間も続いたが、最終的にはVHSが生き残った。その要因としてはいくつかある。<br />
#VHSを採用するメーカーを積極的に獲得し、共同で規格の充実を図る体制を確立したことで多数ファミリーを形成できたこと。<br />
#家電メーカーを積極的に獲得し、その販売網を利用できたこと。特に[[松下電器産業]]をグループに引き込んだことが大きい([[ベータマックス]]陣営には家電販売網を持つ[[東芝]]の存在もあったが、松下の販売網の緻密さは大きく影響したと言われている)。<br />
#記録時間を最初から実用的な2時間に設定し、その後も長時間化に成功したこと。<br />
#米国市場での[[OEM]]供給先を数多く獲得することに成功したこと。<br />
#量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できたこと。<br />
#VHSの優位を見た映像ソフトメーカーがVHSでしか商品を発売しなくなり、レンタルビデオ店でもVHSのみとなったためますますVHSへとシェアが雪崩れうっていったこと(一説には[[アダルトビデオ]]メーカーのVHS支持が普及に貢献したとも言われている)。<br />
などが上げられる。<br />
<br />
[[2000年代]]になってから[[次世代DVD]]として同様の規格争いが[[Blu-ray Disc]]と[[HD DVD]]の間でもあった(Blu-ray Discが事実上勝利)。<br />
<br />
==ビデオとしてのVHS==<br />
[[1976年]]10月に日本ビクターが発売したVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)は当時の金額で定価25万6000円もし(留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売で1万円もした)、[[シャープ]]、[[三菱電機]]も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。又、VHSの録画テープも当初は120分が6000円という価格であった。またこの当時は現在のVideo Home Systemではなく、Vertical Helical Scanの略称ということになっていた(現在はビデオデッキ、録画テープ共に当初の20分の1未満の価格で入手できるまでになった)。<br />
<br />
[[1977年]]には松下電器産業が普及型のVHS[[ビデオデッキ]]「[[マックロード]]」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。<br />
<br />
当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅は[[コンパクトカセット]]より狭かった(テープスピードも1/2以下)。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)および[[ワウフラッター]]の増加により更に音質が悪化。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーではすこしでも高音質化すべく[[ドルビーノイズリダクションシステム]](ドルビーB)、[[dbx]]などの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたもののワウフラッターには対応できなかった。<br />
<br />
[[1983年]]4月にソニーがステレオハイファイ音声記録方式(Beta hi-fi)を採用したSL-HF77を発売したのに対抗し、5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用したハイファイステレオオーディオ機能を追加したNV-800を発売。この機能はすぐにVHSのハイファイステレオ規格の標準として採用。正式なVHSハイファイとしては1983年秋に発売されたビクターのHR-D725が最初である(ダイナミックレンジは当初80dB以上、[[1986年]]以降の機種では90dB以上に向上した。周波数特性は20~20000Hz)。ハイファイ音声を備えない、いわゆるモノラルVCRは単体機は[[1990年代]]後半に生産を終了しているが、[[テレビデオ]]には今なおハイファイ音声がないものが少なくない。<br />
<br />
テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間であった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったりテープ幅やカセットのサイズも様々だったりと互換性のない規格が氾濫していた。VHSの特徴としてビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、現在は210分が最長となった。また規格の範囲を大きく逸脱しない形での改良を続けており、HQやHIFIオーディオ対応、ビデオカメラ規格の[[VHS-C]]、高画質機種の[[S-VHS]]、アナログハイビジョン対応の[[W-VHS]]、[[デジタル放送]]対応の[[D-VHS]]など幅広く展開している。すべての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「'''ノーマルVHS'''」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。<br />
<br />
また、長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため1977年に[[アメリカ合衆国|米国]]市場向けの2倍モード(LP)、[[1979年]]に3倍モード(EP)が開発され幅広い機種に搭載された。その後、5倍モードも開発され一部の機種に搭載されている。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種もあるなど、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。[[ベータマックス|ベータ]]、[[8ミリビデオ|8ミリ]]、[[レーザーディスク|LD]]など様々なメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式として[[デファクトスタンダード]]となった。<br />
<br />
VHSの[[ハードウェア|ハード]]の普及台数は全世界で約9億台以上(テープに至っては、推定300億巻以上)と言われている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年には[[IEEE]]によってVHSの開発を「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』への認定を果たした<ref>[http://www.jvc-victor.co.jp/press/2006/ieee.html 権威ある「IEEEマイルストーン」に認定]、日本ビクター、[[2006年]][[10月11日]]</ref>。<br />
<br />
==開発元の撤退==<br />
日本では[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]が開始された[[2003年]]以降、[[DVD]]や[[Blu-ray Disc|BD]]、[[ハードディスクドライブ|HDD]]などを用いる次世代型ビデオ規格対応製品の販売台数が増えてきており、VHSレコーダの市場は縮小傾向にある。また、2004年にパナソニックからVHS/DVD/HDDの3in1機が発売されてからは、VHS単体機の販売不振がより顕著になった(パナソニックは2007年2月でVHS単体機を全機種生産終了した)。<br />
<br />
[[2007年]][[5月30日]]、日本ビクターは経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの[[撤退]]を発表した。当初は売却も噂されたが、その後一部を除き事実上の今後VHSビデオ事業そのものの[[清算]]を発表した(詳細は下記)。<br />
<br />
[[2008年]][[1月15日]]、日本ビクターはS-VHS/VHS単体機を全機種生産終了したと発表した。他社のS-VHS機も既に生産終了しているため、S-VHS方式本来の[[TV本|水平解像度]]で録画・再生<ref>[[DVDレコーダー]]との一体型などによく見られるが、搭載されているVHSデッキがノーマルVHSであっても[[S-VHS]]デッキ同様、テープへのもしくはテープからの映像を[[S端子]]から入出力できる仕様にすることで、S-VHSにより近い画質で録画・再生できる事を謳った製品は現在でも[[電機メーカー]]各社によって製造・販売が継続されている。</ref>できる[[民生用]]製品の[[新品]]は海外のメーカーなどが日本向けの製品を発売しない限り、少なくとも日本市場からは姿を消す([[業務用]]は継続)。なお、同社は2007年3月で[[DVDレコーダー]]からも撤退(こちらも業務用は継続)しており、今後同社で生産されるVHS/DVD関連製品の[[民生用]]モデルは[[DVDプレーヤー]]一体型のVHS機「HR-DV5」とDVDプレーヤー「XV-P323」の2つのみとなる。W-VHSやD-VHSはさほど普及しておらず名称すら知らない者も少なからず存在するが、S-VHSについては[[1987年]]の発表以来、日本国内でも[[電機メーカー]]各社から発売され、累計販売台数もかなりの台数になる。そのため、S-VHS方式で記録されたビデオテープは全国に数多く存在し、[[消費者]]の中には日本ビクターに対して不満を抱く者もいるようだ。<br />
<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/company/ir/pdf/presen-070530.pdf 関連情報]<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/dvd/info.html 生産終了のソース]※発表はS-VHSのみだが、同時にVHS単体機も生産終了している。<br />
<br />
==コンピュータ用としてのVHS==<br />
VHSが普及するにつれ量産効果が上がり、テープ価格が大幅に値段を下げた。[[オープンリール]]を多用していたコンピュータ業界はテープの安さからデータカートリッジとしての利用を推し進めた。[[富士通]]などは大型コンピュータの[[補助記憶装置]]として用い、数百本のVHSテープを筐体内ラックに納め、コンピューター制御により[[ジュークボックス]]さながらのオートローディングを行わせ大型[[磁気ディスク装置]]のバックアップ装置として活用した。この際使用したテープは市販のビデオ用テープと同じ規格の物を使用した。<br />
<br />
==プロ・オーディオ用としてのVHS==<br />
[[1991年]]、米ALESIS社がS-VHSテープに8トラックのデジタル録音を可能にしたADAT(ALESIS DIGITAL AUDIO TAPE)を発売。機器ばかりでなくメディアも安価ということで、中小のスタジオやホームスタジオで急速に広まった。デジタルがゆえに事前にフォーマット作業が必要で(後に録音と同時フォーマットが可能になる)、120分の録画テープで約41分の録音が可能。デジタル記録はヘッドとの物理的接触に弱いため、ベース・フィルムを強化したADATロゴ入りの推奨S-VHSテープも存在する。当初のTypeIフォーマットではサンプリングビット/レートは16bit/44.1kHzと16bit/48kHzであったが、後のTypeIIフォーマットで24bitにも対応した。1チャンネルの記録につき2トラックを使って96kHzを実現するS/MUXという規格もある。一方デジタルのインターフェイスは標準の角型オプティカル(S/PDIF)で8チャンネルを同時に送受信できるが、もちろん一般の2チャンネルのフォーマットとは互換性はない。16台まで同期できる。<br />
<br />
現在この規格は一般化し、adat(エーダット)として、Hi8テープに同様の録音ができる[[ティアック]]社のDTRS規格とともに、ユーザーの根強い支持を得ている。<br />
<br />
==VHSフォーマット概要==<br />
*記録方式:[[ヘリカルスキャン方式]]<br />
*記録ヘッド数:2<br />
*ヘッドドラム径:62mm<br />
*ヘッドドラム回転数:29.97Hz(約1800rpm)<br />
*カセットテープサイズ: 188×104×25mm<br />
*テープ幅:12.7mm<br />
*テープ送り速度:約33.34mm/s(SP)/16.76mm/s(LP)/11.18mm/s(EP)<br />
*記録トラック幅:約58μm(SP)/29μm(LP)/19μm(EP) ※LPモード対応機種は、[[日本]]国内ではほとんど普及していない。<br />
*音声トラック<br />
**ノーマル1トラック(モノラル音声)<br />
**ノーマル2トラック(ステレオ音声。[[1978年]]の[[音声多重放送]]開始に対応するために追加された。[[ヒスノイズ]]が増加したため、対策として[[ドルビーノイズリダクションシステム]](Bタイプ)を搭載した。なお、対応する製品はHR-S10000([[1987年]] 日本ビクター)以降生産されていない)<br />
**[[Hi-Fi]]2トラック([[1983年]]に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた)<br />
**[[リニアPCM]](過去には[[日本ビクター]]製の「HR-Z1」([[1990年]] 発売)など、国内のメーカー数社から対応する製品が発売され[[衛星放送]]の[[エアチェック]][[ファン]]などから高く評価されたが、[[著作権]]保護の問題から僅か1世代で生産が終了した)<br />
*信号方式<br />
**映像信号:[[周波数変調]](FM)シンクチップ:3.4MHz/白ピーク:4.4MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式)<br />
**映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:5.4MHz/白ピーク:7.0MHz:クロマ信号:低域変換方式(S-VHS方式)<br />
**音声信号:2チャンネル長手方向記録(ノーマル音声トラックの場合)<br />
<br />
==VHS発売エピソード==<br />
アンペックス社の巨大な業務用VTRを始まりとして、[[NTSC]]方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式の開発以降、各社比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売。もちろん方式はバラバラだった。松下・ビクター・ソニーの3社は家庭用も見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格([[Uマチック]])に合意。発売したが、高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途、教育機関、旅館/ホテルの館内有料放送(ブルーフィルムもどき)などが主な販売先であった。<br />
<br />
そこでソニーは広く家庭への普及を狙いテープ幅を1/2インチ、カセットがコンパクトなベータマックスを開発。各社に家庭用VCRのベータ方式での統一を呼びかけた。しかし、ビクターも同じテープ幅1/2インチの家庭用VCRを開発していた。カセットのコンパクト化よりも長時間録画を優先。ベータはUマチックとおなじUローディング方式をそのまま用いたのに対し、開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した。<br />
<br />
そしてソニーに続いてビクターも家庭用VCR、VHSの開発を発表。ビクターは親会社の[[松下電器産業]]にVHS方式への参加を要請したが、当時、子会社の松下寿が開発した[[VX方式]]のデッキを販売していたこと、さらにベータ方式を支持する社内意見もあり松下の反応は煮え切らないものだった。<br />
<br />
そこで、のちに「VHSの父」と呼ばれる[[高野鎮雄]]が[[松下幸之助]]に直訴。松下本社で幸之助、松下、ソニー、ビクター各社社員ら出席し、両社のビデオデッキを見比べる会議(直接対決)が開かれた。その席で幸之助は「ベータは100点(満点)、しかしVHSは150点。部品点数が少ないので(VHSは)安く造ることが出来る」と言ったといわれる。通産省が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、新規格での規格統一も提案したが両社とも自社規格を引っこめる気が無いために幻となり、松下はVHS方式への参加を決めた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのはVHSデッキのほうが軽く、幸之助によるとそれはギリギリ持ち帰れる重さでお客さんが買ったら自宅に持ち帰りすぐ見られる(ベータだと販売店の配送を待たなければならない)といった幸之助らしい基準であった。<br />
<br />
==その他エピソード==<br />
*VHS/β戦争の火蓋が切られたとき、ソニーは自社工場で生産されたものは自社ブランドで販売していたが、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーにOEM供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それはいろんなメーカーで販売することによって他社の販売網を活用できるし、VHSのほうが多数派であるような印象を持たれるように狙ったものであるといわれる。<br />
*松下電器ではOEM供給していたアメリカの[[RCA]]社より、[[アメリカンフットボール]]の録画のために更に長い録画時間が必要という要望があり2倍モードをつけたVHSデッキを開発、OEM供給したがビクターの了承を得ないものだった。互換性を重視するビクターは松下の勝手な振る舞いに怒ったらしいが、βのβIIなどの長時間録画モードへの対抗上、3倍モードでも画質は2倍モードとほとんど変わらないうえに特殊再生が可能、という技術的見地から3倍モードがVHS規格に追加された(ベータ規格の3倍モード相当となるβIIIも、特殊再生や映像処理の面では2倍モード相当のβIIより有利だった)。<br />
*松下の独自規格によるハイファイ機、松下のNV-800はハイファイ音声トラックの信号処理に[[dbx]]を使っていた。しばらくのち、NV-800が採用したハイファイ音声の磁性体への深層帯記録を用いたHifiビデオデッキをVHS規格化するにあたりdbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が採用された。NV-800で録画されたカセットをVHSハイファイビデオデッキで再生すると音声が多少歪む可能性がある。 <br />
*VHS/β戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬライセンス収入があった。<br />
*1977年にビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHS1号機のHR-3300は戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴをつけた唯一のデッキとなった。<br />
<br />
==関連映像==<br />
*映画『[[陽はまた昇る]]』<br />
*NHK [[プロジェクトX〜挑戦者たち〜|プロジェクトX]] ‐ 『窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~』<br />
*フジテレビ [[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]] ‐ 『関ヶ原ビデオ合戦史 VHS対ベータ、そして8ミリへ』<br />
<br />
==脚注・出典==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references /><br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[映像機器]]<br />
*[[音響機器]]<br />
*[[情報機器]]<br />
*[[日本ビクター]]<br />
*[[髙野鎮雄]]<br />
*[[録画チャンネル4.5]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/index.html 日本ビクター 公式サイト]<br />
*[http://www.vhs-std.com/index.htm VHSコミュニティーページ(日本ビクター運営)]<br />
<br />
[[Category:ビデオテープ|VHS]]<br />
<br />
{{tech-stub}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=VHS&diff=401171
VHS
2022-08-27T01:05:22Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>'''VHS'''(ブイエイチエス、'''Video Home System'''、ビデオホームシステム)とは[[日本ビクター]]が[[1976年]]に開発した家庭用[[ビデオテープレコーダ|ビデオ]]規格である。当初は記録方式を示す'''Vertical Helical Scan'''の略称であったが、後に'''Video Home System'''の略称として定着した。<br />
<br />
==ベータマックスとの規格戦争==<br />
VHSが開発される前年には[[ソニー]]が開発した家庭用ビデオ[[ベータマックス]]が発売されていた。VHSはその対抗規格として脚光を浴び、史上類を見ないフォーマット戦争([[規格争い]])が約10年間も続いたが、最終的にはVHSが生き残った。その要因としてはいくつかある。<br />
#VHSを採用するメーカーを積極的に獲得し、共同で規格の充実を図る体制を確立したことで多数ファミリーを形成できたこと。<br />
#家電メーカーを積極的に獲得し、その販売網を利用できたこと。特に[[松下電器産業]]をグループに引き込んだことが大きい([[ベータマックス]]陣営には家電販売網を持つ[[東芝]]の存在もあったが、松下の販売網の緻密さは大きく影響したと言われている)。<br />
#記録時間を最初から実用的な2時間に設定し、その後も長時間化に成功したこと。<br />
#米国市場での[[OEM]]供給先を数多く獲得することに成功したこと。<br />
#量産に適した構造で、普及期に廉価機の投入など戦略的な商品ラインナップを実現できたこと。<br />
#VHSの優位を見た映像ソフトメーカーがVHSでしか商品を発売しなくなり、レンタルビデオ店でもVHSのみとなったためますますVHSへとシェアが雪崩れうっていったこと(一説には[[アダルトビデオ]]メーカーのVHS支持が普及に貢献したとも言われている)。<br />
などが上げられる。<br />
<br />
[[2000年代]]になってから[[次世代DVD]]として同様の規格争いが[[Blu-ray Disc]]と[[HD DVD]]の間でもあった(Blu-ray Discが事実上勝利)。<br />
<br />
==ビデオとしてのVHS==<br />
[[1976年]]10月に日本ビクターが発売したVHS第1号ビデオデッキ(品番:HR-3300)は当時の金額で定価25万6000円もし(留守番録画のできる時計内蔵の専用取付式タイマーは別売で1万円もした)、[[シャープ]]、[[三菱電機]]も当初は日本ビクターの第1号機をOEMで発売していた。又、VHSの録画テープも当初は120分が6000円という価格であった。またこの当時は現在のVideo Home Systemではなく、Vertical Helical Scanの略称ということになっていた(現在はビデオデッキ、録画テープ共に当初の20分の1未満の価格で入手できるまでになった)。<br />
<br />
[[1977年]]には松下電器産業が普及型のVHS[[ビデオデッキ]]「[[マックロード]]」を発売し、VHSヒットのきっかけにもなった。<br />
<br />
当初、VHSの音声トラックはテープの隅に固定ヘッドでモノラル録音するものだったが、その幅は[[コンパクトカセット]]より狭かった(テープスピードも1/2以下)。3倍モードではテープスピードが標準モードの1/3になり、S/N比の劣化(ヒスノイズの増加)および[[ワウフラッター]]の増加により更に音質が悪化。上位機種では音声トラックをステレオ化していたこともあり、各メーカーではすこしでも高音質化すべく[[ドルビーノイズリダクションシステム]](ドルビーB)、[[dbx]]などの音声信号の圧縮伸張処理技術を採用していたが、S/N比の劣化に対しては若干の改善が見られたもののワウフラッターには対応できなかった。<br />
<br />
[[1983年]]4月にソニーがステレオハイファイ音声記録方式(Beta hi-fi)を採用したSL-HF77を発売したのに対抗し、5月には松下電器が音声専用ヘッドを搭載し、磁性体への深層帯記録を使用したハイファイステレオオーディオ機能を追加したNV-800を発売。この機能はすぐにVHSのハイファイステレオ規格の標準として採用。正式なVHSハイファイとしては1983年秋に発売されたビクターのHR-D725が最初である(ダイナミックレンジは当初80dB以上、[[1986年]]以降の機種では90dB以上に向上した。周波数特性は20~20000Hz)。ハイファイ音声を備えない、いわゆるモノラルVCRは単体機は[[1990年代]]後半に生産を終了しているが、[[テレビデオ]]には今なおハイファイ音声がないものが少なくない。<br />
<br />
テープは幅が1/2インチのカセットタイプで、標準録画時間が2時間であった。この形は現在では当たり前となったが、開発当時のVTRにはテープのリールが1つだけのカートリッジタイプがあったりテープ幅やカセットのサイズも様々だったりと互換性のない規格が氾濫していた。VHSの特徴としてビデオの規格を原則として変えないことがあり、発売当初録画されたテープは現在流通している最新機種でも再生できる。技術の進歩によりテープの長尺化が進んだ結果、現在は210分が最長となった。また規格の範囲を大きく逸脱しない形での改良を続けており、HQやHIFIオーディオ対応、ビデオカメラ規格の[[VHS-C]]、高画質機種の[[S-VHS]]、アナログハイビジョン対応の[[W-VHS]]、[[デジタル放送]]対応の[[D-VHS]]など幅広く展開している。すべての規格においてVHSテープの再生は基本的には対応している。なお、S-VHSの登場後は従来のVHSを識別のため「'''ノーマルVHS'''」または「コンベンショナルVHS」と呼ぶ場合がある。<br />
<br />
また、長時間録画のユーザーのニーズにも応えるため1977年に[[アメリカ合衆国|米国]]市場向けの2倍モード(LP)、[[1979年]]に3倍モード(EP)が開発され幅広い機種に搭載された。その後、5倍モードも開発され一部の機種に搭載されている。また規格外ではあるが標準モードで2つの番組を同時に録画できる機種もあるなど、VTR普及期にはメーカーから様々な提案がなされた。[[ベータマックス|ベータ]]、[[8ミリビデオ|8ミリ]]、[[レーザーディスク|LD]]など様々なメディアとの競争の結果、家庭用ビデオ方式として[[デファクトスタンダード]]となった。<br />
<br />
VHSの[[ハードウェア|ハード]]の普及台数は全世界で約9億台以上(テープに至っては、推定300億巻以上)と言われている。このことを称え、VHS規格発表から30周年の2006年には[[IEEE]]によってVHSの開発を「電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績」として『IEEEマイルストーン』への認定を果たした<ref>[http://www.jvc-victor.co.jp/press/2006/ieee.html 権威ある「IEEEマイルストーン」に認定]、日本ビクター、[[2006年]][[10月11日]]</ref>。<br />
<br />
==開発元の撤退==<br />
日本では[[地上デジタルテレビジョン放送|地上デジタル放送]]が開始された[[2003年]]以降、[[DVD]]や[[Blu-ray Disc|BD]]、[[ハードディスクドライブ|HDD]]などを用いる次世代型ビデオ規格対応製品の販売台数が増えてきており、VHSレコーダの市場は縮小傾向にある。また、2004年にパナソニックからVHS/DVD/HDDの3in1機が発売されてからは、VHS単体機の販売不振がより顕著になった(パナソニックは2007年2月でVHS単体機を全機種生産終了した)。<br />
<br />
[[2007年]][[5月30日]]、日本ビクターは経営不振による事業再建策として、VHSビデオ事業からの[[撤退]]を発表した。当初は売却も噂されたが、その後一部を除き事実上の今後VHSビデオ事業そのものの[[清算]]を発表した(詳細は下記)。<br />
<br />
[[2008年]][[1月15日]]、日本ビクターはS-VHS/VHS単体機を全機種生産終了したと発表した。他社のS-VHS機も既に生産終了しているため、S-VHS方式本来の[[TV本|水平解像度]]で録画・再生<ref>[[DVDレコーダー]]との一体型などによく見られるが、搭載されているVHSデッキがノーマルVHSであっても[[S-VHS]]デッキ同様、テープへのもしくはテープからの映像を[[S端子]]から入出力できる仕様にすることで、S-VHSにより近い画質で録画・再生できる事を謳った製品は現在でも[[電機メーカー]]各社によって製造・販売が継続されている。</ref>できる[[民生用]]製品の[[新品]]は海外のメーカーなどが日本向けの製品を発売しない限り、少なくとも日本市場からは姿を消す([[業務用]]は継続)。なお、同社は2007年3月で[[DVDレコーダー]]からも撤退(こちらも業務用は継続)しており、今後同社で生産されるVHS/DVD関連製品の[[民生用]]モデルは[[DVDプレーヤー]]一体型のVHS機「HR-DV5」とDVDプレーヤー「XV-P323」の2つのみとなる。W-VHSやD-VHSはさほど普及しておらず名称すら知らない者も少なからず存在するが、S-VHSについては[[1987年]]の発表以来、日本国内でも[[電機メーカー]]各社から発売され、累計販売台数もかなりの台数になる。そのため、S-VHS方式で記録されたビデオテープは全国に数多く存在し、[[消費者]]の中には日本ビクターに対して不満を抱く者もいるようだ。<br />
<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/company/ir/pdf/presen-070530.pdf 関連情報]<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/dvd/info.html 生産終了のソース]※発表はS-VHSのみだが、同時にVHS単体機も生産終了している。<br />
<br />
==コンピュータ用としてのVHS==<br />
VHSが普及するにつれ量産効果が上がり、テープ価格が大幅に値段を下げた。[[オープンリール]]を多用していたコンピュータ業界はテープの安さからデータカートリッジとしての利用を推し進めた。[[富士通]]などは大型コンピュータの[[補助記憶装置]]として用い、数百本のVHSテープを筐体内ラックに納め、コンピューター制御により[[ジュークボックス]]さながらのオートローディングを行わせ大型[[磁気ディスク装置]]のバックアップ装置として活用した。この際使用したテープは市販のビデオ用テープと同じ規格の物を使用した。<br />
<br />
==プロ・オーディオ用としてのVHS==<br />
[[1991年]]、米ALESIS社がS-VHSテープに8トラックのデジタル録音を可能にしたADAT(ALESIS DIGITAL AUDIO TAPE)を発売。機器ばかりでなくメディアも安価ということで、中小のスタジオやホームスタジオで急速に広まった。デジタルがゆえに事前にフォーマット作業が必要で(後に録音と同時フォーマットが可能になる)、120分の録画テープで約41分の録音が可能。デジタル記録はヘッドとの物理的接触に弱いため、ベース・フィルムを強化したADATロゴ入りの推奨S-VHSテープも存在する。当初のTypeIフォーマットではサンプリングビット/レートは16bit/44.1kHzと16bit/48kHzであったが、後のTypeIIフォーマットで24bitにも対応した。1チャンネルの記録につき2トラックを使って96kHzを実現するS/MUXという規格もある。一方デジタルのインターフェイスは標準の角型オプティカル(S/PDIF)で8チャンネルを同時に送受信できるが、もちろん一般の2チャンネルのフォーマットとは互換性はない。16台まで同期できる。<br />
<br />
現在この規格は一般化し、adat(エーダット)として、Hi8テープに同様の録音ができる[[ティアック]]社のDTRS規格とともに、ユーザーの根強い支持を得ている。<br />
<br />
==VHSフォーマット概要==<br />
[[Image:VHSTapeOpen.jpg|thumb|VHSカセットのテープ構造]]<br />
*記録方式:[[ヘリカルスキャン方式]]<br />
*記録ヘッド数:2<br />
*ヘッドドラム径:62mm<br />
*ヘッドドラム回転数:29.97Hz(約1800rpm)<br />
*カセットテープサイズ: 188×104×25mm<br />
*テープ幅:12.7mm<br />
*テープ送り速度:約33.34mm/s(SP)/16.76mm/s(LP)/11.18mm/s(EP)<br />
*記録トラック幅:約58μm(SP)/29μm(LP)/19μm(EP) ※LPモード対応機種は、[[日本]]国内ではほとんど普及していない。<br />
*音声トラック<br />
**ノーマル1トラック(モノラル音声)<br />
**ノーマル2トラック(ステレオ音声。[[1978年]]の[[音声多重放送]]開始に対応するために追加された。[[ヒスノイズ]]が増加したため、対策として[[ドルビーノイズリダクションシステム]](Bタイプ)を搭載した。なお、対応する製品はHR-S10000([[1987年]] 日本ビクター)以降生産されていない)<br />
**[[Hi-Fi]]2トラック([[1983年]]に開発されたHi-Fi規格が主流になるまでは、ノーマル2トラック対応機種が各社から発売されていた)<br />
**[[リニアPCM]](過去には[[日本ビクター]]製の「HR-Z1」([[1990年]] 発売)など、国内のメーカー数社から対応する製品が発売され[[衛星放送]]の[[エアチェック]][[ファン]]などから高く評価されたが、[[著作権]]保護の問題から僅か1世代で生産が終了した)<br />
*信号方式<br />
**映像信号:[[周波数変調]](FM)シンクチップ:3.4MHz/白ピーク:4.4MHz:クロマ信号:低域変換方式(VHS方式)<br />
**映像信号:周波数変調(FM)シンクチップ:5.4MHz/白ピーク:7.0MHz:クロマ信号:低域変換方式(S-VHS方式)<br />
**音声信号:2チャンネル長手方向記録(ノーマル音声トラックの場合)<br />
<br />
==VHS発売エピソード==<br />
アンペックス社の巨大な業務用VTRを始まりとして、[[NTSC]]方式をそのまま録画可能な回転2ヘッドヘリカルスキャン方式の開発以降、各社比較的コンパクトなオープンリール式のVTRを発売。もちろん方式はバラバラだった。松下・ビクター・ソニーの3社は家庭用も見据え、テープがカセットに収められたビデオレコーダー(VCR)の統一規格([[Uマチック]])に合意。発売したが、高価なこともあり、オープンリール式と同様に企業の研修用途、教育機関、旅館/ホテルの館内有料放送(ブルーフィルムもどき)などが主な販売先であった。<br />
<br />
そこでソニーは広く家庭への普及を狙いテープ幅を1/2インチ、カセットがコンパクトなベータマックスを開発。各社に家庭用VCRのベータ方式での統一を呼びかけた。しかし、ビクターも同じテープ幅1/2インチの家庭用VCRを開発していた。カセットのコンパクト化よりも長時間録画を優先。ベータはUマチックとおなじUローディング方式をそのまま用いたのに対し、開発が難航したものの部品点数が少なく生産もしやすいMローディングを採用した。<br />
<br />
そしてソニーに続いてビクターも家庭用VCR、VHSの開発を発表。ビクターは親会社の[[松下電器産業]]にVHS方式への参加を要請したが、当時、子会社の松下寿が開発した[[VX方式]]のデッキを販売していたこと、さらにベータ方式を支持する社内意見もあり松下の反応は煮え切らないものだった。<br />
<br />
そこで、のちに「VHSの父」と呼ばれる[[高野鎮雄]]が[[松下幸之助]]に直訴。松下本社で幸之助、松下、ソニー、ビクター各社社員ら出席し、両社のビデオデッキを見比べる会議(直接対決)が開かれた。その席で幸之助は「ベータは100点(満点)、しかしVHSは150点。部品点数が少ないので(VHSは)安く造ることが出来る」と言ったといわれる。通産省が規格分裂に対し難色を示していたこともあり、新規格での規格統一も提案したが両社とも自社規格を引っこめる気が無いために幻となり、松下はVHS方式への参加を決めた。幸之助がVHSを選んだ決め手になったのはVHSデッキのほうが軽く、幸之助によるとそれはギリギリ持ち帰れる重さでお客さんが買ったら自宅に持ち帰りすぐ見られる(ベータだと販売店の配送を待たなければならない)といった幸之助らしい基準であった。<br />
<br />
==その他エピソード==<br />
*VHS/β戦争の火蓋が切られたとき、ソニーは自社工場で生産されたものは自社ブランドで販売していたが、ビクターはVHSファミリーの中で技術的問題や生産能力でまだVHSデッキを製造できないメーカーにOEM供給していた。ときには自社ブランドよりOEM供給向けの生産を優先していたこともあるという。それはいろんなメーカーで販売することによって他社の販売網を活用できるし、VHSのほうが多数派であるような印象を持たれるように狙ったものであるといわれる。<br />
*松下電器ではOEM供給していたアメリカの[[RCA]]社より、[[アメリカンフットボール]]の録画のために更に長い録画時間が必要という要望があり2倍モードをつけたVHSデッキを開発、OEM供給したがビクターの了承を得ないものだった。互換性を重視するビクターは松下の勝手な振る舞いに怒ったらしいが、βのβIIなどの長時間録画モードへの対抗上、3倍モードでも画質は2倍モードとほとんど変わらないうえに特殊再生が可能、という技術的見地から3倍モードがVHS規格に追加された(ベータ規格の3倍モード相当となるβIIIも、特殊再生や映像処理の面では2倍モード相当のβIIより有利だった)。<br />
*松下の独自規格によるハイファイ機、松下のNV-800はハイファイ音声トラックの信号処理に[[dbx]]を使っていた。しばらくのち、NV-800が採用したハイファイ音声の磁性体への深層帯記録を用いたHifiビデオデッキをVHS規格化するにあたりdbx、ドルビー社のライセンス料回避のため、両社の特許に抵触しない信号処理技術が採用された。NV-800で録画されたカセットをVHSハイファイビデオデッキで再生すると音声が多少歪む可能性がある。 <br />
*VHS/β戦争では負けたといわれるソニーだが、VHSで使われる技術にもソニーの保有する特許が多数使われているため、少なからぬライセンス収入があった。<br />
*1977年にビクターが現在のロゴの使用を開始したため、VHS1号機のHR-3300は戦前から使ってきた(書体は微妙に違う)旧ロゴをつけた唯一のデッキとなった。<br />
<br />
==関連映像==<br />
*映画『[[陽はまた昇る]]』<br />
*NHK [[プロジェクトX〜挑戦者たち〜|プロジェクトX]] ‐ 『窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~』<br />
*フジテレビ [[カノッサの屈辱 (テレビ番組)|カノッサの屈辱]] ‐ 『関ヶ原ビデオ合戦史 VHS対ベータ、そして8ミリへ』<br />
<br />
==脚注・出典==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
<references /><br />
<br />
==関連項目==<br />
*[[映像機器]]<br />
*[[音響機器]]<br />
*[[情報機器]]<br />
*[[日本ビクター]]<br />
*[[髙野鎮雄]]<br />
*[[録画チャンネル4.5]]<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.jvc-victor.co.jp/index.html 日本ビクター 公式サイト]<br />
*[http://www.vhs-std.com/index.htm VHSコミュニティーページ(日本ビクター運営)]<br />
<br />
[[Category:ビデオテープ|VHS]]<br />
<br />
{{tech-stub}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=2%E6%9C%88&diff=401170
2月
2022-08-27T01:03:41Z
<p>PG: /* その他 */ 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>{{redirect|如月|日本海軍の駆逐艦|如月 (駆逐艦)}}<br />
'''2月'''(にがつ)は[[グレゴリオ暦]]で[[年]]の第2の[[月 (暦)|月]]に当たり、通常は28日、[[閏年]]では29日となる。これまでに3回、[[2月30日]]があった。その年によっては、[[8月]]と同じ曜日で始まり、<br />
平年では、[[3月]]、[[11月]]と同じになる。<br />
<br />
他の月の日数が30または31日なのに対して、2月だけ28または29日なのは、[[アウグストゥス]]が[[紀元前8年]]、8月の日数を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたためである。それ以前の[[ローマ暦]]では、年初は3月であったため、単に年末の2月から日数を差し引いたらしい。<br />
<br />
日本では[[2月 (旧暦)|旧暦2月]]を'''如月'''(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では[[新暦]]2月の別名としても用いる。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。<br />
* 旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」<br />
* 草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」<br />
* 前年の旧暦八月に[[雁]]が来て、更に[[ツバメ|燕]]が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」<br />
* 陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」<br />
<br />
他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、[[ウメ|梅]]の花が咲く時期である。<br />
<br />
欧米での呼び名である'''February'''は[[ローマ神話]]の[[フェブルウス]] (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。<br />
<br />
== 異名 ==<br />
いんしゅん(殷春)、うめみづき(梅見月)、きさらぎ(如月・衣更月)、けんうづき(建卯月)、ちゅうしゅん(仲春)、なかのはる(仲の春・中の春)、はつはなつき(初花月)、ゆききえつき(雪消月)、ゆきげしづき(雪消月)、れいげつ(麗月・令月)、をぐさおひつき(小草生月)<br />
<br />
== 季語 ==<br />
<br />
== 2月の年中行事 ==<br />
* [[2月1日]] - [[テレビ放送記念日]]<br />
* [[2月3日]] - [[節分]]([[日本]])<br />
* [[2月4日]] - [[立春]]<br />
* [[2月11日]] - [[建国記念の日]](日本)<br />
* [[2月14日]] - [[バレンタインデー]]<br />
* [[2月25日]] - [[国立大学]]2次入学試験前期(一部は26日実施)<br />
* 2月中旬 - [[かまくら]]([[秋田県]][[横手市]])<br />
* 2月中旬 - [[なまはげ|なまはげ紫灯まつり]](秋田県[[男鹿市]])<br />
* 2月の最初の[[午]]の日 - [[初午]]<br />
<br />
== 2月に行われるスポーツ ==<br />
* [[2月1日]] - [[日本プロ野球|プロ野球]]各チームキャンプイン<br />
* 第1日曜 - [[別府大分毎日マラソン]]([[大分県]])<br />
* 第1日曜(2004年以降) - [[スーパーボウル]]([[アメリカンフットボール]]・[[NFL]])<br />
* 第2日曜 - [[愛媛マラソン]]([[愛媛県]])<br />
* スーパーボウル翌週末 - [[プロボウル]]([[NFL]]・[[オールスターゲーム]] [[ハワイ州]][[ホノルル]]・アロハスタジアム)<br />
* 上旬 - [[青梅マラソン]]([[東京都]])<br />
* 上旬 - [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]各チームキャンプイン<br />
* 上~中旬 - [[千葉国際クロスカントリー]]<br />
* 上~中旬 - [[地区選手権競走]]([[競艇]])<br />
* 上~下旬 - [[日本ラグビーフットボール選手権大会]]<br />
* 中旬 - [[メジャーリーグベースボール]]各チームキャンプイン<br />
* 中旬 - [[全日本選抜オートレース]]<br />
* おおむね第2日曜 - [[きさらぎ賞]]([[中央競馬]])<!-- 競走名に「きさらぎ」が使用されているため記載非GIだからという理由で消さないように。 --><br />
* 第3日曜 - [[NBAオールスターゲーム]]([[バスケットボール]])<br />
* 第3日曜 - [[デイトナ500]]([[モータースポーツ]] [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[フロリダ州]][[デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ]])<br />
* 第3日曜 - [[フェブラリーステークス]]([[競馬]] [[東京競馬場]])<br />
* 中旬~下旬 - [[東西王座戦]]([[競輪]])<br />
* 下旬 - プロ野球[[オープン戦]]開幕<br />
* 最終土曜もしくは第1土曜<ref>過去16回中6回(1999、2002、05、06、07、09年)。1994、2000、01、03、04、08年は3月第1土曜、1995、96、98年は3月第2土曜、1997年は4月第1土曜</ref> - [[Jリーグスーパーカップ|富士ゼロックススーパーカップ]]([[東京都]])<br />
* 下旬(2年に1度) - [[ノルディックスキー世界選手権]]<br />
* 最終日曜 - [[東京マラソン]]([[東京都区部]])<br />
* 不定期(4年に1度) - [[冬季オリンピック]]<br />
<div class="references-small"><references /></div><br />
<br />
== 2月がテーマの楽曲 ==<br />
*[[もうひとりのアリス#収録曲|二月の部屋]] (歌: [[谷山浩子]])<br />
*[[遠い音楽#収録曲|二月の丘]] (歌: [[ザバダック]])<br />
*2月1日,晴れ (歌: [[楠瀬誠志朗]])<br />
<br />
== その他 ==<br />
* [[星座]] - [[宝瓶宮|水瓶座]](2月18日頃まで)、[[双魚宮|魚座]](2月19日頃から)<br />
* [[誕生石]] - [[アメシスト|アメジスト]](紫水晶)<br />
* [[誕生花]] - [[マーガレット (植物)|マーガレット]]、[[ウメ|梅]]、[[フリージア]]<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Wiktionarypar|二月|きさらぎ}}<br />
{{Commonscat|February}}<br />
{{月 (暦)|カレンダー_2月|365日|月|2|日|[[2月30日|30]]}}<br />
<br />
{{Wikipedia/Ja}}<br />
[[Category:2月|*]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401169
20世紀
2022-08-27T01:01:59Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルを除去</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401168
20世紀
2022-08-27T01:01:24Z
<p>PG: /* 帝国主義の終焉 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401167
20世紀
2022-08-27T01:01:04Z
<p>PG: /* 冷戦体制 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
[[Image:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|250px|right|thumb|'''ヤルタ会談'''(中央ソファー左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)]]<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401166
20世紀
2022-08-27T01:00:26Z
<p>PG: /* 科学・技術 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
[[Image:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|250px|right|thumb|'''ヤルタ会談'''(中央ソファー左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)]]<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
[[Image:Cold War Map 1959.png|thumb|300px|'''東西冷戦'''(赤が共産主義陣営、青が資本主義陣営)]]<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401165
20世紀
2022-08-27T00:59:52Z
<p>PG: /* 戦争 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
[[Image:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|250px|right|thumb|'''ヤルタ会談'''(中央ソファー左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)]]<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
[[Image:Cold War Map 1959.png|thumb|300px|'''東西冷戦'''(赤が共産主義陣営、青が資本主義陣営)]]<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
{{右|<br />
[[Image:1923 Ford Model T Roadster 3b36638r.jpg|thumb|none|240px|大量生産されたフォード・T型]]<br />
}}<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401164
20世紀
2022-08-27T00:59:22Z
<p>PG: /* 文化 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
[[Image:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|250px|right|thumb|'''ヤルタ会談'''(中央ソファー左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)]]<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
[[Image:Cold War Map 1959.png|thumb|300px|'''東西冷戦'''(赤が共産主義陣営、青が資本主義陣営)]]<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
{{右|<br />
[[Image:1923 Ford Model T Roadster 3b36638r.jpg|thumb|none|240px|大量生産されたフォード・T型]]<br />
}}<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
[[Image:British Mark I male tank Somme 25 September 1916.jpg|thumb|240px|right|[[戦車]] 1916年、ソンムに於けるMk.I戦車“雄型”]]<br />
[[画像:B29.maxwell.750pix.jpg|thumb|240px|right|[[爆撃機]] [[B-29]]]]<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=20%E4%B8%96%E7%B4%80&diff=401163
20世紀
2022-08-27T00:58:41Z
<p>PG: /* 10年紀と各年 */</p>
<hr />
<div>{{centurybox|<br />
前世紀=19 |<br />
世紀=20 |<br />
次世紀=21 |<br />
<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
前世紀=19 |<br />
}}<br />
[[Image:Metlife_building_from_empire_state_building.jpg|right|thumb|220px|'''未曾有の経済的繁栄''' マンハッタンの摩天楼群]]<br />
[[Image:Atlantis Docked to Mir.jpg|thumb|220px|'''宇宙開発''' 1995年のスペースシャトルと[[ミール]]の共同ミッション]]<br />
'''20世紀'''(にじっせいき)は[[1901年]]から[[2000年]]までの100年間を指す。<br />
<br />
== 20世紀の歴史 ==<br />
20世紀の人類の科学の発展はめざましかった。[[飛行機]]、[[潜水艦]]、[[ロケット|宇宙ロケット]]の開発により、人類の行動可能な範囲は、空へ深海へ宇宙へと拡大した。そして、北極点、南極点への到達などにより、地球上での人類未踏の地はほぼなくなった。科学の発展は産業の発展をもたらし、大量生産、大量消費の社会を生み出し、人々の生活を豊かにした反面、公害や[[地球温暖化]]など多くの解決しなければならない、諸問題をも生み出した。さらに高度な科学技術は、極めて破壊力の大きい[[兵器]]を作り出し、現在では人類を何度も滅亡させることの出来るほどの[[核兵器]]、[[化学兵器]]が存在する。<br />
<br />
== 20世紀の政治経済史 ==<br />
===帝国主義の終焉===<br />
[[Image:Yalta summit 1945 with Churchill, Roosevelt, Stalin.jpg|250px|right|thumb|'''ヤルタ会談'''(中央ソファー左からチャーチル・ルーズベルト・スターリン)]]<br />
20世紀は、2度の[[世界大戦]]とその後の冷戦、植民地の独立などにより、何度も政治的なパワーバランスの大きな変化が訪れた。19世紀までの西欧列強による植民地争奪競争と[[市民革命]]の流れは終了し、20世紀の初頭には列強による本国と獲得した植民地保護([[帝国主義|帝国主義体制]])を維持するために、勢力均衡による安全保障が図られるようになり、また市民革命において後まわしとされがちだった、社会改革・改良への要求が強まった。また日本の近代化の成功や日露戦争の勝利に刺激され、'''中国革命'''や'''イスラム圏の民族運動'''が盛んになった。列強による[[勢力均衡]]が破れたとき[[第一次世界大戦]]が勃発した。この大戦は[[総力戦]]となり、[[ヨーロッパ]]は疲弊し国際的な影響力が弱まった。また厭戦気分と専制政治への反感から[[ロシア帝国]]では史上初の社会主義革命が発生し、社会主義共和国である'''ソビエト連邦'''が成立した。この大戦において敗戦国となった[[オーストリア・ハンガリー帝国]]、[[ドイツ帝国]]、[[オスマン帝国]]もまた、ロシア帝国同様に崩壊し、[[ローマ帝国]]以来およそ1900年以上の長きにわたって続いてきたヨーロッパにおける帝国支配の歴史は、名実共に終焉の時を迎えた。その後、[[世界恐慌]]が発生し、ここで行き詰った[[枢軸国]]と、[[連合国]]との間で[[第二次世界大戦]]が勃発した。<br />
<br />
===冷戦体制===<br />
[[Image:Cold War Map 1959.png|thumb|300px|'''東西冷戦'''(赤が共産主義陣営、青が資本主義陣営)]]<br />
第二次世界大戦後、2度の世界大戦を勝ち抜いた[[アメリカ合衆国]]は'''超大国'''となり資本主義国を勢力下においた。さらに黒人の[[公民権運動]]などによりアメリカの民主主義はより高度なものに発展した。ソ連も大戦中に東欧諸国を[[衛星国]]化して超大国となった。両国は対立し[[冷戦]]と呼ばれる時代となった。ヨーロッパ諸国は、アメリカや日本の経済力に対抗するため、EEC([[欧州経済共同体]])を発足し、さらにEC([[欧州共同体]])、EU([[欧州連合]])へと統合を進めた。[[ナショナリズム]]の高まりと西欧諸国の弱体化にともない、[[植民地]]の大半は独立し、[[第三世界]]と呼ばれるようになった。その後、東西の緊張緩和([[デタント]])の時期も存在したが、再び米ソ間は緊張状態に陥った。その後ソ連では[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]が[[ペレストロイカ]]をすすめるとともに軍縮と緊張緩和につとめ、[[1989年]]12月、[[マルタ会談]]で[[ジョージ・ブッシュ]]大統領と冷戦の終結を宣言した。しかし[[1991年]]には[[ソ連共産党]]の支配体制のゆるみが抑えきれなくなり、ソ連は崩壊してしまった。東欧諸国ではソ連の支配が緩むと[[東欧革命]]がおきて自立し、冷戦時代は過去のものとなった。しかし、冷戦時代に表に現れなかった民族間の対立が露呈し、アフリカや[[バルカン半島]]などの各地で民族紛争が発生した。<br />
<br />
===世界経済の発展===<br />
[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]では、[[世界恐慌]]に見舞われた1920年代末から[[ケインズ]]主義の流れを汲む[[公共事業]]による雇用確保や景気回復を図ったり、[[福祉]]や[[セーフティネット]]の構築に力を入れる[[社会民主主義]]の政策がとられ、市場メカニズムを活用しながら、国家が経済に介入することによって、矛盾の克服が目指された('''[[混合経済]]'''、'''大きな政府''')。[[スウェーデン]]など[[北欧]]諸国はこれに先だって、社会民主主義的諸制度を整備([[福祉国家]])し、工業化と経済発展を実現していた。混合経済政策は各国に未曾有の[[経済成長]]をもたらし、世界的に経済規模は拡大を続けたが、[[オイルショック]]以降、国家にかかる財政的な負担が目立ち始め、多くの国では不況と[[インフレーション]]に見舞われた([[スタグフレーション]])。<br />
<br />
そのため、80年代以降から民間の自発的な活力を期待して、各種の法的な規制を緩め([[規制緩和]])、公営企業の[[民営化]]への移行を行う新保守派の流れを汲む'''[[新自由主義]]'''もしくは'''[[小さな政府]]'''と呼ばれる政策が数多くの国で採用された。この政策によって[[貧富の差]]は拡大したといわれ、日本では20世紀初頭のような[[階級社会]]がその姿を変えて復活した。一方、北欧などでは自発的な住民自治を期待して80年代から政府機関の分権化をすすめ、[[環境]]などの新たな価値を取り込んで、[[福祉国家論|福祉国家]]のバージョンアップがはかられるなど、福祉国家の改良実験が続いている。ソ連の崩壊で唯一の超大国となったアメリカは、世界をリードし[[グローバル化]]を進めることになった。<br />
<br />
== 20世紀の主なできごと・発明 ==<br />
=== 科学・技術 ===<br />
*20世紀科学の特徴としては、以下のような点があげられる。<br />
**科学とその応用としての技術が緊密に結びつき、'''科学技術'''という語がよく用いられるようになった。<br />
**20世紀前半は[[物理学]]、後半は[[生物学]]がとくに際立って著しい発展を遂げた。<br />
**科学研究者の数が非常に増え、科学研究が国家プロジェクトとして推進されるようになった。<br />
<br />
{{右|<br />
[[Image:1923 Ford Model T Roadster 3b36638r.jpg|thumb|none|240px|大量生産されたフォード・T型]]<br />
}}<br />
* [[物理学|現代物理学]]([[相対性理論]]、[[量子力学]]、[[素粒子物理学]]など)<br />
* [[宇宙物理学]]<br />
* [[原子力|原子工学]]<br />
* [[宇宙開発]]<br />
* [[飛行機]]<br />
* [[自動車]]<br />
* [[高速鉄道]]<br />
* [[コンピュータ]]<br />
* [[電子工学]]<br />
* [[材料工学]]<br />
* [[高分子化学]]<br />
* [[生物学]]([[分子生物学]]、[[遺伝学]]、[[生理学]]など)<br />
* [[バイオテクノロジー|生物工学]]<br />
ほか多数<br />
<br />
=== 戦争 ===<br />
[[Image:British Mark I male tank Somme 25 September 1916.jpg|thumb|240px|right|[[戦車]] 1916年、ソンムに於けるMk.I戦車“雄型”]]<br />
[[画像:B29.maxwell.750pix.jpg|thumb|240px|right|[[爆撃機]] [[B-29]]]]<br />
* [[日露戦争]] ([[1904年]] - [[1905年]])<br />
* [[バルカン戦争]]([[1912年]] - [[1913年]])<br />
* [[第一次世界大戦]] ([[1914年]] - [[1918年]])<br />
* [[シベリア出兵]] ([[1919年]] - [[1924年]])<br />
* [[日中戦争]] ([[1937年]] - [[1945年]])<br />
* [[スペイン内戦]]([[1936年]]-[[1939年]])<br />
* [[冬戦争]]([[1939年]] - [[1940年]])・[[継続戦争]]([[1941年]] - [[1944年]])<br />
* [[第二次世界大戦]] ([[1939年]] - [[1945年]])<br />
** [[太平洋戦争|アジア・太平洋戦争]] ([[1941年]] - [[1945年]])<br />
* [[第一次中東戦争]]([[1949年]])<br />
* [[朝鮮戦争]] ([[1950年]] - [[1953年]])<br />
* [[アルジェリア戦争]]([[1954年]]-[[1962年]])<br />
* [[第一次インドシナ戦争|インドシナ戦争]]([[1946年]] - [[1954年]])<br />
* [[第二次中東戦争]]([[1956年]])<br />
* [[ヴェトナム戦争]]([[1963年]] - [[1975年]])<br />
* [[ビアフラ戦争]]([[1967年]] - [[1970年]])<br />
* [[第三次中東戦争]]([[1967年]])<br />
* [[第四次中東戦争]]([[1973年]])<br />
* [[中越戦争]]([[1979年]])<br />
* [[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|アフガン侵攻]] (1979年-1989年)<br />
* [[イラン・イラク戦争]]([[1980年]] - [[1988年]])<br />
* [[ルワンダ紛争]] ([[1990年]]-[[1994年]])<br />
* [[湾岸戦争]]([[1991年]])<br />
*[[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]] ([[1992年]]-[[1995年]])<br />
<br />
=== 政治 ===<br />
*[[1911年]] - [[辛亥革命]]<br />
*[[1917年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]成立。<br />
*[[1920年]] - [[国際連盟]]成立。<br />
*[[1928年]] - [[張作霖]]爆殺<br />
* [[世界恐慌]]([[1929年]])<br />
*[[1931年]] - [[柳条湖事件]]、[[満州事変]]勃発<br />
*[[1932年]] - [[満州国]]建国、[[五・一五事件]]<br />
*[[1933年]] - 日本が国際連盟脱退。<br />
*[[1936年]] - [[二・二六事件]]、[[日独防共協定]]締結。<br />
*[[1937年]] - [[盧溝橋事件]]<br />
*[[1939年]] - ドイツの[[ポーランド侵攻]]。<br />
*[[1940年]] - [[日独伊三国軍事同盟]]結成。<br />
*[[1941年]] - [[真珠湾攻撃]]。<br />
*[[1945年]] - [[国際連合]]成立。<br />
* [[東西冷戦]]([[1945年]] - [[1989年]])<br />
*[[1946年]] - [[国際連盟]]解散。<br />
*[[1961年]] - [[ベルリンの壁]]建設。<br />
*[[1962年]] - [[キューバ危機]]<br />
* [[文化大革命]]([[1966年]] - [[1976年]])<br />
*[[1973年]] - [[オイルショック]]<br />
*[[1989年]] - [[六四天安門事件|天安門事件]]。 [[鉄のカーテン]]撤去始まる、[[ハンガリー]]<br />
* [[ベルリンの壁崩壊]]、東西[[ドイツ]]統一 ([[1989年]]、[[1990年]])<br />
* [[東欧革命]]([[1989年]]-[[1991年]])<br />
*[[1991年]] - [[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]崩壊。<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
* [[アルフレッド・ノーベル|ノーベル]]の[[遺言]]により[[ノーベル賞]]が設立された([[1901年]])<br />
* [[反戦]]等の市民運動、[[ファシズム]]などの大衆運動が大きく盛り上がった。<br />
* [[パブロ・ピカソ]]等の現代芸術<br />
* [[ジャズ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]などの[[音楽]]、[[映画]]に象徴される文化の大衆化<br />
* [[1920年代]]のアメリカから、大量生産・大量消費の生活様式が広まった<br />
* [[ラジオ]]・[[テレビ]]による国民文化の形成<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[衛星放送]]、 [[国際電話]]、[[インターネット]]の普及による情報の即時化・全世界化<br />
* [[環境問題]]の世界化、それに対する意識の向上<br />
<br />
== 人物 ==<br />
:[[20世紀の人物]]、[[20世紀の日本の人物]]もあわせて参照のこと。<br />
<br />
=== 首脳 ===<br />
* [[フランツ・ヨーゼフ1世]](オーストリア皇帝、在位1848年 - 1916年)<br />
* [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]](3代ドイツ皇帝、在位1888年-1918年)<br />
* [[愛新覚羅溥儀|宣統帝(溥儀)]]([[清朝]]皇帝、在位1908年 - 1912年)<br />
* [[ニコライ2世]](ロシア皇帝、在位1894年 - 1917年)<br />
* [[昭和天皇]](日本国天皇、在位1926年 - 1989年)<br />
* [[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]](イギリス女王、在位1952年~)<br />
* [[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]](ローマ教皇、在位1978年 - 2005年)<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]](ドイツ総統、在任1934年 - 1945年)<br />
* [[ベニート・ムッソリーニ]](イタリア首相、在任1928年 - 1943年)<br />
* [[ネヴィル・チェンバレン]](イギリス首相、在任1937年 - 1940年)<br />
* [[ウィンストン・チャーチル]](イギリス首相、在任1940年 - 1945年)<br />
* [[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・D・ルーズベルト]](第32代アメリカ大統領、任期1933年 - 1945年)<br />
* [[ハリー・S・トルーマン]](第33代アメリカ大統領、任期1945年 - 1953年)<br />
* [[ドワイト・D・アイゼンハワー]](第34代アメリカ大統領、任期1953年 - 1961年)<br />
* [[ジョン・F・ケネディ]](第35代アメリカ大統領、任期1961年 - 1963年)<br />
* [[リチャード・ニクソン]](第37代アメリカ大統領、任期1969年 - 1974年)<br />
* [[ロナルド・レーガン]](第40代アメリカ大統領、任期1981年 - 1989年)<br />
* [[ジョージ・H・W・ブッシュ]](第41代アメリカ大統領、任期1989年 - 1993年)<br />
* [[シャルル・ド・ゴール]](フランス大統領、在任1959年 - 1969年)<br />
* [[コンラート・アデナウアー]](西ドイツ連邦首相、在任1949年 - 1963年)<br />
* [[ネルソン・マンデラ]](南アフリカ大統領、1994年 - 1999年)<br />
* [[ウラジーミル・レーニン]](ソ連、1917年 - 1922年)<br />
* [[ヨシフ・スターリン]](ソ連最高指導者、1922年 - 1953年)<br />
* [[ニキータ・フルシチョフ]](ソ連最高指導者、1953年 - 1964年)<br />
* [[ミハイル・ゴルバチョフ]](ソ連共産党書記長、在任1985年 - 1991年)<br />
* [[ヨシップ・ブロズ・チトー]](ユーゴスラビア首相・大統領、在任1945年 - 1980年)<br />
* [[マハトマ・ガンジー]](インド)<br />
* [[ジャワハルラール・ネルー]](インド首相、1947年 - 1964年)<br />
* [[毛沢東]](中国、1921年 - 1976年)<br />
* [[蒋介石]](中国、1927年 - 1949年;台湾総統、在任1950年 - 1975年)<br />
* [[トウ小平|鄧小平]](中国、- 1989年)<br />
* [[ホー・チ・ミン]](ベトナム、- 1969年)<br />
* [[マハティール・ビン・モハマド]](マレーシア首相、1981年 - 2003年)<br />
* [[リー・クアンユー]](シンガポール首相、在任1959年 - 1990年)<br />
* [[ラーマ9世|プミポン]](タイ国王、在位1946年 - )<br />
* [[フィデル・カストロ]](キューバ、1959年 - (2006年現在も国家評議会議長))<br />
* [[チェ・ゲバラ]](キューバなど)<br />
* [[ルーホッラー・ホメイニー]](イラン最高指導者、1979年 - 1989年)<br />
* [[サッダーム・フセイン|サダム・フセイン]](イラク大統領、在任1979年 - 2003年)<br />
<br />
=== 産業と科学 ===<br />
[[Image:Albert Einstein Head.jpg|thumb|right|225px|アルベルト・アインシュタイン Oren J. Turnerによる写真1947年]]<br />
* [[アルベルト・アインシュタイン]](物理学者、相対性理論)<br />
* [[トーマス・エジソン]](発明家)<br />
* [[ライト兄弟]](飛行機を発明)<br />
* [[ヘンリー・フォード]](フォード自動車を発明)<br />
* [[ジョン・フォン・ノイマン]](数学者)<br />
* [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]](ロケット開発)<br />
* [[ユーリイ・ガガーリン]](宇宙飛行士)<br />
* [[ニール・アームストロング]](宇宙飛行士)<br />
* [[バックミンスター・フラー]](建築家、物理学者、数学者)<br />
* [[安藤百福]](日清食品会長)<br />
* [[盛田昭夫]](ソニー会長)<br />
* [[アラン・ケイ]] (コンピュータ科学者、教育者)<br />
* [[ビル・ゲイツ]](マイクロソフト会長)<br />
<br />
=== 人権運動 ===<br />
* [[ヘレン・ケラー]](アメリカ)<br />
* [[マーティン・ルーサー・キング]](アメリカ)<br />
* [[ダライ・ラマ14世]](チベット)<br />
* [[マザー・テレサ]](インド)<br />
<br />
=== 文化 ===<br />
[[画像:Steven Spielberg 1999 2.jpg|thumb|200px|right|スティーヴン・スピルバーグ]]<br />
* [[パブロ・ピカソ]](画家)<br />
* [[サルバドール・ダリ]](画家)<br />
* [[チャーリー・チャップリン]](映画監督・俳優)<br />
* [[フランツ・カフカ]](小説家)<br />
* [[マルティン・ハイデッガー]](哲学者)<br />
* [[エルンスト・ユンガー]](小説家、思想家)<br />
* [[ウォルト・ディズニー]](レジャー)<br />
* [[アーサー・C・クラーク]](小説家)<br />
* [[マリリン・モンロー]](映画俳優)<br />
* [[スティーブン・スピルバーグ]](映画監督)<br />
<br />
=== 音楽 ===<br />
* [[クロード・ドビュッシー]]<br />
* [[モーリス・ラヴェル]]<br />
* [[アルノルト・シェーンベルク]]<br />
* [[アントン・ヴェーベルン]]<br />
* [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]<br />
* [[ホアキン・ロドリーゴ]]<br />
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]<br />
* [[ジョン・ケージ]]<br />
* [[カールハインツ・シュトックハウゼン]]<br />
* [[ジョン・レノン]](1940年 - 1980年)<br />
* [[ポール・マッカートニー]](1942年 - )<br />
* [[ジョン・ウィリアムズ (作曲家)|ジョン・ウィリアムズ]](1932年 - )<br />
<br />
=== スポーツ ===<br />
* [[ベーブ・ルース]](野球選手)<br />
* [[アベベ・ビキラ]] (マラソン選手)<br />
* [[カール・ルイス]](陸上選手)<br />
* [[モハメド・アリ]](ボクサー)<br />
* [[山下泰裕]] (柔道選手)<br />
* [[ディエゴ・マラドーナ]](サッカー選手)<br />
* [[ペレ]](サッカー選手)<br />
* [[マイケル・ジョーダン]](バスケットボール選手)<br />
* [[アイルトン・セナ]](カーレーサー)<br />
* [[ジャック・ニクラス]](ゴルファー)<br />
<br />
=== その他 ===<br />
* [[アナスタシア皇女|アナスタシア皇女]]<br />
* [[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ・スペンサー]]<br />
* [[アル・カポネ]]<br />
<br />
== 10年紀と各年 ==<br />
:<br />
{|<br />
|-<br />
| '''[[1900年代]]''' || [[1900年|1900]] || [[1901年|1901]]<br />
| [[1902年|1902]] || [[1903年|1903]]<br />
| [[1904年|1904]] || [[1905年|1905]] || [[1906年|1906]]<br />
| [[1907年|1907]] || [[1908年|1908]] || [[1909年|1909]]<br />
|-<br />
| '''[[1910年代]]''' || [[1910年|1910]] || [[1911年|1911]]<br />
| [[1912年|1912]] || [[1913年|1913]]<br />
| [[1914年|1914]] || [[1915年|1915]] || [[1916年|1916]]<br />
| [[1917年|1917]] || [[1918年|1918]] || [[1919年|1919]]<br />
|-<br />
| '''[[1920年代]]''' || [[1920年|1920]] || [[1921年|1921]]<br />
| [[1922年|1922]] || [[1923年|1923]]<br />
| [[1924年|1924]] || [[1925年|1925]] || [[1926年|1926]]<br />
| [[1927年|1927]] || [[1928年|1928]] || [[1929年|1929]]<br />
|-<br />
| '''[[1930年代]]''' || [[1930年|1930]] || [[1931年|1931]]<br />
| [[1932年|1932]] || [[1933年|1933]]<br />
| [[1934年|1934]] || [[1935年|1935]] || [[1936年|1936]]<br />
| [[1937年|1937]] || [[1938年|1938]] || [[1939年|1939]]<br />
|-<br />
| '''[[1940年代]]''' || [[1940年|1940]] || [[1941年|1941]]<br />
| [[1942年|1942]] || [[1943年|1943]]<br />
| [[1944年|1944]] || [[1945年|1945]] || [[1946年|1946]]<br />
| [[1947年|1947]] || [[1948年|1948]] || [[1949年|1949]]<br />
|-<br />
| '''[[1950年代]]''' || [[1950年|1950]] || [[1951年|1951]]<br />
| [[1952年|1952]] || [[1953年|1953]]<br />
| [[1954年|1954]] || [[1955年|1955]] || [[1956年|1956]]<br />
| [[1957年|1957]] || [[1958年|1958]] || [[1959年|1959]]<br />
|-<br />
| '''[[1960年代]]''' || [[1960年|1960]] || [[1961年|1961]]<br />
| [[1962年|1962]] || [[1963年|1963]]<br />
| [[1964年|1964]] || [[1965年|1965]] || [[1966年|1966]]<br />
| [[1967年|1967]] || [[1968年|1968]] || [[1969年|1969]]<br />
|-<br />
| '''[[1970年代]]''' || [[1970年|1970]] || [[1971年|1971]]<br />
| [[1972年|1972]] || [[1973年|1973]]<br />
| [[1974年|1974]] || [[1975年|1975]] || [[1976年|1976]]<br />
| [[1977年|1977]] || [[1978年|1978]] || [[1979年|1979]]<br />
|-<br />
| '''[[1980年代]]''' || [[1980年|1980]] || [[1981年|1981]]<br />
| [[1982年|1982]] || [[1983年|1983]]<br />
| [[1984年|1984]] || [[1985年|1985]] || [[1986年|1986]]<br />
| [[1987年|1987]] || [[1988年|1988]] || [[1989年|1989]]<br />
|-<br />
| '''[[1990年代]]''' || [[1990年|1990]] || [[1991年|1991]]<br />
| [[1992年|1992]] || [[1993年|1993]]<br />
| [[1994年|1994]] || [[1995年|1995]] || [[1996年|1996]]<br />
| [[1997年|1997]] || [[1998年|1998]] || [[1999年|1999]]<br />
|-<br />
| '''[[2000年代]]''' || [[2000年|2000]] || [[2001年|2001]]<br />
| [[2002年|2002]] || [[2003年|2003]]<br />
| [[2004年|2004]] || [[2005年|2005]] || [[2006年|2006]]<br />
| [[2007年|2007]] || [[2008年|2008]] || [[2009年|2009]]<br />
|}<br />
<br />
[[Category:20世紀|*]]<br />
[[Category:ポストモダニズム|20せいき]]</div>
PG
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2014年ウクライナ内戦
2022-08-27T00:57:29Z
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<hr />
<div>'''2014年ウクライナ内戦'''は、[[2014年]]2月下旬に発生した[[2014年ウクライナ騒乱|ウクライナ騒乱]]の余波により、親ロシア派武装勢力、反政府組織、ロシア連邦軍の侵略によって[[ウクライナ]]東部、南部地域で起こっている軍事衝突である。ロシアは「国で侵略してるわけではない」と否定しているが、世界からは「ロシアの国主導で侵略している証拠もある」と言われている。ロシア系メディアでは、この内戦を'''ロシアの春'''と表現される場合もある。<br />
内戦初期の2月下旬から3月にかけて行われたロシアによる軍事干渉と国際的な非難を浴びながら行われた国民投票の結果、3月17日にクリミア自治共和国はロシアへの編入を求める決議を採択し、ロシア軍の支配下に置かれた。その後、ドネツク州、ルハーンシク州での抗議運動が、武装した分離主義勢力による反乱へと広がった結果、ウクライナ暫定政権が軍事的反攻に乗り出すことになった。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
<br />
<br />
=== クリミア半島 ===<br />
{{main|2014年クリミア危機}}<br />
{{seealso|2014年クリミア住民投票|2014年クリミア危機のタイムライン|クリミア連邦管区}}<br />
2月26日の初め、後にプーチンが指示したロシア連邦軍と確認される親露派武装勢力は、クリミア半島の主導権を徐々に握り始めていた。この間、クリミア半島でロシア連邦への併合について国民投票が行われた結果、83%の投票者で96%の賛成が得られたが、この国民投票は、EU、アメリカ、ウクライナ人、クリミア半島のタタール人によって、ウクライナ憲法と国際法に違反しているとして非難されている。3月17日、クリミア議会はウクライナからの独立を宣言し、ロシア連邦への併合について呼びかけた。3月18日、ロシアとクリミア自治共和国最高会議は、”クリミアとセヴァストポリの編入に関する条約”に署名した。3月21日に編入条約は批准され、ロシア連邦の二つの新しい連邦構成主体として発足した。国連総会は、公表された国民投票は無効であり、ロシアによるクリミア併合は違法に行われたと判決を下している。<br />
<br />
4月1日までに約3000人の住民がクリミア半島から逃れたとされ、その80%はタタール人だったとされる。Ivano-Frankivsk OblastとChernivtsi Oblastの欧州安全保障協力機構(OSCE)のチームは、クリミアから西ウクライナへ移住した国内避難民を補助した。主にタタール人だった多くの難民は避難を続け、UNHCRは5月20日までに約1万人の人々が移住したと発表している。<br />
<br />
=== ドネツク州 ===<br />
{{seealso|ドネツク人民共和国}}<br />
3月1日から6日にかけて親露派武装勢力はドネツクの政府庁舎を占拠したが、ウクライナ保安庁によって排除された。ウクライナ当局によると政府庁舎での押収物の一部に、ウクライナを不安定化させるよう、ロシアで書かれたメモがあったほか、明確なロシア語のアクセントを話す1500人の過激派を拘束している。<br />
<br />
3月13日、ドネツクでは暫定政権支持派と反政権支持派の暴力的な衝突が起き、反政権支持派の大群が警察の非常線を壊して乗り越え、少数の暫定政権支持派へ襲撃を始めた。<br />
欧州安全保障協力機構(OSCE)による取材調査では、30人程度の政権支持派は警察のバスへ逃げ込んだが、反政権支持派により囲まれて襲撃され、バスの窓を打ち破って刺激性のガスがまき散らされ、バスの出口から出てきた政権支持派を叩いて暴言を浴びせたとしている。また、OSCEの報告では、警察は政権支持派を守る適切な処置を取っておらず、反政権支持派を好ましい形で処理しているのを目撃されている。この衝突の日の後、取材を受けた人はOSCEに、ドネツクの住民は安全のため、平和的な政権支持派のデモを組織しないことに決めたと述べている。<br />
<br />
4月6日、約1000人-2000人の親露派勢力は、ドネツクでの集会に参加し、ウクライナからの独立を問う国民投票の要求を行った。その後、200人の分離主義者(ドネツク現地警察のスポークスマンIgor Dyominによると約1000人)と親露派勢力が行政庁舎になだれ込み、ドアと窓を打ち壊していったが、政府当局者は日曜日で不在だった。分離主義者は、臨時議会が政府当局によって開かれない場合、ロシアへの併合を問う国民投票を呼びかけ、国民の権限により全ての地方議員を無視して、4月7日の正午に一方的管理措置を宣言するとした。ロシアのタス通信によるとこの宣言は地方議員によって投票されたとしているが、他のメディアではドネツク市や近郊地域のどの地方議員も会議に代表として派遣されていないと報告している。同じ4月6日、分離主義勢力”ドネツク共和国”の指導者は、ドネツク州のロシア連邦への併合に関する国民投票を遅くとも2014年5月11日までに実施すると発表した。加えて、平和維持に必要な部隊をドネツク州へ送るようプーチン大統領に訴えた。<br />
<br />
=== 政府庁舎の占拠 ===<br />
<br />
4月12日、防弾チョッキ、野戦服、カラシニコフ銃を備えてマスクをした武装勢力がスラビャンスクの執行委員会ビルとウクライナ保安庁事務所を占拠した。ウクライナ外務省長官Arsen Avakovはこの武装勢力をテロリストと判断し、ウクライナ特殊部隊によりビルを奪回すると発表した。警察署や政府庁舎の分離主義勢力による強奪は、ドネツク州のドネツク、クラマトルスク、ゴルロフカ、マリウポリ、エナキエボを含むその他の都市でも発生した。ウクライナ暫定政権のトゥルチノフ大統領は、ビル奪回に向けた全面的な反テロ軍事作戦を開始するとした。<br />
4月16日までにドネツク州での暫定政権によって行われた反テロ作戦は、いくつかの障害にぶち当たった。クラマトルスクで武装勢力がウクライナ軍の装甲車を奪取し、兵士はスラビャンスクまで追いやられた。<br />
<br />
4月16日の夜、約300人の親ロシア派武装勢力は、マリウポリのウクライナ軍部隊へ火炎瓶を投げるなどの攻撃を行った。外務省長官Arsen Avakovは、ウクライナ軍が発砲し、3人の襲撃者が殺害されたと発表した。<br />
4月17日の停戦協定”Geneva Statement”によって、ドネツク州での政府庁舎の占拠は終了せず、マリウポリの二つの親ロシア派武装勢力は、この協定発効により裏切られたと感じると発表した。宣言された停戦は、スラビャンスクでの分離主義勢力による検問所で起きた襲撃により破られる。<br />
4月23日においても地域一帯の政府庁舎の占拠などの緊張状態は続いていた。<br />
欧州安全保障協力機構(OSCE)によると、スラビャンスクの市庁舎、ウクライナ保安庁ビル、警察署は自動火器で武装した勢力により要塞化されており、抗議する人もおらず町全体が静かになっていると報告している。しかし、OSCEは、スラビャンスクは制服を着た軍や覆面の武装勢力だけでなく、市民と同じ服装の多くの人々によって厳しい監視態勢に置かれていることは確かだとしている。スラビャンスクの1人の住人は、占拠している勢力について議論するのは恐ろしいと語っている。<br />
4月24日、ウクライナ軍はスラビャンスクにおいて反乱勢力に対し徹底的な攻撃を行った。<br />
自称、スラビャンスクの分離主義勢力のリーダーのVyacheslav Ponomarevは、“我々は町の外にスターリングラードを設立する”と宣言した。ウクライナ暫定政権は、4月25日にスラビャンスクを完全に封鎖し、対テロ作戦を継続すると宣言した。4月26日、ドネツク人民共和国によってチラシが配布され、共和国による州統治権の宣言を支持するかどうかの国民投票を5月11日に開かれることが周知された。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
{{Wikinews|en:Category:2011 Syria anti-government protests}}<br />
{{Commons category|2011 Syrian protests}}<br />
<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:うくらいなないせん}}<br />
[[Category:ウクライナの歴史]]<br />
[[Category:革命]]<br />
[[Category:内戦]]<br />
[[Category:民主化運動]]<br />
[[Category:2014年]]<br />
[[Category:ウクライナ]]</div>
PG
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2011年問題 (日本のテレビジョン放送)
2022-08-27T00:56:20Z
<p>PG: /* アナログ放送終了に備えた措置 */ 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>[[日本]]のテレビジョン放送において'''2011年問題'''(2011ねんもんだい)とは[[NTSC|地上アナログテレビジョン放送]]が[[2011年]][[7月24日]]までに終了し、[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビジョン放送]]に切り替わる事で発生する機器のデジタル化及びアナログ波停波に関する諸問題のことである。<br />
<br />
地上波に限らず、[[日本における衛星放送|衛星放送]](BS放送)についても同時期にアナログ放送が完全に終了することになっている。<br />
<br />
== 国民不在のデジタル化 ==<br />
そもそもこの計画は当初放送事業者の側が望んだものではなく、いわば「国策」として始められた経緯を持つ。日本の地上波放送のデジタル化は[[1997年]]3月、当時の郵政省幹部が「地上放送のデジタル化に向けた取組み」を「政策的に公言」したことからはじまった。<!--1997年当時、日本では受像機も安価となり各放送事業者の経営も安定、日本のアナログテレビジョン放送は「ようやく完成した状態」すなわち各放送事業者がその開局当初から最終目標としていた「たかがテレビ」=お手軽な映像情報箱がようやく達成され充実期を迎えていた。--><br />
<br />
当時、諸外国の状況や技術的動向から放送波のデジタル化については各放送事業者でも考えられてはいた。しかし戦後放送の歴史的経緯、すなわち白黒テレビジョン放送の開始、カラーテレビジョン放送の開始など「新しい放送を受信したい視聴者は自らの意思で新しい受信セットを求めて受信するもの」であり視聴者が今持っている・使っている受信セットである日突然従来の放送が受信できなくなることは「考えられない」ことであり、また現行のチャンネル数から実施するとしてもアナログとデジタルの共存は可能であることから従来アナログテレビジョン放送網が拡大、整備されてきたものと同じく視聴者のニーズや各放送事業者の財政的状況に応じて順次緩やかに実施、整備されていくものといった慎重な認識がなされていた。<!--すなわち上述の「たかがテレビ」の次なる目標として位置つけられていたのである。--><br />
<br />
こういった中、「公言」は放送事業者にとってはまさに「寝耳に水」、加えてその内容も明瞭さを欠いていたため当初NHK、民間放送局ともに騒然となった。さまざまな思惑が交錯、混乱を招いたが間もなくその免許はデジタル化終了まで既存のアナログテレビジョン放送を行っている放送事業者のみに与えるという決定がなされ各放送事業者は自らのいわゆる「既得権」の保証がなされたことから「国策」を受け入れた。ここに放送事業者と政府による、国民不在のデジタル化がはじまったとされる。<br />
<br />
電波監理は国の専権事項ではあるが日本の戦後放送の歴史の中で視聴者が今持っている・使っている受信セットである日突然全く放送サービスが受けられなくなり、再びサービスを受けるためには100%視聴者費用負担で必要となる受信セットを購入しなければならないという強硬なものはなかった。<!--放送事業者はこれを公表することにより生じる視聴者からの反発を極端に恐れた。このため各放送局ではデジタル化に関わる者に対して緘口令が出され郵政省との合意・協調のもとに順次、情報を国民に公開していくものとされたといわれている。また早い段階で各都道府県単位でNHKおよび民放、これに郵政省を交えた「協議会」が作られNHKの開発したシュミレータ(「Pマップ」とよばれる放送サービスエリアシミュレーションソフト)により具体的なサービスエリア計画を作成、さらに隣接する協議会相互での連絡調整により各放送事業者自らが基本となるチャンネルを決めたといわれている。すなわち全国の放送事業者はいわゆる「既得権」を認められたことから積極的に政府に協力、-->このことから放送労働者団体(民放労連)が反対の声をあげたものの結局、放送事業者としての正式な反対の声になることはなかった<ref>[http://www.hirataku.com/previous/contents/seisaku/seisakus/analog1.htm 「アナログテレビはなくならない。」衆議院議員 平井卓也]</ref><ref>[http://www.minpororen.jp/html/message/kinkyu-teigen.htm 地上デジタル放送計画の凍結を求める民放労連の緊急提言]</ref><ref>[http://www.minpororen.jp/html/message/tyuushi.htm 現行の地上デジタル放送計画中止を求める特別方針 日本民間放送労働組合連合会 2003年1月26日採択]</ref>。<br />
<br />
<!--[[2007年]]4月発行の「放送ハンドブック改訂版」(日本民間放送連盟編 日経BP社)には結果、巨額の設備投資により経済的窮地に追い込まれた放送局のいわゆる「恨み節」あるいは「自己弁護」ともとれる記述が散見されるのであるが放送局は自らが掲げる通り言論機関としてあくまでも公権力の介入を排し国民の側に立つ自律した存在であるところにその存在価値があるものであり、ここに共通の財産である電波を「預かる」資格がある。従って当初から政府と協調、国民不在でデジタル化を推進したことは国民に対する背信行為、後戻りのできない段階になって「恨み節」を国民に「披露」して理解を求めるなど全くの筋違い、自身が経済的窮地に陥ったことは当初から国民を無視し自己保身に走った結果といわれても仕方のないものであろう。<br />
<br />
デジタル化が始まり経済的困窮から放送労働者に対していわゆる退職勧奨がなされた放送局もあるようであるが、これ以前に自身の放送ジャーナリストとしての根本的存在意義を見いだせなくなり連座責任を感じて職を辞した放送労働者も多いといわれる。これらについてはいずれその全容が明らかにされ、放送事業者はなにがしかのかたちで国民の審判を受けるものになると思われる。--><br />
当初デジタル化はテレビジョン放送の占有する広い周波数帯域を空けることにより将来、逼迫することが予想される携帯電話をはじめとする移動体通信などの周波数需要に応えることが主な目的であったがこれらはいずれも技術的進歩により短期間で割り当てられている範囲のもので需要に応えられるようになったこと、またこれは当時、既に技術的客観性をもって想定することが可能な範囲にあったこと、さらには結果、空いた周波数の利用計画に特に明確な至急性もみられず今日根本的な部分、すなわち直接、国民に負担を強いてまで性急に放送波のデジタル化を遂行する「必要性」があったのかどうかについて疑問の声も聞かれるようになっている。<!--ノートご参照下さい。--><br />
<br />
== 「カネ」がない ==<br />
よく「繁栄を続けるテレビ放送業界」といわれるが実際には[[3大都市圏]]と地方では天地の差があり、地方民間放送局の経営は開局以来ぎりぎりである。民間放送局の場合、その財源は主に広告収入であることから根本的に広告主が多く中継局数の少ない3大都市圏の放送局の収支は毎年度「余裕のある」黒字となるが地方放送局の場合、主に地形上の制約により多くの中継局を必要とするため設備費がかかり加えて広告主が少ないことから毎年度「やりくりして」黒字になる。自社制作では赤字となるため、その放送の多くの部分をいわゆる[[キー局]]あるいは[[準キー局]]などが制作した番組に頼らざるを得ないのも現実である。<br />
<br />
このため地方民間放送局の場合、いわゆる内部留保に回せるカネが総売上げの1%いくかいかないかという放送局もざらである。放送局を企業、すなわち営利追求団体として観ると地方では開局50年で100億円程度の内部留保がある放送局は「優良企業」である。これは3大都市圏の各放送局の内部留保とは実に1ケタ以上の差になる。<br />
<br />
デジタル化に要する放送局の初期設備投資額は、地方局ではおよそ50億から100億円にも達する。民間放送局の商品は「時間」であり24時間を広告主に切り売りするものであることから他の産業と異なり「新市場の開拓」は困難、そもそも地方民間放送局は企業としてこのような巨額の投資をするには無理がある。多くの地方民間放送局では内部留保を全てこれに充当したとしても足らず、再び黒字転換するまでに今の広告収入が継続するものとした楽観的試算でも今後30年以上かかると容易に想定されるところすらある。すなわち厳しい収支状況にある地方民間放送局ほど、デジタル化によってさらに困窮する事態に至る。<br />
<br />
当初、こういった実態について国は明確に把握しておらず結果、後述のデジタル放送実施のための第一歩となるアナアナ変換よりずるずると国費が投入される結果となっている。当初の思惑、すなわち「視聴者の受信セットの買い替え負担のみ」は外れ何がしかのかたちで「国民に諸々の負担」を求めなければデジタル化を遂行できないことがはっきりしてきたことからいわゆるキー局が系列の地方放送局の経営に関与することについての制限緩和、放送事業者の電波利用料の大幅増額など後手の対応が現在に至るも続いており、さらに[[2008年]]以降の深刻な不景気がこれに追い討ちをかけ今後この事態がいつまで続くのかわからない状態となっている。NHKについても必要となる経費を合算して均等割り受信料としていることから今後、視聴者の直接負担増も想定される範囲にある。<br />
<br />
なお[[2009年]][[9月4日]]、[[総務省]]は地上デジタル放送完全移行に向けた検討委員会の場で次年度予算概算要求に約900億円の対策費を盛り込んだことを報告した。これは前年度比で約88%増しの要求となっている。財源の大半は[[携帯電話]]利用などの対価として国が徴収する[[電波利用料]]<ref>電波利用料はアマチュア無線局の開設者など国が開設するものなどの特例を除く、全ての無線局免許を受けた者より徴収されている。</ref>という特別会計からの支出によるものとなっている<ref>[[2009年]][[9月5日]] [[朝日新聞]]朝刊 10版 7面 「政策」</ref>。<br />
<br />
== アナアナ変換 ==<br />
[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビジョン放送]]は、[[NTSC|地上アナログテレビジョン放送]]に使われている[[極超短波|UHF帯]]の一部(原則13ch〜52ch)をそのまま用いて放送される。このためデジタル放送に使用する送信周波数帯(送信チャンネル)を確保するため、一部の地域ではデジタル放送と同一チャンネルとなるアナログ中継放送局のチャンネル(周波数)を変更することが必要になった。この様なアナログ放送チャンネルの変更・移動を一般に「アナアナ変換」(アナログ-アナログ変換を短縮したもの。別名「アナ変」)と呼んでいる。<br />
<br />
これに掛かる費用のうち、<br />
*各家庭用の受信設備の対策に係るもの<br />
*地方局の送信設備の対策に係るもの<br />
については主に電波利用料を財源として実施された。テレビ放送波の変更に「繁栄を続けるテレビ放送業界」の金ではなく携帯電話利用者などからの金を流用する事への反発があったが総務省は結局、電波利用料によってすべての変更工事を行い[[2007年]]3月に完了した。<br />
<br />
このアナアナ変換の実施は、地上デジタル放送開始時点には終了している事が望ましかった。影響を受ける地域の[[視聴者]]を個々に回る必要から作業そのものに時間がかかったり、変更したチャンネルが別の地域に影響を及ぼすため相互に地域のアナアナ変換を進めなくてはならない事などで先行して放送開始した三大都市圏を含め放送開始時点で対象の全戸の変更が未完了や完了不可能な地域があった。そのため暫定的に既存のUHFアナログ放送の視聴に混信妨害を与えない様に放送アンテナの指向性・送信出力を制限していたため、局によってはアナアナ変換完了までの一時期にデジタル放送の受信可能範囲が著しく制限されていた。<br />
=== 沿革 ===<br />
*[[2003年]]1月頃 - 関東・近畿・東海地方とその周辺の一部地域で実施を開始。<br />
*[[2005年]]1月頃 - ほとんどの地方局の中継局で実施を開始。<br />
*[[2007年]][[3月20日]] - [[愛媛県]]の長浜出海中継局([[NHK松山放送局|NHK松山]]総合のみ)を最後に予定されていたすべてのアナアナ変換が終了した。<br />
<br />
== 視聴者のニーズ ==<br />
2008年3月現在、「地上アナログ放送が停波になる」の認知率は[[総務省]]の調べで92.2%でありそれが2011年であると知っているのは64.7%、続いて2009年1月に同省が行った調査で地上アナログ放送が終了する時期を2011年であると回答したのは77.8%となっていて未だ知らない人や停波時期を正確に答えられない人は存在する<ref>[http://www.soumu.go.jp/s-news/2009/090217_7.html 総務省報道資料『「デジタルテレビ放送に関する移行状況緊急調査(平成21年1月)」の結果』]</ref><ref>[http://www.soumu.go.jp/s-news/2008/081014_3.html 総務省報道資料『「デジタルテレビ放送に関する移行状況緊急調査(平成20年9月)」の結果』]</ref>。<br />
<br />
そのため、[[地上波]]テレビ放送でも幾度とアナログ放送の終了を告知するCMや告知が放送されている。現に[[家電量販店]]などの店頭のアナログチューナーのみのテレビには「'''2011年アナログテレビ放送終了'''」のシールが貼付されている<ref>[http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20050930/soumu.htm AV Watch『10月22日からアナログテレビに「2011年放送終了」シール』]</ref><ref>[http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20051024/dpa.htm AV Watch『「2011年アナログテレビ放送終了」シール貼付け開始』]</ref><ref>[http://pcweb.mycom.co.jp/news/2005/09/30/014.html MYCOMジャーナル『総務省とD-pa、2011年のアナログ放送停波告知を開始』]</ref><ref>「地上デジタル放送対応テレビは本当に必要か?」という主張をしている[[バイ・デザイン]]では、「2011年アナログテレビ放送終了」のシール貼付を拒否している。ただ、販売店では同社製品に対しても貼付している事がある。</ref>。<br />
<br />
[[2005年]]ぐらいまでは、家電量販店でも地上デジタル放送対応テレビのラインナップがほとんど店頭に並んでいなかった。そのため、地上アナログ停波が2008年時点でも約3年で実施される実感がわかない国民も多い。2008年現在、家電量販店の店先に陳列される商品ラインナップは買い替え用の高価な薄型大画面テレビが中心で薄型テレビと比較して安価な地上デジタル放送対応ブラウン管テレビは姿を消してしまっている。また既存のアナログチューナー付きテレビに追加する地上デジタルチューナー自体が店頭にほとんど並んでいないばかりか、2008年現在では大手メーカー製地上デジタルチューナーは価格が5~6万円と高い。このため、まだ十分使えるテレビを買い換えたり高いチューナーを追加購入する事に抵抗感がある人も多くこれらの事が地上デジタル放送の普及を妨げる大きな要因であろう。<br />
<br />
[[カーナビゲーション]]の自動車メーカー装着チューナーは、2008年現在も多くが地上アナログ用である。地上デジタル放送チューナーはディラーオプションであるものが多い。2005年まではディラーオプションも設定されていないものが多かった。アフターマーケットでの自動車用地上デジタル放送チューナーに於いても[[2006年]]以前はワンセグ/12セグ切り替えに数秒以上時間が掛かったり弱電界時のキャリア合成ダイバシティ機能の性能が良くなかったりなど移動時の受信性能に問題があり、アナアナ変換移行期による地上デジタル放送の電波の弱さや全国で地上デジタル放送の電波が発射されていなかった事なども併せてユーザーへの訴求力不足であった。<br />
<br />
[[#双方向機能|双方向機能]]が活かされるのは、クイズやアンケート番組に視聴者が参加できる事やテレビショッピング程度ではないかといわれる。なお地上デジタル放送では課金に係わる機能が実装されていないため、BSデジタル放送と異なりテレビ単体でテレビショッピングはできない。<br />
<br />
== 地上デジタルチューナー非内蔵機器の継続使用 ==<br />
地上デジタルチューナーを持たないテレビ・録画機など<ref>[[2000年|2000]]~[[2003年]]に発売されたBS・110度CSデジタルチューナーは内蔵している(最初期は110度CSなし)が地上デジタルチューナーは内蔵していない機器を含む。</ref>は地上デジタルチューナー内蔵機器(単体チューナー、DVDレコーダー、テレビ、CATVセットトップボックスなど)の[[ビデオ信号]]出力などを利用し追加機器からテレビ側へ映像、音声、制御信号などを入力する事で廃棄する事なく継続して使用できる<ref>但し、携帯用の小型テレビは外部AV入力や外部アンテナ入力を備えない事が多いため継続使用はできない。</ref>。デジタル放送の利点である画像品質や[[アスペクト比]]に拘らず、また各種の機能などを必要とせず[[コンポジット映像信号]]などのビデオ信号出力を利用すれば画質と音声の劣化はあるが多くは継続使用できる。但し、テレビとチューナーの双方を操作する必要が生じる事から従来のアナログテレビ単独使用と比べて利便性が低下するのは不可避となる。<br />
<br />
地上デジタルチューナー非内蔵機器の多くは標準画質だが2008年1月現在発売されている地上デジタル対応の単体チューナー、DVDレコーダー、CATVセットトップボックスはこの継続使用のため特化したものはなく[[過剰性能]]でありその分高価なものばかりである。[[総務省]]の情報通信審議会は、電機メーカーに対し5,000円前後の特化した単体チューナーの発売を求める答申を出す方向で動いている<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20070802nt03.htm 総務省審議会『アナログTV用安価チューナーを』] - [[YOMIURI ONLINE]] 2007年8月2日</ref>。2009年9月には[[イオングループ]]限定で10万台限定(需要次第で最大で20万台追加販売される予定)の販売になるものの、単体チューナーが4,980円で販売されている<ref>[http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200909050022a.nwc イオン、4980円地デジチューナー 需要に応え“国内差安値”投入] - [[フジサンケイビジネスアイ]] 2009年9月5日</ref><!--2009年に地上アナログ放送停波のアメリカでは[[LG電子]]が既に開発をしていて[[Consumer Electronics Show|CES]]2007に出展された<ref>[http://it.nikkei.co.jp/expo/special/ces2007.aspx?n=MMIT0p000012012007 アナログ停波に向け最も必要なものは何?・LG電子ブース]</ref>/-->。<br />
=== 地上デジタルチューナー非内蔵テレビ ===<br />
地上デジタルチューナー内蔵機器をビデオ端子などで接続する事で継続使用が可能である。現存するほとんどのテレビはビデオ信号入力端子を備えているが、ビデオ信号入力端子が搭載されていないテレビではビデオ信号をアンテナ端子から入力可能な[[RF端子|RF信号]]に変換するモジュレータ(例:[[マスプロ電工]]のAV変調器「VMD3M」)が追加で必要となる。なお[[NTSC]]規格の仕様上、旧型の白黒テレビでも利用可能となっている。<br />
<br />
=== 地上デジタルチューナー非内蔵録画機 ===<br />
地上デジタルチューナー非内蔵録画機(ビデオデッキ、CPRM対応DVDレコーダーなど)については、地上デジタルチューナー内蔵機器(地上デジタルチューナー内蔵テレビにも録画出力があるものがあり、それも使用可能)の映像・音声出力端子から映像・音声コードを介して録画が行える。但し、[[CPRM]]非対応のレコーダーでは録画できないものがある。また、ここからさらに録画側をデジタル録画機にしての複製はコピーワンスのコピー制御により原則行えない([[日本の地上デジタルテレビ放送#コピー制御]]を参照)。<br />
<!-- 出典は;ノート記述:2007年7月14日 (土) 08:08及び他を参照。コピーの個人レベル使用と旧式機器の実用的継続利用案内です。--><br />
<br />
== 移行の際の混乱 ==<br />
現行アナログ放送の終了は年金生活[[高齢者]]、[[生活保護]]世帯、単身者、[[勤労学生]]などの経済的弱者にも新しい受信機への買い換えもしくは移行時点での予想最低価格5,000円以下の地上デジタルチューナーの買い足しができない人へ地上デジタルチューナーの新規購入を強いるものでありそういった人へはあまねく国民全員が享受して来た情報伝達や娯楽手段を一部の人から奪う事になりかねないので「弱者切り捨てではないのか」という不満の声がある。実際にインターネットコムとgooリサーチが行った「テレビに関する調査」では約2%がテレビ視聴を止めると答えている。<br />
<br />
現に[[ニュースサイト]]や[[動画共有サイト]]、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]など多くの[[インターネット]][[コンテンツ]]が若者に浸透し始め「テレビよりもインターネットが面白い」と考える若者が多くなり、[[NTSC|地上アナログ放送]]とデジタル放送が[[サイマル放送]]されている今でも[[テレビ離れ]]を加速させている。結果として[[地上波]]放送局の[[平均]][[視聴率]]、それに伴って[[民間放送|民間放送局]]の[[広告収入]]は年々減少傾向にありデジタル放送に一本化する事によって減収も加速させるのではという懸念する声もある。<br />
<br />
このため、低所得者世帯などに地上デジタルチューナーを無料配布する事も政府内で検討されている<ref>米国では2009年2月の停波に向けてデジタル対応テレビへの買い換えが困難な低所得者層に対し、デジタルTV変換コンバータ購入用としてUS$40のクーポンを配布する方針である。日本もこれに見習ったものである。しかしながら地上デジタル放送への移行に受像機の変更だけでなく新たなアンテナ設備(工事費を含めて数万円)も必要であるが、この事は「デジタルへの移行」自体よりさらに少数の理解しか得られていない。実際、「デジタルへの移行」は何となく理解して新しい受像機に買い換える時に「地上デジタル放送対応」製品を購入したもののアンテナその他までには理解が及ばず実際には従来のアナログ放送を新しい受像機で受信しているだけなのにも拘らず[http://www.nozomu.net/journal/000228.php デジタル放送を視聴していると信じ込んでいる例]も報告されている。</ref>。<br />
<br />
また、経済的に余裕のある層でも「現行のアナログ放送でも事足りている」「まだまだ使える現行のアナログテレビがあるのにわざわざ新たに対応テレビ(もしくは対応チューナー)を購入する魅力や必要性が乏しい」などといった価値観が根強く残っている事も普及への大きな妨げになっている。さらに[[2008年]]末以降の大幅な景気悪化による経済的弱者の急増により終了予定となる2011年7月24日までの受信機やチューナーの購入需要が大きく冷え込む事が確実視されており、景気悪化が進行すれば準備が整っていない世帯を多く残したままの停波が予想される。<br />
<br />
さらに、[[日本の地上デジタルテレビ放送#集合住宅での受信未対応件数]]の項でも述べた様な問題に対して「駆け込み工事」の混乱を未然に防ぐための方策が特に一戸建て世帯に対しては十分とは言えない現状も危惧されている。<br />
<br />
デジタル放送はその伝送誤りの処理能力内なら障害のない(又は少ない)受信が可能だが、[[誤り訂正]]能力を超えた伝送誤りが発生するとベリノイズが現れたり全く受信できなくなる。アナログ放送ならば災害などで地元の放送局に障害が生じても他県の放送をゴーストが生じたり、色がつかなかったりする状態で何とか受信して災害情報を得られる可能性があるがデジタル放送ではその可能性は低くなる。これは、[[地上デジタル音声放送|地上デジタルラジオ]]の普及後もアナログラジオ放送を継続する政策の理由の1つである。なお、通常時においても現在は辛うじて受信できていてデジタル波になったら全く受信できなくなる地域も存在する。特に2007年現在、地方局などではまだまだ受信耐久率がアナログ放送以下のテレビ局が多くそういった局はやや強い雪が降っただけですぐに映らなくなる事が頻繁である。<br />
<br />
デジタル放送の問題の1つとして、「[[額縁放送|額縁映像]]」をはじめとした表示形態上の問題がある(詳細は[[デジタルテレビ#表示形態]]を参照)。「額縁映像」はほとんどの場合テレビやチューナーなどの受信装置側の設定を変えるなどして防ぐ事ができるが、高齢者やいわゆる「[[情報格差|デジタル弱者]]」にとっては本来簡単な設定の変更でさえ敷居が高い事が多い。<br />
<br />
ごく一部の[[ケーブルテレビ]]局では地上波以外のアナログ放送もパススルー方式で送信しており、地上デジタルアナログ契約では受像機1台分の契約しかしなくてもアンテナ分配器で実際の受像機の数を増やせた。だがデジタル契約では「契約受像機数=セットトップボックス数=受像できる受像機数」となるので複数の受像機を持っている場合、結果的に受像機数分の契約をする可能性もある。しかし他の[[多チャンネル放送の一覧|多チャンネル放送]]に乗り換えられる可能性もあるので、ケーブル局の増収となるとは限らない。ケーブルテレビでのデジタル放送受信方式にはセットトップボックスを必要としないパススルー方式があるが、パススルーによる送信は技術的に容易で設備も簡易で済む地上デジタル放送のみ実施している局が多い。<br />
<br />
[[パナソニック|松下電器産業(現:パナソニック)]]は「アナログチューナーのみの従来型テレビの生産を[[2006年]]で終了する」と発表した(但し実際に生産終了したのは2007年8月)。大手では他に[[東芝]]・[[三菱電機]]・[[ソニー]]が既に生産を終了している。録画機器もパナソニックなどがアナログチューナーのみの従来型ビデオデッキやDVDレコーダーの生産を終了した。<br />
<br />
これらの問題については[[新聞]]などの投書欄で読者からの意見として紹介される事や[[討論番組]]などで討論の内容になる事はあるが、テレビの[[ニュース]]などで取り上げられる事は少ない。これらのデメリットを詳しく知るためには[[書店]]で専門的な[[雑誌]]を読む、ネットで調べるなど疑問を持ち主体的に行動しなくてはならず特に高齢者などには敷居の高いものとなっている。<br />
<br />
なお、上記の告知CMには「(地上デジタル放送開始に伴うアナログ放送停止は)国の法令で定められている」というテロップが入っている。<br />
<br />
また、家電リサイクルの面でもアナログテレビの大量廃棄が問題となる。[[電子情報技術産業協会]]の予測では、2007〜[[2013年]]の排出量の総数は約6,428万台。特に停波直後の2011年には約1,800万台に達し、2006年度排出量の約2倍となる見込み<ref>経済産業省<br />
*[http://www.meti.go.jp/committee/materials/g70308bj.html 産業構造審議会環境部会廃棄物・リサイクル小委員会電気・電子機器リサイクルワーキンググループ 中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会家電リサイクル制度評価検討小委員会 合同会合 第7回配付資料]<br />
**[http://www.meti.go.jp/committee/materials/g70308bj.html 資料2 2011年地上アナログ放送終了に伴うテレビの排出台数予測]</ref>。このためリサイクル処理に伴い二酸化炭素の排出量が多くなる事、処理プラントの増強が必要な事、ブラウン管の再生ガラスの過剰供給が問題となりうる事が指摘されている<ref>特集「リサイクル2011年問題」 日経エレクトロニクス 2008年[[6月30日]]号 日経BP</ref>。<br />
<br />
以上の様な状況ではあるが既にアナログ停波を宣言してしまっている以上、停波そのものの撤回は容易ではない。これは逆に買い替えをしてしまった視聴者からの反発も予想されるからである。また停波時期の延長も電波法の再改正を必要とするため容易ではない。なお一部の[[国会議員]]の中には[[格差社会|格差問題]]などを考え、停波時期の延長や停波そのものの撤回も選択肢の1つではないかと考えている者もいる様である。<br />
<br />
なお2009年8月現在において[[世界]]におけるアナログ放送を完全に終了させた[[国家|国]]は[[オランダ]]、[[アンドラ]]、[[フィンランド]]、[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]など少数であり[[大韓民国|韓国]]は当初の終了予定を過ぎた現在でもアナログ放送を継続させている事から「日本でも同様の措置を取るべきだ」との声もある。詳細は[[地上デジタルテレビ放送#世界各国における地デジへの移行]]を参照。<br />
<br />
しかし現実問題としてこれらの国々とは異なり、日本のデジタル化には経済的余裕がなく「2011年7月24日をもって、アナログ放送の維持費用発生がゼロになる」ことを大前提として「なんとかぎりぎりやりくり」しながら進められてきた。よってメーカー各社もこれに追従、受像機はおろか肝心のアナログ放送機・中継機などの生産がごく一部の保守用を除いて国内で既に中止されており停波時期の延長や停波そのものの撤回のためにはこれらを急ぎ再開させるあるいは海外から急ぎ輸入して対応しなければならない(多くの放送局で現在運用されているアナログ放送設備は停波日より耐用期間を逆算、数年前より更新されていない状況にある。従って2011年7月24日を超えて放送を続けるためには、一気に老朽化したアナログ放送設備を更新する必要に迫られる)ことからまた新たに莫大な費用が発生、多くの民間放送局はこの費用負担に耐えられる状態にはなくNHKについても受信料に転嫁して視聴者に直接その負担を求めることにもなりかねない。これを回避するためには国としての新たな費用負担ということになるがいずれにしても国民が負担することに違いはなく、今後国会でも激しい論争が巻き起こる事も予想される。<br />
<br />
== アナログ放送終了に備えた措置 ==<br />
現在、アナログ放送を受信している視聴者でもデジタル放送だと勘違いをしている視聴者がいるため停波になった時に多少の混乱が起こる事も懸念されている。そのためか、2008年7月24日からアナログ放送終了に備えた措置を実施している。この措置は大きく4段階に分かれている<ref>[http://www.asahi.com/digital/av/TKY200804170285.html 「アナログ放送終わります」テレビ画面に常時字幕へ] asahi.com、2008年4月18日</ref><ref>形態としては2006年4月から2007年10月末まで表示していたNHKアナログ衛星ハイビジョン(2007年9月末で番組送出終了)と同じ形式となる見込み。</ref>。<br />
<br />
なお、以下の措置においては[[視覚障害者]]に対する配慮を行うとされている。<br />
=== 地上波アナログ放送終了に備えた措置 ===<br />
*[[2008年]][[7月24日]] - 【第1段階】アナログ放送終了の[[地上アナログ放送終了告知画面|告知画面]]・[[地上アナログ放送告知スーパー|告知スーパー]]の放送を開始。アナログ放送の画面に「アナログ」ロゴマークの表示を開始。アナログ放送終了告知を強化。<br />
**NHKでは一部の地域放送などを除き[[ウォーターマーク]]で常時表示。<br />
**民放では当初、19時~23時台の番組(一部を除く)で放送開始直後(番組の流れにより多少後になる場合もある)に数秒間白文字のみ(局により細い黒縁や長方形枠が付く場合あり。開始時刻が19時前に跨る番組では18時台にも表示される事があった)で「アナログ」と表示されていたが<ref>[[TBSテレビ|TBS]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[テレビ朝日]]系列では[[文字多重放送|字幕]]テロップとの同時表示もあった。</ref><ref>アナログのテロップ表示はNHKとTBS・[[テレビ東京]]系列はサイズが小さく、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・フジテレビ・テレビ朝日系列は前者の3局より3倍程大きくなっていた。</ref>2009年[[1月12日]]より基本的にCM中を除き常時表示される様になった(一部を除く)。ほとんどの局は大きさがNHKの約3倍である。<br />
*[[2009年]]<br />
**[[4月6日]] - [[総務省]]は「アナログ放送終了[[リハーサル]]」と呼ぶアナログ波停止を行った場合、その地域のアナログ放送[[視聴者]]にどの様な問題が発生するかを観察・抽出するため公募の結果、[[珠洲市]]を選んだ。これにより国として全国的に必要な対策・措置を検討・実施する。2009年度末までに完全停波を行い、それまでは時間帯を選択し段階的にTV画面に終了告知を表示したり実際に部分的停波を行う。なお、他の地方自治体からリハーサルへの参加は引き続き募っている<ref>{{Cite web|date=2009-04-06|url=http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02ryutsu09_000009.html|title=「アナログ放送終了リハーサル」実施地域の決定|publisher=総務省、リハーサル推進委員会|accessdate=2009-04-13}}</ref><ref>{{Cite web|date=2009-04-06|url=http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20090406_110451.html|title=石川県珠洲市で停波リハーサルを実施|publisher=[[Impress Watch]]|accessdate=2009-04-13}}</ref>。<br />
**7月 - 【第2段階】アナログ放送の一部の番組を4:3レターボックス放送に変更(その後、段階的に拡大)。告知テロップの表示回数を増加。<br />
**[[9月3日]] - 総務省テレビ受信者支援センターは珠洲市での「アナログ放送終了リハーサル」で使用する5,000台から8,000台の簡易チューナを珠洲市市役所納入先とする購入に公募し、同年[[11月30日]]を最終納入日とした<ref>{{Cite web|date=2009-09-03|url=http://digisuppo.jp/uploads/subscription/705933423b408b5b40b64e96d130c9f1f2f0243f.pdf|title=地上デジタル放送用「簡易なチューナー」購入に係わる公募|format=PDF|publisher=[[総務省]]テレビ受信者支援センター|accessdate=2009-09-10}}</ref>。<br />
**[[9月15日]] - 「総務省地デジチューナー支援実施センター」がNHK受信料全額免除の生活保護受給世帯へ無償支給する簡易チューナーの申し込みを郵送で受け付け開始<ref>[[読売新聞]] 2009年[[9月14日]] 13S版2面</ref>。<br />
*[[2011年]]<br />
**1月 - 【第3段階】アナログ放送の全番組を4:3レターボックス放送に変更。告知テロップを常時表示。アナログ放送終了告知をさらに強化。<br />
**[[7月1日]] - 【第4段階】アナログ放送終了を知らせる静止映像と4分の1未満の枠で通常番組を放送、通常番組の上にアナログ放送終了を知らせる文面を前面に表示、アナログ放送終了を知らせるミニ番組を繰り返し放送、アナログ放送終了を知らせる静止映像のみ放送のいずれかに変更。可能な場合は同年4月から前倒して実施し、順次時間を拡大させることも検討する。同年7月24日正午をもってアナログ放送を停波。混乱を防止するため、2008年6月までに国と放送事業者とで免許切れ直前に完全移行する事が決められた。更に停波の時間については混乱を避け、コールセンターへの問い合わせに対応できるようにするため期限日の正午とすることが2009年[[4月23日]]に総務省内での会議で決められた<ref>{{Cite news<br />
|date=2009-04-24<br />
|url=http://www.asahi.com/culture/update/0423/TKY200904230240.html<br />
|title=アナログ停波は11年7月24日の正午 12時間前倒し<br />
|publisher=[[朝日新聞|asahi.com]]<br />
|accessdate=4月24日<br />
|accessyear=2009年<br />
}}</ref><ref>[http://www.soumu.go.jp/main_content/000019736.pdf アナログ放送終了計画(改定版)地上デジタル放送推進に関する検討委員会(第46回)資料(2009年4月23日開催)]</ref>。<br />
==== 備考 ====<br />
*全国に先駆け、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の一部地域でサービスを行っている[[鹿児島光テレビ|かごしま光テレビ]]は2008年7月で地上アナログ放送の再送信を終了しテレビの完全デジタル化を完了した<ref>[http://www.khtv.co.jp/topics/20080804.html アナログ放送サービスおよびケーブルインターネットサービス終了のお知らせ] 鹿児島光テレビ、2008年8月4日。</ref>。<br />
*[[福岡放送]]では措置の本格実施に先駆け、2008年[[7月12日]]の「[[博多祇園山笠]]追い山ならし」中継において第2段階の措置を実行した。全編をアナログ放送ではレターボックスで放送し、CM明けに完全実施モードのアナログ終了告知を数秒表示。番組中でもアナログ終了アナウンスを行った。<br />
*[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]では、第1段階開始日の2008年7月24日に特別番組として『[[備えあれば映りよし 〜完全デジタル化まであと3年〜]]』を放送した。番組中の中継の中でアナログ放送の終了体験が行われた。地上デジタル放送推進メインキャラクターの[[草なぎ剛|草彅剛]]([[SMAP]])とNHKアナウンサーの[[島津有理子]]らによるカウントダウンの後に、アナログ放送のみブルーバックでNHKの地上アナログ放送の2011年7月での終了とデジタル放送受信の準備を早期に行う事を要請する旨のテロップが表示された(デジタル放送では中継先の映像のまま。音声はデジタル・アナログとも中継先の音声を流した)。2009年の同日にも特別番組が放送された。<br />
*テレビ東京は、2009年2月にすべての番組(15分以下の番組を除く)内で告知テロップを表示した。本編中、4:3番組では映像中に挿入し4:3[[レターボックス (映像技術)|レターボックス]]番組では下側の黒帯部分に表示した。生放送番組でも告知テロップは4:3レターボックス放送と同じものを表示していた<ref>[http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/ir/jpn/press/pdf/090129_4.pdf テレビ東京・2月は全番組で地デジを推進!!地デジ7チャン強化月間]</ref>。同年7月にも15分以上のすべての番組で告知テロップを表示した<ref>[http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/ir/jpn/press/pdf/090625_2.pdf テレビ東京・7月は全番組&データ放送で地デジ推進 子供たちにも地デジ推進]</ref>。<br />
*フジテレビでは、2009年4月以降、すべての深夜番組や午後のドラマ再放送(2003年以前作品を除く)を4:3レターボックスにした。TBSテレビでも同時期に午後のドラマ再放送を4:3レターボックスにしている。<br />
*これ以外でも、各局がそれぞれの方法によりアナログ終了の告知を強化している。<br />
*2008年[[11月27日]]、「日本再建のため行革を推進する700人委員」<ref>[http://homepage2.nifty.com/700/index.htm 日本再建のため行革を推進する700人委員]</ref>の研究会で地デジへの移行に際して「[[アンテナ]]の改修が必要な場合がある事の説明が足りないのではないか」など説明不足を指摘する意見が出た<ref>[[読売新聞]] 2008年11月28日 13S版 2面記事</ref>。<br />
;アナログ放送停波後のケーブルテレビの応急処置<br />
*2009年1月、2011年のアナログ放送停波に伴い[[ケーブルテレビ]]局を通じデジタル放送をアナログ変換し再送する事が国の予算編成で検討されている。<br />
<br />
=== BSアナログ放送終了に備えた措置 ===<br />
BSアナログ放送については受信機の普及が地上波よりもかなり進んでいる事や全国一律放送である事もあり、地上波と同時期もしくはこれより早く終了させる方向で検討する事を決めており既存のアナログ視聴者に対してもデジタルへの移行を促している。<br />
*2008年<br />
**[[5月1日]] - NHK衛星第1・第2テレビジョンのアナログ放送でチャンネルロゴの下に「アナログ」の文字を表示<ref>かつてはNHKアナログ衛星ハイビジョンでも2006年4月から2007年10月の完全停波まで同じ形式で表示していた。</ref>。<br />
**[[5月9日]] - [[WOWOW]]のBSアナログ放送用デコーダの新規申し込み受付を終了(BSデコーダー所持者のBSアナログ放送のWOWOWへの再加入は可能)。<br />
<br />
== 地上アナログ放送での受信障害 ==<br />
視聴者が使用している[[受信ブースター|ブースター]]が多くのチャンネルを増幅できる性能が十分でない場合、地上デジタル放送開始と共にUHF帯域のチャンネル数が増えるためにUHF帯域の地上アナログ放送に[[スノーノイズ]]が現れる。これが現れた場合は社団法人[[電波産業会]]受信対策センターに相談する様に呼び掛けられている。地上デジタル放送へのフィルターを取り付てくれ、地上アナログ放送に障害が出ない様にしてくれるという。地上デジタル放送への対応はしてくれない。この障害が現れると地上デジタル放送への対応には、多くの場合ブースターの調整又は交換が必要である。地上アナログ放送が停波すれば交換しなくても地上デジタル放送が支障なく受信できる可能性は増えるが、確実ではない。<br />
<br />
== 視聴できない地域 ==<br />
地上デジタルテレビジョン放送の開始は段階的に進められ[[東京都]]や[[大阪府]]などの都市部を優先して試験的に開始し[[2006年]][[12月1日]]までに43県の[[県庁所在地]]及び近辺に位置する一部の[[市町村]]で受信できる様にはなったが、県庁所在地から大きく離れた市町村及び[[離島]]での受信が不可能な状態で開始される事となった。<br />
<br />
中継局の増設が本格化となった2007年以降、視聴できない地域は次第に減少し2009年3月末時点での受信可能地域は試験電波発射中の地域を含め都道府県庁所在地から大きく離れた主要地域の市町村と一部の離島でもほぼ網羅して来ているがそれでも各都道府県にあるすべての中継局が整備されておらず地上デジタル放送を受信できる様にするための整備が常に後手に回る事態となっており特に人口の少ない地域ほど後回しになっている。<br />
<br />
また難視聴区域の中でも[[京都府]][[和束町]]では高圧送電線の電波障害を解消するために[[関西電力]]が建設した電波受信施設で現在はアナログ波を各家庭に配信しているが、この施設をデジタル波用に改修するに際しての費用負担の問題から地上デジタルに完全移行への不安が残る地域も存在する<ref>[[朝日新聞]] [[2007年]][[8月3日]]付け朝刊 京都欄記事より。</ref>。<br />
<br />
加えて、[[新潟県]][[上越市]][[大島区]](旧:大島村)などの一部市町村ではその地理的な環境より全面的に難視聴地域となる事が予想されている。これは、デジタル波の直進性と閾値以下では映像が見られない特性によるものある。これらの地域は[[過疎化]]と[[高齢化]]に悩む地域で、全国に点在している。この様な地域では経済的にも恵まれず、デジタル放送に関して積み残しとの指摘もある。総務省ではこれらの解消を考慮はしているが予算などの事情から完全実施は不可能であり、地域住民の負担で行うしか方法はないが1世帯あたりの負担は重くそれら施設工事の国庫負担率1/3から1/2へと引き上げが望まれている。<br />
<br />
さらに、[[神奈川県]]内の[[鎌倉市]]では[[デジタル放送]]を視聴できない恐れが出てきた。現在、鎌倉市の大半の世帯は放送波を[[東京タワー]]から直接、または[[湘南平]]([[平塚市]])から[[中継局]]経由で受信している。放送局側の試算によると想定される神奈川県内の難視地域のうち、75%超が鎌倉市内に集中している。鎌倉は海と山に囲まれた特有の地形を有しており、放送波が行き届きにくい地形を有している。総務省は鎌倉の山中に中継局の設置を市側に提示しているが、[[世界遺産]]登録の為に制定された[[条例]]([[古都保存法]]で[[古都保存法|歴史的風土特別保存地区]]に指定。20m以上の工作物は原則建設禁止、20m以下は市が意見を付けた上で県の許可が必要)があり調整が難航している。この状況でデジタル放送に移行すれば、約5100世帯が難視地域になる可能性が出てきた。[[ケーブルテレビ]](CATV)や[[光ファイバー]]を活用する方策もあるが、折りしも経済情勢の悪化でこれ以上の負担を強いられることは市民の反発を招く恐れもある。総務省は中継局建設工事や手続き、受信者側の準備などを勘案すると2009年4月末までにはある程度のめどをつける必要があるが現在まで総務省や鎌倉市から新たな発表はなされていない。また[[相模原市]]の旧津久井郡地区では2009年[[3月31日]]に2ヶ所の[[中継局]]([[津久井テレビ中継局|津久井]]、[[相模湖中継局|相模湖]])が開局したものの、なおも約15%に当たる2400世帯が視聴できない。この為、市内に住む住民が組合を組織し共聴アンテナを利用して現在アナログ放送を視聴しているが各世帯の自己負担が10万円前後、現在も月500円を徴収しており施設のデジタル化には多額の費用が掛かるのが現状である。<br />
<br />
地上系による放送の[[放送#放送対象地域|放送対象地域]]は県域又は広域が原則である(短波放送を除く)が、送信される[[電波]]は県域又は広域に留まらず県外または圏外にも漏れる場合が多い<ref>これを[[スピルオーバー]]と呼び、[[山梨県]]の一部で在京[[キー局]]の地上波を受信できるのが代表的な例といえる</ref>。これは圏外の視聴者には喜ばれる一方、地元の[[放送局]]やそのスポンサーにとって隣接する[[都道府県]]又は広域圏を放送対象地域とする放送局に視聴者を奪われる事、番組[[著作権]]・番組出演者の[[肖像権]]の侵害にもつながる重要な問題であった。<br />
<br />
今回の地上デジタルテレビジョン放送への移行実施に当たり、総務省は現在アナログ放送で見られるエリアのほとんどをデジタルで視聴可能にするとしている<ref>しかし[[北海道]]にあっては未だに民放の[[中継局]]が未整備で、[[札幌市]]以東・以北でアナログ放送すら受信できない地域が多い</ref>。実際に独立局を中心にアナログ放送と同等のスピルオーバーのエリアを確保している局も多くあるが、デジタル放送に新たに割り当てられたチャンネルで混信が起こり視聴が不可能又は困難な地域もある。また現在中継局の整備が不完全であるため、スピルオーバーのエリアは完全ではない。地域によってはスピルオーバーと中継局の未整備とが相まって、受信できる放送局が他の都道府県を放送対象地域としている放送局のみというケースも生じている<ref>例として、[[長崎県]][[島原市]]では2008年1月時点ではデジタル放送で受信可能な放送局は[[有明海]]を介して[[熊本県]]を放送対象とする放送局のみとなっている。</ref>。<br />
<br />
前記は施策の遅れ・困難さに伴う副次的な影響であるが、さらに実際の施策を進めていく上でも地上デジタルテレビジョン放送では送信所から発信される電波の方角・強度を細かく設定できる事や出力もアナログUHF局の10分の1に抑える事で地上アナログテレビジョン放送に比べ本来の放送対象地域に沿った放送が実施可能となると見られる。また、社団法人[[日本民間放送連盟]]が[[ケーブルテレビ]]に対して[[区域外再送信]]を認めない(放送局個別の判断で方針は運用されており、一部例外あり)事から<ref>[http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0405/20/news018.html ITmedia『関西で火の手が上がったCATVの「区域外再送信」問題』]</ref>地元の放送局は[[視聴者]]を奪い返す絶好の機会、自局が属する系列以外の事業者への[[番組販売]]の増加による収益確保、新規系列局の開局にもつながる可能性が期待できる(但し、難視聴地域の増加や広告出稿への影響などを考慮すれば区域外再送信やスピルオーバーの可否もケースバイケースであろう。下記CATV局の事例も参照の事)。しかしチャンネル数の選択肢の少ない地域([[福井県]]、[[宮崎県]]など)で他の県の放送を頼りにしている地域への配慮がない事について改善の兆しもなく、また経済格差や既存テレビ局の圧力などで新規テレビ局の設置→チャンネル数の増加が困難な例がある。この点は宮崎県知事である[[東国原英夫]]が公約として「宮崎県にテレビ局を作る」が盛り込まれた事がいえる。また、県の単位と実際の地域経済単位や文化の単位も異なる例があり(例:[[山口県]]西部は[[福岡県]][[北九州市|北九州]]地区の影響が、[[静岡県]][[伊豆半島]]東部は[[首都圏]]の影響がある)事に対し有力な反論は表されていない面もある。<br />
<br />
=== ケーブルテレビの区域外送信問題 ===<br />
一方、[[区域外再送信]]を売りに加入者数を増やして来たケーブルテレビ局は「区域外再送信を禁止されるとこれに伴う解約者が増えかねない」と異論を唱える局もあり実質視聴可能な放送局数の減少や地域間格差の拡大<ref>[[関東広域圏]]は地上波民放が6局以上視聴できる場合があるのに対し、[[徳島県]]と[[佐賀県]]は地上波民放が1局しか視聴できなくなる地域も出てくる。しかし徳島県については在阪局全5局が佐賀県については在福局全5局が地上デジタル放送の区域外再送信に同意しており、一部ケーブルテレビ局では放送対象地域外の民放局の地上デジタル放送での区域外再送信が行われている。</ref>など区域外視聴者からの反発も予想される。<br />
<br />
一部のケーブルテレビ局では、加入者の減少対策として放送対象地域外の放送局の電波が提供地域の全世帯までに届いていればその放送局の区域外再送信を行う局も出始めている<ref>[http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0503/31/news044.html ITmedia『区域外再送信問題、いよいよ決着へ』]</ref>。また、[[大分県]]で起こったこの問題に対して「区域外送信を認める」との大臣裁定が降りた事によりデジタル波でも再送信を行うケーブルテレビ局が出ている。<br />
<br />
なお、ケーブルテレビ局の中には加入世帯数の伸び悩みにより老朽化した送信設備を地上デジタル対応に改修する費用を捻出できなくなる局もあり地上アナログ放送終了と共に廃局となる局もある([[岩手県]][[盛岡市]]直営の[[テレビ都南]]は2011年をもって廃局決定)。<br />
<br />
== 既存の建造物などによる受信障害への対応 ==<br />
現在、建造物によって周辺にテレビ受信障害([[電波障害]])が発生した場合、建造物の設置者が費用を負担して[[ケーブルテレビ]]への加入や共聴設備を設置する事で対応することが多い。しかし、そうして設置された共聴設備の大半は地上デジタルを想定しておらず視聴するには改修工事が必要となる。<br />
<br />
ところが、地上デジタル放送の開始が建築前には告知されていなかった場合はその分の改修費まで補償する法的義務はないと建築者や建物の管理者が主張している事が多い。従って電波障害によりデジタル放送が受信できない場合、そのテレビの所有者が実費で対処を検討する問題が起きる。<!-- アナログ波と地上デジタルでは受信障害となる領域が違うが、建造物により一定の障害が発生することは避けられない。-->なお地上デジタルを所管する総務省はこの様な場合、協議を推奨している<ref>[http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/whatsnew/digital-broad/how04.html 総務省『都市受信障害共同受信施設で受信する場合』]</ref>。<br />
<br />
== 新規地上アナログ放送局開局が困難 ==<br />
2011年7月24日までに地上デジタルテレビ放送に完全移行し、現在の地上アナログテレビ放送の終了を予定している。そのため[[開局を断念した放送局一覧#テレビ|開局を断念した放送局一覧]]の項でも触れた[[茨城県|茨城]]・[[福井県|福井]]・[[徳島県|徳島]]・[[佐賀県|佐賀]]・[[宮崎県|宮崎]]・[[沖縄県|沖縄]]の6県に割り当てられた新規アナログテレビ放送用の周波数割り当ても取り消されている他、既存の民放テレビ局(特に平成時代に開局した局)のアナログ放送中継局及び送信所の新規開設の凍結など地上アナログ放送の新規の開局は事実上不可能となった。<br />
<br />
但し、アナログ放送終了後にこれらの地域でも地上デジタルでのテレビ局の新規開局の可能性はある。なお、[[テレビ東京]]は2007年5月の定例社長会見において[[宮城県|宮城]]・[[静岡県|静岡]]・[[広島県|広島]]の各県に新局を設ける構想([[テレビ大阪]]の兵庫県・京都府への放送対象地域拡大も含めて)を発表しているが2008年[[6月20日]]のテレビ東京第40回定時株主総会の概要で会社側は見られるエリアの拡大について「現在のテレビ東京の経営環境では厳しい」と回答している。{{要出典範囲|そのため3県には新局無しの状態で隣県か[[飛地]]による[[関東広域圏]]のテレビ東京系の放送電波のみのエリア拡大計画を模索している。しかしこのすくたれ染みた計画は各3県に加え面子を潰される怖れのある[[福島県]]、[[長野県]]、[[山梨県]]側からも反発を招く可能性が高い。}}(参照:[[民放TV全国四波化方針]])<br />
<br />
== その他 ==<br />
2011~[[2012年]]時点でも大量にある多くが不自由なく機能し続けるであろう現行のテレビ受像機が多く廃棄された場合、[[3R]]([[リデュース]]・[[リユース]]・[[リサイクル]])の観点も含め社会全体の負担コストが大きく環境にも良いとはいえない。<br />
<br />
「地上アナログテレビジョン放送終了=テレビが見られなくなる」と曲解し、誤解させる詐欺事件も起こっている<ref>[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/col/20060619/117237/ シニア層は要注意!これからが本番「地デジ詐欺」にだまされるな!] 日経トレンディネット 2006年6月20日</ref>。<br />
<br />
総務省はUHF帯に移行した後、空いたVHF帯を移動体向け放送(携帯電話通信そのものではなく映像放送などの新規サービス)など新規サービスに開放するとしている([[日本の地上デジタルテレビ放送#導入の経緯|日本の地上デジタルテレビ放送の項も参照]])<ref>以前、テレビ放送の周波数帯をすべてUHFとする政策が示されたが空いたVHF帯の用途が提示されなかった事と既存VHF局の抵抗により実施が見送られた。</ref>。VHF帯は電波の波長が長いために直進性が低く、例えば[[携帯電話]]向けの1.5GHz帯を用いたサービスなどで大きな問題となるビル影・山影による不感問題が生じにくいといった利点はあるものの一方で効率の良い送受信には長いアンテナが必要となる。<br />
<br />
また、一部の[[アマチュア無線]]家などからは空いたVHF帯のアマチュアバンド化を求める声やかつてそうだった146~148MHz帯を再びアマチュアバンド化し割り当てられていた警察・消防無線を移動させる声も挙がっている。ただし大半のアマチュア無線家はインターネット普及に伴い、短距離FM交信に使用されている<ref>短距離と言っても、アマチュア無線のそれは商用放送の[[広域放送]]の送信所~(中継局を使用しない)最長受信可能距離と同等である</ref>。50MHz帯、144MHz帯、430MHz帯<ref>''これらの詳細は[[アマチュア無線の周波数帯]]を参照''</ref>の混雑が解消された<ref>インターネットの爆発的普及直前1990年代前半、これらの周波数帯は首都圏や大阪圏のラッシュアワーに例えられるほどの混雑であったが一般家庭のインターネット普及とその[[ブロードバンド]]化がこの帯域が混雑する原因となっていたライトユーザーをそちらへ大量に奪ってしまった。この為アマチュア無線のデジタル化はテレビ放送とは正反対に停滞し、現在もアナログFMが主流である</ref>ことから「地デジにかける金があるなら、アマ局からの電波使用料徴収の中止や開局にかかる費用の低減を実行しろ<ref>これらは前述のアマチュア無線ユーザーの激増とそれによるVHF・UHF各アマチュア無線帯域の混雑を理由に設定、もしくは徴収料の値上げが乱発されたものである</ref>」という意見が大勢を占める。<br />
<br />
「[[日本の地上デジタルテレビ放送#遅延問題|遅延問題]]」は、日本で行われる(今後の)災害情報通知への問題を含んでいる。具体的には「[[緊急地震速報]]」への通知手段として現行のアナログ放送では同時の通報が可能であるが、一方で「遅延」が発生する地上デジタル放送では3~5秒程度伝達遅延が発生する。そのため、仮に5秒前に速報を発信しても実際に届くのは事後(被災後)となる。また[[津波]]情報に対しても緊急性が要求されるので、人命に絡む問題である。これもアナログラジオ放送が継続される大きな理由となっている。[[ブラジル]]で採用されたSBTVD-T方式では遅延が改善されているが、日本が既に採用したISDB-T方式ではこれ以上の遅延の改善は不可能に近い。<br />
<br />
ポケットラジオでは「FMワイドバンド対応。テレビの1~3チャンネル音声が受信可能」と謳う製品が多いが、これらの機種は88~108MHzでラジオ放送が行われている国(アメリカなど)でしか意味を成さなくなる。1~12chテレビサウンド対応のラジオもある([[ラジカセ]]の中にはさらにUHFにも対応しているものがある)が、アナログテレビ停波後は全く無意味となる。そのため、ラジオのカタログには「アナログテレビ放送終了後はテレビの音声を聞く事ができません」の注意書きが付記されている。同様の注意書きはFMラジオを搭載した[[デジタルオーディオプレーヤー]]や携帯電話にも見られる。<br />
<br />
[[新聞]][[番組表]]でも、[[広域放送|関東と関西の広域放送圏]]においての配列の変更が一部行われている。[[日本経済新聞]](関東・関西)と[[朝日新聞]]・[[日刊スポーツ]](関東)では2009年[[3月30日]]の新聞からこれまでのアナログ放送のチャンネル順からデジタル放送のIDキー番号順に配列を変えており、特に朝日新聞と日刊スポーツの関東版では[[テレビ朝日]]にアクセントを付けている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist|2}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
*[[地上アナログ放送終了告知画面]]<br />
*[[地上デジタルテレビ放送]]<br />
*[[日本の地上デジタルテレビ放送]]<br />
*[[B-CAS]]<br />
*[[NTSC]](日本の地上アナログテレビジョン放送の方式)<br />
*[[ニュース系列]]<br />
*[[電波法]]<br />
*[[電器店]]<br />
*[[全国電機商業組合連合会]]<br />
*[[時刻出し]]<br />
*[[ローカルニュース動画配信実施局一覧]]<br />
*[[地デジカ]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.dpa.or.jp/index.shtml 社団法人デジタル放送推進協会]<br />
*[http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/tokushu/gen/20040311/107893/?P=1 知っておきたい!地上デジタル放送の新常識・完全版]<br />
*[http://home.jeita.or.jp/dha/Q&A/definition-dtv.htm デジタル放送及びデジタル放送受信機の呼称・定義]<br />
*[http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/pdf/020927_1_01.pdf 地上デジタルテレビジョン放送局の免許方針](総務省制定)<br />
*[http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/whatsnew/digital-broad/index.html 地上デジタルテレビ放送のご案内](総務省)<br />
*[http://www.kanto-bt.go.jp/bc/digital/kyoutyoupanfu.pdf 地上デジタルテレビ放送共同受信施設での受信方法](総務省関東総合通信局)<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:2011ねんもんたい にほんのてれひしよんほうそう}}<br />
<br />
[[Category:テレビ]]<br />
[[Category:日本の放送]]<br />
[[Category:メディア問題]]<br />
[[Category:2011年]]<br />
[[Category:年問題|2011]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=2007%E5%B9%B4&diff=401160
2007年
2022-08-27T00:54:38Z
<p>PG: /* 6月 */</p>
<hr />
<div>{{Yearbox|前世紀=20|世紀=21|次世紀=22|前10年紀2=1980|前10年紀1=1990|10年紀=2000|次10年紀1=2010|次10年紀2=2020|3年前=2004|2年前=2005|1年前=2006|1年後=2008|2年後=2009|3年後=2010|}}<br />
{{Template:YearInTopic}}<br />
'''2007年'''(にせんななねん)は、[[月曜日から始まる平年]]である。 <br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
[[Image:2007年1.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* 干支:[[丁亥]](ひのと い)<br />
* 日本(月日は一致)<br />
** [[平成]]19年<br />
** [[皇紀]]:2667年<br />
*[[中華民国]](月日は一致)<br />
** [[中華民国暦]]96年<br />
* [[大韓民国]](月日は一致)<br />
** [[檀君紀元|檀紀]]4340年<br />
*[[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致)<br />
** [[主体暦|主体]]96年<br />
* [[宗教暦]]<br />
** [[仏滅紀元]]:2549年10月13日~2550年閏9月7日<br />
** [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1427年12月11日~1428年12月21日<br />
** [[ユダヤ暦]]:5767年4月11日~5768年4月22日<br />
<br />
== できごと ==<br />
=== 1月 ===<br />
[[Image:2007年2.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[1月1日]]<br />
** [[ブルガリア]]、[[ルーマニア]]が[[ヨーロッパ連合]]。EU加盟国は27ヶ国になる。<br />
** [[ブルガリア語]]、[[ルーマニア語]]、[[アイルランド語]]が[[欧州連合]](EU)の[[公用語]]となる。<br />
** [[スロベニア]]が[[ユーロ]]導入。ユーロ圏は13ヶ国に拡大。<br />
** [[潘基文]]が[[国際連合事務総長]]に就任。<br />
** [[アンゴラ]]、[[石油輸出国機構|石油輸出国機構 (OPEC)]] に新規加盟<br />
** [[タイ王国|タイ]]の[[バンコク]]で連続爆弾テロが8か所で起こる。<br />
** [[インドネシア]]・[[スラウェシ島]]付近で、乗客乗員合計102名を乗せた[[アダム・エア]]の[[ボーイング737]]が消息を絶ち。([[1月11日]]に海上で尾翼の一部発見、エンジントラブルが原因で墜落したものと思われる。)<br />
* [[1月2日]] - [[ジェラルド・R・フォード]]元[[アメリカ合衆国大統領]]の[[国葬]]挙行。<br />
* [[1月8日]] - [[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]にある屋内型[[遊園地]]「[[ロッテワールド]]」の屋根が老朽化し重大事故に発展しかねないため、急遽補修工事を行うこととなり、同日から全面休業。<br />
* [[1月9日]] - [[ペルシャ湾]]の[[ホルムズ海峡]]付近で、[[アメリカ合衆国海軍]]の[[原子力潜水艦]]「ニューポート・ニューズ」と、日本の[[川崎汽船]]所属のタンカー「最上川」が衝突。けが人などはなし。<br />
* [[1月10日]]<br />
** [[アメリカ合衆国財務省]]、[[イラン]]国営{{仮リンク|セパ銀行|en|Sepah Bank}}がイラン政府による[[ミサイル]]開発に資金供与したとして、同行に対し資産凍結、取引停止などの金融制裁発動。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[シスコシステムズ]]、前日に[[アップル インコーポレイテッド|アップルコンピュータ]]が発表した音楽プレーヤー付き[[携帯電話]]「[[iPhone]]」が同社の[[商標権]]を侵害しているとして、[[商標]]の複製の差し止めを求め提訴(2月に和解し、同年6月29日にiPhoneは発売された)。<br />
** [[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ]]が[[イラク]]への[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]2万2千人の増派を発表。国民からは批判の声が挙がる。<br />
* [[1月11日]] - [[バングラデシュ]]の[[イアジュディン・アハメド]][[大統領]]、総選挙に伴う各地での[[暴動]]発生のため、[[非常事態宣言]]。1月22日に予定されていた総選挙を延期、外出禁止令なども発令。<br />
[[Image:2007年3.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[1月12日]]<br />
** [[ギリシャ]]は[[アテネ]]にある{{仮リンク|在ギリシャ・アメリカ合衆国大使館|en|U.S. Embassy, Athens}}に[[ロケット弾]]が打ち込まれ、爆発。たちあわせた人に被害などはなし。<br />
** [[ロシア]]の[[ドン川]]畔で[[ヒト|ホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)]]の[[遺跡]]が発見されたことが、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の学術雑誌『[[サイエンス]]』で発表される。<br />
* [[1月13日]] - [[北海道]]などの[[太平洋]]側で[[津波]]を観測。<br />
* [[1月14日]] - [[安倍晋三]][[首相]]が[[フィリピン]]・[[セブ島]]のホテルで[[日本|日]][[中華人民共和国|中]][[大韓民国|韓]]3カ国首脳会談に出席。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[核兵器]]放棄を求める共同声明を発表。<br />
* [[1月15日]] - [[フィリピン]]・[[セブ島]]で、第2回[[東アジアサミット]]開催。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対し[[拉致問題]]解決を求める議長声明を発表。<br />
* [[1月17日]] - [[ネパール]]の[[ネパール共産党毛沢東主義派|毛派]]が[[国際連合]]監督下で武装解除を開始。<br />
* [[1月18日]] - [[ブラジル]]・[[サンパウロ州]]検察庁、[[1999年]][[7月]]に[[静岡県]][[浜松市]]で当時16歳の女子高生を[[ひき逃げ]]し死亡させ、そのままブラジルに帰国していた、31歳の[[日系ブラジル人]]容疑者を逮捕、起訴。日本で犯罪を犯したブラジル人が代理処罰の形で起訴されるのは初めて。<br />
* [[1月20日]] - [[ヒラリー・クリントン]] [[アメリカ合衆国上院議員]]、[[2008年]]に行われる予定の[[アメリカ合衆国大統領選挙]]への出馬を表明。<br />
* [[1月21日]] - [[セルビア]]総選挙で民族主義政党セルビア急進党が勝利。ただし、政権は同党以外の小党連立となる見込み。<br />
* [[1月22日]]<br />
** 日本の[[神戸市]]で、世界の5つの[[マグロ]]資源管理機関に所属する77の国・地域、および、[[国連食糧農業機関|国連食糧農業機関 (FAO)]] 、[[世界自然保護基金|世界自然保護基金 (WWF)]] 関係者が出席し、[[クロマグロ]]、[[ミナミマグロ]]、[[メバチマグロ]]などの乱獲防止、資源保護策について話し合う初の会合を開催。26日に行動方針を採択し閉幕。<br />
** [[イラン]]特別委員会、イランが敵対的と判断した[[国際原子力機関|IAEA]]査察官38名の入国拒否を決定。<br />
** [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]政府、北朝鮮内でのすべての[[外貨]]の使用を禁止。<br />
* [[1月24日]] - [[ヨーロッパ委員会]]、[[三菱電機]]、[[日立製作所]]、[[東芝]]など11社が、送電設備について[[カルテル]]を結んでいたとして、総額で7億5000万[[ユーロ]]の制裁金支払命令。<br />
* [[1月25日]]<br />
** [[中華人民共和国|中国]]国家統計局、[[2006年]]の中国の[[国内総生産]] (''GDP'') の実質伸び率が10.7%と、4年連続で2桁成長となったことを発表。<br />
** [[マイクロソフト]]、当初[[Microsoft Windows Vista]]発売から2年後にサポート打ち切りを予定していた[[Microsoft Windows XP]] Home Editionについて、サポート提供を[[2014年]][[4月]]まで延長することを発表。<br />
** [[国際連合開発計画|国連開発計画 (UNDP)]] 、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]での事業費不正流用疑惑により、2007年から[[2009年]]分の北朝鮮内での新規事業計画を凍結する事を決定。<br />
** [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[フォード・モーター]]、[[2006年]][[決算]]が創業以来最大となる127億4600万[[ドル]]の最終赤字。<br />
* [[1月28日]] - [[中華人民共和国|中国]]・[[上海市|上海]] - [[南京市|南京]]・[[浙江省]][[杭州市]]間を結ぶ、[[東北新幹線]][[はやて (列車)|はやて]]に使われる[[新幹線E2系電車|車両]]をベースに作られた[[中国高速鉄道CRH2型電車]]が運行開始。<br />
* [[1月30日]] - [[Microsoft Windows Vista]](ホームベーシック・ホームプレミアム・アルティメット)が発売。<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
[[Image:2007年4.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[2月2日]]<br />
** [[フランス]]・[[パリ]]で開かれた[[国際連合]][[気候変動に関する政府間パネル]] (''IPCC'') 、[[地球温暖化]]の影響で、100年後の地球の平均気温が、[[20世紀]]末に比べ1.1 - 6.4℃上昇、悪天候等の影響で約2億人が[[難民]]となるという予測を発表。<br />
** [[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[オーランド]]近郊で大規模な[[竜巻]]発生、19人が死亡。被害地域4郡に[[非常事態宣言]]発令。<br />
** アメリカ合衆国[[通商代表部]]、[[中華人民共和国|中国]]が規則に反し輸出品に補助金を供与しているとして、[[世界貿易機関]] (''WTO'') に提訴。<br />
** イタリアサッカー1部リーグ([[セリエA (サッカー)|セリエA]])の[[カルチョ・カターニア|カターニア]]対[[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]戦でサポーターと警官隊が衝突し、警官1人が死亡、100人以上が負傷する事態に。11日にセリエAは再開されたものの、安全基準を満たしていない一部のスタジアムでは無観客試合の措置がとられた。<br />
* [[2月3日]] - [[イラク]]・[[バグダード]]で[[イラク戦争]]後最大規模の[[自爆テロ]]発生。130人以上が死亡、300人以上が負傷。<br />
* [[2月4日]] - [[インドネシア]]・[[ジャカルタ]]で2月1日からの[[豪雨]]による洪水が発生、少なくとも20人死亡、20万人以上が避難。<br />
* [[2月5日]] - [[中華人民共和国|中国]]の[[海洋調査船]]が[[尖閣諸島]]・[[魚釣島]]付近で無断海洋調査。日本政府の抗議に対し、中国政府は同諸島の[[領有権]]主張。<br />
* [[2月8日]]<br />
** [[パレスチナ]]の2大政治勢力、[[ファタハ]]と[[ハマス]]、[[マッカ|メッカ]]での会合で統一政権樹立に合意。<br />
** アメリカのアイドル、[[アンナ・ニコル・スミス]]が死去。英語版 Wikipedia には、短時間に大量の書き込みが殺到した。<!-- 出典:英語のニュース多数。--><br />
* [[2月10日]]<br />
** [[バラック・オバマ]]が2008年の[[アメリカ合衆国大統領選挙]]の[[2007年民主党予備選挙|民主党予備選挙]]に正式立候補。<br />
** [[ドイツ]]・[[エッセン]]で開かれた[[G7]][[財務大臣|財務相]]・[[中央銀行]]総裁会議閉幕。共同宣言では[[円安]]是正に触れず。<br />
* [[2月12日]]<br />
** [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]、[[国際宇宙ステーション]]の第18次長期滞在搭乗員に、日本人宇宙飛行士・[[若田光一]]を選出。[[2008年]]秋以降に[[スペースシャトル]][[エンデバー]]号に搭乗予定。<br />
** [[アメリカ合衆国]]・[[ユタ州]][[ソルトレイクシティ]]の[[ショッピングモール]]で男が[[ライフル]]を乱射、5人が死亡。犯人の男は警察隊により射殺。<br />
* [[2月15日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[投資ファンド]]の日本[[法人]]、[[スティール・パートナーズ]]・ジャパン・ストラテジック・ファンド、[[サッポロホールディングス]]へ[[株式公開買付]]を提案。<br />
* [[2月16日]]<br />
** [[大韓民国|韓国]]統一省、この日、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]から韓国に入国した[[脱北者]]の総数が1万人を越えたことを発表。<br />
** [[ブラジル]]・[[ミナスジェライス州]]検察庁、[[2005年]]に[[日本]]・[[静岡県]][[浜松市]]で発生した[[レストラン]]経営者殺人事件の容疑者で、日本政府から[[代理処罰]]の要請を受けていた男の身柄を拘束、強盗殺人と放火未遂の罪で起訴。<br />
* [[2月17日]]<br />
** [[アメリカ合衆国空軍]]、[[ステルス戦闘機]][[F-22 (戦闘機)|F22Aラプター]]をアメリカ国外では初めて[[日本]][[沖縄県]][[嘉手納基地]]に配備。<br />
** [[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]、所属する[[与党]]・[[ヨルリン・ウリ党]]を離党。[[韓明淑]]首相も辞意を表明。<br />
* [[2月25日]] - [[第79回アカデミー賞]]の授賞式が開催。最優秀助演女優賞候補だった[[菊地凛子]]は受賞を逃す。<br />
* [[2月26日]] - [[日本|日]][[アメリカ合衆国|米]]両政府、日米共同訓練を[[3月5日]]から初めて[[航空自衛隊]][[築城基地]]で行うことに合意。同基地には[[F-15 (戦闘機)|F-15]][[戦闘機]]も飛来予定。<br />
* [[2月27日]] - [[中華人民共和国|中国]]・[[上海市|上海]][[証券取引所]]で[[株価]]が前日比8.84%マイナスの大暴落。この影響で[[ヨーロッパ]]市場や[[ニューヨーク証券取引所]]など世界中で連鎖株安。<br />
* [[2月28日]] - [[ジョン・マケイン]][[アメリカ合衆国]][[共和党 (アメリカ)|共和党]][[アメリカ合衆国上院|上院]]議員、[[アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]への立候補を表明。<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月4日]] - [[ヨーロッパ]]、[[アフリカ]]などで[[皆既月食]]、日本では部分月食観測。<br />
* [[3月6日]] - [[インドネシア]]・[[スマトラ島]]中部で[[マグニチュード]]6.3の[[地震]]。多くの建造物が倒壊し死者多数。<br />
* [[3月7日]]<br />
** [[インドネシア]]・[[ジョグジャカルタ]]の[[アジスチプト国際空港]]で、[[ガルーダ・インドネシア航空]]の[[ボーイング737]]型機が着陸に失敗し炎上、乗客乗員140名のうち49人死亡([[ガルーダ・インドネシア航空200便墜落事故]])。<br />
** [[庶民院|イギリス下院]]、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]への直接[[選挙]]制導入案を可決。<br />
* [[3月8日]]<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[3M]]、[[リチウムイオン電池]]の特許を侵害したとして、[[ソニー]]、[[日立製作所]]、[[パナソニック|松下電器産業]]、[[聯想集団|聯想(レノボ)]]など11社を同国国際貿易委員会に提訴。<br />
** [[アメリカ合衆国国務省]][[ショーン・マコーマック]]報道官、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]に関し、日本政府の立場を完全支持することを表明。<br />
* [[3月11日]]<br />
** [[ジャック・シラク]][[フランス]][[大統領]]、次期大統領選挙への不出馬を表明。<br />
** [[アメリカ合衆国]]の[[夏時間]]適用期間が、[[2006年]]までの[[4月]]第1日曜日 - [[10月]]最終日曜日から拡大され、3月第2日曜日 - [[11月]]第1日曜日までとなるため、[[アメリカ合衆国]]はこの日から[[夏時間]]となった(但し[[ハワイ州]]全域と[[アリゾナ州]]のうち[[インディアン]]自治区以外の地域では夏時間は適用されない)。<br />
* [[3月13日]] - [[日本国]]の[[安倍晋三|安倍]][[内閣総理大臣|首相]]は、来日中の[[オーストラリア]][[ジョン・ハワード]]首相と、「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名。日本が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]以外と[[安全保障]]の協力関係を結ぶのは、これが初めて。<br />
* [[3月14日]]<br />
** [[アメリカ合衆国商務省]]、経常[[赤字]]が8566億[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]と初めて8000億ドルを越えた事を発表。<br />
** [[アメリカ合衆国財務省]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対する金融制裁の一部緩和を容認。<br />
* [[3月17日]] - [[ロシア]]中部[[サマーラ]]で[[ツポレフ134]][[旅客機]]が[[航空事故|墜落]]、5人死亡約50人負傷。<br />
* [[3月19日]] - [[アメリカ合衆国|米]][[朝鮮民主主義人民共和国|朝]]両国、[[マカオ]]の[[金融機関]]「[[バンコ・デルタ・アジア]]」 (''BDA'') にあり、アメリカ政府が資産凍結を行った約2500万[[アメリカドル|USドル]]の北朝鮮関連資産を早期に全額返還することで合意。<br />
* [[3月22日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ソフトウェア]]大手[[オラクル (企業)|オラクル]]、同社の[[コンピューターシステム]]に侵入し、[[特許]]などの機密情報を盗み出したとして[[SAP]]を提訴。<br />
* [[3月23日]] - [[イラク]]・[[バグダード]]で、ゾバイ副首相を狙った爆弾[[テロリズム|テロ]]発生。<br />
* [[3月25日]]<br />
** [[タイ王国|タイ]]・[[バンコク]]の[[スワンナプーム国際空港]]施設の問題のため、[[ドンムアン空港]]の定期便利用再開。<br />
** [[香港行政長官]]選挙実施、[[曽蔭権]]行政長官が再選される。<br />
** [[能登半島]]でマグニチュード6.9の[[地震]]が発生。<br />
* [[3月27日]]<br />
** [[インターネット]]検索大手[[Google]]、[[携帯電話]]専用[[検索エンジン]]提供開始。<br />
** [[日本]][[最高裁判所 (日本)|最高裁]]の[[光華寮訴訟]]を[[京都地方裁判所|京都地裁]]に差し戻し、[[台湾]]([[中華民国]])側の実質敗訴が確定。<br />
* [[3月28日]] - [[フィリピン]]・[[マニラ]]で、武装した男2人が[[保育園]]の子供ら34名を乗せた[[バス (交通機関)|バス]]を[[ハイジャック]]。10時間後に[[人質]]を解放し投降。<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月2日]]<br />
** [[ソロモン諸島]]付近で、[[マグニチュード]]8.0の[[大地震]]が発生。周辺海域で[[津波]]による被害が発生し、20名以上死亡。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[大韓民国|韓]]両政府、[[自由貿易協定|FTA]]合意。<br />
* [[4月4日]]<br />
** [[イラン]][[マフムード・アフマディーネジャード|アフマディーネジャード]]大統領[[3月23日]]に[[ペルシャ湾]]で拘束した[[イギリス軍]]兵士15人の釈放を発表。<br />
** [[タイ王国]]暫定政府、[[ラーマ9世|プミポン国王]]を侮辱する画像が掲載されたとして、タイ国内からYouTubeへのアクセス規制措置。<br />
* [[4月10日]]<br />
** [[アメリカ合衆国]]政府、[[中華人民共和国|中国]]における[[知的財産権]]侵害について[[世界貿易機関|WTO]]に提訴。<br />
** [[日本|日]][[中華人民共和国|中]]両政府、[[2003年]]以来4年ぶりとなる日本から中国への[[米]]輸出再開に合意。<br />
* [[4月11日]] - [[中華人民共和国|中国]]の[[温家宝]][[首相]]が訪日。翌日[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]と会談、日本[[衆議院]]本会議場で演説。<br />
* [[4月12日]] - [[日中ハイレベル経済対話]]発足。<br />
* [[4月14日]] - [[ロシア]]・[[モスクワ]]で[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]政権に反対する[[デモ]]参加者300名以上を当局が拘束。翌日も、[[サンクトペテルブルク]]でのデモ参加者約120名を拘束。<br />
* [[4月15日]] - [[イスラエル]]首相官邸で、[[エフード・オルメルト]]イスラエル首相と[[マフムード・アッバース]][[パレスチナ自治政府]]大統領による第1回定期首脳会談開催。<br />
[[ファイル:2007 Virginia Tech massacre students outside Lee.jpg|thumb|280px|犠牲者追悼のために集まった学生ら]]<br />
* [[4月16日]] - [[バージニア工科大学銃乱射事件]]が発生 :アメリカ合衆国[[バージニア州]]の[[バージニア工科大学]]構内で同国史上最悪の[[スクールシューティング]]([[教育機関]]での銃乱射事件)が起こる(死者32人、負傷者15人)。容疑者の[[韓国人]][[学生]]は[[自殺]]。<br />
* [[4月18日]] - バージニア工科大学銃乱射事件の犯行ビデオの公表 :事件の犯人が犯行の合間に撮影して送りつけたとみられるビデオを、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[NBC]]が公開する。<br />
* [[4月20日]] - アメリカ合衆国[[テキサス州]][[ヒューストン]]の[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]で、NASAと契約している会社の従業員の男が男女2人を人質に立てこもる。男は短銃で職員の男を射殺し、自殺。<br />
* [[4月22日]] - [[ジャック・シラク]]の任期満了に伴う[[フランス]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]選挙。過半数を獲得した候補がいなかったため、1位の[[ニコラ・サルコジ]]前内相と2位の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]元環境相による決選投票選挙を[[5月6日]]に行う。<br />
* [[4月25日]]<br />
** [[エチオピア]]・[[ソマリ州]]で、[[中華人民共和国|中国]]系石油関連会社「[[中国石油化工]]」の[[油田]]開発現場が武装集団に襲われ、74人死亡。<br />
** [[ロシア]]・[[モスクワ]]で、23日に死去した[[ボリス・エリツィン]]前[[ロシアの大統領|ロシア大統領]]の[[国葬]]挙行。<br />
* [[4月26日]]<br />
** [[ミャンマー]]、[[1983年]]10月の[[ラングーン事件]]以来断交していた[[朝鮮民主主義人民共和国]]との[[国交]]を約24年ぶりに回復。<br />
** プーチン・ロシア連邦大統領、[[欧州通常戦力条約]]の義務履行一時停止を表明。<br />
** [[中華民国|台湾]][[中華民国行政院|行政院]]、[[北京オリンピック]][[聖火リレー]]の受入拒否を表明。<br />
* [[4月27日]]<br />
** [[日本]][[最高裁判所]]、[[中国人]][[従軍慰安婦]]や労働者、およびその遺族らからの戦後賠償を求める計4件の訴訟について、「[[1972年]]の[[日中共同声明]]をもって個人の賠償請求権は放棄された」として全て却下。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[シティグループ]]、[[日興コーディアルグループ]]に対する[[株式公開買付|TOB]]成立を発表。<br />
* [[4月30日]] - [[麻生太郎]][[外相]]、[[アメリカ合衆国国務省]]で[[コンドリーザ・ライス|ライス]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]と会談、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が核施設を停止しない場合、追加の経済制裁を行う認識で一致。<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月2日]]<br />
** [[大韓民国大統領|韓国大統領]]直属機関「親日・反民族行為者財産調査委員会」、[[李完用]]など[[親日派]]9人の子孫から土地などの財産36億[[大韓民国ウォン|ウォン]]を没収することを発表。<br />
** [[韓国銀行]]、[[2009年]]上半期を目処に新たに10万、5万ウォン[[紙幣]]を発行することを発表。<br />
* [[5月4日]] - [[アメリカ合衆国]][[カンザス州]]で、大規模な[[竜巻]]発生、9人死亡。建物崩壊するなど大被害。<br />
* [[5月5日]] - [[カメルーン]]・[[ドゥアラ]]で、乗客乗員115名を乗せた[[ケニア航空]]の[[ボーイング737|ボーイング737-800型]][[旅客機]]が離陸直後墜落。機体は現地日時6日に空港付近で発見され、全乗客の安否は絶望的。[[n:ケニア航空機がカメルーンで墜落|ウィキニュース]]。<br />
* [[5月6日]] - [[フランス大統領]]選挙決選投票で、[[ニコラ・サルコジ]][[国民運動連合]]党首が、[[社会党 (フランス)|社会党]]の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]候補を破り初当選。<br />
* [[5月8日]] - [[中華人民共和国|中国政府]]、[[アメリカ合衆国]]での[[ペットフード]]中毒による[[イヌ|犬]]・[[ネコ|猫]]の大量死に関し、輸出され製品に使用された[[コムギ|小麦]][[グルテン]]粉に[[メラミン]]が混入していた事実を認める。<br />
* [[5月11日]]<br />
** [[大韓民国|韓国]]の[[カルト|カルト教団]]・[[摂理 (宗教団体)|摂理]]の[[教祖]]とみられる男が同月初め、[[中華人民共和国|中国]]の公安当局に身柄を確保されていた事が判明。韓国側は男が教祖と確認でき次第身柄引き渡しを中国側に要求する予定。<br />
** [[東ティモール]][[大統領]]選挙で、[[ラモス・ホルタ]]首相が圧勝。5月20日より就任。<br />
* [[5月12日]]<br />
** [[アフガニスタン]]旧政権[[タリバン]]の軍事作戦最高司令官が、[[ヘルマンド州]]での戦闘で死亡。<br />
** [[中華人民共和国|中国]]・[[北京市|北京]]の[[天安門]]に掲げられている故[[毛沢東]][[主席]]の肖像画を焦がす事件が発生。警察は35歳の男を現行犯逮捕。肖像画は翌日復元された。<br />
* [[5月15日]]<br />
** [[カナダ]]・[[トムソン (情報サービス業)|トムソン]]社、[[イギリス]]・[[ロイター]]グループを約87億[[スターリング・ポンド|ポンド]]で買収することで合意。<br />
** [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の[[人工衛星]]を使った観測により、[[2005年]]1月に[[南極]]の[[氷河]]が、[[アメリカ合衆国|米]][[カリフォルニア州]]の面積(約41万平方キロメートル)に匹敵するほど広範囲で溶けていたことが判明。<br />
** [[ニコラ・サルコジ]]新[[フランス大統領]]就任。<br />
* [[5月17日]] - [[朝鮮半島]]分断以来、初めて[[大韓民国|韓国]]・[[ムン山駅|ムン山]]と[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[開城駅|開城]]を結ぶ[[列車]]が試験運行される。<br />
* [[5月18日]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、空席となっていた故[[白南淳]]外相の後継として、[[朴義春]]外相を任命。<br />
* [[5月21日]] - [[中国人民銀行]]、[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]に対する1日の変動幅を0.3%から0.5%に変更。<br />
* [[5月28日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イラン]]公式協議。[[1979年]]の[[イランアメリカ大使館人質事件]]以来、公式協議は27年ぶり。[[イラク]]・[[バグダード]]の首相府にて開催され、現在のイラク情勢についてを協議。<br />
* [[5月29日]] - [[中国]]財務省は株式売買時にかかる証券取引[[印紙税]]の税率を従来の0.1%から0.3%に引き上げることを決め、30日付で実施した。<br />
* [[5月30日]]<br />
** [[ロシア]]・[[モスクワ]]で連日猛暑。5月後半から30℃を超す夏日。例年はまだ涼しさが残る季節だが、今年は例年になく猛暑。モスクワには[[冷房]]設備を設置していない住居もあり、大きな影響が出た。<br />
** [[ロシア大統領府]]が、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対して「ぜいたく品」(軍用機、武器等)の輸出を禁止したことを発表。[[国際連合安全保障理事会|安保理]]が[[2006年]][[10月9日]]の[[核実験]]実施に対して発動された経済[[制裁]]で、明確な対北朝鮮制裁を[[ロシア]]が発表したのは初。<br />
* [[5月31日]] - 乗客乗員276名を乗せた[[アムステルダム]][[スキポール空港]]発[[大阪]][[関西国際空港]]行の航空機([[KLMオランダ航空]])が30日[[未明]]、[[ロシア連邦]]上空を飛行中に乱気流に遭遇。機体は急激に落下するなどし、乗客はパニックになった。乗員乗客合わせて11名が怪我をし、[[日本]][[大阪府]][[泉佐野市]]内の病院へ搬送された。乗客の一人が「まるでジェットコースターのようだった」と語った。<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月8日]] - [[アメリカ合衆国]]・[[フロリダ州]][[ケープ・カナベラル]]・[[ケネディ宇宙センター]]から、19時28分([[東部夏時間|EDT]])、[[STS-117|STS-117ミッション]]の[[宇宙飛行士]]7名を乗せた[[スペースシャトル]][[アトランティス (オービタ)|アトランティス号]]が発射された。このミッションは、[[国際宇宙ステーション|ISS]]に2枚の太陽電池パネル装置(S3トラスとS4トラス)を取り付ける作業である。[[2006年|昨年]][[12月]]に発射された[[STS-116|STS-116ミッション]]の[[ディスカバリー (オービタ)|ディスカバリー号]]以来、約半年ぶり。6月19日にケネディ宇宙センターに帰還予定。<br />
* [[6月30日]] - [[イギリス]]の[[グラスゴー]]にある[[グラスゴー国際空港]]で自動車が空港ビルに突入するという[[テロリズム|テロ]]が発生。<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月3日]] - [[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]で開催された[[アメリカスカップ#第32回アメリカスカップ|第32回アメリカスカップ]]で、[[スイス]]のチーム「{{仮リンク|アリンギ|en|Alinghi}}」が初防衛に成功。<br />
* [[7月4日]] - [[グアテマラシティ]]で開かれる第119回[[国際オリンピック委員会|IOC]]総会で、[[ソチオリンピック|2014年冬季オリンピック]]開催都市決定。[[ザルツブルク]]([[オーストリア]])、[[ソチ]]([[ロシア]])、[[平昌郡|平昌]]([[大韓民国|韓国]])の3候補地から、ソチが選ばれた。<br />
* [[7月7日]] - [[7月15日|15日]] - 第3回[[アメリカンフットボール・ワールドカップ]]の開催 :[[日本]][[川崎市]]にて。<br />
* 7月7日 - [[7月29日|29日]] - サッカー[[アジアカップ2007]]の開催 :史上初めて4か国([[タイ王国|タイ]]、[[マレーシア]]、[[ベトナム]]、[[インドネシア]])共同開催で行われ、[[サッカー日本代表|日本代表]]の1次リーグ3試合はベトナムで行われる。<br />
* 7月7日 - [[7月27日|27日]] - [[ツール・ド・フランス2007|ツール・ド・フランス]]の開催 :[[2005年]]7月7日に発生した[[ロンドン同時爆破事件]]の犠牲者追悼として、[[イギリス]]・[[ロンドン]]からスタート、最初の2ステージを[[イングランド]]で行う。<br />
* [[7月16日]] - [[新潟県中越沖地震]](M6.8)が起き、[[柏崎刈羽原子力発電所]]が運転全面停止した。後に運転を再開。<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]]<br />
** [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]で[[ミシシッピ川]]にかかる[[高速道路]]のアーチ型の橋が崩落、多数の死傷者が出る。<br />
** [[イギリス]]・[[ケルミスフォード]]の[[ハイランドパーク]]で世界スカウト100周年を記念してサンライズセレモニーが第21回世界ジャンボリーのプログラムとして行われた。<br />
* [[8月16日]] - ペルー沖で地震、M7.9、政府発表の死者510名。<br />
* [[8月17日]] - ロシア大統領ウラジミール・プーチンが、ロシアが遠隔地での戦略爆撃機による飛行を再開するつもりであることを発表した。これは1991年のソ連崩壊以降中断されていた。<br />
* [[8月20日]] - [[中華航空機]]が[[那覇空港]]で爆発炎上。乗客・乗員165人無事脱出([[中華航空120便炎上事故]])。<br />
* [[8月30日]] - [[9月3日]] - [[日本]]の[[横浜市]]で第65回世界[[SF]]大会([[ワールドコン]])Nippon2007が開催される :[[アジア]]での初開催。<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月7日]] - [[フランス]]で第6回[[ラグビーワールドカップ]]開催。但しうち3試合は[[ウェールズ]]の[[カーディフ]]、2試合は[[スコットランド]]の[[エディンバラ]]で行われる。[[10月20日]]まで。<br />
* [[9月8日]] - [[9月9日|9日]] - [[オーストラリア]]・[[シドニー]]で[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議開催。<br />
* [[9月10日]] - [[中華人民共和国|中国]]で第5回[[FIFA女子ワールドカップ]]開幕。[[9月30日]]まで。本来前回([[2003年]])大会を開催する予定だったが、同年[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]問題発生のため[[アメリカ合衆国]]で代替開催し、今回の開催となったもの。<br />
* [[9月12日]] - [[スマトラ島沖地震 (2007年)|2007年スマトラ島沖地震]]。マグニチュードは、初期値M7.9、改定値M8.2、再改定値M8.4。2008年最終再改定値M8.5。死者17名。翌日の明朝にM7.8の余震が発生。<br />
* [[9月13日]] - 『[[クライシス コア ファイナルファンタジーVII]] 』新型PSP ('''''PSP-2000''''') 先行同梱版発売。<br />
* [[9月15日]] - [[ラリー]]ドライバーの[[コリン・マクレー]]が[[ヘリコプター]]の墜落事故により死去。<br />
* [[9月16日]] - [[タイ王国|タイ]]・[[プーケット]]で旅客機炎上。 - ''[[ワン・トゥー・ゴーOG269便着陸失敗事故]]を参照。''<br />
* [[9月17日]] - レスリング世界選手権[[アゼルバイジャン]]・[[バクー]]大会が開幕。<br />
* [[9月18日]] - [[ミャンマー]]での[[軍事政権]]への抗議行動に僧侶たちが加わり、''[[2007年ミャンマー反政府デモ]]''へと発展。<br />
* [[9月26日]] - [[ベトナム]]南部で日本のODAにより建設中の[[カントー橋]]が崩落。<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月2日]] - [[10月4日|4日]] - 第2回[[南北首脳会談]]が、[[朝鮮民主主義人民共和国|北韓]][[平壌]]で開催された :[[2000年]]の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金正日]]と[[韓国]]の[[金大中]]が行った会談以来7年ぶりとなった。<br />
* [[10月6日]] - [[2007年パキスタン大統領選挙]]が始まった。<br />
* [[10月19日]] - パキスタンで[[ベーナズィール・ブットー|ブット]]元首相(12月にテロにより死去)を狙った爆弾[[テロリズム|テロ]]が起き、136人が死亡。<br />
* [[10月20日]] - アメリカ、[[カリフォルニア州]]南部の大規模な[[山火事]]の影響で100万人が避難。<br />
* [[10月21日]] - [[スロベニア]]大統領選挙の第1次投票。第2次投票は[[11月11日]]。<br />
* [[10月26日]] - [[Mac OS X v10.5]] (Leopard) が発売される。<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月3日]] - パキスタンのムシャラフ[[大統領]]が[[非常事態宣言]]。全土に[[戒厳令]]が敷かれる。<br />
* [[11月14日]]<br />
** [[ロンドン]]と[[英仏海峡トンネル|ユーロトンネル]]を結ぶ高速鉄道路線[[CTRL]]開業。<br />
** 現地時間12時40分(日本時間15日0時40分)、[[チリ]]で[[マグニチュード|M]]7.7の大地震。アントフォガスタ地方を中心に大きな被害。<br />
* [[11月16日]] - [[インド洋]]に発生していた[[サイクロン・シドル]]により、[[バングラデシュ]]などで大被害。<br />
* [[11月24日]] - [[ロシア]]の[[モスクワ]]と[[サンクトペテルブルク]]で、[[ウラジミール・プーチン]]政権に反対する大規模デモ発生、当局が武力鎮圧。<br />
* [[11月30日]] - [[トルコ]]の[[アトラスジェット]]4203便[[MD-83]]が墜落、乗客乗員56人全員が死亡。<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月13日]] - [[欧州連合加盟国]]首脳、[[リスボン条約]]に調印。<br />
* [[12月15日]] - [[パキスタン]]、[[戒厳令]]を解除。<br />
* [[12月19日]] - [[大韓民国大統領|韓国大統領]]選挙で、[[李明博]]が次期大統領に選出される。<br />
* [[12月23日]] - [[タイ王国]]で2006年の[[タイ軍事クーデター (2006年)|クーデター]]後初となる総選挙を実施、暫定政権から政権移譲。<br />
* [[12月24日]] - [[ネパール]]政府、240年続いた[[王制]]を廃止、[[共和制]]を導入することを発表。<br />
* [[12月27日]] - [[パキスタン]]の[[ベーナズィール・ブットー|ブット]]元首相が選挙集会に参加中、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺される。<br />
* [[12月29日]] - [[中華人民共和国|中国]][[全国人民代表大会]]常務委員会、[[香港行政長官]]の直接[[普通選挙]]による選出を[[2017年]]以降と決定。<br />
* [[12月31日]] - [[ケニア]]で、[[12月27日]]に行われた大統領選挙の結果に不満を持つ勢力による暴動発生し、200人以上死亡([[2007-2008 ケニアの危機]])。<br />
<br />
== イベント ==<br />
* 第3回[[極年]]([[:en:International Polar Year|International Polar Year]]、2007- 2009年)<br />
* [[中華人民共和国|中国]]への[[香港返還]]10周年<br />
* 日印交流年 (India–Japan Friendship)(日印文化協定締結50周年) <br />
* [[日中国交正常化]]35周年<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
* [[7月19日]] - [[加藤憲史郎]]、[[俳優|男優]](2010年代、[[子役]])<br />
* [[12月17日]] - [[ジェームズ (セヴァーン子爵)|ジェームズ]]、[[イギリス]][[王族]]<br />
<br />
== 死去 ==<br />
* [[訃報 2007年]]を参照。<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
* 人間のクローン製造を禁止する法律「6d法」制定。(映画『[[シックス・デイ]]』)<br />
* [[ソリッド・スネーク]]は[[アメリカ海兵隊]]が開発した新型メタルギア、[[メタルギア (架空の兵器)#メタルギアRAY|RAY]]が演習のために極秘裏に輸送される情報を入手し、その調査のため、輸送用の偽装タンカーに単身潜入を開始する。(『[[メタルギアソリッド2]]』)<br />
* 月影ゆりの父親・月影博士(後の「砂漠の使徒」最高幹部・サバーク博士)、「こころの大樹」を探しに出て失踪。(『[[ハートキャッチプリキュア!]]』)<br />
<br />
== 脚注・出典 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[2007年問題]]<br />
* [[2007年-2008年の世界食料価格危機]]<br />
* {{日本語版にない記事リンク|2007年における世界各地の指導者一覧|en|List of state leaders in 2007}}<br />
* [[年表一覧]]<br />
* [[365日]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* 暦要項「二十四節気および雑節」 [http://www.nao.ac.jp/koyomi/yoko/2007/rekiyou072.html 2007年(平成19年)] - 国立天文台暦計算室<br />
<br />
[[Category:2007年|*]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=2007%E5%B9%B4&diff=401159
2007年
2022-08-27T00:54:03Z
<p>PG: /* 3月 */ 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>{{Yearbox|前世紀=20|世紀=21|次世紀=22|前10年紀2=1980|前10年紀1=1990|10年紀=2000|次10年紀1=2010|次10年紀2=2020|3年前=2004|2年前=2005|1年前=2006|1年後=2008|2年後=2009|3年後=2010|}}<br />
{{Template:YearInTopic}}<br />
'''2007年'''(にせんななねん)は、[[月曜日から始まる平年]]である。 <br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
[[Image:2007年1.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* 干支:[[丁亥]](ひのと い)<br />
* 日本(月日は一致)<br />
** [[平成]]19年<br />
** [[皇紀]]:2667年<br />
*[[中華民国]](月日は一致)<br />
** [[中華民国暦]]96年<br />
* [[大韓民国]](月日は一致)<br />
** [[檀君紀元|檀紀]]4340年<br />
*[[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致)<br />
** [[主体暦|主体]]96年<br />
* [[宗教暦]]<br />
** [[仏滅紀元]]:2549年10月13日~2550年閏9月7日<br />
** [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1427年12月11日~1428年12月21日<br />
** [[ユダヤ暦]]:5767年4月11日~5768年4月22日<br />
<br />
== できごと ==<br />
=== 1月 ===<br />
[[Image:2007年2.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[1月1日]]<br />
** [[ブルガリア]]、[[ルーマニア]]が[[ヨーロッパ連合]]。EU加盟国は27ヶ国になる。<br />
** [[ブルガリア語]]、[[ルーマニア語]]、[[アイルランド語]]が[[欧州連合]](EU)の[[公用語]]となる。<br />
** [[スロベニア]]が[[ユーロ]]導入。ユーロ圏は13ヶ国に拡大。<br />
** [[潘基文]]が[[国際連合事務総長]]に就任。<br />
** [[アンゴラ]]、[[石油輸出国機構|石油輸出国機構 (OPEC)]] に新規加盟<br />
** [[タイ王国|タイ]]の[[バンコク]]で連続爆弾テロが8か所で起こる。<br />
** [[インドネシア]]・[[スラウェシ島]]付近で、乗客乗員合計102名を乗せた[[アダム・エア]]の[[ボーイング737]]が消息を絶ち。([[1月11日]]に海上で尾翼の一部発見、エンジントラブルが原因で墜落したものと思われる。)<br />
* [[1月2日]] - [[ジェラルド・R・フォード]]元[[アメリカ合衆国大統領]]の[[国葬]]挙行。<br />
* [[1月8日]] - [[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]にある屋内型[[遊園地]]「[[ロッテワールド]]」の屋根が老朽化し重大事故に発展しかねないため、急遽補修工事を行うこととなり、同日から全面休業。<br />
* [[1月9日]] - [[ペルシャ湾]]の[[ホルムズ海峡]]付近で、[[アメリカ合衆国海軍]]の[[原子力潜水艦]]「ニューポート・ニューズ」と、日本の[[川崎汽船]]所属のタンカー「最上川」が衝突。けが人などはなし。<br />
* [[1月10日]]<br />
** [[アメリカ合衆国財務省]]、[[イラン]]国営{{仮リンク|セパ銀行|en|Sepah Bank}}がイラン政府による[[ミサイル]]開発に資金供与したとして、同行に対し資産凍結、取引停止などの金融制裁発動。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[シスコシステムズ]]、前日に[[アップル インコーポレイテッド|アップルコンピュータ]]が発表した音楽プレーヤー付き[[携帯電話]]「[[iPhone]]」が同社の[[商標権]]を侵害しているとして、[[商標]]の複製の差し止めを求め提訴(2月に和解し、同年6月29日にiPhoneは発売された)。<br />
** [[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]][[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ]]が[[イラク]]への[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]2万2千人の増派を発表。国民からは批判の声が挙がる。<br />
* [[1月11日]] - [[バングラデシュ]]の[[イアジュディン・アハメド]][[大統領]]、総選挙に伴う各地での[[暴動]]発生のため、[[非常事態宣言]]。1月22日に予定されていた総選挙を延期、外出禁止令なども発令。<br />
[[Image:2007年3.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[1月12日]]<br />
** [[ギリシャ]]は[[アテネ]]にある{{仮リンク|在ギリシャ・アメリカ合衆国大使館|en|U.S. Embassy, Athens}}に[[ロケット弾]]が打ち込まれ、爆発。たちあわせた人に被害などはなし。<br />
** [[ロシア]]の[[ドン川]]畔で[[ヒト|ホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)]]の[[遺跡]]が発見されたことが、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の学術雑誌『[[サイエンス]]』で発表される。<br />
* [[1月13日]] - [[北海道]]などの[[太平洋]]側で[[津波]]を観測。<br />
* [[1月14日]] - [[安倍晋三]][[首相]]が[[フィリピン]]・[[セブ島]]のホテルで[[日本|日]][[中華人民共和国|中]][[大韓民国|韓]]3カ国首脳会談に出席。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[核兵器]]放棄を求める共同声明を発表。<br />
* [[1月15日]] - [[フィリピン]]・[[セブ島]]で、第2回[[東アジアサミット]]開催。[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対し[[拉致問題]]解決を求める議長声明を発表。<br />
* [[1月17日]] - [[ネパール]]の[[ネパール共産党毛沢東主義派|毛派]]が[[国際連合]]監督下で武装解除を開始。<br />
* [[1月18日]] - [[ブラジル]]・[[サンパウロ州]]検察庁、[[1999年]][[7月]]に[[静岡県]][[浜松市]]で当時16歳の女子高生を[[ひき逃げ]]し死亡させ、そのままブラジルに帰国していた、31歳の[[日系ブラジル人]]容疑者を逮捕、起訴。日本で犯罪を犯したブラジル人が代理処罰の形で起訴されるのは初めて。<br />
* [[1月20日]] - [[ヒラリー・クリントン]] [[アメリカ合衆国上院議員]]、[[2008年]]に行われる予定の[[アメリカ合衆国大統領選挙]]への出馬を表明。<br />
* [[1月21日]] - [[セルビア]]総選挙で民族主義政党セルビア急進党が勝利。ただし、政権は同党以外の小党連立となる見込み。<br />
* [[1月22日]]<br />
** 日本の[[神戸市]]で、世界の5つの[[マグロ]]資源管理機関に所属する77の国・地域、および、[[国連食糧農業機関|国連食糧農業機関 (FAO)]] 、[[世界自然保護基金|世界自然保護基金 (WWF)]] 関係者が出席し、[[クロマグロ]]、[[ミナミマグロ]]、[[メバチマグロ]]などの乱獲防止、資源保護策について話し合う初の会合を開催。26日に行動方針を採択し閉幕。<br />
** [[イラン]]特別委員会、イランが敵対的と判断した[[国際原子力機関|IAEA]]査察官38名の入国拒否を決定。<br />
** [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]政府、北朝鮮内でのすべての[[外貨]]の使用を禁止。<br />
* [[1月24日]] - [[ヨーロッパ委員会]]、[[三菱電機]]、[[日立製作所]]、[[東芝]]など11社が、送電設備について[[カルテル]]を結んでいたとして、総額で7億5000万[[ユーロ]]の制裁金支払命令。<br />
* [[1月25日]]<br />
** [[中華人民共和国|中国]]国家統計局、[[2006年]]の中国の[[国内総生産]] (''GDP'') の実質伸び率が10.7%と、4年連続で2桁成長となったことを発表。<br />
** [[マイクロソフト]]、当初[[Microsoft Windows Vista]]発売から2年後にサポート打ち切りを予定していた[[Microsoft Windows XP]] Home Editionについて、サポート提供を[[2014年]][[4月]]まで延長することを発表。<br />
** [[国際連合開発計画|国連開発計画 (UNDP)]] 、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]での事業費不正流用疑惑により、2007年から[[2009年]]分の北朝鮮内での新規事業計画を凍結する事を決定。<br />
** [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[フォード・モーター]]、[[2006年]][[決算]]が創業以来最大となる127億4600万[[ドル]]の最終赤字。<br />
* [[1月28日]] - [[中華人民共和国|中国]]・[[上海市|上海]] - [[南京市|南京]]・[[浙江省]][[杭州市]]間を結ぶ、[[東北新幹線]][[はやて (列車)|はやて]]に使われる[[新幹線E2系電車|車両]]をベースに作られた[[中国高速鉄道CRH2型電車]]が運行開始。<br />
* [[1月30日]] - [[Microsoft Windows Vista]](ホームベーシック・ホームプレミアム・アルティメット)が発売。<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
[[Image:2007年4.jpg|500px|thumb|2007年]]<br />
* [[2月2日]]<br />
** [[フランス]]・[[パリ]]で開かれた[[国際連合]][[気候変動に関する政府間パネル]] (''IPCC'') 、[[地球温暖化]]の影響で、100年後の地球の平均気温が、[[20世紀]]末に比べ1.1 - 6.4℃上昇、悪天候等の影響で約2億人が[[難民]]となるという予測を発表。<br />
** [[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[オーランド]]近郊で大規模な[[竜巻]]発生、19人が死亡。被害地域4郡に[[非常事態宣言]]発令。<br />
** アメリカ合衆国[[通商代表部]]、[[中華人民共和国|中国]]が規則に反し輸出品に補助金を供与しているとして、[[世界貿易機関]] (''WTO'') に提訴。<br />
** イタリアサッカー1部リーグ([[セリエA (サッカー)|セリエA]])の[[カルチョ・カターニア|カターニア]]対[[USチッタ・ディ・パレルモ|パレルモ]]戦でサポーターと警官隊が衝突し、警官1人が死亡、100人以上が負傷する事態に。11日にセリエAは再開されたものの、安全基準を満たしていない一部のスタジアムでは無観客試合の措置がとられた。<br />
* [[2月3日]] - [[イラク]]・[[バグダード]]で[[イラク戦争]]後最大規模の[[自爆テロ]]発生。130人以上が死亡、300人以上が負傷。<br />
* [[2月4日]] - [[インドネシア]]・[[ジャカルタ]]で2月1日からの[[豪雨]]による洪水が発生、少なくとも20人死亡、20万人以上が避難。<br />
* [[2月5日]] - [[中華人民共和国|中国]]の[[海洋調査船]]が[[尖閣諸島]]・[[魚釣島]]付近で無断海洋調査。日本政府の抗議に対し、中国政府は同諸島の[[領有権]]主張。<br />
* [[2月8日]]<br />
** [[パレスチナ]]の2大政治勢力、[[ファタハ]]と[[ハマス]]、[[マッカ|メッカ]]での会合で統一政権樹立に合意。<br />
** アメリカのアイドル、[[アンナ・ニコル・スミス]]が死去。英語版 Wikipedia には、短時間に大量の書き込みが殺到した。<!-- 出典:英語のニュース多数。--><br />
* [[2月10日]]<br />
** [[バラック・オバマ]]が2008年の[[アメリカ合衆国大統領選挙]]の[[2007年民主党予備選挙|民主党予備選挙]]に正式立候補。<br />
** [[ドイツ]]・[[エッセン]]で開かれた[[G7]][[財務大臣|財務相]]・[[中央銀行]]総裁会議閉幕。共同宣言では[[円安]]是正に触れず。<br />
* [[2月12日]]<br />
** [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]、[[国際宇宙ステーション]]の第18次長期滞在搭乗員に、日本人宇宙飛行士・[[若田光一]]を選出。[[2008年]]秋以降に[[スペースシャトル]][[エンデバー]]号に搭乗予定。<br />
** [[アメリカ合衆国]]・[[ユタ州]][[ソルトレイクシティ]]の[[ショッピングモール]]で男が[[ライフル]]を乱射、5人が死亡。犯人の男は警察隊により射殺。<br />
* [[2月15日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[投資ファンド]]の日本[[法人]]、[[スティール・パートナーズ]]・ジャパン・ストラテジック・ファンド、[[サッポロホールディングス]]へ[[株式公開買付]]を提案。<br />
* [[2月16日]]<br />
** [[大韓民国|韓国]]統一省、この日、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]から韓国に入国した[[脱北者]]の総数が1万人を越えたことを発表。<br />
** [[ブラジル]]・[[ミナスジェライス州]]検察庁、[[2005年]]に[[日本]]・[[静岡県]][[浜松市]]で発生した[[レストラン]]経営者殺人事件の容疑者で、日本政府から[[代理処罰]]の要請を受けていた男の身柄を拘束、強盗殺人と放火未遂の罪で起訴。<br />
* [[2月17日]]<br />
** [[アメリカ合衆国空軍]]、[[ステルス戦闘機]][[F-22 (戦闘機)|F22Aラプター]]をアメリカ国外では初めて[[日本]][[沖縄県]][[嘉手納基地]]に配備。<br />
** [[盧武鉉]][[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]、所属する[[与党]]・[[ヨルリン・ウリ党]]を離党。[[韓明淑]]首相も辞意を表明。<br />
* [[2月25日]] - [[第79回アカデミー賞]]の授賞式が開催。最優秀助演女優賞候補だった[[菊地凛子]]は受賞を逃す。<br />
* [[2月26日]] - [[日本|日]][[アメリカ合衆国|米]]両政府、日米共同訓練を[[3月5日]]から初めて[[航空自衛隊]][[築城基地]]で行うことに合意。同基地には[[F-15 (戦闘機)|F-15]][[戦闘機]]も飛来予定。<br />
* [[2月27日]] - [[中華人民共和国|中国]]・[[上海市|上海]][[証券取引所]]で[[株価]]が前日比8.84%マイナスの大暴落。この影響で[[ヨーロッパ]]市場や[[ニューヨーク証券取引所]]など世界中で連鎖株安。<br />
* [[2月28日]] - [[ジョン・マケイン]][[アメリカ合衆国]][[共和党 (アメリカ)|共和党]][[アメリカ合衆国上院|上院]]議員、[[アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]への立候補を表明。<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月4日]] - [[ヨーロッパ]]、[[アフリカ]]などで[[皆既月食]]、日本では部分月食観測。<br />
* [[3月6日]] - [[インドネシア]]・[[スマトラ島]]中部で[[マグニチュード]]6.3の[[地震]]。多くの建造物が倒壊し死者多数。<br />
* [[3月7日]]<br />
** [[インドネシア]]・[[ジョグジャカルタ]]の[[アジスチプト国際空港]]で、[[ガルーダ・インドネシア航空]]の[[ボーイング737]]型機が着陸に失敗し炎上、乗客乗員140名のうち49人死亡([[ガルーダ・インドネシア航空200便墜落事故]])。<br />
** [[庶民院|イギリス下院]]、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]への直接[[選挙]]制導入案を可決。<br />
* [[3月8日]]<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[3M]]、[[リチウムイオン電池]]の特許を侵害したとして、[[ソニー]]、[[日立製作所]]、[[パナソニック|松下電器産業]]、[[聯想集団|聯想(レノボ)]]など11社を同国国際貿易委員会に提訴。<br />
** [[アメリカ合衆国国務省]][[ショーン・マコーマック]]報道官、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]に関し、日本政府の立場を完全支持することを表明。<br />
* [[3月11日]]<br />
** [[ジャック・シラク]][[フランス]][[大統領]]、次期大統領選挙への不出馬を表明。<br />
** [[アメリカ合衆国]]の[[夏時間]]適用期間が、[[2006年]]までの[[4月]]第1日曜日 - [[10月]]最終日曜日から拡大され、3月第2日曜日 - [[11月]]第1日曜日までとなるため、[[アメリカ合衆国]]はこの日から[[夏時間]]となった(但し[[ハワイ州]]全域と[[アリゾナ州]]のうち[[インディアン]]自治区以外の地域では夏時間は適用されない)。<br />
* [[3月13日]] - [[日本国]]の[[安倍晋三|安倍]][[内閣総理大臣|首相]]は、来日中の[[オーストラリア]][[ジョン・ハワード]]首相と、「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名。日本が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]以外と[[安全保障]]の協力関係を結ぶのは、これが初めて。<br />
* [[3月14日]]<br />
** [[アメリカ合衆国商務省]]、経常[[赤字]]が8566億[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]と初めて8000億ドルを越えた事を発表。<br />
** [[アメリカ合衆国財務省]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対する金融制裁の一部緩和を容認。<br />
* [[3月17日]] - [[ロシア]]中部[[サマーラ]]で[[ツポレフ134]][[旅客機]]が[[航空事故|墜落]]、5人死亡約50人負傷。<br />
* [[3月19日]] - [[アメリカ合衆国|米]][[朝鮮民主主義人民共和国|朝]]両国、[[マカオ]]の[[金融機関]]「[[バンコ・デルタ・アジア]]」 (''BDA'') にあり、アメリカ政府が資産凍結を行った約2500万[[アメリカドル|USドル]]の北朝鮮関連資産を早期に全額返還することで合意。<br />
* [[3月22日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ソフトウェア]]大手[[オラクル (企業)|オラクル]]、同社の[[コンピューターシステム]]に侵入し、[[特許]]などの機密情報を盗み出したとして[[SAP]]を提訴。<br />
* [[3月23日]] - [[イラク]]・[[バグダード]]で、ゾバイ副首相を狙った爆弾[[テロリズム|テロ]]発生。<br />
* [[3月25日]]<br />
** [[タイ王国|タイ]]・[[バンコク]]の[[スワンナプーム国際空港]]施設の問題のため、[[ドンムアン空港]]の定期便利用再開。<br />
** [[香港行政長官]]選挙実施、[[曽蔭権]]行政長官が再選される。<br />
** [[能登半島]]でマグニチュード6.9の[[地震]]が発生。<br />
* [[3月27日]]<br />
** [[インターネット]]検索大手[[Google]]、[[携帯電話]]専用[[検索エンジン]]提供開始。<br />
** [[日本]][[最高裁判所 (日本)|最高裁]]の[[光華寮訴訟]]を[[京都地方裁判所|京都地裁]]に差し戻し、[[台湾]]([[中華民国]])側の実質敗訴が確定。<br />
* [[3月28日]] - [[フィリピン]]・[[マニラ]]で、武装した男2人が[[保育園]]の子供ら34名を乗せた[[バス (交通機関)|バス]]を[[ハイジャック]]。10時間後に[[人質]]を解放し投降。<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月2日]]<br />
** [[ソロモン諸島]]付近で、[[マグニチュード]]8.0の[[大地震]]が発生。周辺海域で[[津波]]による被害が発生し、20名以上死亡。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[大韓民国|韓]]両政府、[[自由貿易協定|FTA]]合意。<br />
* [[4月4日]]<br />
** [[イラン]][[マフムード・アフマディーネジャード|アフマディーネジャード]]大統領[[3月23日]]に[[ペルシャ湾]]で拘束した[[イギリス軍]]兵士15人の釈放を発表。<br />
** [[タイ王国]]暫定政府、[[ラーマ9世|プミポン国王]]を侮辱する画像が掲載されたとして、タイ国内からYouTubeへのアクセス規制措置。<br />
* [[4月10日]]<br />
** [[アメリカ合衆国]]政府、[[中華人民共和国|中国]]における[[知的財産権]]侵害について[[世界貿易機関|WTO]]に提訴。<br />
** [[日本|日]][[中華人民共和国|中]]両政府、[[2003年]]以来4年ぶりとなる日本から中国への[[米]]輸出再開に合意。<br />
* [[4月11日]] - [[中華人民共和国|中国]]の[[温家宝]][[首相]]が訪日。翌日[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]と会談、日本[[衆議院]]本会議場で演説。<br />
* [[4月12日]] - [[日中ハイレベル経済対話]]発足。<br />
* [[4月14日]] - [[ロシア]]・[[モスクワ]]で[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]政権に反対する[[デモ]]参加者300名以上を当局が拘束。翌日も、[[サンクトペテルブルク]]でのデモ参加者約120名を拘束。<br />
* [[4月15日]] - [[イスラエル]]首相官邸で、[[エフード・オルメルト]]イスラエル首相と[[マフムード・アッバース]][[パレスチナ自治政府]]大統領による第1回定期首脳会談開催。<br />
[[ファイル:2007 Virginia Tech massacre students outside Lee.jpg|thumb|280px|犠牲者追悼のために集まった学生ら]]<br />
* [[4月16日]] - [[バージニア工科大学銃乱射事件]]が発生 :アメリカ合衆国[[バージニア州]]の[[バージニア工科大学]]構内で同国史上最悪の[[スクールシューティング]]([[教育機関]]での銃乱射事件)が起こる(死者32人、負傷者15人)。容疑者の[[韓国人]][[学生]]は[[自殺]]。<br />
* [[4月18日]] - バージニア工科大学銃乱射事件の犯行ビデオの公表 :事件の犯人が犯行の合間に撮影して送りつけたとみられるビデオを、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[NBC]]が公開する。<br />
* [[4月20日]] - アメリカ合衆国[[テキサス州]][[ヒューストン]]の[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]で、NASAと契約している会社の従業員の男が男女2人を人質に立てこもる。男は短銃で職員の男を射殺し、自殺。<br />
* [[4月22日]] - [[ジャック・シラク]]の任期満了に伴う[[フランス]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]選挙。過半数を獲得した候補がいなかったため、1位の[[ニコラ・サルコジ]]前内相と2位の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]元環境相による決選投票選挙を[[5月6日]]に行う。<br />
* [[4月25日]]<br />
** [[エチオピア]]・[[ソマリ州]]で、[[中華人民共和国|中国]]系石油関連会社「[[中国石油化工]]」の[[油田]]開発現場が武装集団に襲われ、74人死亡。<br />
** [[ロシア]]・[[モスクワ]]で、23日に死去した[[ボリス・エリツィン]]前[[ロシアの大統領|ロシア大統領]]の[[国葬]]挙行。<br />
* [[4月26日]]<br />
** [[ミャンマー]]、[[1983年]]10月の[[ラングーン事件]]以来断交していた[[朝鮮民主主義人民共和国]]との[[国交]]を約24年ぶりに回復。<br />
** プーチン・ロシア連邦大統領、[[欧州通常戦力条約]]の義務履行一時停止を表明。<br />
** [[中華民国|台湾]][[中華民国行政院|行政院]]、[[北京オリンピック]][[聖火リレー]]の受入拒否を表明。<br />
* [[4月27日]]<br />
** [[日本]][[最高裁判所]]、[[中国人]][[従軍慰安婦]]や労働者、およびその遺族らからの戦後賠償を求める計4件の訴訟について、「[[1972年]]の[[日中共同声明]]をもって個人の賠償請求権は放棄された」として全て却下。<br />
** [[アメリカ合衆国|米]][[シティグループ]]、[[日興コーディアルグループ]]に対する[[株式公開買付|TOB]]成立を発表。<br />
* [[4月30日]] - [[麻生太郎]][[外相]]、[[アメリカ合衆国国務省]]で[[コンドリーザ・ライス|ライス]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]と会談、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が核施設を停止しない場合、追加の経済制裁を行う認識で一致。<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月2日]]<br />
** [[大韓民国大統領|韓国大統領]]直属機関「親日・反民族行為者財産調査委員会」、[[李完用]]など[[親日派]]9人の子孫から土地などの財産36億[[大韓民国ウォン|ウォン]]を没収することを発表。<br />
** [[韓国銀行]]、[[2009年]]上半期を目処に新たに10万、5万ウォン[[紙幣]]を発行することを発表。<br />
* [[5月4日]] - [[アメリカ合衆国]][[カンザス州]]で、大規模な[[竜巻]]発生、9人死亡。建物崩壊するなど大被害。<br />
* [[5月5日]] - [[カメルーン]]・[[ドゥアラ]]で、乗客乗員115名を乗せた[[ケニア航空]]の[[ボーイング737|ボーイング737-800型]][[旅客機]]が離陸直後墜落。機体は現地日時6日に空港付近で発見され、全乗客の安否は絶望的。[[n:ケニア航空機がカメルーンで墜落|ウィキニュース]]。<br />
* [[5月6日]] - [[フランス大統領]]選挙決選投票で、[[ニコラ・サルコジ]][[国民運動連合]]党首が、[[社会党 (フランス)|社会党]]の[[セゴレーヌ・ロワイヤル]]候補を破り初当選。<br />
* [[5月8日]] - [[中華人民共和国|中国政府]]、[[アメリカ合衆国]]での[[ペットフード]]中毒による[[イヌ|犬]]・[[ネコ|猫]]の大量死に関し、輸出され製品に使用された[[コムギ|小麦]][[グルテン]]粉に[[メラミン]]が混入していた事実を認める。<br />
* [[5月11日]]<br />
** [[大韓民国|韓国]]の[[カルト|カルト教団]]・[[摂理 (宗教団体)|摂理]]の[[教祖]]とみられる男が同月初め、[[中華人民共和国|中国]]の公安当局に身柄を確保されていた事が判明。韓国側は男が教祖と確認でき次第身柄引き渡しを中国側に要求する予定。<br />
** [[東ティモール]][[大統領]]選挙で、[[ラモス・ホルタ]]首相が圧勝。5月20日より就任。<br />
* [[5月12日]]<br />
** [[アフガニスタン]]旧政権[[タリバン]]の軍事作戦最高司令官が、[[ヘルマンド州]]での戦闘で死亡。<br />
** [[中華人民共和国|中国]]・[[北京市|北京]]の[[天安門]]に掲げられている故[[毛沢東]][[主席]]の肖像画を焦がす事件が発生。警察は35歳の男を現行犯逮捕。肖像画は翌日復元された。<br />
* [[5月15日]]<br />
** [[カナダ]]・[[トムソン (情報サービス業)|トムソン]]社、[[イギリス]]・[[ロイター]]グループを約87億[[スターリング・ポンド|ポンド]]で買収することで合意。<br />
** [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の[[人工衛星]]を使った観測により、[[2005年]]1月に[[南極]]の[[氷河]]が、[[アメリカ合衆国|米]][[カリフォルニア州]]の面積(約41万平方キロメートル)に匹敵するほど広範囲で溶けていたことが判明。<br />
** [[ニコラ・サルコジ]]新[[フランス大統領]]就任。<br />
* [[5月17日]] - [[朝鮮半島]]分断以来、初めて[[大韓民国|韓国]]・[[ムン山駅|ムン山]]と[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[開城駅|開城]]を結ぶ[[列車]]が試験運行される。<br />
* [[5月18日]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、空席となっていた故[[白南淳]]外相の後継として、[[朴義春]]外相を任命。<br />
* [[5月21日]] - [[中国人民銀行]]、[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]に対する1日の変動幅を0.3%から0.5%に変更。<br />
* [[5月28日]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イラン]]公式協議。[[1979年]]の[[イランアメリカ大使館人質事件]]以来、公式協議は27年ぶり。[[イラク]]・[[バグダード]]の首相府にて開催され、現在のイラク情勢についてを協議。<br />
* [[5月29日]] - [[中国]]財務省は株式売買時にかかる証券取引[[印紙税]]の税率を従来の0.1%から0.3%に引き上げることを決め、30日付で実施した。<br />
* [[5月30日]]<br />
** [[ロシア]]・[[モスクワ]]で連日猛暑。5月後半から30℃を超す夏日。例年はまだ涼しさが残る季節だが、今年は例年になく猛暑。モスクワには[[冷房]]設備を設置していない住居もあり、大きな影響が出た。<br />
** [[ロシア大統領府]]が、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に対して「ぜいたく品」(軍用機、武器等)の輸出を禁止したことを発表。[[国際連合安全保障理事会|安保理]]が[[2006年]][[10月9日]]の[[核実験]]実施に対して発動された経済[[制裁]]で、明確な対北朝鮮制裁を[[ロシア]]が発表したのは初。<br />
* [[5月31日]] - 乗客乗員276名を乗せた[[アムステルダム]][[スキポール空港]]発[[大阪]][[関西国際空港]]行の航空機([[KLMオランダ航空]])が30日[[未明]]、[[ロシア連邦]]上空を飛行中に乱気流に遭遇。機体は急激に落下するなどし、乗客はパニックになった。乗員乗客合わせて11名が怪我をし、[[日本]][[大阪府]][[泉佐野市]]内の病院へ搬送された。乗客の一人が「まるでジェットコースターのようだった」と語った。<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
[[ファイル:STS-117launch.jpg|thumb|right|200px|半年ぶりに打ち上げ成功した[[スペースシャトル]](「[[アトランティス (オービタ)|アトランティス号]]」)]]<br />
* [[6月8日]] - [[アメリカ合衆国]]・[[フロリダ州]][[ケープ・カナベラル]]・[[ケネディ宇宙センター]]から、19時28分([[東部夏時間|EDT]])、[[STS-117|STS-117ミッション]]の[[宇宙飛行士]]7名を乗せた[[スペースシャトル]][[アトランティス (オービタ)|アトランティス号]]が発射された。このミッションは、[[国際宇宙ステーション|ISS]]に2枚の太陽電池パネル装置(S3トラスとS4トラス)を取り付ける作業である。[[2006年|昨年]][[12月]]に発射された[[STS-116|STS-116ミッション]]の[[ディスカバリー (オービタ)|ディスカバリー号]]以来、約半年ぶり。6月19日にケネディ宇宙センターに帰還予定。<br />
* [[6月30日]] - [[イギリス]]の[[グラスゴー]]にある[[グラスゴー国際空港]]で自動車が空港ビルに突入するという[[テロリズム|テロ]]が発生。<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月3日]] - [[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]で開催された[[アメリカスカップ#第32回アメリカスカップ|第32回アメリカスカップ]]で、[[スイス]]のチーム「{{仮リンク|アリンギ|en|Alinghi}}」が初防衛に成功。<br />
* [[7月4日]] - [[グアテマラシティ]]で開かれる第119回[[国際オリンピック委員会|IOC]]総会で、[[ソチオリンピック|2014年冬季オリンピック]]開催都市決定。[[ザルツブルク]]([[オーストリア]])、[[ソチ]]([[ロシア]])、[[平昌郡|平昌]]([[大韓民国|韓国]])の3候補地から、ソチが選ばれた。<br />
* [[7月7日]] - [[7月15日|15日]] - 第3回[[アメリカンフットボール・ワールドカップ]]の開催 :[[日本]][[川崎市]]にて。<br />
* 7月7日 - [[7月29日|29日]] - サッカー[[アジアカップ2007]]の開催 :史上初めて4か国([[タイ王国|タイ]]、[[マレーシア]]、[[ベトナム]]、[[インドネシア]])共同開催で行われ、[[サッカー日本代表|日本代表]]の1次リーグ3試合はベトナムで行われる。<br />
* 7月7日 - [[7月27日|27日]] - [[ツール・ド・フランス2007|ツール・ド・フランス]]の開催 :[[2005年]]7月7日に発生した[[ロンドン同時爆破事件]]の犠牲者追悼として、[[イギリス]]・[[ロンドン]]からスタート、最初の2ステージを[[イングランド]]で行う。<br />
* [[7月16日]] - [[新潟県中越沖地震]](M6.8)が起き、[[柏崎刈羽原子力発電所]]が運転全面停止した。後に運転を再開。<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]]<br />
** [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ミネソタ州]][[ミネアポリス]]で[[ミシシッピ川]]にかかる[[高速道路]]のアーチ型の橋が崩落、多数の死傷者が出る。<br />
** [[イギリス]]・[[ケルミスフォード]]の[[ハイランドパーク]]で世界スカウト100周年を記念してサンライズセレモニーが第21回世界ジャンボリーのプログラムとして行われた。<br />
* [[8月16日]] - ペルー沖で地震、M7.9、政府発表の死者510名。<br />
* [[8月17日]] - ロシア大統領ウラジミール・プーチンが、ロシアが遠隔地での戦略爆撃機による飛行を再開するつもりであることを発表した。これは1991年のソ連崩壊以降中断されていた。<br />
* [[8月20日]] - [[中華航空機]]が[[那覇空港]]で爆発炎上。乗客・乗員165人無事脱出([[中華航空120便炎上事故]])。<br />
* [[8月30日]] - [[9月3日]] - [[日本]]の[[横浜市]]で第65回世界[[SF]]大会([[ワールドコン]])Nippon2007が開催される :[[アジア]]での初開催。<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月7日]] - [[フランス]]で第6回[[ラグビーワールドカップ]]開催。但しうち3試合は[[ウェールズ]]の[[カーディフ]]、2試合は[[スコットランド]]の[[エディンバラ]]で行われる。[[10月20日]]まで。<br />
* [[9月8日]] - [[9月9日|9日]] - [[オーストラリア]]・[[シドニー]]で[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議開催。<br />
* [[9月10日]] - [[中華人民共和国|中国]]で第5回[[FIFA女子ワールドカップ]]開幕。[[9月30日]]まで。本来前回([[2003年]])大会を開催する予定だったが、同年[[重症急性呼吸器症候群|SARS]]問題発生のため[[アメリカ合衆国]]で代替開催し、今回の開催となったもの。<br />
* [[9月12日]] - [[スマトラ島沖地震 (2007年)|2007年スマトラ島沖地震]]。マグニチュードは、初期値M7.9、改定値M8.2、再改定値M8.4。2008年最終再改定値M8.5。死者17名。翌日の明朝にM7.8の余震が発生。<br />
* [[9月13日]] - 『[[クライシス コア ファイナルファンタジーVII]] 』新型PSP ('''''PSP-2000''''') 先行同梱版発売。<br />
* [[9月15日]] - [[ラリー]]ドライバーの[[コリン・マクレー]]が[[ヘリコプター]]の墜落事故により死去。<br />
* [[9月16日]] - [[タイ王国|タイ]]・[[プーケット]]で旅客機炎上。 - ''[[ワン・トゥー・ゴーOG269便着陸失敗事故]]を参照。''<br />
* [[9月17日]] - レスリング世界選手権[[アゼルバイジャン]]・[[バクー]]大会が開幕。<br />
* [[9月18日]] - [[ミャンマー]]での[[軍事政権]]への抗議行動に僧侶たちが加わり、''[[2007年ミャンマー反政府デモ]]''へと発展。<br />
* [[9月26日]] - [[ベトナム]]南部で日本のODAにより建設中の[[カントー橋]]が崩落。<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月2日]] - [[10月4日|4日]] - 第2回[[南北首脳会談]]が、[[朝鮮民主主義人民共和国|北韓]][[平壌]]で開催された :[[2000年]]の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金正日]]と[[韓国]]の[[金大中]]が行った会談以来7年ぶりとなった。<br />
* [[10月6日]] - [[2007年パキスタン大統領選挙]]が始まった。<br />
* [[10月19日]] - パキスタンで[[ベーナズィール・ブットー|ブット]]元首相(12月にテロにより死去)を狙った爆弾[[テロリズム|テロ]]が起き、136人が死亡。<br />
* [[10月20日]] - アメリカ、[[カリフォルニア州]]南部の大規模な[[山火事]]の影響で100万人が避難。<br />
* [[10月21日]] - [[スロベニア]]大統領選挙の第1次投票。第2次投票は[[11月11日]]。<br />
* [[10月26日]] - [[Mac OS X v10.5]] (Leopard) が発売される。<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月3日]] - パキスタンのムシャラフ[[大統領]]が[[非常事態宣言]]。全土に[[戒厳令]]が敷かれる。<br />
* [[11月14日]]<br />
** [[ロンドン]]と[[英仏海峡トンネル|ユーロトンネル]]を結ぶ高速鉄道路線[[CTRL]]開業。<br />
** 現地時間12時40分(日本時間15日0時40分)、[[チリ]]で[[マグニチュード|M]]7.7の大地震。アントフォガスタ地方を中心に大きな被害。<br />
* [[11月16日]] - [[インド洋]]に発生していた[[サイクロン・シドル]]により、[[バングラデシュ]]などで大被害。<br />
* [[11月24日]] - [[ロシア]]の[[モスクワ]]と[[サンクトペテルブルク]]で、[[ウラジミール・プーチン]]政権に反対する大規模デモ発生、当局が武力鎮圧。<br />
* [[11月30日]] - [[トルコ]]の[[アトラスジェット]]4203便[[MD-83]]が墜落、乗客乗員56人全員が死亡。<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月13日]] - [[欧州連合加盟国]]首脳、[[リスボン条約]]に調印。<br />
* [[12月15日]] - [[パキスタン]]、[[戒厳令]]を解除。<br />
* [[12月19日]] - [[大韓民国大統領|韓国大統領]]選挙で、[[李明博]]が次期大統領に選出される。<br />
* [[12月23日]] - [[タイ王国]]で2006年の[[タイ軍事クーデター (2006年)|クーデター]]後初となる総選挙を実施、暫定政権から政権移譲。<br />
* [[12月24日]] - [[ネパール]]政府、240年続いた[[王制]]を廃止、[[共和制]]を導入することを発表。<br />
* [[12月27日]] - [[パキスタン]]の[[ベーナズィール・ブットー|ブット]]元首相が選挙集会に参加中、イスラム原理主義者と思われるテロリストの銃撃と自爆テロにより暗殺される。<br />
* [[12月29日]] - [[中華人民共和国|中国]][[全国人民代表大会]]常務委員会、[[香港行政長官]]の直接[[普通選挙]]による選出を[[2017年]]以降と決定。<br />
* [[12月31日]] - [[ケニア]]で、[[12月27日]]に行われた大統領選挙の結果に不満を持つ勢力による暴動発生し、200人以上死亡([[2007-2008 ケニアの危機]])。<br />
<br />
== イベント ==<br />
* 第3回[[極年]]([[:en:International Polar Year|International Polar Year]]、2007- 2009年)<br />
* [[中華人民共和国|中国]]への[[香港返還]]10周年<br />
* 日印交流年 (India–Japan Friendship)(日印文化協定締結50周年) <br />
* [[日中国交正常化]]35周年<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
* [[7月19日]] - [[加藤憲史郎]]、[[俳優|男優]](2010年代、[[子役]])<br />
* [[12月17日]] - [[ジェームズ (セヴァーン子爵)|ジェームズ]]、[[イギリス]][[王族]]<br />
<br />
== 死去 ==<br />
* [[訃報 2007年]]を参照。<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
* 人間のクローン製造を禁止する法律「6d法」制定。(映画『[[シックス・デイ]]』)<br />
* [[ソリッド・スネーク]]は[[アメリカ海兵隊]]が開発した新型メタルギア、[[メタルギア (架空の兵器)#メタルギアRAY|RAY]]が演習のために極秘裏に輸送される情報を入手し、その調査のため、輸送用の偽装タンカーに単身潜入を開始する。(『[[メタルギアソリッド2]]』)<br />
* 月影ゆりの父親・月影博士(後の「砂漠の使徒」最高幹部・サバーク博士)、「こころの大樹」を探しに出て失踪。(『[[ハートキャッチプリキュア!]]』)<br />
<br />
== 脚注・出典 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[2007年問題]]<br />
* [[2007年-2008年の世界食料価格危機]]<br />
* {{日本語版にない記事リンク|2007年における世界各地の指導者一覧|en|List of state leaders in 2007}}<br />
* [[年表一覧]]<br />
* [[365日]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* 暦要項「二十四節気および雑節」 [http://www.nao.ac.jp/koyomi/yoko/2007/rekiyou072.html 2007年(平成19年)] - 国立天文台暦計算室<br />
<br />
[[Category:2007年|*]]</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=2000%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9&diff=401158
2000ギニーステークス
2022-08-27T00:51:17Z
<p>PG: 赤リンク画像ファイルの除去</p>
<hr />
<div>'''2000ギニーステークス'''('''Two Thousand Guineas Stakes''')とはイギリスの[[クラシック (競馬)|クラシック]][[三冠 (競馬)|三冠]]の第1冠として[[ニューマーケット競馬場]]の芝の直線1[[マイル]](約1609[[メートル]])で行われる[[競馬]]の[[競馬の競走格付け|G1]]レースである。<br />
<br />
レース名の由来は第1回の優勝馬の馬主が2000ギニーをもらったからとされる。<br />
<br />
出走条件は3歳限定で繁殖能力の選定のために行われるので[[せん馬|騸(せん)馬]]の出走はできない。<br />
<br />
日本では[[皐月賞]]がモデルレースとなっている。<br />
<br />
==歴史==<br />
*[[1809年]] ニューマーケット競馬場で第1回レースを施行<br />
*[[1868年]] フォルモーザ(Formosa)とモスレム(Moslem)が1着同着<br />
*[[1940年]] - [[1945年]] [[第二次世界大戦]]の影響によりローリーマイルコースからジュライコースで代替開催<br />
*[[1980年]] [[ヌレイエフ]](Nureyev)、1着入線も斜行により失格<br />
*[[2020年]] [[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響で6月に開催<br />
===歴代優勝馬===<br />
{| class="wikitable"<br />
!回数!!施行日!!優勝馬!!style="white-space:nowrap"|性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第1回||style="white-space:nowrap"|[[1809年]][[4月18日]]||Wizard||牡3||||W.Clift||T.Perren||C.Wilson<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第2回||[[1810年]][[月日]]||Hephestion||牡3||||F.Buckle||R.Robson||2nd Earl Grosvenor<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第3回||[[1811年]]月日||Trophonus||牡3||||S.Barnard||D.Boyce||R.Andrew<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第4回||[[1812年]]月日||Cwrw||牡3||||S.Chifney||W.Chifney||3rd Earl of Darlington<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第5回||[[1813年]]月日||Smolensko||牡3||||H.Miller||Crouch||Sir C.Bunbury<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第6回||[[1814年]]月日||Olive||牡3||||W.Arnull||D.Boyce||C.Wyndham<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第7回||[[1815年]][[4月25日]]||Tigris||牡3||||W.Arnull||D.Boyce||Lord Rous<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第8回||[[1816年]]月日||Nectar||牡3||||W.Arnull||D.Boyce||Lord G.Cavendish<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第9回||[[1817年]]月日||Manfred||牡3||||W.Wheatley||R.Stephenson||S.Stonehewer<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第10回||[[1818年]]月日||Interpreter||牡3||||W.Clift||R.Prince||Lord Foley<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第11回||[[1819年]]月日||Antar||牡3||||E.Edwards||J.Edwards||Sir J.Shelley<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第12回||[[1820年]]月日||Pindarrie||牡3||||F.Buckle||R.Robson||4th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第13回||[[1821年]]月日||Reginald||牡3||||F.Buckle||R.Robson||4th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第14回||[[1822年]]月日||Pastille||牝3||||F.Buckle||R.Robson||4th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第15回||[[1823年]]月日||Nicolo||牡3||||W.Wheatley||J.Rogers||J.Rogers<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第16回||[[1824年]]月日||Schahriar||牡3||||W.Wheatley||||J.Haffenden<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第17回||[[1825年]]月日||Enamel||牡3||||J.Robinson||C.Marson||2nd Marquess of Exeter<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第18回||[[1826年]]月日||Dervise||牡3||||J.Day||R.Robson||4th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第19回||[[1827年]]月日||Turcoman||牡3||||F.Buckle||R.Robson||4th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第20回||[[1828年]]月日||Cadland||牡3||||J.Robinson||D.Boyce||5th Duke of Grafton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第21回||[[1829年]]月日||Patron||牡3||||F.Boyce||C.Marson||2nd Marquess of Exeter<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第22回||[[1830年]]月日||Augustus||牡3||||P.Connolly||C.Marson||2nd Marquess of Exeter<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第23回||[[1831年]][[4月19日]]||Riddlesworth||牡3||||J.Robinson||J.Edwards||5th Earl of Jersey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第24回||[[1832年]]月日||Archibald||牡3||||A.Pavis||||Colonel Jonathan Peel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第25回||[[1833年]]月日||Clearwell||牡3||||J.Robinson||||3rd Earl of Orford<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第26回||[[1834年]]月日||[[グレンコー|Glencoe]]||牡3||||J.Robinson||J.Edwards||5th Earl of Jersey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第27回||[[1835年]]月日||Ibrahim||牡3||||J.Robinson||J.Edwards||5th Earl of Jersey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第28回||[[1836年]]4月19日||[[ベイミドルトン|Bay Middleton]]||牡3||||J.Robinson||J.Edwards||5th Earl of Jersey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第29回||[[1837年]]月日||Achmet||牡3||||E.Edwards||E.Edwards||5th Earl of Jersey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第30回||[[1838年]]月日||Grey Momus||牡3||||J.Day||J.Day||Lord G.Bentinck<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第31回||[[1839年]]月日||The Corsair||牡3||||B.Wakefield||J.Doe||1st Earl of Lichfield<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第32回||[[1840年]]月日||[[クルシフィックス|Crucifix]]||牝3||||J.Day||J.Day||Lord G.Bentinck<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第33回||[[1841年]]月日||Ralph||牡3||||J.Day||J.Scott||4th Earl of Albemarle<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第34回||[[1842年]]月日||Meteor||牡3||||B.Scott||J.Scott||J.Bowes<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第35回||[[1843年]]月日||Cotherstone||牡3||||B.Scott||J.Scott||J.Bowes<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第36回||[[1844年]]月日||The Ugly Buck||牡3||||J.Day Jr.||J.Day||J.Day<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第37回||[[1845年]]月日||Idas||牡3||||E.Flatman||R.Boyce Jr.||Lord Stradbroke<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第38回||[[1846年]]月日||Sir Tatton Sykes||牡3||||B.Scott||W.Oates||W.Scott<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第39回||[[1847年]]月日||Conyngham||牡3||||J.Robinson||J.Day Jr.||Sir R.Pigot<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第40回||[[1848年]]4月25日||Flatcatcher||牡3||||J.Robinson||H.Stebbing||B.Green<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第41回||[[1849年]]月日||Nunnykirk||牡3||||F.Butler||J.Scott||A.Nichol<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第42回||[[1850年]]月日||Pitsford||牡3||||A.Day||J.Day Jr.||H.Hill<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第43回||[[1851年]]月日||Hernandez||牡3||||E.Flatman||J.Kent Jr.||Lord Enfield<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第44回||[[1852年]]月日||[[ストックウェル|Stockwell]]||牡3||||J.Norman||W.Harlock||2nd Marquess of Exeter<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第45回||[[1853年]]4月日||[[ウェストオーストラリアン|West Australian]]||牡3||||F.Butler||J.Scott||J.Bowes<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第46回||[[1854年]]月日||The Hermit||牡3||||A.Day||J.Day Jr.||J.Gully<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第47回||[[1855年]]月日||Lord of the Isles||牡3||||T.Aldcroft||W.Day||J.Merry<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第48回||[[1856年]]月日||Fazzoletto||牡3||||N.Flatman||J.Scott||[[ダービー伯爵|14th Earl of Derby]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第49回||[[1857年]]月日||Vedette||牡3||||A.Day||J.Osborne||2nd Earl of Zetland<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第50回||[[1858年]]月日||Fitz-Roland||牡3||||J.Wells||G.Manning||Sir J.Hawley<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第51回||[[1859年]]月日||The Promised Land||牡3||||A.Day||W.Day||W.Day<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第52回||[[1860年]][[4月24日]]||The Wizard||牡3||||T.Ashmall||J.Scott||A.Nichol<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第53回||[[1861年]][[4月30日]]||Diophantus||牡3||||A.Edwards||J.Dawson||7th Earl of Stamford<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第54回||[[1862年]]月日||The Marquis||牡3||||T.Ashmall||J.Scott||S.Hawke<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第55回||[[1863年]]月日||Macaroni||牡3||||T.Chaloner||J.Godding||R.Naylor<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第56回||[[1864年]][[4月26日]]||General Peel||牡3||||T.Aldcroft||T.Dawson||5th Earl of Glasgow<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第57回||[[1865年]][[5月2日]]||[[グラディアトゥール|Gladiateur]]||牡3||||H.Grimshaw||T.Jennings||Count F.de Lagrange<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第58回||[[1866年]]月日||Lord Lyon||牡3||||R.Thomas||J.Dover||R.Sutton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第59回||[[1867年]]月日||Vauban||牡3||||G.Fordham||J.Day Jr.||8th Duke of Beaufort<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第60回||[[1868年]]月日||Formosa<BR>Moslem||牡3||||G.Fordham<BR>T.Challoner||H.Woolcott<BR>A.Taylor||W.Graham<BR>W.Crawfurd<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第61回||[[1869年]]月日||Pretender||牡3||||J.Osborne||T.Dawson||J.Johnstone<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第62回||[[1870年]]月日||Macgregor||牡3||||J.Daley||J.Waugh||J.Merry<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第63回||[[1871年]]月日||Bothwell||牡3||||J.Osborne||T.Dawson||J.Johnstone<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第64回||[[1872年]]月日||Prince Charlie||牡3||||J.Osborne||J.Dawson||J.Dawson<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第65回||[[1873年]]4月30日||Gang Forward||牡3||||T.Challoner||A.Taylor||W.S.Crawfurd<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第66回||[[1874年]][[5月6日]]||Atlantic||牡3||||[[フレッド・アーチャー|F.Archer]]||[[マシュー・ドーソン|M.Dawson]]||6th Viscount Falmouth<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第67回||[[1875年]][[4月28日]]||Camballo||牡3||||J.Osborne||M.Dawson||H.C.Vyner<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第68回||[[1876年]]月日||Petrarch||牡3||||H.Luke||J.Dawson||Lord Dupplin<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第69回||[[1877年]]月日||Chamant||牡3||||J.Goater||T.Jennings||Count F.de Lagrange<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第70回||[[1878年]][[5月8日]]||Pilgrimage||牝3||||T.Cannon||J.Dawson||4th Earl of Lonsdale<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第71回||[[1879年]]4月30日||Charibert||牡3||||F.Archer||M.Dawson||6th Viscount Falmouth<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第72回||[[1880年]]4月28日||Petronel||牡3||||G.Fordham||J.Cannon||8th Duke of Beaufort<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第73回||[[1881年]][[5月4日]]||Peregrine||牡3||||F.Webb||R.Peck||1st Duke of Westminster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第74回||[[1882年]]月日||[[ショットオーヴァー|Shotover]]||牝3||||T.Cannon||J.Porter||1st Duke of Westminster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第75回||[[1883年]]4月25日||Galliard||牡3||||F.Archer||M.Dawson||6th Viscount Falmouth<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第76回||[[1884年]]月日||Scot Free||牡3||||W.Platt||T.Chaloner||J.Foy<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第77回||[[1885年]]5月6日||Paradox||牡3||||F.Archer||J.Porter||W.Broderick-Cloete<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第78回||[[1886年]]4月28日||[[オーモンド|Ormonde]]||牡3||||G.Barnett||J.Porter||1st Duke of Westminster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第79回||[[1887年]]4月26日||Enterprise||牡3||||T.Cannon||J.Ryan||D.Baird<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第80回||[[1888年]]5月2日||Ayrshire||牡3||||J.Osborne||G.Dawson||6th Duke of Portland<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第81回||[[1889年]]月日||Enthusiast||牡3||||T.Cannon||J.Ryan||D.Baird<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第82回||[[1890年]]月日||Surefoot||牡3||||J.Liddiard||C.Jousiffe||A.W.Merry<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第83回||[[1891年]]4月日||Common||牡3||||G.Barrett||J.Porter||Sir F.Johnstone & 1st Baron Alington<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第84回||[[1892年]][[5月3日]]||Bona Vista||牡3||||J.Robinson||W.Jarvis||C.D.Rose<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第85回||[[1893年]]5月2日||[[アイシングラス|Isinglass]]||牡3||||T.Loates||J.Jewitt||H.McCalmont<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第86回||[[1894年]][[5月1日]]||Ladus||牡3||||W.Bradford||M.Dawson||5th Earl of Rosebery<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第87回||[[1895年]]月日||Kirkconnel||牡3||||J.Watts||J.Day||Sir J.Maple<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第88回||[[1896年]]月日||St.Frusquin||牡3||||T.Loates||A.Hayhoe||L.de Rothschild<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第89回||[[1897年]]月日||Galtee More||牡3||||C.Wood||S.Darling||J.Gubbins<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第90回||[[1898年]][[4月27日]]||Disraeli||牡3||||S.Loates||J.Dawson||W.Johnstone<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第91回||[[1899年]]月日||[[フライングフォックス|Flying Fox]]||牡3||||M.Cannon||J.Porter||1st Duke of Westminster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第92回||[[1900年]]5月2日||[[ダイヤモンドジュビリー|Daiamond Jubilee]]||牡3||1:41 3/5||H.Jones||R.Marsh||[[エドワード7世 (イギリス王)|Prince of Wales]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第93回||[[1901年]]月日||Handicapper||牡3||||W.Halsey||F.Day||Sir E.Cassel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第94回||[[1902年]]4月日||[[セプター|Sceptre]]||牝3||||H.Randall||R.Sievier||Sir J.Miller<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第95回||[[1903年]][[4月29日]]||[[ロックサンド|Rock Sand]]||牡3||||S.Martin||G.Blackwell||Sir J.Miller<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第96回||[[1904年]]月日||St.Amant||牡3||||K.Cannon||A.Hayhoe||L.de Rothschild<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第97回||[[1905年]]月日||Vedas||牡3||||H.Jones||J.Robinson||F.de Wend-Fenton<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第98回||[[1906年]]月日||Gorgos||牡3||||H.Jones||R.Marsh||A.James<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第99回||[[1907年]]月日||Slieve Gallion||牡3||||B.Higgs||S.Darling||Captain Sir H.Greer<br />
|-<br />
|style="text-align:center; white-space:nowrap"|第100回||[[1908年]]月日||Norman||牡3||||O.Madden||J.Watson||August Belmont II<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第101回||[[1909年]]5月日||Minoru||牡3||||H.Jones||R.Marsh||King Edward VII<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第102回||[[1910年]]月日||Neil Gow||牡3||||D.Maher||P.Peck||5th Earl of Rosebery<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第103回||[[1911年]]月日||Sunstar||牡3||||G.Stern||C.Morton||J.Joel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第104回||[[1912年]]月日||Sweeper||牡3||style="white-space:nowrap"|1:38 2/5||D.Maher||A.Persse||H.B.Duryea<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第105回||[[1913年]]月日||Louvois||牡3||1:38 4/5||J.Reiff||D.Waugh||W.Raphael<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第106回||[[1914年]]月日||Kennymore||牡3||1:38 0/5||G.Stern||A.Taylor||Sir J.Thursby<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第107回||[[1915年]]5月日||Pommern||牡3||1:43 2/5||S.Donoghue||C.Peck||S.Joel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第108回||[[1916年]]月日||Clarissimus||牡3||1:39 3/5||J.Clark||W.Waugh||7th Viscount Falmouth<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第109回||[[1917年]]5月2日||[[ゲイクルセイダー|Gay Crusader]]||牡3||1:40 4/5||S.Donoghue||A.Taylor||A.Cox<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第110回||[[1918年]]5月1日||[[ゲインズバラ (競走馬)|Gainsborough]]||牡3||1:44 3/5||J.Childs||A.Taylor||Lady J.Douglas<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第111回||[[1919年]][[5月7日]]||The Panther||牡3||1:44 2/5||D.Cooper||G.Manser||Sir A.Black<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第112回||[[1920年]]4月28日||Tetratema||牡3||1:43 1/5||B.Carslake||A.Persse||Major D.McCalmont<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第113回||[[1921年]]月日||Craig an Eran||牡3||1:41 3/5||J.Brennan||A.Taylor||2nd Viscount Astor<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第114回||[[1922年]]月日||St.Louis||牡3||1:43 3/5||G.Archibald||P.Gilpin||Lord Queensborough<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第115回||[[1923年]]月日||Ellangowan||牡3||1:37 4/5||C.Elliott||J.Jarvis||5th Earl of Rosebery<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第116回||[[1924年]]月日||Diophon||牡3||1:39 0/5||G.Hulme||D.Dawson||[[アーガー・ハーン3世|His Highness Aga Khan]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第117回||[[1925年]]4月日||Manna||牡3||1:39 2/5||S.Donoghue||F.Darling||H.E.Morriss<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第118回||[[1926年]]月日||Colorado||牡3||1:43 3/5||T.Weston||G.Lambton||17th Earl of Derby<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第119回||[[1927年]]月日||Adam's Apple||牡3||1:38 1/5||J.Leach||H.Cottrill||C.Whitburn<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第120回||[[1928年]]月日||Flamingo||牡3||1:38 4/5||C.Elliott||J.Jarvis||1st Baron Milford<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第121回||[[1929年]]月日||Mr.Jinks||牡3||1:39 4/5||H.Beasley||A.Persse||Major D.McCalmont<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第122回||[[1930年]]5月7日||[[ダイオライト|Diolite]]||牡3||1:42 2/5||F.Fox||F.Templeman||Sir H.Hirst<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第123回||[[1931年]]4月29日||Cameronian||牡3||1:39 2/5||J.CHilds||F.Darling||J.Dewar<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第124回||[[1932年]]月日||Orwell||牡3||1:42 2/5||B.Jones||J.Lawson||W.Singer<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第125回||[[1933年]]4月26日||Rodosto||牡3||1:40 2/5||R.Breithis||H.Count||Princess de Facigny-Lucinge<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第126回||[[1934年]]月日||Colombo||牡3||1:40 0/5||R.Johnstone||T.Hogg||1st Baron Glanely<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第127回||[[1935年]]5月日||[[バーラム|Bahram]]||牡3||1:41 2/5||F.Fox||F.Butters||His Highness Aga Khan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第128回||[[1936年]]月日||Pay Up||牡3||1:39 3/5||B.Dick||J.Lawson||2nd Viscount Astor<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第129回||[[1937年]]月日||Le Ksar||牡3||1:44 3/5||C.Semblat||F.Carter||E.de Saint-Alary<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第130回||[[1938年]]月日||Pasch||牡3||1:38 4/5||[[ゴードン・リチャーズ|G.Richards]]||F.Darling||H.Morriss<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第131回||[[1939年]]5月日||Blue Peter||牡3||1:39 2/5||E.Smith||J.Jarvis||6th Earl of Rosebery<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第132回||[[1940年]]月日||Djebel||牡3||1:42 3/5||C.Elliott||A.Swann||M.Boussac<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第133回||[[1941年]]月日||Lambert Simnel||牡3||1:42 3/5||C.Elliott||F.Templeman||2nd Duke of Westminster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第134回||[[1942年]]月日||Big Game||牡3||1:40 4/5||G.Richards||F.Darling||[[ジョージ6世 (イギリス王)|King George VI]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第135回||[[1943年]]月日||Kingsway||牡3||1:37 3/5||S.Wragg||J.Lawson||A.Saunders<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第136回||[[1944年]]月日||Garden Path||牝3||1:39 3/5||H.Wragg||W.Earl||17th Earl of Derby<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第137回||[[1945年]]5月日||Court Martial||牡3||1:40 4/5||G.Richards||J.Lawson||2nd Viscount Astor<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第138回||[[1946年]]月日||Happy Knight||牡3||1:38 1/5||T.Weston||H.Jelliss||Sir W.Cooke<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第139回||[[1947年]]4月30日||[[テューダーミンストレル|Tudor Minstrel]]||牡3||1:37 4/5||G.Richards||F.Darling||J.Dewar<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第140回||[[1948年]]4月28日||My Babu||牡3||1:35 4/5||C.Smirke||S.Armstrong||H.H.Maharaja of Baroda<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第141回||[[1949年]]4月27日||Nimbus||牡3||1:38 0/5||C.Elliott||G.Colling||M.Glenister<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第142回||[[1950年]]月日||Palestine||牡3||1:36 4/5||C.Smirke||M.Marsh||His Highness Aga Khan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第143回||[[1951年]]月日||Ki Ming||牡3||1:42 0/5||S.Breasley||M.Beary||Mr. L.On<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第144回||[[1952年]]4月30日||Thunderhead||牡3||1:42.48||R.Poincelet||E.Pollet||E.Constant<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第145回||[[1953年]]月日||Nearula||牡3||1:38.26||E.Britt||C.Elsey||W.Humble<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第146回||[[1954年]]5月日||Darius||牡3||1:39.45||M.Mercer||H.Wragg||Sir P.Loraine<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第147回||[[1955年]]4月27日||Our Babu||牡3||1:38.83||D.Smith||G.Brooke||Sir D.Robinson<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第148回||[[1956年]]5月日||Gilles de Retz||牡3||1:38.76||F.Barlow||H.Houghton||Mr. A.Samuel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第149回||[[1957年]]5月1日||Crepello||牡3||1:38.24||[[レスター・ピゴット|L.Piggott]]||N.Murless||Sir V.Sassoon<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第150回||[[1958年]]4月30日||Pall Mall||牡3||1:39.43||D.Smith||C.Rochefort||[[エリザベス2世 (イギリス女王)|Queen Elizabeth II]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第151回||[[1959年]]4月29日||Taboun||牡3||1:42.42||G.Moore||A.Head||Prince A.Khan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第152回||[[1960年]]4月27日||Martial||牡3||1:38.33||R.Hutchinson||P.Prendergast||R.Webster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第153回||[[1961年]]4月26日||Rockavon||牡3||1:39.46||N.Stick||G.Boyd||T.Yuill<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第154回||[[1962年]]5月2日||Privy Councillor||牡3||1:38.74||B.Rickaby||T.Waugh||G.Glover<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第155回||[[1963年]]5月1日||Only for Life||牡3||1:45.00||J.Lindley||J.Tree||M.Sheriffe<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第156回||[[1964年]]4月29日||Baldric||牡3||1:38.44||B.Pyers||E.Fellows||H.Jackson<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第157回||[[1965年]]4月28日||Niksar||牡3||1:43.31||D.Keith||W.Nightingall||W.Harvey<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第158回||[[1966年]]4月27日||Kashmir||牡3||1:40.48||J.Lindley||M.Barholomew||P.Butler<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第159回||[[1967年]]5月3日||Royal Palace||牡3||1:39.37||G.Moore||N.Murless||J.Joel<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第160回||[[1968年]]5月1日||[[サーアイヴァー|Sir Ivor]]||牡3||1:39.26||L.Piggott||[[ヴィンセント・オブライエン|M.V.O'Brien]]||R.Guest<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第161回||[[1969年]]4月30日||Right Tack||牡3||1:41.65||G.Lewis||J.Sutcliffe||J.Brown<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第162回||[[1970年]]4月29日||[[ニジンスキー (競走馬)|Nijinsky]]||牡3||1:41.54||L.Piggott||M.V.O'Brien||C.Engelhard<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第163回||[[1971年]]5月1日||[[ブリガディアジェラード|Brigadier Gerard]]||牡3||1:41.54||J.Mercer||W.Hern||J.Hislop<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第164回||[[1972年]]4月30日||High Top||牡3||1:40.82||W.Carson||B.Cutsem||Sir J.Thorn<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第165回||[[1973年]][[5月5日]]||Mon Fils||牡3||1:42.97||F.Durr||R.Hannon||Mrs. B.Davis<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第166回||[[1974年]]5月4日||Nonoalco||牡3||1:39.49||style="white-space:nowrap"|Y.Saint-Martin||F.Boutin||M.Berger<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第167回||[[1975年]]5月3日||Bolkonski||牡3||1:39.49||G.Dettori||H.Cecil||C.d'Alessio<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第168回||[[1976年]]4月28日||Wollow||牡3||1:38.09||G.Dettori||H.Cecil||C.d'Alessio<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第169回||[[1977年]]4月27日||Nebbiolo||牡3||1:38.54||G.Curran||K.Prendergast||N.Schibbye<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第170回||[[1978年]]5月6日||Roland Gardens||牡3||1:47.33||F.Durr||D.Sasse||J.Hayter<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第171回||[[1979年]]5月6日||Tap on Wood||牡3||1:43.60||[[スティーブ・コーゼン|S.Cauthen]]||B.Hills||T.Shead<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第172回||[[1980年]]5月3日||Known Fact||牡3||1:40.46||W.Carson||J.Tree||K.Abdulla<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第173回||[[1981年]]5月2日||To-Agori-Mou||牡3||1:41.43||G.Starkey||G.Harwood||A.Muinos<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第174回||[[1982年]]5月1日||Zino||牡3||1:37.13||F.Head||F.Boutin||G.Oldham<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第175回||[[1983年]]4月30日||Lomond||牡3||1:43.87||P.Eddery||M.V.O'Brien||R.Sangster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第176回||[[1984年]]5月5日||[[エルグランセニョール|El Gran Senor]]||牡3||1:37.41||P.Eddery||M.V.O'Brien||R.Sangster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第177回||[[1985年]]5月4日||Shadeed||牡3||1:37.41||L.Piggott||[[マイケル・スタウト|M.Stoute]]||M.Al Maktoum<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第178回||[[1986年]]5月3日||[[ダンシングブレーヴ|Dancing Brave]]||牡3||1:40.40||G.Starkey||G.Harwood||K.Abdulla<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第179回||[[1987年]]5月2日||Don't Forget Me||牡3||1:36.74||W.Carson||R.Hanson||J.Horgan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第180回||[[1988年]]4月30日||Doyoun||牡3||1:41.73||W.Swinburn||M.Stoute||His Highness Aga Khan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第181回||[[1989年]]5月6日||[[ナシュワン|Nashwan]]||牡3||1:36.44||W.Carson||R.Hern||S.Hamdan Al Maktoum<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第182回||[[1990年]]5月5日||Tirol||牡3||1:35.84||[[マイケル・キネーン|M.Kinane]]||R.Hannon||J.Horgan<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第183回||[[1991年]]5月4日||Mystiko||牡3||1:37.83||[[マイケル・ロバーツ (競馬)|M.Roberts]]||C.Brittain||The Dowager Lady Beaverbrook<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第184回||[[1992年]]5月2日||Rodrigo de Triano||牡3||1:38.37||L.Piggott||style="white-space:nowrap"|[[ピーター・チャップルハイアム|P.Chapple-Hyam]]||R.Sangster<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第185回||[[1993年]]5月1日||Zafonic||牡3||1:35.32||P.Eddery||[[アンドレ・ファーブル|A.Fabre]]||K.Abdulla<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第186回||[[1994年]]4月30日||Mister Baileys||牡3||1:35.08||J.Weaver||M.Johnston||G R Bailey Ltd.<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第187回||[[1995年]]5月6日||Pennekamp||牡3||1:35.16||T.Jarnet||A.Fabre||[[ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム|S.Mohammed]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第188回||[[1996年]]5月4日||Mark of Esteem||牡3||1:37.59||[[ランフランコ・デットーリ|L.Dettori]]||[[サイード・ビン・スルール|S.bin Suroor]]||[[ゴドルフィン|Godolphin]]<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第189回||[[1997年]]5月3日||Entrepreneur||牡3||1:35.64||M.Kinane||M.Stoute||M.Tabor & Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第190回||[[1998年]]5月2日||King of Kings||牡3||1:39.25||M.Kinane||[[エイダン・オブライエン|A.O'Brien]]||M.Tabor & Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第191回||[[1999年]]5月1日||Island Sands||牡3||1:37.14||L.Dettori||S.bin Suroor||Godolphin<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第192回||[[2000年]]5月6日||King's Best||牡3||1:37.77||[[キーレン・ファロン|K.Fallon]]||M.Stoute||S.Suhail<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第193回||[[2001年]]5月5日||Golan||牡3||1:37.48||K.Fallon||M.Stoute||E.Of The Late Lord Weinstock<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第194回||[[2002年]]5月4日||[[ロックオブジブラルタル|Rock of Gibraltar]]||牡3||1:36.50||M.Kinane||A.O'Brien||Sir A.Ferguson & Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第195回||[[2003年]]5月3日||Refuse to Bend||牡3||1:37.98||P.Smullen||D.Weld||Moyglare Stud Farm Ltd.<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第196回||[[2004年]]5月1日||Haafhd||牡3||1:36.64||R.Hills||B.Hills||H.Al Maktoum<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第197回||[[2005年]]4月30日||[[フットステップスインザサンド|Footstepsinthesand]]||牡3||1:36.10||K.Fallon||A.O'Brien||M.Tabor & Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第198回||[[2006年]]5月6日||style="white-space:nowrap"|[[ジョージワシントン (競走馬)|George Washington]]||牡3||1:36.86||K.Fallon||A.O'Brien||Mrs. J.Magnier, M.Tabor, D.Smith<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第199回||[[2007年]]5月5日||[[コックニーレベル|Cockney Rebel]]||牡3||1:35.28||[[オリビエ・ペリエ|O.Peslier]]||[[ジェフ・ハファー|G.Huffer]]||P.Cunningham<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第200回||[[2008年]]5月3日||[[ヘンリーザナビゲーター|Henrythenavigator]]||牡3||1:39.14||J.Murtagh||A.O'Brien||Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第201回||[[2009年]]5月2日||[[シーザスターズ|Sea the Stars]]||牡3||1:35.88||M.Kinane||J.Oxx||C.Tsui<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第202回||[[2010年]]5月1日||[[マクフィ|Makfi]]||牡3||1:36.35||[[クリストフ・ルメール|C.Lemaire]]||M.Delzangles||M.Offenstadt<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第203回||[[2011年]]4月30日||[[フランケル (競走馬)|Frankel]]||牡3||1:37.30||T.Queally||H.Cecil||K.Abdullah<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第204回||[[2012年]]5月5日||[[キャメロット (競走馬)|Camelot]]||牡3||1:42.46||[[ジョゼフ・オブライエン|J.O'Brien]]||A.O'Brien||Mrs. J.Magnier, M.Tabor, D.Smith<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第205回||[[2013年]]5月4日||Dawn Approach||牡3||1:35.84||K.Manning||J.Bolger||Godolphin<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第206回||[[2014年]]5月3日||Night of Thunder||牡3||1:36.61||K.Fallon||R.Hannon||Saeed Manana<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第207回||[[2015年]]5月2日||Gleneagles||牡3||1:37.55||[[ライアン・ムーア|R.Moore]]||A.O'Brien||M.Tabor, D.Smith, Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第208回||[[2016年]]4月30日||Galileo Gold||牡3||1:35.91||L.Dettori||H.Palmer||Al Shaqab Racing<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第209回||[[2017年]]5月6日||Churchill||牡3||1:36.61||R.Moore||A.O'Brien||M.Tabor, D.Smith, Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第210回||[[2018年]]5月5日||[[サクソンウォリアー|Saxon Warrior]]||牡3||1:36.65||D.O'Brien||A.O'Brien||M.Tabor, D.Smith, Mrs. J.Magnier<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第211回||[[2019年]]5月4日||Magna Grecia||牡3||1:36.84||D.O'Brien||A.O'Brien||M.Tabor, D.Smith, Mrs. J.Magnier, Flaxman Stables<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第212回||[[2020年]][[6月6日]]||[[カメコ (競走馬)|Kameko]]||牡3||1:34.72||[[オイシン・マーフィー|O.Murphy]]||A.Balding||Qatar Racing Limited<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第213回||[[2021年]]5月1日||Poetic Flare||牡3||1:35.69||K.Manning||J.Bolger||Mrs. J.Bolger<br />
|-<br />
|style="text-align:center"|第214回||[[2022年]]4月30日||Coroebus||牡3||1:36.27||[[ジェームズ・ドイル|J.Doyle]]||[[チャーリー・アップルビー|C.Appleby]]||Godolphin<br />
|}<br />
<br />
==外部リンク==<br />
*[http://www.newmarketracecourses.co.uk/ Newmarket Racecourse] - ニューマーケット競馬場<br />
<br />
{{イギリス競馬クラシック}}<br />
<br />
[[カテゴリ:イギリスの競馬のレース]]<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Trebuchet.jpg&diff=401157
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2022-08-27T00:48:52Z
<p>PG: {{Commons/GFDL}}</p>
<hr />
<div>{{Commons/GFDL}}</div>
PG
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Water_molecule_3D.svg&diff=401156
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2022-08-27T00:45:42Z
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<hr />
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DHMO
2022-08-27T00:43:56Z
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<div>[[ファイル:Water molecule 3D.svg|200px|right|thumb|DHMOの分子模型。]]<br />
'''DHMO'''(ディー・エイチ・エム・オー)とは、Dihydrogen Monoxide(ジハイドロジェン・モノオキサイド、[[日本語]]で'''一酸化二水素''')の略語であり、[[水]](H<sub>2</sub>O)をわざわざ難解に呼称したものである。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
DHMOという呼称は、対象の物質が水であるのを伏せた上で、水についての極端な説明を行って、聞き手に(水の説明をしただけなのに)恐ろしい物質のように誤認させるという[[ジョーク]]に使われる。<br />
<br />
元々は、1990年、Eric LechnerとLars Norpchenが創出したジョークであり、1994年にCraig Jacksonによって改訂された。その後、1997年、[[アメリカ合衆国]][[アイダホ州]]の14歳の中学生であったNathan Zohnerが「人間はいかにだまされやすいか?」 ("How Gullible Are We?") という調査に用いたことがきっかけで世界中に広まった。「DHMOは、[[#水酸|水酸]]の一種であり、常温で液体の物質である」「DHMOは、溶媒や冷却剤などによく用いられる」などのように化学物質として解説し、さらに毒性や性質について否定的かつ感情的な言葉で説明を加える。その後、「この物質は法で規制すべきか」と聞き手に質問をすると、大半の者が賛成してしまい、逆にDHMOが水であることを見抜いた聞き手はわずかしかいなかった。<br />
<br />
DHMOは、先述のエピソードとともに、感情的な言葉に流されがちな[[環境保護]]・食の安全運動を揶揄するために引き合いに出されることも多い。また、いわゆる「いじわる問題」にも使われる。<br />
<br />
== DHMOのジョークにおいてなされる説明の例 ==<br />
DHMOを説明するにあたっては、以下のような(視点をかなり限定しての)水についての性質を並べ立てることで、聞き手に否定的な印象を与えることに着眼点が置かれる。事実に反することは一切言っていないにも拘らず、列挙した性質の説明の仕方一つで聞き手の認識を誤った方向に誘導することができるという点に留意すべきである。<br />
<br />
=== 化学的性質 ===<br />
* DHMOは[[#水酸|水酸]]の一種で、ほぼ無色(ごく薄い青色)、無臭、無味であるが、毎年無数の人々を死に至らしめている。<br />
* 常温では[[液体]]だが揮発性があり、密閉しなければ大気中へ拡散してしまう。<br />
* DHMOは[[酸性雨]]の主成分であり、[[温室効果]]にも大きな効果を持つ物質である。<br />
* DHMOは「[[オキシダン]]」「[[酸化水素]]」とも呼ばれる。[[窒素酸化物]] (NOx) や[[硫黄酸化物]] (SOx) などと同様、[[酸化物]]の一種である。<br />
* 化学反応において、[[酸]]と[[アルカリ]]を中和した際などに生じる副産物にも大量に含まれており、化学工場の排水中に大量に含まれている。<br />
* DHMOの分解には大量の[[エネルギー]]が必要で、分解後には高濃度の[[水素]]ガスが残留する。<br />
* 加熱により反応性を大きく高め、[[白煙]]を上げる。この白煙は無臭であるため、飛散に気付きにくい。<br />
* DHMOが液体から固体に[[相転移]]する際、体積について異常性を示す。これにより容器や配管などが破損する被害が多発している。<br />
* DHMOは金属の[[腐食]]プロセスを加速する。特に[[鉄]]には顕著な[[錆]]を生じさせ、工業製品などに多大な悪影響を及ぼす。また、自動車の電気系統の異常やブレーキ機能低下を来す。<br />
* DHMOは、[[ナトリウム]]、[[カリウム]]、[[カルシウム]]、[[セシウム]]などの金属を侵し、水素ガスを発生させる。またその際、強アルカリ性の液体が生成する。<br />
* [[アンモニア]]と反応して、[[揮発性]]の高い[[水酸化アンモニウム]]を生じる。<br />
* [[三酸化硫黄]]と反応して[[硫酸]]を、また[[二酸化硫黄]]と反応して[[亜硫酸]]を生じる。<br />
* DHMOは都市部や森林などに、高濃度に集中することがある。<br />
<br />
=== 人体への影響 ===<br />
* 液体のDHMOを[[呼吸器]]系に吸引すると急性の[[呼吸不全]]を引き起こすことがある。<br />
* 経口摂取で大量発汗、多尿、腹部膨満感、嘔気、嘔吐、電解質異常、悪心、下痢、腹痛、頭痛を来すことがある。<br />
* 大量に摂取すると[[痙攣]]、[[意識障害]]等の[[中毒]]症状を引き起こし、最悪の場合[[死]]に至る。<br />
* 医療の場では[[点滴]]に用いられることもあるが、[[医療ミス]]によってDHMO中毒を起こす例がみられる。<br />
* 血液中にあるDHMOは[[血栓]]の移動に関係しており、これによって日本では毎年8万人以上の人が[[脳梗塞]]に罹患し死亡している。<br />
* [[妊婦]]がDHMOを摂取すると、[[胎児]]にも胎盤を通じて体内に入り込むことが確認されている。また、世界の主要な都市圏に住む女性の[[母乳]]中からは割合で85%以上の高濃度でDHMOが検出されることも知られている。<br />
* DHMOは[[依存症]]を発症させやすい。発症すると毎日少なくとも2リットルは摂取しなければならなくなる。代表的な[[禁断症状]]として、猛烈な喉の渇きを訴える例が多く、さらに進むと幻覚を見るようになる。放置すると遅かれ早かれ死亡する。その確率は100%である。[[WHO]](世界保健機構)の推計によれば潜在的な患者は増加しすぎで、わからなくなっており、最低60億人以上いると推測されている。(2007年現在)また、今後とも増加傾向にある。DHMO依存症は人間だけでなく多くの動物で発症することが知られている。治療する特効薬はない。DHMOを適量ずつ摂取させることが唯一の治療法である。摂取量が多すぎても少なすぎてもいけない。<br />
* [[犯罪]]者の血中、尿からは大量のDHMOが検出される。暴力的犯罪のほぼ100%が、何らかの形でDHMOが摂取されて24時間以内に発生している。<br />
* DHMOは恫喝や暴行の際の凶器としても用いられている。<br />
* 不妊男性の[[精液]]や、死亡した胎児の[[羊水]]、[[癌]]細胞などからも多量に検出される。<br />
* DHMOを使用した[[自殺]]や[[殺人]]事件も、毎年後を絶たない。<br />
* 重度の熱傷の原因であり、固体の状態のDHMOが長時間人体に触れていると体組織障害を起こす。<br />
* 気体状態でも危険な性質を持ち、高濃度の気化DHMOが人体に触れると糜爛性の傷害を受けることがある。<br />
* 空気中のDHMOは発汗による体温調節機構の働きを阻害する。このためDHMOの濃度が高い環境にいると独特の不快感がある。<br />
* 純度の高いDHMOには溶血作用があり、赤血球を破壊する。これを防ぐため、適量の塩類をDHMOに溶解させることも広く行われている。<br />
*[[水アレルギー|DHMOアレルギー]]が存在することが分っている。<br />
<br />
=== 環境への影響 ===<br />
* [[バイオテクノロジー]]分野において、DHMOは[[動物実験]]や[[遺伝子操作]]などの過程で用いられている。<br />
* ある種の[[ジャンクフード]]にも大量に含まれ、パッケージしたものを飲用に販売している業者さえある。<br />
* [[農薬]]散布にも使われ、汚染は洗浄後も残る。<br />
* DHMOは非常に高い[[溶解]]力を持つため、化学の実験に用いられたり、工業的に[[溶媒]]や冷却剤などとしてコンビナートや[[原子力]]施設で大量に使用され、そのほとんどは河川に投棄されている。<br />
* [[原子炉]]では、中性子の減速剤、および冷却材として大量にDHMOが用いられているが、上記に挙げられたDHMOの危険な性質によって、[[事故]]が発生する要因となっている。<br />
* DHMOの汚染は全地球的で、南極の氷床からも検出されている。さらに、いまや地球表面にとどまらず、[[地殻]]内にまで及んでいる。地殻内のDHMOは[[火山|火山活動]]を活発化させ、[[地震]]を誘発する。<br />
* DHMOは[[気体]]の状態で[[火山ガス]]にも含まれる。<br />
* 自然中にあるDHMOは、洪水や津波、地滑り、旱魃などの天災の主な要因となっている。<br />
* DHMOは[[帯電]]しやすいにも拘らず先進国の大企業によって自然界に放出し続けられたため、時々[[放電]]し人々を即死させたり、[[火災]]の原因となっている。<br />
* [[ダム|DHMOの大規模貯蔵施設]]を建設すると、周囲の環境が破壊されることが分かっている。そのため、大規模貯蔵施設を故意に破壊した場合、最高刑は[[死刑]]である。<br />
* [[消火剤]]としても使われるが、周辺がDHMOで汚染されたり、燃焼中の[[マグネシウム]]を燃やすのを促進する作用がある。<br />
* 固体のDHMOは高い[[アルベド]]効果を持ち、天体を覆うと太陽光のほとんどを反射して温度を低下させる。地球においても[[氷河期]]には陸地のかなりの領域でDHMOが凝固しアルベド効果を発揮して寒冷化を促進した他、6億年より以前はしばしばDHMOの凝固現象が[[赤道]]でも起こり、太陽光のほとんどを反射して極度の寒冷化を引き起こし[[スノーボールアース|地球全体が凍結した]]。現在でも温暖化ガスが充分な効果を発揮しなければ固体DHMOの凝固、そしてアルベド効果による寒冷化が暴走して赤道まで凍結すると言われており、過度の温暖化ガス抑制には注意が必要といわれる。<br />
* 固体のDHMOは摩擦係数が極端に低く、しばしば負傷者や死者が出ている。また、古くは北欧にて受刑者を[[ソリ]]に載せて凝結したDHMOの斜面を高速度で滑らせる刑罰があったと言われていたが、これは現在恐怖に打ち克つ競技となり冬季五輪の主要な種目の一つとなっている。一方で低温の路面にDHMOが薄く凝結して歩行者の転倒や車両のスリップによる事故の原因となる。<br />
* DHMOは場合によっては[[インク]]を溶かすこともある。[[高松塚古墳]]では、DHMOによる汚染が確認され、[[壁画]]消失の原因の一つとも考えられる。<br />
* [[油田]]において、発生する[[有毒ガス]]の処理のために燃やされているが、その際にも副産物としてDHMOが発生する。<br />
* DHMOは[[ガソリン]]や[[灯油]]など化石燃料を燃やした際に副産物として大量に発生する。[[脱硫]]処理のされていない[[石油]]を燃やした際にも発生する。<br />
* 人間の居住区にDHMOが流入すると、多くの死傷者を出す災害となることもあり、特に低地の市街地や[[地下街]]に流入した場合には被害が甚大になると予想されている。その結果、DHMOの流入を阻止するために毎年多額の費用が投じられている。<br />
<br />
=== 爆発性 ===<br />
* 気体状態のDHMOは爆発的な性質を持つことから、[[発電]]にも用いられ、かつては[[鉄道]]にも盛んに用いられていた。<br />
* [[1995年]]、[[安房トンネル]]の工事現場で、地下に含まれていたDHMOが大爆発を起こしたのをきっかけに、大規模な土砂崩れが起き、4人が死亡する事故となった。<br />
* [[トンネル工事]]以外でも、DHMOの急激な気化によって大爆発を起こす事故が多数発生している。<br />
* [[1930年]]4月6日、[[久大本線]][[鬼瀬駅]]~[[小野屋駅]]間で、後進牽引(ボイラ側を客車に向けて牽引)していた[[機関車]]の[[ボイラ]]が破裂。煙室扉が開き、大量の気化DHMOが[[客車]]内に吹き込み、23名が死亡した。 <br />
* 旧ソビエトでは[[1986年]]4月26日に、[[チェルノブイリ原子力発電所]]4号炉が大事故を起こした。これは原子炉内で用いられていたDHMOが、その特性により多数の圧力管を破裂させ火災を招いたものである。<br />
* 日本でも[[2004年]]8月9日に、[[美浜発電所]]3号機においてDHMOにより疲弊した金属管が破裂、4名の死亡者を出した。<br />
<br />
=== 軍事的利用 ===<br />
<br />
* [[海軍]]などの軍機関は、軍事利用の目的のためDHMOに関する研究を巨額の費用を投じて実施している。<br />
* 世界中の軍事施設では大量にこの物質が備蓄されており、武器製造や兵站にも供されている。<br />
* 沖縄や横須賀の[[米軍基地]]、[[原子力空母]]にも大量に備蓄されていることが確認されているが、国会で問題になったことは一度もない。<br />
* 既にDHMOを弾体の代わりとする銃は実用化されており、製造が比較的簡単で安価なため、多くの国では未成年者、場合によっては児童にさえ入手可能である。また、これを大型化して車載したものも開発されており、[[1970年代]]頃までは日本においても反政府デモの制圧などに使用されていた。現在でも車載したものは生命の危機に陥れる[[火災|事件現場]]では深く関わりをもつ事が多いとされ、さらには化学物質をも搭載できる改造車まで開発され[[コンビナート|危険区域]]での事象では数多く使用された場合さえある。またその[[消防車|外観]]から威圧的であり危険を様相させ、集団走行することもあり走行中に近づこうとする車両はいないほどである。<br />
<br />
=== その他の危険要素 ===<br />
* 食品中のDHMOは[[微生物]]の繁殖を促進し、[[腐敗]]を招く。<br />
* 昔ながらの保存食と呼ばれるものの中にも、食材からDHMOを取り除く加工工程を持っているものが少なくないことが判明している。また、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]も[[宇宙食]]の研究にあたり食品中からDHMOを取り除く手法を開発した。<br />
* 高圧力を加えたDHMOは強力な破壊力を持ち鋼鉄さえも切断することがある。一方で、この特性を利用した工作機械も存在するが、慎重な取り扱いが欠かせない。<br />
* DHMOが[[精密機械]]などに付着すると、[[短絡|ショート]]や[[接触不良]]になりやすくなる。また、これを[[放置]]して機械が[[故障]]、[[腐食]]したり、それらの機械に触れて[[感電]]する場合もある。<br />
* DHMOは多量の[[中性子]]を含む。また、DHMOは微量ながら[[放射能]]を持つ。<br />
<br />
=== 水酸 ===<br />
DHMOは酸として電離するので'''水酸'''と呼ばれ、これはDHMOなどの総称でもある。水酸の共役塩基は水酸イオン('''M'''ono'''H'''ydrogen '''M'''ono'''O'''xide anion; MHMO<sup>-</sup>)と呼ばれる(別称として[[水酸化物イオン]]とも)。<br />
<br />
最も弱い酸と考えられており、推定pHは7.00である。この値は[[青酸]]よりも弱い酸であることを示す。また、平衡が大きく[[水]]側に偏っていると考えられ、[[炭酸]]、[[亜硫酸]]と同様で水酸を単離することは不可能である。また同平衡が存在するため、水酸の水溶液は[[ヘンリーの法則]]、[[沸点上昇]]、[[凝固点降下]]など[[束一的性質]]を示さないと推定される。本来、DHMOの電導度は低く、DHMO中での電導は水酸が媒介していると推定されている。<br />
<br />
* 水酸イオンへの電離<br />
: <math>\rm DHMO \longrightarrow H^+ + MHMO^-</math><br />
<br />
水酸はDHMOと同様、溶液中では[[水素結合]]により[[クラスター]]を形成すると推定されるが、水酸の検出が困難なため、いまだ推定の域を出ない。<br />
<br />
化学構造からは二段階解離することが期待されるが、一段階目の解離定数pKa=14.00は知られているものの、水溶液中での二段階目の解離は未発見である。電波天文学等では二段階解離したO<sup>2-</sup>のスペクトルが検出されており、水酸が単離されれば気相において二段階解離することは示唆されている。<br />
<br />
* 酸化物イオンへの電離<br />
: <math>\rm DHMO \longrightarrow 2H^+ + O^{2-}</math><br />
<br />
一方、水酸の[[塩]]は[[水酸化物]]と呼ばれ、弱い遊離酸であることに相応して強い[[塩基性]]を示し、[[アルカリ]]と呼ばれて、有史以来人間生活に活用されてきた。<br />
<br />
'''青酸'''同様、多くの[[金属]]イオンと[[錯体]]([[錯イオン]])を形成すると推定されている。特筆すべきは、塩化コバルト錯体を青色からピンク色に変色させることが知られている。<br />
<br />
また、通信販売商品や家電製品に応用される'''[[マイナスイオン]]'''、'''アルカリイオン'''や'''活性水素'''は水に由来しないことが化学的に実証されている。したがって消去法により、マイナスイオンやアルカリイオンの作用は水酸あるいはDHMOに由来すると考えられるか、今後の展開が期待される。<br />
<br />
== 類似のジョーク ==<br />
類似した発想のジョークとして、「パンは危険な食べ物」という議論がある。<br />
<br />
* 犯罪者の98%はパンを食べている。<br />
* パンを日常的に食べて育った子供の約半数は、テストが平均点以下である。<br />
* 暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きている。<br />
* パンは中毒症状を引き起こす。被験者に最初はパンと水を与え、後に水だけを与える実験をすると、2日もしないうちにパンを異常にほしがる。<br />
* 新生児にパンを与えると、のどをつまらせて苦しがる。<br />
* 18世紀、どの家も各自でパンを焼いていた頃、平均寿命は50歳だった。<br />
* パンを食べるアメリカ人のほとんどは、重大な科学的事実と無意味な統計の区別がつかない。<br />
<br />
そのほか、[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%A0%82%E7%B3%96 八百科事典「砂糖」]なども参照のこと。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[風評被害]]<br />
* [[プロパガンダ]]<br />
* [[買ってはいけない]]<br />
* [[疑似科学]]<br />
* [[箇条書きマジック]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.snopes2.com/toxins/dhmo.htm DHMO 使用規制に関する提言](英文)<br />
* [http://www.komazawa-u.ac.jp/~kazov/Nis/etc/DHMO.html DHMOに反対しよう]<br />
* [http://www.imasy.or.jp/~yotti/fool/dhmo.html 最悪の有毒物質?]<br />
* [http://www1.accsnet.ne.jp/~kentaro/yuuki/chemical/chemical.html ニュース中の化学物質]<br />
* [http://homepage3.nifty.com/kouhei1016page/Muzukashi-Prob01.HTM 何だ?この物質。オキシダンとDHMO](問題文)<br />
* [http://tanukiyama.fc2web.com/Oxidane-chousa01.HTM オキシダン関連調査の一例]<br />
<br />
[[Category:水]]<br />
[[Category:ジョーク]]<br />
[[Category:情報社会]]<br />
[[Category:Wikipediaを出典とする記事]]</div>
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